ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

賞味期限ってなあに?

2024年07月27日 | ひとりごと
賞味期限ってなんだろう。

賞味期限は、その日付までは「品質が保たれ、おいしく食べられます」という期限です。 
賞味期限は、品質が悪くなりにくい食品などに表示されています。 賞味期限を過ぎても、すぐに食べられなくなるわけではありません。

とのことなんだけども、では一体いつまでなら大丈夫なんだろう。
匂いを嗅いでみて、え、なんだかいけるっぽいと思ったらそれでいいのだろうか。

先日、冷凍庫にあった牛肉を菜園で採れたゴーヤと玉ねぎと人参と一緒に炒めたのだけど、その肉の賞味期限が5ヶ月前に切れていて、見た目も霜焼けしていて乾燥している。
うーん、これは微妙だなと思いながら解凍していたら、夫がこう言った。
肉はわざと古くして食べることもある。
なるほど、じゃあまあ料理してみようではないか。
結果は、肉の風味も噛み味も上々で、これまでで一番美味しいゴーヤ炒めが出来たのであった😅。
さらに、相当前から気になりながら、醤油を使った料理は食べない夫のことを考えるとついつい先延ばしになっていた、鯛めしの素を使ってご飯を炊いた。
包装に記されているはずの賞味期限の日時を随分探したのだけど、見つけられなかったので、一番心配な鯛の切り身が入っているプラスティックの袋を開けて匂いを嗅いでみたら、生姜の良い香りがして全く問題がなかったので炊き始めた。
しばらくすると夫が家に帰って来て、何作ってるのと聞くので、これこれ、と包装を渡すと、
「えぇ!これ、賞味期限が2年前に切れてるで!」と言うではないか。
に、2年前…しかも中身は魚の切り身とお揚げさんやし…不安虫がゾワゾワ〜っとみぞおちの辺りにわき出してきた。
でももう炊飯は始まってしまっている。

うう〜ん…でもさあ、前に冷蔵庫の中で5年も暮らしてた奈良漬も大丈夫やったやん。
じゃあこれも冷蔵庫に入れてあったん?
いや…台所のカゴの中。

3分は経っただろうか、お互いに違うところを見ながら無言で立ちすくんでいた時間…。
まあ、もう炊いてしもてるし、できたのを匂ってみて大丈夫っぽかったら食べるわ。
あんたは気持ち悪かったら冷凍庫にあるご飯食べたらええやん。

というわけで、2年前に賞味期限が切れていた鯛めしの素で炊いたご飯は、我々の心配をよそに、なかなかに美味しく、結局二人で平らげてしまった。
その晩と翌日の朝まで、下痢とか嘔吐とかの不安がちらちらと心の中をよぎったのだけど、二人ともなんともなく、無事に今に至っている。

うちの台所には、そういう賞味期限切れの食品が結構ある。
別に自慢してるわけではないが、出汁昆布などは特についつい時間が過ぎてしまって古くなる。
でも、鍋とかに使うと十分に旨味を出してくれて、後で細く刻んで他の料理に使ってもなお美味しい。

腐りさえしてなかったらいいってことなのかなあ…。


この虫さん、うちのドライブウェイで車体にたかってて、走ったら逃げるだろうと思ってたら、結局一緒にまた家まで戻ってきた。
一体どうやったらこんな小さな体で、風の抵抗に耐えられるんだろう。


車体は黒なんだけど、まるで鏡みたいになっていて、なんか不思議な写真になっちゃった。
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好きでも嫌いでも

2024年07月17日 | ひとりごと
胡瓜の苗を3本買って植えた。
3本ともが元気に育ったら大変なことになるとわかっていながら、ついつい植えてしまった。
今年は鈴木農場の鈴木さんにアドバイスをしていただいて土作りをしたからか、例年以上に苗がすくすく育ち、とんでもないことになっている😅。
夫とわたしとではこの量は消費できないので、ご近所さんに配り歩いているのだけど、それでも追いつかない時はピクルスを作る。
胡瓜が体質に合わない夫の分もと、わたしは毎食ごとに一本、甘味噌をちょいとつけて丸かじりする。
キリギリスも真っ青なのである。

先日、トランプ元大統領が遊説中に狙撃されるという事件が起こった。
現場の写真を見た時に、一番先に思い浮かんだのは、やらせじゃないのか?だった。
彼だったら、銃声がしてしゃがんだ際に、血とそっくりの液体を入れたカプセルを耳の近くで潰すことぐらいはするだろうと。
いくら嫌いだからって、さすがにこれは酷い考えだとは思う。
けれども、屋根の上から撃つという、それこそなんでそんな所から?という場所に銃を抱えた犯人が立っていて、その様子を見て事前に報告した人も居て、なのに演説は中止されなかったっていうのは解せない。
トランプ氏の、右手を高々と振り上げて雄叫びする姿を見て、大勢の支持者が呼応する。
暴力を、銃所持を否定しない人たちが興奮の坩堝にハマっている姿を見て、心底恐ろしいと思った。
犯人が何を思い、何のためにあんな愚かな行動に走ったのか。
銃器には銃器を。
そんな考えがまた蔓延りそうで、本当にうんざりする。

先日、東京都知事選に出馬した石丸さんに、「殺害予告」なるものが届いていたのだそうだ。
届け先がわからないからか、その脅迫状は安芸高田市の役場に送られた。
石丸さん本人だけでなく、ご家族に対しても、殺害と放火の脅かしが記されていた。
警察に届が出され、捜査が始まっているようだけど、過剰に反応して悪い連鎖が起こらないようにと、石丸さんは何度も注意喚起していた。

政治家は好かれたり嫌われたりする。
中には極端に好かれたり嫌われたりする人もいる。
そんな強い思いに囚われて暴走する者から危害を加えられてはたまったもんじゃない。
落ち着け、落ち着け、好きでも嫌いでもどっちでもいい。
けれども過剰になってはいけない。
SNSで煽ることはもうやめて欲しい。
カオナシでもカオアリでも、どちらにしても煽ったり誹謗中傷したりするのはもうやめよう。
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初夏の独りごち

2024年06月30日 | ひとりごと
わたしの髪の毛は直毛で太く、数が異常に多くて美容師さん泣かせだったが、ここ数年シャンプーをするたびに大量の毛が抜けるから、前よりはかなり減ってきたように思う。
さらに髪の毛そのものが痩せてきたからか、ちょっとでも湿気たり濡れたりすると、毛先がピンピンはねて収拾がつかない。
最近特に汗っかきになったので、いくら丁寧にカットしてもらっても、汗をかいた途端にあらゆる方向に跳ね上がる。
なんとかなだめようといろいろと試すのだけど、一旦はねると輪ゴムでぐるぐる巻きにしてもピンで止めてもまるで効果がない。
水の中に入っている間は気がつかないが、プール以外の場所でちょっとでも運動や作業をすると、いわゆる”滝汗”をかくようになった。
だからどんなにブローしようがセットしようが、汗をかいたらハイそれま〜で〜よ、である。
鏡を見るのが恐ろしいぐらいに髪の毛がぐちゃぐちゃになってしまう。
いっそのこと、夏の間だけ超がつく短髪にしてしまおうかと夫に言うと、う〜ん、美容師さんによく相談した方がええんとちゃう?という答えが返ってきた。
どうせまた、めっちゃダサい姿になる可能性が大きいと思っているんだろう。
わたし自身もその可能性は否定しない😅

脇毛はとうの昔から自然消滅し、眉毛も端から徐々に薄くなってきた。
左側だけだったほうれい線は今や右側にもくっきりと現れ、目の下のたるみは女版宍戸錠、いや、今だと女版真田広之か、とにかく半端なくタレ膨らんでいて目障りったらない。
口元は気をつけていないとへの字口になるので、気がついたらギュッと上に上げるのだけど、それも気づいた時だけだから時間にしたらしれている。
二の腕を隠せない水着姿で参加するアクアビクスのクラスでは、タプタプと盛大に揺れる両側の肉のカーテンを、人様の前に曝け出さなくてはならない。
ちなみにこの振袖二の腕は、加齢とか運動不足とかじゃなくて、高校時代からすでにこんな状態で、だから若い頃からどんなに猛暑であっても、ノースリーブの服は絶対に着ない。
半袖もだめで、肘まで隠れる袖丈でないと心が落ち着かない。

加齢に伴うもの、加齢とは無関係なもの、体質的なもの、遺伝で避けようがないもの、いろんな理由があるのだろうけど、やはりまあ、しょーもないと思いつつ、けれども気になる今日この頃(いや、今日この頃に始まったものではないが)のあれやこれやなのである。


一昨年去年と、2年連続でランタンフライの幼虫に襲撃された胡瓜を守ろうと、ネットの情報を集めては一つ一つ試したが、どれひとつうまくいかなかった。
そこでついに、網で囲うしかないという結論に達し、とりあえず言葉通り網で囲ってみたのだけど、雷雨と暴風で荒れた夜が明けて見に行くと、見るも無惨なことになってしまっていた。
こうなるともうこれしかないと、100ドル近くもする囲いを購入した。
最初からそうしていれば良かったのだが、自分たちだけのための超小規模な菜園の、それも胡瓜だけのために、そこまでお金を使っていいのかという気持ちが拭い切れず…ケチって損をするとはこういうことだ。

組み立ては単純作業だったのだけど、説明書がいい加減で、何度もやり直さなければならなかった。

あの毒々しい真っ赤な体に白と黒の斑点があるランタンフライの幼虫が、今年はただの1匹も食いついていない。やった!

毎日まだ生暖かい採れたれの胡瓜を、ゴマだれなどをつけていただいている。

茄子とししとう、それから枝豆も、どんどん大きくなってきた。

隣の葉っぱもの限定の菜園では、小松菜と水菜、それからアルゴラが、植え替えもしてもらえずにぎゅうぎゅうの雑居状態で育っている。
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夏の小確幸

2024年06月17日 | ひとりごと
気持ちがぐわんぐわんと上下左右に揺れた10日間だった。
ここに書き残しておきたい気持ちは山々だけど、公の場で話せるようなことではないので書けない。
あ〜でも書きたいなあ…😅

というような心持ちなので、全く関係のないことを今日はお話ししようと思う。
大阪の弟がお楽しみ箱を送ってくれた。
わたしが好きそうな番組を録画してくれたDVD、え?今時はスナックがこんなコンパクトな容量になったんか?!と一瞬ビックリしたおもろいティッシュ😆、

相方のFちゃんが買ってきてくれた高級佃煮、

わたしが厚かましくリクエストしたアオサ、これで朝ご飯のなんちゃって味噌汁を美味しくいただくことができる。😭

それからわたしの大好きなATSUKO MATANOさんの猫タオル。



裏庭をいい感じに整えたい気持ちはずうっと抱えているんだけど、1年のうちの90%は手付かずのままの野原状態😅。
階段を直してもらった時に、古い石段を廃物利用しようと思って、けれども長いままだと重くて大人二人でも持ち運べないので三等分しておいてもらったのだけど、それをどんなふうに配置しようかとずっと迷っていた。

とりあえず並べてみた。
この小さな(といっても一辺が40センチ以上はある)石が、これまためちゃくちゃ重いのである。
とてもじゃないが両手で持ち上げることなんてできない。
なのでまず横に立たせて、それを転がして?行ったのだけど、いやあ、実に大変だった。

次に庭のあちこちに埋まっている石やボードの破片も集めて並べてみた。
てんでバラバラ😅。

ゴールはまだまだ先…。

去年まで一つか二つの、それもとても小さな花しか咲かなかった紫陽花さんが、今年はこんなに咲いてくれた。

先代猫のショーティの最期を一緒に過ごしてくれた紫陽花さん。
彼女は亡くなる前日まで、この紫陽花の花に抱かれるようにしてじっと座っていた。


土作りをしっかりとした菜園で、茄子、胡瓜、枝豆、トマト、シシトウなどを育てている。
苗はいつもと同じく、鈴木農場から購入したものなのだけど、やはり育ち方が違う。いつもより力強い。
みんなすくすく育ってくれているのは嬉しいのだが、胡瓜の茎が太くなるにつれて、ランタンフライの襲来をどのようにして防ぐかを考えなければならない。
奴らはウリ系と柑橘系の野菜や木が大好きで、どんなに追い払ってもすぐに戻ってきて、茎が見えなくなるほどに隙間なくしがみついて養分を吸う。
一昨年はそのことに気づくのが遅過ぎて、胡瓜は全滅。
去年はそれこそいろんな手を使って戦った結果、そこそこの収穫は得られたのだけど、シーズンが終わる頃には疲れ果ててしまった。

なので今年は蚊帳で中に入れないようにしようと思い、手製の胡瓜専用蚊帳を作ってみた。



奴らがどこからも入り込めないように、網をホッチキスで止めたり杭を打ち込んだり、汗水垂らして数時間もかけて作ってみたけど、なんだかとっても頼りがない。
我ながら不満足な出来なのだけど、如何せん、体力も気力も尽き果ててしまった。
まあこれでしばらく様子を見ようと思ってたら、その日の夜にいきなり雷を伴う暴風雨に見舞われて、翌朝に見に行くと、案の定柱のあちこちが折れたり外れたりしていた😭。
結局、高額だから(100ドル近くする)と買うのを迷ってたブツを購入するしかないと諦めて注文をした。
はっきり言って、これは全く採算が合わない。
苗が成長して実が成り始めると、一日2本ずつ食べたとしても追いつかないので、ご近所さんに配って歩くことになる。
1本が1ドルとして、100ドル分の元をとるには100本もの胡瓜を食べなくてはならない。
夏の暑い盛りには、もぎたての胡瓜に鯛味噌などをつけてポリポリ食べるのも乙なものだが、毎日だと食べ飽きてくる。
もちろん漬物にしたり、炒め物に入れたり、他の使い道を考えるわけだが、それでもやはり100本はキツい。
菜園は採算度外視の、ジリジリと照りつける太陽の下、土をいじり、雑草を抜き、水をやり、野菜を育てる楽しみを味わうための空間なのだなあと思う。

というわけで、まだまだ収穫には程遠いので、鈴木農場の野菜をネットで注文した。
胡瓜をいっぱい入れてくれてたのでピクルスを作った。


かぶらと大根の葉っぱはふりかけに。


パティオでの初めての食事。

メインはこれ。

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やらかしました😅

2024年06月06日 | ひとりごと
近所のYMCAの、火曜日の正午から始まるアクアビクスクラスに間に合うように、隣町の大きな通りを車で走っていたら、白いSUVの車が一旦停止を守らずに左折しようと飛び出してきた。
追突を避けようとしてクラクションを鳴らしたり、ブレーキをかけたり、ああもうこれは間に合わないと思って逆に逃げるためにアクセルを踏み込んだりしたけど、結局当てられてしまった。
当たりはそれほど強く無かったので、車が少し右側にぶれたけれども、身体的な傷は無い。
けれども気が動転しているからか、体が小刻みに震えるのを止めることができなかった。
相手はすぐにわたしの方にやって来て、ごめんなさい、本当にごめんなさい、あなた大丈夫?どこも怪我していませんか?と尋ねてきた。
とりあえず車を側道に停め直し、お互いに外に出て、ぶつけたところを確認し合った。
彼女の車は頑強で、バンパーの角に固い金属の補強があったので、そこにかすり傷がついた程度だった。
わたしの方は夫の父からのお下がりで、しかもその車は父に認知の症状が出始めた頃に運転していたので、車体のあちこちにぶつけた跡があって、だから彼女がつけた傷や凹みがどれなのかが判断しにくくて、お互いに苦笑いした。
わたしはそこで彼女の車の傷とわたしの車の傷を写真に撮っておくべきだったのだが、頭の中がフワフワしていて、そういうことに気が回らなかった。
さらに、こういう時は警察にまず連絡をし、それから保険会社に事故の報告をするべきなのだが、相手の女性はどうしても彼女の娘を迎えに行かなければならないので、自分の情報(住所、氏名、電話番号と彼女の免許証と保険証)を教えるから、あとはあなたの好きなようにしてくれ、と言って去ってしまった。
わたしは彼女がスーパーのレシートに走り書きした彼女の名前と電話番号、そして免許証と保険証の写真を撮った携帯電話を手に、しばらくぼうっと立っていた。
車に戻り夫に連絡すると、家に戻っているところだからあと5分ぐらいでそこに行ける。だからそこで待っているようにと言われたのだが、現場は家から車で2分もかからないところだし、もうYMCAに行く気力も無くなったし、とりあえず家に戻ることにした。
家のドライブウェイに車を停めたのだけど、家の前の道路が長年の(少なくとも15年以上)住民の陳情を遂にとりあげてくれて、大体的に整備し直している最中だったので、この通りに住む人たちの車は、一筋向こうの通りに止めなければならなかったことを思い出し、駐車しに行ったのだった…。
当てられた事故から20分ぐらい経った時のことだ。
わたしはバックで空いているスポットに車を停めようとしていた。
数秒後に、ものすごく大きな破壊音がして、わたしの車がガタンと揺れて止まった。
何が何だかわからなかったけど、何かにぶつかったのは確かだった。
バックミラーを見ると、グレーのセダンが見えた。
え?ぶつけた?わたしが?誰かの車に?
呆然として車から降りて後ろに回ると、無惨に割れたテールランプの赤いプラスティックの破片が道に散らばっているのが見えた。
相手の車は後ろのバンパーが少し車体から外れている。
わたしの車はバンパーがグシャリとへこみ、たった15分前に当てられたところがどこなのかもわからないほどに破損している。
そう、全く同じところを当ててしまったわけで、わたしはそのことにショックを受け、しばらくちゃんと息を吸うこともできなかった。

散らばった破片を片付けることもせず、その場に居た堪れなくなってまた家のドライブウェイに戻ってしまった。
そこに夫が戻ってきて、その顔を見た途端、あまりの情けなさに涙が込み上げてきた。
夫は最初訳が分からなくて、泣きじゃくるわたしの肩を抱いてくれていた。
わたしは普段、そんじょそこらのことで泣いたりしない。
だから今度は夫の方が狼狽始めた。
ことの次第を話すと、とにかく警察に連絡しようと言って電話をかけてくれた。
やって来た警官に事故の説明を始めたのだけど、はっきり言ってこんな奇妙な連続事故は理解し難い様子だった。
最初の事故は近所とはいえ別の町なので、彼がリポートできるのはわたしがぶつけた事故の方だけだ。
最初の事故の相手の保険会社に、一体どう説明したらいいのだろうか。
あのですね、今日の正午近くに、◯◯さんに車をぶつけられて、ご本人は全て自分が悪かったのでちゃんと直してもらってくださいとおっしゃっていたのですが、その15分後に、今度はわたしがご近所さんの停めてあった車にぶつけまして、◯◯さんがつけた傷がどこなのかわからなくなってしまったんですよね、えへへ…。

自分の保険会社と相手の保険会社に、夫の助けを借りて電話をした。
わたしがぶつけた車の持ち主(この通りに最近引っ越してきたばかりのゲイカップル)に、お詫びを言いに行った。
とんだ"welcome to our neighborhood!"である。
彼らはとても穏やかに、もちろん苦笑いをしながら、仕方がないことだと言ってくれたけど、やっぱり車の破損や修理は面倒なことだから、胸の内は複雑だろうと思う。
車の持ち主ではない方の彼は音楽家で、教会でオルガンを演奏していると聞いていたのだけど、別れ際に、あ、ちょっと待って、まうみに渡したいものがあると言うので待ってくると、楽譜を手渡された。
君んちにはピアノが2台あるでしょ。これ、バッハの曲なんだけど、一緒に弾きたいと思って。あ、僕はセコンドパートね、ファーストを弾けるような技術は無いから。
曲は「Sheep may safely graze」。とても心休まる、美しいテーマだ。
もしかしたら彼は、今のわたしの心をなだめるためにこの曲を選んでくれたのかもしれない。
ありがたいなあ。

事故ってほんと、一瞬のことで起こる。
自分の不注意が原因の時もあるし、どんなに用心してもたまたまその場に居合わせただけの時もある。
わたしも中二階から地下の入り口に真っ逆さまに落下したり、車に轢き逃げされたり、急な階段を頭から落ちたり、何度か死にかけた。
事故の後、あの時〇〇していたらとか、〇〇していなかったらとか、考えても全く仕方がない、何の役にも立たないことをあれこれと考えた。
今回の最初の事故はともかく、2回目の事故については、〇〇していたら、〇〇していなかったら、という思いがドドっと押し寄せてきて溺れてしまいそうになった。
まずは夫の言うことを聞いて、事故現場に留まっていたらよかった。
次に、家に戻ってドライブウェイに停めておけばよかった。
通りに駐車するときに、いつも欠かさずやっているように、後ろの確認をするべきだった。
それにしても恨めしいのは、家の通りのノロノロ工事だ。
これがちゃっちゃと済まされていたら、そもそもわたしは…いやいや、もうやめよう。
気が動転している時には思いもよらないことが起こりがちなのだ。
それを肝に銘じておこう。

ようやく始まった家の前の通りの舗装のやり直し工事。

普段お目にかかれない車がどんどんやってくる。




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味噌と納豆の食べ方について

2024年05月22日 | ひとりごと
もう知ってる人は知ってる(当たり前)だろう、味噌や納豆は、あっつ熱の出し汁やご飯と一緒にしちゃうと、肝心の良い菌が弱ったり死んでしまったりするっていう話。
巷で言われているのは摂氏60度から70度ぐらいまでならなんとか生きててくれるらしいのだが、そんなことをこれまで誰からも聞いてなかったし、味噌や納豆の会社もそういう注意書きとかを付けていなかった。
今はどうなのか知らないけど。


味噌も納豆も栄養価が高く、だからスーパーフードなどといわれている。
だけど、その栄養価が低くなったり、下手をするとゼロになったりする場合があるのなら、一応の説明をするべきなんじゃないのかな。

例えば、味噌の乳酸菌は50℃以上、酵母は70℃ほどで死滅してしまうので、味噌汁を作るときはまず具材をしっかりと煮てから火を止め、それから10分ほど置き、汁の温度を50℃ぐらいまで下げてから味噌を溶かしましょう、とか。
まあ、乳酸菌や酵母が消えてなくなっても、その他の栄養(たんぱく質、食物繊維、レシチン、ビタミンE、ビタミンB2、イソフラボン、大豆サポニン、鉄、リノール酸)は熱に耐え忍んでくれる(?)のかもしれないけど…。

納豆だってそう。
生ぬるいご飯の上に乗っけるか、別々に食べるかしないと、ナットウキナーゼが死んじゃう。
他の栄養素であるたんぱく質、カリウム、カルシウム、納豆菌、食物繊維、イソフラボンはどうなんだろう?大丈夫なんだろうか?


前にも書いたかもしれないけれど、わたしは1日に2回、中サイズのマグカップにお湯を注ぎ、それを手で持っても10秒ほど平気な温度になるまで待ち、そこに手前味噌を投入して溶き、ネギとアオサ海苔を加えて飲んでいる。
お湯を入れたカップに手のひらを当てて10秒は大丈夫っていうのが60℃なんだそうで、一度ほんとかどうか温度計で測ってみたらほぼ当たってたので、それからはずっとそうやって確認している。
50代までは猫舌だったわたしが好んで飲んでいた温度だ。
なぜか60代に突入した頃から、あっつ熱のお茶やお湯を飲むのが好きになってしまっていたので、今の60℃の飲みものはなんだか物足りないのだけど仕方がない。


納豆も味噌も、日本食の要なんだから、そういう知識や情報をちゃんと伝えるのは大事なことなんじゃないのかな。
でも、栄養のことにがんじがらめになって、食べる楽しみを失ってしまうっていうのもどうかと思う。
だからたまにはぐつぐつ煮たりする。
でも食べる時に、消えて無くなってしまった栄養素さんたちを、ついつい偲んじゃうんだけどね😅

久しぶりのひとりごちでした。
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紫と緑の祭宴

2024年05月15日 | ひとりごと
先日、シアトル在住の次男くんが、びっくりするような写真を送ってきた。
なんと、この見事なオーロラは、自宅のバルコニーからの実写である。




いやはや、こんな見事な景色を部屋に居ながらにして観られるとは、なんたる幸運であろうか。
などと一人で盛り上がっていたら、ここでも今夜か明日の夜に観られるはずやでと、夫がさらりと言うではないか!
うっひゃ〜!
だがしかし…どちらの夜も思いっきり曇ってしまって、オーロラのオの字も観られなかったのであった😭

壮大な自然の風景の続きとしてはちょいと地味なのであるが、4年目にしてやっと花を咲かせてくれたあやめさんを紹介させてもらおう。
このあやめさんは、友人のA美ちゃんから分けてもらったもので、毎年春になるとニョキニョキと葉が生えてきて大きくなるのだけど、一度も花を咲かせてくれなかった。
それが今年はいきなりの満開!嬉しいったらもう。

つぼみからして妖艶そのもの。

よくよく見ると、黄色い花もあるようだ。

その横で素朴に咲いている雑草の花。

そして、あやめさんたちからちょっと離れたところにぼんやり立ち止まっているのはうさぎさんである。


なぜか近寄って行っても逃げようとしない。

紫といえば、うちにはジャイアン藤がいらっしゃる。


伸びた根っこが庭中に蔓延っていて、気をつけていないと引っかかって転けそうになるので、いつかはちゃんと手入れをして規模を小さくしないといけないと思っているのだが、やらなければならないことが多過ぎて、それがいつになるのかはわからない。
家を持ったら最後、エンドレスだよ〜といろんな人たちから言われたのだけど、全くその通りだと思う今日この頃である😅
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誕生日と牡丹桜と裏庭つくりと

2024年04月27日 | ひとりごと
なんだかもう月日が経つのが早くて、うかうかしていると月が変わっている。
1月から3月はいろいろとあったから仕方がないと思っていたけど、もう4月が終わって5月になるっていうのが…それをまた、昨日レッスンにやってきた小学生の生徒が言ってて、世界観というか時勢感というか、インターネットが世の中に根づいてからの時間の経ち方が、ガラリと変わったと思うのはわたしだけではないだろう。

今月のど真ん中に67回目の誕生日があって、長男くん夫婦と夫の母とわたしたちとの5人で、お祝いディナーを食べに行った。
前に住んでいた隣町の、美味しいと評判のイタリアンレストランで、グルテンフリーの魚介パスタをご馳走してもらった。

義母はバースデーケーキ(パイナップルのアップサイドダウンケーキ・黒っぽい部分はブルーベリー)を焼いてくれた。

次男くんは、自分たちが超気に入って使っている枕をプレゼントしてくれた。
The Purpleという会社の製品で、蜂の巣状の突起加工が施された表面部分は、ひんやりと心地良い肌触りだ。
わたしは普段、タオルを折りたたんで枕がわりにしているので、この分厚さは大丈夫だろうかとちょっと心配したけど、不思議な柔らかさと安定感が良い眠りをもたらせてくれる。
長男くんのおまけプレゼントのクッションといい、今年は二人ともにわたしの睡眠について考えてくれたようだ。
ありがたやありがたや😭


さて、ポンちゃんとヨシノ姉妹が咲かせてくれた花にさよならを言って1週間が経った頃から、牡丹桜の最盛期に入った。
通りのあちらこちらで盛大に賑わっている牡丹桜は、いつ見ても笑顔にしてくれる。




そしてお隣さんの歩道のチューリップ花壇は、年々面白くなっている。




うちの前庭の、毎年蘇ってきてくれる草花たち。








茗荷もぼちぼちと。


これは、1時間ばかり車を運転して通ってきてくれている生徒さんが、わたしが知らないうちに植えてくれていた花。


先週末から、裏庭に通じる階段の改造作業が始まった。





ついでにといってはなんだが、ここに越してから15年が経ち、その間ずっと放ったらかしていた(見て見ぬ振りをしてきた)庭の整備を、ぼちぼち始めようではないかということになり、小さなパティオを造ってもらうことにした。
台所からスッと外に出られるウッドデッキを造るというのがわたしの夢だったんだけど、費用を考えるとそれは叶わぬ夢で、だからこれから歳をとっても階段の上り下りができるよう、足腰を鍛えていかなければならない。
その小さなパティオにしても、ほんの数段の小さな階段にしても、50年100年越しのセメントやレンガを打ち砕き、土台を一からやり直すのがどれほど大変なことか、毎日作業に来てくれる人たちの様子を見て思い知らされる。
どの作業の過程も興味深く、写真を撮りたくてうずうずしてしまうのだけど、邪魔になりたくないし、誤解されたくもない(自分たちの作業を疑っているのかとか)ので、じっと我慢している。

夫のオフィスも引っ越しが決まり、今週末はその作業を終えなければならない。
夫にとってこれが三回目の引っ越しになる。
今まではどちらも車で5分強のところにあったので、よくギリギリまで家にいて慌てて出かけることが多かったけど、今度のは15分強かかるので、出勤の準備パターンを変える必要がある。
まあそれはそれとして、自営の仕事場を変えるというのは大変なことである。
名刺はもちろんのこと、パンフレットやネット上の記載を変更しなければならないし、患者さんたちにも伝えなければならない。
今回は距離的にもちょっと離れるので、これまでの場所に馴染んでいる患者さんたちの中には、不便さを感じる人が出てくるかもしれない。
そんなあれやこれやを、それでなくても年がら年中何かしらについて考える癖のある夫は、今まで以上に考えているんだろうと思う。
わたしにできることは高が知れているけど、引っ越し作業はもちろん、できることを見つけて手伝っていこうと思う。
たとえば、患者さん用のガウンの洗濯してきれいにたたむとか…😅。
え?それはショボ過ぎる?
ケンチャナケンチャナ〜😁
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ぽんちゃんとの15回目の春

2024年04月05日 | ひとりごと
ぽんちゃんがめでたく満開を迎えた日は、雨降りが続いた3日目。
枝や幹は真っ黒で、うす桃色の雪洞は水分をたっぷり吸っていかにも重たげだった。
その夜、嵐のような風が吹きはじめ、それは4日目の朝も続いていて、極めつけは夜の雷嵐だった。
ぶっとい枝もがブゥーンブゥーンと、右に左に、上に下に、大揺れに揺れている。
稲光の中に一瞬浮かび上がるぽんちゃんが、花びらを大量に散らせている。
春の嵐に腹を立てたところでどうしようもないのだけれど、何もそこまで荒れなくてもいいじゃないかと思いながら、しばらく窓から眺めていた。

一夜明けて嵐が去り、4日ぶりに雨も上がった。
相当散ってしまっただろうと思っていたが、まだそれなりにいい感じだ。
これはわたしの寝室の窓から見えるぽんちゃん。

さてここからは、ただただひたすらに、ぽんちゃんの花顔アップ写真が続きます😅。









レンズを向ける場所によっていろんな顔を見せてくれるぽんちゃん。
毎年ほんとうにありがとう🌸
愛してるよ〜❣️
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ゆらゆら

2024年03月25日 | ひとりごと
今朝、24日の日曜日の起きがけに、伯母が突然わたしの目の前に現れた。
伯母は洋装の喪服姿で、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
大正生まれの女性にしては背が高かった伯母を心持ち見上げると、化粧っ気のない、少し寂し気な、けれども意志の強さが滲み出ている、50代くらいの頃の美しい顔があった。
伯母の四十九日が近づいていることを思っていたからか、なぜかその夢の中では伯母自身が、誰かの四十九日の法要を無事に済ませたという話になっていた。
切れ長の伯母の目はじっとわたしを見つめていて、わたしは伯母の肩を抱きながら、「大変やったねえ、ようほんまに頑張ったねえ」と言って、ああそうだ、伯母はガリガリに痩せてるけど骨太で、こんなふうにがっしりした人だったんだと思い出していた。
伯母はわたしに「ありがとう」と言ってくれた。
そう思ったけど、声にして聞こえたのか、それともそんなふうに目で語ったくれたのか、どちらだったのかがわからない。
けれども伯母からの「ありがとう」とわたしからの「ありがとう」が、胸の中で抱き合っていた。
時間にするとそれは多分10秒前後で、そうやって伯母を抱きしめたままパッと目が覚めしまって、慌てて夢に戻ろうとしたんだけど叶わなかった。

日本時間の23日の土曜日に、伯母の四十九日の法要が行われた。
本当の四十九日は命日から数えると4月2日になるので、伯母はいろんな人たちのところにさよならを言いに行ってるのだろうか。
今日は一日中、夢の中の伯母の顔が繰り返し思い浮かんできて、懐かしいやら嬉しいやら寂しいやら悲しいやら、気持ちがゆらゆらと揺れていた。


先週の土曜日は、ここから車でちょうど1時間の町に住むN子ちゃん夫婦の牡蠣パーティに招待してもらった。
N子ちゃん夫妻は、夫のJさんの仕事の都合で、ボストンとニュージャージーに半々で住んでいて、ボストンで手に入る新鮮な牡蠣と蛤、そしてウニを大盤振る舞いしてくれた。



どの種類もめっちゃミルキーでコクがあって、美味いったらない!
何もつけずにそのままツルリと舌の上に乗せ、それを軽く咀嚼すると、なんとも言えない海の香りが口いっぱいに広がる。
至福のときである。
他にもテーブルの上にはどれも美味しいご馳走が並び、満腹のお腹をふくふくと撫でていると、フランスから移住してきた洋菓子職人さんのデザートが…。
グルテンフリーの掟など遠くどこかに吹っ飛んで(最近よく吹っ飛ぶなあ😅)、食べる食べる、6種類以上もあるどれもこれもが手の込んだ逸品揃いで、これまた至福のときなのである。

お腹が満たされ過ぎて頭がぼうっとしてきたけれど、もう一つの楽しみだったSさんの三線とのジャムをせずに帰るわけにはいかない。
実はその日の朝、数日前から嫌な感じがしてた右手の中指がいきなりパンパンに腫れてきて、しかも痛みがハンパじゃなくて、もしかしてこれ、ちょっとヤバいんじゃないかと思って、慌てて夫に応急処置をしてもらったのだけど、こんな指で弾いても大丈夫かなと思いながら、とりあえずキーボードとアンプ、そして夫はエレキを持参した。
沖縄の歌を何曲か演奏し合った後、わたしが一番聞きたかったSさんの三線弾き語りに、Sさんの愛妻Hさんの舞いが加わる最強バージョンを視聴させてもらい、3度目の至福のときを過ごさせてもらった。
やっぱいいなあ三線、やっぱいいなあSさんの渋声、やっぱいいなあHさんの優雅な舞。
最後はJさんの音頭で楽しく踊り、大いに盛り上がって散会となった。
N子ちゃんたち、このパーティ(実に7カップルの参加だった)の準備はさぞかし大変だったろうなあ。
素晴らしい時を本当にありがとう。
コメント
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