ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

グリーングリーン

2011年02月27日 | ひとりごと
みどりの葉っぱが陽の光をたっぷり浴びているのを見ていると、それだけで心の中に力がわいてくる、


光のフレームがきれい。


この葉脈に光の栄養が行き渡っているのだろう。



そしてこれは旦那が作ってくれたカラーグリーンのおかず。
料理をする前は、深みどり色のごっつい葉っぱだけれど、長い時間炒めるとこんなふうになる。


たっぷりのみどりに出会えた日。


その夜、寝ようとベッドに入ったら、息をうまく吸ったり吐いたりできなくなった。
といっても深刻なものではなく、なんとなくうまくできなくて不快だという程度。
けれどもそれでなかなか眠れなかった。

そしたら今日、朝起きた時から心の調子がおかしかった。
疲れとはまた違う、なにかズレているような感じ。
気功に行ったらなんとかなると思っていた。

気功のクラスに行く直前に、大学に行く恭平と車の出し入れや鍵のことでいろいろあって、結局遅刻してしまった。
そのいろいろはすごく小さなことなのに、すごくイライラして、それでも車の中で例の『天国言葉』をお経のように唱えながら運転した。
今日の気功は散々だった。
最初っからわたしの耳の中にお邪魔虫が居て、「ミリアムの言うことを聞くな」「ふん、あのオッサンはなにを戯けたことをほざいてるんだ」などとささやき続けた。
そして、部屋の中に流れていたピアノ音楽の音のひとつひとつが、ものの見事に音符になって、まぶたの裏側で騒々しく踊り狂っていた。
わたしはだんだん、本気で腹が立ってきて、今にも爆発してしまいそうだった。
瞑想の時間になって、ミリアムが、「これは自己治癒の瞑想なので、今自分で治したいことに集中してください」と言った。
せめてこの瞑想だけは穏やかな気持ちになって取り組みたかったけれど、やっぱりそれは叶わなかった。

部屋から出ると旦那が居た。
患者に鍼を打ち、その効果を待つために、ラウンジにパソコンを持ち出してなにか作業をしていた。
気功の後はいつも、とても眠くなる。
けれども旦那はわたしを見て、パッと見抜いたようだ。
眠いだけではない、なにかいつもと違う様子を。

今日の気功が気づかせてくれた、わたし自身の中に隠されていた苛立ちの大きさ。
昨日とは正反対の、鬱陶しい雨模様の日。

『グリーングリーン』

 ある日パパとふたりで 語り合ったさ
 この世に生きる喜び そして悲しみのことを
 グリーン グリーン
 青空には 小鳥が歌い
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑がもえる

 その時パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
 つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
 グリーン グリーン
 青空には そよ風ふいて
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑がゆれる

 ある朝ぼくは目覚めて そして知ったさ
 この世に つらい悲しいことがあるってことを
 グリーン グリーン
 青空には 雲が走り
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑がさわぐ

 あの時パパと 約束したことを守った
 こぶしをかため胸をはり ラララ ぼくは立っていた
 グリーン グリーン
 まぶたには なみだがあふれ
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑がぬれる

 その朝パパは出かけた 遠い旅路へ
 二度と帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
 グリーン グリーン
 青空には 虹がかかり
 グリーン グリーン 
 丘の上には ララ 緑がはえる

 やがて月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
 パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
 グリーン グリーン
 青空には 太陽がわらい
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑があざやか

 いつかぼくも 子供と 語り合うだろう
 この世に生きる喜び そして悲しみのことを
 グリーン グリーン
 青空には かすみたなびき
 グリーン グリーン
 丘の上には ララ 緑がひろがる


この曲の歌詞は、片山輝さんという方が作詞したもので、原曲の詞にはパパは一度も登場しないのだそうだ。
わたしはこの曲を、母が家から出て行ってしまった後、パパをママに替えてよく歌っていた。
歌っていると、なんだか哀しく、けれどもまあいいか、しゃあないもんな、という気分になった。
生きるってのはこういうもんだ。
生きてりゃいろいろあるさ。
そんなことを教えてくれた歌だった。


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木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)

2011年02月27日 | ひとりごと
肌寒いけれど、そこには春。


地面にも。


雪にすっぽり埋まっていたこの小さな木にも。


ラクダを思い出した。


同じ木の先っぽに。


お隣さんの薪。今年の冬は暖炉が大活躍しただろう。


晴れの日は空を見上げる。それだけで幸せ。


おじいさんカエデの木に、こんなおもしろいことが起こっていた。
幹と枝の間にすっぽりと挟まった石。しっかりと抱かれていてビクともしない。


反対側から見るとこんな感じ。


この木とはもう1年半も友達なのに、全く知らなかった。これだと見えにくいけれど、又になっている所に石がはまっている。


白樺の枝も、充分にお水を吸って、ツヤツヤと元気。


再登場。こちらも、木と仲良しの石。日向ぼっこが気持ち良さそう。



自然ってやっぱりいい。
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終わりはいつかやってくる

2011年02月27日 | 友達とわたし
あさこの留学期間が、あともう3週間で終わってしまう。
まるで冗談のように、時間の経つのが早い。
旦那は「あさこが帰ってしまうと寂しいなあ」と、最近ブツブツよく言っている。
この1年、逢いたいと思えばいつでも逢える所に暮らしていたけれど、お互いにやることがいっぱいで、たまに暇な時でもタイミングが合わなかったりして、結局はACMAの月例演奏会か、自分達の演奏の練習ぐらいにしか逢えなかった。
なので、今年の夏に、彼女の大学が休みに入ったら、また夏期講習とかを受けにやってくるかもしれないので、
その時はうちでずっと泊まるのだから、もしかしたらこの1年間よりもたくさん一緒に時間を過ごせるかもしれないと、旦那とわたしは慰め合っている。

今日は昼からACMAのディレクター会議があった。
いつもの集合場所『フレンチ・カフェ』に集まり、来月からの『The Orchestra of Saint Lukes(OSL)』とのコラボを直前に控え、契約の手続きをするにあたり、我々はどういう態度で望むべきかを検討した。
マンハッタンのど真ん中の、音楽家のために建てられた真新しいビルディングの、我々がオフィスとして使える部屋と、演奏会本番のためのホール、そして練習のためのリハーサル室、加えてコーチングに至るまで、すべて無料で提供したいという、美味し過ぎて恐いぐらいのオファーを、受け入れるのはもちろんだが、タダより恐いものはない、という観念が、どうしても皆の頭から離れない。
OSLの方は、ニューヨーク市に存在する、星の数ほどもある我々のような団体をひとつひとつ精査した結果、パートナーとしてふさわしいとACMAを選んだと言う。
メールではなく、顔を合わせて話し合う日がもうすぐそこに近づいてきた。

↓3月中頃から、我らACMAの新居となる所。


そして来月の、カーネギーのためのオーディション。
今のところ、まだ10組のアンサンブルしか申し込みが無いそうだ。
まあ、これから〆切の来週末までに、わんさかと申し込まれるのだろうけれど……。

なんてことを、早口の英語でガンガン、矢継ぎ早に話すこと2時間。
その間、旦那はあさこのアパートメントに行き、あさこに鍼の治療をしていた。
彼女の喉がカラカラに乾いてしまい、とうとう声が枯れてしまったのだそうだ。
北アメリカの冬の空気の乾燥はハンパじゃないもんなあ……。

ミーティングが終わり、旦那に電話すると、今から背中側をしたところだから、もうちょっとかかるというので、近所のユニクロでブラブラすることにした。


めっちゃ久しぶり!
季節柄、ヒートテックの商品が安売りしてるかもしれん!と期待まんまんで行ったのだけど、もう置いておりません、だとさ。
わたしの思考はやっぱ、世間の流れよりだいぶ遅いのかもね。
ま、お金も無いので、無くてよかったんだけど……。

あさこと旦那が、SOHOまで車で下りてくるというので、店の前に立って待っていた。
今日は暖かめの日とはいえ、やっぱり風が吹くと寒い!
暇なので、代わり映えはしないけれど、近所をパチリ。エンパイア・ステート・ビルディングが霞んで見える。


あさこが、「この留学中、いろいろお世話になったのでご馳走したい」と言って、わたし達だけだと絶対に入らないであろう、高級ステーキハウスに行った。
ただ近くに住んでたってだけで、世話なんか全然してないのになあ……。

お店に入った途端にちょっと気が引ける。


他のテーブルの上のステーキと、ベイクドポテトのサイズを見てびっくり!
そしてメニューの値段を見てまたまたびっくり!
ステーキだけで50ドル?!あかんやろそれは!!
ベジタリアンのあさこはサーモンを、わたしは前菜のカラマリを、旦那はごっついステーキを、そしてほうれん草のソテーとベイクドポテトをサイドで頼んだ。


もっちろんそれぞれみ~んな美味しかったけど……それにすっかりご馳走になったのだけど、それでもやっぱり高いんちゃう、一皿50ドルは?

天井の景色。ガス灯がすてきだった。


トイレに向かう廊下では、給仕さん達が忙しく働いていた。


もうすぐテーブルに運ばれるであろうステーキ。この大きさを伝えられないのが残念!


みんなの払ったステーキ代が、こんな所にも注ぎ込まれているんだろうなあ……などと、BINBOくさく思うわたし……。


テーブル待ちのバーもなかなかの雰囲気。


日本人の真似してピースする変なアメリカン。


階段もなかなかすてき、と写真を撮っていたら、偶然上がってきた店の人が、フラッシュで足を踏み外しそうになって笑っていた。


帰りの道すがら、こんなんを見つけた。テレビの画面だらけ?!トランクを開けると、その裏側にも三面の画面がはめ込まれていた。運転しても大丈夫?



スタバでコーヒーを飲み、あさこのアパートメントでまたまたひとしゃべり。
飽きたからと言って、彼女が着ていたイッセイ・ミヤケのプリーツ・プリーズを何枚もくれた。
彼女の部屋の中に、荷造り用の箱が何個か置いてあった。
わたしまで寂しくなってきた。
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愚の骨頂

2011年02月25日 | 家族とわたし
昨日の夜から降り始めた雨は、強弱をつけながら今日一日中降り続き、久しぶりの冷たい湿気が部屋の中までひたひたと忍び込んでいる。
こういう日は、体調を崩す人が多い。
我が家も然り。
ビルは朝から頭が痛いと言い、恭平は風邪が酷くなり(熱と喉)、わたしは家猫を襟巻き代わりに巻いているみたいな重さを感じていた。

今日はさっきまで12℃あった気温がマイナス5℃まで下がり、明日は晴れるけれどすごく寒いのだそうだ。
もうどうにでもなってんか~……の境地。

明日までにどうしても回復しなければならない息子は、今日は治療に専念するべく、どこにも出かけずに、せっせと生姜湯とレモン湯、そして家庭料理を食べている。
オヤジに鍼を頼むべきか、ジンク入りの薬を飲むべきか、はたまた西洋式に、強力な風邪薬を飲むべきか、それを決めかねている。
旦那が家に戻ってきて、さっそく検診。
治らなければならない時間までにあともう数時間しかない、ということで、西洋式のピルを飲んだ恭平。
初めての経験だからか、異様な早さで元気になり、夕飯をパクパク、まるで普通に食べた。

そして気分の良くなった彼は、いつものように、大学の授業で習っている事柄をあれこれと話し始めた。
*ニワトリが先か、卵が先か。これは実は、卵が先なのである。なぜか……。
*ある曲が頭の中に入り、それが一日中、酷い時には数日間、ずっと流れ続けている現象は、ウィルスが体に影響を及ぼすこととよく似ている。

などなど。

続いて日本語の授業の話に移り……。
彼は将来、心理学の資格とともに、ニュージャージー州の高校で日本語を教える資格も取ろうとしている。
日本人といっても、小学5年生の時にこちらに引っ越してきた彼は、今じゃ英語の方が自然で得意。
もちろん普通に話せるし(彼なりに)、本(漫画だけど)も読めるのだけど、書くとなると話が違ってくる。
それで、最近あった漢字テストの話になった。

「郵便局って書ける?」
と、聞いてくる以上、彼は書ける自信があるのである。
「書ける?」と聞かれると、なぜかムラムラとライバル意識が盛り上がるレア家の面々。
恒例、漢字大会の始まり始まりぃ~!

なぜか、バラバラの場所で頭を絞る男たち。


この時旦那が書いた『局』の漢字を、写真に撮ってお見せできないのが非常~に残念!


そしてその後、恭平がなにかおバカなことを言い、わたしが「そういうのを愚の骨頂と言う!」と嗜めながら、念のために「この言葉の意味知ってる?」と聞くと、「そ、そんなことぐらい知ってるわい!」と、とっても怪しい様子を見せるKの字。
いきなり先生癖が出て、「ほなら言うてみい!」とすかさずツッコムと、「ぐぐぐ」と押し黙るKの字。
こらあかん、ここでちゃんと教えといたらなあかん。とわたしが言おうとすると、「書けるけどな」とKの字。
なにぃ?書けるとな?ほな書いてみい!この母の目の前で書いてみい!と、わたしの机の前まで連れてきた。
「ええと、ぐ~は、ぐ、ぐ、カレーの具?」
「たぁわけぇ~!どけんかぁ~い!母ちゃんが書いたる。よう見ときんさい!」

禺。
あれ?
なんかちゃう?
これやと全然オロかっぽくないやん。
ええとええとええとええと~……。

「かかあ、そういうのをまさしく、愚の骨頂言うんちゃうん?」
 
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空飛ぶ絨毯

2011年02月23日 | ひとりごと
気功師ミリアムに、小指の治療をしてもらった。
彼女の家は、うちから車で10分ぐらいの所にある。
彼女の家に向かう通りに入るといつも、まるで森の中に入り込んだような気持ちになる。
そこらへん一帯の家は、大きな公園とゴルフ場にぐるりと囲まれていて、緑が無い冬の間でも、木々にしっかりと守られている。

彼女の家の三階の、屋根裏部屋に、トリートメント部屋がある。


ミリアムの後ろの窓からは、広々とした裏庭が見える。
大きな木がたくさんあって、治療を受けている間、何種類もの鳥のさえずりが聞こえてくる。


初めてここに来た日、この椅子に座り、自分の人生に起こった様々な出来事を話した。 



マッサージ台の上に仰向けになり、目を閉じて、彼女の言葉を聞く。
「丹田のところに息を入れ、吐き出す時に、痛みを息に溶かしてみて」
「吸い込む息の中にエネルギーを感じてみて」
「エネルギーを感じたら、息を吐き出す時に、体全体を開放してみて」
「皮膚が溶けて無くなり、皮膚に包まれていたあなたが外に向かって開放されます」

そう言いながら、彼女が両方の手のひらをわたしの丹田とみぞおちの辺りに軽く乗せた時、その強烈な感覚がわたしをびっくりさせた。

浮いてるやん……わたし……。

体全体が真っ平らな、柔らかい浮遊態になり、群青色の、けれどもどこかに薄らと光が感じられる空間に、静かに、静止したまま浮かんでいる。
驚いたけれど、恐いとは思わなかった。
なんとも言えないいい気持ちになり、うとうとと眠くなった。
それからの数分間のことは覚えていない。
多分実際に眠っていたのだと思う。
ミリアムに起こされて、台の上に腰掛けたのだけど、頭はすごくボォッとしていた。

次回の治療までに、変形してしまっている小指の関節の部分を、なにか慈しむような感情を込めながら、丸く優しくマッサージするようにと言われた。

円を描く。
円の中に居る。
円を思う。
それが、太極拳と気功の、一番大事な考えどころなのだとミリアムは言う。

「わたし、エネルギーは人よりも賢いと思うの。わたしよりも人の体の状態を的確に感じることができるし、わたしが見つけるより先に、人の体の問題を察知して、そこにまっしぐらに向かうもの。
なので、エネルギーにとっては、人の知識や思いは本当は必要ではなく、感じとってもらうことが一番なのだと思う」


屋根裏部屋から下に降りる途中の、階段の踊り場の壁にかかっている数枚の写真の中の一枚を、ミリアムが指差した。
それだけが白黒の写真で、小さな子供達が二十人ほど、こちらを向いて笑っていた。
その前列に座る、ひときわ小柄な女の子を指差して、「これがわたし」とミリアムが言った。
「これはイスラエルの学校?」
「ううん、ここがわたしの育った、子供達だけが暮らす家よ」
子供達だけが暮らす家?あなたは孤児だったの?なんて聞けなくて黙っていると、
「わたしは、少し普通では無い世界で育ったの」とミリアムが微笑んだ。


治療の後、彼女と一緒にランチを食べに行った。
さっきの彼女の話の続きを聞きたかったからだ。

彼女を乗せてまずは近所のマレーシア料理店へ。
なぜだか理由無しの休業。
次はわたしのイチオシのタイ料理店へ。
ここもなぜだか意味不明の休業。

「今日はランチを食べるなっていう意味かしらね」とミリアム。
「こうなったら意地でもどっかで食ってやる!」とわたし。
で、絶対に休みのはずが無い、町一番の人気ダイナー、レイモンズに行った。
注文するのを決め、ウェイターさんに伝え、さあインタビュー開始。

「わたしが育ったのは、600人ばかりが一緒に暮らすコミュニティだったの」

ミリアムの祖父母がヨーロッパからイスラエルに戻った頃、他からも大勢の人達が入植してきた。
彼らは一様に、無一文で、何も所有する物が無かった。
皆はだから、力を合わせて、建物を作り、作物を作り、生活に必要な物を少しずつ揃えていった。
まず、できるだけ大きな建物を作り、そこに小さな子供と赤ん坊を住まわせた。
大人はその周りの土地にテントを張り、そこで暮らし続けた。
時とともに、そこには店屋ができ、病院ができ、工場や農場も整い、学校などの施設も建てられていった。
けれども、ミリアムの親の時代になってもまだ、そのテント生活は続いていて、彼女が5才ぐらいの時まで、彼女の両親もテントで暮らしていたのだそうだ。
そのコミュニティの中では、いつも誰かが誰かの世話をしていた。
洗濯も食事も掃除も、いつも誰かがやってくれていたので、自分のために洗濯をしたり料理をしたり掃除をした覚えが無いのだそうだ。
赤ん坊の頃からずっと、子供達は子供達だけの共同生活を送り、児童達は放課後の4時から7時までの間だけ、両親のテントか家に行って一緒に過ごし、また子供の家に寝に戻ってくる。
週末の土曜日だけは、家族と一日中一緒にいられる。
そういう時間を使って家族旅行もしたし、年に何回かは年中行事で家族が揃ったし、またはコミュニティ全体の大勢でどこかに出かけたりもする。
なので、家族の絆が多分、普通の形で育った人よりも強いと思う、と彼女は言った。

けれど、自分の収入も労働も、なにもかもがコミュニティのため、という暮らしは、やはりとても特殊で、息苦しく、特に他の世界のことを知った後の彼女には、いろんなことが重苦しくなって、彼女が17才の時に、そこから逃げ出したのだそうだ。

イスラエルの人は、そもそも自分の祖国というものが存在しない。
浮き雲のような、心もとない存在感。そしてさらに辛いことに、いろんな観点から嫌われている事実。
ミリアムの心の中にも、そのことに対する哀しみが深く刻まれている。
彼女は心がとても穏やかで美しい。
その人を、その人としてだけ見ることができる世の中にならないものだろうか。

土地に線を引くことが、どうでもよくなる日がくればいいのに。
地球に住むわたし達は、みな同じ、美しい人なのに。
みんな、今日のわたしみたいに、魔法の絨毯になって、線を引こうにも引けない、地面から少し離れた所でプカプカ浮いていればいいのに。


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あこがれのオモロ写真

2011年02月23日 | 友達とわたし
どどぉ~ん!


こないだの、うちで行われた、世にも怪しい、そして艶かしい鍼パーチィ。
その模様を写した写真を、わたしもブログに載っけたのだけど、
やっぱこの方の写真は最高っすわ~!はとこちゃん!

彼女のブログに初めて遊びに行った時、この猫面と台詞に一目惚れ!
ええわ~このセンス!ええわ~このオヤジっぷり!

この、股間カメラを惜し気無くアップに見せるオトコ前がはとこちゃん。かなりラリってはる様子。

そしてSちゃん。このお飾りは彼女の指定だそうで、別にいじめではない、とのこと。ほんまかいな?


旦那は真剣に脈とりしてます。

そしてこれ。人の旦那をこきつかう、堂々たるイケズ女王っぷり!


ほんでもって極めつけは……。


ちょっとマジなんもひとつ。旦那が鍼を打ち込む瞬間でござい。



鍼を打つ前に、まずはそれぞれの体調に合った足のツボにマグネットを貼ろうとした旦那。
「えぇ~!足のむだ毛ちゃんと剃ってこんかったし~!」
「足、臭いかも……」

おいおい、自称乙女(乙女はそんなこと言わん!)さん達よ、安心しておくれ。仕事上、彼は信じられへんほどのカオスもいっぱい体験してるからさ。


いつかわたしもこんなふうに、写真で遊べるようになりたいな~。
と思い、さっそくはとこ師匠に弟子入りをお願いしてみたら……、

恐竜脳にどこまで覚えられるか、そこがちと心配ではあるが、しゃあない、教えたろか。と、渋々オッケーが出ました。
いつの日か、オモロいのん、載せまっせ~!



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猫も待ち遠しい春

2011年02月22日 | ひとりごと
今日もえらい寒いけれど、春はすぐそこまで、にやにやしながら近づいてきている。
ほんの一瞬だけ、足先やら手先やらを見せては、すっと引き、
自分のことを心待ちにしている人達が、その一挙一動に喜んだりがっかりしたりしているのを見るのが、楽しくて仕方がないようだ。

昨日の雪は、地面にはまだしっかり残っているけれど、木々や葉に積もったのはすっかり溶けた。


たった一晩で、こんな立派なつららを作る冬の神さん。今年は楽しいことがいっぱいでしたね。


今夜はまた零下10℃近くにまで下がる。
オイル代がどんどん上がっているというのに、ボイラーは一日中ごおごおと音をたててフル活動。
我が家のふところも、気温と同じく零下状態。冷え冷え~……トホホのホ。

けれどもいいこともある。
部屋の中が異様に乾燥しているので、ヴァレンタインの日にもらった花がいい案配にドライフラワー化してきた。
人生、捨てたもんではない。


かあちゃん、今日もあたし、お庭でおしっこでけへんわ。おトイレのおしっこ玉、早よ掃除しといてや。
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プレジデント・デーに思うこと

2011年02月21日 | ひとりごと
今日はプレジデント・デー、祝日です。
初代大統領ワシントン(2月22日生まれ、25セントコインと1ドル札の肖像)と第16代大統領リンカーン(2月12日生まれ、1セントコインと5ドル札)のふたりの誕生日を祝し、2月の第三月曜日を祝日としたそうです。
けど、なかなかにアバウトな祝日の決め方です。さすがはアメリカ。
ちなみに、この2人に第32代大統領ルーズベルトを加えた3人が人気のある大統領トップ3なんだそうです。


さて、日本でお暮らしのみなさんも、はたまた地球のどこかでお住まいのみなさんも、すっかり見飽きたであろう我が家の雪景色。
わたしも我が家ながら、ほんまに見飽きております。
またかよぉ~!


たった一晩でこの有り様。


「ちょっと、ええかげん重たいねんけど……」と、葉っぱも言うとります。


ほんでもって寒い。
ずっと寒かった時に寒いのは許せました。
けど、いっぺん暖かくなってからの寒の戻りは、けっこう腹立ちますね。
まだまだ未熟者なり。


こんな日は、ひたすら部屋にこもって精進!
練習したり、思考を巡らせたり、ハッカーに呪をかけたり。

育てることは育てられること。
教えることは教えられること。

何事も感謝なり!
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Dear Hacker

2011年02月21日 | ひとりごと
今朝起きて、朝一番のメールチェックをしたら、
読んでもよくわからん内容のメールが、フェイスブックの通知メールとして入っていた。
旦那の友人であり、フェイスブック仲間でもあるルーが、わたしに返事しているのだけれど、
読んでも読んでもちんぷんかんぷん、寝ぼけて頭がおかしくなったのかと、自分のフェイスブックのページを開けると……。

Heyy ◯◯(友人の名前)
I cant believe it, I actually got a free ipad to test out and keep. They are only giving away a limited supply, so I'm showing you this. There are still giving them away from the new years overstock! I absolutely LOVE the iPad :)
Click Here!!!
apps.facebook.com
Let me know when you get one too!

ちょっと◯◯、
もう信じられへんわぁ~、iPadをただでもろて、しかも使てええしずっと持っててもええねんで!まあ、だいぶ数が少なくなってはきてるみたいやけど、だからこそのお知らせなんやけど、まだ今のところは過剰在庫があって、それをわたしみたいにもらえるチャンスがあるみたいよぉ~。もうめっちゃ気に入ってるわ~iPad!
さあ、ここ(iPadが入った箱が開封されている写真が載っている)をクリックしてみんさい!


という、ニセまうみからのアホらしいウソお知らせが思いっきり載っていた。


どうやら、わたしのフェイスブックのアカウントがハックされて、この大ウソ情報がわたしの友達全員に送られてしまったようだ。
わたしがMac♥だということも知っている友達は、なんか変?と感じながらも、有り得ないことでもないと思っただろう。
クリックしてみて~!と思いっきり誘い込んでいる写真をクリックしてしまった友達よ、すまん、許してつかぁさい。
今朝から大慌てで、セキュリティが甘かったセッティングを変更した。
あとは、ジャンクメール慣れしていて、ああ、これはジャンクのウソ情報だと解釈してくれていることを祈るしかない。

どこのどいつか知らんけど、おい、ハッカー、あんたはこんなことがおもろいんか?
おもろいんやろな。そやからやめられへんのやもんな。
かわいそうやな。
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タイガー・マザー(Tiger Mother)

2011年02月20日 | ひとりごと
『Tiger Mother』正確には『Battle Hymn of the Tiger Mother』というのは、Amy Chua著の自叙伝。
まったく今の今まで知らない本だった。
けれども、あることで知らざるを得ない立場に立たされてしまった。

その本とは……、

検索してみると、山のように出てきた……。
その記事の中のひとつで、比較的わかり易く解説してくださっている、おぐにあやこ氏の解説をここに載せる。

『日本では「タイガー・マスク」が話題だったらしいけど、アメリカでは「タイガー・マザー」がすごいことになっている。
虎母―超スパルタ教育で子を育てる中国の母親のことだ。

イエール大学のエイミー・チュア教授が自分の子育て体験を本にまとめ、「中国式子育て」をこう称した。
この本、今やベストセラーだ。

「虎母」の子育ては、「オールA」の成績以外は認めない。
友達との放課後遊びもテレビもゲームも禁止。
ピアノかバイオリンを毎日数時間は練習させ、できなきゃトイレも食事も睡眠もなし。
子供が失敗すれば、他人の前で「あんたなんかゴミよ!」と平気で罵倒する……。

その甲斐あってか、チュア教授の長女は14歳のとき、カーネギーホールでピアノ独奏デビューを果たしたんだそうな。

この「中国式(?)」の子育て論にアメリカ人のママたちはびっくり仰天! 
なにしろ「子供をほめまくって自尊心を高めましょ~」のアメリカ式とは、まさに対極だものね。
私の周囲でも批判の声が多い。「あんなの児童虐待よ」「今は優秀でも必ずひずみが出る」「自主性も独創性も育たないわ」と。

かといって、「中国式」を完全に無視できないのが、今のアメリカの母親たちのツライところだ。
「確かに、アメリカのトップクラスの大学なんて中国、インド、韓国人の学生ばかり」
「娘の小学校でも、難易度の一番高い算数クラスもアジア人が目立つわ」
「学生オーケストラもそうよ」
「アメリカの子育てってこのままでいいのかしら……」

世界金融危機後のアメリカの自信喪失と、台頭する中国への脅威も手伝って、「虎母」を全否定できなくなっちゃってるんだろうな』


さてわたし、先日受けたインタビューの中で、実はこの『タイガー・マム』という言葉を聞いていた。
リンダは、わたしの半生記を必死にノートに書き留めてくれていたのだけれど、彼女の質問の中に『タイガー・マム』という言葉が何回も出たからだ。
わたしはそれをなんと、『タイガー・ウッズのおかあさん』だと勘違いして、彼女に答えていた。どぉ~ん
でもまあ、話の前後から想像していたことが、それほどズレていなかったので、とりあえずは無事にインタビューは進んでいったのだが……。
確かに、一緒に暮らしていた頃のわたしの母は、恐ろしく厳しかったし、一度だって褒めてくれたことは無かったし、良くて当たり前、なんでもかんでも一番を要求されたし、なにより笑い顔をあまり見た覚えが無い。
だから、程度の違いはあるにせよ、わたしもある意味、タイガー・マザーの子供だったと言えるのかもしれない。

そしてピアノの先生方だって、今の時代とは比べ物にならないほどに厳しかったし、もっと良くならせてあげたいという気持ちが高じて、生徒にとってかなり辛い言葉を投げかけたり、同じことをとことんできるまでやらせたりした。

そういう時代や母親や先生について語ったわたしの話は、リンダの興味のツボにすっぽりハマり、かなりの量の文章と、わたしが撮った写真と、ピアノを弾いているビデオとともに、町のウェブ新聞にデカデカと載った。


今までにも、インタビューを受けた人(たいていは有名人)が、あんなことを言ったつもりはないのに……と文句を言っているのを見て、そんなことが起こり得るんだろうかと半信半疑でいたのだけれど、
ほんの小さな、市井の住民であるわたしでさえ、実際に受けてみると、あんなこと言うてへんのに……という文章があちらこちらに見つかって、
ははぁ~、あの時あの人が言ってたのはこういうことか……と少しは理解できたような気がする。
結局は、話し手は、自分の伝えたいことを話しているのだけれど、聞き手は、聞き手自身の興味がまず前提にあって聞いているので、受け取り方がわたしの期待しているようにはいかないのだ。
インタビューの恐さ、記事の信憑性、話し手、聞き手、読み手それぞれの思惑のズレ、これは多分、人間同士の作業である以上、永遠に発生することなのかもしれない。


わたしは、タイガーとまではいかなくても、イリオモテヤマネコ・マザーに育てられた(13年だけだけど)子供。
けれども、だから、自分の子供には同じ思いをさせたくないと思った。
息子達は大人になってから、「自分の子供時代を振り返ってみて、のんびり好きなように生きられたことを嬉しく思っている」と、あっけらかんと言う。
多分これは、何も具体的な事を与えてあげられなかったことを悔やむ親のわたしを、傷つけまいとして言ってくれているのかもしれないが……。
子育てなんて、どれが良くてどれが悪いなんて、誰にもわからない。
わたしにだって、子育てについて、えらそうに語れる資格なんてどこにもない。
わたしが彼らに育ててもらったことは山ほどあるし、同じく生徒達も、今だにわたしを育ててくれている。

あの記事を読んで、誤解する人がいないことを祈るばかり。

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