みどりの葉っぱが陽の光をたっぷり浴びているのを見ていると、それだけで心の中に力がわいてくる、
光のフレームがきれい。
この葉脈に光の栄養が行き渡っているのだろう。
そしてこれは旦那が作ってくれたカラーグリーンのおかず。
料理をする前は、深みどり色のごっつい葉っぱだけれど、長い時間炒めるとこんなふうになる。
たっぷりのみどりに出会えた日。
その夜、寝ようとベッドに入ったら、息をうまく吸ったり吐いたりできなくなった。
といっても深刻なものではなく、なんとなくうまくできなくて不快だという程度。
けれどもそれでなかなか眠れなかった。
そしたら今日、朝起きた時から心の調子がおかしかった。
疲れとはまた違う、なにかズレているような感じ。
気功に行ったらなんとかなると思っていた。
気功のクラスに行く直前に、大学に行く恭平と車の出し入れや鍵のことでいろいろあって、結局遅刻してしまった。
そのいろいろはすごく小さなことなのに、すごくイライラして、それでも車の中で例の『天国言葉』をお経のように唱えながら運転した。
今日の気功は散々だった。
最初っからわたしの耳の中にお邪魔虫が居て、「ミリアムの言うことを聞くな」「ふん、あのオッサンはなにを戯けたことをほざいてるんだ」などとささやき続けた。
そして、部屋の中に流れていたピアノ音楽の音のひとつひとつが、ものの見事に音符になって、まぶたの裏側で騒々しく踊り狂っていた。
わたしはだんだん、本気で腹が立ってきて、今にも爆発してしまいそうだった。
瞑想の時間になって、ミリアムが、「これは自己治癒の瞑想なので、今自分で治したいことに集中してください」と言った。
せめてこの瞑想だけは穏やかな気持ちになって取り組みたかったけれど、やっぱりそれは叶わなかった。
部屋から出ると旦那が居た。
患者に鍼を打ち、その効果を待つために、ラウンジにパソコンを持ち出してなにか作業をしていた。
気功の後はいつも、とても眠くなる。
けれども旦那はわたしを見て、パッと見抜いたようだ。
眠いだけではない、なにかいつもと違う様子を。
今日の気功が気づかせてくれた、わたし自身の中に隠されていた苛立ちの大きさ。
昨日とは正反対の、鬱陶しい雨模様の日。
『グリーングリーン』
ある日パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がもえる
その時パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン
青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がゆれる
ある朝ぼくは目覚めて そして知ったさ
この世に つらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン
青空には 雲が走り
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がさわぐ
あの時パパと 約束したことを守った
こぶしをかため胸をはり ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン
まぶたには なみだがあふれ
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がぬれる
その朝パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン
青空には 虹がかかり
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がはえる
やがて月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン
青空には 太陽がわらい
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑があざやか
いつかぼくも 子供と 語り合うだろう
この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には かすみたなびき
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がひろがる
この曲の歌詞は、片山輝さんという方が作詞したもので、原曲の詞にはパパは一度も登場しないのだそうだ。
わたしはこの曲を、母が家から出て行ってしまった後、パパをママに替えてよく歌っていた。
歌っていると、なんだか哀しく、けれどもまあいいか、しゃあないもんな、という気分になった。
生きるってのはこういうもんだ。
生きてりゃいろいろあるさ。
そんなことを教えてくれた歌だった。
光のフレームがきれい。
この葉脈に光の栄養が行き渡っているのだろう。
そしてこれは旦那が作ってくれたカラーグリーンのおかず。
料理をする前は、深みどり色のごっつい葉っぱだけれど、長い時間炒めるとこんなふうになる。
たっぷりのみどりに出会えた日。
その夜、寝ようとベッドに入ったら、息をうまく吸ったり吐いたりできなくなった。
といっても深刻なものではなく、なんとなくうまくできなくて不快だという程度。
けれどもそれでなかなか眠れなかった。
そしたら今日、朝起きた時から心の調子がおかしかった。
疲れとはまた違う、なにかズレているような感じ。
気功に行ったらなんとかなると思っていた。
気功のクラスに行く直前に、大学に行く恭平と車の出し入れや鍵のことでいろいろあって、結局遅刻してしまった。
そのいろいろはすごく小さなことなのに、すごくイライラして、それでも車の中で例の『天国言葉』をお経のように唱えながら運転した。
今日の気功は散々だった。
最初っからわたしの耳の中にお邪魔虫が居て、「ミリアムの言うことを聞くな」「ふん、あのオッサンはなにを戯けたことをほざいてるんだ」などとささやき続けた。
そして、部屋の中に流れていたピアノ音楽の音のひとつひとつが、ものの見事に音符になって、まぶたの裏側で騒々しく踊り狂っていた。
わたしはだんだん、本気で腹が立ってきて、今にも爆発してしまいそうだった。
瞑想の時間になって、ミリアムが、「これは自己治癒の瞑想なので、今自分で治したいことに集中してください」と言った。
せめてこの瞑想だけは穏やかな気持ちになって取り組みたかったけれど、やっぱりそれは叶わなかった。
部屋から出ると旦那が居た。
患者に鍼を打ち、その効果を待つために、ラウンジにパソコンを持ち出してなにか作業をしていた。
気功の後はいつも、とても眠くなる。
けれども旦那はわたしを見て、パッと見抜いたようだ。
眠いだけではない、なにかいつもと違う様子を。
今日の気功が気づかせてくれた、わたし自身の中に隠されていた苛立ちの大きさ。
昨日とは正反対の、鬱陶しい雨模様の日。
『グリーングリーン』
ある日パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がもえる
その時パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン
青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がゆれる
ある朝ぼくは目覚めて そして知ったさ
この世に つらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン
青空には 雲が走り
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がさわぐ
あの時パパと 約束したことを守った
こぶしをかため胸をはり ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン
まぶたには なみだがあふれ
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がぬれる
その朝パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン
青空には 虹がかかり
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がはえる
やがて月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン
青空には 太陽がわらい
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑があざやか
いつかぼくも 子供と 語り合うだろう
この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には かすみたなびき
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がひろがる
この曲の歌詞は、片山輝さんという方が作詞したもので、原曲の詞にはパパは一度も登場しないのだそうだ。
わたしはこの曲を、母が家から出て行ってしまった後、パパをママに替えてよく歌っていた。
歌っていると、なんだか哀しく、けれどもまあいいか、しゃあないもんな、という気分になった。
生きるってのはこういうもんだ。
生きてりゃいろいろあるさ。
そんなことを教えてくれた歌だった。