ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ドレミの歌

2008年08月31日 | アホな小話
昨日の夜から3週間ぶりの大雨が降って、今日は1日中蒸し蒸しと暑い日になった
なぜか?
それは、雲女がここにやって来たからだ。
彼女は、結局この家に3度訪れてくれたただ一人の人なのだけど、
冬に来たら大雪、夏に来たら雨雲、とにかくただ者ではない。

昨夜はいきなり夜中に気圧が変わり、どんどん湿ってきて、何度も何度も起こされた。なんてデリケートなわたし……。
なので、時差ボケているのはいったいどっち?みたいな1日になった。

夕飯後、台所の小さなテレビをつけたら『サウンド オブ ミュージック』が始まっていて、
彼女もわたしも旦那も、子供の頃から何度も何度も観たというのに、またまたハマって最後まで観てしまった。
そしてドレミの歌を聞いた時……父のドレミを思い出した。

父は、8年前の冬、わたし達が渡米することを決心した直後、末期の胃ガンが見つかって、あっけなく逝ってしまった。
彼には、いろんなことで、いろんな思いをさせられたけれど、なんとも魅力のある人で、どうしても憎めなかった。
それになによりも、彼がわたしをとても愛してくれているのがいつだってひしひしと伝わってきて、
そういう絶対的な愛情はなかなか人からもらえないものなので、わたしも彼が好きだった。

父とわたしと弟と3人でお風呂に入ると、必ず軍歌を合唱した。
「こっこは~おっくに~のな~んびゃくり~、は~なれ~てと~お~きまんしゅうの~」
温泉タオルを水面に浮かし、それで風船を作って遊んだ。

そして彼はなぜだか、おならでいろんな特技(と言えるのかどうか)を披露してくれた。
その中の1番の自慢が、ドレミおならと、花火おならだった。
今から思うと、彼の隠れた努力が忍ばれるのだけど、なんだってそんなことをしようとしたのか、今だにとても疑問なのである。

彼はおもむろに家族を居間に呼び集め、
「ええな、静かにせえよ。いっぺんしかできんことなんやから」と言って、仰向けになって両足を静かに上げた。
わたし達が息をひそめて緊張していると、なんとも奇妙な音が3回、プウ、プウ、プウ
「どや、ドレミやったやろ、な、ドレミって聞こえたやろ、おい、まうみ、どや?」
どや?って聞かれても……。きっと父は、絶対音感のある娘に証明させたかったに違いないけど、
目の前で両足上げて、おなら3連発をかます父親を見つめる子供の気持ちも考えて欲しいものである。
わたしはかなり悩んでから「う、うん、多分」と答えた。
確かに音程はあった。けれども、下手に褒めたら、次はファまで挑戦しそうなので、ここは慎重にしないといけないと思った。

ちなみに、花火おならは、おならをした瞬間にライターの火を近づけて、一瞬だけ青い火を作るという特技。
そんなこと、なんで自慢したかったんやろ?
とうとう聞けないままに、彼は亡くなってしまった。

ドレミの歌の、ある小さな思い出でした
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逢う楽しみ

2008年08月30日 | ひとりごと
最近、日本の親しい人達と、スカイプで顔を見ながら話している。
どちらもなんだか照れ照れしながら、言葉は浮き浮き弾んでる。
話し終わって画面から懐かしい顔が消えると、ちょっと寂しくなる

今日は、本当に、とっても久しぶりに、もしかしたら4年ぶりに、日本からのお客様をお迎えした
厚かましくも頼んで買ってもらったお土産を鞄にいっぱい詰めて
本来は引っ越しの手伝いのつもりで来てくれたのだけど、
へへへ、でんでん虫ではねえ……まあ、せめて家を見てもらえたらいいな。

マンハッタンまで迎えに行って、その足で免許証の更新に付き合わせてしまった。
今日は夏の最後の三連休のイヴだってんで、とんでもなく人が多くて、
そういう時に決まって勃発する、実にアメリカンな揉め事を、
建物の外で散々待たされながら、彼女はじっくり観察していたそうな

最初の晩に泊まったハーレムの宿で、アフリカンアメリカン料理を食え食え~と迫られて、しっかり胸やけしてしまったようなので、
今日はあっさり鳥の肉団子と白菜の鍋、きゅうりの酢の物、なんてメニューにした。(←最初っから決まってたやん
夕飯時は、旦那の親父ギャグも全開。彼も嬉しいみたい。

さあて、明日はどこに連れてこっかな~。
観光じゃなくて、生活を見てもらいたい、な~んてカッコつけちゃって、
実はひとりで行くよりふたり、ひとりでするよりふたり、
日本語でしゃべりまくりながら、ファーマーズマーケットや、行きつけのパン屋さんなんかを覗きに行こうっと。

親しい人と逢うってほんと、楽しい
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いのち

2008年08月29日 | 世界とわたし
人が人の命を奪う。毎日毎日、どこかの国のどこかの町中で、山中で、海辺で。
残された人達は悲しみ、怒り、助けられなかった、防げなかった自分達を責める。

どんな生まれ方をするのか選べないように、どんな死に方をするのかも選べない。
けれども、生まれたその日から、人は命の終わりに向かって生きているのだから、
どんな死に方をするのか、1日1日、死を感じながら準備していけば、
もしかしたら少しはそれなりに、選んだような気持ちになれる最後の日を迎えられるかもしれない。

でも、突然、なんらかの、恐ろしい暴力で、無理矢理その1日を奪われたら……。

その時の絶望と怒りと哀しみは、その人にしか分からない。
15才の秋と19才の秋と29才の冬に、わたしはほとんど命を失いかけた。
3度とも、想像を遥かに超えたものすごい恐怖がわたしを圧倒した。
わたしには、はっきりとわたしが見え、その目の中に黒々とした絶望と怒りと哀しみの炎が燃えていた。

アフガニスタンで殺された人、洪水で溺れた人、離婚調停中の夫に殺された人、
昨日もまた、何人もの人が、あの炎を見ながら生還できなかった。

生還できたわたしは、その無念を思う。

息子達がとても小さかった時から、わたしは命の話をよくした。
どんな理由があったとしても、自分の命を自分で奪ってはならない。人の命も奪ってはならない。

いつか、とてつもなく辛いことが起こって、真っ暗な井戸の底に落ちてしまったら、
母親から言われたことなんて吹っ飛んでしまうかもしれないけれど、
そんな時に、自分の根っこから栄養を出せるような、心の底力をつけられるよう、
わたしは心の底の底から祈っている。


 



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似たり寄ったり

2008年08月28日 | アホな小話
こんな格好して、夕食後のひと時、旦那は気分良さげにギターを弾いている。

けど、わたしの気に入らない点が3つある。

その1・椅子の後ろに倒してユラユラしている。(椅子が壊れ易い。実際彼はこの癖で1脚壊している)
その2・靴を履いたままの右足が、炊飯器を置いてあるカウンターに乗っかっている。
その3・しかも、こともあろうに、炊飯器を誘惑しているような傾き様である。

まったくもう、もともとアバウトなアメリカンがリラックスすると、時々とんでもない格好でヘラヘラしてるので驚いてしまう。
うちの親がここに居たら、速攻彼の足をピシリッ!とたたき落としていたやろに、
すっかり慣れてしもたわたしは、ブログのネタにしたろと、写真を撮ってる始末……

旦那は10年間日本で暮らした。
わたしにねじ伏せられて、突然3才半と5才の男の子の義父になった時は26才。
日本語力は、息子達に鍛えられてグングン上達したのやけど、如何せん、どうしてもマンガチックになりがち。
大人的会話はわたしから習得したので、ちょっと関西弁且つオネエ言葉に傾きがち。

特に、こんなんは無視して欲しいと思う言葉は、まるでぶっとい釘をゴンと打ち込まれたように、一発で覚えてしまうようで、
クレヨンしんちゃんの「コマネチコマネチ」やら「チクビーム!」(古くてすんません)なんてのは、
完璧なジェスチャーとともに、1週間に数回の割で今もやっている……見てる方がかなり恥ずかしい

今朝、隣の部屋にいた旦那が、いきなりおっきな声で歌い出した。
「チクチクビンビン、チクチクビンビン、チクチクビンビンだいすっき
『チキチキバンバン』のテーマソングと『チクビーム』のコラボだそうです。
「チクビーム!」と叫ぶ時、駆け足直前みたいに両脇をぎゅっと締め、
胸の辺りにある握り拳から人差し指だけをピーンと前に出すのだけど、
わたしの部屋に歌いながら現れた彼は、案の定、「チクビーム」モーションをアレンジしながら嬉しそうに踊っていた。
わたしが何も言わずに(もちろん目でおバカと言うたけど)眺めてたら、
「僕ってやっぱり天才や」と満足気に去っていった。

似たり寄ったり。なぜかポツリと思い出した言葉。

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洗車日和

2008年08月27日 | ひとりごと
いったいなぜ、どんなふうにしたら、
1台の車を、あそこまで見事に、フンまみれにできるのだろうか。
あまりのことに感動すら覚えながら、車の周りをぐるりと1周した。
写真を撮ろうかと思たけどやめといた。
こんなん見たいとか、後でしみじみ見て懐かしみたい人なんかおらん。きっと。

車を駐車している場所の上は、大木の枝が四方に張っていて、雨も少ししか落ちてこないぐらい葉が茂っている。
きっと、会議だか喧嘩だか、縄張り争いだかが、枝のあちこちで行われたに違いない。
リスじゃあるまいし、まさか鳥まで、あの車に落としたれ、ウヒヒ!とばかりにわざとウンコしたなんて考えられんもんなあ。
だがしかし、車の周りの地面はどうかというと、それがただの一つも落ちてないのである!
ほんとのほんとに、ただの一つも……。
もしかして、この町は、鳥までもおちょくりなんやろか

けど、この形状、大きさ、さらに色の豊富さはなんだ?
いったい何種類の鳥がその時居たのか想像もつかない。

ゴシゴシゴシゴシ、擦っても擦っても、まだまだあそこに、まだまだここに、結局2時間もかかってしまった。

いつもなら、あちらこちらで鳥が鳴いてる時間やのに、やけにシーンとしてる。
マジで、もしかしたら、枝のどこかで、葉の陰に隠れて、
ウシシ、見て見て、やってるやってる、などとヒソヒソ話しながら、ほくそ笑んでやがるのかも

ふとそんなことを思いついて、さっと空を見上げたら、キリッと晴れた青空と大木が目に眩しかった。


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結末やいかに(その2)

2008年08月26日 | お家狂想曲
今朝、我々が使うことになる、地面の上に置いてあるオイルタンクを、専門家の人にお願いして調べてもらった。
地中のタンクは、売り手側が全面的に責任を持って処置してくれるけれど、
もしものことがあったら困るからと、念のために地上のタンクを調べることに決め、売り手側の承諾ももらっていた。

結果は……いやあ、ようやくカメさん的スピードになったと油断していたら、でんでん虫さん的になりそうな気配。
もう慣れっこになってるわたし達、ガーンでもなくワーンでもなく、フ~ンって感じ。
すっかり鍛えられて大人になった。

地上のタンクもかなりヤバい状態で、撤去せんとあかんのだって
ほんでもって、新しいタンクに替えるってことになると、かなり費用がかかるんだって
もしかしたら、オイルをガスに換えた方が賢いかもしれんのだって

そんなこんなの、とってもありがたい話を聞いて、それを金融公庫の担当者に伝えたら、
「まあごゆっくり」と、これまたありがたい言葉をかけていただいた
なので、まだまだ引っ張られての~びのび、
くたびれたおばちゃんパンツ(今時誰が履いてんねん)のゴム紐も負けそうなのびっぷり。
ま、今度のロンドンオリンピックまでには片付いてるやろうて

P.S.
昨日お話したビリーさん、今日から日本に行くそうです。
東京ジャズフェスティバルに出演するためだそうで、伝説の92才のピアニストと共演したり、
他にもいろいろパワフルな舞台を魅せてくれると思います。
もし、東京方面に住んではるお友達がいたら、ぜひぜひ彼の生演奏を聞きに行ってみてとお伝えくださいな。
めちゃんこ楽しい時間を、が保証します。

P.S.その2
みなさんからの一言二言三言コメント、超~楽しみにしてます。なので、1日に何回もついつい覗いちゃって……
そやし、遠慮とかせんと、なんでも嬉しいので、ちょっと寄ってってくださいね
あ、でも、そういうのが苦手な人は、読んでもらうだけで充分。
いろんな人に読んでもらえたらな~って夢見ながら、今日もカチャカチャキー打ってます。
みなさん、いつもほんまにありがとう
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けったいなシンコペーション

2008年08月25日 | 音楽とわたし
旦那の患者さんに、某有名トランぺッターのツアーメンバーで、日本でもちょっと名が知られてるドラマー、ビリーがいる。
彼のドラムはとてもファンキーで、エネルギッシュで、個性的で、雄々しくて、
ライブなんかで聞いた日にゃ、いっぺんにファンになってしまう
普段は公演で世界中を回ってるのやけど、たまに休みが入ると即、うちに来て、鍼山と化し、あ~気持ち良かった~と言って帰っていく。
その彼がやって来て、診察室に入ったと思たら、
いきなりボブ・ジェイムズの超ファンクな歌声が大音響で聞こえてきた
何事かと思い、ちょいと偵察に行ったら……(実は何事なのか知ってたけど)、
しっかりビリーのファンクリズムの講義が始まってるではないか!
彼はすでに治療してもらう体勢に入ってたはず。
だってだって、彼が説明しながらバシバシ叩いてるのは、まさしくマッサージテーブルの音やもん。

実は先週末、25年ぶりの高校の同窓会に参加すべく、旦那は実家のあるペンシルバニアに帰っていた。
何回も、一緒に行かへん?って誘われたけど、他人の同窓会ほど行っても意味の無い所は無い。
なのできっぱりお断りさせていただいた。何回も。
それで、渋々彼は独りで帰ったのやけど、やっぱりなんだか居心地が悪くなって、ちょいと早目に戻ることに決め、
なんで僕ってどこに行ってもなんとな~く居心地が悪いんやろってちょいと落ち込んでたら
だいぶ前から無くしてしもてたジェームス氏のカセットテープがヒョイッと見つかったそうな
早速車に持ち込んだカセットプレイヤー(古っ!)にセットして、ノリノリで運転して帰ってきた。
そして今朝、朝の早よからいきなりファンクを聞かされて、しかも、リズムを説明して欲しいというので、紙に♪を書いたら、
ちゃうちゃう線(|)でって……あんさん、そいつぁ~わたしには酷っちゅうもんでっせ~。
旦那はきっと、わたしの説明では全く満足できず、今日来るビリーに聞くもんね~と企んでたに違いない。

まったく……公私混同ってこういうことちゃいます?
って……、こっそり内緒で、にわか講義を嬉しそうに盗み聞きしてたわたしも、しっかりその仲間?

あ、こんなこと、神さんに誓て言いますけど、絶対にしてません!ほんまに。
治療中は隣の部屋に立ち入り禁止になるし、なってなくても近寄らないし。

講義の最後にビリーはこう言い切った。
旦那は、なんとなくカクッカクッとずっこけそうになる、ちょいとズレたような、けったいなシンコペーションが好きなんだと。
そういう好みって、ほんまに個人的なことなんやけど、実はわたしもそういうのが好きな方。
なんか元気が今一出ない時や疲れた時は、彼の音楽は結構効き目がある

そしてビリーはこんなことも打ち明けてくれた。
彼がツアーなんかでどうしようもなく疲れてるのに、気分が高揚して落ち着けないような時は、演歌を聞くのだそうな……
石川さゆりの『天城越え』がベストだそうな……。彼の奥さんは美人の日本人です。念のため。

あ~気持ちよかった~と、あくびをしいしい、元気印の息子ブルちゃん(ブルトーザーからきてるらしい)に早く早くと引っ張られながら、
またすぐ来るからね~とビリーは帰って行った。

またいつか、彼のライブを聞きに行きたいなあ。
そんな余裕ができる日は、いったいいつのことになるのかなあ。

けったいな鍼灸師&いちびりのピアノ教師は、今日もこつこつ、明日もこつこつ、がんばりま~す

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成人です。

2008年08月24日 | 家族とわたし
あんなにちっちゃかった息子その2が成人しました

息子その1の成人の日に、昔の古い写真から選びに選んだものをスキャンしてもらい、それをもとにスライドショーを作りました。
初めての経験だったので、失敗や思い違いが多く、何度も挫折を味わいながら
しかもクリスマス前のクソ慌ただしい時期だったので、なんでこんなこと始めてしもたんやろなあと、深いため息つきながら
それでもやっぱり特別な式もないこの国で(実際ここでの成人は21才だし)、ひっそり20才になるのは可哀想な気がして、
写真とMacに詳しい友人の旦那さんにめちゃんこお世話になりながら、母ちゃんは頑張ったわけです

そして当日手渡して、テレビの画面にそれが流れた時、感動しまくってたのは母独り……
優しいくせに素っ気ない派の息子その1は、「あんがと」と一言言うて部屋に戻ってしまいました。

それから1年と8ヶ月が経ち、またまた母ちゃんは、性懲りも無く、息子その2のスライドショーを作りました。
散々失敗した経験と、新しいMacに内蔵されているシステムが強い味方になってくれたので、
今回はホイホイッと、まあ、たま~に瞬間泣きましたが、無事に短時間で出来上がりました

息子その1の出産は、陣痛の極期が2日半、1時間の強烈な痛みと10秒間の休息という、異常な状態で続いたにも関わらず、
子宮口がどうしても4センチしか開かなくて、焦った産科医がハサミを使って羊水を出してしまい、
びっくりした息子はわたしの心臓目がけて突進したのでした。
すでに3日近く痛みの極限にいたわたしは、食べられず眠れず、疲労困憊していたので、
そのショックで呼吸が停止してしまいました。
看護師がわたしに馬乗りになって、鬼の形相で、息子をぎゅうぎゅう押し戻そうとしていたのが最後の映像。
世界が急に薄れていき、「呼吸停止!呼吸停止!」と叫ぶ看護師の声が耳にこだましていました。
ああ、わたしは死ぬんやなあ。けど子供だけは助けて欲しい。わたしの命をどんな風に使てもええから助けて欲しい。
そやけどつまらんなあ。こんな、待ちに待った素晴らしい日に死ななあかんやなんて……と思たのを覚えています。

息子その2(娘ではなく)が欲しいと思たのが、そんなメチャクチャな出産から半年が経った頃でした。
誰一人賛成してくれなかったし、そんなことを考えるのは自殺行為だと諭されました。
なので、いろいろと陰謀を企んで、元夫を騙くらかして、二人目の息子を授かりました。
もともと8年も妊娠できなくて、石女だの、実家に帰れだのと言われたりしてたのに、
どうしてあの時、あんなに確信があったのか、今も我ながらに不思議です。
どうしても、時間を空けずに、しかも息子を身ごもる。そう決めました

新たに通うようになった別の産婦人科の医者に事情を話すと、本気で呆れながらも、協力しようと言ってくれました。
そして20年前の今日、できたら自然に産みたいというわたしの願いを叶えようとしてくれた医者と一緒に頑張りましたが、
やはりどうしてだか、子宮口が4センチしか開きません。
そのうちに、子宮破裂が始まりかけてしまったので、母子ともに危険ということで、帝王切開になりました。
でも、それで良かったんです。
お腹を開けた時、担当医と助手が声を揃えて、「うわっこれは酷い」と言いました。
皮の下は膿だらけ。まずはそれをバキュームしなければ、子宮が見えませんでした。
ゴボゴボという鈍い音が何回も手術室に響きました。
息子は癒着部分に挟まっていて、医者が彼の脇に手を入れ、足を手術台にかけてウンウン引っ張ってもなかなか出られません。
わたしのお腹も引っ張られて痛かったけど、ごめんな、ごめんなと謝り続けました。
息子の首にはへその緒が3重に巻き付き、体一面ロウのような膜で覆われ、皮膚は紫色をしていました。
前の医者が慌てて切り刻んだ子宮壁はとても弱くなっていて、癒着も酷かったので、帝王切開は大正解でした。

あれから20年。
いろんな所から落っこちて、頭に穴を何個も作りました。
歩けるようになると鉄砲玉の本領発揮。あっという間に居なくなってしまいました
人と同じことをするのを嫌い、よく無茶をして、体中傷だらけ。
わたしはとにかく、無事に大人になってくれることだけを一所懸命祈り続けました。

そして彼は、優しく思いやりのある大人になりました。相変わらず鉄砲玉ではあるけれど……。
このまま無事におじいちゃんその2になって、おじいちゃんその1と、
もし生きてたら旦那も一緒に(自分の方が長生きする気満々?)、
わたしが血のにじむような思いで創り上げたアホ伝説でも思い出しながら、
死んでいくわたしを笑って見送ってほしいなあと思います



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結末やいかに

2008年08月23日 | お家狂想曲
ピンポン球のように、相手に打てば即返ってくるのが当たり前だと思い込んでいたわたしに、
この間延びしまくる弁護士同士の交渉戦術と夏のバカンス休戦は、まさに宇宙人的異質なもので、
それに自分のポジティブな気持ちを添わせるには、かなりの努力が必要でした。

そもそも、わたし達が弁護士を雇ったのではなく、
たまたまニュージャージー州が、ここでの家の売買には必ず双方に弁護士をつける、と法で定めているので、わたし達もそれに従っただけ。

旦那もわたしも、担当の弁護士ステュアートに会ったことがありません。
売り手側の、わたし達が買おうとしている家を相続した息子さん&娘さんにも会ったことがありません。
そしてもちろん、相手側の弁護士にも……。
話は全部、電子メールか電話か手紙。とても不思議な世界でした。
その、声だけの弁護士ステュアートから、正式な手紙が届きました。

あなた方の要求を、相手側が受理し、実行します。

待たされてる間にすっかり寝てしもた旦那とわたしの体が、誰かに揺さぶられてユラユラしてます。
もう~、眠たいのに誰?と薄目を開けると、そこには見たこともない男性が
彼は朝からコーヒーを3杯たて続けに飲んだみたいなハイな声で言いました。

「さあ、前に進もう!」

いや、あんた、元気過ぎやで……。
なんだか、あまりにリズムが違い過ぎて、うまく乗れないのやけど、
とりあえずわたし達も立ち上がった方が良さそうです

縮まったあちこちの筋を伸ばしながらあくびをしていると、
旦那がポツリと、「僕ら、お金貸してもらえるやろか」と言いました。
「へ?もしかして貸してもらえへん可能性とかがあったりするん?」
「ある」
あるって……そんなスルッと認めんと、あるかもしれんとか言えよ~

全くけったいな順番で進んでいくもんです。
まあ、住宅金融の方から考えると、すべての交渉が終わり、なにもかもが決まってからでないと、
その家がいったいいくらで売買されるのか分からないのやから仕方がないといえばないのですけどね。
なので、7月から始まった騒動の結末はまだ未定。
でもまあ、また居眠りすることはもう無さそうです
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これってええっと、ほら、

2008年08月22日 | アホな小話
夏休みの絵日記っぽいやん。
そんなことを思いながら書き始めて2週間以上が過ぎました。
コメントはあんまり盛況ではないけれど、みんなこっそり楽しみにして読んでくれているみたいで、
それを思うとわたしもよっしゃ~と気合いが入るってもんです
今日はなにを書こかなーと、気がつくと考えてたりします。
時代は変わり、絵日記帳がモニター画面に、鉛筆がキーに、絵がデジタル写真になり、
書いてる本人も話の内容も、40年分の変化(改めて数字にしてみるとスゲ~!)を遂げてはいるけれど、
わたしはやっぱり、基本的に、書くことが好きなんやなあと思います

けれども、いくら好きでもネタ切れはするもので、
そうすると、即、昔から貯め込んであるアホ話どもが、
うちらのこと書いたらええやんかと、いかにもアホっぽい顔して騒ぎ出します

過激度1から10まである中の、今日は4ぐらいのお話。

時は夏。滋賀県は大津の、暑い暑い夏の日のことでした
小学生の息子達は学校に、旦那はう~ん、多分仕事?もしかして散歩?で家に居りませんでした。
玄関のチャイムが鳴った、こんな朝早よから誰やねん?という8時前、
わたしはなぜかおパンツ一丁で、2階の畳の上に寝っ転がっておりました。(ほんまになんでやったんやろ?)
慌てて脱ぎ捨ててあった薄~い部屋着を頭からかぶりながら、階段をドタドタと下り、
髪の毛を適当に撫で付け、目くそをグイッと取ってから玄関のドアを開けると、
「宅急便でーす」と元気のいいお兄ちゃんが立ってはりました。
こんな時間に来んなよな~と思いつつも、なかなかのハンサム君なので許すことにしました。
「ちょっと判子取ってきますね」と、いつもよりちょいと高めの声で言うて部屋の奥に。
判子を押して手続き終了。「どーも」と彼は去って行ったのであります。
そしてわたしは荷物を持って部屋に戻りながら、なにかいつもと違う気配に気づきました。
なんか涼しい……スウスウする
その、スウスウする箇所に、恐る恐る手を伸ばしてみると……
ゲッ!服の裾がなぜだかおパンツの縁に引っかかってるではあ~りませんか
その、完璧なまでの引っかかり様に感動すら覚えながら、
お兄ちゃんに見せたオバちゃんパンツ、穴が空いてるヤツとちゃうやんな、とチェックするのを怠りませんでした。
朝の早よから、えらいもん見てしもた……その日のお兄ちゃんの1日が、とても気になったわたしです。

そして時は過ぎて今年の6月。ニュージャージーはモントクレアの、6月やのにめちゃクソ暑い日のことでした。
生徒の楽譜を買いに、行きつけの楽器店に行きました。
車の中はサウナのようで、乗った途端に汗びっしょり
まあ、たまにはこんなんも健康に良かろうと、クーラーもかけずに運転しました。
楽器店に入って、楽譜をいろいろと選ぶのにあちこちうろうろしながら、かなりの時間を過ごしました。
やっとこさ選び終わった楽譜を抱えてレジに行き、そこで馴染みの店員さん達とおしゃべりしていると、
その楽器店で教えている教師がおもむろにわたしのすぐ横に立ちました。
前に1度、わたしのイヤリングを褒めてくれた女性やったので、
今日もなにか言うてくれるのかな~なんて思いながら挨拶したら、
「あのね、大丈夫だから、気にしないで。あなたのスカート、ちゃんと下りてないよ」と、
なんとも思いやりのある声でささやいたのでした。

わたしの真後ろには、レッスン待ちの生徒や生徒の親が座っていました。
それに、楽譜を選んでいる時だって……
出血大サービスというか……出血大メーワクというか……
レジの人達からも、それはそれは温かい励ましを受けながら
わたしはカニさん歩きで店のドアから外に出たのでした(←カニさん見つかりません。カメさんに代理をお願いしました)。
そういや、やけに車のシートが熱いなあと思たのでした。そりゃ、生身で熱々のシートに座ったら熱いよな。

家に戻ってから、早速おパンツの点検。
遠い日のわたしを思い出しました。オバちゃんパンツも年期が入りまくってます。
良かった……穴開きのじゃなくて……(そういうレベルの問題かっ
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