ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

猫とドクターとカーネギー

2013年12月23日 | 音楽とわたし
金曜日、週末からクリスマスのホスト役をするための準備に忙しくなるので、その前に書けるだけ書こうと、ガリガリと記事のまとめをしていた。
我が家の15才の家猫ショーティは、いつものように、わたしのすぐ右横に置いてある椅子の上で、撫でて~撫でて~とせがんでた。
今年に入ってから、彼女はちょっと甘えん坊になった。
1日の大半は寝てるけれども、わたしがパソコンの前に座るとすぐにやってきて、わたしの右手をジィ~っと見る。
その両目には、「撫でてほしいねんけど」という字が浮かんで見える。
そしてもし、事のついで丸出しで、熱心に記事を読みながら撫でてたりすると、甘噛みして拗ねるようにもなっていた。

そんなこんなで、旦那から、気をつけた方がいいと言われてたのに……。

噛まれました、ガブリと。
一瞬のことでわからなかったけど、もちろん痛かったので猫を叱り、噛まれた所をまずは確認。
穴は全部でみっつ。
手のひらにふたつと手の甲にひとつ。
まあ、たいしたことはないなと、記事をタイプしていたら……。

右手の手首の辺りに、なにやら温かなものが感じられ……え?なに?……血だまりがそこにできてた。
仰天して、あらためて手のひらを見てみると、ぎょえ~!!血がドクドクと流れ出しているではあ~りませんかっ?!
なんでなんでなんでぇ~!?ついさっきは別になんともなかったのにぃ~?!

ということで、穴をティッシュで押さえながら、2階にダッシュ!
まさに寝ようと欲すの旦那を取っ捕まえて、消毒ぅ~!!と叫ぶ。
いやもう、いったん出だすと止まらんのやなぁ~血って。

そして明くる朝、ドクドク血が出ていた方の穴はすっかり閉じて痛みも無く……けれども旦那が心配していた赤い筋がツゥ~っと、小さな穴の方に伸びていた。


そしてそして、最も軽いと思っていた手の甲の方が……、


思いっきり感染してるし……。
いやもう、クリスマスにみんなをお迎えするというので、お料理やの掃除やの細々とした準備やのが山積みになってる時に……。

でもまあ、気を取り直してレッスンレッスン。
土曜日の最後の生徒のおかあさんアブリルとわたしは大の仲良し。
彼女も今年から生徒としてレッスンを受けている。
わたしが右手でピアノを弾けないのを見て「どうしたの?」とアブリル。
「あ、これ?ちょっと猫に噛まれた」
彼女はササッと近づいてきて、パンパンに腫れた手を見て仰天。すぐに携帯で写真を撮り始めた。
「なんで写真なんか」
「これを送って夫に診てもらうの」

アブリルの旦那さんは内科医。患者に大評判で、診てもらいたい人が順番待ちしてるような人。
けれども、わたしが保険会社に届けてある担当医ではないので、診てもらうわけにはいかない。
「そんなことしていいの?」
「いいのいいの、まうみは家族同然なんだから」
あれよあれよという間に、その写真は送られて、それを観たドクター・スタックから◯◯の抗生物質を処方してもらってという返事が着た。
いやもう、そんなん、担当医でない医者に診てもらった上に、処方箋無しで薬局で薬をもらうやなんて、バレたらえらいこっちゃやけれども、
みるみる悪化してくる手を見てるともう、藁をもつかみたい気分満々になり、お言葉にすっかり甘えさせてもらうことにした。

「今日は6時まで診察があるから、夕方に僕の家に来て。直に診たいから」とドクター。
「それがそのぉ~……実は今夜は、カーネギーで仲間が演奏するので、それをどうしても聞きに行きたいんですけれども……」
「じゃあ、今夜はどうせお客が来るから、どんなに遅くなってもいいから、家に戻ってから来て」

ひぇ~!!なんちゅう親切!!

と、めちゃくちゃ長い前置きがあった日の夜は、ACMAの定例コンサートその1(わたしはその2(4月5日)に出演する)。
今年は、より多くのメンバーに出演のチャンスを、ということで、小さなホールで2回行うことにした。
気功瞑想のクラスメイトのマリアンが、偶然にも、メンバーでTVアンカー、そしてフルート奏者のマギーの親友だということがわかり、
この日はマリアンと一緒に、電車に乗って出かけることにした。
なんとも暖かな日で、湿った春の匂いがする。
大学の最初の前半期を無事に終えた甥っ子が家に来てたので、旦那もその子と一緒に、我々と同じ電車に乗ってきた。
週末は、電車の本数がさらに減り、2時間に1本しか走らないので、もともと混むのだけれども、この日はこれまでで一番混んでいた。
どこの車両も満員。通路もぎゅうぎゅう。ここは日本か?

ペンシルバニア駅で旦那と別れ、マリアンとわたしはまずカーネギーへ向かう。
コートなんて着てるとすぐに汗をかくほどで、ブライアンパークでは、半袖でスケートをする人が多かった。
ボックスオフィスでチケットを受け取り、軽く食事をし、それから会場に入った。


マギーは数日前から体調を崩し、今夜に間に合うかどうかわからない、という状況らしい。
舞台裏の緊張が、客席に居るわたしにも、手に取るようにわかる。
あと4ヵ月したら、今度はわたしの番。




始まりは、軽くクリスマス曲で。
プレジデントのアルベルトは、こんなふうにいつも、まず会場を和ませてくれる。


ベートーベンのピアノソナタ。


彼女は何度も何度もオーディションで落っこちて、凹んでは立ち直り、また凹んでは立ち直りして、5年かかって夢を叶えた。


パートナーのクラリネット奏者が、突如行方不明になり、急きょソロで出たシャーリー。


クラシックギターの音色って、どうしてこう、心にしみるんだろうか。


去年は、足を骨折して、歌えなかったアイビー。今日は絶好調!


前半の出演者たち。みんなめっちゃしあわせそう♪


休憩。


マギーと仲間たち。マギーはわたしに、フルートとクラリネットとピアノのための曲を書いて欲しいと、マジで待っている……いやはや。


ソプラノとスティールドラムの絶妙な共演。


アジアの女性たちの、超~楽しい連弾!




そしてトリは彼。もうあんさん、プロになりなはれ、プロに!!


彼は、わたしやったら一生かかっても弾けんような曲を、ほんの7ヵ月ぐらいでペロリと仕上げる憎たらしい男前!


アンコール。


後半の出演者たち。これまたみんな、めっちゃしあわせそう♪


ニュージャージーから来てる友人ジェーンとミッチの車に乗っけてもらって帰ることに。
電車だと11時過ぎまで無いので、めっちゃ助かった。
車までの途中、コロンバスサークルの前。


車中からのクリスマス仕様のエンパイアステートビルディング。


家に戻り、言われた通りにドクターの家にお邪魔する。
「抗生物質がうまく効いているみたいだけれども、この点線(彼がボールペンで手に書いてくれた)から赤みがはみ出したら、明日またうちに来るように。
もし、日曜だからなんて遠慮して連絡してこなかったりしたら、僕はめちゃくちゃがっかりするからね」

ああもう、保険会社に電話して、医者を替えてもらうことは、この世の終わりかと思えるほどに面倒で、時間がかかることなんやけども、
そして、それだけ時間をかけても、結局は人間と話すことができなくて、ただただ時間を無駄にしただけで終ってしまい、虚しい気持ちに浸ることも少なくないのやけども、
もう絶対に替える!スタック先生に診てもらう!
などと心に誓った夜だった。

今日まで手が痛くて、キーを叩くやなんてもっての他で、だから今頃思い出して書いているのやけれども……。
つづきはまた明日。
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どの選挙も無駄にせず、人でなし退治をしよう!

2013年12月22日 | 日本とわたし
あんな無茶苦茶な、浅はかな、バカげた法案のゴリ押しを目の当たりにしたわたしたちは、
もう今後、選挙という選挙は、徹底的に気を抜かず、
あの、世にも愚かで浅ましい男を、政治の舞台から引きずり降ろすことを念頭に、
コツコツと粘り強く、けれどもタイミングを逃すことがないように、大勢の知恵と情熱を寄せ合って、
今の日本が抱えている危機を、乗り越えていくしかないと、心に強く誓った。

真っ当な人を政界に送ろう。
ひとりでも多く。
もう二度と、あーしまったと思うことのないように。
もうそういう思いは、充分過ぎるほど味わったんやから。


【速報】都知事選、宇都宮健児氏「多くの人々の応援得られたら、それに応える覚悟ある」
(志葉玲)2013年12月22日

猪瀬直樹氏の都知事辞任を受け、後任の都知事候補が誰になるのか取り沙汰されている。
そんな中、昨年の都知事選で、猪瀬氏に次ぐ得票を得た、あの人はどう考えているのか。
宇都宮健児元日弁連会長を直撃した。



―都知事選に出馬されますか?

多くの市民の方々の応援をいただけるのならば、それに応える覚悟はあります

―事実上の出馬宣言ですね?

選挙というものは、立候補する人が一人でやるものではなく、支持する人々が盛り上げていくもの。
皆さんからの強い要望があるならば、私も頑張ります。


―仮に出馬されるとしたら、どのような政策を訴えていかれるのでしょうか?

まず、首都直下地震対策です。
石原、猪瀬両知事は、オリンピック招致関連のハコモノに予算をかける一方で、地震対策費は削減してきた
学校や公共施設の耐震強化は、ろくに行われていないのが実態です。
都民の安全を守るため、地震対策は急務です。
地震で、東京湾岸沿いの工場や、石油・ガスプラントで火災が起きた場合、都内へのエネルギー供給が断たれる恐れもありますから、
千葉県や神奈川県、そして政府とも連携して、対策に取り組むべきでしょう。


―東京でのオリンピック開催が決定しましたが、これにはどの様なお考えで?

一度、決まってしまったものを今から覆すのは、さすがに難しいでしょうから、
なるべく税金の無駄が少ない、コンパクトなオリンピックを目指すべきでは、と思います。
大事なことは、東京での開催に向けて、周辺国との緊張を緩和し、「平和の祭典」としてのオリンピックを目指すこと。
安倍政権は、特定秘密保護法や集団的自衛権行使の容認に向けた動きなど、「戦争できる国づくり」を急速に進めています。
このままでは、日中戦争開戦で開催できなかった1940年の、「幻の東京オリンピック」の二の舞いになるのかもしれません。
ですから、平和と友好というオリンピックの理念の下、東アジアの緊張緩和を目指すべきだと思います。


―東京都は東電の大株主です。原発についてはいかがでしょうか?

脱原発を進めていくべきです。
福島第一、第二原発、そして、柏崎刈羽原発の廃炉を求めていくべきでしょう。
汚染水対策も、口先だけでなく、しっかりとやっていくべきです。


―労働基準法違反の長時間低賃金労働を強いる、いわゆるブラック企業が社会問題化していますが、
サラ金被害者救済を行ってきた宇都宮さんは、ブラック企業対策は得意分野ですよね?

はい。
都の事業などを企業が受注する際、その企業が労働者に対し、最低賃金を支払っているかを受注の条件とするよう、公契約条例を見直すべきだと思います。
また、働きすぎによる過労死・過労自殺・うつ病をなくすため、過労死防止条例も導入するべきでしょう。


―多くの都民が選挙の際に参考にするだろう経済政策についてはいかがでしょう?

アベノミクスのような、一見威勢のいいイケイケの経済政策は、結局、格差を拡大させ、より多くの貧困を生み、破綻します
都がやるべきこととして私が考えるのは、公営住宅の拡充や、低所得者向けの家賃補助
というのは、ちゃんとした住所がないと、就職活動をしても採用されませんし、
家賃負担さえなければ、生活保護を受けなくても大丈夫、という人々は大勢います。
都内には空き家も増えてきていますから、都が家賃補助をして、入居者が増えれば、大家さん達も助かるでしょう。
格差貧困をなくすことが、結果として内需拡大につながり、経済の活性化につながると思います。



宇都宮健児氏:
日本弁護士連合会前会長(2010-2011年度)、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長。
豊田商事事件、地下鉄サリン事件、KKC事件、オレンジ共済事件などの、被害者救済を行ってきた。
著書に『消費者金融─実態と救済』(岩波新書)、
『13歳から学ぶ日本の貧困─日本をむしばむ“貧困”が60分で見えてくる』(青志社)、
『大丈夫、人生はやり直せる─サラ金・ヤミ金・貧困との闘い』(新日本出版社)など。
2012年の都知事選では、猪瀬直樹氏に次ぐ得票を得て次点。

志葉玲
フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
パレスチナやイラクなどの紛争地取材、脱原発・自然エネルギー取材の他、米軍基地問題や反貧困、TPP問題なども取材、幅広く活動する反骨系ジャーナリスト。
「ジャーナリスト志葉玲のたたかう!メルマガ」 http://bit.ly/cN64Jj や、週刊SPA!等の雑誌で記事執筆、BS11等のテレビ局に映像を提供。
著書に『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、
共編著に『原発依存国家』『母親たちの脱被曝革命』(共に扶桑社新書)など。
イラク戦争の検証を求めるネットワーク(http://iraqwar-inquiry.net )の事務局長。


上記で、宇都宮氏がおっしゃっていた『首都直下地震対策』ですが、
前年の8月だったかに、30年間のうちに発生する確立が7割、というニュースが流れたことがありました。
そして最近、直下型の地震が起こった際の被害を想定した記事が、大手の新聞各社から伝えられたようです。
この、大手の新聞各社というところにひっかかっています。
裏にあるものはいったいなんだろうか。

いずれにしても、なんという過酷な運命を抱えた国なんだろうかと、今さらながら唖然としてしまいます。
そんな地殻変動が起こり得る国土に、何十もの核施設が建てられたり埋まっていたり、
よくもまあ、そんな無責任で無謀なことを、し続けてこられたもんだと。

ここに、あちこちで見つけた写真を載せておきます。








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福島は年間20mSv浴びて子育てして、医療費無料の対象にもならない。日本は一体どうなってるのか?

2013年12月20日 | 日本とわたし


このビデオを遅まきながらツィッターで知り、いつものことながら、感心しながら聞かせていただきました。
そして、この、記者クラブ加盟社以外の懇談会の内容を、全文文字起こししてくださった方がいることを知り、
感謝とともに、ここに転載させていただきます。
(ここでの文字の強調は、文章を打ち込み直す際に、わたしの意向でさせてもらいました)

泉田裕彦 新潟県知事 メディア懇談会

2013.09.05(木)の泉田知事定例記者会見


泉田裕彦知事:
今回ですね、さまざまなメディアからですね、質問要請頂きましたんで、こういう場を設けさせて頂きました。
私のほうから質問に答えるという形で、対応させて頂きたいと思いますので、質問ある方は、どうぞ挙手お願いします。


IWJ安斎:
本日は、加盟記者クラブ以外のメディアの質問を出来る機会を持って頂きまして、感謝申し上げます。
今、私どもインターネットメディアによって、これを生中継させて頂いておりますけれども、
私ども、以前から、柏崎刈羽原発だけじゃなくて、原発問題全般でやらせて頂いておりまして、
知事が、安全審査を受入れないという事を条件として仰っておられるという事も、あると思うんですけども、
やはり、柏崎刈羽の問題っていうのは、実際に、新潟だけの問題ではなくて、
実際に、管轄が東京電力という事もあって、首都圏の人々も他人事ではない問題でもありますし、
実際に、知事の懸念している通り、事故が起きた時には、実際に、それはもう東日本だけではなくて、
日本全国、或いはもう、世界の人々にも影響の出て来る問題である、と見ているんですけども、
それに関しまして、今、生中継している事もあるんで、再三、色んなところで申し上げている事ではあるかと思うんですけども、
一番何を今、最もの問題として、知事は問題だと思っておられるのかという事と、
実際に、どういった事を国民的議論にしていかなければならないとお考えなのか、率直な意見をお伺いしたいと思います。


泉田知事:
まずですね、知事という立場ですから、一番最初に考えるのが、住民の安全という事になります。
住民の安全を確保する為には、どうしたら良いかというと、やはり過去に学んでですね、問題点を是正するという態度これが不可欠だと思っています。
今回ですね、東日本大震災、これをきっかけに津波が起こり、そして、電源途絶っていう事態が起きました。
これ、防潮堤とですね、それから電源確保すれば安全になるのかというようなトーンで、ずっと世の中動いて来てると思いますが、
今回の東電、福島事故の本質は、津波事故でもなければ、電源喪失事故でもないわけです。
一番本質はですね、冷却剤喪失事故なんです。
即ち、冷却に失敗すると閉じ込めに失敗して、放射性物質を大量飛散し、で、地域に重篤な影響を与える、というところが本質なわけでして、
どうもそこのところをですね、総括をしないまま、前に進もうとしているんではないかと、
これ、大変大きな危惧を持っています
要は、津波だけ対処すれば良いんではなくて。

ロシアのですね、隕石の通過を見てみると、隕石は直撃する事がなくても、近くを通るだけでですね、
色んな構造物に影響を与えると、いう事があるわけですし。

それから、これはアメリカはですね、ナインイレブン、9.11の事故のあと、対策を見直しました。
ご存知の通り、ツインタワーに旅客機がテロを行ったわけですが、そのあと、ペンタゴンにも突入しています。
もう一機は、ペンシルベニアに墜落していますけども、ホワイトハウスを狙っていた、という話も聞くところです。
もし、原発にですね、航空機テロがあったら、どうなるのかというと、
津波対策関係ないんですよね。
要は、冷却をちゃんと出来るかどうかっていうところがポイントになるはずで、
原発の安全性を確保する為には、止める、冷やす、閉じ込める、これをやらないといけない
福島の教訓の一番重要な事は、止める所は動いたんです。
冷やす事に失敗すると、自動的に閉じ込めを失敗して、大惨事になるっていう、
この本質的なところに対する対策をどうするのか、という議論をした上で、次、国民的議論に移るべき
ろうと思ってます。

巨大な技術と、それから最先端のですね、科学技術、多くの組織と人が関わっているものとして、
例示をすると、アメリカのスペースシャトル計画っていうのが挙げられると思います。
スペースシャトルも、チャレンジャー号の爆発事故、コロンビア号の空中分解事故、起こしました。
でも、チャレンジャーの爆発のあとは、ちゃんと検証してるわけです。
オーリングが問題、それも寒い時に打ち上げた結果、燃料が漏れて、メインタンクに引火をしましたと、
それを避ける為の対策と、組織改編を実施をして、国民的議論をした上で前に進む、という結論を出したわけです。
コロンビアの時も一緒です。
これは、断熱材が剥がれて、軽いもんなんですが、羽に当たったという状況になったわけで、
あんな軽い物が羽に当たったって、影響ないじゃないかという声があった中で、再現実験までやってるわけです。
時速700kmで羽に当てると、実は50cm以上の穴が開くと、耐熱タイルが剥がれると、空中分解するよという事が分かった上で、
耐熱タイルがどうなっているかを、宇宙ステーションからチェックをする、ルールも変更する、
だから問題点をクリアしたから、次行きますと、ステップ踏んだわけです。


これ、原発に関していうとですね、2号機が、最も多く放射能を放出してるわけですが、
2号機が何故、放射能を大量放出したかというと、格納容器が破壊したからです。
格納容器は何故、破壊されたんですかと、ベントが出来なかったからです。

じゃあ、ベントは何故、出来なかったのかそれに対する対応をどうするのか
今回の規制基準を当てはめると避けれた事故なんでしょうかと、いうところの検証も、一切してないわけです。
そういった今回の規制基準と、それから、いざっていう時、これ、IAEAの深層防護の第5段なんですが、事実上省いてます
そして、規制委員会が今、行っている事は、原子力発電所の性能基準、
これをですね、審査するだけという事になってるんで、自治体からの意見も聞かない
それから、柏崎刈羽の火災事故のあと、何があってどう困ったのかっていう経験談も聞かない
この機能、性能だけでですね、適合性ですね、規制基準、適合性の審査をするだけです。
大勢の方々が、安全基準って言ってますが、安全基準じゃありません
事故が起きる事を前提にした、規制基準に過ぎないわけです。
ここで事故が起きる前提であるにも拘わらず、じゃあ、起きた時どうするかっていう対策を、進めないで前に行くっていう事は、
住民の安全を守るという立場からはですね、極めて問題だというふうに思ってますので、
この間ずっと発言を続けて来てるという事ですんで、是非ご理解を頂きたいと思います。


産経新聞:
泉田知事が、知事に就任する前の話、まぁ時代に遡っていくお話なんですけどね、
まっ、こういう事故が起きる前の時点で、知事は、原子力発電所に対してですね、どういうスタンスを取られていたか。
つまりその、国にとってはなくてはならない存在なのか、危険だけれども、まぁしょうがないねなのか、或いは将来的には、なくすべきだとか、
その辺りのスタンスは、どういうようにお持ちなのでしょうか。


泉田知事:
過去ですか、うーん、どうだったですかねぇ。
印象で覚えてるのは、私1987年、通産省入省です。
入った所は、資源エネルギー庁です。
ただし、所管は石炭部という事で、原子力は関わっていないんですけども、スリーマイルの影響っていうのは、残ってました。
当然、エネ庁に居ますから、自分の所管でない話も、耳にする事はありました。
スリーマイルの経験を踏まえて、米国ではですね、事故が起きる事を前提として避難訓練を実施をしている、という事も承知をしていました。
当然、過去の失敗に学んで、他国でやってる事は、日本でもやっているんだろうなと、いうぐらいの感覚だったと思います。
知事就任してから感じるのはですね、この事故が起き得るっていう事が、タブーになってるんですよ。

実は、東日本大震災の前、まだ過酷事故が起きる前に、新潟では、柏崎刈羽の地震に伴う原発の火災事故が起きてますんで、
複合災害の訓練をしようという事を提案をしたところですね、なんと、止められたと、色んな理由を付けて。
これまた、現場に聞いて取材して貰えれば分かるんですが、こういう進路はあり得ないとか、色んな理由を付けてですね、
訓練をする事を止められた、という状況になりました。
だって、一定の確立で、人間が作った物に100%ってものはないわけですから、
当然、起きた時どうするかっていう事を対応したいのに、何故か、それを言ってはいけない社会っていうのがあって
世界とはえらい違うっていうところの感覚っていうのは、違和感として持ったと。
更にいうとですね、ちょっと脅かされたんですけど、訓練を実施をする際にですね、
「この条件でやると、国との調整が付かないんで、知事が、この複合災害に拘って訓練をしようとすると、避難訓練出来なくなります」
という事を脅かされて、それでやむを得ずですね、
豪雪と原発事故がたまたま偶然重なったっていう形の避難訓練と、原発事故対応訓練っていう事になったんですが、
日本全体に、そういう空気が蔓延してたんじゃないか、という事は感じますねぇ。


産経新聞:
そういう空気が蔓延してた背景は、どういう、その時は避難の指示したんですか。


泉田知事:
だから、安全神話なんですよ。
原発は事故が起きない、これが安全神話なわけで、今回、規制委員会の態度として、事故は起き得るとしたのは正しいんです。
ただ、それが規制委員会に留まっていて、例えば政治のほうでですね、安全基準と言い換える、これはミスリーディングだと思います。
それから、報道でもですね、分かっていて、皆さん安全基準って書かれるのか分からないけど、
これは、規制基準への適合申請ですからね。
安全基準じゃないですから。
事故が起きる前提の基準というところを、日本全体で理解した上で、
じゃあ、起きた時どうするのという事を考えないっていうのは、極めてリスキーだと私は思います。


産経新聞:
安全基準という言葉についてですけども、いつも自分が原稿を書く時は、安全審査っていうふうに、まぁあのー、えー、規制基準の、まぁ審査でなく、安全審査っていうふうに、
まぁ結局、安全性も含めての基準を超えない限りは、再稼働云々ってのは、まぁ始まらないんだろうという意味も含めて、
安全審査っていうふうに表現してるんですけども、それについては、どういうふうに…


泉田知事:
そもそも、田中委員長が最低限の基準って言ってます
それを皆さんは、安全審査だと思うんですか
クリアしなければいけない最低のところなんですよ
で、それは例えば、柏崎刈羽でいうと、世界最大の原子力発電所で、数が多いわけです。
1000分の1にフィルターベントを通して、放射性物質を減らしますって、7機あったら、7倍になるわけでしょ。
一体そこはどう考えるんですかと、あくまでも最低限の基準ですという事であって、
そんなものクリアしないとこは、そもそも話にならないっていうだけであって、
これを安全だっていうのは、私はミスリーディングだと思います


産経新聞:
その最低限である基準の、まぁ審査そのものは、まぁ、させてあげても良いんじゃないかと、そうしないと、先には進めないというふうに、
例えばその柏崎だったり、刈羽村の地元の方は、そういうふうに言ってる方も、まっ、当然全てではないけれども、
そういう意見を持っていらっしゃると思うんですね。
その審査そのものも、まぁ受ける事も駄目なんでしょうか。


泉田知事:
協定破りだからです。
安全協定結んでたのに、協定を破りたいって人を信頼出来ますか、という事です。
前例破りです。
前例は、避難計画、それから、県との行政の間の役割分担という事を、調整しないといけないはずですから、
当然、お互い合意の上に、次行かないといけないわけですよ。
この、広域自治体で、原子力の安全確保というミッションをですね、持っている行政体と、
相談をしないで前例を破り、協定を破るという事をしたい
それも社長本人からですね。
経営問題があるからと言われて、安全をですね、蔑ろにする会社が前に進んで行くっていう事を、許容するんでしょうか

更にいうと、原子力規制委員会は、そもそもですね、住民の安全をどう守るっていう観点で、審査をするんでしょうか
もの凄く疑問なわけですよ。
万が一の事は有り得るっていう基準ですからと、それに対してどう対処するかっていう事を、対策なしに安全だって言うんですか
言わないですよ、彼らは。
規制基準適合っていう事しか言わないわけです。
で、住民に説明する気があるのかって事です。
保安院の時代は、保安院が来て、安全性について、ちゃんと住民に説明してくれました。
これは、皆さんもですね、公開の場で前の、新潟県の技術委員長と私と、最後対談をした時、ご覧になってるから記録残ってると思いますが、
県の技術委員長から、「規制委員会の人を派遣要請をしたのに、来て貰えなかった」と、
「知事、何とかしてくれ」っていう、陳情受けたわけですよ。
だから、人を派遣してくれっていう事をお願いしたわけですが、独立性を盾にですね、人を派遣しないわけです。
これ、愛媛県でもですね、同じ状況になってるっていうふうに聞いてます。
中村知事も、規制庁から人が来て欲しいっていうのに、現場の人しか来ないと。
で、詳しいところが説明出来ないっていう事を嘆いてられましたが、そういう状況になってると。
つまり、独立と独善を履き違えてるんじゃないかという事をですね、前から申し上げてるわけです。


IWJ大谷:
かつて、知事と同僚であった元経産官僚の古賀茂明さんが、『知事は変人じゃない』と週刊現代で、述べてる事なんですけど、
規制庁ですか、経産省の役人は、泉田知事は昔から変人で有名だった、というような流布をしていて
それは大変なデマであると、古賀さん自身が仰っているんですけども、
こういった事っていうのは、やっぱり知事に対して、ネガティブキャンペーンをされてるのではないかという疑念を抱かざるを得ないんですが、
これについて、知事は、どのように思ってらっしゃるんでしょうか。


泉田知事:
自身に対する評価ですから、私が云々する問題じゃないと思いますけども、
理論で聞いて、理論で戻って来ないっていうのは、極めて残念に思ってます。
こういう事を経験した新潟県は、東京電力の原子力発電所を抱えている行政です。
そして、更にいうと、今回福島で、免震重要棟が大事な役割を果たしています。
何故、福島に免震重要棟があったのかというとですね、
実は、ホットラインが、2007年の中越沖地震の時に、原発サイドと繋がらなかったんです。
しょうがないんで私は、東電本社とワンクッションを置いて、原発と連絡を取らざるを得なかったんです。
地震のあとにですね、このような状態では困るという事で、是正申し入れました。
何故、ホットラインが繋がらなかったかっていうと、これ極めて単純な話で、
ホットラインがある部屋が地震で歪んで、ドアが開かなかったんで繋がらなかったんですっていう説明だったんです。
それは、あまりにも稚拙でしょう、という事で、作って貰ったのが免震重要棟なんです。

で、新潟にだけしか免震重要棟がないのは、変ですよねという事で、福島にも免震重要棟を作ったんです。
これが、地震の半年前

だから、あの時、私、まぁ色々言われました、あの時も。
正論を言ってですね、問題点を解消していなかったら、福島には地震の時に免震重要棟なかったはずなんですよ。
今、東京に人が住めていたかどうかも、怪しいという事だと思っています。
だから、こういう現実と、それから何が問題で、どう困るのかっていう事を聞いた時に、
所管外とかですね、いう形で答えないで、ネガティブキャンペーンがやられてるとすると、私は極めて残念に思ってます。
これは、この国のですね、有りよう
例えば、第二次世界大戦で敗戦をしたあとにですね、誤って判断した中枢責任者、居るはずなんですよ。
1億総懺悔で済ましちゃったと。
これは悪弊だと思ってます。
やっぱり、問題点がどこにあったかっていう事を検証した上で、それを是正してくっていう事が、
ホモサピエンスとして、人類の英知をやっぱり持てるっていう事になるんだと思うんですよねぇ。
それが、為されない形で、論理的に反論出来ないからネガティブキャンペーンという事、
こういう事になるんであれば、私はもうほんと、残念でなりません。


LCMプレス:
今日は記者懇談会を有難うございます。
原発を抱える立地自治体の長として、福島原発事故に関して言及されているので、コメントを伺いたいんですが、
現在あのー、福島原発事故で一番の被害者は、被災重ねまして、作業者の方だと思うんですね。
県民であり、作業者の方々。
で、作業従事の時の被曝線量は、現在事業者が管理し、通勤や日常生活の被曝線量は、県が管理してるのですが、
合算して管理している部署は、今のところ一つもない
です。
なので、別々、まぁ合算して、それの100mSvを超える方多いんですが、
この事に関して、住民を避難計画だけでなく、県知事としてどう思われるかという事が一点。
で、もう一つがですね、再稼働の新基準を、作業員の方々や元請けの方々にお見せして、コメントを頂いたのですが、
やはりハード面だけではなく、ソフト面で抜け落ちていると。
今回の福島原発事故で、自衛隊や警察や消防が、原子力の知識が全くなかった事が、更に過酷な状況を引き起こしたと、
終わりのほうにも仰られましたので、その事に関してのコメントをどうぞ宜しくお願いします。


泉田知事:
まず、一点目の被曝線量なんですけども、これほんとに泥縄だと思っています
今、言われたように、お一人の方の合算が為されていないという事に加えてですね、
各省、縦割りで規制をしていて、整合性が取れていないという問題も抱えています。
これもですね、実はずーっと言ってきたんですが、なかなか政府全体で取組めていないと、これも残念な状況だと思ってます。
更に、福島でですね、被害に遭われた方々からですね、私のところに直接、ほんと、あの、嘆願っていうか、要請をですね、頂いています。
一つ例を挙げるとですね、5mSv、これ一つの基準になります。
年間約5mSvを超えると、日本の普通のエリアでは、放射線管理区域になるんです。
ところが福島では、20mSvまで住んでも良い、という事になるわけで、
5mSv、放射線管理区域になると、18歳未満の方は、就労禁止になるんですよ。
ところが、福島では普通に生活して、20mSv年間浴びて良いですよと、
いう事になると、法の下の平等っていうのはどうなってるんでしょうか、という訴えが、私のところにも届いて来ます。

それからもう一つ、同じ、これは放射能の被害っていう意味では、日本は、長崎、広島、経験しているわけで、
この長崎、広島でですね、被爆手帳貰える方っていうのは、累積被曝量1mSvを超えた人に交付されてるんです。
この被爆者手帳貰うと、医療費無料になるんですよ。
福島は年間20mSv浴びてもですね、そこで子育てをして、医療費無料の対象にもならないと、
日本は一体、どうなってるんですかと。
広島、長崎では、1mSvでちゃんと国の手当がなされるのに、これ避難する事も出来ない。
そして、法律がですね、縦割りに適用をされていると。
知事、何とかしてくれっていう、ほんと悲痛な叫びっていうのが届いてます。

チェルノブイリでもですね、これ、移住権を与える方、それから移住する所っていう形で、合理的に仕分けしてるわけですよね。
世界の標準、なんで放射線管理区域が5mSvなんですかと。
これが、今まで間違っていましたという事を証明して、それで変えるんだったら、全体を変えるっていうなら、まだ分かりますけども、
日本の普通の地域の放射線管理区域と、福島の扱いが違うっていう事、
これで本当に良いんだろうかという事については、やっぱり疑問だと思ってます。
こういったところを、まぁ各省の基準もね、違うわけですから。
砕石、食品、色々違うわけですが、何ら整合性がないまま、司令塔がないまま、今日まで来てるという事は、残念ですし、
特に、小さなお子さんをお持ちのご父兄、お母さん方、大変心配されてる心情って、私は理解出来ます。

それから、ソフト面についてなんですが、これも冒頭申し上げた通り、性能だけで決まらないんです。
例えば、ジェネスってあるんですが、ここではですね、運転員の教育訓練用ビデオを作ってます。
普通の運転員であれば、冷却材喪失事故を起こせばですね、2時間でメルトダウンっていうのは、常識として分かっているわけです。
そういう事になると、これ冷やすかどうか、冷却剤を入れるっていう判断をもしするんであれば、
廃炉になる可能性があってもやるんだという決断を、誰が、いつ、やるんでしょうかという事です。
原子力発電所長がサラリーマンの立場で、5,000億パーに出来るんでしょうかと、いう事についても危惧を感じてます。
何故、感じるかといいますと、3月11日当日ですが、地震の、勝俣会長、当時ですね、は、中国に居られました。
清水社長は、奈良に居られました。
連絡が、十分取れない状況でした。
現場のトップは、武藤副社長、原子力本部長という事です。
で、代わられる時に、挨拶に来られました。
メディアも入ってたんで、記録残ってると思いますけども、その際に、私聞いてみました。
「武藤さん、あなたの一存で、海水注入は出来たんでしょうか」という質問に対して、
「出来ませんでした」と。
原子力本部長ですら、判断出来ないと。
そりゃそうですよね、5,000億パーにするっていう話だから、経営の屋台骨に影響が及ぶわけです。
そうすると、いざっていう時の海水投入、冷却材投入ってのは、誰が判断するんですかと。
原子力規制委員長なんでしょうか。
それとも、担当の委員なんでしょうか。
社長なんでしょうか。
原子力発電所長なんでしょうか。
その損害は、誰が負担するんでしょうかという事なしにですね、本当に決断が出来るのかというところも検証すべき
だと思います。
そういったソフト面っていう事が為されていない。

それから、もう一つ申し上げると、福島の4号機、運転停止中でした。
運転停止中だったのに爆発したんですよ。
なんで爆発したのかというと、これは諸説あるんですが、
いずれにしても、対処する為に人が中に入れたかっていう事になるとですね、高線量で中に入れなかったっていう状況だったわけで、
もしですね、水素爆発していなければ、天井残ってたわけです。
キリンといわれるコンクリート送噴射、コンクリートを流し込む機械で、爆発したから中に水を入れる事が出来たわけですけども、
あれ、もし水素爆発していなかったら、4号機の中でメルトダウンしてたかもしれないと。
そうしたら、今度、原子炉の外ですからね、東京が本当に住めたのかどうかいうのは分からない。
こういう、いざとなった時に、命のリスクを抱えて、中に入って行く人って誰なんでしょうかと。
それは、民民の契約で良いんでしょうか。

それとも、米国がやってるように、軍が動くとか、特殊部隊って用意しとくのか、
それとも、石原都知事が、東京都だけ特別なんですよね、消防は普通、市町村消防なんですが、
東京だけは、都が持ってる東京消防庁って持ってますんで、送り込んだ、そういう特殊部隊を消防に作るのか、自治体にと。
いうような事をしないと、いざっていう時にね、ジジイの決死隊で行くぞっていう事で、また泥縄で行くんでしょうかと、
いうような点とか、何も決めてないわけですよ。
だから、ソフト面としては、極めて不十分で、いざっていう時に、また泥縄をやる可能性があるんで、
ご質問の点ていうのは、私も懸念として持っています。


LCMプレス:
すいません、別件なんですが、先月末に、知事があのー、環境省に、新潟水俣病について、国の基準を見直すよう要望されましたが、
それは、具体的に、昭和52年判断基準を見直すように要望を求められた、という事なんでしょうか。


泉田知事:
いや、体系見直して欲しいっていう事です。
最高裁の判決で、病状を明らかにしてますんで、有機水銀を経口摂取をして障害を受けた方っていう形でですね、病状を明らかにしてるんで、
ここをちゃんと対処出来るように、50年掛かって、個人に対する賠償問題に加えてですね、
地域の分断の問題、偏見差別の問題というのを抱えてますから、それをなくす為には、政治決着で、
『あなたは患者じゃないけど、お金あげますよ』みたいな形で、今まで処理されてきてるんですよね。
そうではなくって、日本が豊かになる過程で、高度成長して行く過程で、一部の人に痛みが集中したわけです。
で、その方々が声を上げる事によって、日本は公害規制を高めていったわけですよね。
結果として、現代は、より安全な世界に住めるようになってるわけですんで、
この一部の人にしわが寄った苦しみっていうのを、社会全体で支えていくべきではないかと。
だから、法体系全体を見直して欲しいという要望をしてきたわけです。
ちゃんと、国として公害病として、認定すべきではないかっていう問題意識、これも入ってます。


田中龍作:
今日は、こうした懇談会を開いて頂き有難うございました。
知事、さっき、5mSv以上の所を避難の権利に指定しないのはおかしいって仰ってましたが…


泉田知事:
そういう言い方ではないですけどね、はい、どうぞ続けて下さい。


田中龍作:
私、まさしく、そう思っていまして、私もチェルノ取材行って来たんですが、
あのー、事故直後からリクビダートル始め、収束作業ですね、収束作業員始め、子供だとかの、ずっと治療にあたってきた医師に話し聞いたんですが、
その、日本政府とそこの医師は、もう少なくとも30回以上こう、情報、会って、直接会って、やり取りしてるんですよ。
だから、日本政府は、5mSv以上の所を避難、あのー、避難の権利を与えなかったらとんでもない事になる。
つまり、4年後から甲状腺癌、爆発的に増えるって事、日本政府は、もうこれ知ってるんですよ。
知ってて、わざとこれもう、補償は莫大に膨らみますからね。
僕は、そこら辺は、あの、わざとさぼってるっていう思ってます、私。


泉田知事:
どう思うかっていう事ですねぇ。
ですから、当時の意思決定過程を、もう一回検証する必要あるんじゃないかっていう事だと思います。
今の話に近いところで挙げられるとですね、私、実は記者会見、事故と並列して、ぶら下がりも含めて、何回かやってるんですが、
まず、安全なところに避難区域、設定をして、大丈夫な所から戻していけば良いじゃないか、
何度も言ったんですけども、そうならなかったですよね。
で、アメリカは80km避難区域って設定して、徐々に制限を解除するという、
なんか考えて、合理的な対応をしたわけなんですが、日本政府はそうならなかったと。
むしろ、2km、5km、10km、30kmって、広げてくっていう対応しましたよね。
だから、こういう対応またやるんですかねと、いうところについては疑問です。
どういう意思決定を、つまり何を恐れて、どういう事でですね、本来合理的な行動が取られていなかったのかというところを明らかにして、
ソフト面、制度面、組織面の改善を図らないと、同じ事が起きませんかっていう懸念、これはやっぱり残ると思います。


田中龍作:
それとあの、さっき知事あのー、東電は嘘を吐くと仰ってましたが、これもまさしくその通りで、
私あの、事故直後から、少なくとも2011年いっぱいは、毎年出てたんですね。あー、毎年じゃない、毎日、東電の記者会見に出てまして、
その嘘を吐く最たるものは、そのメルトダウンと、その遮水壁です。
遮水壁に関してはこれ、もう細かくは言いませんが、明らかに政府が、これ押し切られたんですよ。
で、思うに今、泉田知事は、こうやって、再稼働の事にちょっと懐疑的で、頑張っておられますが、
いずれまた政府に、政府っていうか、まぁ政府だとか、東電に押し切られるんじゃないかな、という危惧はあるんですが、
実際ですね、嘉田さんは脅されてるんです、私直接聞きましたが。
関電と経産省に脅されてるんですよ。
で、やむなく大飯の再稼働を認めたんですね。


泉田知事:
どんなふうに脅されたんですか。


田中龍作:
言って良いのかどうか分かりませんが、具体的に電気止めるって事業者に言うわけですよ。
だから、地元の中小企業だとか工場は、出て行かざるを得ないでしょう。
それで、もう税収が減るじゃないですか。
それでもう、やむなく認めざるを得なかったんですよ。


泉田知事:
なるほど。


田中龍作:
東電は、東電じゃない、向こうは関電だ。関電が一軒一軒回って、脅したらしいんです。


泉田知事:
事実関係から申し上げると、今のところですね、直接的なプレッシャーっていうのはあまり感じてないっていうのが、正直なところなんです。はい。


田中龍作:
そうですか。
もう一つ、これ突飛な質問すれば、福島県の、あっ、前知事の佐藤栄佐久さんは、プルサーマル計画に反対していて、
それが直接の原因かどうかは分かりませんが、0円の収賄でありながら、逮捕起訴されました。
もしかして、第二の佐藤栄佐久知事になるという不安は、一瞬はちらついた事はないですか。


泉田知事:
いや、感じた事ありますよ。


田中龍作:
やっぱりありますか。


泉田知事:
車、つけられた時は、やっぱり怖かったですよね。
ひょっとして、降りて何かあると嫌だなっていうのは感じた事、それはあります。


朝日新聞:
今日の懇談会自体の質問になるんですけれども、まっ、こうして新しい形で、新しい方々の質問を受けた…。
まぁ、率直な知事の感想として、なんか新鮮な事があったと…。
今日、あともう一点、今後どうしていきたいか、また定期的になんか考えが…、


泉田知事:
今回、大変要請がですね、複数のところから強かったという事で、個別に申し込んで頂いてる方も居るんですが、
時間的に入らないっていう事もあって、一度こういう形でセットをさせて頂きました。
今後どうするかについては、決めたものはありませんので、また、聞きたいっていう方が居なければ、やっても空っぽになるわけで、
これ、今日の結果、それから今後の要請等も踏まえて、考えていきたいというふうに思います。


朝日新聞:
率直な感想としては、いかがですか、やってみて。


泉田知事:
まだ終わってないんで、終わってから感じるのかもしれませんね。はい。


IWJ安斉:
規制委員会について、あのー、まずお聞きしたいんですが、
何度もですね、知事っていうか、新潟県のほうから質問状なり、要請状なり、個別訪問なりっていう形で、規制委員会のほうに質問を投げ掛けていると思うんですけれども、
前回の県庁での定例会見の時に、規制委員会からの回答は、まともなものではなかったという事を、会見要旨を読ませて頂いてたんですけども、
これについてもう少し具体的にですね、どういう点、どういった点が、まともじゃなかったかっていう事を詳しく…


泉田知事:
そもそも原子力規制委員会っていうのは、住民の安全を、政治的思惑とは別にですね、確保する崇高なものであって欲しいという事で、設計をされたものなわけですよね。
危機管理の時も対応をすると、時の権力者がですね、電源の大きさまで指示して、具体的なものをやるっていう事ではなくて、
まさに、専門家が合理的な判断を出来る体制を作りましょう、という事で設計されたはずなんですが、
だからこそ設置法にですね、原子力利用の安全確保に関する事という事が入っており、かつですね、勧告権を持ってるわけです。
それが、住民の安全を守るっていう方向に行ってないですよねぇ。
所管の外である、基準とは関係ないっていう答えがズラッと上ってきたら、これはいかがなもんかと思うと、まぁ、そういう事になると思います。


IWJ安斉:
7月31日の、規制委員会での田中委員長の定例会見で、田中委員長が仰っていた事なんですけれども、
規制庁から新潟県に対して、説明をして貰っていると、そういう意味で特にお会いしなく、お会いしなければならないとは思ってはいないと、
そういうふうに発言されたんですけれども、
これは規制庁のほうからは、どのように説明があったのかという事について、もし説明があったのか、なかったのかというところからお願いします。


泉田知事:
ペーパーで公開されてますんで、砂を噛むような答が戻ってきてますんで、後ほどご覧頂ければと思います。
それから、説明しているからといっても、これも先ほど申し上げた通り、保安院時代より悪くなってるわけですよ。
保安院時代は、ちゃんと説明能力のある人が来て、県の技術委員会で説明をすると、いう事をやって頂いてました。
今は、それが十分出来ていないという事があってですね、説明してるから良いじゃないかっていうのは、殆ど十分説明、理解をね、言ったよと、自分の言いたい事を言ったよっていうだけで、
住民の納得、理解を得る為の努力はしないっていうふうにしか聞こえないというふうに、私は感じます。
やはり、規制委員会がやらなければいけないのは、住民の安全を守るっていう事で、公益を実現する事であって欲しいわけです。
それは、規制委員長の姿勢に関わるわけですよね。
住民を守るのか、それとも事業者行政だけやって、王様になりたいっていう事なのか、ここのところがはっきりしないわけです。
私も通産省に居ましたんで、感覚は分かるんですけど、事業者行政をやってるんです、経済産業省っていう役所は
事業者をどう規制するかっていう事は、やるんですが、住民と向き合う機会が殆どないんですよ。
だから、事業者に規制をすれば、それで終わりって感じてるそのまんまの体質を引き継いでるんだとすると、住民の安全を守るっていう事ではない。
一定の確立で事故が起きると、いう前提で責任を、限定をした上で、事業者行政やりますっていう事だけでは、困るっていう事です。
原子力の安全、利用の安全確保に、その役割を果たして欲しいというふうに思いますんで、そこのところをどう考えてるのかという事を是非聞きたいと思います。
説明してるから良いっていう話ではないと思います。


IWJ安斉:
説明というのは、全てペーパーでの回答であって、何方か規制庁の方ですとか、規制委員会の委員の方であるとかっていう事は、
実際に現場に来られた事とか、それもないんですか。


泉田知事:
これは、池田長官にお会いした時にですね、保安員の時には、ちゃんと人を派遣しているんだから、派遣して欲しいというお話をさせて頂きました。
そのあと、技術委員会に来て頂いた事はあります。


IWJ安斉:
そこでも、直接お会いしても、実際、あのー、知事が懸念されている色々なものが、提案事項に対して、真摯に回答しているというわけではないという事ですか。


泉田知事:
十分出来てないでしようね。
更にいうと、住民を守る気があるかどうかっていうのは、担当官じゃないですよね。
規制委員会が、規制委員長がどうするかの問題だと思います。
米国のNRCであれば、ほんとに大勢の人からですね、話を聞いて、必要なものを規制の中に取り入れてくっていう事をやってるわけです。
更にいうと、規制庁を通さないと委員に入らないなんていうのは、本末転倒で、
規制委員会が要求しなければ、規制庁がアクセス出来ないっていう仕組みのほうがですね、民主的なんだと思います。
まさに、門の前にですね、ドンッと立ちはだかって、委員にですね、
2007年の中越沖地震で火災事故が起きた時、何があったのか、どこが問題だったのかすら伝えさせない
っていう、
こんな事で安全行政が出来るのかなっていうのは、私は極めて懐疑的です。


IWJ安斉:
最後なんですけども、8月28日の、これも田中委員長の定例会見での発言ですけれども、
実際に、福島の佐藤知事とは、田中委員長はお会いしたという事で、
これについて、これは大事な事だからお聞きするという、汚染水について言いたい事があるので会う、という事なんですけども、
中身や状況の必要な時には会うと仰っていて、これはちょっと解釈、別な言い方をすれば、
新潟には会う必要ない、と言ってるようにも聞こえたりもするんですけれども、これに対して、知事の、あの田中委員長に対する見解など。


泉田知事:
我々、技術的なところと、本質的なところと、両方質問出してますが、答えられないんですよね。
後ほど見て頂いたら分かるんですけど、まともな答え返って来てないわけです。
答えられないから会いたくないんだろうなあ、というふうに受け止めざるを得ません。


新潟放送:
懇談会全体の話になると思うんですが、これまで新潟に注目をされなかったようなメディアの人たちからはですね、まっ、取材を受けるような事態になっておりまして、
こういった事態を率直にどういうふうにお感じかっていう事と、
現地としては、原発問題に特化して注目されているような、今状況かと思うんですけれども、
県政全般ほかにも問題ありますし、新潟県全体にとって、今この状況がプラスなのかマイナスなのか、まぁ、プラスマイナス両方あると思うんですが、
どういうふうにお考えなのか教えて頂けませんか。


泉田知事:
んー、難しい質問ですね。
実は、水俣の話も聞かれたんで、原発だけっていう事でいうと、事実と違うかなあと思いますし、
それから、原発に関していうとですね、安全性の確保、これは国だけではなくって、外国特派員協会からも要請頂きました。
世界が関心が高いという事ではないかと受け止めています。


新潟放送:
プラスかマイナスかについて。


泉田知事:
いや、分かんないですよ、それ。


おしどりマコ:
東京電力の第一四半期の決算で、東京電力は、今年度分の黒字化との為に、どうしても柏崎刈羽を動かしたいというご発言を、廣瀬社長が終始されまして、
その事に関しての受け止めを一点と、あと、この件で、国が一歩前に出るという事をしきりに、同じ会見で仰っておられまして、
「それは、柏崎刈羽に関して、国が一歩前に出るとは、どういう意味か」と私が質問しますと、
廣瀬社長は
「それは、自分の口から言えない」と仰りましたので、山本太郎議員に頼んで、質問主意書で尋ねたのですが、
柏崎刈羽の再稼働に関して、国が前面に出て説明をする、という回答が先日ありました。
ですので、これから泉田知事に、国からの説明なり、圧力なり、要請があるものと思われますが、
それにあらがうご覚悟のほどといいますか、どの程度まで闘って行かれるのか。
国に対して、国の国策というのに対して、どうお考えになっているのか、という事を宜しくお願いします


泉田知事:
まず、経営のお話が質問にありました。
経営優先で安全を蔑ろにするとどうなるかっていうと、汚染水問題と同じようになるわけですよ。
1,000億をケチったおかげで、世界からどれだけ信用を落としたか、いう事だと思います。
安全は何ものにも代え難いという人でないと、原子力発電所の運営なんてしてはいけないんではないかな、いう感想を持ちます。
それから、国がですね、説明をしてくれる時の国って誰かっていうところ、勘違いあるんですが、安全について説明して頂かないといけないわけで、
例えば、茂木大臣が来て安全ですって説明しても、推進官庁でしょ、これは説得力ないですよね。
誰が来るんですか。
規制委員会がちゃんと説明するっていう事であれば、元々要望してた事ですから、ちゃんとやって頂きたいと。
これまでの、2007年の中越沖地震の時の経験、それから東日本大震災の時に、多くの避難者を受入た時の経験、
どこが抜けてるのか、地方行政から見てですね、総理官邸と、それから地方村長が別々に避難指示、避難勧告を出す事の問題点等々ですね、
どう対処するつもりなのか
っていうところを詰めていけるっていう事なので、むしろ歓迎です、はい。
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「この重大事を議論しない国会議員は即刻辞任だ!議員の資格は無い!クズを集めた国会が必要か」広瀬氏

2013年12月20日 | 日本とわたし


広瀬隆さんより 
僕も、是非、この週刊ダイヤモンド「東京電力 救済で笑うのは誰か?」(2013年12月21日号)を、買って読みたいと思います。

全国のみなさま  広瀬隆です
 
明日12月16日発売の12月21日号、週刊ダイヤモンドは、東電の大特集です。
 
一昨年の事故直後に、かなり議論されていたことが、現在では、まったくテレビと新聞に出なくなったが、
福島第一原発事故の処理には、なんと、国家予算を超える54兆円かかる、という試算が出ている。
それが、すべて国民負担になることは必至だ。
この金を国民が支払え、というのが、日本政府の方針だ。
 
いや、読んでいると、これが原発の宿命だ、という結論が、誰の頭にも浮かぶ。
日本人の経済は、断崖絶壁にある。
 
特に、この38頁~48頁に、すさまじい事故処理の、おそろしい現実が列記されている。
文中に「困難」や「課題」と書かれているのは、ほとんど 「不可能」、という意味である。
 
これでも懲りずに、原発再稼働を唱える電力会社の幹部と、日本政府、経産省は、
完全に頭のおかしな、狂った集団だということが、子供でも分る。
 
ろくでもない連中が、この大特集の前後に、山のように登場しているが、そのゴミ人間はどうでもよい。

この重大事を議論しない国会議員は、即刻辞任だ。
議員の資格はない。
 
政治生命が終ったのは、自民党・公明党と、「みんなの党」渡辺喜美だけではない。
 
クズを集めた国会が、日本人に必要なのか
・・・。
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「『原発引っ越し』神原将著「放射能を恐れて東京から逃げ出す、という内容はいけません」出版営業部

2013年12月18日 | 日本とわたし
昨日、親友のわかちゃんから教えてもらった、この方のこと、この本のこと、この詩のこと。
こんどはわたしからみなさんへ。



世界の人たちへ

僕は、ユアン・マクレガーが主演した「ゴーストライター」という映画で描かれている、まさにそのゴーストライターを仕事にしています。
本来は、学者、著名人、俳優などの代わりに、ゴーストのように陰に隠れて、本を書くのが仕事です。
しかし、東日本大震災が起きた3・11から、ゴーストではいられなくなりました。
なぜなら、3・11のこと、とくに、福島第一原子力発電所で起きた事故のことを本にしようとすると、誰も協力してくれないからです。
電力会社は、30年、40年と長い時間をかけて、多額の寄付金やスポンサー料を払うことで、
学者、著名人、俳優などが、電力会社に不満を言えない環境を作っていたのです。
それでも僕は、日本で起きたこと、福島で起きたこと、東京のパニックぶりを、書いて残す必要がありました。
誰も書かないのなら、自分がやるしかない。
ゴーストのままではおられない。
自分の姿を現して、本を出すことに決めました。

僕はこの本を、福島原発事故が起きた2011年9月から書き始め、2012年3月で筆を置きました。
そしてすぐに、自費出版したのです。
この本は、国内の大手出版社、何社かと話をすすめていました。
編集部はこの本を支持してくれ、出版にも乗り気でした。
しかし、営業部の人はまるで逆でした。

「神原さんの書いた、放射能を恐れて東京から逃げ出す、という内容はいけません。
そんな本を出版してしまえば、雑誌に広告を出しているスポンサーの怒りに触れ、スポンサーが会社に、お金を出してくれなくなるかもしれない。
神原さんの本を出すメリットよりも、スポンサーがいなくなるデメリットのほうが大きい。
こんな内容の本は出せません」

スポンサーというのは、東京を拠点とする、不動産会社、旅行代理店、ホテル、鉄道会社、ディズニーランドなどが、名前として挙げられていました。
確かに、どの企業も、東京に価値をおいて事業をしているので、東京が放射能汚染された、ということを本に書かれてしまうのは避けたいのでしょう。
いくつかの出版社で、同じように拒否されました。
どの出版社も、10年以上仕事の付き合いがある、僕とは親しい会社です。
その出版社の判断に、とても失望しました。
しかし、東日本大震災が起きた3・11のこと、続く福島第一発電所の原発事故のことを、
偽ることなく、真実をすべて記録として、本にして出版しなければいけないと思いました。
なぜなら、日本のマスコミは、テレビも新聞も、本当のことをまったく知らせなかったからです。

「ただちに避難する状況ではない」
「ただちに健康に影響はない」
「放射能汚染された野菜も肉も、食べても健康に影響はない」
「放射能汚染された建物の残骸を、日本全国に運んで、(生活ごみを燃やす)焼却炉で燃やそう。それが日本人の絆だ」

このように、国民を守るどころか、電力会社の責任を曖昧にして擁護し、放射能の健康被害も過小評価、
さらに、国民が被曝しても平気という対応が、一年半たった今でも続いているのです。
体の弱い年寄り、幼い子ども、妊婦、すべてが電力会社を守るため、政治家の票集めのために、捨てられているのです。
その証拠に、福島第一原子力発電所では、事故の収束にあたった作業員が、1年6ヶ月の間に4~5人、突然死していますが、
放射能との関係はないとし、電力会社へは、警察の捜査すらありません。
このような状況ですから、なおさら、本の出版を諦めるわけにはいきませんでした。

そのため、この本は、日本では自費出版と呼ばれる、著者が自分でお金を出して出版する方法をとりました。
これなら、誰に文句を言われることもありません。
しかし、金銭的な負担は重く、また、プロモーションをかける費用も場所もないので、人から人へ、ツイッターを使って、口コミで宣伝をしたのです。
このようにして出版しましたが、未だに日本の社会では、「放射能汚染を怖がる人は頭が異常だ」というレッテルをはってごまかしています。
インターネットを使って、海外の専門家の情報を得られる人、チェルノブイリなどのデータを検証できる人たちと繋がれる人たち以外は、
テレビと新聞の情報しかないために、どちらかと言えば「安全、安心の情報に頼りたい」という心理が働いていて、
命や健康を守るための、正しい判断ができないのです。
これは、経済の中心である東京が顕著です。
そんな東京も汚染がひどく、土壌汚染で言えば、1万ベクレルから10万ベクレルまで、学校の校庭や家庭の庭先、駅前などから、ふつうに見つかっています。

どうか、この本を読んだ世界のみなさんが、日本に向けて声を出してください。
弱い老人を、子どもを、妊婦を守って欲しいと言ってください。
世界の人たちが行動を起こしてくれない限り、日本人は放射能汚染に気がつかないふりをして、このまま生活を続けていくでしょう。
東京から西へ、できれば海外へ逃げて欲しいと、メッセージをください。

この本は、序章(第一章)の部分は、フリーで公開したいと思っています。
ブログにまるごと掲載しても、引用して本の紹介をしていただいてもかまいません。
とにかく日本で、東京で起きていることを、広く知って欲しいと思っているのです。
世界の新聞が、テレビがラジオが、そして出版社が、この本に気づいてくれて、そして広い地域にこの本が渡っていってくれるとうれしいです。
その結果、日本政府が対応を改めて、国民の命と健康を守ることを優先し、
被曝を不安に思っている弱い立場の人たちが、不安のない土地に逃げて行けるようになればうれしいです。

僕は日本語しか使えないので、この本は友人に紹介してもらい、ホワイトさんに翻訳してもらいました。
まったく知らない関係でしたが、本の内容に共感していただいて、作業が進みました。
本当に感謝しています。

2012.9.13
引っ越しをした広島県呉市の家のベランダにて


「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」

「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」

年収1000万円を捨てた。

2ヶ月だけ住んだ、新築の一戸建てを捨てた。

雑誌に毎月載るような、人気のパン屋を3店舗捨てた。

7年かけて開拓して、夫婦の夢だったチーズを作る牧場を捨てた。

豊かな山と川が近くにあって、地域の年配者らと交わりながら幼児を育てる、こだわりの保育所を開園2週間前に捨てた。

夫婦二人三脚でやってきた、二代目を継いだ美容室を捨てた。

いくつもの難儀な仕事を一緒に乗り越えてきた、スタッフたちを捨てた。

全国大会で優勝した、ソフトボールのチームメイトを捨てた。

最後まで避難に反対した、病気ひとつせず家族のために働いてきた夫を捨てた。

放射能が怖いなら子ども生まなければいいじゃん、と言った妻を捨てた。

お前だけは健康でいて欲しいと言って送り出してくれた、大好きな両親を捨てた。

家族同然で暮らしてきたペットを捨てた。

僕らは「放射能不安症」と呼ばれて、マスクをしていると気にしすぎだよと苦笑いされる。
産地を確かめ、安心できる料理を用意しようとすると、「風評被害で困るんだよ」と罵られる。

僕らは傷つきながら、子どもの手を引いて避難をした。
僕らは泣きながら、一人で暮らす新しい家の玄関に、ただいまと声をかける。
大丈夫だよと、毎晩寝る前に、自分に言い聞かせる。

友だち以上に思えたあの人や、あの人や、あの人の態度が、よそよそしくなったことに気がついて、原発のばかやろう!と叫びたくなる。

おかしな国だよと、毎日ため息をつくのが癖になった。

両手に抱えられるだけの幸せがあればいいやと自分を励ます。

ありがとうと、素直に感謝を口に出せるようになった。

311母子避難、家族移住者たち。

たしかに今、ここに僕らは生きている。

例えテレビが話題にしなくても、僕らはここで声をあげ続ける。

お気に入りの家や、大好きな家族や、大切な仲間たちに、届いて欲しいと声をあげる。

みんなでこの国の上で生きたい。

あなたと生きたい。



神原 将(Sho Kamihara)
1974年沖縄県生まれ。
東日本大震災以前は、主に芸能人や文化人などのゴーストライターとして、多数の企画、書籍に関わる。
現在は、311母子避難、家族移住者の取材を行っている。
 
過去に、企画・製作・執筆に関わった本としては、『自衛隊員が撮った東日本大震災』『玉川徹のちょっと待った!総研』『吉田拓郎とつま恋と僕』『輝き続ける星 東方神起』『飯島愛 孤独死の真相』『「こんな家」に住んではいけない!』『おふくろさんよ』『ルー炎上!』『しょこたんの貪欲☆ラジオ』などがある。

To the People of the World:

To the People of the World:

My name is Shou Kamihara. I'm a ghost writer in Japan. Or should I say, I used to be one. Like the kind Ewan McGregor portrayed in the 2010 movie "Ghost Writer." Essentially I write books for academics, famous authors, actors and actresses and so on, all the while hiding in the shadows as a "ghost." But ever since the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011, I felt I couldn't be just a ghost anymore. That's because when I tried to put the events of 3.11 into a book, especially the accident that occurred at the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant, I couldn't get anyone to give me their cooperation. For a long time - 30 or 40 years - the electric companies have given out large donations and provided sponsorships. This has created an environment in which academics, authors, and entertainers who received money or want to receive money can't say anything against those companies.
Still, I felt there was a need to write about what happened in Japan, at Fukushima, and the panic that gripped Tokyo. If nobody else is going to write about it, it's up to me. I can't be a ghost. I decided to show myself and publish this book.

I began writing this book in September of the same year as the nuclear accident, 2011, and finally put my pen down in March 2012. Then I immediately put it out for publication at my own expense. I was getting pretty far along in talks with some major domestic publishers. The editing departments supported my efforts and seemed willing to publish. But the people in sales were the exact opposite.

"We can't publish a book like you wrote, about someone who fled Tokyo because they were afraid of the radiation. If we put a book like that out, it would anger our sponsors, and we might lose our income from them. The risk for loss from our sponsors leaving is greater than the possible profits we could make off of the book. We can't publish a book about this sort of thing."
The sponsors they mentioned were mainly those places like real estate agencies, travel agencies, hotels, rail companies, and Disneyland, which have their main bases of operation in the Tokyo area. Of course, all of these companies are in business with their chips on Tokyo, so naturally they'd want to avoid writing a book about Tokyo's nuclear contamination.

I was turned down in the same way by a number of different publishing companies. I was on friendly terms with all of these places, having done business with all of them for more than 10 years. Their decisions caused me to become depressed. But I truly felt that a book needed to be published about the disaster on 3.11 and the Fukushima accident, a book that told the truth without twisting anything. The Japanese mass media - television as well as newspapers - hadn't told the people anything.
"There is no need for immediate evacuation." "There is no immediate threat to human health." "There is no risk to one's health from eating vegetables or meat contaminated by radiation." "We need to send the contaminated rubble from the disaster site to (garbage) incinerators all over the country to be burned. This is the kizuna, the bond, of the Japanese people."

This response of defending the electric companies and dismissing the issue of their responsibility, underestimating the health risks of nuclear radiation, and not caring about whether the citizenry is exposed to radiation or not - in other words, doing nothing to protect the people - has continued in Japan to this day a year and a half later. The elderly, infants, pregnant women and so on are being thrown under the bus so that the electric companies can survive and the politicians can gather votes. As proof that this is the prevailing attitude, despite the fact that in these 18 months four or five workers cleaning up the Fukushima plant have suddenly died, they insist that there is no connection to radiation and there hasn't even been a police investigation.
Precisely because Japan is in this state, I couldn't afford to give up on publishing this book.

Therefore, this book was published at my own expense, meaning I covered all the charges and fees associated with getting it out. This way no one would be able to complain about anything. But the financial burden was considerable, and I can't afford to hold promotions to sell this book to the world like that which a typical author or publisher would. So I advertised over Twitter and spread news about it through word of mouth.

So somehow I finally got this book published, but there are still those in Japanese society who brand those worried about radiation contamination as "abnormal" or "crazy." Aside from those people who use the Internet to get their information from specialists overseas or inspect data from the Chernobyl disaster, most people have no source of information apart from Japanese TV and newspapers. Affected by the psychological drive to rely on "safe, secure" information more than a desire for the truth, they are unable to make the right decisions for their lives and their health. This is remarkable for Tokyo, the central hub of Japan's economy. Contamination there is severe - soil contamination has been measured at between 10,000 and 100,000 becquerels - and contamination is routinely detected in school yards and in front of homes and train stations.

I want to ask the people all around the world who read this book to raise your voices to Japan. Please tell Japan that you want them to protect the elderly, children, and pregnant mothers. As long as there no movement from outside Japan, Japanese people will almost certainly continue to pretend they don't notice the radiation and go on with their lives. Please tell the people of Japan that you wish they'd move west of Tokyo, or even overseas if possible.

I'm thinking that I'd like to make the first part of this book (the prologue) open to the public for free. It's perfectly fine if you'd like to post the entire chapter on your blog, or use quotes to introduce the book over the Internet. Anyway, I'd like for what's happening in Japan, in Tokyo, to be as widely known as possible. I would be happy to see the newspapers, the TV and radio stations, and the publishing companies of the world take notice of this book, and I hope this information spreads all over the globe. Maybe that will lead to a change of heart in the Japanese administration, and they'll begin to place priority on protecting the lives and health of the citizenry. I would be overjoyed if all those people without power or voice who are worried about radiation exposure could move to a place where they don't have to worry anymore.

I don't speak anything but Japanese, so I had this book translated by Mr. White, who was introduced to me by a mutual friend. Though we didn't know anything about each other, he was able to sympathize with the contents of the book and the work moved along smoothly. I'm very thankful for that.

September 13, 2012
On the veranda of our new home in Kure, Hiroshima


We are looking for media-related persons who will help us introduce this book to the rest of the world.

We look forward to hearing from anyone who might be interested in introducing the first part of this book ( the prologue) or selected parts of it to their readers/viewers/subscribers, or to the general public as a whole.
Any TV, radio, magazines, or newspapers would be most welcome.

We are also looking for a publisher that would be interested in publishing this book overseas.

Please contact us at the following e-mail address:

toiawase@genpatsu-hikkoshi.info

Here as well is our official website:
http://genpatsu-hikkoshi.info/


Things you told me, from “Voice of the migrants”

Things you told me, from “Voice of the migrants”
Shou Kamihara


I gave up a 10 million yen annual income.

I gave up a newly constructed house that had been lived in for only two months.

I gave up three popular bakery stores, written up in magazines each month.

I gave up the ranch that produced cheese which was a husband-and-wife dream and had taken 7 years to develop.

I gave up the special nursery school that raised infants in communion with the elderly in the neighborhood, surrounded by rich mountains and rivers, 2 weeks before opening.
 
I gave up the beauty salon taken over from the previous generation, which was run by husband and wife.

I gave up the staff and co-workers who together had overcome a number of difficult tasks at work.

I gave up the teammates who were a national champion softball team.

I gave up my husband who worked for the family, never taking a sick day in his life, who opposed the evacuation till the end.

I gave up my wife who said she just does not choose to have children, for fear of radioactivity.

I gave up my dear parents who sent me away, saying we want you healthy, and only you.

I gave up my pet that had lived with us as family

We were said to have “radioactivity anxiety syndrome”, given wry smiles when we wore cotton medical masks. We were abused for being “troubled by harmful rumors” if we tried to have peace of mind by questioning the food producing area about ingredients for preparing our meals.



We evacuated, tugging at our child’s hands, with our minds wounded.
We said we are back now at the door of a new home, to live alone, as we cried.
It will be fine, I said to myself every night before sleep.

Damn the nuclear power plant! I want to shout after noticing the attitudes of those people, who were good friends and who have now become aloof.

I was sick of sighing every day, only feeling how strange a country this is.

I encouraged myself by thinking things will be OK if there is enough happiness to hold in both hands.

Thank you, I have become someone who expresses thanks without hesitation.

Two groups of March 11 evacuees: mothers with children and family migrants.

Now, we are living here, certainly.

We continue to raise our voice for here I am, but even TV does not talk about it.

We raise our voices and wish for reaching our favorite home, dear families and precious friends.

I want to live on in this country with everyone

I want to live with you.


翻訳協力:子どもたちを放射能から守る世界ネットワーク
"World Network for Saving Children from Radiation"
http://www.save-children-from-radiation.org/
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牙をむく人でなしたちから、子どもを救えなくて、それで大人といえるのか?

2013年12月17日 | 日本とわたし




先週の水曜日に、マンハッタンの劇場で公開された『フタバから遠く離れて』というドキュメンタリー映画を観に行きました。
会場に入るのを待っている間に、制作者の舩橋監督の講演と懇親会があることを知り、こちらは日本語でオッケーだということで、またまた行ってきました。

講演は7時からで、ミドルマンハッタンにある『日本人会館』とやらで行われるとのこと。
普段そういう所に足を運ばないわたしは、そのビルのことを全く知りませんでした。
月曜日は、とりあえず今年中は、5時45分に終ることになっているので、45分から50分の間にやってくるバスがいつものように遅れるのを期待して、
雪と氷だらけの坂道を、バス停目指してダッシュしたのですが(心臓がヤバかった)……なんとあと10メートル、という所で、
目の前をスーッと、わたしのことなんか全く気にもしていない顔して(当たり前)、ものすごいスピードで走り去って行ってしまいました……。
なんで今夜に限って!と可愛らしい?悪態をつきながら、しょうがないので電車駅に向かい、6時半の電車に乗ることに。

電車が来るまで暇なので、雪だらけの駅をパチリ。


空には、とても高いところに、まん丸のお月さん。


雪というより白い氷。


電車が入ってきました。


初めて乗った時、この押しボタンのことを知らないで、延々とドアが開くのを待っていた自分を思い出します、これを見るたびに。


ペンシルバニアステーションからは、歩いて行くにはちょいと時間がかかり過ぎるので、地下鉄を乗り継いでいくかタクシーか、という苦渋の選択!
講演はもう始まっているので、エイッとばかりに奮発して、タクシーに乗りました。
もらったハガキには、15ウエストと書かれていたのだけれども、だからタクシーから降りて散々探したのだけれども、
どこにもそれらしきビルは見つからず、周りの、地元の人らしきおっちゃんの集団に尋ねたら、15イーストちゃうか、というヒントをもらい、
見つけました、やっとやっと。

ということで、30分近くも遅刻してコソコソっと入っていった部屋には、舩橋監督の話に熱心に聴き入る日本人のみなさんがぎっしり。
久々の日本オンリーの世界。

講演の内容を、手持ちのハガキ(この記事の一番上)の余白にできるだけ書き込んだんですけれども……足らん、全然!
まあでも、せっかくなので、とりあえずここに移しておきます。



・発表されている放射能汚染の核種が、セシウムに限られているが、他の核種の汚染状況も実は測られていて、それを政府は把握している。

・特にストロンチウムは、様々な都市に拡散していて、ホットスポット的な汚染が発生している。

・那須は乳牛で有名な土地だが、ストロンチウムの汚染が深刻である。けれども今だに牛乳が出荷されている。

・20ミリシーベルトの被曝量の強要は、とんでもない棄民である。


↑この、20ミリシーベルトという被曝量の強要が、人道上いかに許されないことであるか、ここでもう一度、先日の記事から抜粋します。

ベラルーシにおける、移住に関する基準

無人ゾーン:
1986年に住民が避難した、チェルノブイリ原発に隣接する地域

↓以下の土壌汚染はすべて、セシウム(Cs)、ストロンチウム(St)、プルトニウム(Pul)の三種、それぞれの密度が、きちんと提示されています。

移住義務(第1次移住)ゾーン:
Cs137 1480kBq/㎡以上(40/k㎡以上)
St90 111kBq/㎡以上(3.0/k㎡以上)
Pul 3.7kBq/㎡以上(0.1Ci/k㎡以上) 

移住(第2次移住)ゾーン:
Cs137 555~1480kBq/㎡以上(15~40/k㎡以上)
St90 74~111kBq/㎡以上(2~3/k㎡以上)
Pul 1.85~3.7kBq/㎡以上(0.05~0.1Ci/k㎡以上)

年間の被曝量は、5mSvを越える可能性がある。


移住権利ゾーン:
Cs137 185~555kBq/㎡以上(5~15/k㎡以上)
St90 18.5~74kBq/㎡以上(0.5~2/k㎡以上)
Pul 0.37~1.85kBq/㎡以上(0.01~0.05Ci/k㎡以上)

年間の被ばく量は、1mSvを越える可能性がある。


定期的放射能管理ゾーン:
Cs137 37~185kBq/㎡以上(1~5/k㎡以上)

年間の被ばく量は、0.1mSvを超えない

1ミリシーベルトの空間線量から5ミリシーベルトを超える可能性があるところに関しては、移住権利ゾーンという事にしていて、
5ミリ以上の空間線量がある場合は移住ゾーンと、単純に日本に伝えられているが、
でもそれは、3つの要件を合わせて判断されている

被ばく量の考え方

3つの要件を合わせて判断する
1.土壌汚染
2.空間放射線量
3.内部被ばく量


一定の土地に住んでいる住民を観察し、
ホールボディカウンターによる内部被ばく量の検査を、定期的に行い、
上の三つの要件を合わせて、年間5mSvを超えると判断されたら、強制移住、あるいは移住推奨がなされる。
そしてその費用は、国から支払われる

内部被ばく量に関しては、
子どもは20Bq/kg、大人は70Bq/kgを超えない方がいい、と考えられている。




↓引き続き、舩橋監督の講演から

・実はこの20ミリシーベルトの被曝を強要しようということに関しては、当時の政府の中でも非難が上がり、5に引き下げようとしたが、
経産省の方から、賠償金と避難民の多さは計り知れないとして、国体の維持のために中止せよとの通達が来た。

・国体とはなんだろう。人の命や健康と天秤にかけられるものなのか。国体、すなわちそれは国民ではないのか。

・少々の犠牲は仕方がない。そうやって国は、国民を見捨ててきた。

・双葉町の人たちには、月々10万円のお見舞金が支払われている。避難所にいる人には、プライバシーが保てないからということで、2万円増の12万円。
けれどもそれは決して補償でも謝罪でもなく、迷惑をかけているからという意味で出ている。

・避難した人たちが失った家に対しては、2011年3月10日現在の不動産評価を引用している。
その評価価格は個々に違うのが、双葉町は特に古い家が多く、二束三文で買い叩ける。

・今現在は、ひとまず6年は戻るまでにかかるので、待ってほしいと言われている。
お年寄りたちは、その6年を指折り数えて待っているが、6年経って本当に帰れるのかどうかなど、誰にもわからない。
もうすでに、3年近い月日が経とうとしているが、日本では、その待っている時間に対するチャージが全く無い。

・アメリカでは、こういう場合、待ち時間(日数)に対しても、賠償金が発生する。
待たせれば待たせるほど、その賠償にかかる金額が増えていくので、加害者は具体的に敏速に行動に出なければいけなくなる。
日本にもこの制度を作るべき。
待たされていることにチャージする。待たされていることを当たり前と思わない。

・日本は、平面的な対処には長けているが、5年10年30年という、長期的な展望を含んだ対処ができない。
そして、何事もきちんとという、妙な思い込みがある。
例えば、巨大な自然災害などで、食糧の補給が困難になった地域が発生した場合に、アメリカでは、ヘリコプターから食糧がドスンドスンと落とされる。
その半分は落下により使い物にならない可能性があったとしても、とりあえずゼロよりはまし、という現実を選択する。
日本ではどうだろうか。

・最も被害を受けた人たちが、最も無視されている。

・ニュースバリューが無くなる→メディアは無視する。
この双葉町を例にとっていうと、最初の1週間は、60名ものマスコミ関係者が押し寄せてきた。
次の週にはそれが半分の30人ぐらいになり、1ヵ月もすると10名、2ヵ月目には、僕ひとりになった。

・今も、避難されている方は、1万5千人にものぼる。
この人たちの、何の展望も具体的な形も持てないまま、ただひたすら自力で待たなければならない人たちの、個々の苦しみを、
自分のこととして考えて欲しい。

(映画の中で、たった2時間の帰省を許された町民の方々が、持ち帰りたい物のリストを作り、持ち帰った物があるが、それらの線量はどうだったのかと尋ねたら)
・すべての線量を測り、除染し、それでも中には持ち帰れなかった物もあった。
けれども、箪笥の中に仕舞われていた物などは、比較的線量は低かった。
中には、高級な酒をどうしても持ち帰りたいという人がいて、高線量のため、だめですと言われたのだが、
自分が飲むだけだ、飲みたいから飲む、といってきかなかった人もいた。

・僕は、こうしたドキュメントを作ることで、政治的メッセージを送ろうとも、世の中を変えようとも思っていない。
もし本当に、政治を変えたいと思うのであれば、立候補している。
自分が撮ったフィルムを観た人が、どんなふうに受け取るか、それもその人それぞれの自由であり、メッセージを強制するつもりもない。
けれども、この不条理は伝えなければならない。
国体の維持という、国民の犠牲をなんとも思わない現実、その現実に苦しめられる人たちの個々の姿を、映像を通して伝えていきたい。


外に出ると、寒さが一段と増していました。





こないだうちに来ていたこなっちゃんの友だち、ゆいなちゃんが、マンハッタンで2週間過ごし、うちの近くの空港から飛び立つというので、
アメリカ旅行最後の日を、うちで泊まることになりました。

朝6時起きやというのに、いろいろと話したくて、またまた夜更かし……。
夜中から降り始めるはずだった雪が、明け方からになり、わたしが運転する車よりもバスの方が安全だということで、
電車駅の前から出発する、空港行きのバスまで送り、ホッと一安心……とパソコンの前に座ったら……、

ゆいなちゃんのEチケットの領収書がポツンと……。

ぎゃ~!飛行機が予定通りに飛ぶかどうか確かめるのに借りたまんまで!
今どきは、パスポートさえあったらチケットは手に入るけれども、彼女がそれを承知してるかどうか……空港は英語ばっかりやしなあ……。
おまけに、バスの運転手に、この子はユナイテッドのターミナルで降りたいから、と伝えてあげようと思ってたのに、それも忘れたっ!

大丈夫かなあ……。

でもまあ、4週間の旅で得た英語力で、なんとか乗り切るであろうと、自分に言い聞かせ、二度寝をしました。

日本の若い子たち、そして小さな子たち。
わたしたち大人が受け継がそうとしている社会が今、どれほど狂っているか、どれほど命がおろそかにされてるか、
そのことをせめて、知らなければならないと思います。
知っても、別にそれがどうした、どうにもならないと思う人もいるかもしれません。
けれども知って、こんなことでは申し訳ないと思った人は、なにかひとつでも、自分ができそうなことを探してみませんか?
無理してしなくてもよい、続けられそうなことを、見つけてみませんか?
もうすでに、子供たちの疎開先として、受け入れ体制を作ってくださっている方々とつながる、
もうすでに、放射能汚染との関わり方を模索し、検査し、食物の流通を築いてくださっている方々とつながる。
なにも別に、新しいことをし始めなくても、そういった方々とつながって、自分にできることを手伝う。

せめて子どもたちの疎開だけでも、早急に実現させたい。

監督も、何度も何度も、そうくり返し言っておられました。

首相と呼ばれている男が、「中国の脅威」に対抗するために軍事力を増強する、Drone(無人航空機)を購入する、などと言い出したそうですね。
友人からのメールで知りました。
ついでですから、その友人のメールの一部をここに。
『被災者はほったらかし、福島は収束からほど遠い。
福島の子どもたちの年間許容放射能限度量の基準は上げ、医療費や補償金を減額し、その金をお前のおもちゃのために使うと~?
国民をあまりにバカにするのもいい加減にしやがれ!』

キチガイという言葉は、差別用語になっていて、使えないのだそうですけれども、わたしはこの男に限り、この言葉を使いたいと思います。
いつかきっと、独房に放り込んでやる。
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なり振り構わず愚行に走るバケモノに、乗っ取られるかどうかの瀬戸際に

2013年12月16日 | 日本とわたし
あのね、自民党という党は、確かに、明らかに、原発推進に邁進してきた党です。
そして、官庁はじめ、大手金融機関は、グルです。
自分たちの立場を大いに活用し、やりたい事をやりたいだけ、高笑いしながらやってきた。
そんな党を、どうしたことか、どういうわけか、選挙のシステムが狂ってるといっても、どこの党に、誰に入れても変わり様がないと絶望してたといっても、

なんで返り咲きなんかさせてしもたんですかっ?!
なんでねじれまで解消させてしもたんですかっ?!


こんな悲惨な放射能汚染が発生し、海のチェルノブイリと言われる地球規模の大迷惑をかけ、
今後、どれだけの被害を、自国と他国に及ぼすのかも定かではない、とんでもない事態に陥っていて、
大勢の国民が、暮らしを続けてはいけない地域から出られずにいて、
それをなんとかしなければと、自身の生活のリズムを崩しながら、必死で奔走している人たちが出てきても、
権力と金にモノを言わせ、ありとあらゆる方法を使って邪魔をする。
自分たちが粛々と、大いなる無責任を発揮してやってきた政策を、反省もせず謝罪もせず責任も取らず、
こんなクソったれの代表みたいな人間を、なんで政治の場に戻してしもたのか、それを大いに問うて欲しいです。

これが現実。
ウソ丸出しの選挙と民主主義。
なり振り構わず愚行に走るバケモノらの本性。
日本はそんなバケモノに占領されてるんです。
食われてしまいますか?
それとも、抵抗しますか?

このバケモノの栄養は、下記の金貸し屋です。
せめて、それらの銀行を使うのをやめてみませんか?
なにやっとんねん、ドアホ!という気持ちをこめて。



原発復権 本性あらわ
【京都新聞】2013年12月14日

国会混乱最中に公表/有識者入れ替え
慎重派の声置き去り

東京電力福島第一原発事故後初めて、策定するエネルギー基本計画は、原発再稼働を打ち出すことになった。
経済産業省や自民党の推進派は、『原発復権』へ
なり振り構わず走り、小泉純一郎元首相らの、脱原発を求める声は置き去りにされた。
核のごみ処理では、国主導をうたうが、行き場が定まる見通しはない。


国エネルギー基本計画

「われわれは、原子力という選択肢を、捨てるつもりは全くない」
10日午前に開かれた自民党の会合で、経産省資源エネルギー庁の上田隆之長官が言い切った。
国策として、原発推進の旗を振ってきた経産省が、再び本性をあらわにした瞬間だった。

経産省が、基本計画の内容を永田町に説明し始めたのは、6日午前、
特定秘密保護法案をめぐり、国会が混乱を極めていたタイミングだった。
どさくさに紛れるように、同日午後、内容を公表するスピード処理には、自民党内からも「横暴」(中堅議員)との声が上がる。

経産省は今年3月、基本計画を論議する有識者会議から、脱原発を唱える富士通総研の高橋洋主任研究員らを外し、
京都大原子炉実験所の山名元教授ら、推進派に入れ替えた。

「非常に偏った集まりだと感じる。国民の声を代表できていない」
一部の委員は、メンバー構成に異論を唱えたが、会議の会長を務める三村明夫新日鉄住金相談役は、
「他の委員に失礼だ。我慢できない」と、語気を荒げて抑え込んだ。
会議の結論は、始めから見えていた。

自民党内の原発推進派は5月、基本計画に意向を反映させようと、『電力安定供給推進議員連盟』と発足させた。
100人規模に膨れ上がった議員は翌月、原発を重要な電源と位置づけることを求める提言をまとめ、再稼働へレールを敷いた。

さらに、「新増設は無理でも、(古い原発を新しく置き換える)リプレースまでは書ける」(議連所属議員)と、経産省を強力に後押しした。
リプレースが実現すれば、原発は、長期間にわたって重要な電源の座を明け……

↑これ以降は、記事が切れていて、書き起こしが無責任になってしまいますので、ここで中止します。

↓以下は、では具体的にどんなふうに金繰りをするかについての記事です。
転載はじめ

東電融資枠、4.5兆円維持 国は支援増額へ
朝日新聞デジタル 2013年12月16日

東電支援の仕組み

主力銀行の東電への融資は急増している

政府の原子力損害賠償支援機構と東京電力、東電に融資している大手銀行などの金融機関は、
東電本体への融資上限を4兆5千億円にする方向で、最終調整に入った。
来年以降は、追加で新規に貸し出すことはしない。
ただし借り換えには応じ、残高4兆5千億円を当面維持したうえで、全額を無担保融資にする、追加支援を検討する。

除染や原発被害の賠償などにかかる費用が、増える見通しになり、東電の資金繰りを、国と銀行が支える今の仕組みを続けるのは難しい、と判断した。
仕組みを抜本的に改め、国は支援額を増やす。
年内にまとめる総合特別事業計画(再建計画)に盛り込み、国が支援を強める姿勢を鮮明にする。

政府は、除染や賠償に充てるために、東電に貸し出す公的資金の上限を、今の5兆円から、9兆~10兆円まで引き上げる方向だ。
東電が最終的に負担する除染費用は、最大2・5兆円とみている。
このうち、3500億円超を来年度政府予算案に盛り込む方針を、財務省が固めた。
これで、政府予算に盛り込まれた除染関係費は、累計2兆円弱になる。
賠償費用は、支払い済みの約3兆円を含めて、5兆~6兆円にふくらむ見込みだ。
【野上英文、藤崎麻里】


↑以上、転載おわり
なお、この記事には続きがありますが、わたしには読むことができません。

↓以下は、上の記事の金融機関主要11者の東京電力への融資額一覧です。






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明日はあなたと、あなたの子供かもしれない

2013年12月16日 | 日本とわたし
フェイスブックつながりで知った記事です。
この事故のことは、わたしも覚えていました。けれども、うっすらとだけ、です。
わたしは当時二十歳で、家のこんがらがった事情のため、自分が生きられることにのみ集中していた頃で、
だからニュースは、どんな内容のものであれ、テレビの画面に映るよそ事で、かまっている余裕なんかなかったのだけれども、
このニュースを観た時、ふたりの子どもたちは、痛みや苦しみを感じる間もなく亡くなったのだろうか、
それとも、痛い痛いと言って、苦しんだのだろうか、
全身のやけどという、この世で一番痛みがきつい怪我を負い、子どもの生還だけを頼りに頑張った母親が、
我が子の死を知った時の悲しみの深さは、いったいどれほどのものであったろうかと、
自分なりに、この事故の経過を追っていたことを思い出しました。

その事故に、こんな惨たらしい、汚らしい思惑が絡んでいたなんて、全く知らずにいましたが、
今のわたしには、心から納得できる、行政と自衛隊の対応です。

わたしたちは、いつまでのんびりしているつもりなんでしょうか。
自分が、あるいは自分の家族が、友人が、命や暮らしを根こそぎ奪われなければ、実際にその目に遭わなければ、
我が事のように思えず、だから知らなかった、聞かなかった、見なかったことにして、
本当はこれまで通りの暮らしが続けられるかどうかちょっと心配だけども、それを口に出すと面倒なことになりそうなので黙りこくって、
これまで通りの暮らしを、だってしょうがないんだからと言い訳をしながら、これからも続けていくつもりなんでしょうか。

当事者になってから慌てても、遅いんです。
当事者になってしまったら、生きることだけで精一杯になってしまうんです。
当事者は、自分の身に起こったことを受け止めるだけで、いっぱいいっぱいなんです。

それでも当事者は、当事者だからこそ、叫ばなければなりません。
引っ込んでいてはいけません。
自分が受けた不条理や痛み、苦しみ、悲しみを、声を振りしぼって、外に伝えなければなりません。
その声を受け取るわたしたち非当事者は、だからこそ、我が事のように感じ、捉えていなければなりません。
そしてその声を、水面に広がる輪のように、どんどんと広めていって、国全体の叫びにしなければなりません。


転載されていただきます。

↓以下、転載はじめ

1977年に起きた、米軍機墜落事故。

この事故で子を失い、ご自身も大やけどを負いながら、一時は回復されたものの、
精神的なダメージから亡くなった、母親のお父様が描かれた本があります。
『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』http://www.amazon.co.jp/dp/4822807568/



<横浜でおきた、あの事件を思い出した~横須賀米軍ヘリ墜落事故にあたり>



明日は、あなたとあなたの子供かもしれない。

35年前、横浜市緑区(現在は青葉区青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)に、アメリカ軍の戦闘機「ファントム」が墜落した。

全長19メートル、重量26トンの機体は、ジェット燃料がほぼ満載の状態で住宅地に突っ込み、
付近の住宅地20戸を豪炎で襲い、そこに住んでいた3歳と1歳の子供、そして母親はじめ住民9人が、炎に包まれた。

子供は、その翌日すぐに亡くなり、母親は、数十回の皮膚移植手術を受けながら回復したが、
精神的ショックから立ち直れず、半ば強制的に、精神病院に収容され、4年後に亡くなった。


二人のパイロットは、パラシュートで脱出し無事。
陸自のヘリは、燃えさかる阿鼻叫喚の現場を素通りし、無傷のパイロットを収容し、厚木基地へ帰還、二度と戻ってこなかったそうだ。
米軍は、墜落1時間後に現場を封鎖、エンジンなどを回収。
作業にあたる兵士は、カメラに向かってピースサインを出して、記念撮影をしていた
という。

1985年、港の見える丘公園に、犠牲者をモデルとした「愛の母子像」という、ブロンズ像が設置されたが、
行政側は、その碑文に関して、事故の概要を載せることをよしとせず、碑文が設置されるまで、21年の歳月がかかったという。

この話は、早乙女勝元氏により、「パパ ママ バイバイ」という本として出版された。
私は、たまたま家にあったその本を読んだ。

今日、横須賀で墜落した(不時着と言われているようだが)ヘリコプターのニュースを聞き、私が小学生のときの記憶が、いきなり蘇った。

沖縄も含め、常に、私たちは「そのなか」に生きている。
ただ、沖縄ほど、リアリティをもって感じていないだけだ。

このように繰り返される事実に対して、「民間機だって同じだろ」「基地はいらないというのか」という議論をする必要があるのだろうか。

いま、この国が、気が狂ったようにめざす方向に対して、彼らは、忘却の彼方に忘れ去られてしまっていいものなのだろうか。

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人として、大人として、日本人として、

2013年12月15日 | 日本とわたし
チェルノブイリ事故が起こった時、わたしはお腹の中には、長男くんが育ってた。
妊娠がわかって間もなくのことやった。
ニュースで、事故の悲惨な様子や、強制避難を余儀なくされた人たちの、背中を丸めて歩く姿を、
ああ、わたしもこの子も、日本でよかったと、しみじみと感謝しながら観てた。

日本なら大丈夫。
安心で安全で、万が一事故が起こっても、あんなふうにはなるまい。

ああ、わたしはなんと、お気楽な母親やったことか。

それにしても、この人でなしっぷりは、想像の域をはるかに超えている。
そしてそれは、全く許されるべきものではないことやのに、日本国民と呼ばれる人たちは、
もう2年と9ヵ月もの間、許してるか、許すとか許さないとか考えることも面倒で、あるいは忙し過ぎるからという理由で放置してる。
一部の怒れる国民を除いて。

人道という観点からいうと、酷いことで有名な国が数カ国あるけれども、
今や日本は世界一!

ウソ八百並べた人間にまんまと騙されて(騙されてない、自発的に選んだと言いたい人もいるやろう)、原発ホイホイの自民党を返り咲きさせ、
それまでも充分見捨てられてた被災地の子供は、その様子をいったい、どんな気持ちで見つめてたのか。

もうこれ以上、子供たちを悲しませるのはやめよう。
もうこれ以上、子供たちを苦しませるのはやめよう。
自分のできること、それをしよう。

きーこさんが文字起こししてくださった、鎌仲監督の言葉です。
↓以下、転載はじめ

<チェルノブイリ事故27年の体験>保養所に行きビックリした200人の官僚たちは日本に戻ってきて何か言ったのか?
12/4鎌仲ひと­みさん(文字起こし)


2013年12月4日 参議院議員会館
子どもの安全な場所での教育を求める ふくしま集団疎開裁判 記者会見



文字起こし部分のYoutube→http://youtu.be/3qYP47HRpfo?t=2h19m1s

鎌仲ひと­み(映像作家):

みなさんお疲れ様です、鎌仲です。
今日は、資料の変わりに、チラシを持ってきました。



今回は、この映画の中で、ベラルーシを取材しておりまして、
それで2回にわたって、2012年と2013年にそれぞれ1ヶ月ぐらい、ゴメリ州を中心にして取材をしてきました。
その結果、今日の記者会見で、是非申し上げたい事があるという事で参りました。



先程みなさんがおっしゃってらした、
日本には、土壌をきちんと実測した放射能汚染地図がないという事なんですね。
ですから、汚染の広がりがどれ位のものになっているのか?という事が、
国民に広く、そしてしかも、汚染地に住んでいる当事者自身に、知らされていないという問題点があります。




これが、ゴメリ州の汚染地図で、ベラルーシが、国の科学者の総力を挙げて、
全国の汚染地図を、1986年から75年間分、作っています。
放射線核種が、それぞれ年月にしたがって、どれ位減衰していくのかという事を、単純に計算したものなんですけれども、
これが教育のある無しに関わらず、見れば、
「自分がどこに住んでいて、どれ位の汚染のところに今いるのか」ということが、一目瞭然になるんですね。
これを基本として、ありとあらゆる放射線防護の対策を立てている、これがベースだと。
まずこれを持たなければ、対策は立てられないんだよ」という事をおっしゃっていました。

それはですね、今、日本政府はつくっていないんですね。
作る気もないらしいです。

それで、刻一刻と、いま除染をしている訳ですけれども、
一方でベラルーシも取材していますが、福島にも行っています。
そうすると、除染をしているので、その線量が下がっているところもあるんですね。
そうするとですね、これは、ベラルーシの移住に関する基準を、ザクっと書いてあるんですけれども、

移住に関する基準 ベラルーシ

無人ゾーン
1986年に住民が避難した、チェルノブイリ原発に隣接する地域

移住義務(第1次移住)ゾーン
Cs137、St90、Pulによる土壌汚染密度が、
それぞれ1480、111、3.7kBq/㎡以上(40,3.0.1Ci/k㎡以上)の地域

移住(第2次移住)ゾーン
Cs137、St90、Pulによる土壌汚染密度が、
それぞれ555~1480、74~111、1.85~3.7kBq/㎡(15~40、2~3、0.0.5~0.1Ci/k㎡)の地域
年間の被曝量は、5mSvを越える可能性がある

移住権利ゾーン
Cs137、St90、Pulによる土壌汚染密度が、
それぞれ185~555、18.5~74、0.37~1.85kBq/㎡
(5~15、0.5~2、0.01~0.05Ci/k㎡)の地域
年間の被ばく量は、1mSvを越える可能性がある

定期的放射能管理ゾーン
Cs137による土壌汚染密度が37~185kBq/㎡(1~5Ci/k㎡)の地域。
年間の被ばく量は、0.1mSvを超えない



ウクライナもベラルーシも、
1ミリシーベルトの空間線量から5ミリシーベルトを超える可能性があるところに関しては、移住権利ゾーンという事にしていて、
5ミリ以上の空間線量がある場合は移住ゾーンと、単純に日本に伝えられていますけれども、
でもそれはこういうふうにですね、3つの要件を合わせて判断する、という事にしています。


被ばく量の考え方

3つの要件を合わせて判断する
1.土壌汚染
2.空間放射線量
3.内部被ばく量


一定の土地に住んでいる住民を観察し、
ホールボディカウンターによる内部被ばく量の検査を、定期的に行い、
上の三つの要件を合わせて、年間5mSvを超えると判断されたら、強制移住、あるいは移住推奨がなされる。

内部被ばく量に関しては、
子どもは20Bq/kg、大人は70Bq/kgを超えない方がいい、と考えられている。


一つは土壌汚染、そして空間放射線量、そして内部被ばく量なんですね。
これは、非常に流動的なデータです。
ですから観察をして、そしてどうもこれは1ミリシーベルト以上の被ばくをしてしまうな、年間。
5ミリ以上の被ばくをしてしまうな、年間。
なんかそこらへんにあるもので、一番リーズナブルに食べ物を食べて生活をしている一般の住民が
やっぱりこれだけの被ばくをしてしまうのであれば、移住しなければいけないんじゃないかという判断をですね、
やっぱり関係省庁が、とか関係の人達が、きちんと住民に勧告する、というシステムをつくっている訳なんですね。

日本にもこれは必須だ、と思います。

で、子どもは20Bq/kg、大人は70Bq/kgを超えない方がいい、と考えられていますが、
どうもですね、私が2012年に行った時には、私の内部被ばくはゼロだったんですね。
検出されませんでした。
2013年、9か月後に行った時には、20Bq/kgになっておりまして
私は非常に気を付けて暮らしているんです。
だけれども、それ位になってしまっているとすれば、
ま、それは、ベラルーシに行ったら、ベラルーシの物を食べていますけれど、
福島に行ったら福島のものも、出してくれらら食べずざるを得ないんですけれども、
でもこれはまんべんなく日本中に、やはり、外食産業の中に入り込んでいる可能性がある、と考えた方がいいですね。



それで、例えば中国が、輸入規制をしている日本の食品の放射線計測データというのを最近みますと、
やはり結構海産物がですね、冷凍物のものが、100を超えています
それは、日本の中でも出回っているんじゃないか?と、私は思っているんですね。

それでやはり、私が福島に通うたびに思うのは、
もうとにかく風化をしてしまって、「危険だ」という様な事は言わない方がいいと。
で、すごく、福島産のものも安全だし、規制値以内だから食べてもいいし、
空間線量も下がっているんだから、ここにずっと住んでていいんだ。
という声が、非常に大きい
んですね。

これは単にそれを言う人達だけに罪があるというよりは、
もちろんそれを言ってきた人にはすごい重大な責任があると思いますけれども、
でももうすでに定着させられてしまっている福島の人達は、
「自分たちがずっとここに住みたい!」っていう人達がすごく多いんですね。


ですから、私の提案としては、この『小さき声のカノン』という映画をつくっているんですけど、
1カ月に1回、鎌レポというのを出していますが
その1回目で、300km~600km、チェルノブイリ原発から離れた地点に住んでいる人々が、
いま、特に女性を中心にして、甲状腺障害、橋本病とか機能障害とか、線種とか腫瘍がですね、いますごく出ている
んですね。

これに関しましては、この担当しているお医者さんは、この女性は29歳で、腫瘍がすでにあるんですね。
でも、事故の時は3歳だったんです。



こういう感じで出てきているので、小児だけではなく、全人口の甲状腺癌というのは、
ガーーッと、小児甲状腺がんのピークが下がっても増え続けまして、いま高止まりをしています。
そしてそれは、広く認識されている考え方では、2086年、つまり100年、この状態が続くだろう
それは、小児甲状腺がんだけじゃないですね。
つまり、今27年経って、事故当時児童だった子どもたちが、ゆくゆくは、やがてすごいリスクを出してくる

それは、津波のように、まず第1波があり、第2波があり第3波があるように、
年齢ごとに、ちょっと時間差であらわれてくるという事が、すでに27年の体験の中から出てきているんですね。



たとえばウクライナではですね、この子はお父さんが、11歳の時に、30km圏内から3日目に避難したんですけれども、
100km離れたキエフで出会った女性と、結婚して生まれた子どもがですね、目と耳に障害があります。

そうすると、その障害を発見したお医者さんはすぐに、「これはチェルノブイリのせいだ」と断定しました。
そしてそれは認められて、ちゃんと医療補償をもらっているんですね。



で、やっぱり、免疫低下とか慢性疾患がすごく増えています
2代目3代目に増えているんですね。



だから、子どもたちの内部被ばく量を下げるためにも、未だに、27年経った今でも
この子なんか、15年経ってから生まれているんですけれども、保養を受けています



こういう保養施設が、50か所以上ベラルーシにあって、
毎年、4万5000人の子どもたちが、最低24日以上の保養を無料で受けています。
3歳から18歳まで無料です。

で、この持っているカルテに、何をしなさい、あれをしなさいというプログラムが書いてあって、
ひとりひとり自分のプログラムを持って、ここで過ごして、そして健康を維持するっていう事を、国家予算でやっているんですね。

で、日本とベラルーシは、2国間協定を去年結びまして、今年、初めての実務会議を、7月にやりました
私が「取材させてくれ」って言ったら、外務省は「ダメだ」と言って、取材させてくれなかったんですけど、
後で聞いたところによりますと、この保養所で国際会議をやった
そこに200人の、厚生労働省とか、環境省とか総務省とか、日本の官僚たちが来て
「すごいビックリしてた」って通訳の子が言うんですよ。
そこの通訳の子が、私の取材をずっとしてくれていたので、ま、1日だけ、その会議に貸し出したんですね。
そして帰ってきて、「すっごい、日本人がビックリしてた」て言うんですが、
その200人の官僚たちは、日本に戻ってきて、
「こんなことをベラルーシがやっていた」と、「私たちは見習わなければいけない」と言ったのか?


言ってないんですよ
私はこれを、すごく広めたいと思っています。

だから、この4つを、私は提案したいんですけれども、

・福島の子どもたちに甲状腺検査を実施しているが、福島の子どもたちだけではだめ。
茨城や群馬、東京など、首都圏や宮城県も含めた地域で、検査を受けられるようにすべき。

・甲状腺エコー検査とともに、血液検査や、ホールボディカウンターによる内部被ばく量検査などを、合わせて行うべき。

・東京大学の児玉龍彦先生は、放射線由来の甲状腺がん独特の、ゲノム異常があることを言及。
ゲノムの修復が3本になる特徴があり、
放射能汚染地域以外で起きた小児甲状腺がんには、この3本の過剰修復がない。
むげに放射能由来ではないと否定するのではなく、きちんと調べるべき。

・ベラルーシやウクライナでは、原発事故収束作業員の健康検査を全員、登録して続けている。
日本もそうするべき。



ベラルーシやウクライナでは、原発事故作業員の健康検査を、全員登録して今も続けているんです。
全ての人のカルテが、80万人分のカルテが、今もあります



だから、この子たちは、首都圏の子たちなんですけど、セシウムがオシッコから出てるし、



先程の方が、ここで匿名でお話しされた、その方がここで証言されたことが、全部起きています。
これはやっぱり、子供最優先で、そこに定住しようと決めた親がいたとしてもですね、
意識のある親も、意識のない親の子も、等しく保養や疎開ができる仕組みを、一刻も早くつくらないと
日本のすごく広範囲にわたって、子どもたちの健康がこれからますます悪くなっていく、というふうに危惧しています。

終わります。


質問
2:45:40

Q:
子どもたちの保養する先なんですけど、私たちが行っている保養との違いを教えていただきたい。
ベラルーシで行っている保養システムとの違い。

鎌仲:
日本の場合はなんかこう…短いんですよね。
この保養所は、2012年には取材が出来なくて、2013年に、駐日の在ベラルーシ大使が代わったんです。
で、新しい大使にお願いしたら、彼は科学者で、科学アカデミーの会員で、
10日ではダメだ。
24日、そうやって隔離されなければ、身体の中から放射性物質を出し切ることができない
それは、本当に長い試行錯誤で出てきた結論なので、
保養は24日以上というのが必須である。

あと、食べるものに関しても、ミネラルが豊富であるとか、
全てストロンチウムまで検査してクリーンなものを24日間必ず通しで食べさせるということ。
水も、ものすごくいいものを使っていて、
検査しまくって、環境が確保されたところに、健康増進を目的としてプログラムを組んでいると。
それは何故かというと、この27年間で、
子ども達の健康が、事故前から、総合的にものすごく損なわれているという認識を、国家が持っている
から。
もしそれをやらなかったら、4万5000人にケアをしなかったら、子どもたちの健康状態は下がっていく一方だからやっているわけで、
その、子どもたちの一人一人が、何らかのちょっとした慢性病を抱えてしまっているわけです、複数の
それに対応する療法をやっているんですけど、
それは、絶対化学薬品を使わない、自然療法でやっている。
だから、物理的にマッサージをしたり、温熱療法をしたり、あるいはプールの中で歩かせたりという、
症状に応じた、彼らがあみ出した、自然の健康増進法を適用して、24日間一人一人に合わせてケアをするという、それが保養なんですよ。

でも日本の場合は、ちょっとストレス解消に行きましょうとか、気分転換に行きましょう。
でも、それでも私は、短期であれば、精神的なプラス面はあると思うんですけれど、
でも本来のベラルーシがやっている保養というのは、もっともっと、毎時的に、子どもたちの健康にアプローチすることなんですね。


Q:
いま、4万5000という数字が出たんですけれども、それは何の数字ですか?

鎌仲:
毎年、それだけの子どもが、保養を受けているという事です。
でも、それにプラスして、実は海外にも沢山出ているので、最低国家が補償しているのが、年間4万5000人だということです。
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「歪んだ真実『ICRP物語』を元に原子力政策を推進。国民はこの催眠術から覚めなければならない!」

2013年12月15日 | 日本とわたし
市民のためのがん治療の会に掲載されていた、西尾正道医師の記事を紹介させていただきます。

福島健康被害、ICRP等国際機関基準で判断して良いか
『低線量放射線被ばく―福島の子どもの甲状腺を含む健康影響について」(1)』
(独) 国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 西尾正道
 
福島第1原発事故後2年以上経過したが、なお今後の健康影響については、科学的な議論がなされていない。
『絆』が強調され、風評被害を抑える事や、地域再生だけを目的とした姿勢で、対策が進められている。
健康被害に関する知見は、基本的に、原子力政策を推進する立場で作られた、ICRP(国際放射線防護委員会)報告の情報で操作されている。
医療関係者の教科書も、事故後配布された学生向けの副読本も、ICRP報告の内容で書かれている。
本稿では、広島・長崎の原爆の調査データを基に、60年以上前に作られたICRPの健康被害の内容を、
最近の知見も加えて見直し、放射線の人体への影響について、根源的な視点で考えてみる。
また、40年間、小線源治療に携わってきた放射線治療医の実感から、内部被ばくや甲状腺の問題、そして今後の課題について報告する。
(西尾 正道)

なお、本稿は、全国保険医団体連合会『月刊保団連』臨時増刊号1125,2013.5.31に掲載されたものを、
同会のご厚意により、転載させていただきました。
ご協力に深謝いたします。
長文ですので、3週に分けて、連載させていただきます。(會田)

1. 放射線の基礎知識
放射線は、波長を持った電磁波と粒子線の二つに、大きく分けることができる。
紫外線以上の、波長の短いX線やγ線は、人体に当たれば電離作用があり、狭義の放射線(光子線)とされている。
また粒子線は、花粉よりずっと小さな粒子で、質量を持っているため、遠くには飛ばず、また、簡単な遮蔽物でブロックされる。
粒子線の典型的なものは、α線、β線で、体内ではα線は40μm(ミクロン)、β線はエネルギーによる違いはあるが、1mm~2cm程度しか飛ばない。
 
放射線の人体影響は、被ばく形態により異なる。
まず、外部被ばくと内部被ばくである。
外部被ばくでは、X線やγ線は、一回突き抜けて終わりだ。
医療用の使い捨ての注射器などは、20、000Gyの放射線を照射して滅菌し、使われている。
また、ジャガイモは、発芽防止のために、150Gy照射されたものを食べているが、これらの物に、放射線は残留していない
しかし、α線やβ線を出す放射性物質が、吸人・食事・創傷等より体内に入って、体内で被ばくする場合は、残留するし、継続的に被ばくすることとなる。
図1に、外部被ばくと内部被ばくの違いを示す。
 
被ばくの影響の時間的因子として、急性被ばくか慢性被ばくかにより異なるが、この線量率効果についてはよく解かっていない。
例えて言えば、お酒一升を一晩で飲むか、一ヵ月で飲むかの違いである。
また、被ばくした範囲では、全身被ばくか局所被ばくかが問題となる。
10Gy(X線では=10Sv)の線量を、全身被ばくしたら死亡するが、放射線治療では、病巣局所に、標準的に60Gy前後を照射するが、命取りにはならない。
今回の事故による被ばくは、慢性的な全身被ばくで、外部被ばくも内部被ばくも含んだ被ばくとなる。

図1 外部被ばくと内部被ばくの違い



2. ICRPが根拠としている原爆被害分析の問題点

現在の、放射線健康被害に関するICRPの根拠は、広島・長崎の原爆の、急性被ばくのデータである。
しかし、「被爆者」の定義が、爆心地から2Km以内の人とされたため、2km以上離れた人(この地点での推定被ばく線量が約100mSv)を比較対照としたものである。
そのため、原爆の被害は過小評価となり、また、2Km以遠の100mSv以下の人達は、きちんとした調査がされていない。
為政者は、「100mSv以下では発がんはない」と強調しているが、
国際的にもコンセンサスとなっている、「しきい値なしの直線仮説」の立場から言えば、
「100mSv以下は、調査していないから分からない」と言うのが正しい言い方である。
図2に「しきい値なしの直線仮説」の概念図を示すが、点線部分は不明、というだけなのである。

図2 放射線によるがんの発生率(しきい値なしの直線仮説)


ICRPの基本的な姿勢は、低線量であれば、傷ついた遺伝子は修復されるため、発がんはないとし、その閥値は100mSvと主張していたが、
100mSv以下の低線量でも発がんする、という多くの報告を受け、ICRP2007年勧告においては、1Svで5.5%の過剰発がんがある、としている
この直線仮説で考えれば、1億人が20mSv被ばくした場合は、11万人の過剰発がんが出ることになる。
 
しかし、放影研から発表された50年余の追跡調査の論文 (Radiation Research. 177:229-243、2012.)では、
被爆による発がんリスクは、ICRPの報告より、1桁多い被害が報告されている

 
放射線防護の原則は、確定的影響は起こさないことであり、低線量被ばくで生じる確率的影響は、社会全体で許容できる低い確率に抑えることである。
そのため、確率的影響は、医学的な概念ではなく、極めて社会的概念なのである。


3. 年間線量限度の根拠と国際機関の見解の相違
 
放射線の人体影響に関する報告は、ICRP勧告が国際的に採用され、わが国もこの勧告に洽って、法体系が作られている。
一方、チェルノブイリ事故で被害をこうむった欧州の環境派グループが中心となり、1997年に立ち上げたのが、ECRR(欧州放射線リスク委員会)である。
この科学者・専門家達は、疫学的な実態を重視し、ICRPのリスクモデルを再検討し、慢性被ばくや内部被ばくも考慮する立場である。
表1に、ICRPとECRRの違いを示すが、こうした立場の違いで、
今回の福島原発事故による、今後50年間の過剰発がん者予測において、
ICRPは6,158人 としているが、ECRRは原発から200km 圏内の汚染地域で、417,000件と予測している。

表1 ICRPとECRRの違い



4.『100mSv以下は安全』の嘘
 
100mSv以下でも健康障害が報告されているが、
国際的に権威を持っているICRPは、これらの報告に対して、科学的な根拠がないため、反論することもできずに無視する、という姿勢をとっている。

100mSV以下の被ばくでの発がん報告を、少し紹介する。
医療被ばくでも発がんが増加するとする、代表的な論文が出ている。
2004年に、CT等の放射線診断で、日本のがんの3.2%が、放射線診断によるものとの報告である。

また、モントリオールのマギール大学チームの論文(Eisenberg、et al: CMAJ 23:2160-9,2010.)では、
心筋梗塞になって、血管造影やCT等のX線を用いた検査・治療を受けた患者82、861名を追跡した結果、
12、020名にがんが発生
した、という調査より、10mSv増すごとに3%ずつ発がん率が高くなる、というデータを報告している(図3)。

図3 低線量X線被曝と発がんリスク


さらに、CT検査を受けた子供では、50mSvの線量で、有意に白血病と脳腫傷が増加し、約3倍になると報告(Pearce、et al: Lancet 380:499-505,2012.)されている。
 
また、15カ国の原子力施設労働者、407,391人の追跡調査の報告(E Cardis、et al : BMJ、 2005.6.29)では、
労働者の被ばく線量は、集団の90%は50mSv以下で、個人の被ばく累積線量の平均は19.4mSVであったが、
1Sv被ばくすると、白血病のリスクが約3倍となり、100mSv被ばくすると、白血病を除く全がん死のリスクが9.7%増加し、
慢性リンパ性白血病を除く白血病で死亡するリスクは、19%増加すると報告されている。
 
また、原爆披爆者とチェルノブイリの被ばく者と原発労働者の、合計407、000人を比較したデータ(Occup Environ Med. 66(12):789-96,2009.)では、
同じ線量を一度に浴びても、慢性的に浴びても、被ばく線量が同じであれば、
むしろ、長い期間だらだら被ばくしている方が、発がん率は高いと報告されている(図4)。

図4 原爆披爆者とチェルノブイリの被ばく者と原発労働者のERR


日本の原発労働者に関する調査結果も、2010年に放射線影響協会がまとめ、ホームページ(http://www.rea.or.jp/ire/gaiyo)で公開している。
このデータでは、日本の原発労働者20万3千人の、平均累積被ばく線量は13.3mSvであるが、
10mSvの被ばくの増加で、全がんの腫傷が4%えている。
個別にみると、肝臓がんが13%、肺癌が8%えていた。
この不都合な真実を、原発労働者は酒飲みや喫煙者が多いため、と説明しているが、
実際に原発労働者は、一般人との比較でも、喫煙率も飲酒歴も同程度である。



5. チェルノブイリ原発事故の教訓から
 
チェルノブイリ事故での小児甲状腺がんの増加は、事故後10年経過した1996年に、IAEAは認めざるを得なくなったが、それ以外の健康被害は否定している。
しかし、最近の多くの報告で、深刻な健康被害の実態が明らかとなってきた。 
「衆議院チェルノブイリ原子力発電所事故等調査議員団」が、Dr.Olha V. Horishna著『チェルノブイリの長い影~チェルノブイリ核事故の健康被害~』を報告書として提出したが、その内容は深刻である。
そこでは、高度汚染ほど、子供の染色体異常誘発因子の割合が増加していることや、
1987~2004の比較で、
・小児の新生物または腫瘍は、8倍以上増加 、
・小児の行動障害、及び精神障害は、およそ2倍、
・小児の泌尿器系、生殖器系の罹患率は、ほぼ7倍、
・先天性異常は、およそ5倍、
と報告されている。

さらにウクライナでは、毎年2000人を超える新生児が、心臓異常もしくは胸部異常で死亡しているとされ、
多指症、臓器奇形、四肢の欠損または変形、発育不全と関節拘縮症が、事故前より有意に増加している。
 
ソビエト連邦からウクライナが独立したことにより明らかにされた、ウクライナ政府報告書をもとに書かれた「チェルノブイリ原発事故・ 汚染地帯からの報告-チェルノブイリ26年後の健康被害」(2012年9月, NHK出版)でも、慢性疾患の増加が報告され、
事故後に生まれた子供の78%が、慢性疾患に苦しんでいるという(図5)。

図5 被曝した親から生まれた世代の健康な子供と慢性疾患を持つ子供の割合


そして、チェルノブイリ事故の健康被害に関する、調査報告の決定版とも言えるものは、
「Chernobyl - Consequences of the Catastrophe for People and the Enviroment (チェルノブイリ─大惨事が人々と 環境におよぼした影響)」で、
2010年10月に、ニューヨーク科学アカデミーより出版されたが、福島原発事故後まもなく絶版とされた、いわくつきの本である。
しかし関係各位の努力により、チェルノブイリ事故の起こった4月26日に翻訳され、「チェルノブイリ被害の全貌」(岩波書店)と題して出版された。
このヤブロコフら3人で著した報告書は、英訳されていない現地の論文約5000編や、病歴を参考として詳細な分析を行って書かれたものであり、
約300編の英訳された論文のみを参考としているICRP・IAEAの分析資料とは、比較できない労作である。
そこでも、現在汚染地域においては、健康な子供は20%に満たないと言う。
また、IAEAでは4000人死亡としているが、1986-2004年の期間に、医学データをもとに分析すると、98.5万人が死亡し、
その他に、奇形・知的障害が多発していることも報告している。
著者の一人であるヤブロコフは、「健康被害は多種多様で、がんはその十分の一にすぎない」とも述べている。
 
がんだけではなく、先天障害の発生や、他の疾患の増加も報告されている。
最近出た論文(Kar1 Sperling, et al:Genetic Epidemiology 38:48-55,2012.)では、西ベルリンやベラルーシュでは、事故後と次の年(1987年)には、
5mSv以下の被ばくでも、ダウン症候群の出生が非常に増えているとし、
100mSv以下では先天障害児は生まれないとする、IAEAの見解とはかけ離れた現実を報告している。


6. 甲状腺がんの問題について
 
セシウムはカリウムと類似した体内勤態であり、心筋も含め筋肉など、ほぼ全臓器に取り込まれる。
子供の場合は、甲状腺にも多く取り込まれる(図6)。

図6  病理解剖各臓器別セシウム137の蓄積


事故後に設立されたゴメリ医科大学初代学長である、ユーリー・バンダジエフスキー(病理解剖学者)は、
解剖して得た臓器のCs-137蓄積量と、その心電図異常の関係も報告している。
体内にCs-137が38~74Bq/Kg蓄積していれば、8割以上に心電図に異常が出現し、
74Bq/Kgでは、9割近くが心電図に異常を認めている。

図7 セシウム137蓄積の度合いと心電図変化のない子どもの割合
【%,セシウム137体内蓄積線量(Bq/kg)】



物理学的半減期8日のヨウ素が消失している現在でも、甲状腺癌が増加している問題は、
低線量被ばくほど有害事象は遅れて発症するという、放射線の晩期有害事象の特徴の可能性と、
セシウム汚染が続く地域に住み続けていることによるものという可能性は否定できない。また、放射線は血管内皮細胞に作用することから、
循環器疾患を中心とした慢性疾患の増加も、汚染地域に住み続けていることが原因として考えられる。
チェルノブイリ事故の教訓から、甲状腺検査が開始されたが、
福島県民健康管理センターで超音波装置による甲状腺検査が開始され、現在まで3名の甲状腺癌(疑い症例も含め10名)が発見された。
また、40~50%の高いのう胞発生率が報告されている。

この結果の評価は、議論のあるところであるが、ここでは私見を述べる。
 
100mSv相当の内部被ばくでも、事故直後に行われたサーベイメーターによる甲状腺測定では、0.2μSv/h程度しか検出できず、
またSPEEDIのデータ隠蔽などにより、被ばく推定線量すら明確ではない。
チェルノブイリ事故と比べ、放出量は約1/6と少ないが、汚染範囲が狭く、実質的には同程度の汚染である。
県民健康管理センターの見解は、放射線ヨウ素100mSv(等価線量)以下では発癌は無いとし、
甲状腺検査の目的は、保護者の不安の解消や、現時点での甲状腺の状態を把握し、
今後、長期にわたる甲状腺がんの増加が無いことを、確認するための調査であるとしている。

 
放射性ヨウ素の取り込みは、甲状腺がんの発生に関与していることは、よく知られている。
山下俊一らのチェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトの調査報告(「放射線科学 42巻10号-12号,1999.」)では、
結節患者の細胞診で7%に甲状腺がんがあり、がん患者の半数以上が、周辺リンパ節転移や肺などへの遠隔転移も認め、
半減期の長いセシウム-137などによる、慢性持続性低線量被ばくにより、
将来的には、青年から成人の甲状腺がんの増加や、他の乳がんや肺がんの発生頻度増加が懸念される
、と述べている。
山下俊一らの最終的なチェルノブイリの20万人の、子供達の大規模調査結果報告の論文(山下俊一:日本臨床内科医会会誌 23巻5号,2009.)の要旨を表2に示すが、
ここでは10~100mSvの間でも発がんは起こると、現在の姿勢とは異なる記載が見られる。

表2 チェルノブイリの20万人の子供達の大規模調査結果の論文要旨


通常の臨床では、3mm程度で所見として採用し、診療録に記録として記載し、1mm程度ののう胞は無視しているのが現状である。
しかし、福島県の健康管理センターの検診においては、1mm以上ののう胞までも検出率に加えているため、超高率となっている。
しかも、超音波検査の経験の少ない臨床検査技師を、掻き集めて行っている検査体制では、
1mm程度ののう胞は血管の断面と間違うこともあり、精度の高い検査とは言い難い

   
チェルノブイリ調査では、のう胞は5mm以上を採用(当時の検査機器の画像解像度が粗いため) しており、
その基準で結節も含め比較すると、
チェルノブイリ(事故10年後)では、5mm以上ののう胞:0.5%、5mm以上の結節:0.5%であり、
福島では1年後の検査で、5mm以上ののう胞:2.5%、5mm以上の結節:0.5%である。
のう胞発生率は、1年後にもかかわらず、となっている。
1年後と10年後の比較でもあり、最終的には経過を見て判断する必要がある。
ただ、チェルノブイリ地域の子供達の調査結果(のう胞:0.5%)や、非汚染地域の長崎県の子供達の検査結果(のう胞:0.8%)と比べて、極めて高い検出率となっている。
高いのう胞保有率に関しては、医学雑誌(Masahiro Ito, et al: Thyroid 5: 365-368, 1995.)に報告がある。
1993~1994年に検査を行った、ゴメリより放射能汚染が少ないモギレフ地域(12285名)では、
がんの発生は0%で、直径5ミリ以上のう胞発生率は0.16%であったが、
ゴメリ地域では、がんの発生は0.24%で、のう胞発生率は1.19%であった、と報告されている。

また、頸部周辺に、治療のため放射線照射歴のある患者の、甲状腺の切除標本の報告(Valdiserri RO, et al:Arch Pathol Lab Med. 1980 Mar;104(3):150-152,1980.)では、80%にのう胞形成が見られたが、
メイヨ・クリニックの剖検1000例中、甲状腺疾患歴や放射線照射歴のない症例では、15.6%であったという報告(Mortensen JD, et al:J Clin Endocrinol Metab. 15:1270-80,1955.)がある。
 
これらの報告から、放射線被ばくが多いほど、のう胞が多くなる可能性が示唆されており、
また5ミリ以上ののう胞から、1割程度は甲状腺がんが発生する、とも言われており、注意していく必要がある。
 
超音波検査の他の問題点としては、結節とのう胞のみの所見を拾い上げているだけの、単純な評価となっていることである。
超音波検査では、術者がリアルタイムで、プローブを動かして診断することが重要であり、
のう胞や結節の境界の形状不整や、境界不明瞭の低エコー腫瘤、 随伴する石灰化(微細~粗大)の有無や、内部に貫通する血流の有無などを判断して、総合的に診断するのが一般的であるが、
臨床検査技師によって行っているため、説明もせず、画像も渡さないので、不信感をつのらせるものとなっている。
また、調査研究として行われていても、「研究同意書」も貰わずに行っており、倫理規定違反の状態でもある。
こうした現状に対して、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」は2012年7月20日付けで、
抗議と要請文を小宮山厚労省大臣(当時)、福島県知事、山下俊一(福島県民健康管理センター長)の3者に提出したが、
その要請内容の主なものは、以下の諸点である。

① 超音波画像等の検査結果を被験者本人または保護者に渡すこと
② 全国の他施設でも甲状腺の検査を行えること(被ばく者の定義が必要)
③ 甲状腺超音波検査を低放射線汚染地域の子供達に実施し比較することすること
④ 医師法21条では診療録以外の画像資料は2年間の保存義務であるが、本検査の画像は50年間の保存とすること
⑤ 全国の甲状腺専門医による検査体制をつくり、全国の他施設でも甲状腺の検査が行えること(被ばく者の定義が必要)
⑥ 所見のあった被験者は年一回の検査をすること
⑦ 移住・転居しても検査の継続性を担保すること
などである。
 
福島県立医大の鈴木真一は、
「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見。今の調査はもともとあった甲状腺がんを把握している」と述べ、放射線の影響を否定した。
1990年以前は、十分な検査が行われていなかったことも考慮すべきである。
しかし、臨床症状を呈して診断された小児甲状腺がんは、非常に稀であるが、
検診で、1万人に1人の頻度でがんが発見されても不思議ではなく、今後の経過を見ていくしかない。
移住・疎開している人々や、将来福島県外で生活する人々の事を考慮し、今後は全国の甲状腺専門医も関わった検査体制が必要である。


7.避難基準の問題
 
病院内の放射線管理区域の境界は、1.3mSv/3月間(年間5.2mSv)を超えてはならず、放射線障害防止法や電離則や医療法で規制されている。
空間線量率で言えば0.6μSv/hとなる。
しかし現在、為政者は、一般公衆の被曝限度を20倍に引き上げ、福島住民に強いている。
年間20mSvとは、内部被ばくは除外しても2.28μSv/hとなり、管理区域の3.8倍の線量となる。
放射線管理区域では、18歳未満の作業禁止(労働基準法)や、飲食の禁止(医療法)が定められており、国が法律違反をしている異常な状態である。
表3に、チェルノブイリと日本の避難基準の比較を示す。
日本政府は、20mSv未満の地域に住まわせている。
チェルノブイリでは、5mSv以上の地域は全員強制避難で、1~5mSvの地域は住んでも移住してもよいとし、本人に選択を認める移住権利ゾーンとしている。


表3 チェルノブイリと日本の避難基準の比較


また、チェルノブイリでの5mSvの考え方は、外部被ばくで3mSv、内部被ばくで2mSvと考え、合計5mSvとしているが、
日本では、外部被ばくだけの数値である。
 
英国(症例2万7千名 対 対照3万7千名)より、
自然放射線で5mSvを越えると、1mSvにつき小児白血病リスクが12%有意に増加するという報告(Kendall GM. et al. : 2013 Jan;27(1):3-9. doi: 10.1038/leu.2012.151. Epub 2012 Jun 5.)も見られる。
その他に、555kBq/m2以上の汚染地域では、10年後に乳癌の多発や、呼吸機能の低下、老化の進行などが報告されており、
日本もせめて、チェルノブイリに準じた対応をすべきである。



8. 食品汚染の問題について
 
チェルノブイリ事故後に、ヨーロツパからの輸入食品が汚染されていたことがわかり、輸人食品は370Bq/Kgに規制された。
しかし、事故直後に政府は、それを上回る暫定規制値を作った。
国際法では、原発からの排水基準は90Bq/Kgであるが、暫定規制値においては、2倍以上の放射性物質を含んだ水を飲料水とさせていた
セシウムの新規制値では、一般食品は100Bq/Kg、牛乳や乳児用食品は50Bq/Kgとされているが、
他の核種に関しては放置していることも問題である。

図8 食品中の放射性セシウムの規制値(単位:Bq/Kg)


規制値ぎりぎりの牛乳を、毎日200ml飲めば、毎日10Bq摂取することになり、1年程すれば蓄積して約1400Bqとなる(図9)。

図9 Cs-137を経口摂取した場合の体内放射能の推移


もちろん、Cs-137の体内蓄積量は代謝により異なることから、一概には言えないが、
体重20Kgの子供であれば70Bq/Kgとなり、高率に心電図異常をきたしてもおかしくない値となる。
 
暫定規制値を定めた時には、農産物の作付土壌の汚染は5000Bq/m2 以下と規制したが、
新規制値を守るためには、作付土壌に関しても規制すべきであり、20mSvまでの地域に住まわせ生産活動を行っていれば、
規制値を上回る生産物が産地偽装され、全国に流通するリスクは避けられない
こととなる。
 
事故後に、ドイツのキール海洋研究所は、日本近海と将来の太平洋放射能汚染長期シュミレーションを公表し、
「海のチェルノブイリ」であり、人類的犯罪である、と断罪している。

空気中に出された放射能雲が運んだ放射性物質が、太平洋の海水を汚染し、また原発から海に排出された汚染水が、黒潮によって拡散する。
現在、東電敷地内に保管されている高濃度汚染水も、最終的には海に流出することから、
生物濃縮した海産物を食す人間の、内部被ばくも深刻なものとなる可能性がある
10年後には、アメリカ西海岸からアラスカの汚染度が高くなり、米国の漁民から日本に対して、将来損害賠償の訴訟を起こされる事態もあり得る
 
国土を除染しても、最終的に、汚染水は地下や河川へ流れ、海、魚介類へ、人へと引きつがれる。
自然界にある放射性物質は、物理的な半減期でしか減弱せず、Cs-137も放射能の強さは、60年経過しても1/4にしか減弱しない。
長い海洋汚染との闘いが始まっている。



9. 解明されていない低線量内部被ばくの課題
 
1950年に発足したICRPは、第一委員会が外部被ばく委員会、第二委員会が内部被ばく委員会だったが、1951年に内部被ばく委員会を潰した
この時に、初代の内部被ばく委員会委員長だったカール・モーガン氏は、
「原子力開発の光と影」(昭和堂, 2003年) という著作の中で、
ICRPは、原子力産業界の支配から白由ではない。この組織が、かつて待っていた崇高な立場を失いつつある理由が分かる」と書いている。

内部被ばく委員会から報告書が出れば、原子力労働者の被ばく問題が浮上し、原子力政策を進めることができなくなるからである。
この時点から、内部被ばくを隠蔽する歴史が始まったと言える。
 
内部被ばくの測定は、ホールボディカウンタによるものが一般的だが、対外からの測定では、γ線だけしか測定できない。
また、精度の高いホールボディカウンタでも、検出限界は250~300Bq/bodyであり、最高精度でも5Bq/Kgが検出限界である。
 
α線やβ線は、尿や爪や毛髪や歯などの生体試料を採取して、バイオアッセイ(生物検定)や、質量分析器により測定するしかない
非常に手間暇がかかり、高度な技術が必要であり、検体をフランスやドイツや米国に送っている。
また、染色体異常のチェックも望まれるが、全く行なわれていない
なお、尿の測定で、尿から1Bq出たら、体内には大雑把な計算ではあるが、100倍~200倍あるとされ、
ホールボディカウンタより、50~60倍の精度で測定が可能と言われている。
こうした測定をする姿勢もなく、測定検査体制の構築すら考えない日本の現状は、悲しい限りである。

後略

最後に
 
著者は、2013年2月1日に、為政者に要請書を提出したが、その内容要旨を表5に示す。
今後の被ばく医療体制は、診療報酬を統一し、長期的な視点で行う必要がある。
しかし、原発事故関係の国民の健康管理業務は、厚労省から環境省に移管されたため、
医療のプロフェッショナルが不在で、診療報酬の取り決めもできない状態であり、全く無責任である
と言わざるを得ない。

表5 2013年2月1日に政府に提出した要望書の要旨


これを契機に、社会の在り方を、本当に真剣に考えるべきである。
人口が減少する国で、右肩上がりの経済成長は望めない。
真実を歪め、「ICRP物語」により原子力政策を推進してきたが、国民はこの催眠術から覚めなければならない。
脱原発・脱被ばくは、後世の子孫に対する責任であり、人間としての見識なのである。
(了)

略歴
西尾 正道(にしお まさみち)


1974年札幌医科大学卒業後、国立札幌病院・北海道がんセンター放射線科勤務。
1988年同科医長。
2004年4月、機構改革により、国立病院機構北海道がんセンターと改名後も、同院に勤務し今年3月退職。
がんの放射線治療を通じて、日本のがん医療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進。
著書に、
「がん医療と放射線治療』、
「がんの放射線治療」、
「放射線治療医の本音-がん患者2万人と向き合って-」、
「今、本当に受けたいがん治療」の他に、放射線治療の専門著書・論文多数。
放射線の健康被害に関しては「放射線健康障害の真実」」(2012年4月刊、旬報社)を出版している。
「市民のためのがん治療の会」顧問、協力医。
コメント (2)
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