ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

キャット空中三回転?!

2009年03月31日 | 家族とわたし
旦那とわたしは、今年に入ってから、別々の部屋で寝ています。
別に喧嘩をずうっと丸々3ヶ月しているわけではありません。
ほんでもって別に家庭内別居をしているわけでもありません。
普通の、どちらかというと仲良しの夫婦です。

昨年末にガールフレンドと一緒に家に戻ってきたT。いつもならKの部屋(元はTの部屋でした)に放り込むのだけど、なんぼなんでもそりゃアカンやろということで、我々の寝室(元はKの部屋でした)を使わせることにして、旦那とわたしはその間、旦那の診察室(リビングも兼ねる)にエアベッドを置いて寝ていました。
ガールフレンドのJ子ちゃんが日本に戻り、Tもヴァージニアに戻った1月の半ば、自分達の寝室で久しぶりに寝よう~と部屋に入ると、
あれれ?いっつもすっかり熟睡しているはずの旦那の姿が見えません。
こんな時間にいったいどこ行ったんやろ……と他の部屋に探しに行くと……はぁ~なんでここで寝てるん?!
前に写真入りで紹介した、キャンプっぽい超適当な寝床を作って、そこでスウスウ気持ち良さそうに寝ている旦那。
おかしいなあ……別に喧嘩してなかったよなあ……
翌朝旦那に尋ねてみると「別々のベッドに寝た方が僕もまうみも熟睡できるって思たから」ということで、いきなりの『大の字快眠』プレゼントなのでした。


昨夜も好きなだけ文庫本を読んで、眠くなったのでヨガのシャバアサナ(休息のポーズ)をとりながら、一日の感謝を祈り、眠りに落ちるのを待ちました。
ちょっと眠りにくい感じがしたけれど、それでゴソゴソしたり寝返りをうったりしてもでっかいベッドにはわたしひとり、やっぱり楽です。
やっと夢の中に入り、腰を落ち着けようとしたその時、寝室のドアがダッと開き、その異様な気配にびっくりして、わたしは跳ね起きました。
ドアの向こうにKが半分だけ見えます。心臓がドキンと跳ねました。
「どないしたん?」
「あの……ちょっと……」
Kがこういう言い方をする時はかなり。しかも、こんな時間に、寝室のドアを乱暴に開けること自体がめっちゃ
「電気つけて」
「ええの?」
「ええからつけて、部屋に入ってきなさい」

部屋に入ってきたKの腕が妙にだらんとしています。夜中にコンビニとか行って、それでなにか不測な事が起こったんだろうか……頭の中は早くもゴチャゴチャ。
「怪我したん?」
「うん」
「ひどいの?」
「分からん」
「なにがあったん」
「手すりから落ちた」
「手すりってどこの?」
「台所から出たとこの、階段の踊り場んとこ。青い木のてすり」
「なんでそんなとこから落ちるん?」
「座ってた」
「座ってたって……どっちに落ちたん」
「ゴミバケツが置いてあるコンクリートの方」
「ゴミバケツの上に落ちたん?」
「いや、そこにはバケツ無いやん」

Kが青いと言っているのは、実はグレーのペンキを塗った木製の枠です。こんな所に、しかも夜中に、なんで座ったんでしょう……?



そして落ちてしまった所……



もう想像したくもない話です。3メートル近くある高さから落ちて、どうやって歩いたり話したりできているのか……とりあえず傷を調べることにしました。
右腕の全体に擦過傷、あまり深くはありませんが全体に腫れています。右指と右膝に深い傷。これは落ちた時に負ったのでしょう。
首や脊髄を調べてみましたが、捻挫や打撲は見当たりませんでした。
この程度なら、旦那までわざわざ起こさなくてもいいかと思いましたが、もし後で痛みが強くなってきたら、今度は父親を起こすように言いました。

わたし自身、中三の夏に、体育館の中二階から地下室の入り口まで真っ逆さまに落ちた経験があります。
その瞬間の、信じられないほどの長い時間(あれは三次元のスポットに入ったのでしょうか?)、ありとあらゆる体勢を試みたのですが、一つとしてできず、最後の手段で左腕を上げて頭蓋骨をくるりと包み、脳天を直撃することだけは防ぐことができました
しばらく失神していて、夜になって気がつくと、病院の処置室の、冷たいステンレス製のベッドの上に寝かされていました。
その時、つくづく(なぁ~んや、田舎っぺ大将なんか嘘っぱちやん。大ちゃんみたいに全然できひんかったやん)と悔しく思ったもんです。

さて、話を戻して、とりあえず傷の手当てをして、しつこくあちこちを調べてみましたが、なぜだか大丈夫そうだったので、ひとまず寝ることにしました。
Kはその晩、ためにためていた宿題が山盛り残っているのに、落ちた瞬間にアドレナリンを使いきったのか、なんだかやけに眠そうです。
ほれみぃ、そやからできる時にチャッチャとしときって、言うたら文句言うから言わんへんけど、生きてたら何が起こるか分からんのだからな、Kよ。

反対にわたしはなかなか眠れません。それでなくても心配性です。無事で良かったけど、落ちるKの姿をついつい想像してしまって胸が苦しくなりました。

今朝、現場を見てみると、思ってた以上に高さがありました。
いったいどんなふうに落っこちたら、あんな軽傷で済むのやろ……。

仕事から戻ると、Kもすでに家に戻っていて、部屋に行くとベッドの上でスウスウ眠っていました。
血のついたシーツを洗ったので、なにも敷いていないベッドマットの上に直接寝ています。
夕飯後に起きてきたKに、膝のお皿の部分の具合を聞いてみました。「レントゲンとかを撮った方がいいかな」と言うと、「普通に歩けてるからいい」と言うK。
「でもさ、あんな高さから落ちて、なんでそんなに軽い傷で済んだんやろ?」
「だってオレ、猫技使ったもん」
「へ?」
「まず右手で手すりとかを必死に掴んで、ちょっと勢いを消してから、体を回転させた。猫みたいに」

キャット空中三回転!「とってんぱーの にゃん ぱらりっ」
あの時は助けてくれなかったけれど、息子を助けてくれたんだね、ニャンコ先生、ありがとう~!
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リースリングとキンワとB的栄養学とK的哲学と

2009年03月30日 | 家族とわたし
昨晩は旦那の食事当番。コンサートから家に戻りキッチンに入ると、温かないい香りがしていました。
いつもなんだか完璧にできないと、作っては落ち込むベジタブルスープに挑戦中の旦那。大丈夫かなあ……
クラリネットを吹いた後はお腹が空くので、料理に忙しい旦那を横目に、チーズ乗せクラッカーとワインをいただく妻
っていうか、彼は頭の中で順序を組み立ててしまっているので、その流れを邪魔されたくないからか、あまり手伝いをありがたく思ってくれません。
なので、同じ部屋でヘラヘラ機嫌良くしているのが、彼にとっても心地良いそうで、
もしよその人が窓の外から覗いたら、「あらまあ!なんてことでしょ?!あの奥さんったら!」みたいな光景が展開されることになります。

待つこと1時間、う~ん、どうかなあ~と心配しまくる旦那。どれどれ味見してあげましょうと鍋の前に立つわたし。
う~ん……ウソはついたらあかんもんな~……「うす過ぎ、っていうかコクが無さ過ぎ」「やっぱぁ~?」
そんな会話を5回ぐらいして、やっと完了。まだちょいと薄めではあるけれど、こんなもんちゃいまっか?スープが出来上がりました。

部屋にこもっているKも呼んで、皆でいただきま~すをして、最近ハマっているリースリング(ドイツの白ワイン)で乾杯しました。
Kとわたしのスープ評価が気になってしようがない旦那。今までの中では1番ちゃう?とわたし。ちょいと首を傾げて黙々と食べるK。
スープのお伴にキンワをお椀によそぐと「なにこれ?」とK。
これはね……始まってしまいました。旦那の栄養についてのうんちく……。

『キンワはキビぐらいの大きさでさ、炊くとレンズのような形から胚芽が飛び出して、ほら、見えるやろ、このCの形の、これが胚芽っちゅうわけ。食感はプチプチ、これがたまらんやろ。こんなちっちゃいのに、たんぱく質、食物繊維、カルシウムがすごい!とりわけ他の穀物やったら十分摂取することができない必須アミノ酸のリシンやメチオニンが含まれてる。あ、まだまだあるで、リボフラビンや鉄分、マグネシウム、カリウムなど、ビタミンやミネラル分も豊富なスーパー穀物ってわけよ』

Kもわたしも慣れたもの。うなずき隊になりきって、最後の一言までしっかり話を聞きます。なにより、旦那を満足させることが第一。
途中で茶々を入れたりすると、満足感が足らず、話がさらに枝分かれして延々と続いてしまいます。

アルコールが体を一回りした頃、Kが突然、「生物の定義ってなに?」と聞いてきました。もちろん英語です。
旦那もわたしも瞬間カタマリましたが、気を取り直して、「水ちゃうの?」とわたし。旦那……無言……。
脳とか血管とか無い植物だって生物やもんな……などと、あ~でもないこ~でもないの話になり、微生物に到達した時、
「なんで微生物とかがこの地球上にはいるん?」とK。
うわ!K的哲学論が今まさに始まろうとしている気配ムンムンです。彼は4才の頃から、こういう話がだぁ~い好き。
いろいろけったいなこと、難しくて分からんちんなこと、どうでもええやんかっぽいことを聞かれ続けてきた我々。
「そりゃあんた、そういうもんが必要やと思た神さんが創らはったんや」とほんのジョークのつもり(すみません、クリスチャンさん達)で言うと、
「僕は無神論者で信じてへんから、そういう馬鹿げたことを言わんといて」とK。
「いや、無神論者ってことは、神さんはいないって信じてることやで。そやからKもそういう意味では信仰者っていう意味?」と旦那。Kは黙ってしまいました。
「僕は神さんがいるとも思ってない、いないとも思ってない、ただただ分からんという感じ。信じてないっていう意味やったら僕みたいなんがそう」と旦那。
それから再び神についての熱い討論が始まりました。

結論も正論も得ようが無いけれど、リースリングは体の血管を、言葉は心の血管を、楽しい気分を乗せてグルグル周ります。
家族一緒にご飯を食べるっていいな

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春はもうすぐそこ

2009年03月30日 | ひとりごと
昨日は一日中しとしと雨が降っていて、おまけに夜から雷と稲光、寒いのか暖かいのかよう分からんちんの一日でした。

そんなお天気にもメゲず、ちびっ子のためのファミリーコンサートには、大勢のちびっ子とご家族の皆さんが会場に来てくれました。
今回はちょっと趣向を凝らし、舞台の上にはただ椅子と譜面台が置かれているだけ、司会者の「あれれ~、バンドのみんなはどこなんだぁ~?」の言葉を合図に、いきなり客席の通路から、マーチングのドラムに合わせて入場行進するというアイディアが採用されました。
お客さん、こんな天気やから少ないよな~なんて思いながら会場に入ると、うわっ!元気なちびっ子達でほぼ満席!嬉しかったです。

演奏に合わせて椅子の上でぴょんこぴょんこ跳ねてるちびっ子、ニコニコ顔で歌ってるちびっ子、みんなそれはそれは楽しそう。
ライオンキングやアラジン、そして平和の歌イマジン、スポンジバブでは興奮し過ぎた子が叫び声をあげて……いやあ、ほんまに盛り上がって良かったです。
ちびっ子達のためなので、昨日は休憩無しの少々短い演奏時間でしたが、目の前のすさまじいエネルギーに乗せられて、バンドのみんなも興奮気味。
また来年、お楽しみにね♪


さて、今日はからりと晴れましたが、冷た~い風がびゅんびゅん吹いています。
けれどもやはりお日様の光が春!嬉しくなって、ちょいと外の春を写しに上着も羽織らずに外に出ました。





ほんの数分居ただけなのに、うぅ~さぶぃ!早くポカポカ~ふわふわ~にならないかなあ……
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のびる

2009年03月29日 | ひとりごと
manmaちゃんのお父様から、こんなメールをいただきました。
お父様は、ふたりの娘(manmaちゃんとmanmaちゃんの妹さん)から『希望の星』と呼ばれている、とてもすてきな男性です。
何事にも好奇心旺盛で、厳しい公務を勤め上げられた後、料理や薬草採取、野菜作りや園芸などに勤しみ、忙しい毎日を送っておられます。


以下、無断で転載させていただいた『希望の星』さまからのメールです。

『お庭の雑草?写真判定ですと 「のびる」によく似ています。
野生のねぎ と言われているもので、こちらでは酒飲みにはたまらない春の野草です。

鱗茎は、生味噌でまるかじり、全草をゆでて、おひたし、ぬた、卵とじ でいただきます。

また薬用植物として、毒虫にさされたとき、鱗茎をすりつぶして、その汁を塗る。
煎じて服用すると、月経不順、神経のイライラに効くそうです』


『のびる』という名前がとても気に入りました。英語では『野生のねぎ』という名前がついているそうです。
旦那は、鱗茎が大きくなり過ぎると生で食べ辛くなるからと、いつもまだヒョロヒョロとのび始めのものを抜いていました。
これからはおひたしやぬた、大好きな卵とじを作られるよう、もう少し成長するまで待って、美味しくいただこうと思います



これからしばらくの間、よろしくね、のびるさん。

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春眠暁を覚えず

2009年03月28日 | ひとりごと
なんだか起きた瞬間から眠いっス。よく寝たはずなのになあ……と思いながらネムネムのまま過ごし、ついさっき、我が町が誇るライブハウス『トランペット』から戻ってまいりました。
ニューヨーカーさん達もわざわざやって来るライブハウスです。随分前に、村上春樹氏の『やがて哀しき外国語』というエッセイの中に、「小さいけれどすごくいいライブハウスがある」と紹介されたことがあるお店です。

旦那の仕事仲間であり、わたしの究極の緊張を催眠療法でほぐしてくれた療法士ステファニーの夫、ジミー・ハート氏が飛び入りで演奏するというので、そりゃぜひとも聞きに行こうということになり、うちから歩いて7分の『トランペット』に出かけました。
ハート氏は50年代後半より、ジミー・スミス、ウェス・モンゴメリー、ファラオ・サンダースらと共演し、69年にハービー・ハンコックのセクステットに参加。70年代後半からモード・ジャズへ向き、フュージョン全盛期に4ビート路線で素晴らしいプレイを聴かせたという、その世界では伝説的ジャズドラマー。
わたしは今夜初めて彼の演奏を聞いたのだけど、今年69才になるとは到底思えないエネルギーとチャームに満ちあふれた演奏でした。
各地の演奏旅行から戻ってきたところの彼は、「今夜はリハーサル無しのぶっつけ本番なんだ」と言ってぺろりと舌を出していましたが、
ヴィブラフォン、ピアノ、コントラバスの3人の素晴らしい演奏を、時には包み込み、時には挑発し、時にはいたずらっぽく仕掛け、
なんとも渋い、そして楽しい(だって彼は演奏中ガマガエルみたいな顔になるのだもの……)、もちろん超一流のパフォーマンスを魅せてくれました。
あ、ガマガエルのついでだけど、ヴィブラフォンの人も演奏が始まった途端に座頭市そっくりに……勝新太郎さんですね……なんか面白かったです。


今朝はひとりの生徒を教えただけでなんだかヒマだったので、眠気覚ましと熟し過ぎたバナナの処理を兼ねて、昼食を作るついでにバナナケーキを作りました。
アーモンドを砕いた粉と全粒粉を使ったらなかなか美味しいケーキが出来上がったので、二階のドナルド家にもお裾分け。

4日前の夜のこと、コミュニティバンドの練習から戻ると、裏玄関の階段の所にドナルド家の車が停まっていました。
こんな時間に珍しいな、と思いながら、車から降りたジムに挨拶をしていると、助手席の方からリズも出てきました。
あら、ふたりでお出かけやったん?と声をかけようとして思わず絶句!リズがこれまでに見たことがないほど弱り切った様子で、まともに立つこともできず、それでも階段を上らなければならないので、背の高いジムが腰を折って、なんとか彼女を支えていました。
「どうしたの?なにがあったの?」
「今日彼女お腹の手術したんだよ。だけどさ、ほら、保険会社は入院させてくれないからね、だからおんなじ日だけど病院から出てきたってわけさ」
ジムはやけくそ気味に言い、リズは顔を歪めながらため息をつきました。
まさにこのアメリカの医療保険の実態を目の当たりにし、腹が立つやら胸が痛むやら、それから数日が経ち、今朝初めてゆっくり散歩をする彼女を見ました。
それでとても嬉しくなって、ケーキをお裾分けすることにしました。
ほんの5分も経たないうちに電話がかかってきました。
「まうみ、めっちゃ美味しかったよ!ほんとにありがとう!温かいケーキとまうみの気持ちが嬉しかった」とリズ。
「僕は今日、町のブックフェアに行ってて、そこで3時間も過ごしちゃって、喉が渇くやら腹が減るやら、それで戻ってきたところにまうみがケーキ持ってきてくれて、なんちゅうグッドタイミング!と大喜びで食べちゃった。ありがとう!」とジム。
ほんの少しのお裾分けなのに、こんなにありがとうを言ってもらっちゃいました。なんだか悪いような気もする……。


これは毎年恒例、春の始まりが来ると、旦那が庭から引っこ抜いてくる雑草です。



土をしっかり洗い流し、薄皮を剥いで、極小玉ねぎみたいな先っちょの部分だけを食べます。味はネギとニンニクを合わせたような感じ。
春先にニョキニョキ、すごい勢いで生えてくるこの雑草を、旦那は春の贈り物だと思っていて、アレルギーを緩和してくれると信じています。
信じる者は救われる……という感じでしょうか。

すごいライブを聞き、こうしてブログを書いている今も、やっぱりまだ眠いです。
明日はコミュニティバンドの子供向けプログラムのファミリーコンサートの本番です。スポンジバブやアラジンとかを演奏します。
ちびっ子達が、椅子の上でピョンピョン跳ねて嬉しそうにしていたり、通路に出てダンスをする姿を見ながら、楽しくやりたいと思います。

さて、そろそろ春の眠りに入りますか
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日本から離れて

2009年03月26日 | ひとりごと
ロンドン在住のKYOさんのブログに、『海外に住むということ』についての彼女の思いがつづられています。
ロンドンで最初に通った英語学校で知り合った14年来の友人が脳卒中で倒れ、たまたまウィーンに旅行中だった友人のご両親を呼び寄せ、
病院まで付き添ったり通訳のお手伝いをしたり、手術後の友人のお見舞いにおにぎりを持参したりと、とても適切で温かな心のこもった世話を続けているKYOさん。
KYOさんはその記事の中で、海外に住むということは、日本人同士としての共同体の中にいる自分を強く意識することでもあると締めくくっています。

わたしはその記事を読みながら、自分の友人Sの泣き顔を思い出していました。
Sとわたしは、わたしがこちらに引っ越してから初めて逢い、逢ったその日からとても馴染み深い想いがして、すぐに大の仲良しになりました。
ただ、彼女もわたしも、同じような悪い癖があり、連絡下手というか無精というか、自分からなかなか動かないので、
結構近くに住んでいながら、最も逢う機会が少ない最も仲良しな友達として、もう9年もの歳月が過ぎてしまいました。
そんなある日のこと、「まうみ、あかん、腰やってしもた」と、いつもの元気百倍の声とは程遠い彼女の声が、受話器の向こうから聞こえてきました。
様子を聞いているうちに、これはかなりひどいというのが分かってきたので、「今から行こか?」と言うと、「甘えてもいい?」というS。
なに言うてんの、当たり前や!と心の中で叱りながら、頭の中では準備する物を考えていました。
Sは体育会系元気印、食べることがだぁ~い好き。けれども今は、一歩も動けず、座ることもできず、椅子に寄りかかって立ったまま独りで苦しんでいます。
彼女の家までは車で30分かかるので、とにかく行って、彼女をベッドまで動けるよう補助し、できればベッドの上に寝かせてあげようと思いました。
家にあった牛蒡とご飯、それからメロンをビニール袋に入れ、彼女の家に急ぎました。
ドアを開けると、椅子のもたれに両手を突き、少しだけ前のめりになった彼女が、青ざめた顔で立っていました。
彼女の脇に肩を入れ、2センチ、3センチと足の裏をズルズルと前に進め、寝室までの、あんなに遠いと思ったことが無かった距離を移動しました。
長い時間がかかったけれど、とりあえずベッドの上に座ることができたので、わたしは彼女を置いて台所に行き、おにぎりと金平牛蒡を作る間、水分補給にとメロンを一口サイズに切って彼女の所に持っていきました。
金平がほぼ出来上がり、温めたおにぎりを寝室に持って行くと、Sがメロンを食べながら、ポロポロと涙をこぼしていました。
その姿を見た途端、彼女がどんなに恐い思いをしていたか、痛い思いを堪えていたかを思い知り、わたしも思わずもらい泣きをしてしまいました。
「嬉しかってん。まうみに来てもろてほんまに嬉しかってん」と、Sはそれからもしばらく泣いていました。
「あほやな、そんなん当たり前やんか」そう言いながら(お互い日本から離れて頑張ってる仲間やんか!)と、胸の中で叫んでいる自分に気がつきました。

日本を離れなかったら多分、一生感じることもなかったかもしれない共同体意識。このちょっぴり切なくも柔軟で張りのある意識は、今やわたしの心の支えになっています。
それを再認識させてくれたKYOさん、ありがとう。


そしてもうひとつは、わたしは日本人であるという意識。
このことについて、ここ数日間、わたしはじっくり考え込んでいます。
先日のWBCでの、日本チームへの思いは、選手の方々の日本を背負って戦う姿を自分に照らし合わせているからこその熱さだったのかもしれません。
わたしがこちらに暮らしていることなど、彼らに比べたら屁でもないのだろうけど、わたしらしい規模の中で、たとえそれがとても些細なことであっても、日本を背負っていることを感じます。
例えば、出張レッスンに行っている生徒の親から、「まうみはすごい。レッスンに遅れて来ないし、遅れる場合は必ず連絡を入れてくれる」なんてとんちんかんなことで褒められたりすると、心の中で(日本じゃこんなこと当たり前だ)と思いながら顔で笑ってたり、
伴奏バイトの初回合わせの日までに、どれだけ曲数が多くても、とりあえず仕上げて行くこと、譜めくりし易いように楽譜をアレンジしていくこと、遅刻をしないことなどについて、アメリカンはとてもびっくりするのだけれど、そんなのは自分にとって当たり前だと思う時もやっぱり(だってわたしは日本人だもの)と思ってたりします。
でも、これって全く根拠の無い思いとも言えます。だって、日本人にもだらしのない人やきちんとすることなんてバカらしいと思っている人がいるだろうし、
当たり前だと思っているわたしも、時には遅刻したり、適当に誤摩化しながらその場を取り繕ったりすることもありますもんね。

人から褒められたり、自分で誇りに思ったりする時の心の背中に、(わたしは日本人だもの)、と胸を張っている自分が見えるのです。
結局のところそれは、日本人ってなかなかいいでしょ、すごいでしょ、と他の国の人達に伝えたい、見せたい自分がいるっていうことなんでしょうか。

日本から離れて生きるのはいろんな面で大変だったりするけれど、その分得たものも多く、その栄養が心を育てているような気がします。
日本人であるということはきっと、いくつになっても、この先ずっと日本に住むことが無くても、わたしにとって誇りであり続けると思います。
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いろんなことがあった日

2009年03月25日 | ひとりごと
息子Kが最近始めたバイトは、見知らぬ家の戸別訪問をして、窓や屋根、ドアや壁などの修繕が必要かどうかを尋ねるというものでした。
彼は前にも一度、環境保護に関するアンケートに答えてもらい、それに賛同する人に寄付をお願いするというバイトをしたことがあります。
これも結局は見知らぬ人にいきなり話しかけて、何かをお願いするという部類の仕事でした。
知らない町を歩き続け、ドアというドアをノックして、無視されたり嫌がられたり、時には親切にもしていただきながら丸一日働いたのに、
結局その仕事主の団体はインチキ団体であることが分かり、連絡を取っても無しのつぶて、まあいい経験をしたんちゃう?で終わってしまいました。

それからしばらくは、1週間にたった2日しかない大学と、週末のゲームトーナメントの賞金稼ぎ以外はなにもせず、クィーンに住む友人のアパートに足繁く通っては泊まったりしていたK。
洗濯するでもない、勉強もあまりするでもない、夜中に起きて昼過ぎまで寝て、まあよく遊んでること!と感心しながらも、見て見ぬふりをして放っていたら、
いきなりまた、こんなこっちゃアカン!と言い出し、今回の仕事を見つけ、面接を受け、採用され、明日から仕事だという晩に部屋の中をピカピカにしたK。
翌日の朝、「僕の部屋、すごいで」と言いに来たので、どれどれちょっと拝見と立とうとしたら、「いや、まだ100%じゃないから見んといて」とK。
なるほど、新しい生活の始まりということね。今までのダラダラしまくってた自分にケジメをつけたいってことね、ふんふん。
彼はよくこういう行動パターンを繰り返します。とても分かり易いです。
今週の月曜日が最初の仕事日でした。少し緊張気味のK。肌寒いを通り越して冬に逆戻りしたような日でしたが、薄着で出かけてしまいました。
どこのお家にも断られたそうですが、インディアのご家族が「うちは借家なのであんたに仕事を頼むことはできないけど、さ、ちょっと中に入ってカレー食べていきなさい」と、Kを夕食に誘ってくれたそうです。

そうして今日、仕事が始まって二日目、家に戻るなり深いため息をついたK。
「どないしたん?」
「これもろた」
彼の手には違反チケットがヒラヒラと……。
「なにしたん?」
「スピード違反。けど、その道、途中から制限速度が変わっててん。夜やったし暗かったし、初めて走った道やから知らんかった。35マイル制限がいきなり25マイルになってて、そこを40マイルで走ってた……らしい」
「まあよくあるパターンやけど……」
「今日は2回警察に止められた」
「え?!他にも違反したん?」
「いや、車と違て仕事の方」
「なんのこっちゃ?」
「この仕事は、あの町(モリスタウンというここから西に30分ほど走った所にある町)ではしたらあかんねんて」
「……」
「そやし、仕事も今日で終わってしもた」
「はぁ~……」
こういうのを踏んだり蹴ったり、というのでしょうか?

この2回の経験を生かして、今後は訪問販売とか寄付を募る団体の仕事をしようと思わないでほしいなあ。
彼はいつも、人と直接関われる仕事がしたいと願っているみたいなのだけど、同じ関わるのでも、違う関わり方ができる仕事を選んで欲しいと思う母です。
あまりに落ち込んだからか食欲も出ず、今まで食べなかったK。今やっとキッチンに来て、なんかゴソゴソ出してます。やっと食べる気になったかな?


さて、わたしのはちっちゃなことですが、『チーム・メリッサ』のトレーニングが終了しました。
今回は主催者側のYMCAの経済的な事情のための終了なので本物です。
1月から始まった、わたしにとっては結構大変だったイベントに、結局最後までメンバーとして留まれたことを嬉しく思っています。
それに、平日は必ずなにがしかの運動をしなければ気持ちが悪い自分になったことも良かったし、なによりも体重が5キロ減りました?!
これからも、せっかくついたこのいい癖を残していければいいな~(って……もともとがナマケモノなので、今一自信が無いのですが……)。


と、ここまでを書いていると、大津時代の親友Wちゃんからメールが送られてきました。
また、Mちゃんとお茶して、まうみを酒の肴、もとい、コーヒーの肴にしておしゃべりしまくりました~とかいうメールかな?と思いながら開けてみると、
彼女のおかあさんが亡くなったという知らせなのでした……。
Wちゃんのおかあさんとは、彼女がすっかりおばあちゃんになられてからお出会いしたので、過去の彼女のことを知らないわたしですが、それはそれは温厚な、上品な、そして知的な女性でした。
ステンドグラス工芸を趣味にされていて、その作品はプロ並み。
ステンドグラスは作品の繊細な外見からは想像もできない重労働と危険が伴う作業であることを、彼女に教えてもらって初めて知りました。
素材に使うガラスは思っているよりはるかに分厚く大きなもので、それを必要な分だけ切り刻んでいくのが大変なのよ、とおっしゃっていました。

おばあちゃんにはいつも、とても親切にしていただきました。すてきな洋服もいっぱいいただきました。
なにもご恩返しができないまま、わたしはこんな遠くから、ただただご冥福をお祈りさせていただくことしかできません。
Wちゃん、あなたのおかあさんはきっと、一緒に暮らせた晩年の毎日を楽しく思い出しながら人生を終えられたと思います。
そばで見ていて、本当にいい親子だといつも思っていました。
Wちゃんのご主人も、とても自然に、とても和やかに、本当の親子のように接しておられて、その姿もとても素晴らしいと思っていました。
だからこそきっと、Wちゃんちの3人の息子達は、あんなに優しい、真っすぐないい青年に育ったんだろうと思います。


いろんな思いが押し寄せてきた一日でした。
こんな日は、これでクイクイッと心のツボを押して、よぉ~くほぐしてから眠るのが良さそうです。



これはわたしの1番のお気に入り小物。高校時代のブラバンの先輩W君からもらったツボ押し器。ドイツ製です。
長らくの間行方不明になっていて、とても困っていました。
こないだのKの部屋の大掃除で、ひょっこり見つかりました。
この微妙なカーブを描く金属のしなりが、絶妙の押し具合を作ります。
いっぺん使ったら病み付きになっちゃいます。他のどんなのと比べてもやっぱりこれに勝る物を見つけることはできません。
もうかれこれ25年は使っているはずです。お世話になってます、ほんとに。ありがたいです。

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チームジャパンの優勝とピカピカのキッチン

2009年03月24日 | ひとりごと
もう日にちが変わっています。
でも、これを書かずに寝るわけにはいきませんでした。
今年の決勝戦は、大学バスケットの試合にも邪魔されることなく、1回の表からちゃあんと放映してくれたし、試合の後半は解説者さん達も真面目に試合の内容を伝えてくれたので(試合の前半は、これからのチームUSAをいかに鍛えるかとかを熱く討論しちゃったりして、試合なんかそっちのけでしたから)、とても満足しています。
まあ、欲を言えば、優勝セレモニーとか表彰の様子とかMVPの発表とかも見せてもらえたらな~と思うのですが……。








そしてもう一枚。日本の勝利を祝って、エンパイアステートビルがライトアップしてくれました。



それにしても、あんなに緊迫した、互いに力を出し切った互角の戦いを、4時間以上も続けた選手の皆さん、本当にお疲れさまでした。
どちらのチームも素晴らしかった。決勝戦にふさわしい、ゆったりとソファなんぞに座って観ていられない、見事な戦いっぷりに感服いたしました。

岩隈投手のなんとも穏やかで上品な微笑み、杉内投手の奥歯をギリギリと噛み締める音が聞こえてきそうな投球、ダルヴィッシュ投手の若々しい闘志と雄叫び、あんな大舞台でちゃんと仕事ができるなんて、うちのT&Kとそれほど年も違わないのに、ほんと、すごいなあ
今夜試合に出場したすべての選手の皆さん、9年も日本から離れていると全く知らない顔も多かったのだけれど、
世界に誇れる賢さと技術と能力を備えている上に、練習熱心、研究心旺盛、非の打ち所が無いと、解説者さんがべた褒めしているのを聞いてめちゃくちゃ嬉しかった。
イチローも、最後の最後の試合で爆裂。あんな一番勝負の場面で、きちんと仕事ができる心の強さと身体能力はやっぱりすごい!
解説者さんのひとりが、「あ~あ、彼を誰やと思てるんやろ。あんなとこに投げたらあかんわ~あんなとこにぃ~」と何回も言っておりました。
わたしはそれを聞きながら、なにをおっしゃる、あんなとこに投げてくれてほんまにありがとぉ~っ!と手を合わせて拝んでおりました。

今夜もまた、台所のちっちゃなテレビでひとりぼっち観戦。Tとはチャットで回が変わるごとに話しました。
今夜のような恐い試合は、やっぱりひとりでは観たく無かったです。
もう座ることもできなくて、キッチンテーブルの周りをうろうろ、床を拭き拭き、カウンターをゴシゴシ、なんだかめちゃんこきれいになりました。

勝った瞬間、ちょっと泣けました。ほんとに素晴らしい試合でした
選手の皆さん、監督、コーチの皆さん、それからお世話係のスタッフの皆さん、本当に本当にありがとうございました
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米国WBC事情

2009年03月22日 | 米国○○事情
日本チーム、勝ちましたね。明日は韓国と決勝戦です。

解説者さん達の話を、わたしの理解できる範囲で聞いていると、なんとなぁく初めっから負けちゃうかもという雰囲気がムンムンと立ち込めておりました。

曰く(あくまでもわたしが聞いたつもりなので、間違っているかもしれません)、このWBCに向かう意識が圧倒的に違う。
プロ選手達は毎年オフの時間を各々の計画をもとに有効に使い、試合開始に向けて心身ともに調整していくのだけど、このWBCがある年はそのリズムが崩れる。
国を背負っているという意識が高い選手団は、そんなリズムの狂いなどモノともせず、また、皆で勝利を勝ち取ろうという気持ちも強い。
アメリカの選手には、そういう集団意識がもともと低い上に、国を背負うなどという気持ちも今一薄く、よって、準備不足のままプレーしているので、
このままでは、何度WBCを開催しても、意識と気持ちの強さに勝る国に勝ち続けていくことは無理じゃないか。
アメリカの選手は、勝ったらもちろん嬉しいけれど、負けてもまあしょうがない、ゲームなんだから、みたいな考え方をしているようだし。
それでなくても、日本や韓国はそもそも野球の技術に優れている上に、選手一人一人の意識の和が、試合中にどんどん強くつながっていく。
これからもWBCを開催していくつもりなら、そろそろちゃんと考えるべきだし、練習の仕方なんかも日本のやり方を参考にして、試してみたらどうだろう。

なんてなことをブツブツ話しながら解説してはったような気がします。

一回の一番バッターに、ドカンとホームランを打たれた松坂投手。びっくりしたけど、別にショックでは無かったです。
ここだけの話、夕飯直前に家に帰ってきたK、ワンちゃんのウ○コつきの靴で台所をのしのし、旦那が「なにこれ?!あ!クサッ!」と言った時既に遅し!
さあご飯だよぉ~と言うまさにその時に、台所に漂う怪しい臭い
いつものわたしだったらもう、頭の上から角出して怒りながら、洗剤とかで拭きまくってるところですが、
フフン♪今日はちゃうもんね~
いいのいいの、ウンがついたってことね。今日の試合は絶対に大丈夫と確信できたような気がして、微笑みさえ浮かべる始末。
旦那とK、気色悪そぉ~にわたしを見ておりました。
ってなこともあり、きっと大丈夫、仲間が打ち返してくれる、と思いました。

夕方に、またまた試合を見落とさないように、念を入れる電話をかけてきたT。ちゃあんと試合の時間に合わせて夕飯を済ませ、ビールで前祝いもしたわい!
二回が終わって「なんかめっちゃドキドキするな」「大丈夫かな」とまた電話。
でも、四回の怒濤の嵐のような打線を観た後、三たび電話で「勝ったな」と言い合いました。

最終ピッチャーダルビッシュ君の雄叫び。



今度のWBCは、Tは日本、わたしはここアメリカ。こういうことで盛り上がる相棒はTしか居ないので、ちょっと寂しくなりそうです
明日は決勝。始まりが夜の9時半らしく、前と同じように大学のバスケの決勝と重なる模様。日本と韓国やからって、放映カットしないでねぇ~
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トウキョウはトウキョウやけど……。

2009年03月21日 | ひとりごと
週末になるとなんやかやと予定を入れたい旦那
週末ぐらいは心静かにの~んびりと家の中で過ごしたいわたし
毎週末、このズレが原因で小さな衝突が生じる我が家

今週の仕事がやっと終わった土曜日の午後3時、旦那がまた、映画でも観に行かないかとそわそわし始めたのを適当に無視していると、
「お、まうみ、ちょっとちょっと、トウキョウソナタやってる!South Orenge(うちから15分ぐらいドライブした所にある町)で」

え?トウキョウソナタ?ほんま?

旦那が見ている画面には、わたしの好きな役者、香川照之さんがしっかり映っているではありませんか!
「行く?」
「もっちろん!」
ということで、珍しく意気投合。上映は6時45分から。お昼ご飯をとても遅く食べたので、家にあるおやつとお茶持参で行くことになりました。

上映場所は、SOPAC(South Orange Performance Art Center)という、最近できた芸術総合劇場の中。
そこには前々から一度は行きたいと思っていたので、トウキョウソナタと相まって、ワクワク度がだんだんに上がってきました
念のために少し早めに行き、チケットを買おうと窓口に行って掲示板を見ると、そこには『TOKYO!』の文字が……うん
なんで(!印)なんかついてるん?『SONATA』はどこ?省略?変なの……。
窓の向こうには店の従業員さん達がたくさん居て、働いているというより、高校のロッカールームでつるんでるような雰囲気。
旦那が『TOKYO!』大人2枚、と注文すると、向こうに居る男の子が、「ねえねえ、これって『トウキョウドリフト』?」と突然聞いてきました。
「あのね、『トウキョウドリフト』は君達のような若者が喜ぶ映画で、この『トウキョウ』は僕らのような大人が観る映画」と旦那はきっぱり。
わたしの顔を見て、やれやれという風に頭を振って歩き始めた旦那の後を追っかけるわたしの頭の中には、なんで!がついてるの?ソナタはどこに行ってしもたん?と、(?印)がピコピコと激しく点滅し始めました。

3階にある劇場はこじんまりとしていて、けれども椅子はひとつひとつが大きくて広々とした感じ。座ってみると、リクライニングが気持ちのいいなかなかご機嫌な座り心地で、これで邦画が観られるなんてラッキー!と心はウキウキ。

そして、他の劇場で延々と流れる予告編も無しで、いきなり本編に突入。おおぉ~こういうのも好きだわい、とスクリーンに集中していると……、

『TOKYO!』という題名がドッカーンと現れ、へ?ソナタは?ソナタはどこ?と一気に不安雲が胸の中を覆い始め、監督名を見た途端……

ポン・ジュノ&レオス・カラックス&ミシェル・ゴンドリー……?????

なんで3人もおるん?なんでみんな外国の人なん?ほんで、いったいこれってなんの映画なん?

お三方ともとっても有名で優れた監督さん達です。その彼らが、日本はトウキョウにおいでになって、日本人の俳優さんを使って映画を作らはったそうな。
観に行かれた方いらっしゃいますか?

この映画はこの映画で良かったですよ。かなり奇妙なシーンもあったけれど、カンヌの『ある視点』部門に出されるにふさわしい映画っていう感じ。
でもね、でもね、今日のわたし達は、『トウキョウソナタ』を観に行ったわけで、この手の種類の雰囲気を楽しみにしていなかったのですよ。
なので、かなり心的に疲れてしまって、帰りの車の中ではすっかりダンマリ妖怪と化してしまったふたり……。

家に着いて即、自分のパソコンに飛びつき、映画紹介の、ふたりともが『トウキョウソナタ』と勘違いしたかもしれない画面を調べました。
すると……ちゃ~んと『トウキョウソナタ』の題名が出ていて、そこにはやっぱりキョンキョンだの香川さんだのの姿まで映っているではありませんか!
ううぅ~、グルルルルゥ~、訴えてやるぅ~、21ドル+慰謝料ぶんどってやるぅ~(←ちょっとこちらでの生活に馴染み過ぎ?)。

トウキョウはトウキョウやけど……というお粗末なお話でした






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