『in Treatment』というドラマに今、旦那とふたりでハマっている。
サイコセラピストとその患者の30分の治療風景が、音響もほとんど無しで、ふたりの会話のみで展開される。
とても重い。時にはすごく緊迫する。観終わった後必ず、胸の中にたまったものを、はぁ~っと吐き出さないとたまらなくなる。
このドラマに出てくる役者さん達は、老若男女問わず、皆さんすごい演技力の持ち主。
それぞれに問題を抱えている。そういう設定で演技をする人は多いのだけれど、彼らの場合、もうそれが演技を超えていて、とても自然で、とても愚かしく、とても哀しく、とても愛おしい人間を見せてくれる。
そんな人達を相手に、孤高の闘いをしなければならないセラピストのポールを演じるこのガブリエル・バーンという俳優の演技力たるや……。
今のシリーズの患者4人も、バラエティに富んでいて、しんどいけれど楽しく?観ていた。
火曜日の患者エイプリルは大学生。深刻な癌に冒されていて、けれどもその事実を家族の誰にも言えないでいる。
父親は医者で家にほとんど居ない。母親は重い自閉症の、自殺未遂をくり返す息子(エイプリルの弟)の世話ですっかり疲弊している。
エイプリルはだから、今までにもずっと、まったく心配をかけない、しっかり者の、家族思いの娘を演じてきていて、そのことに誇りを持っているし、これからもその態度を変えようとは思っていない。
なので、彼女が癌にかかっているという事実は、家族にとって迷惑であり、重荷の他の何ものでもないと信じている。
そして彼女は、家族に伝えないだけではなく、彼女自身も癌という事実を無視しようとしており、治療も拒絶したまま、症状は刻々と悪化している。
ポールは彼女と一週間に一度、火曜日の午後にしか会えない。
それでも懸命に彼女の言葉を聞き、彼女の気持ちに添いながら、なんとか治療を受ける決心をつけさせようと奮闘する。
けれども時間はもうあまり残されていない。
昨日の話の中のエイプリルは、見るからに衰弱していて、けれどもまた騒動を起こした弟の世話を、パニックに陥っている母親の代わりにみようとしていて、それをポールは、どうして母親に頼めないのかと尋ねるのだけれど、彼女は頑なに、こういう時はいつもわたしが引き受けてきたと突っぱねた。
最後の最後になって、弟に電話をかけると、また奇妙な行動をとっていて、彼女は慌ててポールの部屋から出ようとするのだけれど、そこでふと気を失ってしまう。
ポールはそれを見てもう我慢ができなくなり、治療中の穏やかで抑制された物言いをやめ、彼女にその部屋から出ることを強く止めた。
意識がすぐに戻った彼女は、自分はもう大丈夫なのだと言い張って、そこで激しい言い合いになるのだけれど、とうとう彼女も自分がいかに弱っているかを認め、母親に電話をし、彼女に助けを求めた。
娘から初めてそのようなことをされた母親はパニックになり、電話をブツンと切ってしまう。
立ちすくんだままのエイプリルに、ポールが静かに話しかける。
「君は先週、この部屋で、おかあさんに病気のことを話す。そして病院に行く。そう決めたよね。そして君はちゃんとそうしようとした。けれども結局はできなかった。そして今日またここに来て、先週のことは無かったかのようにまた、同じことをくり返している。けれど、先週の君は明らかに存在していた。どうしてあんなふうに思えたの?そのヒントはこの部屋にあるの?」
するとエイプリルは涙を流しながらしばらく考えて、「ポール……あなただと思う」と答えた。
「病院に行こう」
「一緒に行ってくれるの?」
「君がそれでよかったら」
「今すぐに?」
「もちろん」
ここで話は終わった。
突然に胸の奥から大きなうねりのようなものがこみ上げてきて、それと一緒に涙があふれ出た。
三十年以上も前の、「申し訳ないが、あと1年もつかどうか……」と、信頼していた医者から告げられた19才だったわたしが、自分の目の前に立っていた。
小さなことにも動揺する、娘を愛してやまない父親に、こんなことを知らせるわけにはいかないと、なんでもないふりをし続け、けれども刻々と物事は進行していて、新しい不気味な症状が現れるたびに死ぬほど恐い思いをした。
毎日、毎時間、起きている間中、死がすぐ隣に潜んでいたあの頃。
それでも心の奥底の、死んでたまるか!というマグマのような赤い気持ちが、次から次へと、救いの手を差し延べてくれる人のもとへわたしを運んだ。
けれどもやっぱり、本当に恐かったんだなあ。本当に辛かったんだなあ。
少し離れた所から見ている心の中の自分が、テレビの前のソファで、ちっちゃな子供のように泣きじゃくる自分を見て、しみじみとそう思った。
フラッシュバックが起こると、それはそれで苦しかったり辛かったりするけれど、そうやって激しく心の中を揺さぶると、哀しみや苦しみの固い玉の表面が溶けて、また少しちっちゃくなっていくような気がする。
サイコセラピストとその患者の30分の治療風景が、音響もほとんど無しで、ふたりの会話のみで展開される。
とても重い。時にはすごく緊迫する。観終わった後必ず、胸の中にたまったものを、はぁ~っと吐き出さないとたまらなくなる。
このドラマに出てくる役者さん達は、老若男女問わず、皆さんすごい演技力の持ち主。
それぞれに問題を抱えている。そういう設定で演技をする人は多いのだけれど、彼らの場合、もうそれが演技を超えていて、とても自然で、とても愚かしく、とても哀しく、とても愛おしい人間を見せてくれる。
そんな人達を相手に、孤高の闘いをしなければならないセラピストのポールを演じるこのガブリエル・バーンという俳優の演技力たるや……。
今のシリーズの患者4人も、バラエティに富んでいて、しんどいけれど楽しく?観ていた。
火曜日の患者エイプリルは大学生。深刻な癌に冒されていて、けれどもその事実を家族の誰にも言えないでいる。
父親は医者で家にほとんど居ない。母親は重い自閉症の、自殺未遂をくり返す息子(エイプリルの弟)の世話ですっかり疲弊している。
エイプリルはだから、今までにもずっと、まったく心配をかけない、しっかり者の、家族思いの娘を演じてきていて、そのことに誇りを持っているし、これからもその態度を変えようとは思っていない。
なので、彼女が癌にかかっているという事実は、家族にとって迷惑であり、重荷の他の何ものでもないと信じている。
そして彼女は、家族に伝えないだけではなく、彼女自身も癌という事実を無視しようとしており、治療も拒絶したまま、症状は刻々と悪化している。
ポールは彼女と一週間に一度、火曜日の午後にしか会えない。
それでも懸命に彼女の言葉を聞き、彼女の気持ちに添いながら、なんとか治療を受ける決心をつけさせようと奮闘する。
けれども時間はもうあまり残されていない。
昨日の話の中のエイプリルは、見るからに衰弱していて、けれどもまた騒動を起こした弟の世話を、パニックに陥っている母親の代わりにみようとしていて、それをポールは、どうして母親に頼めないのかと尋ねるのだけれど、彼女は頑なに、こういう時はいつもわたしが引き受けてきたと突っぱねた。
最後の最後になって、弟に電話をかけると、また奇妙な行動をとっていて、彼女は慌ててポールの部屋から出ようとするのだけれど、そこでふと気を失ってしまう。
ポールはそれを見てもう我慢ができなくなり、治療中の穏やかで抑制された物言いをやめ、彼女にその部屋から出ることを強く止めた。
意識がすぐに戻った彼女は、自分はもう大丈夫なのだと言い張って、そこで激しい言い合いになるのだけれど、とうとう彼女も自分がいかに弱っているかを認め、母親に電話をし、彼女に助けを求めた。
娘から初めてそのようなことをされた母親はパニックになり、電話をブツンと切ってしまう。
立ちすくんだままのエイプリルに、ポールが静かに話しかける。
「君は先週、この部屋で、おかあさんに病気のことを話す。そして病院に行く。そう決めたよね。そして君はちゃんとそうしようとした。けれども結局はできなかった。そして今日またここに来て、先週のことは無かったかのようにまた、同じことをくり返している。けれど、先週の君は明らかに存在していた。どうしてあんなふうに思えたの?そのヒントはこの部屋にあるの?」
するとエイプリルは涙を流しながらしばらく考えて、「ポール……あなただと思う」と答えた。
「病院に行こう」
「一緒に行ってくれるの?」
「君がそれでよかったら」
「今すぐに?」
「もちろん」
ここで話は終わった。
突然に胸の奥から大きなうねりのようなものがこみ上げてきて、それと一緒に涙があふれ出た。
三十年以上も前の、「申し訳ないが、あと1年もつかどうか……」と、信頼していた医者から告げられた19才だったわたしが、自分の目の前に立っていた。
小さなことにも動揺する、娘を愛してやまない父親に、こんなことを知らせるわけにはいかないと、なんでもないふりをし続け、けれども刻々と物事は進行していて、新しい不気味な症状が現れるたびに死ぬほど恐い思いをした。
毎日、毎時間、起きている間中、死がすぐ隣に潜んでいたあの頃。
それでも心の奥底の、死んでたまるか!というマグマのような赤い気持ちが、次から次へと、救いの手を差し延べてくれる人のもとへわたしを運んだ。
けれどもやっぱり、本当に恐かったんだなあ。本当に辛かったんだなあ。
少し離れた所から見ている心の中の自分が、テレビの前のソファで、ちっちゃな子供のように泣きじゃくる自分を見て、しみじみとそう思った。
フラッシュバックが起こると、それはそれで苦しかったり辛かったりするけれど、そうやって激しく心の中を揺さぶると、哀しみや苦しみの固い玉の表面が溶けて、また少しちっちゃくなっていくような気がする。