ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

フラッシュバック

2010年11月29日 | ひとりごと
『in Treatment』というドラマに今、旦那とふたりでハマっている。


サイコセラピストとその患者の30分の治療風景が、音響もほとんど無しで、ふたりの会話のみで展開される。
とても重い。時にはすごく緊迫する。観終わった後必ず、胸の中にたまったものを、はぁ~っと吐き出さないとたまらなくなる。

このドラマに出てくる役者さん達は、老若男女問わず、皆さんすごい演技力の持ち主。
それぞれに問題を抱えている。そういう設定で演技をする人は多いのだけれど、彼らの場合、もうそれが演技を超えていて、とても自然で、とても愚かしく、とても哀しく、とても愛おしい人間を見せてくれる。
そんな人達を相手に、孤高の闘いをしなければならないセラピストのポールを演じるこのガブリエル・バーンという俳優の演技力たるや……。

今のシリーズの患者4人も、バラエティに富んでいて、しんどいけれど楽しく?観ていた。

火曜日の患者エイプリルは大学生。深刻な癌に冒されていて、けれどもその事実を家族の誰にも言えないでいる。
父親は医者で家にほとんど居ない。母親は重い自閉症の、自殺未遂をくり返す息子(エイプリルの弟)の世話ですっかり疲弊している。
エイプリルはだから、今までにもずっと、まったく心配をかけない、しっかり者の、家族思いの娘を演じてきていて、そのことに誇りを持っているし、これからもその態度を変えようとは思っていない。
なので、彼女が癌にかかっているという事実は、家族にとって迷惑であり、重荷の他の何ものでもないと信じている。
そして彼女は、家族に伝えないだけではなく、彼女自身も癌という事実を無視しようとしており、治療も拒絶したまま、症状は刻々と悪化している。
ポールは彼女と一週間に一度、火曜日の午後にしか会えない。
それでも懸命に彼女の言葉を聞き、彼女の気持ちに添いながら、なんとか治療を受ける決心をつけさせようと奮闘する。
けれども時間はもうあまり残されていない。

昨日の話の中のエイプリルは、見るからに衰弱していて、けれどもまた騒動を起こした弟の世話を、パニックに陥っている母親の代わりにみようとしていて、それをポールは、どうして母親に頼めないのかと尋ねるのだけれど、彼女は頑なに、こういう時はいつもわたしが引き受けてきたと突っぱねた。
最後の最後になって、弟に電話をかけると、また奇妙な行動をとっていて、彼女は慌ててポールの部屋から出ようとするのだけれど、そこでふと気を失ってしまう。
ポールはそれを見てもう我慢ができなくなり、治療中の穏やかで抑制された物言いをやめ、彼女にその部屋から出ることを強く止めた。
意識がすぐに戻った彼女は、自分はもう大丈夫なのだと言い張って、そこで激しい言い合いになるのだけれど、とうとう彼女も自分がいかに弱っているかを認め、母親に電話をし、彼女に助けを求めた。
娘から初めてそのようなことをされた母親はパニックになり、電話をブツンと切ってしまう。
立ちすくんだままのエイプリルに、ポールが静かに話しかける。
「君は先週、この部屋で、おかあさんに病気のことを話す。そして病院に行く。そう決めたよね。そして君はちゃんとそうしようとした。けれども結局はできなかった。そして今日またここに来て、先週のことは無かったかのようにまた、同じことをくり返している。けれど、先週の君は明らかに存在していた。どうしてあんなふうに思えたの?そのヒントはこの部屋にあるの?」
するとエイプリルは涙を流しながらしばらく考えて、「ポール……あなただと思う」と答えた。
「病院に行こう」
「一緒に行ってくれるの?」
「君がそれでよかったら」
「今すぐに?」
「もちろん」

ここで話は終わった。
突然に胸の奥から大きなうねりのようなものがこみ上げてきて、それと一緒に涙があふれ出た。

三十年以上も前の、「申し訳ないが、あと1年もつかどうか……」と、信頼していた医者から告げられた19才だったわたしが、自分の目の前に立っていた。
小さなことにも動揺する、娘を愛してやまない父親に、こんなことを知らせるわけにはいかないと、なんでもないふりをし続け、けれども刻々と物事は進行していて、新しい不気味な症状が現れるたびに死ぬほど恐い思いをした。
毎日、毎時間、起きている間中、死がすぐ隣に潜んでいたあの頃。
それでも心の奥底の、死んでたまるか!というマグマのような赤い気持ちが、次から次へと、救いの手を差し延べてくれる人のもとへわたしを運んだ。

けれどもやっぱり、本当に恐かったんだなあ。本当に辛かったんだなあ。
少し離れた所から見ている心の中の自分が、テレビの前のソファで、ちっちゃな子供のように泣きじゃくる自分を見て、しみじみとそう思った。

フラッシュバックが起こると、それはそれで苦しかったり辛かったりするけれど、そうやって激しく心の中を揺さぶると、哀しみや苦しみの固い玉の表面が溶けて、また少しちっちゃくなっていくような気がする。

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旗本もったいない男参上!

2010年11月29日 | ひとりごと
うちの旦那は、日本で暮らした十年を除いては、生まれも育ちもアメリカの生粋のアメリカンだが、食品に関しては、もったいない精神に満ちあふれている。
まあ、別のところでは、妙~に無駄使いをするので、ある意味微妙なバランスをとっているのかもしれない。

その旦那、毎朝一番にコーヒーを入れ、毎夜最終にお茶を入れてくれる。
すっかりそれに甘やかされているわたしは、コーヒーもお茶も、美味しいのを入れることが苦手になってしまったぐらい。

「さて、今夜のお茶は何がいいか?」と聞かれ、ルイボスにはちょっと飽きたし、ジンジャーティっていう感じでもないし、う~んとひと悩みして……カフェイン抜きの緑茶をお願いした。
そのティーバッグが入った箱を探し出し、中を覗いて「あっ!」と叫ぶ旦那に近寄って行くと、袋の上部が破損したティーバッグを掴んでじぃ~っと睨んでいる。
まあ、まだいっぱいあるんだし、中にはそういうのもあらぁ~な、などと思いながら、わたしはその場から離れて片付けに戻った。
食器を洗い終わって、ガスコンロの上に置いてくれてあるお茶を取りに行き、中をのぞくと……ありり?なんかいつもよりティーバッグがちっこいような……。



見えるだろうか……丁度真ん中あたりの銀色の点のようなものが。

まさかと思いながら、お箸でティーバッグを外に取り出してよくよく観察すると……ホッチキスで止めてあるし……。


もちろん、いつものようにありがたく、おいしくいただいたのだけど……。
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冬のいろどり

2010年11月29日 | ひとりごと
今日で気功のクラスと束の間のお別れ。次のシリーズは1月の3日から始まるので、丸1ヶ月お休みになる。
一連の18の動きを、今日は一言のアドヴァイスもなく、ただひたすら流れを途切れさせないようにひとつひとつ続けていく。
足は大地の根っことなり、脳天は天につながる幹となり、指先は真横に延びる枝となり、もはや丹田と命門に宿るわたしという意識のみが中心に残る。

新鮮なエネルギーを指先からコイルのように巻き込みながら身体の中心に入れ、古い、または良くないエネルギーを逆に指先の方に流し出す。

今日のメインはこれ。
そのイメージはできないこともないのだけれど、マリアムが言うように、実際にそれができていると確信できるまでには、まだまだ相当の時間が必要な気がする。
難しいと言う生徒が多かったので、イマジネーションの練習を瞑想に取り入れたマリアム。
彼女の柔らかで低い声が、目を閉じた真っ暗な世界に静かにしみ込んでくる。
「あなたが息を吸い込むと、そこには空間が生まれる。器官に、内臓に、細胞と細胞の間に、骨に、筋肉に。そしてその空間はとても心地良く、皆が自由に開放される。あなたは今、とても心地良い気温の、とても清々しい山の中に居て、そこには小さな滝がある。あなたはその滝の後ろ側を歩いていて、少しずつその清らかな水に打たれていく。その水は、あなたの頭からまず外側の皮膚を洗い清め、そしてさらにはあなたの身体の内側をも洗い清めてくれる。あなたの足の裏からは、洗い清めた後の水が少しずつ滴り落ちている」

わたしはわたしでかなり集中して想像の世界に入り込んでいたのだけれど、ひとつだけ邪魔をするものがあった。
それは……旦那……。

なぜかというと、旦那はこういう種類の話を聞くとシラケる傾向があり、その傾向をしっかり引き継いだ拓人がよく、こういう話の最中に、「ムリッ!」と一言で蹴り飛ばしてしまうマネをして、前のクラスが終わってからだったかに、思いっきり茶化して笑っていたのを思い出してしまったのだった……。
なので、マリアムがなにか言うたびに、わたしの耳の奥にまで、拓人の「ムリッ!」が聞こえてきて、斜め向かいに座っている旦那を薄目で確かめたりする始末……。

なかなかに葛藤が多かった今年最後の気功のクラスなのだった。やれやれ……。


気温8℃。すっかり冬。花の茎も凍ってしまい、いよいよ終わりがやってきた。 


けれども中にはこんな真っ赤があり、


こんな桃色があり、


こんな優しい白もある。


朝から起きて、何時間か毎にピアノを弾いてみる。
昨日のことは夢で、もしかしてあの音がすっかり消えてしまってたらどうしよう……などという不安が、ふと心をよぎる。
けれどもしっかりそれは残っていて、わたしをホッとさせてくれる。
何日かじっくり弾いて、また気がついた問題があればアルバートに伝え、そのための解決策を彼が考える。
こういうことをくり返しながら、少しずつ少しずつ、このピアノ本来の音をとり戻していこう。
そう言ってくれる腕のいい技術者が、偶然引っ越してきた家のすぐ近所に住んでいることの幸運。
これもまた恵みに違いない。感謝!

つい最近、運転途中に遭った、とんでもなく危険な運転をする車に、わたしは初めて怒りを感じなかった。
きっと彼、あるいは彼女は、とても急がなくてはならない物事を抱えていて、自ら危険を冒してあんな危ない運転をしている。どうか彼を、あるいは彼女の身の安全をお守りくださいと、心の中で祈った。

そんな自分にちょっとだけ驚いて、ちょっとだけ嬉しかった。
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願い八分目

2010年11月28日 | 音楽とわたし
昨日の夜、真剣に神さんにお願いした。

もしわたしが間違いを冒しているんなら、はっきりとそう教えてください。
もしどうしようもないことに悩んでいるんなら、もう悩まずに違う選択ができるよう導いてください。

お願いした限りは、どういう教えが来ようとも、それを受け止めて行動できるよう腹をくくった。

カルロス氏のアパートの部屋に入って行った時、わたしはもうはじめっから、このピアノを引き取ろうと決めていたのかもしれない。
口では、もし状態が良く無かったら買わない、とはっきり断言していたけれど、息子を亡くしたばかりの母親の哀しみと悔しさ、志し途中にして死ななければならなかったカルロス氏の無念がこもる部屋で彼が残したピアノを弾いた時、これをわたしが引き継ごうと思った。

そんなわたしを、センチメンタル過ぎるとか、無謀だったんじゃないか、などと言う人が居る。わたしもそう思う。
けれども、このピアノの、体全体から響いてくる深い音色は、問題をいっぱい抱えていそうな鍵盤という事実を忘れさせてくれるほどにわたしを魅了した。
きっと、もっと良くなる。カルロス氏が自分の健康のことの方が大変になってからずっと、放っておかれたであろうピアノの健康を取り戻してやろう。
そう決心して手に入れた。
考えていた以上に鍵盤の状態は深刻で、いろんな手違いや思い違いから、大きなストレスを抱える毎日が続き、わたしの心の中は揺れに揺れた。
このピアノは手に入れるべきではなかった。と、はっきり断言する人がいて、わたしはその人を尊敬しているし好きなので、その言葉は余計に胸に刺さった。

鍵盤の本格的な修理が始まった。
本当に、とにかくいい状態の鍵盤にしたければ、なんのことはない、古い物を取っ払って、全部新しい物に替えるのが最短の方法。
けれども、それには莫大な費用がかかる。それに、もしかしたら、そのピアノ本来のキャラクターも失われる可能性もある。
なので、とりあえず、その場しのぎ的ではあるけれど、少しずつ、今ある物を残しながら、修理していくことになった。

鍵盤の表面とハンマーの頭の部分だけは新品に替えた。
軸棒などの木の部分の、非常に細かい修正作業は、調律師のアルバートに任せることにした。
その前に、安いからといって、安直に頼んだ調律師やピアノ工場の仕事が、かなりお粗末だったことも判明した。
今までの修理に払った費用が、合計で20万円近くになった。
修理のたびに期待して、お金を払い、そして失望する。また期待してお金を払い、また失望する。
こんなことをくり返して一年近く経った。

先週の日曜日、アルバートが来てくれて、5時間もの時間を費やしてハンマーの修正をしてくれた。
その後、今日の日曜日まで弾いて、感想を聞かせてくれと言われて、わたしはあれやこれやの曲の練習をした。
1オクターブの中に、わたしの要求に的確に応えてくれる鍵盤が数個しか無いことに失望しながら、とりあえず次の修理に向けての問題点を具体的に並べられるように、努めて冷静に弾いた。

そんな毎日を過ごして、やっと踏ん切りがついた。
もしこのピアノが、修復不可能ならば、こだわるのをやめて手放そう。

修理にやって来たアルバートに、仕事に取りかかる前に話をしたいと言った。
これ以上意味のないこと、不毛なことにお金を払いたくない。
これまでの修理の後、満足できる改善が見当たらない。
あなたの、長年の、プロフェッショナルとしての経験から見て、このピアノにこれ以上の手入れが意味のあるものなのかどうか、わたしに気を遣わないではっきりと教えて欲しい。
わたしはこのピアノの響きが好きではあるけれど、ひとつの鍵盤で何百種類もの音色が出せるはずなのに、その手(指)応えが充分でない鍵盤の数が多過ぎて、ひとつのフレーズを練習しているだけで、欲求不満で押しつぶされそうになってしまう。このストレスは辛い。
「例えば……」と、弾きながら細かく説明をした。「ほら、この音とこの音は、同じ弾き方をしているのにこんなに響きが違うでしょ?」
すると、「まうみはもっと柔らかい響きが好きだと思っていた」と驚くアルバート。
もちろん、わたしはどちらかと言うと柔らかな音が好きだけど、ただ柔らかいだけで、いろんな音色を表現できないのは困る。
わたしの指先は、多彩な表現ができるよう、長い長い時間と努力を経て訓練されてきたのだから。

「まうみ、ボクはこのピアノは、修理するに値するいいピアノだと思うよ。今日の修理は仕上げだから今までのとはかなり違う。その結果を見て、それでもまうみの希望から程遠いものだったり納得できないものであるかどうか言ってくれる?」

もう何回目になるのだろう、鍵盤が外されて、修理が始まった。
 

ハンマーのフェルトの部分と軸棒のつなぎ目にはめられているピンのサイズが間違っているのだそうで、それを三回り太めの物に入れ替えた。


黙々と仕事をするアルバート。


「どうしてここ最近、日曜日なの?」と聞くと、奥さんのたっての願いで、12月に1週間休暇を取ってカナダにスキー旅行に行くのだそうな。
「へぇ~、いいねえ」と言うと、「良かないよ!前にも一度同じことをやって、すごく後悔して、もう二度とやらないって決めたのにどうしてもってしつこくて、それで嫌々いいよって言ったんだけど、やっぱりすぐに後悔した。休日もなにも無くなってさ、スキーだって全然好きじゃないし……」とアルバート。
父ちゃんは大変だ。

ハンマーの裏側。黄色い色のカバーが新しい物。新しく付け替えられてはいるけれど、ちゃんと調整がされてないそうな。


調律師の仕事って意外と膝と腰に悪い。わたしのエクササイズのマットがこんなところで役立った?!


そろそろ6時間が経ち、仕上げに入るアルバート。


先週の日曜日と今日とで、合計10時間以上仕事に費やしてくれたのに、請求は500ドルだった。悪いような気がするが、うちにとってはありがたい。

今夜もきれいになりそうな夕暮れ。


写真を撮っている足元で緑が揺れた。青桐の若葉がこんなに大きくなった。根っこから、枯れ落ちた四枚の葉が見守っている。


「もうね、かかるもんはしょうがない。いいピアノになるんやから、気持ち良く払っていこう」
そんなありがたいことを言ってくれる旦那に感謝!
外にぶらりと出てケールを買ってきた旦那。今夜はこれと、ターキーの骨ガラスープを作ってくれるそうな。


旦那の好きなビール。ボトルがデカくてひとりでは飲みきれないのだけれど、わたしはこの味が苦手なのでお助けウーマンにはなれない。


旦那はこれをチビチビ飲みながら、ケールの軸取りの作業をする。もちろんこれはわたしも手伝う。



ピアノは、願い八分目ぐらいまでに甦っていた。音に色と幅が出てきた。指が、心が、耳が、うんうん、これこれ!と喜んでいる。
これが神さんの答なんだと思うことにした。
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寒いけれど楽しかった日

2010年11月27日 | 友達とわたし
今日も一日、家の中でだらだらしようと企んでいたわたしでしたが、旦那の日本流お誘い?に負けて、友達とランチ&おしゃべりをしに、ここから北に1時間ぐらいドライブした所にあるポートチェスターというニューヨーク州の町に行ってきました。

外に出るとさっびぃ~!うそうそ!雪は降っておりません。けどサブゥ~

ニュージャージー州からニューヨーク州に行くには、必ず橋かトンネルを渡らなければなりません。今日はジョージ・ワシントン・ブリッジを選びました。アッパーとロゥアーがあるのですが、もしかしてロゥアーは初めてかも……。
 

渡ってすぐはブロンクス。
  

暇で仕方がないわたしは、冬枯れの風景を撮影。写真撮らせてりゃ静かなので、旦那も大賛成。
 

ナビの言う通り行ったのに、「ちゃうちゃう!もぉ~!計測し直します!」って……ナビさん、あんたのせいやし……地道からもう一度高速に入り直します。


なんか見覚えのあるとこやなあ……と眺めていたら、「ここやったな、あのインチキピアノを売られたとこ」と旦那。苦い思い出がフツフツと……。


ポートチェスター入り口。


どこに行っても必ずあるモール。判で押したようにおんなじ風景やし……。


全米で一番安いガソリン価格の州に住んでいることを、よその州に行くたびに確認。1ガロン(約4ℓ)40セントの差は、我々庶民にとっては大きいのです。


コネチカット州から、6才の双子ちゃん姉妹の日本学校のために、毎週土曜日にここまで通っているPSママ&J君夫妻。
地理的にお互いの家から丁度半分半分の所なので、これまでもいつか一緒にお茶しよう~と言っていたのですが、とうとうそれが今日実現しました!わ~い

ランチはブラジリアンのバフェスタイルのお店で。スペアリブが絶品!なのに写真をすっかり撮り忘れてしまった……。
どれもみんな美味しくて安くて大満足だったのだけど、備え付けのテレビの音量が大き過ぎてうるさいのなんのって。
それで、ライという名前の隣町にある、カフェラテが美味しいフレンチコーヒー店に移動しました。

もぉ~めちゃんこ美味しいカプチーノとカフェラテ!


こっからひとつだけ選べって言われてもなあ……かなり苦しみました……。


気がつくとお皿の上に……どんだけ乗っとんねんっ!


このヘーゼルナッツクリームとナッツが挟まれたチョコレートケーキ……あまりの美味しさに涙ぐみそうになるわたし……初めて食べたマカロンもぐー!
 
パウちゃんとソウちゃん。ビスケットの上の絵が、ナメナメ攻撃を受け、すっかり消えております。でもこれが子供の食べ方の正道だよね~!


お店の窓から見えるお向かえに、同じくフレンチのお店が。そこのバゲットがめちゃ美味しいということで、もちろんそちらにも突撃!


中はウナギ床風、奥までずっとお店が続いています。


チーズや生ハム、パテなども。
 

いろいろと楽しく話して、美味しいものをいっぱい食べて、あっという間に時間が過ぎました。
今度はまた年明けの1月、関西美人妻会で会おうね~!

ラジオの交通情報を聞いたところ、一番空いていそうだったのがタッパン・ジー・ブリッジ。わたしの一番好きな橋です。


空はすっかり夕暮れて……、


着く頃にはもうすっかり暮れてしまった空。冬ですなあ~……。
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のんびりしたようなしてないような

2010年11月26日 | ひとりごと
なんか不思議な日でした。

朝寝坊して一階に降りていっても、コーヒーのいい香りがせず、あ、今朝は旦那がおらへんのやった……とちょっとがっかり。
お茶がぎっしり入った棚を一通り調べて、なんか温かいお茶を入れようと思ったけれど、お目当てのチャイティーが見つからずまたまたがっかり。
なのでやけくそで、手当たり次第紅茶をつかみ、葉をひとつまみずつ茶こしに入れて、いったい何茶なのか見当もつかないお茶を作りました。
あかんなあ~……ひとりになった途端にこんなにトホホでは……。

のんびりとだらだらと過ごす。これをしたかったばっかりに、ペンシルバニアに旦那を置いて先に戻ってきたのに、なんだかつまらない朝なのでした。

夕方にひとりだけ生徒を教え、その後モントクレア州立大学の音楽家棟で行われる録音に参加するために、パートナーのブライアンの家に行きました。
チビだった生徒が運転する車の後ろをついて走り、大学構内の駐車場に停め、彼の案内で大学の建物に向かうのは、なかなかに面白い経験でした。
彼のチューバの先生が待つリハーサル室に入り、挨拶もそこそこにピアノをまずチェック。うわっ!シュタインウェイのアップライト!やべっ!

もしかしたらわたしかもしれません。これに限って運が極端に悪いのかもしれません。けれども、今までに一度として、シュタインウェイのアップライトピアノで、まともな物に出会ったことが無いのです。
それで……今夜のもやっぱり……かなり困ったチャンなのでした。
異常に固い鍵盤、中には底まで押し切れずに途中で止まってしまいそうな鍵盤があり、音の陰影どころか、強弱をつけることさえも難しく……これを二回目の合わせまでにどこをどうコントロールしたら、それなりにきれいな響きになるのか見つけないと……。
曲はとても微妙な、ピアニッシモの部分が多いので、内心とても困っていたのですが、大抵のソロ楽器奏者さん達は、ピアノという楽器をよく理解していないので、そんな細かいことはおかまいなし。
いつもこういう場面でふと思います。持ち運びできる楽器を専門にしたら良かった……。
それなら、いつも演奏し慣れているし、楽器の状態もよくわかっているので、我々のように、与えられた楽器の善し悪しに左右されることも、必至で対策を考えることも不必要です。
でもまあ、それでもやっぱり最終的には、ピアノをしたかったから選んだという事実が、大きな山のようにドカンと心の中にそびえたっているので、ウダウダ文句言う暇があったらもっともっとうまくなれ!ということですね、はい。
録音はたったの3テイクで終わりました。
ブライアンもとてもよく頑張りました。そして、彼の先生から「今回ブライアンは上出来だったけれど、一番良かったのは、あなたのような素晴らしいピアニストを見つけたことでしたね」と言ってもらい、わたしもニコニコ。
昨日、ペンシルバニアからマンハッタンのアパートに行き、今夜公演される『ドン・カルロ』を観に行くという、旦那父からの急なオペラ鑑賞のお誘いを、この録音があったために断らなくてはならなかったので、このお褒めの言葉は大きな慰めになりました。

家に戻り、旦那と一緒に昨日の残り物をレンジで温めて食べていると、エヴァンから電話がかかってきました。
ハイロのことで久しぶりに再会したエヴァン。彼の母親キャサリーンとも、わたしがfacebookをとうとうのとうとう始めたのがきっかけでちょくちょく話すようになっていて、せっかくだから今週末に一度、軽くお茶とかしながらしゃべろうよ!と約束していたのでした。
エヴァンは明日の昼からホテルの仕事に戻らなければならないので、じゃあ今夜、今すぐにおいでよ!ということになりました。

それでついさっきまで、おしゃべり炸裂!あ~楽しかった!
エヴァンはあと半年もしたら、ロサンジェルスに引っ越して、役者を目指して頑張るのだそうな。
彼の父方のおじいさんが向こうで住んでいて、そのおじいさんがまた、波瀾万丈の人生を歩んだとてもユニークな男性で、彼を頼って行くと決めたエヴァンの瞳はとてもキラキラ輝いていて、わたしはそれを見てすごく嬉しかったのでした。

エヴァンも拓人も恭平も、そしてカミーロも、ハイロの分も楽しんで、時には悩んで、健康に気をつけて、ずっと長生きするんだよ。
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11回目のHappy Thanksgiving

2010年11月25日 | 家族とわたし
アメリカに移住してから、Thanksgiving(感謝祭)の集まりにも参加できるようになった。
それで今回は11回目。
はじめのうちは、あまりこの日の意味合いがよくわからなくて、1ヶ月後にあるクリスマスの日とほぼ同じメンバーで同じメニューのご馳走を食べることに、どうして誰も文句を言わないのだろう……などと思ったりしていた。

旦那のおばあちゃんが亡くなるまでの6年間は、毎年彼女が住むワシントンD.C.に集まり、おばあちゃんを主賓に、近所のレストランで会食した。
おばあちゃんはすでに90才を突破していたが、足が弱ろうが、目がほとんど見えなくなろうが、毎年必ずステーキを注文し、大きなお皿の上に所狭しと盛られているお肉やマッシュポテト、そしてサラダなどを、ゆっくりと、かならず残さずに平らげていた。
長生きの秘訣は食欲が衰えないことと、誰かから聞いたことがあるが、まさに彼女がその生き証人だと思いながら、いつも感心して見ていた。
おばあちゃんが亡くなってからは、その子供達のそれぞれの家で、感謝祭のお祝いをすることになった。
旦那の両親の家に行くのが数回続き、やっぱりクリスマスも同じだし、子供達もいいおっさん&おばさんになってきたことだし、そろそろ感謝祭は子供達が主体になってやろうではないか、ということになり、3年前から旦那姉のアードリーがホスト役を引き受けてくれている。

ということで、うちはお気楽に、ただただ行ってご馳走をいただくという能天気ファミリー。
旦那は今晩泊まりたいので、日産に乗ってひとり先に行き、日帰りする恭平とわたしはスバルで後から出発。翌日のブラックフライデーバーゲンを狙って、ニューヨーク州のアウトレットモールに夜中に到着したい拓人とガールフレンドのK子ちゃんも別行動。まったくのバラバラなのであった……。

なんか朝からめっちゃいや~な予感がしているショーティ。ご機嫌とり丸出し、感謝祭特別メニュー。


今日は朝から雨、雪、みぞれ模様。ペンシルバニアのきれいな風景も、うっすらと雪が積もっていた。


今日のご馳走はすっかり食べてしまってから、あっ!写真!と気がついて撮ったので、かなり悲惨。美味しかったのに……。
アードリィのお隣に住む80才のボブは、元原子力発電のエキスパート。開発を依頼されて、よく日本にも出向したのだとか。彼が作ってくれたサラダは絶品だった。


今夜、アメリカ中のそこかしこで、オーブンの中であっちっちに焼かれた気の毒なターキー。


グレービーソースは旦那母の手作り。わたしの大好きなスウィートポテト。もちろんナッツ入り。


アードリィのご主人エリックは、家の内装から水道管の工事、ビールもパイもなんでも作っちゃう超ハンディな人。
今日のパイは、チェリーがゴロゴロ入ったサワーチェリーパイとパンプキンパイ。
 

おかあさんが作った人参のディップ。にんにく、レモン汁、軽く茹でた人参、コリアンダー入り。めちゃウマ!


エリックの姉と妹は、今どき珍しい子だくさん。妹夫婦などは再婚同士なので、二人の子供をみんな合わせると11人?!
姉夫婦は長い長い離婚調停中だけど、やっぱり多くて6人。毎年その子達がこぞってやってくる。
 
赤ちゃんだったテスラとエメラ。
 

そしてスティーヴン。チビッ子は狭い所が大好き。


いつまでも尽きない話。一年分だもんなあ~。


糸電話を作って遊ぶチビッ子達。お兄ちゃんお姉ちゃんも、遊んであげるのがとっても上手。みんなもう大学生なんだよねえ。


すごい写真を発見!めちゃくちゃ笑える!せっかくなので、写真を写真に撮ってきた。もちろん旦那の許可をもらって。
さて、旦那はどこでしょう~?それにしても、一番すごいのはおとうさん……ええ味出してはるわ~。
子供達はみんな、もうすっかりティーンで、おかあさんはきっと40才を超えているのだけれど、これを見たら、レストランでお酒を注文するたびに「IDを見せろ」と言われたという伝説があるのが納得できる。若っ!!



今日はほんとにお客さん気分で、最初から最後までのんびりさせてもらった。
行き帰りの、恭平とのドライブも楽しかった。最近彼が観た映画の、人為的に夢を操作する話から始まって、彼が今学んでいる心理学のことや、近未来のことなど、久しぶりにたくさんのことをとりとめもなく話した。
今、軍隊のブートキャンプに入っているカミーロも、感謝祭だということで特別に長電話が許されたらしく、いろんなことを話すことができた。
彼は多分、自分から志願して、アフガニスタンに行くことになるらしい。
ハイロの分も長生きしないといけないのだから、きっと無事に帰ってきなさいよと、心の中で強く祈った。

感謝祭に、家族が元気に揃うことができることを、心から感謝する。











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♪いつまでもいつまでも♪

2010年11月24日 | 音楽とわたし
元ピアノの生徒のブライアンが、「まうみ!ボクのパートナーになってくれ!」とSOSの電話をかけてきました。
何事かと思って話を聞くと、高校4年生の彼は今チューバという楽器を吹いていて、どうしても入りたいオーケストラのオーディション審査のための、デモテープを作らなくてはならなくて、その曲の伴奏をして欲しい、ということなのでした。
「いいよ~、わたしで役に立てるなら」と言うと、「ありがとありがとありがと!こんなとんでもなく急なことなのに、もうほんとにありがと!」と、受話器の穴から飛び出してきそうな勢いでお礼を言ってくれました。

まだ声変わりもしてなかった頃の、クリクリカールのブロンドヘアの可愛い、とてもハンサムな男の子だったブライアン。
今では背丈が180㎝を軽く超え、髪の毛の色も濃くなり、もちろん声はすっかりオッサン化していますが、やっぱりとてもハンサム。
それにしても……ヒョロヒョロと背ぃたかノッポのブライアンが、でっかいチューバを肩に背負って、自分が運転する車から降りてきたのを見た時にゃ……う~ん……わたしはなぁ~んも変わってないのに(いや、年相応にあっちゃこっちゃ変わってはいるけれど)、若い子ってすごいなあ~としみじみ……。
感謝祭の翌日の金曜日に、モントクレア州立大学のスタジオに行き、そこで本番録音をすることになりました。

チューバ……わたしが高校のブラスバンドでクラリネットを吹き始めた時から、あの低音の響きがとても好きで、あの音に我らクラリネットをはじめとする木管楽器のキャラキャラした音が包まれた時の安心感、なぜだかいつも、どっしりと構えた父ちゃんの温かな膝に乗っかって抱っこしてもらっているような気がしたもんです。

今日は感謝祭の前日ということで、3人の生徒のキャンセルがあり、そこにブライアンとの合わせの練習の時間を入れ、待つこと15分……あれ?来ない……。
電話をすると、お母さんが出て、「もう着いてると思うけど……ウィローストリートでしょ?」
へ?ウィンザーやねんけど……。
ということで、間違った住所を教えてもらったブライアン、おぉ~い、君はどこ走ってるアルかぁ~?
遅れること25分、いやはや、予定の時間がほとんど終わってしもてるし……。

ところが、ラッキーなことに、彼の後に来るはずだった兄妹ふたりの生徒ちゃん達も、もともとレッスンがお休みだと思っていたのか、連絡無しでやって来ず、そいじゃ~ってんでガンガン練習できることになりました。
「困ったね、生徒が来なくて」
「え?よかったやん、生徒が来なくて」
「そりゃボクはよかったけど、まうみにはよくないよ」
「いいのいいの、発表会までえらいこっちゃやったから、こういうのんびりした日が必要やったんやから」
「ゆったりできるのはいいけど、お金が入ってこないじゃないか」
「ブライアン、楽して儲けるなんてこたぁ望んじゃいかんのだよ」
「ごもっとも」

すっかり青年になった元生徒のブライアン、「あのね、ボクはこれから大学に行って、その間もなにがしかの音楽を学び続ける。そして卒業したらね、まうみ、ボクはピアノの生徒として戻ってくるからね。だからここから遠くに引っ越しなんかしないでよ」と言ってくれました。
わたしはこちらに引っ越してから、最初の1年を除いて9年間教えています。これからもきっと、ずっと教えていくと思います。
わたしの生徒達のほとんどは超初心者で、ト音記号のドの音から一つずつ音を覚え、音の種類を覚え、調子記号や表現の記号を覚え、拍子の数え方を覚え、少しずつ少しずつ、専門家となる道からは程遠い趣味の世界ではあるけれど、彼らなりに上手に弾けるようになりました。
全員が普通のアメリカンの子供と同じく、ピアノ以外にもたくさんの習い事をしていて、学校の宿題と運動とでヘトヘトな中、なんとか毎日少しでも練習をする癖をつけるべく、家族と本人とわたしとで何回も話し合いを持ち、いろんなアイディアを試してもらっています。
こちらの子供達は、5才であろうが8才であろうが、自分の気持ちを上手に話すことができるので、あるいはウソをつくのもなかなか上手なので、わたしはいつも、耳の穴と心の引き出しをきれいに掃除しておいて、彼らの話をちゃんと聞かなければなりません。
けれどもそれがなかなかに楽しいのです。
ちゃんとコミュニケーションがとれるよう、相手の話をちゃんと聞くこと、わかってもらえるように工夫して話すことなど、たくさんたくさん学びました。
彼らはわたしの英語の先生で、わたしは彼らのピアノの先生です。
彼らはわたしのアメリカ文化や雑学の先生で、わたしは彼らの人生に、音楽をずっと楽しめる心玉を作る魔術師です。

今までに、引っ越しや進学で、ピアノのレッスンに来られなくなり、ピアノをやめてしまった生徒はたくさんいます。
けれども、その子達全員がそれ以降、なんらかの音楽に関わっているというのが、ささやかなわたしの自慢です。
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あほの一つ覚え

2010年11月23日 | ひとりごと
よく父に言われたもんです。「おまえはアホの一つ覚えが多過ぎるねん」と……。
わたしの場合、別にそれを自慢気に言い立てるってことはないので、正しくは、同じことを平気で何回もできる、という意味です。ははは。

もう三週間以上前になるのだけれど、コリアンマーケットに行くという旦那に、それじゃもしカボチャが安かったら買ってきといて、と頼みました。
案の定、というか、いつも安いので、買って持ち帰ってきてくれたのはよかったのですが、どんだけデカイの買うてくるんと呆れるほどのサイズ。
持ってみると、サイズほどには重くない→美味しくなさそうな代表格→おまけに皮もバッチイ……やはり頼むんではなかった……後悔先に立たず……
ということで、なんだか料理する気にならず、そのまま台所の隅っこに、それでも思いっきりの存在感でもって追いやられていたかぼちゃくんなのでした。

つい先日、食事に行ったジャパニーズレストランで、にんじんと生姜のポタージュスープをいただいて、その美味しさに感動した旦那とわたし。
そうや!かぼちゃと生姜でも絶対いけるに違いない!よっしゃ、いっぺん試しに作ってみよか!
ついに、長いこと疎外されまくっていたかぼちゃくんの登場と相成ったわけであります。

これこの通り、ちょっと写真では伝わりにくいかもしれないけれど、旦那の頭の2倍近くはありました。なので、4分の1でもこんな感じ。


中身が心配だったのだけど、なんとなんと、とってもほっこりとした甘そうな栗カボチャ風なのでありました。ラッキ~!


里芋ほどの大きさの生姜と、玉ねぎと、少量のにんにくをオリーブオイルとバターでよぉ~く炒め、そこにスライスしたかぼちゃも投入。材料の半分ぐらいの水を足し、ブイヨンと塩、胡椒で味付けし、コトコトと煮たものをミキサーで仕上げました。


大きな鍋いっぱいにできたスープ……旦那に「このかぼちゃ全部使てスープ作って」と言われて作ったのだけど、あまりの量にちょっと心配になってきたわたし。
これから仕事に行って、戻ってきてから、旦那用の牛乳無しバージョンと、息子とわたし用の牛乳足しまくりバージョンに分けて作ります。

さて、仕事に行こう~と思って窓の外を覗いたら、うわぁ~!すごい夕焼け!
慌ててカメラを取りに行って、さあどこから撮ろうかとまごまごしているうちに、どんどんどんどん色が変わっていく空!
ぎょえ~!待ってくれぇ~!
いいえ、待ってはくれませんでした……慌てまくってこんなピンぼけに。
でも、わかってもらえたら嬉しいなあ~このすごさ。


ほいじゃ、行ってきまぁ~す!
今日の仕事は、最後のふたりだけのレッスンなので楽々です。
今週は、感謝祭ウィークで、すでにみんなはお祭りモード。今週いっぱい学校が休みだし、おまけにこないだ発表会が終わったところだし。
なのでわたしも、ちょっとのんびりできました。わいわい


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心をまるめる

2010年11月22日 | ひとりごと
仕事帰りに空を見上げると、お月さまがあんまりきれいだったので。もしかして、今日が満月だったんだろうか?


雲が少し切れてきた。



今日の気功のクラスに、旦那が都合で参加できなかったので、メンバーが女性だけになり、急きょ女性のための気功を教えてもらうことになった。
講師のマリアムが、自分の家から『陰と陽』の太極図が描かれた彫刻を持ってきていて、いよいよ近づいてきた祭日前の仕上げとして、『丸』をテーマに教えてくれた。


もともとこの図は、太陽と月のイメージから作られたもので、だから色は白と黒ではなくて、白と金色だったそうな。


けれども、この図を広めようという時に、コピーを重ねていくうちに、金色の部分がいつしか黒になってしまったのだそうな。
そしてまた、ふたつの太極したものが重なっている部分は、Sの形をしているけれど、実はそれと反対側にも同じ逆Sの曲線が隠れていて、それが重なるとインフィニティ=無限になるのだと教えてくれた。


今日は、丹田と命門を中心に、この曲線を描く動きを、いろんなパターンで教えてもらった。
手のひらからもし、絵の具が出てきているとしたら……、
指先からもし、一本の絵筆が出ているとしたら……、
そんなふうに、いろんな想像をしながら、縦に横に、前に後ろに、体全体をゆっくりと動かしながら、曲線を描いていく。
少し汗ばんできたわたし達に、マリアムが言った。
「たくさんの女性が、このシンボルを好んで、いろんなジュエリーや金属で象ったアクセサリーをつけているけれど、いまやわたし達には、そんなアクセサリーは全く必要がなくなったわね。だって、わたし達は今、わたし達自身の中に、このシンボルが象られているんだもの」

怒りも心配も嫉妬も恨みも哀しみも不満も、ゆったりと動きながら息を吸い込んだり吐き出したりしているうちに、細かい気泡になって心や血の中から消えていく。
瞑想に入った時、わたしは突然、広々としたまぁるい湯船の中に浸かっている自分が見えた。
とても気持ちが良くて温かで、うっとりとしていると、そこに次々に、普段ちょっと苦手だと思っている人達がやってきて、足先から湯の中に静かに浸かり始めた。
わたしは彼女や彼の顔を眺めながら、どうしてこの人達のことを苦手だなんて思っていたのだろう……と、妙に不思議な気持ちになった。
すっかり肩まで浸かった皆の顔に、ほのぼのと温かみが差し、まぁるい笑顔だらけになった。
まぁるい湯船の中のまぁるい人々。なんだかとても嬉しくなってきた。

マリアムが言った。
「もしわたし達が、まるい考え方ができたら、まるい話し方ができたら、きっとそれは周りの人の心の中に、温かなまるをあげることになると思う」



夕飯を食べ終わって、さっさと片付けてしまいたかったわたしがお茶碗を洗い始めると、「あ、ボクもちょっとは手伝うし」と旦那。
本当だともともと旦那が洗うべき状況だったので、いつもだとそこでカリカリッと怒ってしまったりするのだけれど、試しに『◯』を強く思い浮かべてみた。
するとあらあら不思議、ふふん、別にええねん、わたしが勝手に片付けたかっただけやねん。などと思っているではないかっ?!

まぁるく考えることは、文字通り、家族の円満に役立つのかもしれない。





追記
かわちゃんが、陰陽を象った太極図は、もともと道教の教えが起源なので、太陽と月(金色と白色)の説はおかしいと指摘してくれました。
わたしもさっそくウィキペディアで調べてみると、そこにも太陽と月説は書かれていませんでした。
いろんな説がそれぞれのグループで語り継がれていっているのでしょうね。
かわちゃん、教えてくれてありがとう。




コメント (9)
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