YO-YO MAの演奏を生で、死ぬまでに一度でいいから聴いてみたいと、随分長い間願ってきた。
こちらに移り住んでから、その機会は何度もあったのだけど、その都度あれこれ事情があって諦めなければならなかった。
今回は気づくのが遅くて、値段が高い席しか残っていなかったのでちょいと躊躇したのだけど、ヨーヨー・マだけではなくてエマニュエル・アックスとレオニダス・カヴァコスのトリオだというので、これはもう行くしかないだろうと決心した。
アックスのピアノはなんとも軽やかで上品で心地良く、うっとりと聴いているといきなり音楽の深淵にグイッと引き込まれて呆然となったりする。
カヴァコスのバイオリンはユジャ・ワンとの共演で初めて聴いて、ただただぶったまげたままで気がついたらコンサートが終わっていた、というくらいの凄さで、あんな激しい感情の吐露ととんでもなく高度な技術の合体は可能なのか?と、今も思い出すたび唖然としてしまう。
そんな二人とヨーヨー・マのトリオなのだ、聴き逃している場合ではないではないか。
コンサートが刻々と近づいてきて、ワクワク感がハンパじゃなくなってきた頃、いきなりコンサート会場からメッセージが届いた。
「カヴァコスが病気のため、今回のコンサートに出演できなくなりました。
よって、ヨーヨー・マとエマニュエル・アックスの二人によるコンサートに変更します。
プログラムは当日、本人たちがお伝えします」
が〜〜〜ん😦
がっかりしたのも束の間😅、やはり当日は朝から落ち着かない。
今回の演奏会場はNJPAC(New Jersey Performing Arts Center)。
うちから車で15分弱で行けて、駐車も会場近くの通りのどこか空いている場所を見つけてできるから無料。
とても気楽に出かけられるのがありがたい。
いつもは一番安い席(5階)の前の方で聴くことが多いのだけど、チェロのヨーヨー・マの顔が斜め前方に見える位置の前から2列目の席を買った。
ほぼかぶりつきであるのだが、今回はトリオからデュオに変更になったので、ヨーヨー・マに目力でアピールする計画は頓挫してしまった。
さて、二人が和気あいあいと笑顔で語り合いながら舞台に登場し、まだ一音も出していないのに会場はもう大興奮。
プログラムは二人の写真と経歴だけのペラペラの一枚の紙で、もちろん曲目などどこにも無い。
二人がそれぞれにマイクを手に話し始めた。
二人は52年来の親友で、演奏はもちろん家族ぐるみで仲が良い。
会場にはアックスの家族が来ていて、それをヨーヨー・マが必死で見つけようとする。
ひとしきり二人で冗談を言い合って会場を沸かせ、なんだこのおもろさは、などと思って油断していると、いきなりベートーベンのソナタが始まる。
もうその一音一音が音楽の神さまのひとしずくのようで、いや、音というより声、いや、声でもない、なんだろうこの響きは。
ヨーヨー・マが目の前で、まるで温泉の湯船につかってはぁ〜っと弛緩してるような按配で、ふふふ〜んと鼻歌でも歌うような気軽さで、ベートーベンやブラームスのソナタを奏でる。
その音は、もうチェロという楽器を通り越して、なんとも言えない肉薄さでもって、わたしの耳から心に届き、時には眉間の辺りから天井に向かって昇華したり、時には腹の底に留まって身体中を震わせたりした。
たった一音が、決して涙もろくはない夫を涙ぐませたこともあったらしい。
ところでひとつ面白かったのは、ヨーヨー・マはエンドピンのストッパーを使わないみたいで、舞台の床をエンドピンの尖った先でゴツゴツ打ってへこましていた。
まあ、ぶっちゃけて言うと、舞台の床を傷つけていたわけだ。
でも、演奏中に気持ちが高揚してきたら体も大きく動くので、何回もエンドピンの先がへこみからずれて、楽器がツルッと滑りそうになっていた。
ずれても平気でそのまま演奏を続けることもあれば、曲の途中で新たな穴を作ったり、椅子をちょっとずらしたり、そんな余計なことをしていてももちろん素晴らしいパフォーマンスは絶賛続行中。
あとで、「いやあまいったよ、何度も楽器が吹っ飛んでいきそうになっちゃってさ。実はチェロってかなり危険なんだよね、だってかなりとんがってるからね、先っちょが」なんて言ってまた笑わせていた。
二人は異様に近い距離で演奏していたので(ヨーヨー・マの左肩とエマニュエル・アックスの右肩がほとんど触れるぐらい)、チェロの弓の先っちょがピアノを付きはしないかとハラハラしたが、もちろんそんなことは全く起こらなかった。
この写真は同日行われた別の演奏会場のもの。
ヨーヨー・マは3曲ともほぼ暗譜、ずっと目を閉じるか半眼で、自分が奏でている音をすぐそばで聴いて楽しんでいるような感じで、それがもうなんとも言えないほどに心地良いのだという感じがひしひしと伝わってきた。
エマニュエル・アックスの姿は、わたしの席からはほとんどヨーヨー・マの体で隠されていて見えなかったのだけど、その地味な動きからは想像できないような、多様でしっかりと掘り下げられた感情表現が次から次へと聞こえてきて、その音の響きに包まれているだけで幸福になった。
偉大な二人の音楽家に心から感謝する。
カヴァコスとのトリオがもし実現したら、なにがなんでも聴きに行く。
またしっかり働いてへそくらないと😅