先週の辻井伸行さんのコンサートのプログラムにこんなお知らせが挟まれていた(バッグの中に入れておいたのでくしゃくしゃになっていた…)。
夫が「なんかK(次男くん)によく似た女の子だなあ」と言うので見てみると、確かによく似ている。
真央ちゃんか…。
そこで辻井さんの演奏が始まったので、真央さんのことはプツンと終わってしまった。
演奏会が終わって家に辿り着き、辻井さんのピアノの音の余韻を楽しみながらプログラムをあらためて読み直そうとカバンから出した時、真央さんのチラシが床に落ちた。
真央さんの笑顔がわたしを見上げている。
ふむふむ、ちょっとどんな人なのか調べてみようと思ってパソコンに名前を入れてみた。
わたしはもともと、物事や人のことをよく知らない。
知ろうとしないからなのだけど、知っておかなければならないことも知らないことが多い。
居直っているのか?と言われても仕方がないほど知らない。
藤田真央さんは女性ではなく男性だった。
にこやかで、柔らかで、静謐で、ゆったりしてて、でも突然ヒャヒャヒャ!と声を張り上げて笑ったりする、24歳の小柄な若者だった。
そしてとんでもなく素晴らしいピアニストだった。
モーツァルトのソナタはこんなに面白くて楽しくて清らかでキラキラ輝いて切なくて深いものだよと知らせてくれる人だった。
ピアニシモ、いやピアニシッシモ、いやピアニシッシッシモっていう音があるんだよ、と教えてくれる人だった。
どんなに微かな音にも魂があって、存在しているその一瞬の間に、人の心を鷲づかみにする力があると聴かせてくれる人だった。
その夜わたしは、真央さんの記事や動画を、深夜までずっと読んだり聞いたりして、慌ててチケットを購入した。
それもチラシの15%引きコードを使って。
平日の冷たい雨が降り続く夜だったけど、心はワクワクと温かかった。
一人で行くには電車が便利。
しかもわたしはシニア料金で往復6ドル。
マンハッタンの街は歩いてどこかに行くのがいいのだけど、こんな日は地下鉄を使う。
32丁目のペンステーションから42丁目のタイムズスクエアまで行って、別の路線に乗り換えて57丁目まで行くと、出口を出てすぐのところにカーネギーホールがある。
心地良いジャズを聴かせてくれるミュージシャン。
3年ぶりに乗った地下鉄の構内がやけにきれいになっていた。
乗り換えもスムーズにできるようになった。
今回の席は、2階のボックス席。
一コマに8席で3列に分かれて座る。
わたしの席は一番後ろの3列目で、後ろになるほど椅子が高くなっていて、だからよじ登るようにして座らなければならなかった。
でも椅子は固定されていなくて自由に動かせるので、わたしの前には誰もおらず、舞台をスポーンと見下ろせる。
プログラムは、
モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 K.573
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 K.311
リスト:バラード第2番
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 K.311
リスト:バラード第2番
休憩を挟んで、
ブラームス:主題と変奏 Op.18b
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21
ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番 Op.22
ブラームス:主題と変奏 Op.18b
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21
ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番 Op.22
だった。
いやもう、ビデオとは桁違いのすごさだった。
聴いた音を言葉で言い表したいのだけど、コロコロ、キラキラ、ズンズン、サラサラ、シンシン、ドンドン、ジンジン、ガンガン、ゴリゴリ、どれも十分じゃないし当てはまらない。
そんな言葉では言い表せない音が次から次へとホールいっぱいに溢れ出てきて、それがもう幸せだの楽しいだの嬉しいだの切ないだのやるせないだの、これまたどう言ったらいいのかわからない感情を、会場いっぱいの聴衆の心に染み込ませていく。
それら全てが一瞬だ。
いやもう、完全にノックアウト。
変な言い方だけど、真央さんのピアニシモの音にガツンとやられた。
彼のリストはモーツァルトの時とは違ってドラマティックで、最後は柔らかな音で終わるのだけど、彼の指が鍵盤から離れ、倍音が消え、それでもまだ彼の指と鍵盤が深く繋がっているのを感じた聴衆は、誰も拍手をせずにひたすら待った。
やがて真央さんの手がふわりと膝の上に乗ったのを合図に拍手の大音響とブラボーの声と口笛。
まだ前半が終わったところなのに…。
今夜の調律師さんは大柄でユニークなやり方で調律している。
後半の最初は前半と同じく変奏曲で始まった。
どちらかというと変奏曲はあまり好きじゃなかったのだけど、こんなに面白くて新鮮で楽しくてびっくりさせてもらえる変奏曲なら何度だって聞きたい。
クララ・シューマンの切ないロマンチックな3曲が終わり、次はとうとう最後の曲だなあと思いながら拍手をしていたのだが、真央さんは一向に立とうとしない。
こちらに顔を向けることもなく、ずっとうつむいたままでびくとも動かない。
あまりに拍手が続くので、チラリと客席の方を見たのだけど、その時もうつむいたままだった。
ようやく、ああ彼はこのまま演奏したいのだなと気がついた聴衆が拍手を止めるとすぐに、最後のピアノ・ソナタが始まった。
至福の時の終わりを告げるに相応しい、真央さんのピアノの魅力を余すことなく見せてくれる曲だった。
客席からは大きな歓声が沸き、熱狂的なスタンディングオベーションで幕は閉じられた。
彼がどこかの音楽祭で弾いているのを、たまたま休暇で訪れていたカーネギーホールの館長が聴き、うちで演奏してくれと誘ったのがきっかけだったと聞いた。
ありがとう館長さん!
アンコールは3曲。
モーツァルトのピアノソナタK. 545の第一楽章、スクリャービンのエチュードOp.8-12、モシュコフスキーの15のエチュードOp.72-11。
モーツァルトのピアノソナタK. 545の第一楽章、スクリャービンのエチュードOp.8-12、モシュコフスキーの15のエチュードOp.72-11。
Facebookのお友だちの話では、彼の大学の先生がこうおっしゃっているそうな。
「彼は『練習が大好きで大好きで仕方ない!』という感じが滲み出る練習をいつもいつもしてるし、それが全く苦になってないどころかすごく幸せそうなんだよねえ!」
そうなのだ、すごく幸せそうなのだ。
彼は本当に幸せそうにピアノを弾く。いや、きっと幸せなのだろうと思う。
そして彼はその幸せを、彼のピアノを聴く人たちと分かち合いたい、その人たちも幸せを感じてほしいと思っている。
彼がすごいのは、ピアノまで幸せにしちゃってることだ。
ピアノが舞台の上で、え?わたしってこんな音も出せるの?え?ほんと?マジ?って言って喜びに打ち震えているのを何度も見た。
そんな彼だけど、彼の登場シーンはかなりユニークだ。
ちょっと猫背で、左手の指でハンカチの端っこを掴んでぶらぶらさせながらやって来る。
ひょこひょこと、ひょうひょうと、たまに両手を軽く組んで寄席に姿を現す落語家みたいにも見える。
そして座ったと思ったらすぐに弾き始めるので、拍手を止めるタイミングには気をつけなければならない。
若き24歳の、けれどもすでに成熟し、その成熟さは今後もどんどんと進化していくだろう素晴らしいピアニスト。
うんと長生きして見守っていきたいなあ。