ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

女性100人に聞きました!「 私がデニーさんを支持する理由」

2018年09月30日 | 日本とわたし


https://drive.google.com/file/d/1NzcSoYHotFdTMbUevGbiOURl79SZtU_J/view

上記のオレンジ色のURLをクリックしてください。
全文が出てきます。

わたしも大いに#デニってる人の中の一人ですが、いろんな意見があってすごくおもしろいです。
今回の選挙では、女性と無党派層の方々の票がデニーさんの勝利に大きく影響したと聞いています。
今後、選挙を控えている地域の運動のあり方やプランの立て方にも、いろいろ参考になると思います。

ここには、太文字で強調されている部分(100分の24です)だけを書き起こさせてもらいます。

******* ******* ******* *******

国に頼らない沖縄の自立経済を目指しているデニーさんと一緒に、沖縄を作っていきたい。

農業と観光を結びつける、という話に感動した。

家庭環境にかかわらず、安心して学業に励めるよう、中学生・高校生のバス通学無料化をすすめるから。

「誰一人取り残さない」という言葉に惹かれた。

デニーさんの言葉、笑顔、人柄から、沖縄のチムグクルが感じられる。

「助成金依存からの脱却を目指す」ところです。

弱者の気持ちがわかるから、不登校が異常だと思うと、強制的に行かなきゃいけなくて子どもたちは逃げ場をなくしてしまうけど、学校は選択肢の一つだと受け入れてくれそう。

大学を卒業して何年か経ち、女性であることがこんなにも生きづらいことなのだと苦しかった。
「女性の質」なんて言葉を、前に立つ人が使う現状が悲しくて仕方ない。
DVや性暴力被害、見えない男女格差と貧困、子育て支援不足から、私たちを解放してほしい。

私がデニーさんを支持する理由は、環境団体が連名で出した公開質問状に、デニーさんがしっかり回答されたからです。
それは、翁長知事が最後に持てる力を振り絞って、県民との大事な約束(公約)を守るために行った、「辺野古埋め立て承認の撤回」についてでした。

話を聞いてくれるリーダーになると思う。沖縄LGBT宣言にも期待してます。

若者とロックンロールで通じ会おうとする気遣いが素敵。

翁長さんをしっかり継承、多様性の重要性が分かっている。
あと苦労の人生なのに、育ててくれた人々、関わってくれた人々皆に、感謝している人間性。

本人も苦労人であり、市民目線な政治家だから。

ウチナーらしい候補者だから。
育てのおっかーの「トゥーヌイービ」の話が、私のおっかーと重なり涙が出た。
貧しくも、みんなで助け合って生きた時代を知ってる人。

基地の町のロック少年が県知事になるという、オキナワンドリーム、マクトゥーソーケーナンナンクルナイサーを地で生きる男。

米軍機からの部品落下事故の時に、ママたちの話を聞いて、一緒になって悲しんでくれたから。
未だに米軍機が保育園上空を飛ぶのは、あの時宜野湾市長がしっかり仕事をしなかったから。

国会議員経験者だから、デニーさんは国の仕組みをよく理解している。

県民の心に向き合えるデニーさんだから。痛みに寄り添える人だから。

辺野古NO、政府のいいなりにならない人がいい。

「県産品を国際ブランドへ」、というキャッチフレーズに惹かれました。
普天間基地撤去や辺野古新基地建設阻止は当たり前の話。

いつもデニーさんが話しているおっかーからの言葉、
「10本の指は同じ丈ではない。でもみんな役割がある」
そういうことを話してくれるデニーさんに、これからの沖縄の方向性の確かさを祈る気持ちで、応援し期待しています。

ぶれない信念、信じられるコトバ、あたたかい笑顔。

子どもがいないと国は栄えない。
それなのに、子どもを産む女性を、自分が女性から生まれたことも忘れて、「質」で語る政治屋には絶対入れられない。
他の候補者も頑張っているが、新しい沖縄はデニーさんと作りたいと考えている。まずは子育て支援から。

ヘノコにノーといい、日本に予算を減らされても、他のアジアとの交流で稼ぎ、沖縄を支え、国際的存在感を高めて、日本政府との交渉力を養い、観光も沖縄人がイニシアチブをもつものにしようとするデニーさんを支持します。


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他にもいっぱい、紹介したい意見がありました。
ぜひぜひ!!
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玉城デニーさん、勝った!「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー!」

2018年09月30日 | 日本とわたし
もうほんっとに嬉しいです。

猛烈なデマを拡散し、自民党は企業・業界団体に、公明党は創価学会に、厳しい締め付けをおこない、嘘八百の公約を吹聴し、争点を隠し、会社や団体に、期日前投票&佐喜真候補の名前を書いたかどうかの証拠写真の提出指示までした官邸。
まさに今回は(も?)、権力側がまいたデマ(国会議員もやってたんです!)とネガティブキャンペーンの嵐と言っても過言ではない選挙でした。

結局は、候補者の佐喜真氏自身が最後まで、「辺野古新基地建設の是非」についてはっきりとした態度を取らず、汚れ仕事は官邸に任せて逃げ続けていた姿が、沖縄の知事としての器ではないと判断されたのだと思います。

「携帯電話料金の4割削減」なんていう公約にならない公約を口にしたり、女性を見下すような発言をしたのも失敗でしたが、これは元々の資質が原因でしょうから、それも選挙中に見られたのはよかったかもしれません。

とにかく、やきもきしながらSNSの情報を見ていた時に、

目に入ってきた写真がこれでした。




あの菅官房長官と小泉進次郎議員が一緒に演説したことが失敗だったという記事にも、腹の底からスカッとしました。


沖縄県知事選 玉城デニー氏が初当選 「菅官房長官と小泉進次郎氏の演説で失敗」(自民党幹部)
【AERA dot.】2018年9月30日
https://dot.asahi.com/wa/2018093000029.html?page=1

一部引用:

・自民党が投票直前に行った出口調査では佐喜眞氏が追い上げ、1ポイント程まで差を詰め、あわや逆転かとも思われた。
・新潟県知事選挙で勝利したように、期日前投票で圧勝して貯金をつくり、当日は互角で勝つ戦術だった。
・自民党、公明党の支援者でも辺野古など基地移転問題では反対を示す離反者が続出、玉城氏の演説会に創価学会の三色旗を振る人まで出てきた。
菅官房長官が現地入りし、進次郎氏と一緒に演説した際に、辺野古のへの字も言わず、携帯電話の値下げの話などを延々と喋り、『帰れ』と怒号まで飛び交った。
オール沖縄で結束されると勝てることを2回も実証された。


ちなみに『ガースー』とは、菅官房長官のネット上での愛称?(蔑称)です。



選挙のたびに、いつも大いに参考にさせていただいている、はるさんのグラフを紹介します。
三春充希(はる)みらい選挙Project























一方、敗れた佐喜真候補陣営は、


で、写真が上がってきました。





敗退について、首相と官房長官はどのような態度をとったのでしょう?

安倍首相:
残念だがしょうがない。
そして、沖縄を通過した巨大台風が各地で被害を出しているというのに、午後早くにとっとと私邸へお帰りに。

菅官房長官:
携帯電話料金を「4割程度下げる余地がある」と演説の中で公約したことを、東京新聞の望月記者に会見で問われ、
「あなたの要望にここはお応えする場ではない」などとトンチンカンなことを言ったり、
「沖縄の選挙のことについては、本人に聞いていただければと思う」と、見事な責任逃れっぷり。

そんな官邸が目論んでいるのはもちろん、


移設引き続き進める、自民
【KYODO】2018年9月30日
https://this.kiji.is/419141338497713249

沖縄県知事選で30日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する前衆院議員玉城デニー氏が、移設を推進する安倍政権が支援した前宜野湾市長佐喜真淳氏を破ったのを受け、
自民党は「(移設に)取り組まなければならない」(塩谷立選対委員長)として、結果にかかわらず移設を引き続き進める考えを示した。



10月1日から、オスプレイが東京の空を飛びます。
沖縄と同じく、夜間飛行、低空飛行の訓練を、やりたい時にやりたい場所で、下に住宅があろうが学校があろうが、そんなことはおかまい無しに。




もう沖縄だけの問題ではありません。
もう遠くのあんまりよく知らないからすぐに忘れてしまう県の被害ではありません。
日本全土に及ぼされる可能性が大きくなりました。

『日米地位協定』

これがどういうものであるか、いろんな本が出ていますし、インターネットでもたくさん調べることができます。
わたしはこの本を読みました。とっても読みやすくわかりやすかったです。


ついでと言っては申し訳ないのですが、本当は憲法より大切な、と言われてしまった『憲法くん』(幸雄さん、素敵な贈り物をありがとう!)も、これまたとても読みやすく、何回読んでも胸がぐっと熱くなる本です。



というわけで、ちょっと話がそれてしまいましたが、法的措置を取ると断言している政府に、玉城デニー新知事は対峙していかなければなりません。
これからが大変な道のりになると思います。
沖縄だけの問題にならないよう、沖縄だけの闘いにしないよう、これからが本番と思ってしっかり応援していきたいし、その思いを来年の参議院選挙につなげていきたいと思います。
本土のメディアのみなさんも、どうかよろしくお願いします。
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『幻の1.5億円』今年の夏に、これまでずっと、国にだまされてきたことを知った辺野古の住民

2018年09月29日 | 日本とわたし
沖縄県名護市辺野古。
米軍の新基地建設をめぐり、翻弄され続けている集落です。



今年の8月、その集落に厳しい決定が下されました。

今から12年も前のことです。
当時の辺野古の地区役員は、辺野古新基地移転を狙う防衛官僚から、「要望はなんでも聞かせてください」と言われ、
騒音や事故の『迷惑料』として、1世帯につき1億5千万という、巨額の補償金を払って欲しいと伝えました。
巨額の補償金(まだ支払われる確証も無いにもかかわらず)というニンジンは、移設反対の声をしぼませ、4年後の2010年には、個別補償を条件に移設容認を認めたのです。

その後、反対していた県と名護市には隠れて、辺野古の自治会組織に補助金7400万円を直接払いましたが、個別補償についてはずっと先延ばしされてたままでした。
そしてとうとう今年の夏、辺野古への補助金が打ち切られ、補償要求も拒まれたのでした。

現在残っているのは、政府から市への『米軍再編交付金』のみです。

詳しくは、下記の記事をお読みください。
一世帯に迷惑料1.5億円…補償は幻 国策に揺れる集落
【朝日新聞】2018年9月29日
https://www.asahi.com/articles/ASL9W3V59L9WTIPE00R.html


移設にせよ建設にせよ、狙いをつけられた集落や町や村に、ドカドカとお偉いお役人さんたちがやってきては、手のひらをこすり合わせながら、
「いろいろお困りでしょう、そちらさまの要求は何でも聞かせていただきます」「もし容認していただけたなら、◯◯を整備したり△△を建てて差し上げます」などと言う…これはもうずっと続いてきた棄民作戦です。

卑怯極まりないのは、膨大な権力と金を持つ輩が狙うのが、いつも弱っている人たちだということ。

辺野古集落の場合は、1900人の住民でした。
そして住民の方は、「工事はもう止まらない、止められない」と言います。

本当に止まらないのでしょうか?
止められないのでしょうか?
仮にに止められたとしたら、補償金はおろか、米軍再編交付金も補助金も入ってこなくなる辺野古の住民のみなさんには、何か代わりになるものが渡されるのでしょうか?
それとも、そんな夢物語に引っかかった方が悪いと、切り捨てられてしまうのでしょうか?

わたし自身は、辺野古のみならず、どの地域の米軍基地も日本から撤退するべきだと思っています。
朝鮮半島の情勢が日々刻々と変化してきている今、彼らが目指す対話外交を重きに置くためにも、母国語でさえ会話を成立させることができないような人を首長の座から降ろし、智恵と常識を持った人に総理を勤めてもらわねばなりません。

現政権の瓦解は止まることを知らず、悪事が横行してしまっています。
それを世に知らせるべき報道の何割が、まともな仕事をしているでしょうか?

沖縄知事選は、今の日本の政治に大きな影響を及ぼす選挙です。

日本時間の本日30日、投開票されます。
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こんな人に知事になってほしいって県、あるんですか?

2018年09月29日 | 日本とわたし
極右団体『日本会議』の集会は、いつもこういう感じですね。
どれも気持ちが悪いのですが、これは特に気持ちの悪さの度合いが増します。

以下の写真は、2年前に宜野湾市民会館で開催された、「沖縄県祖国復帰42周年記念大会」の様子を収めた動画から切り取ったものです。
これに、当時、宜野湾市の市長だった佐喜真氏が出席していました。

だって、なんてったって『日本会議』のメンバーなんですから。


その大会には、地元の幼稚園児が登場したのですが、全員が日の丸のワッペンをつけた体操着姿。
逆立ち歩きや跳び箱の演技?を披露し、




そのあと全員で直立し、
「立派な日本人となるように、心から念願するものであります!」と『教育勅語』を一斉唱和したのです。
まるで大阪の『森友学園』の園児たちのように。






閉会の辞を述べる佐喜真氏。









そして、




なんてなことも言って、

さらにはこんな悪事も働いて、



デニーさんとの討論会では無責任なことったら、









いやあ、こんな人には、どこの県だって知事なんかになってもらいたくないですよね〜。
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始まってしまった二国間協議…農業を切り売りする安倍首相と、武器を押し売りするトランプ大統領

2018年09月28日 | 日本とわたし
「私が『日本は我々の思いを受け入れなければならない。巨額の貿易赤字は嫌だ』と言うと、日本はすごい量の防衛装備品を買うことになった」

安倍首相
「今後とも米国装備品購入」トランプ氏に伝える

【毎日新聞】2018年9月28日
https://mainichi.jp/articles/20180929/k00/00m/030/023000c

引用はじめ:

首相は会談で、
「厳しい安全保障関係に対応するため、今後とも米国装備品を含め高性能な装備品を購入する」と発言。

日本政府は、今回の会談で、防衛装備品が議題に上ったことを明らかにしていなかった。
しかし、トランプ氏は26日の記者会見で、
「(日本側に)『現状のような大赤字は望んでいない。もっと(米製品を)買わないとだめだ』と言い、彼らは大量の製品、防衛装備品を購入することになった」と語っていた。

陸上配備型の迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」や、F35ステルス戦闘機など、米国からの装備品購入が盛り込まれる見通しだ。


******* ******* ******* *******




























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日本が買うっていうのは結局、日本国民が払っている税金で買うっていうことですよね。
いろんな補償を削って、年金も70歳以降から払うよなんて言い始めて、そんな政府の税金の無駄遣い。






日本のことだけ言ってる場合じゃありません。
このアメリカも、軍事関連に費やされている税金の率はそりゃもう高く、わたしたちの税金も望まぬことに湯水のように注ぎ込まれています。

うちの通りと隣の通りの住人が団結して、町や市の議員を家に呼び、
「軍事への税金投入を減らして教育や福祉に回すという議案を上げて、それを上に伝えてください、そうでないと次の選挙は落ちますよ」とお願い?して、
あとはもちろん議会のたびに傍聴に出かけ、声かけした議員にたくさんの目力で「見てるぞ〜」とお伝えする。
そんなことをずっと続けています。

とりあえず、そういうことなら少し無理したらできるという人が、できない人の代わりにする。
こちらでも、できない人が少なくありません。
働いても働いても、なぜか暮らしが楽にならないって人がたくさんいます。
州によって消費税率は違いますが、ここは7%。
生きていくのに不可欠なもの、例えば食品には税金がかかりませんが、同じ食品でもぜいたくな物になるとかかります。
医療保険と固定資産税がぶっちぎりで高いのは、多分地域性だと思うのですが、それとてもしも軍事に膨大な税金を使っていなければ、少しはマシになるはずです。
教育や福祉のような、国民の命や心を尊重するようなものを最も重要視する、なんていう姿勢は全く見られません。


先日、山本太郎参議院議員のドキュメンタリー映画の上映会がありましたが、参加者の中に、たまたま日本から旅行に来ていて、時間が合ったから観に来た若者がいました。
彼は、選挙に出て、政治家になって、国を変えれるものなのか?と、山本議員に質問しました。
彼は岩手県在住の青年で、前に一度、町議会選挙に立候補した経験があるそうです。
当選できなかったのですが、今回また立候補しようかどうか迷っていると打ち明けてくれました。

その時の話で、町議会や村議会に立候補する場合、供託金が一切要らない、タダで立候補できると聞きました。

それを聞いて、これだ!と思いました。
市民の政治参加を町や村からどんどん進める。
今の日本をなんとかしなきゃと思う志のある人たちが、政治にどんどん増えていく。
長く続き過ぎた一党支配によって、腐りに腐ってしまったピラミッドのてっぺんを、地べたから清浄していく。
時間はうんとかかるかもしれませんが、確実な方法だと思うのです。

それと並行して、質問の答として太郎さんがおっしゃった、
「本当に世の中を変えるには、その政治家を使って変えようという、世の中の人たちの意識の高まりが必要」
ということをふまえて、やはり根気よく伝え続けていくことも大切なんだなと思いました。

日本だけじゃない、アメリカだけでもない、人権が尊ばれていない、主権が蔑ろにされている、そんな国民がいっぱいいます。
きちんと説明してくれる報道を心から望みます。
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「来年の三鷹市市議選挙に立候補する『紫野あすか』ちゃんを応援しに行った!」日本旅行2018・その4

2018年09月27日 | 友達とわたし


わたしがあすかちゃんを見つけたのは、パソコンモニターの画面の中でした。

巨大地震と大津波、そして甚大な原子力発電所の爆発が立て続けに起こった2011年の3月。
どんなに心配しても距離は縮まらず、自然の猛威に命を奪われた人々や町や村、そして動物たちに思いを馳せながら、命拾いをしてもなお、二次災害や被爆の危険に晒されている命を政府がどう守るのか、そのことが知りたくてSNSで情報を集めていました。

日本の新聞を6社、地方新聞を3社、毎日読み続けているうちに、おかしなことに気がつきました。

その昔、10年近く授からなかった赤ちゃんが、突如お腹の中にいてくれることがわかり、しみじみと喜んでいた矢先に、チェルノブイリの原発事故が起こりました。
もともとから環境汚染のことは気になる方だったのに、初めての妊娠に夢心地になっていたわたしは、空気の汚染が気になって、いろんな新聞を読んだり図書館に通ったりしました。
当時はインターネットなどというものは無く、調べたいことは新聞かテレビ、ラジオや図書館に頼らなければなりませんでした。

日本では、当時のロシアの対応が不十分である、といった報道が流れていました。
事故後、何年か経ってからは、様々な不備や失敗が明らかになり、そういった報道を見たり読んだりするたびに、ああ、わたしは日本人で良かった、などと思ったのを覚えています。
一体どうして日本人で良かった、などと思ったのでしょう?
もうその時には、日本の海岸線上に、日本をぐるりと囲むようにして、世にも恐ろしい原子力発電所が何十基も建てられたていたというのに、そんなことは全く知らずにいたのです。
仮に知っていたとしても、日本はきっとロシアのような失態は犯さないはず、いや、そもそも日本の原発は事故を起こさないはず。
だって日本なんだから。
日本でもし、こんなひどい事故が起こったら、絶対にあんなことにはならないだろうし、被災者の人たちをあんなふうに見捨てないはず。
だって日本のテレビも新聞も、遠く離れた国の事故にもかかわらずこんなに徹底的に調査して、検証して、それをわたしたちに知らせるべく報道してくれてるんだから。

なんて能天気で無知な大人だったんでしょう。
そんな思い込みがどれほど幼稚で世間知らずなものだったか。

新聞の報道が妙にズレていると感じてから、ツイッターやフェイスブックのメッセージと読み比べるようになりました。
すると…。
なんでこんなに違うんだ?から、どうして本当のことを言わないんだ?に変わり、これはあかん、自分で調べて覚え書きしていこう。

それが、このブログ記事のカテゴリーに、『日本とわたし』という項目が加わった理由です。

そんな毎日が続き、ツイッターの矢継ぎ早に流れてくる情報のどれもを鵜呑みにせず、一歩引いたところから読むことが大事だと気づいた頃、あすかちゃんのツイートが目に入りました。
もうどんな言葉が書かれていたのか、それすら覚えていません。
わかるのは、まったく見ず知らずの東京在住の女性だということだけ。
でも、なんか惹きつけられたんです。
彼女、子どもを守りたい、命を大切にしたい、親の命も守りたい…そんな気持ちを伝えるデモをやりたいって、呟いていたんです。
その後、彼女のツイートが読めるようにフォローして様子を見ていると、彼女を支えたいという人たちがワラワラと現れてきて、あっという間に(だったかな?)デモをする段取りがつきました。

『パパママぼくの脱原発ウォーク』

わたしはもう嬉しくなって、思い切って彼女にメッセージを送りました。
「遠く離れてるけど、読んでくださっているのは日本人の方がほとんどなので、わたしのブログで紹介させてください。応援したいです!」

それからというもの、女優業で鍛えた張りのある温かな声、パッと開いた花のような笑顔、人に寄り添う優しい心、そしてすんげ〜エネルギーでもって、どんどんファンを増やしていく彼女を、わたしはずっと遠くから見守っていました。
国会前のスピーチエリア『希望のエリア』では、頼りになる二朗さんと一緒に、雨の日も風の日も雪の日も、毎週金曜日の夕方6時(半?)に集まって来てくれる人たちと声を上げるあすかちゃん。
二朗さんとの漫才のような司会、おもしろトーク、参加者も混じっての歌や音楽、そして素晴らしいスピーチ、かっこいいコール、あきらめない人々の集まりを、これまでずっと7年間以上も引っ張ってきたただ者ではない人です。

その彼女が、とうとう、やっとのやっと(毎年会ってはやれやれ!とけしかけてきたので)、政治家になることを決心しました。

幸運にも、東京に滞在している間に、『あすかちゃんを励ますつどい』なるものが開かれるとのこと。
行かいでかぁ〜!!

というわけで、三鷹の会場に行ってまいりました。

ここからは、それはそれは素敵な、いつ見ても気持ちがすぅっとする素晴らしい人物像を撮ってくれるしのぶちゃんの写真と、優しい心がにじみ出るみほこちゃんのコメントをお借りして紹介させていただきます。

明日香さんの楽屋のれん、素敵ですね!


吉良よし子参議院議員と明日香さん。
吉良さんはとても感動的なスピーチをしてくださいました。詳しくは動画を!https://youtu.be/7MtAmDyacio


ちなみに、出産で入院されていた吉良さんを思って投稿したあすかちゃんの言葉はこれです。
この頃、2015年の9月15日は、国会前だけではなく、各地で『戦争法案』を強行採決しようとする安倍政権に、多くの市民が抗議の声を上げていました。

https://m.facebook.com/photo.php?fbid=879049675513652&id=100002258838836&set=a.336190526466239

左から、吉良よし子参議院議員、紫野あすか三鷹市議会議員予定候補、伊藤岳参議院議員埼玉予定候補。
お二人とも明日香さんを応援したくてたまらなくて、励ますつどいに参加してくださいました。


前進座の俳優の方々。
柳生さんと黒河内さんかが参加の予定でしたが、なんと、舞台のお稽古がお休みになったとのことで、先輩の益城さん、同期の浜名さん、えばやしさんがご参加くださり、応援メッセージを下さいました。


前進座の大先輩、村田吉次郎さん。


京都から村上敏明さん。
たくさんの方々の応援メッセージを持って、駆け付けてくださいました。




斎藤まりこ都議と藤田りょうこ都議のスピーチ。


弁護士白神優理子さんの、超〜パワフルな応援メッセージ。


体調を崩され療養中の柏原さんが、元気そうなお姿で、応援に駆けつけてくれました。
渡瀬さんも嬉しそうです。


スタッフのえつこさんのスピーチ。


ラストは決意表明のあと、毎週金曜日、国会前希望のエリアで歌っている「主権在民」を披露しました。
きらさんも「9の輪手拭い」を持って応援!


石原さんも。


希望のエリアの皆さんも「9の輪手拭い」を持って応援!


みんなからの心が詰まった千羽鶴。


最後にスピーチしたのは一人娘のふーちゃん。思いっきりもらい泣きしちゃいましたぞ〜!ほんっとに素敵な親子。


明日香さん決意表明、みんなの心に届く言葉でした。


時間が45分も押してしまって15分で撤収しなければならなかったのですが、皆さんのご協力もあり、10分で片付け。
最後に応援に駆けつけてくれた希望のエリアの皆さんとぱちり。



というわけで、この会ではスピーチを頼まれたわたしも、拙い言葉をつなぎ合わせたものをマイクで拾っていただいたのですが、
なんかもう泣きそうになってしまって、声が裏返らないようにするのが精一杯で、なかなかのトホホなスピーチになってしまいました。

わたしとほぼ同じ時期に、それまでほとんど知らなかった、知ろうとしてこなかったことを知り、愕然としながらも調べたり考えたりし始めたあすかちゃん。
まだ学生だった娘さんの未来を守りたい、どの子どもの未来も守りたい。
なのに国は、政府はどうだ。
守ろうとしないばかりか、まるで棄てるような態度を取り続けている。
じっとしているわけにはいかない。
声を上げて、一人でも多くの人に伝えたい。
それからは、元々からの彼女の意志の強さ、生きものに対する愛の深さを支えに、いろんな中傷や妨害にもへこたれず、ずっと前を向いて行動してきたのです。
だからわたしは、あすかちゃんのことが大好きだし、人としてとても尊敬しています。

紫野あすか、がんばれ〜!!
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初めての和太鼓!!夏の日本旅行・2018(その3)

2018年09月26日 | 友達とわたし
東京滞在4日目の8月24日は、和太鼓のお稽古見学!

フェイスブックで仲良くしていただいている宏さんが、なんと和太鼓の名手で、舞台で演奏しているビデオを見ちゃってからは、わたしも習いたぁ~い病にかかってしまい、
今回会うときに、じゃあ一緒に行ってみましょうか、もしかしたら少しは実際に叩けるかもしれませんよ、などと言ってもらい、嬉しくてフワフワしていたのだ。

いやあ、美しいもの(特に音楽)に触れるとすご〜く涙もろくなる宏さんは、専修大学の教授で、SNSが無い時代だったら絶対に巡り会えないような人なんだけど、
出会ってしまったものは仕方がない(これは宏さんの方の感想だと思う)、お付き合いしていただきましょう(これは図々しいわたし)ということで、待ち合わせの駅まで浮き足立ちながら出かけて行った。

地下鉄の駅に行く際に、いつも通り過ぎる風景。少しは慣れたとはいえ、今日もやっぱり暑い…。


駅からお稽古場である廃校になった小学校まで、宏さんの車に乗っけてもらった。

ドキドキしながら教室に入ると、うわあ、いろんな和太鼓がいっぱい!


先生はとても華奢で素敵な方で、同じく華奢で素敵な女性がお二人と、男性は宏さんと、肩の痛みがなかなか去らずに困っておられる方のお二人。
この男性は笛も吹かれるようで、いろいろと紹介したり教えてくださろうとしたのだけど、お稽古の時間の関係もあって途切れてしまった。

何回も観たユーチューブのビデオとはまた違い(当たり前だ)、みなさんの打つ和太鼓のひびきが、わたしの心を震わせ、魂を揺さぶる。


血が喜んでいるような、だから体の芯から笑いたいような、そんななんとも言えない良い気持ちになって、打ち下ろされるバチ、流れるように上下する腕、支えながらもリズムに乗る足を眺めながら、
日本古来のリズムの間合い、様々な太鼓の音の絡み、思わず息を詰めてしまうような緊迫感、全員のタイミングが完全に合ったときの心地良さなどを、たっぷり感じさせてもらった。

これ↓は、昨年の秋に行われたみなさんの舞台演奏です!
馬簾太鼓(ばれんだいこ) 第35回あさお区民まつり 2017.10.8


ああやっぱりいいわ和太鼓。
ただ聞かせてもらっているだけなのに、すっかり興奮して、汗がにじむやら頬が赤くなるやら。

「やってみますか、一曲?」
「え?」
「いいですよ」
「いや、そ、そんな…」

お遊び程度に、何個かのリズムを叩かせてもらえたら、もうそれだけで大満足と思っていたのに、みなさんと一緒に曲を通しで演奏するだなんて…。
いやあ、それはやっぱり無謀すぎる…などと頭の中は大混乱。
加えて心も大混乱。

そんなこんなでぐずぐずと突っ立ってるだけのわたしに、先生がにっこりとしながらバチを持たせてくださる。
そしてバチの持ち方、打ち方を教えてくださる。
なるほど、ドラムのバチの持ち方と共通しているところがある。
ちょっとだけ不安が収まったのだけど、心臓はドキドキモード全開。

せっかくのお稽古の時間を無駄にしちゃったらどうしよう…。
なんてくよくよしてるくせに、もう一人のわたしはもう、叩きたくて叩きたくて、カニさん歩きで太鼓の前に。

例によって例のごとく、ビデオをここに載せることができないので、切り取り写真を数枚。




音符なんてどこにもない。
口承で説明を受け、親切で優しいメンバーのみなさんに甘えて、うわ〜とパニックになりながら演奏に加わらせてもらった。

ああもう楽しすぎる!気持ち良すぎる!
嬉しすぎて、体がフワフワ浮かんでしまわないように、何度も何度も四股を踏むように重心を下げなければならなかった。

宏さん、夢を叶えてくれてありがとうございました!
厚かましいことは重々承知で、また来年、連れてってくださ〜い!
ごめんなさ〜い!
コメント (2)
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山本太郎氏のドキュメンタリー映画上映会とスカイプ質疑応答(@コロンビア大学NY)の様子を紹介します!

2018年09月26日 | 日本とわたし
悪天候&平日という条件にもかかわらず、続々と来てくださるお客さま。


いよいよ始まります!




主催者のわかこさんの挨拶(画像が顔に写っちゃって、ブラックジャックみたいになっちゃった、ごめん!)。


スカイプQ&A。翻訳をしてくれたのは、会場決定に尽力してくれたタカヤくんと、SNSで素晴らしい紹介記事を書いてくれたユカさん。




不条理な空域制限の図。


日本の貧困状況を如実に表した数値。


無事に会を終え、帰途につくツワモノたち。


これはスカイプで繋いで行われた質疑応答の様子ですが、画面が二ヶ所、座席がそれぞれのスクリーンに向かって並んでいることがわかっていただけると思います。




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(映画広告チラシより)
俳優としてのキャリアを捨て、参議院議員となった山本太郎氏に関するドキュメンタリー作品。
ナショナリズム、外国人嫌悪、再軍備へと向かう日本を、その流れに逆らう反抗者の目を通して映し出す。
反抗者・山本太郎のあがき、ためらいは、今日の日本社会のステレオタイプな思考を超え、右傾化政治の復活という、普遍的な問題を提起している。


映画、観てきました。
そしてそのあとの、日本の山本議員と繋いだスカイプを使っての質疑応答、聞いてきました。

今日は朝からジャジャ降りの雨が続き、最悪のお天気でしたし、おまけに平日。
それにもかかわらず、予想以上のお客さまが来てくださいました。

ここでちょっと、当日の朝に起こったハプニングのことを少し。
朝からいつもの仕事済ませ、そこから開場準備へと直行しようとしていた主催者のわかこさんに、ちょっと聞き捨てならないニュースが飛び込んできました。
Facebookの記事に、まるで自分が主催者であるかような書き方をして、今日の映画鑑賞会のことを紹介している人がいる?!というものです。
いや、それはないでしょう〜と思いながら、ダイレクトメッセージに流れてきたものを読むと、
あ〜、これはあかん、一人称で書いちゃって、しかもその記事に寄せられたコメントに、あたかも自分が主催者であるような返事までして…。
ライターのユカさんが書いた映画鑑賞会の紹介記事とほぼ同じ内容のものを、本人の承諾も得ずに載せちゃってる時点で、とっくにアウトなのに…。

というわけで、ホンモノ主催者のわかこさんと、ホンモノライターのゆかさんが、司会と画像チェックに勤しんでいる間に、会場にやって来た成りすましさんに厳重注意をしたみきちゃんとあっこちゃんと歩美ちゃん、お疲れさまでした。

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先日書いた記事の冒頭部分を、もう一度ここに載せさせていただきます。

Beyond the Waves: (Taro Yamamoto, a Japanese rebel) - Trailer


上記の動画は、ベルギー在住のcenecioさんという方が書かれたブログ記事の中で紹介されていたものです。
詳しくはこちらを↓。

日本のドンキホーテ 山本太郎の孤独な戦い”BEYOND THE WAVES” 追記
【MUSKA】2018年4月19日
http://nyabayasky.hatenablog.com/entry/2018/04/19/日本のドンキホーテ山本太郎の戦い”BEYOND_THE_WAVES”




監督はこの方。





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この映画は、ただ一度ベルギーで先行試写会が行われただけで、まだ配給会社が決まっておらず、未公開のままの状態の映画です。
それをニューヨーク在住の友人が、「山本太郎の映画をこちらで上映します」と宣言し、手探りで連絡を取り始めたことから始まりました。

紆余曲折、山あり谷あり、不眠と胃痛の毎日の中、仕事もこなし、暮らしも整えながらの、孤高の闘いが続きましたが、ちらほらと支える手が伸びてきて、今日は平日の悪天候にもかかわらず、本当に大勢の方たちが参加してくれました。

映画は淡々と、日本が抱えている現実、抗い人山本太郎の、七転び八起きして苦悩する様子や、国会時の的を得た実にわかりやすい質疑風景を、映し出していきます。

いったい僕は誰と闘っているのだろう。

政治に関わる決心をする前と後とで、彼がどんなふうに変化していったか。

街角に立ち、政治家である前に、生身の、一人の人間として、これだけは譲れないこと、これだけは守りたいことをしっかりと心の中心に置き、少しでも弱い立場の人の助けになるようにと、人々に向かって話し続けてきた太郎さんは、
今も町のどこかで、困っている人、弱っている人、迷っている人の側に寄り添い、まずは底から少しでも上げてあげられる方法を、どうやったら実現できるのか、それを模索しながら可能な手段を見つけようと頑張っています。
原発問題も、憲法問題も、基地問題も、みんなみんな本当に大切なことだし、しっかりと取り組まなければならないのだけど、けれどもそれらの事柄などに思いを馳せることすらできないほどに疲弊している人たちは、いったいどうしたらいいのか。
それには、とにかくハッパをかけたり、上からの押し付けみたいな言い方で促したりせずに、そして無関心であることを責めたりせずに、彼らが関心を持つことから一緒に考えましょうと話しかけていく。

きちんとすみずみまで正しくないかもしれませんが、そういうふうな話を、太郎さんはしてくれました。

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スカイプによる質疑応答より(Aは太郎さんの答え、Qは質問)

A:日本のメディアが自分のことを取り上げてくれるっていうのは非常に少ない。


Q:ネット界隈で言われている人工地震について、汚染の現実について、この映画には取り入れてられていない。
イスラエル企業との関連、核爆弾を使用した人工地震、政治家へ支払われるワイロなどについて、国会で質問するつもりはあるか?

A:国会質疑に耐えられる真実があるかどうか。
面白い話題ではあるが、しかし問題として確定させていくには、あまりにもハードルが高い。
問題提起として一度でも失敗すると、その後の質疑も質が疑われることになる。


Q:日米合同委員会がある限り、この日本は変わりようがないのではないか?

A:安倍政権の乱暴狼藉が続き、人々は疲弊しきっているところだと思う。
この状況は、司法が機能していない。
地方裁判所で市民の意思に沿った判決が出ても、その上になると国側に寄り添ったものが出てしまう。

日米合同委員会に参加する人のうち、アメリカ側は軍人、日本側は官僚で話し合われる。
日米地位協定のことも含めて、アメリカ人はあまり知らないのではないか。
戦争が終わった後も、ずっと占領が続いている。
軍事協定のみならず、日本には主権が無い。
記事下の写真のように、日本の空域にも大きな制限がかけられている。

アメリカが望めばどこにでも基地を造ることができる。
アメリカでは許可されていない低空飛行も、日本では可能になる。
このような占領状態が、戦後ずっと続いている。

このような事実を、アメリカの人たちに伝えていかなければならない。
沖縄前知事の翁長氏は、アメリカに伝える努力をしていた。

アメリカメディアに、政治家がなにがしかのメッセージを伝えることはできるが、メディアを動かすのは市民の力が必要だと思う。


Q:デモクラシー・ナウというような、ラジオとケーブルテレビとオンラインで報道しているメディアに出演して、働きかけていくというようなことは考えてるか?

A:それは(アメリカ在住の)みなさんから働きかけてもらえないかと思う。


Q:この映画を紹介してはどうか?

A:デモクラシー・ナウのオフィスに行って働きかける。
先方からそのような話がきたら、そちらに出かける。


Q:山本議員が若い世代に期待しているのは何か?

A:こんな世の中にしちゃって申し訳ない気持ちでいっぱい。
自分たちを守るためにも、政治に興味を持って、考えて欲しい。
日本人の多くが、日本語に限定してしか情報を得られない。
これは長年の教育の成果(失敗?)。
なので、海外の記事を翻訳して、シェアして欲しい。


Q:来年の選挙についてどんな感触を持っているか?

A:組織に応援されてないので、最後まで票読みができない。
有象無象の人たちの票に頼らざるを得ないのが現状。
選挙が近づいてこないとお金が集まらない。
今の状態だと3億円が必要になる。
一人500円で、60万人の人にカンパしてもらえたら(と、ここで爆笑)。


Q:落選の可能性があると聞いたがどうか?(ストレートな直球質問に、太郎さん再び爆笑)

A:応援してくれるかどうかは、箱を開けるまでわからない。
東京には6つの議席があるが、もう一つ増える可能性があるので、選挙がドロドロになって面白い見世物になればいいと思う。
東京からの波が全国に伝わり、国全体の選挙が盛り上がって、投票率が上がればいいと思う。


Q:太郎さんの演説はいつも明快で素晴らしいので、その様子をもっと知らせることができたらと思う。もっといろんな人に知らせるにはどうしたらいいと思うか?

A:自分自身はなかなかメディアに出られないので、草の根的な行動で知らせていただくしかない。


Q:日本政府のゴールは何か?

A:スクラップ&ビルドではないか。
散々壊した後で、自分たちの一番近いところで富の分配を続けながら立て直す。
日本の富裕層のための社会システムになってしまっている。
飼い主の言うことを聞き続ける政治勢力、そのバックのある大企業、この構図を崩すのは大変なこと。


Q:選挙に出て、政治家になって、国を変えれるものなのか?
(この質問は、岩手県のある町の町議会議員に立候補するかどうか決めあぐねている、たまたまこちらに旅行に来ていた日本人の若者からの質問です)

A:政治家は代表の一人でしかない。
支援者の内容にもよる。
本当に世の中を変えるには、その政治家を使って変えようという、世の中の人たちの意識の高まりが必要。
政治家によって、今までとは違う問題提起はできるが、そういうことをするのはマイノリティの政治家である。

Q:(町議は供託金が無いということを聞いて)

A:そういうところから、もっと市民の側に立って政治を行う政治家が、どんどん増えていってくれたらいいと思う。


Q:山本さんの後継者を育てたいと思っているか?

A:誰も貧乏くじを引きたくないでしょ?
でも、自分が好きなように生きられるっていう部分を伝えていきたいと思っている。


Q:映画中に、「はっきり言わないコンテスト」というセリフがあったが?

A:国民の無関心と闘っているっていうのはおこがましいと思う。
人の思いはそれぞれ自由なんだけど、いろんな問題を一緒に知っていきませんかっていうような、同じ目線からのアプローチをしていきたい。


Q:トランプ大統領についてはどう思っているか?

A:彼は、たくさんのとんでもない行いをしてはいるが、国内雇用ということに対して、海外に流れた雇用を国内に戻しているということもあり、ひと言では言えない。


Q:太郎さん自身を突き動かしている原動力は何か?

A:毎日のように、そりゃないだろっていうことが起こってくる。それが燃料となっている。

どうして主張ができないのか。
自分は生きてていいんだと、胸を張って言える人が少ない。
何らかのことに役立ってるというのが、基本になってしまっている。
根本的な基本的人権の教育がなされていない。

多くの人たちが、ギリギリの状況の中で生きている。
3人に一人が貧困。
何かを考える、という状況にならない。
考える暇もない。
疲弊してる中で、複数の仕事を持っている。
家庭、学校、会社という所で、自分は自分でいいという自信を持ってもらえるような社会を作らなければならない。
政治でやれることとしては、セイフティネット環境を整えるということ。


Q:東京オリンピック準備に関わっている者だが、そういう立場の自分でも、オリンピックどころではないと思えるのだが?
そして、3人に一人が複数の仕事を持っている、というのは事実であると証言できる。

A:2020年というのは、これまでのピークを作るっていうイメージがある。
小泉政権で雇用制度が破壊され、原発が爆発した後も、延々と人々からの搾取を続け、そして大阪万博が続く。
いろんなものの利権が絡んでいる。
東京近辺と大企業が潤っていくだけ。
東京と大企業がドイツみたいになって、他はギリシャみたいになっていく。


Q :みんなの生活を底上げしていかないといけない。
人間らしい暮らしに戻さないと、考える意欲もエネルギーも無くなる。

A:耳を傾けられる人たちを増やしていきたい。
そのためには、大きな問題ではなく、ゆるいところで繋がれるように、あなたの生活をどうやったらもう少し楽になるようにできるか、一番扉を開いてくれやすいところから伝えていこうと思っている。

人々の生活というものを、暮らしのベースとなるものを、国が支えます。
今まで安定しなかった生活が、少しでも改善されるようにするにはどうしたらいいか。
かといって、ベーシックインカムを推すと、社会保障の面で削られるものが出てくる。
景気がいい時は税金から回す。
『デフレ脱却給付金』というものなら、できる可能性がある
20年続いたデフレは解決すると思う。
けれども政府は、人々に楽になってもらいたくなさそうだ。




さあ次は京都大学11月祭での上映会にバトンタッチです!
こちらではわかこさん、日本では千秋さんが道筋をつけてくれた自主上映会の開催。可能性が大きく膨らみました。
自主上映をやってみたいという方は、こちら↓に連絡してください。

Beyond the Waves自主上映連絡会
山本太郎主演ドキュメンタリー映画『Beyond the Waves』の自主上映会を開催しませんか?#beyondthewaves
https://btw.tokyo/


そして来年の参議院議員選挙。
どちらも良い結果を生み出せるよう、できる限りお手伝いしたいです。
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お能と土壌とブルーベリーと(夏の日本旅行・その2)

2018年09月24日 | 友達とわたし
農業環境技術研究所 農業環境インベントリーセンター主任研究員 大倉利明さん。
ひょんなことから…なんていう表現はやっぱり間違っている。
利明さんは、いろいろあってすっかり疲弊してしまい、もうこのブログを閉じようと決めかけていたわたしを、コメント欄を通じて励まし、支えてくれた人だから。
一体どういう人なんだろうと思いながら何年か経ち、ある日突然、Facebookのメッセージに、利明さんから連絡が入った。
実は僕でした、と。

その人の経歴を読んでびっくり仰天。
わたしにはまるで想像もつかない世界の、それも世界的権威者であり、農学博士。
どうして…と思いながら、慌ててFacebookのウォールを過去から遡って読ませてもらう。

土や石が子どもの頃からずっと好きだったから、次から次へと載せられている土壌モノリスの写真に魅入った。
一体どうやってこういうものが出来上がるんだろうと、興味がムクムクとわき上がってきた。
もし日本に来るときに時間があったら、案内しますよと言ってくださったので、いやもう、ぜひお願いします!と即答した。

以下は、4年ちょっと前に、利明さんのことが紹介されていた記事。

「土壌」は地球からの預かりもの
【常陽リビング】2014年4月7日
http://www.joyoliving.co.jp/topics/201404/tpc1404001.html

つくば市にある(独)農業環境技術研究所・農業環境インベントリーセンター主任研究員の大倉利明さん(49)は、子供の頃に岩石と土の魅力にのめり込み、迷わずその研究の道に進んだ。

国内外の土壌を調査・分析し、その結果を各国の農業振興に生かしながら、全国の先輩から引き継いだ研究データを後世につなぐ地味な仕事
それでも、土壌から伝わる地球のリアルな息遣いを知るにつけ、探究心は止まらない

岐阜県の飛騨高山で生まれ、「カミオカンデ」のある神岡町で育った。
小さい頃から岩石を集めて遊ぶのが好きで、母に買ってもらった岩石図鑑に夢中になった。
中学では化石集めに熱中し、高校進学で上京。
たまたま手にした「土」に関する本を読んで、岩石から土へと興味が広がり、著者の教授がいる大学を選んで入学した。

卒業後、選んだのは(独)国際協力機構(JICA)。
フィリピンの農業省では、7年にわたって土壌調査技術の指導を行い、農業振興に尽力した。
2002年に帰国し、現研究所に入所。
これまで、国内は、沖縄を除く全国46都道府県に足を運び、土壌調査を実施
また、2011年4月からは、農水省の調査団に加わり、ロシアやウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなどを訪ね、チェルノブイリ事故から20数年にわたる、各国の放射性物質による土壌汚染対策の取り組みを調査
核実験場跡地では、土が熱で溶けて、ガラス玉と化した姿を見た

「例えば、土中のセシウムが、作物や地下水に行かないようにするにはどうすればよいかなど、土壌中の研究はとても大切です」

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そうした土壌への関心を少しでも高めたいと、学生や一般の見学者をまず案内するのが、研究所内の農業環境インベントリー展示館
そこには、
土壌の断面を、そのままの姿で保存・標本にした土壌モノリスや、
1899年から、収集・保存してきた昆虫の標本、
1881年から、採集および寄贈された微生物の標本、
1901年?54年に、研究所が行っていた肥料分析の台帳や、当時の肥料、
1908年~37年に、亜硫酸ガスによる農作物の被害(煙害)を調査・研究した資料、
1959年から続けている、農作物や農地土壌に含まれる放射性物質のモニタリングや、放射性セシウム濃度分布図、測定用機器など、貴重な資料が多々展示されている。


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中でも目を引く土壌モノリスは、遺跡の保存技術を応用した、独自の手法で標本化したもので、地質や気候、植物、地形、人間の作用によって、多様な顔つきになることが一目瞭然で分かる
そして、日本最初の土壌図も展示。

日本が、国の事業として土壌図作りを始めたのは、1882年(明治15)
当時の農商務省地質調査所土壌係に、ドイツから農林地質学者マックス・フェスカ博士を招き、その指導の下で国別土性調査を始め、1885年(明治18)に、「大日本甲斐国土性図」が完成
その後、弟子たちが事業を引き継ぎ、1937年(昭和12)に、陸奥国を除く全国の土性図が完成し、第二次大戦で一時中断したが、戦後の1948年(昭和23)に、最後の陸奥国の土性図が完成した。

「このように、全国の先輩たちが積み重ねてきた資料やデータがあってこそ、日本や世界の土壌をよく知り、うまく付き合っていけるような未来を思い描くことができると考えます。
偉大だと思いませんか」


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ついつい熱弁になるその胸にあるのは、「土壌は地球からの預かりもの」との思い。
しかし、社会全体が関心を向け、土壌との賢い付き合いをしていくための、仕組みが不十分だと感じていた。

昨年、国連が、2015年を国際土壌年、毎年12月5日を世界土壌デーと定めたことから、研究者や法律家など、仲間数人で研究会をつくり、運動を盛り上げようと議論している。
2014年4月15日(火)には、研究会主催イベントの一環として、「人と土の新しい関係を探る」と題して、東京・科学技術館で研究会の展示・発表を行う。
さらに4月18日(金)は、科学技術週間の一環で、(独)農業環境技術研究所も一般公開され、農業環境インベントリー展示館で熱く解説する。

そんな熱い土壌博士は、時に、農を「能」に替えて、舞台に立つこともある
「伝統芸能は、長い歴史を積む土壌に通じる」と、近所の縁で、観世流橋岡伸明氏に師事して4年。
師匠の勧めで考案した黒紋付の家紋は、世界に通じるスコップのデザイン。

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つくばに向かう。


初めまして(?)の挨拶もそこそこに、まずは自宅に連れて行ってもらい、そのすぐご近所にある能楽師のお宅に行く。
お稽古を見学させていただくということで図々しくもお邪魔したのだけど、家の中に足を踏み入れたところですっかり緊張してしまった。
襖はどうやって開けたらいいんだったっけ…廊下から畳の間に入るときはどうするんだっけ…などとぐずぐずしていると、さあ入って入ってと手招きされた。

足を崩して座っていいですよ、と優しく声をかけてもらい、いえいえ大丈夫ですと顔を引きつらせて言うと、無理しなくていいですからと言われ苦笑い。
ああそうだった、わたしは正座が大の苦手なんだった。

能のお稽古なのに、なんでたい焼きが???いかにも美味しそうな水羊羹まで???


なんと観世流能楽師橋岡さんは、お稽古にやって来る生徒たちのために、朝も4時から起きて、あんこをコトコト煮、たい焼きの生地を作り、一度に2匹しか焼けないたい焼き器で、40匹ものたい焼きをせっせと焼き続け、その合間を縫って水羊羹を作ってくださったそうな。
それを冷めたからと、もう一度軽く焼き直して持ってきてくださったのが上の写真。

いやもう、何が何だかわからなくなったのだけど、目をうろうろさせて呆けているわたしの目の前で、突然お点前が始まった。


わわわっ!どうしよう…。お茶の作法を全く知らないので、利明さんや他の生徒さんたちの仕草をガン見する。


今度は利明さんの番。




見よう見まねでなんとかお茶をいただくまでを終え、たい焼きと水羊羹を美味しくいただいていると、
じゃあちょっと、まうみさんもやってみましょうか、と師匠。
いや、ちょっとそれは、あまりにも無理があり過ぎますと、手を顔の前でブンブン振りながら断ったのだけど、大丈夫大丈夫とどんどん勧められて、釜の前に座った。
教えていただきながら立てたお茶は、師匠や利明さんが立てたお茶とは大違い。
修行が足りませぬ…。

お稽古中の様子を撮ったビデオから切り取った写真。












唄いだけに集中してのお稽古。
利明さんの声も深くて素晴らしいと思いながら聞かせてもらっていると、あ、また跳ねましたねと師匠。
跳ねるとはどういうことかを説明してもらい、耳を澄ませて聞いているうちに、少しだけわかるようになった。




幼児の頃にテレビで観た能楽に興味を持ち、熱心にお稽古通いする男の子。すごく感心したのに名前を忘れてしまってごめんなさい!


唄の調子やタイミングに集中して練習する際に、その合図取りに使われるバチ(どんな名前だったか、これまた忘れてしまった)。


このバチはもちろん、それで打つ箱型のものにも、それぞれにこだわりがあることを教わった。

会話中は優しげな声だった伸明師匠だが、唄いが始まった途端、地の底から湧き出てくるような、深く、広く、宇宙の彼方にまで届くほどのエネルギーに満ち満ちた声に変わり、本当にたまげてしまった。
その声をここに紹介できないのが残念!

床の間に飾られた野草。


足利ナニガシ(だから室町時代?!)から受け継がれてきた小鼓。


無心に打ち続けていくうちに、だんだんと音が定まってくる。


またまたわたしにも打たせてくださる、それはそれはざっくばらんな師匠なのだった。

貴重なお茶碗も。


そしてお面も。
容れ物から出されたお面を見た瞬間、背骨の周りがざわざわした。










彫り師が込めた思いと、それを受け取りながら舞う能楽師の技量と度量が相まって、その面は微妙な感情を表すのだろうか。




もう本当に濃くて楽しい、それはそれは貴重な体験をさせていただいた。


次は念願の土壌モノリスに会いに、農業環境技術研究所・農業環境インベントリーセンターに連れて行ってもらう。


野草にも名前が。




ああワクワクする。


まず玄関を入るとすぐに出会える松の根っこモノリス。これは、静岡の三保の松原で採取されたものだそうです。




砂地だから、水分は止まらず、どんどん下に移動してしまう。
だからそのような環境でも生き続けられるよう、根っこが横に張らずに下へ下へと伸びている。


土壌モノリスの数々!












上の写真(6メートルの土壌モノリス)を作成した現場の様子。


上記の記事中にもあった日本最初の土壌図や、陸奥国を除く全国の土性図などの写真。










土壌博士の話は、その一言一言が面白くて、知らないことだらけで、これもほんの一部だけ録音したのだけど、ここではとてもじゃないけど説明しきれない。
でも、土がどんなに大切で、土が何を語り、何を訴えているのか、それを、人間のわたしたちがこれまでどんなに無視してしまってきたかを、様々な角度から教えてもらった。
たった1センチの土壌ができるのに100年かかる。
だから6メートルの深さで採ったモノリスは、6万年の歴史を語ってくれる。

土砂崩れの災害が起きた土地には、そういう災害が起こるべき歴史が、山の表面や宅地の下にしっかりと刻まれている。
そういうことを無視して、そういうことをきちんと調べずに、必要なんだからと経済ばかりを重要視して宅地開発をしてきたツケを、知らずに暮らす住民の人たちが払わされている。
もうこれまでの気候とは違ってきたことは明確で、頻発するゲリラ雨や台風が、これからもそういった被害を増やし続けるだろう。
だからこそ、早急に、宅地はもちろん、工場や原発のような危険な物を抱えている施設について、国をあげて調べ直し、速やかな対処をしていかなければならない。

「土壌は地球からの預かりもの」と利明さん。


そして利明さんは、こうも言う。

「土壌は足もとに広がる宇宙」

話をたくさん聞かせてもらいながら、わたしも宇宙を感じていた。


土壌モノリスの後はブルーベリー畑!




何種類ものブルーベリーを採っては食べ、また採っては食べ、ああ美味しい!
微妙に風味や味が違う。
利明さんは毎年、採取したブルーベリーでジャムを作り、あちこちにお裾分けしているそうで、その量が半端ではないので販売したらどうかと聞くと、
実はそういう希望を言ってくれる人もいるそうなんだけど、これはあくまでもお裾分けが気持ちいいのであって、お金儲けは気が進まないのだそうだ。
武士の精神を肝に抱く土壌&農学博士は、実はとっても頑固な人だ。

というわけで、厚かましくもお裾分けしていただいたジャム(2種類いただいたうちの、これは実がゴロゴロと原型を留めている方のジャム)。


もうなんとも言えない、口の中でいろんな表情を出してくれる、食べ心地が最高で、喉を通った後に思わずニヤっとしてしまう、とんでもなく美味しいジャム。
ごちそうさまでした!
また来年お邪魔しま〜す!
えぇ〜?また来るのぉ〜?(妄想の中の利明さんの声)
はい、また行きま〜す!
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夏の日本旅行・2018(その1)

2018年09月23日 | 友達とわたし
とうとう書こうと思う。
なんか大げさだ。
けれども、今日まで毎日、パソコンの前に座っては固まり、また座っては固まりして、書けずにこんなにも日が過ぎてしまった。
それでなくても、旅行中に出会った人たちとの楽しい思い出や、絶対に覚えておきたいと胸を熱くして聞いたいろんな話が、まるで息に溶け込んで吐き出されているかのように忘れてしまうのに…。
メモっておけばよかったなあ…。
でも、本当に暑過ぎて、ホテルに戻ったらもうフラフラで、ただただお風呂に入って汗を流し、その後翌日の予定を確認して、約束の場所に約束の時間にちゃんと行けるよう、毎晩乗継案内のアプリとにらめっこするのが精一杯。
初めてのカプセルホテルは、物音を立てないことにすごく気を遣わなければならなかったし、なんでこんな時間に?という時間に荷造りして出発したり、どこかから戻ってくる人が毎晩いて、まともに眠れやしない。
やっぱり耳栓が必要だなと痛感した。

でもそれ以外は、いつでも入れる大きなお風呂だったり、広々としたパウダールームだったり、女性しか出入りできない厳しい制限がされていて、なかなかに快適だった。
また独りで旅行するときは、性能の良い耳栓持参で泊まりたいと思っている。


例のごとく、出発の前日にパッキングをした。
昨年の乗り継ぎ騒動に懲りて、今回は直行便を選んだ。
悪名高いユナイテッド航空だけど、他の航空会社に比べて600ドル以上も安い。
それでも予算オーバーだったけど…。

いつも寝る前に水に溶かして飲んでいるマグネシウム&カルシウムの粉は、見るからに怪しい。
なので、容器全体の写真をコピーして、小分け容器に貼り付けた。
どうぞ信じてもらえますように。


空港の待合が、ここ数年でガラリと変わった。
ほとんどの席にiPadが設置されている。




乗り換え無しで東京に着く、というのはやっぱり楽。
ただ、通路側の席が取れなくて、左横に座った男性(日本人)がすごくでっかい人で、ゲームをしてるか寝てるかのどちらかで、なのでトイレに行きたい時は、右側に座っている二人の親子に立ってもらわなければならなかった。
それと、機内食があまりにもひどくて、元々グルテンフリーなんてことは望めなかったのだけども、三食とも食べられないまま日本に到着した。
ああ、こんなことなら、小豆玄米ご飯でおにぎりを作り、それを持ち込むべきだったとつくづく後悔した。

暑いぞ〜と散々脅されてたけど、覚悟していた以上の暑さと湿気に呆然としながら東京行きのバスを待っていると、バス会社の荷物積み係の若者たちが、バスの横っ腹にせっせと荷物を積み込んでいる。
こんなに暑い中を、チャキチャキと、それも整然と、わたしたちの大きな荷物を抱る彼らの後ろ姿に、感謝を込めてお辞儀をした。

ホテルは六本木駅から徒歩10分弱、西麻布の交差点のすぐ近くにある。
駅からは緩やかな下り坂になっているので、大きなスーツケースをゴロゴロと運ぶのもさほど大変ではなかったけれど、もうその10分間で大汗をかいた。
チェックインして部屋に入り、お風呂に直行。

部屋はこんな感じ。
ベッドは大の字になっても平気なサイズで、マットは固め。
ベッド横には歩けるスペースがあって、貴重品はベッド下の鍵付きの引き出しに入れられる。


着替えは適当にハンガーやテレビにかける。




ちっちゃなテーブルもある。


ドアは無く、アコーディオンカーテンのみなので、当然鍵はかけられないし、物音の全ては耳に入ってくる。
他の泊り客の人たちと、もっとコミュニケーションが取れるのかと思っていたけれど、寝床に入ったら物音を立てないという習慣が身につくからか、他の場所で出会っても、互いに声をかけることもかけられることも無かった。

その晩、久しぶりに会って食事をしようと約束していた、ホテルの近所に住んでいる友人夫婦と待ち合わせている場所に行こうとホテルを出たら、
え?マリオ?


素晴らしく美味しい和食のお店で、いつも会いそびれていた友人夫婦と一緒に、楽しくおしゃべりしたり食べたりしていると、あっという間に時間がすぎる。
朝早く家を出発してから、20時間ぶりの食事だったので、その美味しさがしみじみとしみた。
ごちそうさまでした!


翌日は、横浜在住の友人幸雄さんと一緒に、横浜美術館へ。


モネの絵を観に来た。


幸雄さんと二人で、これはいいね、こりゃ一体なんだ?なんてブツブツ言いながら、一つ一つ観て回った。
よく似た感性と好みがあると知って、ちょっと嬉しかった。

幸雄さんは、ずいぶんと大人になってから、フィドルの修行ならあそこだろう(なんて考えたかどうかは知りません<笑>)と、単身アイルランドまで行って、地元の人たちの輪に飛び込んでった人です。
その前はバンドでギターを演奏していた、そうですよね?
フィドルというのはバイオリンのことで、同じ楽器なんですが、クラッシックを演奏するとバイオリンって言うし、民族音楽を演奏するとフィドルって呼ばれるのだそうで、
でも、よくよく聞いてみると、幸雄さんは小さい頃からバイオリンを習ってたわけでもなくて、なんかすご〜く遅い始まりなんですね。
バイオリンって、ちゃんと音が鳴るまでにかなりの時間がかかると思ってたので、聞いてたまげてしまったくらいのスピードで、弾けるようになったと言うのです。
やっぱただ者ではない。
アイルランドでの逸話は山盛りあって、いつかレコーダー持参でインタビューしようと思っています。

でも、幸雄さんは何枚もCDを作ってるし、たくさんのファン(特にアイリッシュ音楽をやってる演奏家から、一緒にやって欲しいと言われる人)がいるのですが、実は音楽家ではなくて技術士さんです。
なので、幸雄さんと出会ったのは、実はFacebookのおかげで、それもわたしにはチンプンカンプンの原発関連の情報を、それはそれは分かりやすく説明してくれた文章に感動して、わたしから友だち申請をさせてもらったことがきっかけです。

話すうちに、好きな音楽はもちろん、腹を立てることも同じで、あれこれと気が合うことがわかり、無理やりかもしれないけれど、仲良くしてもらっています。


そこまで晴れなくても…と思うくらいにぴーかん晴れの横浜。


やんちゃだった彼がやんちゃしていた伊勢佐木町。


伊勢佐木町の伝説の人、白塗りのメリーさんと彼の接近話を聞きながら、絶対に案内したかったんだというお店にやって来た。

どっひゃ〜!!
お店の中に入る勇気はなかったけれど、名前の通り蛇以外のものは無い、すごいお店だった。



その翌日は、ポカリと一日空いた。
出かけて食べるのが面倒だったので、朝食付きを選んだのだけど、食べられるのは日替わりで入っている野菜と味付けが変わるスープとオレンジジュースだけ。
見るからに美味しそうで焼きたてのいい匂いがするパンは、グルテンフリーだから食べられない…ううぅ。
でも、6日間居て、全て違う味付けで、入っている野菜も色々違ったスープと、生のオレンジを絞ったところに手で実を割いて入れてあるジュースは、とても美味しかった。

食べながら見る外の景色。


弟が、予定が無いなら東京タワーにでも上ってきたら?と言うので、そうすることにした。
大阪在住の彼は、少し前に東京に旅行で来て、スカイツリーと東京タワーに上ったのだけど、どちらかというとスカイツリーより東京タワーの方が良かったと言う。
なるほど、では行ってみよう。

またまた乗換案内とにらめっこ。
でも、日本の公共の乗り物は便利だから、どこへ行くにも調べさえしたら行ける。
公共交通機関が未発達(発達させようとも思っていない)国に20年近くも暮らしていると、その便利さはもう奇跡のようでありがたいったらない。

バスだって、ご丁寧に、次のバスがいつ着くか知らせてくれる。


渋谷駅は大きな工事が続いているそうで、けれども表示がしっかり為されているので迷わなくて済む。




見えてきた!


東京って坂道が多いなあ…と、汗をふきふき歩いていたら、タワーの近所に可愛い教会が。


おぉ〜、東京タワー!


東京タワーの建主は、日本電波塔(にっぽんでんぱとう)株式会社であり、管理ならびに運営も同社で行っている。
1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ、当時は産業経済新聞社、関西テレビ放送、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた、前田久吉により設立。

その前田久吉さん。


設計者の内藤多仲さん。


独りで来ているのはわたしだけっぽかったけど、夜景をゆっくり観る。










建物内もなかなかきれい。




こんな催しも。


なんでワンピースが?


タワーの最上階から降りるエレベーターの中で、1組の母娘の会話が気に障って仕方がなかった。
母親は多分30代後半から40代、娘はまだ小学生だった。
エレベーターに乗るまでにちょっと待たされたし、乗ったら乗ったで混んでいたのだけど、暑い、ツアーアテンダントの話がつまらない、外国人が臭いなどなど、それを大声で言い続けていた。
外国人といっても、日本語を理解している人がいるかもしれない。
みんなも同様に暑いし、待たされて疲れているのに、娘に向かってうだうだと、それも誰にでも聞こえるような大きな声で言うので、思わずにらみつけてしまった。
きれいな夜景が心から消えてしまわないように、エレベーターから降りてすぐに、ブルブルと頭を振って追い出した。

ホテルに戻ると、マスコットのわんちゃんが、お祭りバージョンで出迎えてくれた。



次の二日間は、日本の芸能所体験記と、世界的権威である土壌博士のお話。
つづきはまた明日。
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