とうとう書こうと思う。
なんか大げさだ。
けれども、今日まで毎日、パソコンの前に座っては固まり、また座っては固まりして、書けずにこんなにも日が過ぎてしまった。
それでなくても、旅行中に出会った人たちとの楽しい思い出や、絶対に覚えておきたいと胸を熱くして聞いたいろんな話が、まるで息に溶け込んで吐き出されているかのように忘れてしまうのに…。
メモっておけばよかったなあ…。
でも、本当に暑過ぎて、ホテルに戻ったらもうフラフラで、ただただお風呂に入って汗を流し、その後翌日の予定を確認して、約束の場所に約束の時間にちゃんと行けるよう、毎晩乗継案内のアプリとにらめっこするのが精一杯。
初めてのカプセルホテルは、物音を立てないことにすごく気を遣わなければならなかったし、なんでこんな時間に?という時間に荷造りして出発したり、どこかから戻ってくる人が毎晩いて、まともに眠れやしない。
やっぱり耳栓が必要だなと痛感した。
でもそれ以外は、いつでも入れる大きなお風呂だったり、広々としたパウダールームだったり、女性しか出入りできない厳しい制限がされていて、なかなかに快適だった。
また独りで旅行するときは、性能の良い耳栓持参で泊まりたいと思っている。
例のごとく、出発の前日にパッキングをした。
昨年の乗り継ぎ騒動に懲りて、今回は直行便を選んだ。
悪名高いユナイテッド航空だけど、他の航空会社に比べて600ドル以上も安い。
それでも予算オーバーだったけど…。
いつも寝る前に水に溶かして飲んでいるマグネシウム&カルシウムの粉は、見るからに怪しい。
なので、容器全体の写真をコピーして、小分け容器に貼り付けた。
どうぞ信じてもらえますように。
空港の待合が、ここ数年でガラリと変わった。
ほとんどの席にiPadが設置されている。
乗り換え無しで東京に着く、というのはやっぱり楽。
ただ、通路側の席が取れなくて、左横に座った男性(日本人)がすごくでっかい人で、ゲームをしてるか寝てるかのどちらかで、なのでトイレに行きたい時は、右側に座っている二人の親子に立ってもらわなければならなかった。
それと、機内食があまりにもひどくて、元々グルテンフリーなんてことは望めなかったのだけども、三食とも食べられないまま日本に到着した。
ああ、こんなことなら、小豆玄米ご飯でおにぎりを作り、それを持ち込むべきだったとつくづく後悔した。
暑いぞ〜と散々脅されてたけど、覚悟していた以上の暑さと湿気に呆然としながら東京行きのバスを待っていると、バス会社の荷物積み係の若者たちが、バスの横っ腹にせっせと荷物を積み込んでいる。
こんなに暑い中を、チャキチャキと、それも整然と、わたしたちの大きな荷物を抱る彼らの後ろ姿に、感謝を込めてお辞儀をした。
ホテルは六本木駅から徒歩10分弱、西麻布の交差点のすぐ近くにある。
駅からは緩やかな下り坂になっているので、大きなスーツケースをゴロゴロと運ぶのもさほど大変ではなかったけれど、もうその10分間で大汗をかいた。
チェックインして部屋に入り、お風呂に直行。
部屋はこんな感じ。
ベッドは大の字になっても平気なサイズで、マットは固め。
ベッド横には歩けるスペースがあって、貴重品はベッド下の鍵付きの引き出しに入れられる。
着替えは適当にハンガーやテレビにかける。
ちっちゃなテーブルもある。
ドアは無く、アコーディオンカーテンのみなので、当然鍵はかけられないし、物音の全ては耳に入ってくる。
他の泊り客の人たちと、もっとコミュニケーションが取れるのかと思っていたけれど、寝床に入ったら物音を立てないという習慣が身につくからか、他の場所で出会っても、互いに声をかけることもかけられることも無かった。
その晩、久しぶりに会って食事をしようと約束していた、ホテルの近所に住んでいる友人夫婦と待ち合わせている場所に行こうとホテルを出たら、
え?マリオ?
素晴らしく美味しい和食のお店で、いつも会いそびれていた友人夫婦と一緒に、楽しくおしゃべりしたり食べたりしていると、あっという間に時間がすぎる。
朝早く家を出発してから、20時間ぶりの食事だったので、その美味しさがしみじみとしみた。
ごちそうさまでした!
翌日は、横浜在住の友人幸雄さんと一緒に、横浜美術館へ。
モネの絵を観に来た。
幸雄さんと二人で、これはいいね、こりゃ一体なんだ?なんてブツブツ言いながら、一つ一つ観て回った。
よく似た感性と好みがあると知って、ちょっと嬉しかった。
幸雄さんは、ずいぶんと大人になってから、フィドルの修行ならあそこだろう(なんて考えたかどうかは知りません<笑>)と、単身アイルランドまで行って、地元の人たちの輪に飛び込んでった人です。
その前はバンドでギターを演奏していた、そうですよね?
フィドルというのはバイオリンのことで、同じ楽器なんですが、クラッシックを演奏するとバイオリンって言うし、民族音楽を演奏するとフィドルって呼ばれるのだそうで、
でも、よくよく聞いてみると、幸雄さんは小さい頃からバイオリンを習ってたわけでもなくて、なんかすご〜く遅い始まりなんですね。
バイオリンって、ちゃんと音が鳴るまでにかなりの時間がかかると思ってたので、聞いてたまげてしまったくらいのスピードで、弾けるようになったと言うのです。
やっぱただ者ではない。
アイルランドでの逸話は山盛りあって、いつかレコーダー持参でインタビューしようと思っています。
でも、幸雄さんは何枚もCDを作ってるし、たくさんのファン(特にアイリッシュ音楽をやってる演奏家から、一緒にやって欲しいと言われる人)がいるのですが、実は音楽家ではなくて技術士さんです。
なので、幸雄さんと出会ったのは、実はFacebookのおかげで、それもわたしにはチンプンカンプンの原発関連の情報を、それはそれは分かりやすく説明してくれた文章に感動して、わたしから友だち申請をさせてもらったことがきっかけです。
話すうちに、好きな音楽はもちろん、腹を立てることも同じで、あれこれと気が合うことがわかり、無理やりかもしれないけれど、仲良くしてもらっています。
そこまで晴れなくても…と思うくらいにぴーかん晴れの横浜。
やんちゃだった彼がやんちゃしていた伊勢佐木町。
伊勢佐木町の伝説の人、白塗りのメリーさんと彼の接近話を聞きながら、絶対に案内したかったんだというお店にやって来た。
どっひゃ〜!!
お店の中に入る勇気はなかったけれど、名前の通り蛇以外のものは無い、すごいお店だった。
その翌日は、ポカリと一日空いた。
出かけて食べるのが面倒だったので、朝食付きを選んだのだけど、食べられるのは日替わりで入っている野菜と味付けが変わるスープとオレンジジュースだけ。
見るからに美味しそうで焼きたてのいい匂いがするパンは、グルテンフリーだから食べられない…ううぅ。
でも、6日間居て、全て違う味付けで、入っている野菜も色々違ったスープと、生のオレンジを絞ったところに手で実を割いて入れてあるジュースは、とても美味しかった。
食べながら見る外の景色。
弟が、予定が無いなら東京タワーにでも上ってきたら?と言うので、そうすることにした。
大阪在住の彼は、少し前に東京に旅行で来て、スカイツリーと東京タワーに上ったのだけど、どちらかというとスカイツリーより東京タワーの方が良かったと言う。
なるほど、では行ってみよう。
またまた乗換案内とにらめっこ。
でも、日本の公共の乗り物は便利だから、どこへ行くにも調べさえしたら行ける。
公共交通機関が未発達(発達させようとも思っていない)国に20年近くも暮らしていると、その便利さはもう奇跡のようでありがたいったらない。
バスだって、ご丁寧に、次のバスがいつ着くか知らせてくれる。
渋谷駅は大きな工事が続いているそうで、けれども表示がしっかり為されているので迷わなくて済む。
見えてきた!
東京って坂道が多いなあ…と、汗をふきふき歩いていたら、タワーの近所に可愛い教会が。
おぉ〜、東京タワー!
東京タワーの建主は、日本電波塔(にっぽんでんぱとう)株式会社であり、管理ならびに運営も同社で行っている。
1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ、当時は産業経済新聞社、関西テレビ放送、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた、前田久吉により設立。
その前田久吉さん。
設計者の内藤多仲さん。
独りで来ているのはわたしだけっぽかったけど、夜景をゆっくり観る。
建物内もなかなかきれい。
こんな催しも。
なんでワンピースが?
タワーの最上階から降りるエレベーターの中で、1組の母娘の会話が気に障って仕方がなかった。
母親は多分30代後半から40代、娘はまだ小学生だった。
エレベーターに乗るまでにちょっと待たされたし、乗ったら乗ったで混んでいたのだけど、暑い、ツアーアテンダントの話がつまらない、外国人が臭いなどなど、それを大声で言い続けていた。
外国人といっても、日本語を理解している人がいるかもしれない。
みんなも同様に暑いし、待たされて疲れているのに、娘に向かってうだうだと、それも誰にでも聞こえるような大きな声で言うので、思わずにらみつけてしまった。
きれいな夜景が心から消えてしまわないように、エレベーターから降りてすぐに、ブルブルと頭を振って追い出した。
ホテルに戻ると、マスコットのわんちゃんが、お祭りバージョンで出迎えてくれた。
次の二日間は、日本の芸能所体験記と、世界的権威である土壌博士のお話。
つづきはまた明日。