先日ここで紹介させてもろた、法学館憲法研究所の伊藤真所長が、憲法を一条ずる解説してくださってます。
わたしはその解説をひとつずつ読ませてもらい、心からこの憲法を守りたいと思うようになりました。
特に、今、憲法をいじろうとしている者達の、これまでの動向を見ている限り、どうして今この時に変えたいのか、変える先に待ち構えているものはなんなのか、
調べれば調べるほどにキナ臭い、なにか不穏な物事が見え隠れしていて、どうしても信頼することができません。
↓以下は、憲法はなんのためにあるんだろう?を転載させていただきます。
基本は、国家統治の基本構造についての定めが、憲法には書かれています。
本当にすべてにおいてです。
そして、憲法は、人々を権力者から守るために生まれたものです。
憲法は権力者の上に立ち、権力者に歯止めをかけるものです。
つまり、「権力者がどのような権力を持ち、どのように使うことができるか」は、憲法が定めるようにしよう、というのが立憲主義の意味なのです。
大抵の国が、この立憲主義の立場をとっています。
憲法の中では、個人の尊重が国家の基本的な価値とされて、そのような価値を実現するために、立憲主義が採用されています。
ちなみに気をつけて欲しいことがあります。
憲法を語るときには、国家という考え方が、普段皆さんが思っているような「祖国」とかいう意味で考えてはいけません。
国家とは、
1. 一定の領土を持つ
2. 人々(国民)が住んでいる
3. 権力を持ったものが治めている組織体であり、
国家の本質は
権力で国民を支配する仕組みです。
そのうえで、立憲的意味の憲法とは、権力に歯止めをかけていくために「人権保障」と「権力分立」の定めがある憲法ということになります。
どうしても、国家の方が憲法より偉いような感じを受けますが、違います。
立憲主義は、国家の行為を憲法に基づかせる考え方なので、
国家権力は、国家に当然に備わっているものではなく、憲法が定めて初めて、その定められた範囲内でのみ、憲法から国家に与えられるものです。
ここでまた気をつけて欲しいのですが、
憲法は、国家機関が作るどんな法よりも上の位置にあって、議会や政府が作る法律や政令などは、憲法に反することができません。
だから、憲法と法律・政令は、全然違う性質をもったものなのです。
そして、最後に念を押しておきますが、
立憲的意味の憲法は、あくまで国家を制限するために作られたものであり、国民の対して向けられたものではありません。
憲法によってはじめて、国民の自由と人権が保障されているのです。
そんな成り立ちの憲法を、アベシンゾーはなんで躍起になっていじろうとしてるのか?
これは自民党の、長年の悲願やったとも聞いてます。
それこそが一番、ああ信用できんなあと感じる理由です。
絶対に、あいつらの手にかけさせたらあきません。
原発を平気で、ウソついてまで、地震大国に乱立してきた連中です。
なにも学んでない。なにも省みようともしない。なにも責任をとらない。
そんな人間が、いきなりまともなことをできると思いますか?
思わへんでしょ?
『憲法改正権は内閣には無く、わたし達国民にあり、国民にのみ帰属する』
『いまの国会は、衆議院も参議院も、本来なら無効であるはずの選挙によって選ばれた議員、つまり、本来なら議員たりえないはずの議員によって構成されている、ということ』
『憲法改正の発議のような、国の枠組みの根幹にもかかわる事項は、本来なら国会議員たりえないはずの、正当性に瑕疵のある国会議員によって扱われてはならない事項の最たるものというべき』
『そういう意味で、あなた(安倍首相)がいま「改憲」を言うことは、まったく不適切なこと』
↑以上は、その伊藤真所長が、安倍首相に向けて書かはった手紙の文面からの抜粋です。
憲法をまるで学んで来んかった、学ぼうともせんかった、中身がスカスカの大人やったわたしですが、今こそ気合い入れて、主権者として恥ずかしないようになりたいと思てます。
何回かに分けて、ここに紹介させてもらいます。
みなさんも一緒に、ちょっとずつ知っていきませんか。
日本国憲法の逐条解説
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
明治憲法では天皇は主権者であり、国家神道と結びついた象徴でもありました。
それに対して新憲法の下では、天皇は象徴でしかないことを明確にし、しかも主権が国民にあることを宣言したのです。
天皇という平等原則に反する地位を、平等を旨とする国民の象徴としたところに、この憲法が持つ一つの矛盾が現れています。
身分制秩序の中で生きる天皇は、民主的で平等に人権を保障された国民とは異質です。
それが国民の象徴とはどういうことなのでしょうか。
ただ、天皇制にどのような意味づけを与えるかはまさに主権者たる国民の「総意」、つまり私たちの意識の問題です。
この条文は、私たち国民が天皇の地位すらも決めることができる主体なのであって、けっして「天皇を象徴として敬え」と強制されるような客体ではないことを示しています。
一人ひとりの国民がどのように主体的に生きることができるか、それがこの憲法の価値を決めるといっても過言ではありません。(2006年2月3日)
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
天皇の地位が世襲、つまり一定の血統関係に属するものに限られることを定めています。
憲法上は世襲が要求されているだけで、生前退位や女性天皇を認めるかは皇室典範という法律に委ねられています。
明治憲法時代には皇室典範はいわば第2の憲法とでもいうべきもので、国会の意思が及ばないところにありました。
それを通常の法律と同じく国民の意思で皇位継承資格や順序を決められるとしたのです。
現在、天皇となる資格は「皇統に属する男系の男子」(皇室典範第1条)に限られていますが、男女の違いにどれほどの意味を与えるかも国民の意思次第です。
皇位の世襲制自体、憲法が認めた平等原則の例外であり、そこにはそもそも憲法上の人権保障など観念できないという考えもあります。
しかし、それでも女性を跡継ぎを産むための道具としてみたり、側室つまり一夫多妻制を話題にしたりすることはまた別の問題です。(2006年2月10日)
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
明治憲法時代の天皇は、すべての統治権を持っていましたが、現在は、主権が国民に移ったため、天皇は一切の政治的権限を失いました。
憲法に規定されている国事行為という非政治的、儀礼的行為を行なうことができるにすぎません。
しかもその国事行為を行なうときでさえ、内閣の「助言と承認」が必要とされます。
一体としての「助言と承認」が事前にあればよいのですが、天皇はこれに絶対的に拘束されます。
ここでも国会に責任を負う内閣の意思によって天皇の行為が決定される典で、国民主権が徹底されています。
国事行為については内閣が責任を負うのであって、天皇は一切責任を負いません。
なお、天皇の私的行為については、刑事責任は及びませんが、民事責任を否定する理由はないと言われていますから、天皇が不法行為責任を負うこともあります。
ただし、現在の判例は天皇に民事裁判権は及ばないとしているので、いまのところ天皇を訴えたりすることはできません。(2006年2月17日)
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
国政に関する権能とは、国政を決定したり影響を与えたりする行為をいいます。
国事に関する行為とは、そのような政治的決定力や影響力をもたない名目的、儀礼的な行為をいいます。
ここで、天皇は一切の政治的権限を持たないことを宣言することによって、天皇の非政治化をはかりました。
しかも非政治的、儀礼的な行為である国事行為も、憲法に列挙されているものに限定し、その権限が拡大していくことのないように歯止めをかけたのです。
また、たとえ天皇の私的行為であっても、国政に関するものであってはなりません。
ですから、いくら学術的なものであっても「戦後補償問題について」という論文を発表することなどはできませんし、園遊会での発言も、政治的な意味を持つことはありません。
本条2項によって、天皇が海外旅行に出かけているときなどは、国事行為を個別に委任できますが、委任された人が一時的に天皇になるわけではもちろんありません。(2006年2月24日)
第5条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
摂政とは、天皇が病気などで自ら国事行為をすることができなくなったときに、天皇に代わってその行為を行う法定代理機関です。
いわば親権者や後見人のようなものです。
「天皇の名で国事行為を行う」とは、天皇に代わってという意味であり、天皇自身が行ったのと同じ効果を持ちます。
内閣の助言と承認に基づいて行われ、その責任も内閣のみが負います。
ですが、摂政は天皇ではありませんから、天皇と同じように象徴になるわけではありません。
また、4条1項が準用されていますから、摂政の権能も、天皇自身の権能と同じく、国政に関するものであってはなりません。
摂政が置かれる場合は、皇室典範という法律によって決まっています。
天皇が成年に達しないとき、および天皇が精神もしくは身体の重患または重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときに置かれます(皇室典範16条)。
なお天皇、皇太子、皇太孫の成年は18歳です(同22条)。(2006年3月3日)
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
7条とともに、天皇の国事行為について規定しています。
天皇は、国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません(4条1項)。
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決によって指名されます(67条)。
天皇は、国会の指名した者を内閣総理大臣として任命しなければなりませんし、国会が指名しなかった者を任命することもできません。
天皇の行為が名目的なものにすぎないことを強調するためには、たとえ内閣に実質的な決定権のない内閣総理大臣の任命という国事行為であっても、
それまでの内閣による助言と承認が必要、と解されることになります(3条)。
最高裁判所長官に関しては、内閣は、実質的な指名を行うと同時に、天皇の名目的な任命行為への助言と承認を行います(本条2項)。
このように行政権の長、司法権の長に対してであっても、天皇は、あくまでも名目的な関わり方しかできないのです。(2006年3月10日)
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2 国会を召集すること。
3 衆議院を解散すること。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7 栄典を授与すること。
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9 外国の大使及び公使を接受すること。
10 儀式を行ふこと。
6条とともに 、天皇の国事行為について規定しています。
天皇は国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません。
この7条列挙事由には、衆議院の解散のように、「国政に関する」とも思えるようなものも並んでいますが、
内閣などの他機関が実質的な決定を行なうので、天皇の行為が名目的なものにすぎない点に変わりはありません。
天皇は、これらの国事行為以外にも、外国訪問など一定の公的行為を行うことがあります。
これを「象徴としての行為」として説明する立場もありますが、天皇を政治的に利用するようなことがあってはなりません。(2006年3月17日)
第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
88条とともに、天皇の権能を財政面から制限しました。
天皇や皇族の財産授受を国会のコントロールの下におくことによって、皇室が財産を通じて政治的影響力を持つことを禁じたのです。
天皇や皇族であっても一私人としては、土地の売買などの財産法上の行為をすることができるのですが、
そうした私的行為すら旧憲法時代には政治的・軍事的に利用されてしまったので、その弊害を防ごうというわけです。
皇室外から皇室へ、逆に皇室から皇室外への財産(土地所有権、預金、債券、株式、特許権などあらゆる財産)の移転を目的とする契約は、有償・無償を問わず国会の議決がなければ無効となります。
ただ、たとえ皇族であっても、婚約者へのちょっとしたプレゼントなどをいちいち国会で議決してもらうのでは興ざめです。
この条文の趣旨から考えて、皇室の皆さんの日常生活にかかわる程度の財産授受などは、一定の金額内であれば国会の議決は不要となります。(2006年3月24日)
次はいよいよ第9条です!
読めば読むほどに、こんなすばらしい憲法の主権者として生きることができる幸せをしみじみと感じます。
ああ、早よ紹介したいっ!
お楽しみお楽しみ。
けど、そんな、時差なんか待てるかっ!という方は、どうぞどうぞ、http://www.jicl.jp/itou/chikujyou.htmlで一気読みしてください!
日本国憲法、みんなで守りましょうね!
わたしはその解説をひとつずつ読ませてもらい、心からこの憲法を守りたいと思うようになりました。
特に、今、憲法をいじろうとしている者達の、これまでの動向を見ている限り、どうして今この時に変えたいのか、変える先に待ち構えているものはなんなのか、
調べれば調べるほどにキナ臭い、なにか不穏な物事が見え隠れしていて、どうしても信頼することができません。
↓以下は、憲法はなんのためにあるんだろう?を転載させていただきます。
基本は、国家統治の基本構造についての定めが、憲法には書かれています。
本当にすべてにおいてです。
そして、憲法は、人々を権力者から守るために生まれたものです。
憲法は権力者の上に立ち、権力者に歯止めをかけるものです。
つまり、「権力者がどのような権力を持ち、どのように使うことができるか」は、憲法が定めるようにしよう、というのが立憲主義の意味なのです。
大抵の国が、この立憲主義の立場をとっています。
憲法の中では、個人の尊重が国家の基本的な価値とされて、そのような価値を実現するために、立憲主義が採用されています。
ちなみに気をつけて欲しいことがあります。
憲法を語るときには、国家という考え方が、普段皆さんが思っているような「祖国」とかいう意味で考えてはいけません。
国家とは、
1. 一定の領土を持つ
2. 人々(国民)が住んでいる
3. 権力を持ったものが治めている組織体であり、
国家の本質は
権力で国民を支配する仕組みです。
そのうえで、立憲的意味の憲法とは、権力に歯止めをかけていくために「人権保障」と「権力分立」の定めがある憲法ということになります。
どうしても、国家の方が憲法より偉いような感じを受けますが、違います。
立憲主義は、国家の行為を憲法に基づかせる考え方なので、
国家権力は、国家に当然に備わっているものではなく、憲法が定めて初めて、その定められた範囲内でのみ、憲法から国家に与えられるものです。
ここでまた気をつけて欲しいのですが、
憲法は、国家機関が作るどんな法よりも上の位置にあって、議会や政府が作る法律や政令などは、憲法に反することができません。
だから、憲法と法律・政令は、全然違う性質をもったものなのです。
そして、最後に念を押しておきますが、
立憲的意味の憲法は、あくまで国家を制限するために作られたものであり、国民の対して向けられたものではありません。
憲法によってはじめて、国民の自由と人権が保障されているのです。
そんな成り立ちの憲法を、アベシンゾーはなんで躍起になっていじろうとしてるのか?
これは自民党の、長年の悲願やったとも聞いてます。
それこそが一番、ああ信用できんなあと感じる理由です。
絶対に、あいつらの手にかけさせたらあきません。
原発を平気で、ウソついてまで、地震大国に乱立してきた連中です。
なにも学んでない。なにも省みようともしない。なにも責任をとらない。
そんな人間が、いきなりまともなことをできると思いますか?
思わへんでしょ?
『憲法改正権は内閣には無く、わたし達国民にあり、国民にのみ帰属する』
『いまの国会は、衆議院も参議院も、本来なら無効であるはずの選挙によって選ばれた議員、つまり、本来なら議員たりえないはずの議員によって構成されている、ということ』
『憲法改正の発議のような、国の枠組みの根幹にもかかわる事項は、本来なら国会議員たりえないはずの、正当性に瑕疵のある国会議員によって扱われてはならない事項の最たるものというべき』
『そういう意味で、あなた(安倍首相)がいま「改憲」を言うことは、まったく不適切なこと』
↑以上は、その伊藤真所長が、安倍首相に向けて書かはった手紙の文面からの抜粋です。
憲法をまるで学んで来んかった、学ぼうともせんかった、中身がスカスカの大人やったわたしですが、今こそ気合い入れて、主権者として恥ずかしないようになりたいと思てます。
何回かに分けて、ここに紹介させてもらいます。
みなさんも一緒に、ちょっとずつ知っていきませんか。
日本国憲法の逐条解説
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
明治憲法では天皇は主権者であり、国家神道と結びついた象徴でもありました。
それに対して新憲法の下では、天皇は象徴でしかないことを明確にし、しかも主権が国民にあることを宣言したのです。
天皇という平等原則に反する地位を、平等を旨とする国民の象徴としたところに、この憲法が持つ一つの矛盾が現れています。
身分制秩序の中で生きる天皇は、民主的で平等に人権を保障された国民とは異質です。
それが国民の象徴とはどういうことなのでしょうか。
ただ、天皇制にどのような意味づけを与えるかはまさに主権者たる国民の「総意」、つまり私たちの意識の問題です。
この条文は、私たち国民が天皇の地位すらも決めることができる主体なのであって、けっして「天皇を象徴として敬え」と強制されるような客体ではないことを示しています。
一人ひとりの国民がどのように主体的に生きることができるか、それがこの憲法の価値を決めるといっても過言ではありません。(2006年2月3日)
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
天皇の地位が世襲、つまり一定の血統関係に属するものに限られることを定めています。
憲法上は世襲が要求されているだけで、生前退位や女性天皇を認めるかは皇室典範という法律に委ねられています。
明治憲法時代には皇室典範はいわば第2の憲法とでもいうべきもので、国会の意思が及ばないところにありました。
それを通常の法律と同じく国民の意思で皇位継承資格や順序を決められるとしたのです。
現在、天皇となる資格は「皇統に属する男系の男子」(皇室典範第1条)に限られていますが、男女の違いにどれほどの意味を与えるかも国民の意思次第です。
皇位の世襲制自体、憲法が認めた平等原則の例外であり、そこにはそもそも憲法上の人権保障など観念できないという考えもあります。
しかし、それでも女性を跡継ぎを産むための道具としてみたり、側室つまり一夫多妻制を話題にしたりすることはまた別の問題です。(2006年2月10日)
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
明治憲法時代の天皇は、すべての統治権を持っていましたが、現在は、主権が国民に移ったため、天皇は一切の政治的権限を失いました。
憲法に規定されている国事行為という非政治的、儀礼的行為を行なうことができるにすぎません。
しかもその国事行為を行なうときでさえ、内閣の「助言と承認」が必要とされます。
一体としての「助言と承認」が事前にあればよいのですが、天皇はこれに絶対的に拘束されます。
ここでも国会に責任を負う内閣の意思によって天皇の行為が決定される典で、国民主権が徹底されています。
国事行為については内閣が責任を負うのであって、天皇は一切責任を負いません。
なお、天皇の私的行為については、刑事責任は及びませんが、民事責任を否定する理由はないと言われていますから、天皇が不法行為責任を負うこともあります。
ただし、現在の判例は天皇に民事裁判権は及ばないとしているので、いまのところ天皇を訴えたりすることはできません。(2006年2月17日)
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
国政に関する権能とは、国政を決定したり影響を与えたりする行為をいいます。
国事に関する行為とは、そのような政治的決定力や影響力をもたない名目的、儀礼的な行為をいいます。
ここで、天皇は一切の政治的権限を持たないことを宣言することによって、天皇の非政治化をはかりました。
しかも非政治的、儀礼的な行為である国事行為も、憲法に列挙されているものに限定し、その権限が拡大していくことのないように歯止めをかけたのです。
また、たとえ天皇の私的行為であっても、国政に関するものであってはなりません。
ですから、いくら学術的なものであっても「戦後補償問題について」という論文を発表することなどはできませんし、園遊会での発言も、政治的な意味を持つことはありません。
本条2項によって、天皇が海外旅行に出かけているときなどは、国事行為を個別に委任できますが、委任された人が一時的に天皇になるわけではもちろんありません。(2006年2月24日)
第5条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
摂政とは、天皇が病気などで自ら国事行為をすることができなくなったときに、天皇に代わってその行為を行う法定代理機関です。
いわば親権者や後見人のようなものです。
「天皇の名で国事行為を行う」とは、天皇に代わってという意味であり、天皇自身が行ったのと同じ効果を持ちます。
内閣の助言と承認に基づいて行われ、その責任も内閣のみが負います。
ですが、摂政は天皇ではありませんから、天皇と同じように象徴になるわけではありません。
また、4条1項が準用されていますから、摂政の権能も、天皇自身の権能と同じく、国政に関するものであってはなりません。
摂政が置かれる場合は、皇室典範という法律によって決まっています。
天皇が成年に達しないとき、および天皇が精神もしくは身体の重患または重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときに置かれます(皇室典範16条)。
なお天皇、皇太子、皇太孫の成年は18歳です(同22条)。(2006年3月3日)
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
7条とともに、天皇の国事行為について規定しています。
天皇は、国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません(4条1項)。
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決によって指名されます(67条)。
天皇は、国会の指名した者を内閣総理大臣として任命しなければなりませんし、国会が指名しなかった者を任命することもできません。
天皇の行為が名目的なものにすぎないことを強調するためには、たとえ内閣に実質的な決定権のない内閣総理大臣の任命という国事行為であっても、
それまでの内閣による助言と承認が必要、と解されることになります(3条)。
最高裁判所長官に関しては、内閣は、実質的な指名を行うと同時に、天皇の名目的な任命行為への助言と承認を行います(本条2項)。
このように行政権の長、司法権の長に対してであっても、天皇は、あくまでも名目的な関わり方しかできないのです。(2006年3月10日)
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2 国会を召集すること。
3 衆議院を解散すること。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7 栄典を授与すること。
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9 外国の大使及び公使を接受すること。
10 儀式を行ふこと。
6条とともに 、天皇の国事行為について規定しています。
天皇は国政に関する権能を一切もたず、形式的・儀礼的行為である国事行為をすることしかできません。
この7条列挙事由には、衆議院の解散のように、「国政に関する」とも思えるようなものも並んでいますが、
内閣などの他機関が実質的な決定を行なうので、天皇の行為が名目的なものにすぎない点に変わりはありません。
天皇は、これらの国事行為以外にも、外国訪問など一定の公的行為を行うことがあります。
これを「象徴としての行為」として説明する立場もありますが、天皇を政治的に利用するようなことがあってはなりません。(2006年3月17日)
第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
88条とともに、天皇の権能を財政面から制限しました。
天皇や皇族の財産授受を国会のコントロールの下におくことによって、皇室が財産を通じて政治的影響力を持つことを禁じたのです。
天皇や皇族であっても一私人としては、土地の売買などの財産法上の行為をすることができるのですが、
そうした私的行為すら旧憲法時代には政治的・軍事的に利用されてしまったので、その弊害を防ごうというわけです。
皇室外から皇室へ、逆に皇室から皇室外への財産(土地所有権、預金、債券、株式、特許権などあらゆる財産)の移転を目的とする契約は、有償・無償を問わず国会の議決がなければ無効となります。
ただ、たとえ皇族であっても、婚約者へのちょっとしたプレゼントなどをいちいち国会で議決してもらうのでは興ざめです。
この条文の趣旨から考えて、皇室の皆さんの日常生活にかかわる程度の財産授受などは、一定の金額内であれば国会の議決は不要となります。(2006年3月24日)
次はいよいよ第9条です!
読めば読むほどに、こんなすばらしい憲法の主権者として生きることができる幸せをしみじみと感じます。
ああ、早よ紹介したいっ!
お楽しみお楽しみ。
けど、そんな、時差なんか待てるかっ!という方は、どうぞどうぞ、http://www.jicl.jp/itou/chikujyou.htmlで一気読みしてください!
日本国憲法、みんなで守りましょうね!