ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

いろいろと頑張ってます!

2023年10月31日 | ひとりごと
毎年恒例のインディアンサマーの3日間が終わり、雨がざあざあと降って、今日からまた肌寒くなり、明日からの数日は最低気温が0℃近くまで下がるらしい。
街の並木の落ち葉は最高潮、道も車も色とりどりの葉っぱをまとっている。
毎年この季節に生徒たちの発表会を開催しているので、のんびりと紅葉を楽しむ気持ちになかなかなることができないのだけど、それでも歩いたり運転したりしていると、心を鷲掴みされるような瞬間が幾度もある。

顔の出来物切除から2週間が経ち、経過を診てもらいに行った。
下瞼の方は全部を取りきれてはいないけれど(だからまたグロテスクに育ったら痛い思いをしなければならない😭)取った部分はすっきりと治っている。
右頬の出来物は削り取ったので平らにはなったけど、まだ炎症が治っていないらしく、あともう1週間、抗生物質が配合された軟膏を塗らなければならない。
水泳禁止が大腸がん検査の準備機関から足すと3週間も続いていて、明日から行ける!と楽しみにしていたのに、あともう1週間はダメだと言われてしまった。
わたしは一度ハマると粛々と続けるタチなのだが、それができなくなると、その間だけ何か代わりのものを見つけてやり過ごす、ということができない。
だから水泳ができない=何もしない、になってしまう。
防水のバンドエイドを二重に貼って、なんとか誤魔化せないものかと思ったが、夫に「こういう時にそういう考えを実行するのはいかがなものか」と言われてしまった。

発表会まであと12日。
毎年同じようなことをぶつぶつ言っているような気がするけれど、今年もまた間に合わないかもしれない生徒が数人いる。
その中の一人はティーンの女の子で、しっかり者で前向き、そして頭も良いのだけど、楽譜を読むことがかなり苦手。
ソロの曲も連弾の曲も、もう夏前から弾いていて、夏はボストンで開かれたミュージックキャンプにも参加したような子なのに、いつまで経っても出来が悪いまま、とうとうこんなに日が経ってしまった。
もう間に合いそうにないので、連弾の曲をやめてソロ曲に集中しようと言っても、どちらも弾きたいの一点張りで、けれど次のレッスンでもほぼ同じ状態で弾いている。
これは練習の段階からつきっきりで教えないと埒が明かないと思い、特に弾けていない連弾曲を、週末に一緒に練習することにした。
発表会まで2週間の時点で、はじめの3小節さえまともに弾けなかった彼女が、楽譜にありったけの数字や言葉を書き込んで、1小節ずつ手取り足取り教えていくと、1時間で18小節弾けるようになった。
頼むからここまでをきっちり脳みそに叩き込んでおいてねと言って、翌日の日曜日にも来るように言ったのだけど、ドタキャンされてしまったので、明日の夜に、ハロウィンだけどまた練習をすることにした。
彼女はいつも「わかった、やれると思う。頑張るよ」と言って帰っていくのだけど、楽譜が不思議なくらい読めないのだから、どう頑張っても結果は出てこない。
こんなギリギリまでいや〜な予感や不安を感じながらも、彼女に任せてしまっていたわたしにも責任がある。
最悪の場合は、両手弾きを片手に減らしたり、彼女のパートをわたしの方に移したりすることになるだろう。
なんとかして当日の舞台に間に合わせてあげたいなあ。

プログラムを作る際は、曲の難易度や曲想で順番を決めていく。
今までは、大人の生徒さんたちの順番を決めるのがなかなか難しかった。
ピアノを弾き始めてまだ間もない大人は、小さな子どもに混じって弾くことになるのだけど、それはちょっと居心地が悪いだろうなと思いつつ、仕方なく名前を書き込んでいた。
けれども去年から初心者の大人の生徒さんたちの都合が悪くなってレッスンの休止が続き、その後続々と若い頃に弾いていた大人の人たち(20代から70代まで)が入ってきたので、今年のプログラムは前半が子どもたち、後半が大人たちになって気分がかなり楽である。
ギリギリで頑張っている子たちをプログラムに載せるか載せないかがまだ決められないので、プログラム作成はまだできない。
今日はトロフィーの注文を済ませ、当日の手伝いをしてくれる係の人と打ち合わせをした。
明日はハロウィン。チョコの準備も済ませてある。
ちびっ子もティーンも、1週間ぐらい前からウキウキとこの日を待っているのだけど、学校ではこんなお知らせが配られたそうな。
「キャンディやチョコレートを食べる際には、必ず中に刃物などの危険なものが挟まれていないかどうかを確認すること」
小さな子たちを傷つけて喜ぶ阿呆がいるのだ。
いや、そんなことを企んで実行してしまうような輩は極悪人だ。
Trick or Treat が無事に楽しく終わりますように!
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秋たけなわの夕方散歩

2023年10月24日 | ひとりごと
今年は長雨が続いて紅葉が見られるかどうか心配だったのだけど、気温がグッと下がって晴れ間が続くとみるみる色づいてきて、気がついたらもう終わりかけていた。
夕方の、曇り空の、すでに薄暗くなりかけている時間の写真なので、葉っぱの色づき加減がちゃんと写せなかったけど、まあいいや。

タイトル写真のおうちは、多分家族の顔写真を使っていると思うのたけど、指名手配だの要注意人物だの、言いたい放題のコメントが書かれていて、大丈夫なのかなと思いつつも可笑しかったので撮らせてもらった。

このおうちは控えめながらもちょっと怖い。

そしてご近所のド派手で有名なおうちのデコレーション。年々加熱していっている。

これ、暗い夜道で見たらまじでビビるんですけど…。

ガイコツそのものよりも、バックの木が不気味だと思う。

プロペラみたいにクルクル回りながら落ちてくるやつ。

これはなんぞや?

好きなもんだらけの側道。

ちょっと暗めの紅葉さんたち。







この大銀杏が色づくのはまだまだ先。



でっかいお屋敷のでっかいオバケさんたち。

いよいよ暗くなってきた。

すすき好きなのでつい…。

ハロウィンが終わったら生徒たちの発表会があって、それが終わったら感謝祭で、そうこうしているうちにクリスマスになって、年末には日本に行って久しぶりのお正月を母と過ごす予定。
毎年思うことだけど、年が明けたなと思ったらもう年末っていうこの感じ、どうにかならないもんだろうか…。
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ENHYPEN(エンハイフン)のニューアークコンサートに行ってきた!

2023年10月19日 | ひとりごと
生まれて初めてのK-Popコンサートに行ってきた。
長男くんの妻になり、それで自動的にわたしの初の娘になってくれたTちゃんが、おかあさん、一緒に行きませんか?と誘ってくれたのだ。
Tちゃんは、ティーンの頃からの韓ドラ&K-Popファンで、外国の航空会社でキャビンアテンダントをしていたり語学留学していたりの、英語と韓国語を自在に操ることができる才色兼備さん。
会うと必ずK-Popや韓ドラの話になりかなり盛り上がる。
わたしがハマったのは60を過ぎてからなので、Kちゃんはわたしの約半分の年齢にして大先輩なのだ。
その大先輩のKちゃんが、わたしがずっと前に、このエンハイフンの話をしていたのをしっかり覚えていてくれて、今回のニューアーク公演に誘ってくれたのだった。

といっても、わたしは特にK-Popのファン、というのではない。
BTSのようにわあっと興味がわくグループはあるけど、だからといってずっと熱心に追い続けたりはしない。
韓ドラの中であまりに演技が上手いので、この人は誰だと思って調べたらアイドルとわかり、属しているグループのビデオを覗いてみる、みたいな感じで軽くつながっている。
YouTubeでは、グループごとのダンスの練習ビデオも観られるのだが、それを観ていると胸の辺りがジーンとしてくる。
ここまで仕上げるのにどれほどの汗と涙を流したのだろうか、細部にわたり高度なテクニックが必要とされる動きの連続を完全に記憶し、なおかつ歌を歌い、カメラ目線の表情を作り上げるのにどれほどの練習をしたのだろうか。
でもまあ、だからといって熱心に曲を聴くのでもなく、特定のグループを応援したくなるというのでもなく、ある程度満足したらそれで終わり、という感じだった。

突如コロナ禍が始まり、世の中がぐわんと歪み、見えない恐怖がじわじわと染み込んできた2020年。
6月から9月までの3ヶ月間に、楽天Vikiで、エンハイフンというグループを誕生させたサバイバルドキュメンタリー番組『I-LAND』が放映された。
ちょうどその頃見たいドラマがなかったこともあって、普段ならめったに観ない類の、しかも英語字幕でしか観られない番組なのに、覗いてみたら妙にハマった。
孫の年代の男の子たちが、自ら選んで来たとはいえ、めちゃくちゃ厳しい競争に生き残るための、想像を絶する激しい練習に明け暮れ泣き笑いする様子に、心がぐんぐん惹かれていった。
彼らは選ばれ、振り落とされ、また這い上がってきては振り落とされた。
韓国のショービジネスは今や世界を制し始めていると言っても過言ではないが、それだけに深い闇も抱えている。
この若い子たちの夢と欲望を利用して、一儲けしようという魂胆があることは重々分かっていても、当人たちの懸命な姿を見ると思わず応援したくなる。
いろんな国からやって来た子たちの中に二人の小柄な日本人の男の子がいて、どちらも中学生で、ニキとタキと名乗っていた。
愛嬌者のタキは審査員や参加者から可愛がられていたが、ダンスがとびっきり上手いニキは、その自信が故に孤立することが多々あって、華奢で背が低いというコンプレックスも強く、これは最後までもたないかもと思っていた。

これ、正直言うと、今見てもちょっとウルウルしてしまう😅
[ENHYPEN] I-LAND全話一気見 プレビューver / 日本語字幕

いや、それにしても、なんでここまで熱心に観ていたか、ここでちょっと言い訳タイム。

わたしは16歳から吹奏楽部という、文化系なのだけど同時に体育会系でもある世界に身を置き、大人になってからも、そしてこちらに来てからも、連続ではないけれども続けてきた。
楽器はクラリネットで、オーケストラに例えるとバイオリンのパートを担当する。
16歳で始めたばかりの頃は、1年生のくせに超生意気で、誰よりも(もちろん先輩も含めて)先に上手くなってパートリーダーになり、ソロの楽譜を吹きたいと思っていた。
そのために1日に何時間も練習して(その頃は父の借金問題や落下事件の後遺症でピアノがろくに弾けなくなっていた)、唇が何度も切れたけど、それでも吹くのをやめなかった。
ちゃんと練習してこない部員に腹を立てたり、指揮をする先輩を自分の方が上手くできるのにと思いながら見ていたりで、音楽をみんなで一緒に作り上げていくという過程は楽しかったが、小さな不満をいっぱい溜め込んでいた。
気持ちを言葉に表すこともできなくて黙り込んでしまい、けれども意固地に欲張り、周りを混乱させ、仲間を悪い結果に巻き込んでは罪悪感に苛まれていたニキ。
ニキを見ていると、その時の自分がいちいち思い出されてきて、だから余計に気になった。

結局、ニキを含む7人の男の子たちが最後に残って、ENHYPEN(エンハイフン)という名のグループが結成された。
わたしと彼らのつながりはそこで終わり。
ほんまによう頑張ったなあ、これからも頑張りや。
エンハイフンという覚えにくい名前もすぐに忘れ、結成後の活動にも興味を失っていた。

そんなこんなで3年が経ち、Tちゃんから彼らがプルデンシャルセンターでコンサートするので行きませんか?と誘ってもらって、え?あの子たち、もうそんなでっかい場所でコンサートできるん?とびっくりした。



何やらその公演はワールドツアーの一環で、しかもニュージャージーでは2夜連続?!
プルデンシャルセンター(座席数17000弱)は、うちから車で20分のところにある。
わたしは一度だけ、ゴスペルのコンペティションに参加した時に舞台に立ったことがある。
まだデビューして3年なのに集客は大丈夫なのかなあと言うと、満員にはできないだろうけど、そこそこ入ると思いますよと、先輩Tちゃんは分析した。
彼女は18日に友人と、そして19日にわたしと、どちらの公演も観に行くと言う。
エンジン(エンハイフンのファンの総称)でもないTちゃんがどうして?
きっとわたしが一人では行きづらいだろうと、一緒に付いて行ってやろうという思いやりなのだ。
しかもそのチケットはTちゃんが買ってくれて、いくらわたしが払うと言っても聞いてくれない。
ありがたいやら申し訳ないやら。
せめてコンサートの前に彼らのことを復習しておこうと思い、改めてYouTubeのビデオを観たのだけど、ニキが見つからない?
おいおい、メンバーチェンジか?などと焦りながら探していると、あ、いた!顔は確かにあのニキだけどデカい!
14歳だった彼が18歳になり、多分160センチ台だった背が180センチを超えている。

これは2年前に作られたニキのソロビデオ。BTSのジミンのダンスカバー。まだ今みたいにデカくない。
ENHYPEN (엔하이픈) NI-KI's BTS 'Lie' DANCE COVER

エンハイフンのビデオをちょこっと。
ENHYPEN (엔하이픈) 'Given-Taken' Official MV

ENHYPEN (엔하이픈) ‘Bite Me’ Dance Practice

ENHYPEN (엔하이픈) ‘Sacrifice (Eat Me Up)’ Dance Practice

ENHYPEN (엔하이픈) 'Future Perfect (Pass the MIC)' Official MV (Choreography ver.)

[MIX & MAX] ENHYPEN JUNGWON & NI-KI (정원 & 니키) 'Bleeding Darkness' (4K)


Tちゃんと待ち合わせたセンター前のバカでかい像

まだ開演までにまだまだ時間があるのに、会場はすでにアッツアツ!10代から30代が中心の人種の坩堝。
アジア系の人たちが見当たらない。
だからアジア系60代のわたしなんてマイナー中のマイナーで、帰り際のトイレで一人、多分50代前半っぽい白人女性を見つけただけ。
すごいなK-Pop。



ファンサービスで会場を両側から練り歩くメンバーたち。


耳をつんざくほどの絶叫は曲と曲の合間だけで、歌とダンスが始まると聞き入っているか一緒に歌うエンジンたち。
それにしても韓国語の歌を、これほどの大勢の人たちが一緒に歌っていることに感動した。

この18歳から22歳までの7人の若者たち。

ニキのド成長っぷりに感動したり、ソンフンとジェイクのますますの男っぷりにドキドキしたり、ジェイのトゲトゲしてた角が取れていい塩梅になってるのが嬉しかったり、ヒソンとジョンウォンのグループ想いの優等生姿に惚れ惚れしたり、ソヌの変わらぬ可愛らしさにキュンとしたり。
7色のキラキラ輝くスターたちを観ながら、わたしの頬は始終緩みっぱなし。
完全に可愛い孫たちの活躍を見守るばあちゃんと化していたのであった。

コンサートが終わり、人と車でごった返す街中から抜け出し、Tちゃんを電車の駅まで送って行き、うちに戻った。
LINEチャットでTちゃんが無事にマンハッタンの家に戻ったことを確認し、そして互いにささやき合ったのだった。
「今日からわたしもエンジン❤️」
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よもやま話

2023年10月17日 | ひとりごと
今日はとっても痛い目に遭ってきた。
左目の下の、ちょうどまつ毛が生えている部分に水膨れのようなものができて、なんだろなと思いながら放っておいたら、小さいのだけど見た目がすごく気味悪い出来物に育ってしまった。
よくよく見ると、その出来物のすぐ横に、またまた同じような水膨れっぽいものがある。
いやいや、これは放置しておくわけにはいかないだろうと、皮膚科の医師に診てもらいに行った。
ついでに、右の頬骨のちょっと横でスクスクと育ったイボのような腫瘍のような、でも全体的にペタンとしていて、直径が1センチ近くもある濃い灰色の出来物も診てもらった。
わたしの体には、それは豊富な種類のイボや出来物がいっぱいある。
出来物辞典とかがもしあったら、トップモデルになれるかもしれない。
この場合、五頭身だの扁平頭だの二の腕振り袖だの四段腹だの短足だの、そういうことは一切気にしなくてもよい。

「うーん、これはちょっと、うーん、取れないことはないけど、下まぶたの線に食い込んでいるからなあ」
「この線を途切れさせるとまつ毛が生えなくなってしまうし、うーん、いや、多分大丈夫だろう、やってみよう」
「あ、ちょっと痛いよ。チクっとするからね。ああ、痛い痛い、ごめんね、痛いよね、でもあと数回、痛いねえ」
「さあ、場所が場所だからね、気をつけないと、いや、難しいな。でも線は守らないと、まつ毛のためにも」
「痛いね、痛い痛い。ごめんね、でもここで止めることはできないから我慢して、ちょっと引っ張るよ、不快でしょ、ごめんね」
医師は手を動かしながらずうっとしゃべり続けていて、わたしは頭を押さえつけられながら「うっ」とか「いっ」とか言っていて、時間にしたらほんの15分ぐらいだったのだけど、痛みはかなりきつかった。
下まぶたも頬も、どちらも生検に送るので、美容ではなく医療になったので、保険が効くというのは嬉しかった。
今日から2週間、軟膏を塗りつつ生検の結果を待ち、良性であることがわかったら残りのチビ出来物を取る。
またあの痛みを我慢しなければならないと思うとちょっと凹む。

帰り道にあるWhole Foods Marketに寄って、卵や日本野菜を買い、外に出ようとしたら、従業員募集の張り紙があった。
時給15.5ドル。
こちらの最低賃金は時給15ドルだが、来年の1月1日に17.25ドル、再来年の1月1日に19.25ドル、そして2026年1月1日には21.25ドルへと引き上げられる予定だ。
今は1ドルが150円近くにまでなっているので、換算するのは不公平な気もするが、日本円にすると約2300円になる。
日本の全国平均最低賃金は1004円らしいけれど、少な過ぎると思う人はきっとたくさんいるだろう。

裏庭の鹿の遺体は、夫が隣人と二人で歩道際まで運び出し、それを市のトラックが来て持ち運んでくれた。
市は遺体を荷台に移動させただけなので、道路に残った遺体の一部や汚れは、夫が一人で掃除してくれた。
わたしはただただ恐れ、縮こまり、遠巻きに見るだけしかできなかったから、今回のことでは全く役立たずだったのだけど、家全体に漂っていた死の靄が徐々に薄れていくのを感じて、今夜はちゃんと眠れるかもしれないと期待している。

昨日はほぼ復活したと思われた体調は、今日になってそれほどでもなかったことに気がついた。
腸の調子はイマイチで、下剤の影響がまだまだ色濃く残っていて、少しのことで脈が乱れたり鼓動が異様に強くなったりする。
揺れるほどではないが軽いめまいがいつもあって、熱は無いのにおでこが熱い。
夫は大腸検査のすぐ後にCOVID-19に感染したので、わたしもその二の舞にならないように、ほどよく寝て、食べて、運動しようと思うのだけど、出来物を取ってもらったせいでプール通いが2週間禁止になってしまった。
夫は散歩に最適な季節なのだから、外に出て歩けばいいと言う。
わたしもそれには大賛成なのだけど、大腸がん検査の準備期間からずっと中断してたので、行きたくて体がウズウズしている。
いやあ、このわたしがこの歳になって、プール通いがしたくてウズウズしてるだなんて、一体誰が予想してただろう。
人生ってほんまおもろいなあ。
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心がぐらぐらした日曜日

2023年10月16日 | ひとりごと
そこにあるのは、しんとした、微動だにしない、同時にじわじわと大地に滲んでいく死だった。
窓に近づけば目に入ってくる、逃げ場のない完全な死だった。


どうしてこんなことになったのか、それはもう想像するしかないのだけれど、多分うちの前の道路で車に撥ねられ、そのままよろよろとうちの裏庭まで逃げてきて、そのまま力尽きたのだろう。
腹は裂け、内臓の一部が外に出てしまっていて、その衝撃の大きさが彼の命を奪ったのだろう。
もしかしたらここに何度も来て、のんびりと散歩や昼寝を楽しんでいた鹿だったのかもしれない。
わずかな時間でもこの場所が、彼の最期にとって安らげる空間であったことを祈りたい。
夫が警察と専門の機関に連絡したが、平日の午前8時からでないと作業を頼めないそうで、彼はまだ同じ場所で横たわっている。

鹿は、ちょうど見頃や食べ頃になった庭の花や野菜をパクパク食べるし、彼らの体にくっついているマダニが人間や猫に喰らいつく心配もあるし、何時間もくつろいでいる間にあちこちにフンを落としたりするしで、どちらかというと歓迎はできない。
けれどもこんなふうに死んでしまうのはだめだ、とても悲しい。


うちの菜園から、すっかり赤くなった元は緑のピーマンとシシトウと茄子を夫が採ってきて、野菜てんこ盛り&牛肉のスープに入れた。


朝晩はすっかり肌寒くなり、もう夏野菜は育たない。
最後の最後までわたしたちの食事を楽しませてくれてありがとう。

大袈裟ではなく悲惨だった昨日から一日が経ち、徹夜した分の3分の1ぐらいの睡眠は取り戻せたので、今日はほぼほぼ平常に戻った。
明日は皮膚科だ。
老人用健康保険証を獲得した途端に、あれやこれやと病院に通うことが増えたが、ぽっかりと穴が空いたままの上の前歯のせいで、下手に口を開くとマヌケに見える日々は、もうかれこれ半年以上続いている。
この国では、我々のような年代がいよいよ必要になってくる歯と目の治療に、この健康保険は使えない。
シニア一揆を起こすしかないのかな。
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大腸検査準備&本番日記

2023年10月15日 | 日本とわたし
検査前日の金曜日をどう無事に過ごすか、そのことばかりを考えていた。
英文で書かれた準備予定表を日本語に変換し、それこそ何回も何回も読んでいたのに、なぜわたしは金曜日のレッスンをキャンセルせずにやれると考えていたのか。
土壇場になって検査時間が1時間半繰り上がったとはいえ、2種類の下剤を飲み、そのうちの一つは1リットルの水に溶かしたものを15分おきに4回に分けて飲むというものだったのに、一体どうやってレッスンをやりながらできると思っていたのか。
確かに、今は来月の11日に行われる生徒の発表会の準備に追われている。
特に金曜日の生徒たちの中に、ぎりぎり間に合うかどうかの状態の人が数人いる。
それでも2時から7時までの間に、休み無しで9人の生徒を教えながら、下剤で腸を空っぽにするなんてことが並行して行えると思っていたなんて、本当にどうかしていたのだ。

後悔先に立たず。
レッスンは2時開始。
とりあえずいきなりお腹の調子が悪くならないだろうと、変更に伴い時間が繰り上がった下剤の錠剤を、1時半に恐々飲む。
午後2時、レッスンが始まる。
予定では4時半から15分ごとに、4回に分けて飲まなければならなかった1リットルの下剤水は、よくよく考えてみたら(もっと前によくよく考えろよという話)、寝しなに飲んでいたものより2倍の濃さになっている。
これはきっと、飲んだらすぐにトイレに走りたくなる部類のものだと思い出し、これをレッスン中に飲むことは絶対に不可能だと悟り、仕方なく時間をずらした。
最後の2人になった6時に、まず1杯目の下剤水を飲む。
本当は15分おきに飲まなければならないと書かれてあったが、従うわけにはいかない。
朝にスクランブルエッグを食べたきり、全く何も口に入れていなかったので、最後の生徒を見送るまではなんとか持ち堪えた。
それから3回、下剤水を15分おきに飲んだ。
さすが、2倍の濃さになった下剤水はわたしの腸にガンガン攻撃をかけてきた。
ウォシュレットは2階のトイレだけで、いちいち階段を上っていては間に合わなくなってきたので、2階の寝室に下剤水と小説を持ち込んだ。
4時間後に飲むことになっていた錠剤の下剤を、わずか1時間後に飲む。
そして、夜明け前の午前4時から始まる仕上げの下剤水1リットル攻撃に備えて、寝られたら寝ろ、というわけなのだが、わたしの腸は悲鳴を上げ続けていて、続けて眠ることなどできない。
それはそれは苦しい夜になったのだけど、海がゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしと一緒に寝室とトイレを行き来して、時にはスリスリ、時にはフミフミ、時にはペロペロしてずっと付き合ってくれたのは嬉しかった。


午前4時、最後の仕上げに入る。
これで6時までに排泄物が透明な水だけにならなければ、また下剤を追加しなければならない。
出しては点検、まだ出しては点検して、頼むから澄んでくれと祈る。
結局完全に澄んだのは午前8時、心身ともに疲弊した。

病院には夫が送ってくれて、十ヶ所近くサインをしなければならない書類を読んでくれた。
患者の治療に向かう夫を見送り、わたしは検査のためのガウン(後ろがぱっくり開くタイプ)に着替え、準備室のベッドに寝転んで、血圧や血中酸素を測りながら麻酔用の点滴をつけてもらった。
最近はまずまず成功していた点滴の針が、なぜか血管にヒットしないらしく、刺しては抜き、また刺しては抜き、そしてまた刺しては抜き、いや、ちょっと、誰かに代わって欲しいと言おうとしたら、目に余ったのか向かえ側で作業していた看護師が代わりにやってくれてやっと成功した。
麻酔医の女性が最終確認の質問をしにやってきて、ベッドごと手術室に運ばれる。
今回は胃と腸の検査を同時に行うので、眠る前にマウスオープナーを装着し、麻酔医が「じゃあ少し眠りましょうね」と言うのを聞いてすぐに頭全体がぼうっとして何もわからなくなった。

気がついたら先ほどの準備室に戻っていて、真っ白な口髭をたくわえたおじさん看護師が、ヌウっと顔を近づけてきた。
「お、目が覚めたね。どうだい気分は?」
「いい感じです」
「そりゃよかった、じゃあドクターを呼んでこよう」

胃はなかなかきれいだったし、腸も小さなポリープがあっただけで多分心配はないと思う。
とりあえず念のために両方ともに生検に出しておくので、また結果は後で知らせます。
じゃあまた5年後に。

うううっ…5年後は71歳。
その頃のわたしはどんなふうに仕事を続けているかはわからないが、今度こそ発表会前にはやらないし、検査前日は仕事をキャンセルするぞと、固く心に誓った次第。
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大腸検査準備日記

2023年10月12日 | ひとりごと
寝しなにコップ一杯の水に下剤の粉を混ぜて飲み始めてから3日経った。
初日の月曜日の朝は全くの無反応。
あろうことかどちらかというと便秘気味で、まあ普段から大体からしてわたしの腸は他人さまより一日二日遅れて反応するので、しゃーないなとあまり気にしないことにした。
翌日の火曜日の朝、同じく全くの無反応。
え?ちょっとこれ、大丈夫か…と、ちょっと焦り始める。
翌々日の今日、水曜日、やはり大腸さまはうんともすんとも言わず無口を通していたが、仕事が始まる直前にやっともよおしてきた。
おぉ、よしよし、やっと目覚めたか、とトイレに走り、期待を込めて座っていたのだけど、うーん、思ったよりは成果が出なかったようだ。
ところが、いきなり体がどすんと重くなり、首の後ろがゾゾッとし、おでこの辺りにモヤがかかって気分が落ち込んでしまった。
そこで思い出したのである。
わたしはお腹を下すと一気に弱るということを。
だからどんなに便秘が続いても、絶対に下剤は飲まないようにしてきたのだということを。
ああしまった。こんな弱弱な状態でレッスンができるのだろうか。
今日は1時から7時までの6時間、ぶっ続けで教えなければならない日だ。
レッスンが始まるまでは、誰かキャンセルしてくれないかなあ、などと弱気になっていたが、始まってみると元気が出てきて、とりあえず無事に終わらせることができた。

今夜これからまた、下剤を溶かしたコップ一杯の水を飲まなければならない。
木曜日の夜も同じで、金曜日は朝食に卵2個分のスクランブルエッグを食べたあとは、昼食のアイスクリーム(わたしは夏以外はアイスクリームを食べる気がしないのでパスするが)以外は水分のみになる。
そんな体で9人もの生徒を教えられるのだろうか…とちょっと涙目😢

土曜日の検査の7時間前からが山場で、強い下剤を飲んで腸の中を徹底的に空っぽにするのだが、それを夜中にしたくなかったから検査時間をお昼近くにしてもらっていたのに、今朝になっていきなりキャンセルが5件も発生したので、あなたの検査を3時間繰り上げます、と病院から電話がかかってきた。
いや、ちょっと待ってよ、他の検査ならともかく、準備にこんな大変な思いをしなければならない検査の時間を、そんな簡単に変えないでほしい。
キャンセルが5件も出たのは気の毒だけど、3時間も早まったらどうなるか、わたしの立場も考えて欲しい。
ほんとだったら朝の5時半から7時までの間、15分おきにコップ7杯の下剤を飲み続けるっていう大仕事を、夜中の2時半から4時までにしなければならなくなるんだよ。
そうするとほぼ徹夜ってことになってしんどいので、検査はできるだけ遅い時間に始めてもらえと夫から言われていた。
しかも、検査当日の車の送り迎えをしなければならない夫は、土曜日の患者さんの診療時間を変えなくてはならなくなる。
なので粘った。
あれやこれやと事情を話し、夫のことも話し、そちらの事情も十分に理解しているが、それでも3時間は絶対に嫌だと伝えた。
わたしが折れて、向こうも折れて、1時間半だけ早めるということで結着した。
なので土曜日の朝4時から7回、毎晩飲んでいるコップ一杯の下剤水(240ml←けっこう量があってキツい)を、15分ごとに飲む。
5時半には終了するので、もし少しでも眠れたら寝て、9時過ぎにうちを出る、という予定。
以上、途中経過の報告でした。
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米国『大腸検査』事情

2023年10月10日 | 米国○○事情
長々と降った雨が上がり、気温がガタンと下がり、今やプチ冬の到来だ。

大腸検査を今週の土曜日に受けることになっている。
何が嫌いって、大腸検査ほど嫌なものはない。
けれども、父を含む父方の親族に癌を発症した人が多すぎること、わたし自身が40代前半に良性ではあるものの大腸に腫瘍がたくさんできたこともあって、その頃から何度も検査を受けてきた。
多分ここにも書いたことがあると思うけど、第一回目の大腸検査で文字通り地獄の苦しみを味わった挙句に、この腫瘍は極めて悪性に見えるだの、リンパに移って癌細胞が腹膜に散らばっている可能性があるだのと言われ、それを聞いた夫の父親が、急遽アメリカ行きのチケットを買い、大病院での再検査(もしもの場合に備えての外科手術も)の予約をとって、わたしを呼び寄せてくれたのだった。
こちらでの検査は初回とは違い、全身麻酔を施され、大腸をきれいにするための下剤もコップ一杯の、それもスプライトなどのソーダに混ぜて飲めばよいだけの気軽なもので、ポリープも検査時に除去してもらった。
「とりあえず生検に送るけど、多分良性だと思うので心配しなくていいよ。ただ、まだサイズが小さ過ぎるものは取れなかったので、これからは半年に1回、検査を受けないといけない」
というわけで、それから後はこちらで何度も大腸検査を受けてきたのだけど、わたしの腸は一般的なサイズよりかなり長いらしく、カメラでは完全に見られないのでバリウム検査も受けなければならなかった。
なるほど、だから便秘になりやすいのだと、しみじみ納得した次第。
いつの日か、わたしの便秘物語なるものを書きたいと思っているのだが、そんなものを読みたい人がいるのかどうか。

半年に一回が1年に一回に、それが3年に一回から5年に一回になって、5年ぶりの検査を週末に受けるのだけど、施術の準備がかなり進化したと思うので、それを書き留めておこうと思う。
何が変わったかというと、25年前のは前日に一気に下剤で出すというものだったが、それが3日前からに徐々に、に変わり、今や1週間前からじわじわと、というふうになっている。

【施術の1週間前】
・施術の5~7日前から毎晩、Miralax粉末1回分(17グラム)を8オンス(236.5ml)の水に入れ、就寝前に飲む。
・鉄分、ビタミンE、マルチビタミン、アスピリン、Aleve、Advil、Ibuprofenなどの抗炎症薬は服用しないでください。

【施術の3日前】
・生もの(生の果物、野菜、サラダ)、食物繊維(全粒穀物、ナッツ類、シリアル)は摂らないこと。
・調理された、または缶詰の果物や野菜は許可されていますが、柔らかいものでなければなりません。

【施術前日】
・朝食:スクランブルエッグ2個とコーヒー。
・昼食:シャーベットまたはプレーンアイスクリーム(ブニラまたはチョコレート)1カップ。
・午後1時から 午後1時以降:透明な飲み物のみ。
飲んで良いもの:水、薄いお茶、炭酸水、クラブソーダ、ジンジャーエール、透明なブロス、ジェロ、アイスポップ。
飲んではいけないもの:固形物、赤・紫・黒色のもの、牛乳・乳製品、コーヒー、赤いクランベリージュースやグレープジュース。
・午後3時:ダルコラックス錠(下剤)を2錠飲む。
・午後6時:32オンス(946ml)のゲータレードG2にMiralaxを7回分(119グラム)混ぜる。その後、飲み終わるまで15分ごとに8オンス(236.5ml)飲む。
・午後10時:ダルコラックス錠(下剤)を2錠飲む。

【施術当日】
・午前5:30 Miralax7回分(119グラム)を32オンス(946ml)のゲータレードG2に混ぜる。その後、飲み終わるまで15分ごとに8オンス(236.5ml)飲む。

*処置の4時間前に便が澄んでいない場合:4回分のMiralax(68グラム)を16オンス(473ml)のゲータレードと一緒に飲む。
最終準備完了後は、口からは何も飲まないこと。

ということで、昨日の晩から軽い下剤の粉末を、ゲータレードは飲みたくないので電解水に混ぜて飲み始めた。
酷い味だと警戒していたのだけど、ただの水と全く変わらない。
あの日本で飲んだ(それも1リットル以上も)とんでもなくおぞましい、口に含んだ途端にゾワゾワッと虫唾が走る液体はなんだったんだろう…。
コップ一杯の水を一気飲みし、夜にもよおしてきたらどうしよう…大丈夫かな…などと心配しいしい寝たのだが、朝まで熟睡、起きてもいつもと全く変わらない。
夫曰く、朝起きたらすぐにトイレに走りたくなる、はずだったのに、いつもより便秘気味っていうのは一体どういうことなのか。
そもそも、どんなに便秘が続いても下剤を飲むことはないわたしの大腸には、下剤が効かないのだろうか?

頭の中で?マークがふわふわ漂っている。
結局、いつもより便秘気味のまま、準備期間第一日目が終わろうとしている。
今夜もまた、あのコップ一杯の水をがぶ飲みして寝るのだが、さてさて、少しは目覚めてくれるのだろうか、大腸さんは。
秋になると生野菜はほとんど口にしないけれど、なんでも食べていいのは明日までだから、明日はナッツと果物にしばしの別れを告げよう(大袈裟😅)。

というわけで長々と、極めて個人的な話をさせてもらったのだけど、日本も今ではこんな感じなのかな?
コメント
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