ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

沖縄とつながるタイムズ・スクエアに立つわたしたちの心

2016年02月29日 | ひとりごと


先週末の土曜日は、沖縄とつながろう、辺野古を応援しよう!のアピールをしに、タイムズ・スクエアに行きました。


かなり寒いのに、タイツ姿でミュージカル『CHICAGO』を演技するお姉さん方。


平和を願うわたしたちに賛同してくれた人たち。


歩美ちゃんが叩くお太鼓の音が、まだまだ厳しい寒さの中に立つわたしたちの心に染み入ってきます。


写真を撮ってもいい?と尋ねてくれる人が増えてきました。


スタンディングの後、近くのカフェに入り、福島瑞穂議員からのメッセージビデオを鑑賞中。


瑞穂さん、苦戦を強いられているそうです。
彼女は、ぜひとも国会に居てもらいたい人のひとりです。
応援するぞ!

帰りに、待ってくれていた夫と歩美ちゃんとでBOOKOFFに行き、速攻で5冊ゲット。

見事なX飛行機雲。


そして、なんかちょっと元気が余ってるので、ディカプリオ主演の『The Revenant』を観に行くことにしました。
実は、この類の映像は大の苦手で、前に予告編を観た時に、あ、これは絶対にダメと決めていたのに、
去年観た映画で一番良かった『バードマン』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が作ったというのでついつい…。
で、結果はもう散々でした…。
目をつむったり耳をふさいだり、何やってんだわたしは…と思いながらの鑑賞。
夫が「もう出てもいいよ」と言ってくれたのですが、お尻を上げることができないまま最後まで観てしまいました。
厳しい自然と、次から次へと続く過酷な試練。
CGとわかっているのに、あまりにも生々しくて、観終わった後もずっと呆然としていました。
歩美ちゃんを送ってから家に戻り、もう遅い時間になっていたのだけれど、どうしても温かいお味噌汁が飲みたくなって、急いで作っていただきました。

で、日曜日のオスカーを、夫と歩美ちゃん、そしてわたしの3人で観たのですが(夫はもちろん例年通り、途中で寝に行ってしまいましたが…)、
賞の候補に上がった人の中に黒人がひとりもいないということで、参加を拒否した人が続出した今回のアカデミー授賞式、
ホスト役のコメディアン、クリス・ロックは、ギリギリのところをうまくコントロールしたユーモアで、人権問題をネタにすることができる稀なコメディ俳優なので、その進行ぶりが楽しみでもあったのですが、
皮肉ジャブがピシパシと入ったなかなかの司会っぷりが見事で、人種の坩堝と言われる国だからこその発信と受け入れだということを、またしみじみと考えた夜でした。

オスカーを獲ったのはやはりディカプリオさん。
彼の受賞スピーチの内容がとても良かったので、それを訳してくださっていたHideyuki Hirakawaさんの訳文をここに載せておきます。

ディカプリオのオスカー受賞スピーチ、訳してみた。
DiCaprio calls for action on climate change in Oscars speech
http://gu.com/p/4h62z/stw

『レヴェナント』の制作は、自然世界に対する人間の関係を物語るものでした。
2015年に、私たち皆が感じた世界は、記録にある歴史上、最も暑い年でした。
我々の制作陣は、雪を見つけるのに、この惑星の南の端までいかなければならなかったのです。
気候変動は現実であり、今まさに起きています。
それは、最も緊急性のある脅威であり、私たちすべての種が直面しています。
私たち皆が、ともに行動し、ぐずぐずと先延ばしにするのをやめなければなりません。
巨大な汚染者たち、巨大企業のためではなく、すべての人間、世界のすべての地域の人々、最も気候変動の影響を被る何十億人もの恵まれない人たちのために発言している、世界中の指導者たちを支持していく必要があります。
私たちの子供たちの、また子供たちのために。
その声が、強欲な政治によってかき消され続けている人たちのために。

今夜の素晴らしい賞を授けられたことを、すべての皆さんに感謝いたします。
この惑星の『今ある状態』を、当たり前のことだと思わないようにしましょう。
私も、今夜を、当たり前のことだとは思いません。
本当にありがとうございます。

(レオナルド・ディカプリオ 2016年オスカー賞スピーチより)


彼のスピーチも素晴らしかったのですが、大きな権力に毅然と立ち向かったジャーナリストたちに続けとスピーチした、『スポットライト』の監督さんの言葉も良かった。
そしてまた、短編映画やドキュメント映画を制作している人たちのことを思い、いかに恵まれない環境で頑張っているかを、ユーモアと皮肉たっぷりにスピーチした人も。
でも現実には、あの会場に居た観衆の半分以上は、有り余るお金を持つ人たちであることを証明したのは、ガールスカウトが募金を集めるために売るクッキーを客席に配った時のこと。
なんと650万円以上もの大金が、あっという間に集まったのです…。
なんかちょっと複雑な気持ちになりました。


かあちゃん、僕らのこと、完全に忘れてるやろ!!


コメント (4)
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永久戦犯岸信介と公職追放組が言い始めた『押しつけ論』は、憲法制定過程に尽力した日本人への侮辱

2016年02月26日 | 日本とわたし
憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、幣原首相によって生まれたもの!
http://linkis.com/blog.goo.ne.jp/mayum/R8fpB

↑この記事は、2013年の5月8日に書いたものです。
当時のわたしは、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏の存在を、全く知らずにいました。
憲法についても、それほど詳しく無く、自分で学んだ記憶もほとんどありませんでした。
そんなわたしでも、『戦争放棄条項・憲法第九条』については、論議が起こるたびに、自分なりに考えてきました。

記事の冒頭部分に書いた言葉を、もう一度ここに書かせてもらいます。

『この日本国憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。

以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしには証明できない。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱くなった。

「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」



この幣原首相の言葉が、本当に彼が言ったものなら、そしてだからこそ『戦争放棄条項・憲法第九条』が存在するのなら、どんなに素晴らしいことでしょう!
それが証明できるのならと、この記事を書いてからずっと思っていました。

すると、昨日いきなり、報道ステーションで報道された『岸時代の調査会』という特集が目に入ってきました。
証明されてるじゃないか!
それも、録音テープの肉声で!
驚きと喜びがどっと押し寄せてきました。
文字を起こしましたので、読んでください。

↓以下、文字起こしはじめ


https://www.youtube.com/watch?v=N-VeYDLevyI#t=528

古舘アナウンサー:
特集『安倍総理 憲法改正の原点』です。

あのー、これご覧になったら、何箇所かは、驚かれる部分があると思いますね。
そもそもですね、59年前になりますが、安倍総理のお爺さんであります、当時総理だった岸信介氏が、憲法調査会をスタートさせたわけです。
で、メンバーとしては、国会議員が20人、そして評論家など、有識者の方々が19人、という構成でありました。
さて、その憲法調査会、だいぶん昔でありますが、そもそも、現代になりましてつい最近のことですけれども、
86歳になる、ジャーナリストの鈴木昭典さんという方がいらっしゃいます。
まあこの方は、憲法を研究そして取材、ずうっとやってこられた方なんですが、その方が、こういう設えになっている国立公文書館、
そこに入っていろいろ調べたり取材をしている最中に、あるものを見つけたんです。
ダンボールの箱です。
なんとその中にはですね、全く未整理であった、あの憲法調査会の、議論がもうずーっと行われている、その肉声が入ったテープを見つけたんです。
で、公文書館にお願いをして、鈴木さんはですね、こうやって、現代のCDに全部、60時間以上のその会議の模様を、コピーしていただいたわけですね。
そして、ご本人がずーっと聞いて、60時間以上のものを、ここはというところを11分ちょっとにまとめたことを、これからご覧に入れるんです。


総理の祖父・岸内閣〝改憲の原点〟
独自『憲法調査会』肉声を発見


安倍総理:
まさに、日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。
指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になると。


ナレーション:
今から59年前の1957年、安倍総理の祖父、当時の岸総理は、憲法改正を目指して具体的な検討を始めた
舞台は、内閣に設けられた憲法調査会。
当時の映像に、音声は残されておらず、詳細は知られていられていなかった。
今回私たちは、実際の議論が録音された貴重な音声データを、国立公文書館で発見した
60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家たちが主導していた、激しい改憲論が聞こえてきた


国際政治学者 神川彦松氏(改憲派):
これはもう決して感情論ではありません
敵国の占領統治下という本当の、日本国民にとっては革命時代にできた憲法でありましてね、
この憲法は明治憲法とは違うわけであります。
外国の、とにかく権力者が作った憲法でありますから。


広瀬久忠参院議員(改憲派):
我が国の政治が、誤って軍国主義に行き過ぎた、それに対する(GHQ)司令部の一部のものの反発というものが、非常に強かった
それが現れてきているのに、我々はもう今日それに引きずられる理由は無い。


ナレーション:
当時まだ40代の、中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。
会長は、英米法学者の高柳賢三氏で、憲法制定に実際関わった人物だ。


中曽根康弘衆議院議員(改憲派):
異常な状態で作られた、世界でも稀な占領下の憲法という、特殊事態を全然しらん連中の話であります。
何のためにじゃあこの憲法調査会が作られているかっていう、因縁がわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。


高柳賢三会長(憲法改正に関わった英米法学者):
憲法改正というのは、子孫に永く伝わる問題で、これをですね、我々現代に住んでおる人だけでもって、軽々しく決めるというと、とんだことになる恐れもある。
(中曽根議員を指して)あなたは、学者というものを非常に軽んじて、政治家の道具みたいに考えておられるけれども、これは、あなた間違い。



ナレーション:
憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。
永久戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中大臣などを務め追放された政治家が、次々と政界復帰していた頃でもある。
こうした公職追放組が、憲法の中身よりも成立過程を問題視する、いわゆる押し付け論を展開した


広瀬久忠参院議員(改憲派):
非常に重大なことは(憲法)成立するその当時、その時のこと。
その時に受け取った日本の有識者が、ただ安閑としておったということは無いと思う。
必ずや将来の再検討を、腹の中じゃ考えておったと思う


ナレーション:
岸総理が始めた憲法調査会で、改憲派は、「憲法を日本人が全面的に書き直すべきだ」と主張したのだ。


潮田江次氏(政治学者 改憲派):
これ、アメリカのハイスクールの生徒の作文だと申したんですが、みっともない前文なんでありまして、これはぜひ変えて頂きたい


吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
たとえ内容がいいものであるといたしましても、我が国が完全な独立を回復した今日、我々の手で自主的に作り直すということは、あまりに当然の要求ではないか、というふうに私は考えるのであります。


ナレーション:
押しつけ論に異を唱えたのは、リベラルな学者たちだった。


坂西志保氏(評論家 護憲派):
戦争と敗戦の責任を背負っている私たちが、何を好んで、もう一度大きな危険をおかして、憲法改正ということをやるのか、さっぱり意味が分からないです。
私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。
今になって、口をぬぐって、戦争も敗戦の責任も、自分たちに無いようなことを言う。
そして将来の世代のために、この憲法を改正することが自分たちの使命である、というようなことを聞かされますと、
私は非常に強い憤りを感じるわけなんです。
そういう人たちがなぜ、あの戦争を止めることができなかったか。



細川隆元氏(政治評論家 改憲派):
現実の必要によって小規模に改正すべしという、私は現実的な改正論者です。
中身がいいか悪いかが問題であって、経過というものだどうしてそんなに大事だろうか
外国の干渉があったればこそ、私は出来たと思う。 


吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
私はもう、完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身の手で我々が作ったものとは違うんである。


ナレーション:
改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった
日本は戦力を持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で、警察予備隊を創設(1950年)
そして、1954年、自衛隊が誕生した。
時は米ソ冷戦のまっただ中。
改憲派は、非武装中立では現実に対処できない、と主張したのだった。


小暮武太夫参院議員(改憲派):
現在の国際情勢よりみれば、固有的と共に、手段的自衛の必要があると。
第9条は改正して、自衛のため軍隊を保有し、国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に、明確にわかるよう規定すべきものである。


広瀬久忠氏参院議員(改憲派):
現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、これは理想倒れであって、実際の政治には合致しない


蝋山政道氏(お茶の水大学名誉教授 護憲派):
やはり海外派兵もできるんだ、核兵器持てるんだと、こういうふうな意味が改正の趣旨だとすれば、大変な相違になってくるんです。


ナレーション:
この9条の議論でも、押し付け論が問題となった
戦争放棄の条文は、誰の提案で生まれたのか
GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。
今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた
憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった、小山武夫氏のものだ。


小山武夫氏(元中部日本新聞の政治部長):
第9条が、誰によって発案されたか、という問題が、当時から、政界の問題になっております。
ま、そこで、幣原さんに、オフレコでお話しを伺ったわけであります。
で、その、第9条の発案者というふうな、限定した質問に対しまして、幣原さんは「それは私であります」と。
「私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな、第9条の条文となったんだ」という事を、はっきり申しておりました。



ナレーション:
調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた


マッカーサー元GHQ最高司令官の書簡和訳:
戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。
私は、総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました。



ナレーション:
今回、憲法調査会の音声データを発見した、ジャーナリストの鈴木昭典さんは、16歳の時、新聞で初めて、新憲法のことを知った。
当時の一面に、象徴天皇、主権在民、戦争放棄、いわゆる三原則が踊っていた


鈴木昭典(ジャーナリスト):
当時まあ、お腹がすいている、焼け跡だらけで、いったい日本がどうなるかっていうのが分からない時だった。
そこに、やっぱりもう、とにかく戦争をしないわけですから、まあ当時の国民にとっては、すごい贈り物だし、励みにもなった。

(憲法調査会では)新しい時代が始まってるんだっていう感覚が、殆ど無い人たちがしゃべってるわけですし。


ナレーション:
憲法調査会が始まって3年、憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中、退陣に追い込まれた
変わって誕生した池田政権は、所得倍増を掲げた。
時代が安保から経済へうつりゆく中で、憲法調査会はさらに4年続く
しかし、憲法を改正するのかしないのか、結局結論を出さないまま、幕を閉じた
調査会の会長高柳氏は、最終版でこう述べていた。


高柳賢三会長(英米法学者):
第9条は、ユートピアであると見えるかもしないが、戦争放棄を不変ならしめるのでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。
第9条は、一つの政治的宣言であると解釈すべきである。



ナレーション:
憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。
再び、反対の声が国会を取り巻く中、安倍総理は、安保法を成立させた。
そして、祖父が果たせなかった、憲法改正への道を突き進む。



岸信介元総理:
占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。


安倍晋三総理:
占領時代に作られた憲法である。
私たちの手で、憲法を変えていくべきだ。



<スタジオ>

古舘アナウンサー:
あの、木村さん、ご専門の立場でぜひ伺いたいところがいっぱいあるんですけど、
私まず驚いたのは、今とあの59年前が、ほんとに合わせ鏡になっているということ。
それからこれは私の感覚ですけれども、戦争責任があると言われていた人たち、あるいは公職追放とか、そういう方々には、私憤や怨念、いろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない
そういうものが、憲法改正して自分たちの憲法を作るんだっていうとこに、やっぱり感情的に、感情的じゃないと言っても言ってるように聞こえるところもあった。
びっくりすることだらけだったんですけど。


木村草太(首都大学東京准教授・憲法学者):
そうですね、やはりあの、押しつけ憲法論のまま思考停止してしまっている人が、結構いるということではあると思うんですけれども、
また安倍首相も、国会でも、押しつけ憲法論を振りかざすまでに至ってますが、
やはり今の憲法が、GHQの押しつけだというのは、制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。


古舘アナウンサー:
やっぱりそうですか。


木村草太氏:
まず日本政府は、太平洋戦争を終結するために、ポツダム宣言を受諾したわけですが、
そのポツダム宣言には、民主主義の復活強化、それから基本的人権の保障の確立ということが条件とされていて、
これは、国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、願いでもあった
はずです。
GHQは、最初は、日本に、憲法改正を委ねていたわけですけれども、
しかしその内容が、民主主義の復活強化と呼ぶにはあまりにも不十分だったということで、GHQが草案というか、原案を作るに至ったわけですね。


古舘アナウンサー:
一旦変更しているわけですね。


木村草太氏:
そういうことです。
で、またその後に、これ当然英語で書かれていて、また日本法にも明るくないということもありますから、
日本の官僚や政治家が、翻訳作業や、あるいは日本法との整合性を取るための調整作業、
ここでしっかり日本にふさわしい原案を、政府案として作って、帝国議会に提出した
わけです。
さらにその帝国議会は、日本初の、男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが、審議をして制定をしたわけですから、
やはり、これを押しつけだというふうに単純に評価するのは、当時の国会議員、あるいは官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっている、ということに気づくべきだと思いますね。


古舘アナウンサー:
ああ、そういう捉え方ですね。


木村草太氏:
もちろん、GHQの占領が終わった段階で、改めて見直そうという動きがあることは理解できるんですけども、
しかしなぜ、改正が行われなかったのか
それは、自民党内の改憲派が望むような改憲案を、国民が支持してこなかったからであって、
70年近くにも渡って憲法が改正されなかったのは、まず、日本国憲法が、世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったということもありますが、
さらに、国民が望むような、より良い憲法にするような提案を、国会議員がしてこなかったということだと思いますね。
国民主権原理のもとでは、憲法というのは、国家が権力を乱用して、国民の自由・権利を侵害することを防ぐ、このためにあるわけです。
ですから、憲法改正を実現したいのであれば、これは押しつけ憲法論というのをアピールするのではなく、
憲法に対する感情的な反発ではない、より国民の望む改憲がどんなことなのか、これを考えてアピールすべき
だと思いますね。


古舘アナウンサー:
そこですよね。
さっきのああいう議論を聞いてますと、女性の方が、
あの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それが今、どういう心境になっているかとおっしゃっていて、非常に印象に残りました、分かりやすくて。
その他の改憲の方々の話聞いてると、やっぱり、国家と自分てのが合一していて、まず国家としてどうなんだ、ってなるんですけど、
それも大事かもしれませんが、国民ひとりで構成されている国民のための国家だと考えた時に、
戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして行かなかったけどもどれだけ苦労したか、そして身内を失ったか、
そういう人たちの、悲しみの総和ってものを考えたら、そう簡単にいろんなことが改正できなかったんじゃないか
な、って気がするんですけどね。


木村草太氏:
そうですね。
やはり憲法というのは、その国をその国たらしめてるルールです。
将棋が将棋のルール無しに存在しないように、国家というのは憲法無しには存在しないわけですし、
国家を大事にするというのは、憲法を大事にすることでもあると。
やはり、今の憲法に憎しみを持っている方は、それを解放しないと、それから解放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。
これをまず、自覚するべきだと思いますね。


古舘アナウンサー:
まずその、どうしても人間ですから、感情ってものがありますからね。
それ(負の感情)を抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、
こういうものってのは簡単に決められない
、ということに戻ってきますね。
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今後も続く日本社会の様々な危機的局面において「死命を分ける」のは、あなた自身の情報の選別と判断能力

2016年02月26日 | 日本とわたし
長谷川宏氏の、とても貴重な論文の最終部分です。
転載の許可をくださったことに、心から感謝しています。

4.劣化ウラン問題と、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー
3.11の東日本大震災が起こったとき、真っ先に私の心をよぎった懸念のひとつは、「六ヶ所村は大丈夫なのか?」ということであった。
青森県六ヶ所村には、使用済み核燃料の再処理工場が建設されているが、
これが大変な危険・問題を抱えた施設であることを私に教えてくれたのは、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディ」であった。
鎌仲ひとみ監督との出会いは、「劣化ウラン廃絶キャンペーン(CADU-JP)」という、市民グループでの活動にさかのぼる。
私がこの市民グループにかかわるようになったのは、2005年のことだった。
その数年前から、フォトジャーナリスト森住卓氏の著作・レポートを通して、
湾岸戦争で米軍がイラクに対し使用した、劣化ウラン弾によると考えられる健康被害について知り、 関心と懸念をもつようになっていた。
イラク戦争の開戦直前の2003年には、東京都立大学教職員組合の委員であったことから、
大学内において、森住卓氏の写真展や、森住氏を招いてのスライド上映会・講演会を開催することに注力し、
劣化ウラン弾がイラクにもたらした深刻な被害の、生々しい実態を目の当たりにすることとなった。*20
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*20 東京都立大において行われた、森住卓氏写真展「イラク・湾岸戦争の子どもたち」については、「◆写真展 の報告◆東京都立大学(1/30、2/3)長谷川 宏さんより」参照
URL:http://www.morizumi-pj.com/shashinten/toritudai.htm
イラクにおける劣化ウランの被害については、森住(2002)参照


また、フォトジャーナリスト広河隆一氏による、チェルノブイリ原発事故が引き起こした被害のレポートも、
原発事故と放射能被ばくの危険性とその恐ろしさ、そして、その被害が何百キロも遠く離れた地域にまで及ぶことを、強く私に印象付けた。*21
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*21 チェルノブイリ事故による放射能被害の最新のレポートについては、『調査報告 チェルノブイリ被害の 全貌』(岩波書店)参照

CADU-JPの活動にかかわるようになった2005 年には、米軍がイラクで使用した、劣化ウラン弾が原因と思われる健康被害に苦しむ米帰還兵ジェラルド・マシューさんの来日講演会や、
外国人記者クラブでの記者会見等の付き添いや、資料作成のお手伝いをし、放射能被ばくによる健康被害の恐ろしい現実を肌で感じながら学んでいった。*22
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*22 2005年11月7日マシューさん講演資料参照
URL:http://www.cadu-jp.org/photos/051107pmph.jpg
および2005年11月20日付 Japan Times 記事(“DU vet: ‘My days are numbered’”)参照
URL:http://www.japantimes.co.jp/life/2005/11/20/to-be-sorted/du-vet-my-days-are-numbered/


また、鎌仲ひとみ氏と、福島事故後、やはり「時の人」となる肥田舜太郎医師との共著になる『内部被曝の脅威』が、2005年に出版され、
内部被曝のメカニズムとその危険性を、早くから詳細に知ることができた。
2007年夏には、広島で開催された「ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW)」の、世界大会に参加した。
劣化ウラン兵器の数多くの被害者、この問題に取り組む科学者や市民活動家が、世界各国から集まって開催されたこの大会では、
世界各地における、劣化ウランのさまざまな被害が報告され、劣化ウランによる内部被ばくが原因と考えられる健康被害の分析に関して、 科学的な議論が活発に交わされた。
放射性物質による内部被ばくの、科学的・医学的メカニズムと、それがもたらす健康被害について、世界でも最先端・最高レベルの知見を吸収するチャンス を得られたことは、
その後起こる原発事故への対応という点から言っても、その当時感じていた以上に、貴重な経験であった。*23
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*23 『ウラン兵器なき世界をめざして―ICBUWの挑戦』(合同出版)は、その貴重な会議録である。
京大の小出裕章氏はじめ、世界各国の科学者が参加した第3セッションでは、
劣化ウランによる内部被曝の、科学的・ 医学的メカニズムに関する筆者の質問をきっかけに、科学者たちの間で活発な議論が交わされる様子も、記録されている(p.111-113参照)。
なお、劣化ウランによる健康被害については、ウランの放射性以外に、その重金属としての化学毒性が作用している可能性も指摘されており
たとえば、セシウムによる健康被害とは、必ずしも同列には論じられないことには注意が必要である。


2006年に初公開され、青山で開催された上映会のスタッフとして、私もその上映に協力した鎌仲ひとみ監督の映画「六ヶ所村ラプソディー」は、
何兆円もの国家予算を注ぎ込みながら、さまざまな問題を抱え難航する「核燃サイクル事業」の、
中核的施設である青森県六ヶ所村の再処理工場の、当時知られていなかった(そして今もあまり知られていない)実態を追ったドキュメ ンタリー
である。*24
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*24 原発事故後有名になった、あの斑目春樹氏もインタビュー出演し、
「結局は金の問題でしょ」「いやですよ、 あんな気味の悪いもの」という、救いがたい発言をしていた。
DVD『六ヶ所村ラプソディ』(紀伊國屋書店) 参照。


この事業が、市民の払う税金や、電気料金から支出される費用を、市民の知らぬ間に何兆円単位で費やしながら
少しもうまくいかないばかりでなく、日本のみならず、世界規模の危機を引き起こしかねない、計り知れない潜在的危険をもたらすものであることを知り、
政府と電力会社が一体となった原子力事業推進政策の、途方もない矛盾と不正に、めまいがする思いだった
*25
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*25 2004年に、当時の経産省の若手官僚が作成した文書「19兆円の請求書」参照
URL:http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf
この文書をめぐる動きに関しては、共同通信 【日本を創る(原発と国家)】第3部「電力改革の攻防」Vol.3『試運転直前のクーデター(「19 兆円の請求書」頓挫した官僚の決起)』
URL:http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_31.html
およ び朝日新聞『(プロメテウスの罠)原発維持せよ:8 「19 兆円の請求書」』参照
URL:http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304200448.html


その鎌仲ひとみ監督の次の映画が、2010年公開の「ミツバチの羽音と地球の回転」だった。
渋谷の映画館で上映されたこのドキュメンタリーは、上関原発建設に反対する、祝島の人々の姿を通して、原発事業の問題点を明らかにするだけでなく、
ヨーロッパにおける自然エネルギー・ 再生可能エネルギー利用の最先端を追った、当時としては画期的な映画
だった。
しかし、どちらかといえば地味なドキュメンタリーであるせいか、私が見に行った2010年後半の上映期間は、集客に少々苦戦していた。
その後数か月で、この映画が話題の映画となり、鎌仲監督が「時の人」 となるとは、予想すらできなかった。*26
------------------------------------------------------------------------
*26 なお、鎌仲ひとみ監督の最新映画「小さき声のカノン」(仮題)が、2014年の公開を目指して現在製作中である。
URL:http://kamanaka.com/works/


いずれにせよ、このような市民活動等を通して得た、原発や放射能被ばくの危険性についてのさまざまな知識・知見が、
その後起こった福島原発事故への対応を考える上で、重要な判断材料・科学的根拠を与えてくれた
のである。


5. おわりに
それまでの知識の蓄積を生かしつつ、さらに情報を収集しながら、原発事故への対応を判断し、それを行動に移していく中で感じたことは、
「情報を収集し選別する『メディア・リテラシー』」 と、「科学的思考と『科学的直観』に基づく判断」の重要性である。
冷却できず、高温で溶融した核燃料が、原子炉容器を突き破って溶け出す「メルトスルー」が起きていたことなど、事実が徐々に明らかになるにつれて、
事故直後の大手メディアによる「安全・安心デマ」報道が、信頼できないものであったことは、多くの人々の目に明らかとなった。
しかし、事故初期の、最悪の時期が過ぎたずっと後になってから、そのようなことに気づいても「後の祭り」である。
そのようなことにならないために、重要なことのひとつは、一人一人の市民が、「メディア・リテラシー」を磨いておくことである。
「原子力ムラ」の学者たちを出演させた、事故初期の大手メディアの「安全・安心報道」に接して、
それを鵜呑みにしてしまうか、それとも「健全な懐疑」をもつかを分ける問題意識のひとつは、
「メディアは、強大な(政治的・経済的)力を持つものの利益に反する情報を、伝えることを抑制する」という、
メディア・リテラシーの基本を押さえているかどうか、ではないだろうか。
日本の社会で強大な力をもつ、政・財・官・学・メディアが一体となった、「原子力ムラ」の利権の構造は、原発事故後多くの人々の知るところとなった。
深刻な事態が起こっていると思われるにもかかわらず、それを必死で隠蔽し、「安全・安心」をふりまく報道に対しては、
「メディアが真実を伝えると都合の悪い勢力が、社会の中で力をもっているのではないか」という疑念をもち
市民一人一人が自ら努力して、情報を収集し、自分なりの健全な判断をくだすことが求められている*27

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*27 このメディア・リテラシーの問題については、ノーム・チョムスキー氏のメディア論を取り上げた拙稿 「ノーム・チョムスキー―その言語理論と政治思想をめぐって」の『3.チョムスキーの政治思想』参照。

しかし、インターネットなどで、情報を自ら収集しようとしたとき、ネット上には、信頼できる情報と不正確な情報が、混在しつつ大量に溢れている
そこで、正しい情報を探し出し選別する確かな目を、市民一人一人がもたなければならない
その場合の根拠の一つとなるのは、科学的な知識・思考である。
その情報が正確なものか、それとも根拠のない「安全・安心」をふりまいたり、逆に危険を煽ったりするだけのデマかどうかは、
(信頼できる専門家等の意見はもちろん参考にするにしても)結局は、自分の知識に照らして、科学的に考え判断するしかない
そして、福島事故初期のように、判断に必要な科学的データ・根拠が不足している場合、最後は自分の「科学的直観」に頼らざるを得ない
これは、科学的な研究をしていると、自然とある程度は身についてくるものである。
つまり、データ等が十分そろっていない段階で、「これはこういうことなのではないか」という、科学的思考に基づく「見通し」のようなものを立てるのである。
(それをしないと科学的な研究を前に進めることができない。)
そして、その「見通し」が正しいかどうかを、さらなるデータと突き合わせながら検証していくのである。
このような経験を繰り返すことによって、正しい「見通し」を立てる能力が向上するし、
科学的な「見通し」と矛盾する情報が入ってきたときに、「これはおかしいのではないか」という判断をしたり
必要に応じて、見通しを修正したりすることができるようになる*28
------------------------------------------------------------------------
*28 注の*15で述べた、コスモ石油火災に関する「デマ」が、本当に「デマ」なのか、という健全な懐疑も、
情報を選別し判断するメディア・リテラシーと、それまでの科学的知識や思考の積み重ねによって、生まれてくるものである。


必ずしも科学的な訓練を十分に受けているとは限らない一般の市民にも、このようなことを要求するのはむずかしいかも知れない。
しかし、それでもなお、市民一人一人が努力し知識を積み重ねながら、ある程度そのような「科学的直観」を働かせる能力を向上させていくことが、
今後も続くであろう、日本社会のさまざまな危機的局面において、それこそ「死命を分ける」ことにもなりうることを認識しておかなければならないと思う。



参考文献

肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書・2005

大井万紀人「福島原発事故による放射能汚染の広がり:二年目の報告および内部被曝の影響について」専修自然科学紀要、第44号、pp.1-19・2013

平智之・鳩山由紀夫「福島第一原発を国有化せよ」Nature
日本語サイトURL:http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/earthquake/id/nature-comment-121511・2011

長谷川 宏「ノーム・チョムスキー―その言語理論と政治思想をめぐって」専修大学人文科学年報、第42号、pp.153-177・2012

長谷川 宏「原発事故と復興のはざまで―福島県相馬市・南相馬市訪問記」ニュース専修4月号
URL:http://www.senshu-u.ac.jp/library/00_spdata/koho/nsweb/pdf/1304/nsweb_2013_04_00 8.pdf・2013

森住卓『イラク・湾岸戦争の子どもたち―劣化ウラン弾は何をもたらしたか』高文研・2002

アレクセイ・V・ヤブロコフ他著、星川淳監訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店・2013

NO DU ヒロシマ・プロジェクト/ICBUW、嘉指 信雄他編『ウラン兵器なき世界をめざして―ICBUWの挑戦』合同出版・2008

Taira, Tomoyuki & Yukio Hatoyama. 2011. “Nuclear energy: Nationalize the FukushimaDaiichi atomic plant,” Nature Volume 480、pp.313–314
URL::http://www.nature.com/nature/journal/v480/n7377/full/480313a.html

Zhang, Weihua, Judah Friese, and Kurt Ungar. 2013
”Study: Fukushima fallout at Canadian embassy in Tokyo was 225,000 Bq/m2 ― Far in excess of limit set for radiation control zones,” Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry, Volume 296, Issue 1, pp. 69-73
URL:http://enenews.com/study-fukushima-fallout-at-tokyo-embassy-was-225000-bqm%C2% B2-exceeds-limit-set-for-radiation-control-zones

DVD
『六ヶ所村ラプソディ』鎌仲ひとみ監督、グループ現代・2008
『ミツバチの羽音と地球の回転』鎌仲ひとみ監督、紀伊國屋書店・2012
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国民の命を蔑ろにしなければ運営できない原発がこれほど多いのは、それでも大人しく金を貢ぐ国民が多いから

2016年02月25日 | 日本とわたし
前回の記事で、専修大学の長谷川宏教授が執筆された『原発事故と福島をめぐる覚え書き』の第1部を紹介させていただきました。
この記事では、第2部を続けて紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

第2部:メディア・リテラシーと科学的推論
―福島原発事故と放射能被ばくをめぐる個人的な経験と見解

1. はじめに
2011年3月11日の東日本大震災直後から、福島原発が危険な事態に陥ったことが、メディアで報道されるようになった。
と言ってもその報道は、NHKのニュース7における東京大学の関村直人教授のような、いわゆる「原子力ムラ」の学者たちを出演させての「安全・安心」 を強調するもので、
それが信用できないことは、チェルノブイリ等で起こったことをよく知っていた私から見れば、明らかなことであった。
3月12日には、1号機で、水素爆発が起こったことが伝えられた。
私は家族に、「逃げなければならない事態も考えられるので、荷造りをしておくように」と伝えた。


2. 福島原発の爆発と避難
3月14日には、3号機で大爆発が起こった*3
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*3 この衝撃的な映像は、「国民に不安を与える」という理由からか、その後大手メディアでは「封印」されてしまったが、今も Youtube等の動画サイトでは見ることができる

その映像をテレビで見た私は、先の1号機の爆発とはまったく質の異なる、深刻な事態が生じていることを直感した。
なお、この3号機の爆発は、政府・東京電力の公式発表では、1号機の爆発と同じ水素爆発ということになっているが、
平智之・鳩山由紀夫両氏による雑誌Natureへの寄稿「福島第一原発を国有化せよ」等で、
これが核反応を伴うものであった可能性も指摘されており、まだ確定的な分析がなされたとは言えない*4
------------------------------------------------------------------------
*4参照URL:http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/earthquake/id/nature-comment-121511

いずれにせよ、本当に深刻な事態が生じたときには、福島・東京圏間の二百数十キロという距離では安全とは言えないことも、
チェルノブイリから200~300km離れた地域でも、汚染が起こったことから、既にわかっていた。*5
------------------------------------------------------------------------
*5 *9の早野龍五氏によるTwitter上の発言参照。

14日の午後には、家族を車に乗せて、東名高速を西へ向かった。
静岡まで走ったあたりで、「もういいんじゃないの」と家人に言われたが、
「いや、もう少し西の、行けるところまで行っておいた方がいい」と判断し、結局14日の夜は、愛知県蒲郡市に宿泊した。
このような私の行動は、チェルノブイリ事故等に関する今までの知識・情報に基づいた、いわば「科学的直観」に頼ったもので、明確な根拠があったわけではなかった。
翌15日朝、「ちょっと過剰反応だったかも知れない」と思いながらテレビをつけると、なんと4号機も爆発を起こしたことがニュースで報道されていた。
「これはすぐには戻らないほうがよいかも知れない」と判断して、15日はさらに車を西へ走らせ
15日の晩から、島根県松江市の、家人の実家にお世話になることになった。
それ以降、事態をどう分析し判断するかで、私は頭を悩ませ続けた。
大手メディアの「安全・ 安心」を謳うニュース報道が、信用できないことは既にわかっていたので、インターネット等で、必死になって情報を収集した
私ほどは、原発事故や放射能の被害に関する知識を持たない家人や、その実家の親族とは、状況判断に埋めがたいずれがあり、対応に苦慮した
それでもとにかく、万一の事態を想定して、ぎりぎりまで松江にとどまった。
2011年度は、外国語第1部会長をつとめることになっていたこともあり、大学で新年度の学事・業務が始まり、
学部教授会・外国語第1部会等が開催された4月の初めには、神奈川の自宅に戻ることにした。


3. 事故直後の、2011年3月に起こっていたこと
インターネット等で情報を収集する中で、リアルタイムよりは少しタイムラグはあったものの、さまざまなことがわかってきた。
まだ大手メディアが「安全・安心報道」一色だった、事故直後の3月13日
広河隆一氏・森住卓氏・豊田直巳氏等のジャーナリストのグループが、双葉町など、原発のすぐ近くで取材を行い、そのレポートがネット上で公開された*6
------------------------------------------------------------------------
*6 Youtube 動画「【福島原発】放射能による内部被ばくを警告~緊急現地報告」参照
URL:http://www.youtube.com/watch?v=auzDIQHuhPs


双葉町では、毎時10ミリレントゲン(毎時100マイクロシーベルト)まで計測できる線量計が、振り切れて測定不能となった
チェルノブイリ等の、放射能汚染地帯の取材経験の豊富なジャーナリストたちでさえ、
今まで経験のない高線量に、恐怖感を抱く緊迫した様子が生々しく伝えられ、大手メディアの報道ではわからない事態の深刻さを、私に教えてくれた

また、私たちが避難を開始した3月14日の翌15日未明、
福島原発から放出された放射能雲 (プルーム)が、15日午前に、東京など首都圏に到達した
ことが、当時の測定データなどから明らかになった。*7
------------------------------------------------------------------------
*7 東京都安全センター「大気中の放射線量/1日単位の測定結果(新宿)」参照
URL:http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mp_shinjuku_air_data_1day.html


なお、私が避難の判断をしたのは、3号機爆発の映像を見たことがきっかけであったが、
15日に首都圏を襲った放射能雲(プルーム)は、2号機由来のものと言われている。
しかし、2号機建屋内があまりの高線量のため、未だに人が入れないこともあり、具体的にどのような事象が起こったのかは依然として明らかになっていない

測定機器が高いビルの上にあり、値が低めに出ることが指摘されている東京都新宿区百人町のデータでも、
一時、放射線量が、毎時0.8マイクロシーベルトを超えていることが確認できる
ちょうどこの3月15日に、東京(台東区)で採取された、空気中の放射性物質の測定をした京大原子炉研助教の小出裕章氏は、その濃度の高さに驚いたという。
原発事故や、それによって放出される放射性物質の危険性に関しては、日本でも一番と言っていいほど熟知しているはずの小出氏でさえ、
東京に、このタイミングで、これほどの放射性物質が飛来することは、予測しきれなかったようである。*8
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*8 5 日に台東区で採取された空気の小出氏による分析結果については、「3 月 15 日東京を襲った『見えな い雲』」参照
URL:http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/home/11.3.25tokyomienaikumo.pdf


なお、原発事故後、Twitterによる情報発信で、多くの人に知られるようになった東大の早野龍五氏は、
事故直後に、「福島と東京のあいだは、250km以上離れていますので心配無用」、という発信をしている
早野氏が過去に、中国から何千キロも離れた日本まで飛来した、核実験の放射能を実際に測定した経験をもつことを考えると、不用意な発言と言わざるを得ない*9
------------------------------------------------------------------------
*9 「東京大学理学系研究科・早野龍五教授のTwitter回答を編集したものミラー」参照
URL:http://matome.naver.jp/odai/2129998418247170501
以下に、Twitter上のやり取りの一部を引用する:
Q. 20km以上離れれば安全ということですが、外気に触れないというのは、東京でも同様でしょうか。
A. 福島と東京のあいだは、250km以上離れていますので、心配無用です
Q. 東京在住の人は、肌を露出しての外出は、控えるべきでしょうか?
A. その必要はありません。
20kmという政府の避難指示は妥当です。
被曝は、風で運ばれる放射性物質によって引き起こされ、遠くなればなるほど放射能は薄まるので、東京にいる方が心配することはありません
 

しかも、この15日の放射能雲の南下と、広がり具合を示すデータを見ると、静岡近辺にまで到達しているのがわかる。
私が、14日の避難の最中に、「静岡まで避難したのではまだ十分でない」 と判断し、その日のうちに愛知県まで逃げたことの妥当性が、実際のデータによってはっきりと裏付けられている。*10
------------------------------------------------------------------------
*10 『第53回環境放射能調査研究成果論文抄録集』(平成23年12月 文部科学省科学技術・学術政策局原子力安全課防災環境対策室)参照
URL:http://www.kankyo-hoshano.go.jp/08/ers_lib/ers_abs53.pdf
このデータを見ると、静岡県では、3月15日に、空間放射線量の上昇が見られるのに対し、愛知県では変化が見られない。
併せて、2012年3月11日(日)夜10時放送NHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図・埋もれた初期被ばくを追え」参照
URL:http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0311.html


ここで留意しておくべきことは、3月15日昼前に、この放射能雲(プルーム)が都内を通過した後は、急激に上昇した空間放射線量がまた、急激に下がったことである。*11
------------------------------------------------------------------------
*11 東京都安全センター「大気中の放射線量/1日単位の測定結果(新宿)」参照
URL:http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mp_shinjuku_air_data_1day.html


しかし、だからと言って、何の心配もすることはなかった、とは言えない。
このとき、放射能雲が通過した地域にいた人たちは、多かれ少なかれ放射性物質を吸い込み、内部被曝したと考えられるからである。
しかも、このとき飛来した放射性物質は、半減期の短いものが多く、日数が経ってから、その内部被曝値を測定することは困難である。*12
------------------------------------------------------------------------
*12 注8の小出氏による分析結果、および注10のNHKETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図・埋もれた初期被ばくを追え」参照

さらに、もうひとつ注意すべき点は、半減期が短く、放射性物質が早く減少するからといって、安心はできない、ということである。
半減期が短いということは、それだけ短時間で急速な崩壊が起こり、放出される放射線のエネルギーも大きい、ということである。
半減期8日の放射性ヨウ素によって引き起こされるとされる甲状腺癌を、当時チェルノブイリで幼い子どもだった人たちが、何十年も経った今も発症しているのは、
事故直後に放射線によって体の細胞に受けたダメージが、何十年も経ってから癌などを引き起こす可能性がある、ということである。
事故初期の放射性物質が、大量に放出されていた時期に、被ばくを避けるための避難等を、一刻も早くすべきであったにもかかわらず、
政府・メディア等によって流布された「安全・安心デマ」 のせいで、人々の避難等の対応が遅れ、結果として、多くの人々が、被ばくの危険にさらされてしまった。

政府・メディアが、今日に至るまで、その責任について、十分な検証も真摯な反省もしていないのは、許されないことである。
なお、空間放射線量が仮に同じであったとしても、放射能雲が、実際にその地域にやって来ているときとそうでないときとでは、
放射性物質を吸い込むことによる内部被曝の危険性が異なることにも、留意する必要がある

原発からの放射性物質の放出は、現在も続いてはいるものの、 事故直後に比べると桁違いに減っている
現在計測される空間放射線は、地面に落ちたり草木等に付着したりした、放射性物質から発せられるものがほとんどであり、
空気中にただよう放射性物質は、(原発の直近以外では)事故直後に比べて桁違いに少なくなっている*13
------------------------------------------------------------------------
*13 東京では、放射性降下物のデータが、2011年8月以降ずっと不検出(ND)となっていることで、これが確認できる。
「都内の降下物(塵や雨)の放射能調査結果」参照
URL:http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/f-past_data.html
ただし、降雨時のNDの基準を、50ベクレル/m2と通常より高く設定しているのは、
「降雨時には放射性降下物の値が上昇するが、健康には影響ない」という、後で述べる誤った認識に基づくものであり、正当な根拠がないことには注意が必要である。


放射性物質を吸い込むことによる内部被曝の危険性は、事故直後に比べれば、現在ははるかに低くなっていると言える。
逆に言えば、大量に放射性物質が放出され、それを吸い込むことによる内部被ばくの危険性が高かった事故直後に、
なるべく早く遠くまで避難することが、いかに重要で、それを指示しなかった政府・メディアの責任がいかに重いか、ということであり、今後の健康被害の拡大が懸念される

上述のように、3月15日に首都圏を襲った放射能雲は、首都圏を通過して行ったのであるが、3月21日、22日の両日には、もっと厄介なことが起こった
このときは、放射能雲の飛来と降雨が、首都圏で同時に起こったのである。
福島で、飯舘村等の地域が汚染されたのも、このような放射能雲の飛来と降水が、同時に起こったためである。*14
------------------------------------------------------------------------
*14 3月15日に、北から南への風に乗った放射能雲が、首都圏を襲ったが、同日中に、南東から北西への風に変わり、降水によって、飯舘村など原発の北西方面に、今日まで続く汚染が生じた
なお、首都圏でも、千葉県柏市等、現在も放射線量が比較的高い地域があるのは、3月21、22日の放射能雲の飛来と、降雨によって生じた汚染が、主な原因である。


この放射能雲の飛来と降水が、汚染をもたらすことは、チェルノブイリで現実に起こったことで、既にわかっていたことである。
しかも、それは原発の周辺だけでなく、チェルノブイリから数百キロも離れた地域でも、そのような「放射能雲+降水」による汚染が、実際に確認されていたのである。
そのような知識があれば、福島事故に際して、二百数十キロ離れた首都圏でも同じことが起こり得ることは、当然予想されることであった。
事故後、首都圏で、事故後初めての本格的な降雨が、3月21、22日にあるという天気予報が出たのを知り、
私は、知人・親族等に、「雨に気をつけろ」という趣旨の情報を、メールなどで流した
これに対し、私の親族にさえ、「それってデマじゃないの?」という反応をされた*15
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*15 震災直後に、千葉のコスモ石油で火災が起こり、これに関連して、「有害物質が雨とともに降ってくる」、という情報が流れた
これはすぐさま「デマ」であるとされたが、私は、この情報を、根拠もなく「デマ」と片づけてよいのか疑問を感じていた。
後になって、これが、必ずしも「デマ」ではなかったことを、裏付ける報道があった
2011年7月1日付、千葉日報記事「劣化ウラン保管施設も延焼 コスモ石油のガスタンク火災で 千葉県議会」参照
URL:http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977において、以下のように伝えられている:

東日本大震災で発生した、コスモ石油千葉製油所(市原市)の液化石油ガス(LPG)タンク火災・爆発に伴い、
隣接する劣化ウラン保管施設も、延焼していたことが明らかになった。(中略)
県消防課は、同製油所のガスタンクの火災・爆発事故で、隣接するチッソ石油化学の劣化ウラン保管倉庫の屋根が、焼け落ちていたことを明らかにした。
同課によると、同倉庫は、「核燃料使用事業所」として国の許可を受け、ガス製造用の触媒として使われる劣化ウラン765キログラムが保管されており、放射性物質が0.3%含まれていた
この「デマ」とされた情報は、火災によって延焼した倉庫に、劣化ウランが保管されていることを知る者が流した可能性があり
もしそうだとすれば、「デマ」ではなく、むしろ正しく警戒を呼び掛ける情報だったことになる。


しかし、後になって、私の懸念は、データによって完全に裏付けられた。
3月21、22日の両日、 1平方メートルあたり何万ベクレルという、大量の放射性ヨウ素・セシウム等の放射性降下物が、都内で測定されたのである。
原発事故以降今日に至るまで、この2日間ほど、大量の放射性降下物が都内で観測されたことは一度もない*16
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*16 「都内の降下物(塵や雨)の放射能調査結果」参照
URL:http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/f-past_data.html
なお、このサイトには、
「大気中に拡散している放射性物質が、雨と一緒に地上に落下したためとみられる、値の上昇が観測されましたが、健康への影響はありません」という記述があるが、
チェルノブイリ等で、そして飯舘村等で起こったことを考えれば、これは明白な誤りである。
むしろ、降水による放射性物質の降下とその定着こそが、汚染と被ばくの危険をもたらすのである。


なお、3月21、22日の両日を中心に、放射性ヨウ素とセシウムだけでなく、半減期の短いさまざまな放射性核種の降下があった結果、
合計二十数万ベクレル/m2という、「放射線管理区域」に指定されるレベルをはるかに超える量の、放射性降下物が検出されたことが、
カナダ大使館(東京都港区赤坂)敷地内で、 3月23日に採取された土壌の分析結果から確認されている
*17
------------------------------------------------------------------------
*17 ”Study: Fukushima fallout at Canadian embassy in Tokyo was 225,000 Bq/m2 ― Far in excess of limit set for radiation control zones” 参照
URL:http://enenews.com/study-fukushima-fallout-at-tokyo-embassy-was-225000-bqm%C2%B2-exceeds-limi t-set-for-radiation-control-zones
また、専修大学神田・生田両キャンパスを含む、関東各地の土壌中の放射性物質のデータとその科学的分析、および内部被曝量の数理モデルに基づく推定については、大井(2013)参照。
なお、東京大学の早野龍五氏は、この東京での降雨の際、Twitterで次のような発信をしている。
「Metro降りて地上に出たら、広尾は雨。『春雨じゃ、濡れてまいろう』と洒落てみたいが、そもそも傘持ってないし、(中略)ゆるゆると濡れて帰ろう」
これは、降雨による放射性物質の降下を懸念する声があるのを念頭に、「その心配はない」というメッセー ジを発したものと解釈せざるをえないが、これも軽率のそしりを免れない。
また、早野氏は一時期、「3月15日以降、東京で放射性物質の大量降下はない」という内容の発信もしており
筆者が、東京都((新宿区百人町)における、3月21、22日の放射性降下物測定データを示して、Twitter上でその誤りを指摘した経緯もあった。


このような、降雨による放射性降下物の危険性に関して、政府はどのような認識・対応だっただろうか。
「東北・関東の方へ―雨が降っても健康に影響はありません」と題された、2011年3月20日付の文書が、首相官邸HPに、現在もアップされたままである。*18
------------------------------------------------------------------------
*18 以下URL参照:http://www.kantei.go.jp/saigai/20110321ame.html

この文書は、
まず冒頭で、
「雨が降っても健康に影響はありません。ご安心ください。
場合によっては、雨水の中から、 自然界にもともと存在する放射線量よりは、高い数値が検出される可能性はありますが、
健康には何ら影響の無いレベルの、極めて微量のものであり、『心配ない範囲内である』という点では普段と同じです」
と述べている。
このような記述は、何ら根拠がなく、事故直後のさまざまなデータが明らかとなった今となっては、明白に誤っていると言える。
3月21日から23日にかけて、東京に降下した放射性ヨウ素は、3日間で計8万ベクレル/m2以上
放射性セシウムは、21日だけで、134Csと137Csが計1万ベクレル/m2 以上という、
中国等で核実験が行われていた時期や、チェ ルノブイリ事故後と比べても、桁違いに多い降下量であり、「極めて微量」などというレベルとは到底言えない*19
------------------------------------------------------------------------
*19 注16の「都内の降下物(塵や雨)の放射能調査結果」参照

原発から二百数十キロ離れた東京でさえ、これだけの降雨に伴う放射性降下物が観測されたのだから、
ましてや福島において、降水に伴う放射性降下物が、「極めて微量」などでは決してなかったことは、言を俟たない。
むしろ、降水による放射性物質の降下によってこそ、 今日まで続く飯舘村等の深刻な汚染がもたらされたのであり、
このように明白な誤りであることが、データによって既に証明されている文書を、今も堂々と、首相官邸HPにアップしている無神経さは、理解に苦しむ


*文字制限があり、ここでまた中断させていただきます。
次の記事に続きます。
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こんな会社に原発を任せていていいわけがない!そしてそれは東電だけの話ではない!堪忍袋の尾を切ろう!

2016年02月24日 | 日本とわたし
とんでもない、というか、もうはじめから分かっていた事実が昨日、5年後の2月24日に、公の報道として伝えられました。
このことを、ただ憤ったり嘆いたりしているだけではなく、もう許さない、容赦はしないという態度をはっきりと見せるべきです。
過ぎたことはもう元には戻せません。
けれども、この隠匿によって、実に多くの人たちが余計な被ばくをさせてしまったこと、生活の基盤すべてを奪い、家庭を壊したことについての責任を、きちんと取らせなければなりません。

↓以下、転載はじめ

「メルトダウン判断 3日後には可能だった」
【NHK NEWSWEB】2016年 2月24日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html 

東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月経って、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、
当時の社内のマニュアルでは、事故発生から3日後には、メルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。
 
福島第一原発の事故では、1号機から3号機までの3基で、原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、
東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは、発生から2か月後の5月でした。

これについて、東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、
事故を検証している、新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、
社内のマニュアルには、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。
 
実際、事故発生から3日後の3月14日の朝には、センサーが回復した結果、
1号機で燃料損傷の割合が55%、3号機では30%に、それぞれ達していたことが分かっていて、
この時点でメルトダウンが起きた、と判断できたことになります。
 
東京電力は、事故後にマニュアルを見直し、現在は、核燃料の損傷が5%に達するより前の段階で、メルトダウンが起きたと判断して公表するとしていますが、
事故から5年近くたって、新たな問題点が明らかになったことで、当時の広報の在り方が改めて問われそうです。


メルトダウン認めるまでの経緯
 
今回の発表や、政府の事故調査・検証委員会の報告書などによりますと、
東京電力は、福島第一原発の事故発生から3日後の3月14日に
核燃料の損傷の割合が、1号機で55%、3号機が30%に達していることを把握しました。
さらに、翌日の15日には、損傷の割合について、1号機で70%、2号機で30%、3号機で25%と公表しますが、
原子炉の核燃料が溶けているのではないか、という報道陣の質問に対して、
「炉心溶融」や「メルトダウン」とは明言せず、「炉心損傷」という表現を使います

 
一方、当時の原子力安全・保安院は、事故発生の翌日の12日の午後の記者会見で
「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうか」と発言していました
ところが、その日の夜の会見では担当者が代わり、
「炉心が破損しているということは、かなり高い確率だと思いますが、状況がどういうふうになっているかということは、現状では正確にはわからない」と、内容が大きく変わります

 
さらに翌月の4月には、当時の海江田経済産業大臣の指示で、ことばの定義付けを行ったうえで、
1号機から3号機の原子炉の状態について、「燃料ペレットの溶融」と、ふたたび表現を変えます
その後、事故から2か月経った5月になって、東京電力は、解析の結果として、1号機から3号機まででメルトダウンが起きていたことを、正式に認めました


社員「炉心溶融 なるべく使わないようにしていた」
 
メルトダウン=炉心溶融を巡っては、東京電力の社員が、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りに対し、
「炉心溶融」ということばを使うことに、消極的だった当時の状況を証言しています。
公開された証言の記録によりますと、事故当時、東京電力の本店で、原子炉内の状態の解析を担当していた社員は、
事故から1か月近くたった4月上旬の時点の認識として、
「1号機については、水位は燃料の半分ほどしか無かったため、上半分は完全に溶けているであろうと考えていた」と述べ、
核燃料の一部が溶け落ちていた、と見ていた
ことを明らかにしています。
そのうえで、
「この頃の当社としては、広報などの場面で、炉心溶融ということばをなるべく使わないようにしていた、と記憶している」
「炉心溶融ということばは、正確な定義があるわけではないので、誤解を与えるおそれがあるから使わない、と言った考えを聞いた覚えがある」と証言しています。


福島・楢葉町の住民「憤りを感じる」
 
原発事故の避難指示が、去年9月に解除され、住民の帰還が始まっている福島県楢葉町の住民が暮らす、いわき市にある仮設住宅では、東京電力に対する憤りや不安の声が聞かれました。
 
今も、仮設住宅で避難生活を続けている83歳の男性は、
「東京電力はきちんと謝罪をしたのか。憤りを感じます」と話していました。
また、72歳の女性は、
「メルトダウンしたと、本当に分からなかったのか、それとも隠していたのか。
今ごろ言われても気分がよくない」
と話していました。
仮設住宅の自治会長を務める箱崎豊さんは、
「楢葉町民が、安全だというお墨付きのもとに帰ろうとしているときに、今さらという感じで腹立たしく思う。
残念極まりない。企業体質が改めて問われる事態だ」
と話していました。


福島・大熊町長「発表が遅れた真意は」
 
メルトダウンを巡る東京電力の対応について、福島第一原発が立地し、現在も全町民が避難を続ける大熊町の渡辺利綱町長は、
「なぜ発表が遅れたのか、率直に考えて疑問に思う。
単純なミスとは考えられないし、発表までにだいぶ時間がかかっているので、そのあたりの真意も知りたい。
最初からメルトダウンと発表されていれば、町民などの反応も違ったと思う。
信頼を築く上でも、正確な情報を迅速に伝えてもらうのが大事なので、引き続き対応を求めていきたい」
と話していました。


福島県知事「極めて遺憾」
 
東京電力の、メルトダウンを巡る通報などの対応について、福島県の内堀知事は、
「3月14日の時点で、『炉心溶融』という重要な事象が通報されなかったことは、極めて遺憾だ。
今後、迅速で正確な通報や連絡が徹底されるよう、改めて強く求めたい」
というコメントを出しました。


新潟県知事「隠蔽の背景など明らかに」
 
新潟県の泉田裕彦知事は、
「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。
メルトダウンを隠蔽した背景などについて、今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」
というコメントを発表しました。

******* ******* *******

この記事を教えてくださったのは、フェイスブック友の長谷川宏氏

記事と共に掲載されていた、東京電力福島第一原子力発電所の事故当時の、長谷川氏ご自身の体験を、ここに掲載されていただきます。

2011年3月14日の昼頃、福島3号機のすさまじい爆発映像を、TVで見た私は、
14日の午後には東名高速道路を西へ逃げ、14日夜は愛知県のホテルに泊まった
翌15日朝、4号機建屋も、爆発で大きく損傷したことをTVのニュースで見て、
しばらく神奈川の自宅には戻らない方がいいと判断し、さらに西へ向かった
後に、15日には、首都圏を放射能雲(プルーム)が襲い、新宿でも毎時0.8マイクロシーベルトを記録したこと、
3月21日~23日に、首都圏に降った雨で、東京にも1平方m当たり1万ベクレル以上の放射性セシウムと、
8万ベクレル以上の放射性ヨウ素が降り注いだ
ことを、データから知った。

この間、菊池誠(キクマコ)氏は、
「メルトダウンじゃないだす」とTwitterでつぶやき、
早野龍五氏は、
「福島と東京のあいだは250km以上離れていますので、心配無用です」
「20kmという政府の避難指示は、妥当です。
被曝は、風で運ばれる放射性物質によって引き起こされ、遠くなればなるほど放射能は薄まるので、東京にいる方が心配することはありません」
とつぶやいた。

専門家なら、正しい判断をし、正しい情報を提供してくれるとは限らない、ということがわかる。


原発事故と福島をめぐる覚え書き
長谷川 宏

序章

2011年3月11日の東日本大震災と、それにともなう福島の原発事故から、2年余りが経った。
この前後から現在にかけて、見聞きし経験したことや考えたことを、この場をお借りして書きとめ、記録しておきたい。
第1部は、2013年4月に、福島県(南相馬市・浪江町)を訪問して、実際に見聞し、感じたことや考えたこと、
第2部は、原発事故以前・以後の、原発・放射能被ばく問題にまつわる個人的な経験と、私なりに考察したことを綴ったものである。
さまざまなことを知り、また、自分の目と耳で福島の現実を見聞きする中で、自分の感じ方、考え方が変わっていった部分もあり、互いに矛盾する記述もあるかも知れないが、
そのときどきの体験や、心に抱いた思いを、なるべくそのまま記録することにつとめた。*1
------------------------------------------------------------------------
*1 ニュース専修2013年4月号に掲載された拙稿「原発事故と復興のはざまで―福島県相馬市・南相馬市訪 問記」参照
URL:http://www.senshu-u.ac.jp/library/00_spdata/koho/nsweb/pdf/1304/nsweb_2013_04_008.pdf)も、併せてご一読いただければ幸いである。


第1部:避難・補償・除染・復興
―福島の被災地から見えてくるもの(福島県南相馬市・浪江町訪問記)

1. はじめに
2013年4月29・30日の両日、福島県の南相馬市と浪江町を訪れた。
南相馬市を訪れるのは、2月、3月に続き3度目である。
原発事故で、多くの市民が避難してしまい、生徒が激減して採算が苦しくなった学習塾の支援で、中学・高校生に英語を教えるのが、訪問の目的の一つであった。
大学の授業とは勝手が違い、中高生が興味をもてるように教えるにはどうすればいいのか、手探りの状態で、
本務をこなしながら、継続的な支援をすることのむずかしさも感じているが、
もしまた機会があって、自分が役に立てそうであれば、またボランティアに行きたいと考えている。


2. 南相馬市の学習塾
南相馬市のB先生が運営するこの学習塾は、震災前には100人以上の生徒がいたが、原発事故でほとんどの生徒が避難してしまった。
B先生は、一度は塾の閉鎖を決め、トラック4台分の教材を処分した
しかし、K君という教え子に、「自分はB先生の下で勉強して大学に行きたい」 と言われ、
また教材を購入し直し、採算を度外視して、貯金を取り崩しながら、一人の教え子のために塾を続けられた
K君は、2012年春、晴れて合格を果たし、今は首都圏の大学に通ってい る。

その後、避難していた生徒も、少しずつ戻ってきた。
生徒たちの様子を見ていると、この塾が、勉強だけでなく、B先生や他の生徒たちとの交流の場となり、
いろいろ不安や心配も感じているであろう子どもたちの、「心のオアシス」になっているようだった。
まるで、みんなの母親のように 一人ひとりの生徒を気遣い、言葉をかわすB先生のお人柄が、震災後、大きな役割を果たしていると感じた。
この塾を取り上げた、福島の民放テレビ局制作のドキュメンタリー番組が、全国ネットでも放送され、大きな反響を呼んだ。*2
------------------------------------------------------------------------
*2 テレビ朝日・テレメンタリー2013「“3.11”を忘れない 心の隙間を埋めて~南相馬の学習塾から~」2013年4月15日放送参照
URL:http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

B先生は、東京電力に、原発事故のため処分し買い直した、教材費の補償を求めた。
これに対し東京電力からは、
「塾の閉鎖と再開には、B先生の意思が働いており、原発事故と直接の因果関係が認められないので、補償はできない」という返答があったという。
こんな言い逃れが通用するなら、個人の意思が一切働いていない原発事故被害など、むしろ少ないであろうから、
東京電力は、「舌先三寸」で責任を個人に押し付け、補償の義務から逃れられることになる
原発事故を引き起こした当事者として、このような無責任な態度は、決して許されるものではない


3. 南相馬市のガソリンスタンド
最初に相馬市と南相馬市を訪れた、2013年2月の経験を元に、ニュース専修4月号に、「原発事故と復興のはざまで―福島県相馬市・南相馬市訪問記」と題した一文を寄稿した。
この記事を読んでくださった、お子さんが石巻専修大学に通うWさんから、原発事故後の大変な体験や苦しい思いを、切々と綴ったお手紙が届いた。
連絡を取ったところ、4月30日にお会いして、車でご案内いただくことになった。
Wさんとご家族は、南相馬市(鹿島区)で、ガソリンスタンドを経営されている。
原発事故直後、 仙台に避難しようとした矢先、「営業してガソリンを販売してほしい」という要請が、国(資源エネルギー庁
)からあった

ご家族のうち、2人は現地に残り、4人のお子さんの母親であるWさんは、毎日仙台から何時間もかけ、車で通って営業を続けられた。
震災直後、被災者の生命線であるガソリンの不足で、スタンドは長蛇の列、最後尾は7時間待ちであった。
Wさん家族は、休む間もなく仕事を続け、ご家族の一人は、長時間の立ち仕事で、関節を痛め手術を受けることになった
また、タンクローリーの運転手が被ばくを恐れ、郡山までしか来てくれないので、
危険物取扱者免状をもつWさんが、別の運転手に同行し、何時間もかけ往復して、スタンドまでガソリンを運んだ
その当時は、どの地域が放射線量が高い、という情報もないまま、何も知らずに飯舘村などを走って、何度も往復したという。
Wさんの住居とスタンドは、原発30km圏のすぐ外(30.4km)にあるため、30km圏内なら受けられるさまざまな補償が受けられない
単純に距離で線引きすることの無意味さ、実際の被害や仕事・生活上の困難・不利益を十分考慮し、柔軟な対応をする必要を強く感じた


4. 浪江町に入る
Wさん家族は、南相馬市より原発に近く、「警戒区域」として立ち入り禁止になっていた浪江町でも、ガソリンスタンドを営業されていた。
最近になって、必要と認められた場合は、立ち入りが許されるようになり、許可証をもつWさんの案内で、浪江町に入ることができた。


Wさんご家族が経営され現在は閉鎖中の浪江町のガソリンスタンドの前で。
「がんばろう浪江人」の落書きが見える。


浪江町は、最近まで立ち入りが許されなかったため、2年以上たった今も、まるで時計が止まったように、震災の爪痕がそのまま残っている。
海沿いには、津波で流された車や、陸に打ち上げられた船が、多数放置されたままである。
浪江町内には、地震で倒壊した多くの家屋・建物が、手つかずのまま残されている。
人気のない街並みや、新築されたが一度も利用されないままの市民施設、子どもたちのいなくなった幼稚園や学習塾など、
そこここで失ったものの大きさ・重さを、ひしひしと肌で感じさせられた


浪江町の海沿いに津波で打ち上げられたまま放置された船。


慰霊のためにつくられた場所で手を合わせるBさんとWさん。
津波で打ち上げられた船と津波に流された車が見える。



地震で倒壊したままの浪江町の造り酒屋。


新築されたが利用されないままの立派な市民施設。
ここにも「原発マネー」が投じられたのだろうか?



新築の幼稚園の園舎も使われることはない。

持参した線量計で、放射線量を計測しながら、浪江町内を回った。
海沿いは、原発から至近距離の割には、放射線量が低く、原発から約3kmまで近づいても、毎時0.2マイクロシーベルト台であった。
一方、車で10分ほど内陸へ入っただけで、最高毎時5マイクロシーベルト台 (海沿いの20倍以上)まで線量が上がった
同じ浪江町内の、数kmしか離れていない所で、線量が大きく異なることに驚き、距離による線引きの無意味さを、あらためて痛感した


原発からわずか3km の地点でも、海沿いは意外に放射線量が低い(毎時0.2マイクロシーベルト台)。


内陸に少し入っただけで、放射線量が文字通り「桁違い」に上がる(毎時4マイクロ シーベルト台)。
津波の被害を受けた建物の向こうに、新たに建設されたが利用されないままの常磐自動車道の区間が見える。



浪江町の内陸部では、車の中で測っても毎時5マイクロシーベルト以上を記録した。


飯舘村を通過するバスの中で。
放射線量は毎時2マイクロシーベルト台後半まで上がっている。



5. おわりに―避難・補償・除染・復興をめぐって
福島市・南相馬市間をバスで往復する途中、 飯舘村を通過した。
やはり線量が高く、バスの中でも、最高毎時2マイクロシーベルト台後半まで上がった
除染をしているせいか、村役場の前では、毎時1マイクロシーベルト台まで線量が下がる

現在、国の方針として、「避難指示解除準備区域」に指定された地域については、除染等を行って、住民を帰還させる方針が示されており、飯舘村の一部もこれに含まれている
しかし、飯舘村に戻ったとしても、村民は、除染された村役場の近くだけで暮らすわけではない。
周りを高線量の森に囲まれたこの村で、実効性の低い除染に巨額の費用をかけるよりも、
そのお金を、避難している村民の生活再建に役立てた方がいいのではないか、という疑問を抱かずにはいられなかった


浪江町も、海沿いは低線量だが、津波の心配があり、内陸部は高線量で、除染しても住むのはむずかしいと思われる。
ご家族のお住まいだった家が、浪江町の立ち入り禁止区域内にあるWさんも、
「住めないなら住めないと、はっきり言ってもらった方がいい」とおっしゃっていた。

住んでもそれほど心配のない地域、除染すれば一定の効果が見込める地域、避難すべきだと考えられる地域を、どのように「線引き」するか、むずかしい判断が迫られている。
距離による線引きが無意味なことは、再三指摘した通りである。
と言っても、その地点の放射線量だけでは単純に決められず、その周辺地域一帯の放射線量や、生活に必要な商店やインフラの状況など、 さまざまな要因を考慮しなければならない
その地域に住んで生活する選択をした人と、避難する決断をした人の、それぞれの事情・状況に十分配慮し、その判断をできる限り尊重すべきであろう。
そして、生活に必要な施設や、インフラの整備と、不公平感の少ない補償の体制をどう構築するか考えることが、
政府や被災地の関係者だけでなく、私たち国民全員に課せられた課題
ではないだろうか。

第2部につづく
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こんなアベコベ妖怪、国会から叩き出してやる!

2016年02月23日 | 日本とわたし








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みんながんばれ!わたしもがんばる!

2016年02月23日 | 日本とわたし
今から約3年前の、スペインの中高生たちが起こした、大掛かりなストライキ休業の様子です。
スペイン政府が決めた教育予算削減の措置に、怒りを持った生徒たちが、
教育予算削減は学生から未来を奪い、国を破壊するとし、「無償公共教育を民主的に運営しろ」と要求しました。
それだけではなく、「(当時の)総理の辞任だけではなく、彼らすべてを止め、民衆と労働者、そして青少年のための新しい政府を作る」と明言しました。
そしてまた、父兄連合(CEAPA)は、学生たちの同盟休業を支援して、彼らのデモに支持を示しました。
これぞ市民の声、力の見せ所だと思います。

↓以下、転載はじめ

スペイン中高生200万人が同盟休業
教育予算削減と与党腐敗に対抗して、通りに
【レイバーネット・チョン・ウニ記者】 2013.02.07
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/intl/1360261414635Staff/newsitem_view

スペイン中高生200万人が、教育財政削減に反対して、大がかりなストライキ休業をした
スペインの10代の青少年たちは、ラホイ政府の教育財政削減の措置が、自分たちの未来を奪うとし、強く反発している。

外信によれば、2月6日(現地時間)、スペイン教育改革学生連合(SE)は、全国およそ100都市、学生の90%が参加して、全国的な同盟休業を行った
青少年たちはマドリード、バルセロナ、バレンシア、アンダルシアなど、全国の都市で通りに出て、政府の教育政策を批判した。
彼らは、教育財政の削減に抵抗する一方、与党の国民党(PP)の腐敗事件を批判した。
父兄連合(CEAPA)は、学生たちの同盟休業を支援して、彼らのデモに支持を示した


[出処:http://www.milenio.com/画面キャプチャー]

学生たちは、ラホイ総理がエリート主義と差別を助長し、教育制度全体を廃虚にしていると批判した。
学生たちはまた、教育予算削減は学生から未来を奪い、 国を破壊するとし、「無償公共教育を民主的に運営しろ」と要求した。

SEの事務総長トイル・デルガード(Tohil Delgado)は、デモで、
ラホイ総理の辞任だけでは充分ではない。われわれは彼らすべてを止め、民衆と労働者、そして青少年のための、新しい政府を作る」と明らかにした。

デルガード事務総長は、
スペイン国民党は、腐った資本主義体制の最も鮮明な姿」と批判して、
彼らの政府を追い出すために、スペイン労組連盟(CCOO)と労働 総同盟(UGT)などの労働組合連盟に、全面ストライキを訴えた。

スペインでは現在、保護者の支援で大学や専門教育機関に進学する多くの学生が、深刻な失業率により、学業を途中で放棄している

デモに出たある学生は、
「私が暮らす地域では、95%の人に雇用がない。彼らはたまに、1,2日間しか働けない」と話した。


[出処:http://www.excelsior.com.mx画面キャプチャー]

中学高校の学生の同盟ストライキは、政府の削減政策の下で昨年10月にも起きた
CCOO、UGTなどの労組連盟と団体は、学生の同盟休業を支援した。

スペイン政府は2010年から、教育予算のうち、65億ユーロ(9兆5千7百億ウォン)を削減した。
これにより、奨学金と補助金は削減され、大学の授業料は値上げされ、 学級の規模は大きくなった

原文(チャムセサン)
翻訳/文責:安田(ゆ)

↑以上、転載おわり


そして、現在のスペインの内政事情はというと、

↓以下、引用はじめ

外務省のスペイン基礎データより
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/data.html

2011年12月に発足したラホイ政権は、与党民衆党が上下両院で過半数を有し、多くの自治州や市町村でも強い勢力を有することを背景に、
経済危機克服に向けて、増税と歳出削減からなる緊縮予算を発表・実施、また、金融改革、労働市場改革などの構造改革を行ってきた。
こうした緊縮策や構造改革により、国内総生産のプラス成長や輸出額の好調な伸び、株価の上昇など、マクロ経済に回復傾向が現れ始めている。
一方で、失業率は、依然として25%近い高水準にあり、こうした回復の効果を、国民が広く感じるに至っているとは言い難い。
また、相次ぐ汚職問題により、政治に対する国民の不満・不信が高まっており、与党民衆党、最大野党社会労働者党への支持が低下している一方、
市民の声を政治により反映させようと主張する新興政党(市民党(中道右派)、ポデモス党(左派))が、急速に支持を拡大してきた。

2015年12月に投票が行われた総選挙では、こうした状況を反映し、
約30年にわたり続いてきた二大政党制は事実上終焉し、新興2党を加えた4大政党制と言える状況が生まれた
民衆党は第一党の座を維持したものの、勢力を減退して下院の過半数に届かず(186→123議席)
社会労働者党も議席減(109→90議席)となる一方、
国政初参加のポデモス党は69議席市民党は40議席を獲得した。
現在,新首相の選出,政権発足に向けた各党間の協議が行われているが,こうした多極化を反映して、流動的な状況が続いている。


↑以上、引用おわり


そしてこちらは、つい先日、全国で行われた高校生グループの主催による『安保関連法に反対する』デモの様子を、
なんとあの、産経新聞が取り上げて報じた記事です。
そのタイトルがなんとも産経新聞らしくて、微笑んでしまいました。

「SEALDs高校生版」、全国で反安保法制デモ ただ目立つのは中高年ばかり…
産経新聞 2016年2月21日(日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160221-00000539-san-pol








高校生グループ「T-nsSOWL」が主催した安全保障関連法に反対するデモ=21日夕、東京・渋谷(田中一世撮影)(写真:産経新聞)

安全保障関連法に反対する高校生らが21日、全国各地で一斉デモを実施した。
東京・渋谷では数百人が、1時間かけて繁華街を行進し、「安倍晋三から日本を守れ」などとシュプレヒコールをあげた。

参院選で、野党統一候補の支援を目指す、市民団体系の組織「市民連合」の中心メンバー、山口二郎法政大教授は、
街宣車でマイクを握り、高校生らに、「皆さんと一緒に、日本の平和と民主主義を守るため、戦い抜きたい」と訴えた。

デモは、高校生グループ「T-nsSOWL」(ティーンズソウル)が主催した。
ただ、参加者は中高年層が目立った。

↑以上、転載おわり

学生たちが起こした運動に、賛同する市民が続々と参加する。
これ、理想的な姿だと思うのですけども。
そうやって、若い人たちのエネルギーと行動に移す早さを、どんどんと披露していって欲しいと思います。

でも、このタイトルに喜んで群がってる人たちが少なく無いことも、日本の現実として受け止めなければなりません。

文科省が昨秋、校外での政治活動を原則容認する通知を出しました。
その一方で、都道府県教委に対し、生徒が校外での政治活動に参加する際は、事前に届け出をさせることを認める見解も示していました。

先日、大阪の府教委は、
「学校が、校外での生徒の行動を、逐一把握するのは現実的に難しく、届け出制にすれば、事実上の許可制になる恐れもある」と考え、
「政治集会への参加届の提出を求める必要はありません」という結論を出しました。

さらに、そのガイドラインの中では、
校内での政治活動の原則禁止や、選挙権のない外国籍の生徒への配慮についても記載されていて、
2年生までに、政治に参加する意義や、選挙の仕組みなどを学ぶ時間を、5時間以上確保することも求めているそうです。

中学生、高校生、そして大学生、そしてそして、社会人の若者たち、国はあなた方の未来から、光を奪い取ることを何とも思っていません。
今現在、すでに、いろんな制約や負担が、あなた方の親御さんやあなた方自身に、これでもかこれでもかと言わんばかりにかけられています。
あなた方は、もっともっと、求めていいのです。
スペインの若者たちのように、大掛かりな休業ストライキを行使してもいいのです。

大人たちは年金を弄ばれたことに、神社庁や日本会議の思惑通りどんどんと戦前回帰に向かっていることに、もっと否!の声をあげていいのです。

これは、平成24年に出された、衆参と国会図書館の年間運営費予算です。
それによると、
衆議院 74,068,993,000円
参議院 44,554,591,000円
国会図書館 19,539,471,000円

合わせて約138,163,055,000円、約1400億円です。
1日分は、3億8356万円
1時間分は、1598万円
1分では、26万6362円


これはあなた方の納めた税金で支払われている費用です。
なのに、国会でのあの、政府の応答のいい加減さ、悪ふざけ、質の悪さはどうでしょう?
そんな輩に呆れ、怒りながらも、徹底的に攻め切れない野党の、今ひとつ足りない押しの強さと、
何よりも、ほとんどまともな報道をしようとしない大手報道社の愚行を、

わたしたちはもっと怒っていいのです。
表に出て、声に出して、あるいは思いをしたためたものを身につけて、もっと表していきましょう。
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冬の散歩とバッハ

2016年02月22日 | 音楽とわたし
久しぶりに良く晴れて、けれどもそれほど寒くない天気に誘われて、レッスンの合間に散歩に出た。
これをえらいこっちゃ!と思うべきか、まあなんとかなるっしょ、と思うべきか…というある事について考えるために。



先日のACMAの役員ミーティングで、
「わたしたちはここ数年、カーネギーホールの定例演奏会のことに気持ちが行き過ぎてたと思う。
そのことで疎外感を感じてる、カーネギーで演奏できるほどの力量を持っていない人たちが、増えてきてると思う。
この音楽協会が始まった頃は、メンバーといっても10人ぐらいで、月々の演奏会では、それぞれの演奏について、本人はもちろん、聞き手からの意見や質問が交わされていた。
どんなレベルの人も、引け目を感じることなく、みんな自由に演奏するチャンスを持てた。
そんな頃からずっと、今のように2000人ものメンバーがいる協会に育つまで、支え続けてきてくれた人たちに、何か恩返しのようなことができたらいいなと思う。
で、考えたのだけど、勉強会を開くってのはどうだろうか?
もう随分前のことになるけれど、日本のある音楽振興会で教えていた13年の間に、様々な研修を受ける機会を得ることができた。
その講師陣の中には、世界的に有名な音楽家であるロシア人チェリスト、ロストロポーヴィッチ氏もいらっしゃった。
それらの研修から学んだことを、今度はわたしが、同じ職場の講師たちに教えたり、自分の生徒のレッスンに活かしたりした。
そういう経験があるので、どうかな、お試しで、会員を対象にした勉強会みたいなものを、わたしが始めてみるっていうのは」

そんな軽い気持ちで言ったのだった。



ところが、そのミーティングの後、プレジデントのアルベルトから、メールがゴンゴン送られてきた。
彼は、そうと決めたら猪突猛進、ドドドッと物事を進める人である。
しかも、徹底的に理詰めで説明しないと、納得しない人である。
メールには必ず、10以上の質問が書き込まれていた。
その質問に、ふうふう言いながら答えているうちに、気が付いたら夜中、という日が続いた。
もともと、そんなにきちっと計画を立てるのではなくて、その場の雰囲気と参加者の状況を見ながら、適当にやろうと思っていたので、
いったい何事かと、言い出しっぺのくせにまごまごした。



わたしの頭の中では、普通サイズの、グランドピアノが1台か2台ある教室を使い、人数も多くて30人。
バッハのインヴェンションを使い、参加者に飛び入りで数小節だけ弾いてもらったり、お互いの演奏を聴いて話し合ったりしよう、そんな感じを想像していた。
だが、アルベルトは違った。
彼の頭の中では、300名は軽く入るホールを使い、できるだけ多くの希望者を募り、そのホールの使用量と保険料を賄うのに必要な参加費を取る。
まうみは、英語をサポートしてくれる人が必要だろうから、その人と綿密に打ち合わせをする。
他に、講義に必要なアシスタント役を、我々役員のメンバーが引き受ける。



えぇ~?!なんでそんなデッカイ話になってしまってるの~??



ということで、またまたメールの送り合いが始まった。
最初っからドカンと大玉花火を上げるのではなくて、とにかくみんなが気軽に来られるような場と時間があったらいいな~という感じで始めたい。
それで、参加してくれた人の中に、自分ならこうする、自分はこんな感じでやってみたい、という人が出てきて、そうやって次に繋がっていって欲しい。
そうしたら協会の中にまた、音楽への熱い気持ちや喜びが、じわじわと蘇ってくると思う。
そして、カーネギーでの演奏権獲得のためにだけ必死になっている人たちが、それだけじゃないでしょ音楽は、ということに気づいてくれるかもしれない。



子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくると思ったら、近所にちっちゃな小学校があった。


運動場の横には、すっかり汚れてしまった巨大な雪(氷)山が、デンデンと居座っていた。




とりあえず、アルベルトが作成してくれた案内文が、会員全員に送られた。
集まる人数によって、わたしも計画を練らなければならない。
う~んう~ん…相手は曲者ぞろいのニューヨーカーたち。
伝えたいことは、歌うこと、聞くこと、右手と左手のための分離した脳に改造すること。
そして、アンサンブルがいかにスリリングで楽しくて難しくて素晴らしいか、それを実感してもらうこと。





バッハのインヴェンションを教材に選んだのには、理由がある。
初めてインヴェンションを弾いた時、わたしは小学生だったのだけど、その異様な作られ方にまずショックを受けた。
異様というのはきっと、それまで経験したことがないものだったから、そう思ったのだろう。
右手と左手が、共にメロディーを担当していて、入れ違いに入ってきたりする。
どちらの手にせよ、最初に弾いた方の弾き方や歌い方が基礎となる。
もちろん、その時々の調子や感情の違いで、変化をつけることもあるけれど。



どうしても、どんなに頑張っても、右手と左手が別個に独立して弾いてくれないので、新しい練習方法をうんうん唸って考えた。
そのアイディアを思いつくまで、数日かかったことを覚えている。
もう50年近く(きゃ~!!)も前のことなのに…。



それは、片手練習をする際に、右手で弾いている時に同時に左手のパートを歌い、左手で弾いている時は右手のパートを歌う。
これが完全にできたらきっと、わたしの脳は、右手のための脳と左手のための脳に分かれてくれるに違いない。
そう思った。



その練習中、自分の脳が苦しんで、だけども変化していくのを、はっきりと感じることができた。
わたしは今、手でメロディを弾き、口で別のメロディを歌い、耳でその二つのメロディを聴き、目で両方のメロディを読み、心ですべての音を感じている。
ずいぶん時間がかかったけれど、その全部がちゃんとできていることを実感した時のあのすごい興奮を、今もはっきりと思い出すことができるほど、センセーショナルな経験だった。



それからずっと、わたしはバッハが大好きになった。
それまで一回も褒めてくれたことが無かった先生が、初めて褒めてくれた。
アンサンブルへの興味が膨らんだ。
シンプルだけども深い。シンプルだからたくさん学べる。
いろんな弾き方や意見が飛び交う会になったらいいなあ。
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「報道の自由度ランキング61位。憲法と人権に関する総理の認識を聞くと、当然の結果ではないか」山尾議員

2016年02月21日 | 日本とわたし
2月15日に行われた衆議院予算委員会においての、民主党の山尾志桜里議員の質疑の一部分を、小原美由紀が文字起こししてくださったのを読んで、
その内容がとてもすばらしかったので、自分自身でも文字起こししたくなりました。
また目と肩と指が痛くなるだろうなあ…と思いつつも、わたしたちが知るべきこと、考えるべきことが山盛りでしたので、トライしました。
それに比べて、安倍総理と高市大臣の、聞くに堪えない応答(とも言えない意味不明か、あるいは不必要な駄弁は、文字起こしする価値が無いので省略しました。
なので、申し訳無いのですが、彼らの応答については、ビデオをお聞きください。


『表現の自由の優越的地位』とは?

山尾議員が、あれほど粘って答えさせようとした理由が、文字起こしの作業をしているうちに、じわじわとわかってきました。
これを知らないような人間が、憲法をどうのこうのするなどということを、決して許してはならないと、改めて感じた次第です。



民主党の山尾志桜里です。
この予算委員会で、テレビ番組の政治的公平性を、時の政治権力が判断できるのか、議論になってます。
時の政治権力が、あるテレビ局が政治的に公平でないと判断した場合は、電波停止なし得る
つまり、テレビ局を事実上、廃業に追い込むことができる
しかも、局の番組全体を見るのではなくて、個別の番組でもできる場合があり得る
こういった政府見解が、報道を萎縮させ、国民の知る権利を害し、憲法21条に違反しているのではないか、こういう深刻な問題が提起されています。
今日は、高市大臣にもお越しいただいています。
高市大臣の見解については、もちろん高市大臣にお聞きをしますが、総理の見解については総理にしか答えられませんので、
先日、この場で、安倍政権こそ言論の自由を大切にしていると胸を張った総理、ぜひ質問から逃げずに、お答えいただきたいとお願いします。

まず、政府統一見解について、お尋ねをいたします。
この政府統一見解を、我々が求めたのは、この、一つの番組のみでも判断し得るのか否か。


高市大臣は、「一つの番組のみでも判断し得る場合がある」と、こういう見解を繰り返し述べておられます。
総理はあくまで、この場では、「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断する」
こう述べるにとどまっておられました。
そこで、この内閣不一致をどちらに揃えてくるのか。
これが、この統一見解の肝でありました。
総理の見識が問われたわけですが、あろうことか、高市大臣の見解に揃えてこられました
一つの番組のみでも、例えば①や②、こういった極端な場合においては、一般論として、政治的に公平であることを確保しているとは認められない
第一次安倍政権を含め、これまでどの政権においても、一つの番組でも判断し得ると言う強権的な拡大解釈を、示した政権はありません
総理なぜ解釈を変えたのですか。


総理、変わったものを変わっていないと、言いくるめてはいけないと思いますよ。
ここにあるように、一つの番組でも判断し得ると、これが統一見解で示されたわけです。
これ、最初のきっかけは、去年の5月に、参議院の委員会で、自民党議員の質問に答えて、
高市大臣が、この①②の例で、「こういう場合には、一つの番組でも判断し得る」と、初めて言われた。
そして去年の秋、市民団体の質問書に答える形で、それが高市ペーパーとして回答なされた。
そして今回、この予算委員会で、政府統一見解として、この高市ペーパーは安倍内閣ペーパーになったわけです。

変わってるじゃないですか
番組全体を見て判断するということと、一つの番組のみでも判断し得るということ、変わってるじゃないですか
無理を通せば道理が引っ込むでは、私はいけないと思います。
なぜ変わったのか、総理、もう一度お答えください。
総理の見解です。
総理が出したこのペーパーです。
高市大臣の見解はもう聞いております。
総理の見解は総理にしか答えられない。
総理、逃げるんですか?


番組全体を見るときに、一つ一つの番組も見ると言う事と、一つの番組だけでも判断をするという事は、全く別のことであります。
一切説明になっていない答弁を、2人の大臣が、時間を浪費するために使うのはやめていただきたい、と思います。
どう考えても、全体を見るということと、一つの番組のみでも判断するという事は違うんです。
補充ではなくて、大幅な拡大解釈で、これは憲法の21条、表現の自由との抵触度合いをさらに強める、大幅な憲法解釈
だから、私は尋ねております。
でも今、総理おっしゃいました。
高市大臣がおっしゃったことがその通りだと。
つまり安倍総理も、「一つの番組だけでも、政治的公平性が判断される場合がある」と、こういう風にお認めになった。
ついに、安倍政権全体として、こういった大幅な拡大解釈に踏み込んだ
私は大変なことだと思います。


次に、総理にお尋ねします。
高市大臣は、この予算委員会で、玉城議員とのやりとりの中で、
憲法9条改正に反対する政治的見解を支持する内容を、相当の期間にわたり繰り返して放送した場合にも、
極めて限定的な状況のみと言う留保をつけながら、電波停止の可能性を否定しませんでした

高市大臣の見解は分かりました。
総理も同じ見解ですか?
総理の認識を求めます。


総理も、憲法9条改正に反対する政治的見解が、相当の期間繰り返し報道された場合に、この電波停止の適用があることをお認めになられた
それでは、もう一つお答えください。
今日も議論されておりますが、アベノミクス。
この効果に肯定的な見解と、否定的な見解と、これ、いわば、国論が2分されております。
実際、総理は、一昨年のニュース23の中で、このアベノミクスの効果に対して紹介された視聴者の声を聞いて、
「全然声反映されていない。おかしいじゃないか」と、批判されました。
この顛末を、我が党の大串議員が質問しましたら、総理はこうおっしゃった。
「例えば、この視聴者の声と言うのはどうなんだということは、私にだって当然、選挙が近い中において、恣意的な攻撃を排除しなければいけませんから、私はこう言う」
とおっしゃいました。
特定の番組が行った編集で、恣意的な攻撃と、一国の総理がこの予算委員会でおっしゃって、私はびっくりいたしました。
恣意的だと。
では、この番組は、政治的公平性は認められるんでしょうか?
総理、お答えください。


安倍総理がそういった答弁をされるのは、自分自身が内閣総理大臣であり、そしてまた政権与党のトップであるという事、
自分がどういう力を持っているのか、政治権力とは何なのかということに、全く無自覚であるから、そういう答弁ができる
んだと思いますよ。
もし自覚しておられてそういう答弁をしているのなら、総理は憲法、特に21条、表現の自由について、全く理解が足りないのではないかと思いますので、
これに関して質問をさせていただきたいと思います。

総理、そもそも時の政治権力が、テレビ局の政治的公平性の判断賢者となり、電波停止までできるこの制度解釈自体が、検閲に当たり、許されないのではないか
こういう懸念の声もあります。
総理、この電波停止ができると言う事は、検閲に当たりますか、当たりませんか?


↓以下は、小原美由紀さんが文字起こしをしてくださった部分です。
なので、安倍総理の意味不明の、事務方に言い方を教わっても尚、まともな応答ができない様がよく分かります。

******* ******* *******

ーー高市大臣が、3分以上にわたり、長々と答弁をする。

山尾議員:
(高市議員に)委員長が三回注意されて、私が尋ねてもいないことを延々と述べられて、それに与党が大拍手でこの質疑を遮る、
というこの運営、委員長、どうなってるんですか? 
質疑妨害もいい加減にしてください


私は、憲法の21条、表現の自由、これに対する総理の認識を問うているんです。
総理がちゃんと、憲法21条をわかっているかどうか、国民のみなさんの前で説明していただきたいと思っているんです。
尋ねます。

総理この前、大串議員に、「表現の自由の優越的地位ってなんですか?」と尋ねられました。
その時、総理の答弁は、「表現の自由は最も大切な権利であり、民主主義を担保するものであり、自由の証という、かみ合わない、謎の答弁をされました。
法律の話をしていて、『自由の証』という言葉を、私は聞いたことがありません

もう一度たずねます。
「優越的地位」というのは、どういう意味ですか?
私が聴きたいのは、総理が知らなかったから誤魔化したのか、知ってても勘違いしたのかを知りたいんです。
どっちですか?
「表現の自由の優越的地位」って、なんですか?総理。
言論の自由をもっとも大切にする安倍政権、なんですか?
事務方がどんどんどんどん後ろから出てくるの、やめてください!


安倍総理:
ま、これは、あの、ま、いわば、法的に 正確にお答えをすればですね、
経済的自由、そして、えー、精神的自由がより優越をするという意味においてですね、
えー、この表現の自由が重視をされている、ということでございます。


山尾議員:
今、事務方の方から教わったんだと思います。
なぜ、精神的自由は、経済的自由に優越するのですか?
優越的地位だということは、なにをもたらすのですか?


安倍総理:
ま、いわば、表現の自由がですね、この優越的な地位であるということについてはですね、
これは、まさにですね、えー、経済的な自由よりもですね、精神的自由がですね、優越をされるということであり、
いわば、表現の自由が優越をしているということでありますが、
いずれにせよですね、それをですね、そうしたことを今、この予算委員会でですね、
私にクイズのように聴くということ自体が、意味が無いじゃあないですか。
そしてですね、もうひとこと言わさせていただきますとですね、先ほど、電波を止めるということについてですね、
これは 菅政権においてですね、当時の平岡副大臣が、全く同じ答弁をしているんですよ。
その同じ答弁をしているものをですね、これを高市大臣が答弁したからといってですね、それがおかしいということについては、間違っているのではないか、このように思うわけでございます。


山尾議員:
>普段は民主党政権より良くなったと自慢して、困ったときは民主党政権でもそうだった、と 都合よく使い分けるのは、いい加減やめていただけませんか?
(外野、とってもうるさい)
ちなみに民主党政権では、『個別の番組でも政治的公平性を判断しうる』などという解釈はしたことがありませんし、
放送法4条に基づく行政指導もしたことがございません
明らかに、安倍政権と比べて、人権に対して謙虚に、謙抑的に、おだやか向き合ってきました

総理、もう一度お伺いします。
精神的自由が経済的自由より優越される理由、総理は優越されるから、優越されるんだ、と今、おっしゃいました
これは、理由になっておりません
これがわからないと、大変心配です。
もう一度お答えください。
どうぞ。


安倍総理:
内心の自由、これはですね、いわば、思想、考え方の自由を我々は もっているわけでございます。
(宮武氏注・内心の自由というのは、思想良心の自由や信仰の自由のように、人の内心にとどまる自由のこと。自分の意見を外部に言う表現の自由とは違う)

山尾議員
総理は、知らないんですね
(やいやい言ってた外野の声が、しん、となる)
なぜ、内心の自由やそれを発露する表現の自由が、経済的自由よりも、優越的地位にあるのかと。
憲法の最初に習う、基本の「き」です。
経済的自由は、たいへん重要な権利ですけれども、国がおかしいことをすれば、選挙を通じて、これは直すことができるんです。
でも、精神的自由、特に内心の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから、優越的な地位にある
これが、憲法で最初に習うことです。

それも知らずに、言論の自由を最も大切にする安倍政権だと胸を張るのは、やめていただきたいと、いうふうに思います。

******* ******* *******

ここで、安倍総理が全く理解していない『内心の自由』について、宮武嶺さんがご自身のブログで、とても分かりやすく解説してくださっていますので、
その部分をここに引用させていただきます。

↓以下、引用はじめ

安倍首相が答えられなかった「表現の自由の優越的地位」と、高市総務相の電波停止発言の関係より
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/31cb15b2832d2d649d0547d5b1eef6cb

内心の自由というのは、思想良心の自由や信仰の自由のように、人の内心にとどまる自由のことですから、自分の意見を外部に言う表現の自由とは違います
もう少し解説しますと、報道機関が自由に取材や報道が出来て、国民が自由に情報を取得し、自分の意見も言える自由が、表現の自由です。

この表現の自由が保障されることによって、国民は、自分の政治的な意見を持つことができ、自分たちの代表者である国会議員を選ぶことができます

逆に言うと、表現の自由が、憲法違反の法律や行政処分で、違憲状態にまで制限されると、
国民の政治的意見が損なわれてしまい、国会議員の構成まで、本来と違うメンバーが選ばれてしまうことになります。

このような違憲状態で選ばれた国会議員は、憲法違反の法律を改めようとは絶対にしないでしょう。
なぜなら、そういう違憲な法律でこそ、自分は選ばれたんですから。

これが、山尾議員が、
「精神的自由、特に表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができない」と言った意味です。




これに対して、財産権とか営業の自由のような経済的自由権も、重要な基本的人権ではありますが、
これが違憲な法律で侵害されたとしても、国会議員の構成を歪めてしまうということはないので、国会でこの法律を改正しなおすことが可能です。

このように、表現の自由は、いったん侵害されてしまうと、選挙という民主政の過程では、回復不可能な人権なので、
国会や内閣が、これを制約する立法や行政をした場合には、裁判所が、経済的自由権の場合よりも厳しい基準で、違憲審査をします

加えて、裁判所にとっては、経済の問題よりも表現の自由が侵害されているかどうかの問題の方が、判断がしやすい。

これもあって、表現の自由の規制に関しては、経済的自由権の場合よりも、裁判所が、立法権・行政権よりも広い判断権限を有することにより、
表現の自由という、いったん侵害されたら取り返しのつかない権利を、保護しています

これが、表現の自由が、経済的自由権より優越的地位を持つ、と呼ばれる性質です。




そして、もうお分かりいただけると思うのですが、
高市総務相が言ったような、電波の停止という、放送局の報道の自由という、表現の自由をもっとも制限するような行政処分は、
この表現の自由の優越的地位に基づき、裁判所が、厳しい違憲審査基準で臨むことを考えると、憲法違反であると判断される可能性が非常に高い
、ということになります。

山尾議員は、これが言いたかったんでしょうね。
安倍首相が時間を無駄に使うので、ここまで行きつけなかったようですが。

ちなみに、弁護士である稲田朋美自民党政調会長が、2015年8月の記者会見で、表現の自由の優越的地位という言葉を使っているのですが、
それが、ヘイトスピーチを規制するのが難しいという話の中ででした

政府を批判する報道の自由を制限するときには、表現の自由の重要さを忘れ、
ヘイトスピーチを擁護するときには、表現の自由の優越的地位を持ち出す、
安倍政権のアベコベぶりには、驚くばかり
です。


******* ******* *******


↓ここからはまた、山尾議員の質疑の部分だけの文字起こしになります。

次の質問に移ります。


総理電波停止処分が、仮に、万が一なされたときに、対象となったテレビ局が、裁判所に、その執行停止を申し立てることが考えられます。
裁判所もそれを認めた場合、内閣総理大臣の異議の制度を利用して、この執行停止をストップさせる事はあり得ますか。
これ、総理が異議を使うかどうかですから、高市大臣には答えられないはずです。
総理にもう一度お尋ねします。
法制度として聞いております。
総務大臣が、「これは政治的公平に欠ける」と、「電波を停止せよ」と言った。
テレビ局が、「それはおかしい」と裁判所に訴えた。
裁判所が、「さすがに電波停止すると潰れちゃうから、取り返しがつかないから、ちょっと一旦待ちなさいよ」と言う。
それに対して、法制度上、この異議の制度を用いて、「いや、裁判所のその待ったはダメだ」と総務大臣が言った。
「処分続行せよ」と。
「電波を停止せよ」と。
こういうことができるんですか?
総理にお伺いします。


高市大臣の答弁と総理の答弁、違いますね。
高市大臣は、「やむを得ないと総理が判断した場合には、この制度は使う場合がある」と、こういう趣旨の答弁でした。
総理は、「これについては答えられない」と言う。
時間がありませんので、これ、しっかりと統一見解を出していただきたいと思いますが、よろしいですか。
総理、ご自身が、この内閣総理大臣の異議の制度なんですよ。
内閣総理大臣として、これ、この制度を使う余地があり得るのかどうかと、こういう質問をしていますが、高市大臣が出てきて長々と答弁される。

もう一つお伺いします。
フィリップお願いします。


自民党改憲草案、日本国憲法第21条は、一項でこれを保障しています。
自民党の二項を見て下さい。
この保障の規定にかかわらず、公益、及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びに、それを目的として結社をすることは認められない
総理、改憲草案で、二項を付け加える理由はなんですか?
総理は、今の憲法21条のどこに問題があり、二項の制約条項を付け加えることで、どうやってその問題が解決されると考えて、これを自民党総裁としてお示しされてるんですか?
お答えください。


もし総理が、本当に、表現の自由の最大限の保証と言う意味をよく考えていただくなら、この二項はいらないじゃないですか?
何のために、一項でせっかく表現の自由は保障すると、それに続いて二項でこれを制約すると。
何のためにこの二項があるんですか?
もし、今の21条で、具体的に解決できない問題があるならそれを言い、
それが二項によって、この自民党の恐ろしい二項の制約条項によって、どうやって解決されるのかということが言えるなら、
それ言ってくださいと言いましたが、その具体的な話はございませんでした。

最後に、この、報道の自由度ランキングをご紹介して、終わりたいと思います。


自民党時代、この報道の自由は、42位、37位、51位、37位、29位、
そして民主党政権になって、メディアに対して大変オープンになり、11位まで上がりました。
現在の安倍政権は61位
最悪のランキングです。

憲法と人権に関する総理の認識を聞くと、ある意味、当然の結果ではないかと私は思いました。
ぜひ総理、もう一度憲法の趣旨をしっかり考えていただいて、本当の意味で、豊かで溌剌とした議論をしていただきたいと思います。
以上です。

↑以上、文字起こしおわり


こんなおまけはつけたくないのですが、もう一人ここに、自民党議員の、それも憲法について討議する委員であった人の、
トンデモな質疑の内容を要約しました。
アメリカの大統領の話よりも、日本がアメリカの第51州になることについて、憲法上どのような問題があるのかと、執拗に聞こうとしている態度と、
どうしてそのような質問をするのかという理由に、わたしは寒気がしました。
「実現したならば、集団的自衛権、安全、安保条約など、全く問題にならなくなる」
なんという稚拙な、無責任な、乱暴な考え方なのでしょうか。
こういう話を、平然と、公の場で言えるほど、国会議員の世界は劣化している。
そう思うのは極端なのでしょうか。


自民党丸山議員発言(質問)概要

二院制においての参議院の存在価値について。
党議拘束を緩めるのならば、参議院議員の政党所属を法的に禁止しなければならないと思う。
参議院議員は、立候補の時点から、法律で政党所属を禁止することが必要であると思う。
参議院は基本的に機能を発揮できない状況にある。
政権の暴走や衆議院の拙速さなどを防ぐため、時間をかけて慎重に議論する程度の期待しかされていないし、期待しても出来ない

そこで、例えば、日本がアメリカの第51番目の州になるというのは、憲法上どのような問題があるのか、あるいは無いのか
もし実現したならば、集団的自衛権、安全、安保条約など、全く問題にならなくなる
拉致問題も起こらなかったであろう。
国の借金問題も、行政監視の効かないような悲惨な状態にはなっていない
アメリカの制度によれば、人口比に応じて下院議員の数が決まる。
ということは、おそらく日本州というのは、最大の下院議員選出州を持つ。
さらに、上院議員も、日本をいくつかの州に分けるとすると、かなりの数を持つことができる。
ということは、日本州の出身が、アメリカの大統領になる可能性が出てくる。

アメリカは今、黒人が大統領になっている。
黒人の血を引く、これは奴隷だ、はっきり言って。
これだけのダイナミックな変革をしていく国だ。
そういう観点から、日本がアメリカの51番目の州になることについて、それから参議院議員の政党所属を禁止するということについて、
憲法上の問題があるのかどうか、これについてまず、荒井議員からお聞きしたい。



今年の選挙は、こういったトンデモな首相や大臣や議員たちを、国会という場所から追放するための、非常に大切な選挙です。
絶対に投票に行ってください!
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10人のうちの7人が投票をすると、大きな変化が必ず生まれる!

2016年02月20日 | 日本とわたし
『Let's Go!在外選挙!』のイベントが昨日、マンハッタンで行われました。


もしこのイベントに、在外選挙人名簿登録をしていない人が10名以上参加したら、総領事の方々が出張で手続きをしに来てくださるということで、必死になって声かけしたのですが、
いやはや、なかなか難しいものですね、会の日時が合わなかったり、興味が無かったり、面倒だと言われたり…。
でも、諦めきれずにしつこく頼んで、とりあえず我が家からはわたしを入れて3人、手続きをしに行くことになりました。
で、どうやらイベント会場が、次男くんの会社のすぐ近くだということが分かり、ほんじゃー手続きだけ済ませて会社見学しよう~などと盛り上がっていたら、
そんなら僕も!と、いきなり夫も一緒に行くことになってしまいました。
なぜしまったかというと、夫が来る→手続きの間ぐらいしか待つことができない→本当はやっぱり聞こうよ~と、現場で息子を無理やり席に座らせて、一緒に話を聞こうと思っていた計画がオジャンになる。

というわけで、自分の手続きの準備はもちろんのこと、家族の、それもほぼ興味が無さそうな二人分の手続きの準備もして、当日に臨んだわけなのですが、
まさに文字通りラストミニッツまで、LINEとテキストで緊急連絡が続いたという、かなりカオスな状況でした。

わたしと夫は、わたしの仕事が終わってすぐの電車に飛び乗ったのですが、会場まではなんとかスムースに行けたので、手続きを無事に済ますことができました。


実はもう汗だく。
しかも、出したことが無いと思い込んでいた在留届が、2000年に出されていましたと指摘されて大慌て。
もし記載されている情報と現在が違っている部分があったら、赤ペンで書き直してくださいと言われ、必死で書き直しているところです。
係の方々は、お二方ともとても親切で、分かりやすく説明してくださいました。
結局、16年前に、息子たちを連名にして提出した在留届も、今回勘違いして、新たに出したわたし個人の在留届と次男くん個人の在留届も、すべて活かせておくことになりました。
「まあ、連絡のメールがたくさん送られてくるっていうことぐらいですから」と言われ苦笑い。

さて、こんな感じで、手続きが終わってすぐに会場を出なければならなかったので、写真はReikoさんがフェイスブックに載せてくださったものをお借りします。

会場には、予想していたよりもたくさんの人が来てくださっていました。


我らが歩美ちゃん、主催者の笑顔。


時間を大延期して、書類のまとめをしながら、会の進行を見守っておられる領事館のお二人。


この方こそが、今から23年前に、海外の在外選挙システムを、全くのゼロから築き上げた人、竹永氏です。


いったいどんなふうにしていったのか、そのお話を是非とも聞かせていただきたかったのですが叶わず…、
なので、いただいたプログラムの中に載っていたお話を、ここに書き起こしさせていただきます。

たった一人の若者の戦い
竹永浩之(在ニュージャージー)


「なぜ在外投票運動を始めたんですか?」

いまでもそういう質問を受けることがときどきある。
1993年10月、私はここニューヨークで在外投票運動を始めた。
アメリカに来て1年半、27歳の時だった。

なぜ始めたのか、自分でもよくわからない。
政治には全く興味がなく、市民運動の類いも大嫌いだった。
ニューヨークに来る前は、アジアを放浪。
その前は、沖縄で、素潜りの漁師をしていた。
日本の総理大臣が誰かも知らなかった。
当然のように、投票もしたことがなかったのである。
そういう人間が突然、在外投票運動なるものを始めた。
理由は不明。
それはまるで、空から何かが降りてきて、私に乗り移ったかのようだった。
気がついたときには、まわりの日本人に、
「在外投票制度を作りたいんですけど、どうしたらいいんですか?」と聞いて回っている自分がいた。
いきなり聞かれたほうも、さぞかしビックリしたと思う。

ある人から「署名運動がいいんじゃない」とアドバイスされ、早速友人からボロボロのワープロをもらい、署名用紙を作成。
ついでにFAXも購入した。
さらに、以前から在外投票運動を黙々と続けていた、オーストラリア・シドニーの保坂佳秀さんの存在を知り、すかさず連絡。
ニューヨークとシドニーで、同時に署名運動をスタートすることにした。

全くの世間知らずだったこともあり、運動のやり方も独特というか、いま思えばメチャクチャだった。
「在外投票権署名の会」という会を作ったところまではよかったが、運営の仕方がまったくわからない。
そこで、メンバーをできるだけ少なくし、ミーティングなども極力開かないようにした。
要するに、私だけの独裁制にしたかったのである。
一応、それなりの理由はあった。
組織維持にパワーを使うより、在外投票制度実現のために全力投球したかったのだ。

海外に住んでいることもあり、日本の国会議事堂前でデモすることもないし、毎日何らかの作業があって人数が必要というわけでもない。
マスコミの取材を受ける際に、会員の数を聞かれたら、適当に答えればいいだけの話だ。
実際、日本での記者会見で会員数を聞かれたとき、「100人です」と平然と答えた。
大した度胸である。

「運動は仲良しクラブではない」
なぜかはわからないが、そう信じていた。
ゴールは在外投票制度の実現。
それのみである。
不必要な事は一切したくなかった。
仲間もいらなかった。
たしかに、私自身が途中でくじけてしまい、ニューヨークでの運動がポシャってしまう可能性もあったが、そんなことは想像もしなかった。
今考えると、自分でも恐ろしくなる。
運動に関して、もうひとつ決めたことがあった。
「ゲリラ戦を多用すること」
会員がいないので、組織力は使えない。
その代わり、物事をすぐ決めてすぐ行動できる。
長所は機動性だった。
さまざまな作戦を次から次へと仕掛ける。
武器はアイディアとスピードだ。

たとえば、世界中で展開した在外投票制度実現のための署名運動。
私もニューヨークで毎日、日系書店の前に立ち、署名を集めたが、なかなか数が集まらない。
それはどこの団体も同じだった。
集まった署名は、最終的に、各団体の代表が日本に一時帰国し、日本政府に提出することになっていた。
その際は当然、記者会見も行う。
しかし、集められる署名の数には限界があった。
そこで私は、国の数で勝負することにした。
つまり「何カ国から署名が集まったか」である。
その点を、日本政府やマスコミにアピールしようと思ったのだ。

早速私は、世界各国にある日本の青年海外協力隊事務所に、署名用紙をFAX。
国によってはうまく流れないところもあり、何回も送った。
翌月、電話代の請求書を見たとき、私は気絶した。
日本円で約5万円分も使っていたのだ。
その頃、日本食レストランでウェイターとして働きながら大学に通っていたので、5万円の出費はかなり痛かったが、結局17カ国から署名を集めることができた。

また、在外投票制度の立案の段階で、自民党が、永住権保持者を在外投票から外すことを検討した際には、
すかさず自民党への抗議文キャンペーン、別名「自民党への不幸の手紙キャンペーン」を展開。
ニューヨークのチャイナタウンにある印刷屋で、自民党に対する抗議文をあらかじめ刷ったハガキを千枚作り、ニューヨーク中にばら撒いた。
送りたい人は自分の名前を書いて切手を貼り、そのまま投函するだけという仕組みだ。
ちなみに制作費は日本円で約8千円だった。

前述のようなさまざまな作戦を行うと同時に、私は自分が発行するミニコミ『週刊 Nuts』紙上でも、在外投票ネタについて書きまくった。
当時、日本の旧総理府に『平成の目安箱』という、FAXで一般市民からの意見を集めるサービスがあったのをいいことに、
同ミニコミ紙上にも『平成の目安箱』というコラムを設置。
当時の村山富市首相宛で、在外投票を含むいろいろな問題について、手紙形式で執筆し、そのコラムを毎回FAXで総理府に送った。
一応、建前上は、『平成の目安箱』に送られてきた意見は、首相も目を通すということになっていたが、本当のところは定かではなかった。

1995年5月、陳情のために各団体の代表と一緒に一時帰国した際、村山首相と会見することができた。
そのときにスキを見て、村山さんに、
「総理、『平成の目安箱』ってご存知ですか?」と聞いてみたのである。
すると、
「えっ?ええ、知ってますよ」という答え。
調子に乗って、「私、毎週ニューヨークから送ってるんですけど…」と言うと、「あっあなた」だと。
一瞬、「『あっ、あなた』って、ホントに知ってんのか、おっさん」と思ったが、とりあえず「ありがとうございます」とお礼を言ってその場はおさらばした。

そのあとで総理府に乗り込んで確認したところ、『平成の目安箱』の担当部署では、送られてきた意見を、律儀に首相に回しているとのことだった。
ちなみに私の場合、一時帰国する直前にFAXした号で、
「総理府に乗り込んで、ホントに首相が読んでるか確かめてやる!」と宣言していたのだが、
担当部署では、その部分にわざわざ赤線を引いて、首相に渡していたらしい。

ミニコミを使ってうまくいったケースとしては、運動の終盤戦で展開した「もう一押しキャンペーン」が挙げられる。
在外投票法案を設立するために、衆議院及び参議院で、同法案を担当する議員たちを、名指しで攻めたのである。
同ミニコミ紙上に、各議員の住所が載った宛名ラベルを掲載。
読者にその部分を切り取って、「早く法案通してよ」というコメントとともに送ってくれるよう働きかけたのだ。
議員たちも、いきなりニューヨークから、奇妙なハガキや手紙が送られてきたので、結構ビビったと思う。
実際、担当議員たちの間で話題になっていたという話を後で聞いた。
なんでもやってみるものである。

そして、1998年4月24日、待ちに待った在外投票法案が可決された。
私がアメリカに来て6年、32歳になっていた。
途中でくじけることもなく、なんとか最後まで続けることができたのは、おそらく運動自体が楽しかったからだと思う。
基本的にニューヨークで運動に関わっていたのは私一人ということもあり、好き放題やらせていただいた。
いろいろヘマもやったが、今ではいい思い出だ。

現在の在外投票制度は、小選挙区に投票できないなど、まだまだ改善の余地がある。
自分の子供だと思って、じっくり育てていきたい。


『海外から一票を!』(海外有権者ネットワークLA編・明石書店2004年発行)より


↑以上、転載おわり

その竹永さんのお話と資料の数々。















めちゃくちゃ聞きたかった、山本太郎議員からのメッセージビデオ。




竹永さんのお話の中に、たくさんのヒントが、キラキラと宝石のように光っています。
議員に直接ハガキを送る、楽しい名前のキャンペーン「自民党への不幸の手紙キャンペーン」や「もう一押しキャンペーン」などなど。
原発からの電気を使いたくなくて、「嫌われ者キャンペーン」を新聞広告で実施し、小水力発電で村全体の電気を賄うようになったドイツの小さな村のことを思い出しました。

まだまだわたしたち市民の数の力を武器に、戦えることはたくさんあります。
こちらでは、大人が二人以上集まると必ず、バーニー・サンダース氏、ヒラリー・クリントン氏・ドナルド・トランプ氏の名前が出てきます。
どうして彼らが、ここまで上がり続けているのか。
基盤も支援もポリシーも、真逆ともいえるほどの違いがある二人ですが、なぜこのような現象が起きているのかについての話に花が咲きます。
その中でも、権力側からの心身に及ぶ妨害や暴力によってすっかり力を失ったかのように思われていた、オキュパイ・ウォールストリート『99%デモ』に参加していた若者たちが、
オバマ大統領の再選以前から、全く目立たない草の根運動に切り替え、サンダース氏を支え、自由主義経済の切り崩しを狙うべく、非常に精力的に活動しています。
インターネットの活用はどの候補者のそれよりも盛んです。
寄付は3ドルが最低額。
それでも、大変な集金力を見せています。

わたしたちにはもっともっと、できることがある。
そして何よりもわたしたちは、もっともっと政治を語らねばなりません。
政治は生活すべてに関わっている、命と深く繋がっているものです。
興味が無いなんて人がいたら、目の前でパチンと手を叩いて、目覚めさせてあげなくてはなりません。
コメント (2)
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