ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

90歳おめでとう!

2024年12月13日 | 家族とわたし
今年90歳になる母の誕生日を、特別な形でお祝いしたい。
ただそれだけがわたしの望みでした。
母は温泉に浸かるのが好きだったけれど、体がふらついて思うように歩けなくなってからは、従姉妹のKちゃんとわたしが両側から支えて入ったりしていました。
ちなみにKちゃんは母方の従姉妹で、遠くに行ってしまったわたしの代わりにあれこれと母たちを気遣って、一緒に3人でいろんなところに旅行に行っては、何かと不自由な後期高齢者たちの面倒を見てくれている人です。
だから母にとっては娘同然なんですが、ここ最近は、そんなKちゃんやわたしであっても、世話になってまで入りたくないと言って、温泉に行っても大浴場はもちろんのこと、部屋のお風呂にも家と同じような手すりが無いからと入らずに、一人でポツンと部屋で過ごすようになっていました。
そんな母を温泉の湯にゆっくり浸からせてあげられないだろうか。
ということで、客室のお風呂に温泉が出てくる宿を探しました。
ただし、母の家から車で1時間以内のところにある宿でないと、運転する義父に負担がかかるので、見つけるのはなかなか大変でした。
やっと見つけたのが榊原温泉の湯元館でした。
しかもその温泉は1500年も前から湯ごりの地として存在する日本三名泉!
清少納言の枕草子にも詠われた「七栗の湯」!
バリアフリーで手すりがあちこちに設置された、館の中で唯一ベッドが置かれている部屋で、客室のお風呂の蛇口からもその「七栗の湯」が出てくると聞き、ここだ!と思いました。
さらに、要予約ですが貸し切りの露天風呂が3ヶ所あって、そのうちの一つが要介護の人も入ることができるお風呂もあります。
これなら母も喜んでくれるかもしれない。
お風呂の話をしても、「わたしは絶対に入らない」と頑なに断られていたのですが、現地に行って自分の目で見たら気が変わるかもしれないと思い、大阪の弟に頼んで予約を入れてもらいました。
気が利く弟は、誕生日ケーキの注文も済ませてくれて、これでいよいよ本番を待つのみです。

今回の帰省は、母の90歳のお祝いをするために計画した旅でした。
そこに、たまたま同時期に日本を旅することになった次男くんとEちゃん、弟夫婦、そしてKちゃんも合流して、総勢9人が集うお祝いになりました。
母の性格からすると、さらりと、みんなで祝ってくれてありがとう、というわけにはいかないだろうとは思っていましたが、結果は想像していたのより何倍も、悲しく辛いものとなってしまいました。
原因は、まず第一に、わたしが主になって祝ったことです。
母はこれまでにも、わたしがお金を出すことを異常に嫌い、わたしが彼女の家に居る間は、わたし個人の買い物以外の費用のほとんどを彼女が払っていました。
随分前に一度、母が、「わたしはまだ子どもだったあなたたちを置いて家を出て苦労させてしまった。だからその罪滅ぼしとしてお金はわたしが全部払う」と言ったことがあります。
わたしはだから、かなり慎重に、丁寧に、今回のお祝いは特別なお祝いだから、今回だけはわたしに祝わせてほしいとずっとお願いしてきたのでした。
といっても、わたしが払うと言っているのは母と義父、Kちゃん、そして夫とわたしの分だけで、弟夫婦と次男くんカップルは自腹です。
それなのに宿泊直前まで「わたしが払う」、「いや、わたしが払う」と、母娘で譲らなかったのですが、嫌々でも取り合えず納得してくれたと思っていました。
温泉行きの前日に、居間のカーペットの汚れがひどく、あちこちが劣化してして破けているので買い替えようと言うと(これも今回の旅の目標でした)、「汚くて嫌なら出ていけばいい、わたしはこのカーペットがいいんだから絶対に替えない」と、母は烈火の如く怒り出し、それからはものすごく陰険な雰囲気に…ああ大失敗…。
当日の朝は初っ端からご機嫌斜め…行きの道中も遠いだのしんどいだの道が悪いだの、こんなところに来たくなかっただのと、文句が延々と続きます。
それでもまあ、大阪の弟夫婦は次男くんとEちゃんを車に乗せて、夫とKちゃんは同じく大阪から電車で、そして母とわたしは義父の車で、湯元館に集合しました。
それぞれが各部屋に入り、お土産の交換などをして、それでは夕飯までに温泉に浸かろうということになり、Kちゃんとわたしとで何とかして母を露天風呂まで連れて行こうとしましたが、これまた失敗。

仕方がないので、Kちゃんとわたしだけで浸かりに行くことにしました。

日本屈指の「美肌の湯」、浸かった瞬間にわかりました!

ああ、この気持ちよさと景色の美しさを、母にも感じさせてあげたかった…。



ここのお湯は本当に素晴らしいです。
源泉そのものの湯船もあって、けれども湯の温度は31℃ぐらいで、浸かっていても温まらないような気がするのですが、嘘だと思って15分浸かってみてくださいとおかみさんに言われて試してみると、何か不思議な波動のようなものが体の芯に感じられ、体全体がふわりと浮くような気がしました。
湯量は豊かで、湯船からいつも溢れ出ています。
温泉には19時間の間に3回も浸かったのですが、数日後まで肌がツルツルとして気持ちが良かったです。
めっちゃお勧めです!

お祝いのお料理とケーキ。


部屋のすぐ横を流れている小川。

朝ご飯も美味しかったです。


結果から言うと、このお祝い旅行は大失敗に終わってしまいました。
ただし、母以外の参加者はみな、お湯もお料理も最高だったと言って、とても喜んでくれたので、わたしにとってはそれだけが救いになりました。
母が自室のお風呂に入る時、Kちゃんとわたしが待機しているのが嫌で、一人にしてくれと言い張るので、仕方なく部屋を出たのですが、結局湯船から出ることができなくて大変な思いをしたようです。
浴槽周りに取り付けられていた取手の位置が彼女に合わなかったのと、耳がよく聞こえない義父が酔って寝てしまっていたのとで、足のあちこちに打ち身を作るほどもがいていたのでした。
きっとかなりショックだっただろうし、そんな自分にがっかりしたんだろうと思いますが、彼女の機嫌はますます悪くなっていきました。
その勢いで、チェックアウトのカウンターのところで、「誰が払ったのだ」と大きな声で聞き質し始めた母に、「今回のお祝いの企画と清算はわたしではなく全て次男くんが引き受けたから」と言うと、ようやく静かになったのでした。
家に戻ってからも、旅館の料理のこと、ベッドのこと、そしてもちろんお風呂のことで、文句を言い続ける母と、それをそうかそうかと聞く義父の声を聞きながら、わたしはどんどん落ち込んでしまいました。
あまりに悲しく、あまりに虚しかったので、友人にその気持ちを漏らすと、言葉を尽くして励ましてくれました。
夫と弟にも何度も愚痴りましたが、その都度慰めてくれました。
その3人が共通して言ってくれた言葉があります。
「あなたは彼女の感情を引き受ける義務はない。あなたの価値は彼女を満足させることができるかどうかではない」
「自分をしっかり守りなさい。自分をもっと大切にしなさい」

確かにわたしは、彼女に喜んでもらいたいと思う気持ちと同時に、そういうことができるようになった自分の満足のためにこの計画を立て、費用を払おうとしました。
彼女が最初から賛成していなかったのに、それは現地に行けばなんとかなるだろう、みんなの顔を見れば気が変わるだろうとたかを括っていました。
考えが甘かったのですね。

さて、夫とKちゃんを送って行った榊原温泉口という近鉄沿線の駅のすぐ近くに、おもしろい場所を見つけました。
名前が『ルーブル彫刻美術館』!



いきなり三つの立像、サモトラケのニケ、ミロのヴィーナス、自由の女神像が目に入ります。
なんだなんだなんだ?!この寄せ集めは?!
怪しさ100%の気分でよくよく見てみると、「世界的に有名なパリのルーブル美術館から公式に許可を得て運営している由緒正しい美術館」なんだそうです。
次回はぜひ中に入ってみたいと思います。

その美術館の駐車場の周りには、たくさんのカエルさんたちが。



大観音寺への入り口。



そして少し離れたところには、高さ33メートルの純金大観音「南無開運寶珠大観世音菩薩」さまが。

すっかり沈んでいた気持ちが、ふわりと浮かんだ時間でした。

母たちの家で過ごした日数は小旅行を除くと2週間。
朝に目を開けてから夜に目を閉じる直前まで、母と義父とわたしは同じ部屋で一緒に過ごしました。
朝と昼は彼らのいつものルーティーンを守り、夜はわたしが料理を担当しました。
わたしがいる間は、部屋の掃除と食事の後片付けは任せて欲しいとお願いして、好きなようにやらせてもらいました。
母は朝起きて顔を洗い、朝食を食べ、iPadでシニア用の脳トレゲームをし、新聞を読み、お昼ご飯を食べ、足漕ぎ運動をし、膝から下をマッサージ機で揉みながら新聞を読み、ベッドに寝転がってAmazonタブレットでお気に入りの映画を鑑賞し、おやつを食べ、録画しておいたニュース番組を聴きながらマッサージ器具で目をマッサージし、日が暮れる寸前に散歩に出かけ、夕飯を食べ、お風呂に入り、痛みや痺れを感じる部分をマッサージしたりクリームを塗ったりしてから布団に入り、若い頃から大ファンの森進一の曲を3曲聴いてから眠ります。
料理も洗濯干しも掃除も、一切しなくなりました。
そんな彼女の横にいつもいて、母の言うことを聞き逃しては怒鳴られている義父。
確かに、補聴器をつけていても聞こえない人に、同じことを2度3度と言っている間に怒鳴りつけたくなる気持ちはわからないでもないのですが、これでは双方ともに良くないことは明らかで、この問題の解決が次のわたしのテーマになりそうです。

今回の帰省の最後に、この旅行があったのは幸いでした。
この温泉は母のお気に入りで、車で40分ほどのところにあるやっぽんぽんの湯です。
ここはゴルフを楽しむ人、とろりとしたお湯の温泉を目当てに来る人、美味しい日本料理を食べに来る人に人気があります。

部屋からの夕焼けと朝焼けが絶景でした。
夕焼け編



朝焼け編



ここに来ると母の機嫌はいつも良くなり、お天気や体調が良かったら、彼女の大好きなグランドゴルフもできるコースもあります。
幸いにしてお天気も良く、母の体調もまずまずだったので、コースに出てみました。

朝に回った時は足元がおぼつかず、バランスを崩して倒れてしまいましたが、それにもめげずにお昼からも一回りした母。
満足できたようで嬉しそうでした。

足腰を鍛えたい。そうしてこれからもグランドゴルフをできるようになりたい。
そんな願いがわき上がってきたようです。
これから気温がどんどん下がって寒くなりますが、無理のない範囲で、毎日散歩を続けると決心した母。

二人の平安と健康を祈ります。

おまけ写真。
某ファミレスで会ったロボットくん。

日本最後のご馳走、絶品うなぎ。

今回の旅の最後の最後は、ただただ一人になりたくて、羽田空港近くのホテルに泊まりました。
初めて乗った近鉄の特急『ひのとり』。

品川はいつも人でいっぱい。

疲れ過ぎて間違って行ってしまった羽田空港内のホテル。

わたしが予約したホテルは、羽田空港を川向こうに見るホテルでした😅。

ポンポン船がのんびりと。

地産地消の野菜をたっぷり使った朝ごはんがとても美味しかったです。


わたしがいない間、わたしの机の下にある足炬燵の上でずっと眠っていた海ちゃん。

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日本写真日記

2024年12月10日 | 日本とわたし
今朝、goo事務局から、世にも恐ろしいメールが送られてきました。
「長期間ログインされていないので、90日以内にこのブログのアカウントを削除する」というお知らせメールです。
「削除にあたり、これまでに記載された文章はもちろん写真など、全てが抹消される」と言われて、大いに焦ってこれを書いています。

思えば、先月の10日に行われた生徒たちの発表会のすぐ後に日本に行き、先週の金曜日の夜にこちらに戻ってくるまで、ブログを書く時間を作ることができなくてログインしていなかったのでした。

時間が経つのが早くてもうほんとに困ります。
ちょっと前に2024年の幕開けだとか言ってたのに、気がついたら師走になってしまってて、あと2週間もするとクリスマスで、それが終わったらおせち料理の下準備に追われる…ってどゆこと??
この時期、毎回同じようなことを言ってるような気もしますが…😅。

美しかった紅葉もすっかり姿を消し、日が暮れると気温がスルスルと0℃近くにまで下がります。
すっかり冬になった今日この頃、昨日から1ヶ月ぶりにレッスンを再開しました。
今回はなぜか時差ボケの影響が少なくて助かっています。
体はこれまで以上にクタクタに疲れているのですが…。

では、今回の日本滞在の写真日記を始めます。
11月13日から17日までは夫と一緒に横浜→三重→大阪→滋賀と周り、18日から12月5日までの18日間はわたしだけが、母と義父の家に行って家事手伝いをしました。

11月13日
横浜在住の従姉妹と待ち合わせをして、ホテルまで送ってもらいました。
ホテル近くのレストランに入り、日本食第一食目😅




11月14日
横浜のホテルの部屋の窓から見える公園に、朝の散歩に出かけました。

近くまで行くと、ハアハア言いながら駆けてくる園児たちに、先生が盛んにハッパをかけていました。

彼らが駆け上って行った坂道を上っていくと、夫が急に「あ、僕のと同じノコギリ!」と叫び、スタスタとこのおじさんに近づいて行って、「このノコギリ、ほんっとによく切れますよねえ」と嬉しそうに声をかけましたが、おじさんはかなり戸惑っていたようです。

紅葉どころか緑ばっか😅。

丘のてっぺんまで行ったら、ここでもまた園児たちが😳…体力あるなあ。


降りていくと大きな池があり、



ホテルに戻る道が何やら美しく、


かなり時間が経ったのに、まだ走り続けている園児たち…いや、走っているだけじゃなくて坂道や階段を何度も何度も上り下りしてるんです。信じられない…。


散歩の後、ホテルをチェックアウトして、ホテルまで迎えに来てくれた従姉妹の家に行き、彼女の娘ちゃん、そして彼女の母親(わたしの叔母)に会いました。
叔母は新しい物事の記憶をとどめておくことが難しくなりましたが、遠い昔のことはとてもよく覚えています。
時々今と昔が交差したり、目の前にいる人が誰なのかわからなくなったりします。
その時その時の、彼女が見ている世界を、彼女の目を通して見ることができたらどんなにいいだろうか。
従姉妹はそんな母親を大変な思いをして自分の家の近くにある施設に移し、毎日のように世話をしています。
本当に頭が下がります。

11月15日
14日の夜に三重県に移動し、今年の2月に亡くなった伯母のお墓参りに行きました。
お墓までの道中、子どもの頃によく通った道を、伯母の娘である従姉妹と夫、そしてわたしの3人で歩きました。
どの通りも、神社や鳥居も、そして疏水も、子どもの目で見ていたからか、覚えているよりも小さくて、不思議な懐かしさを感じます。



借金の取り立てがいよいよ激しくなり、両親ともにどこかに姿を消してしまったとき、置いて行かれた弟とわたしの面倒を見てくれた伯母と従姉妹が住んでいた家の前を通り、

伯母のお骨が納められているお寺に到着しました。

先ほどの鳥居の前まで戻り、さて、この鳥居は一体いつ建てられたのかとよくよく見てみると、

安永という文字が刻まれていました。安永、安永、安永…と首を捻っていると、


こちらの店先にご夫婦が立っていて、わたしたちに手招きしてくださっているのでお言葉に甘えて入らせてもらいました。

お店の奥のお座敷に上がらせてもらい、中庭を見せていただきました。

このご夫婦は酒屋のオーナーで、この鳥居前に建つ幕末の町屋座敷で、地元のお酒やお茶、銘菓を販売しています。
その商売の傍ら、町の成り立ちや幕末から今日までの歴史を影絵にして上演したり、江戸時代から昭和初期の品々を展示したりして、たくさんの人たちを楽しませてくれるそのご夫婦のやり取りを聞いていると、まるで漫才のように楽しいのでした。




思いがけずに歴史を楽しく学ばせていただき、小腹が空いてきたので、従姉妹が前々から気になっていたというレストランに行ってみました。
そのお店は、大人が一人通れるかどうかというほどの細い路地の奥にありました。

壁には手裏剣が😅。

到着です。

料理も給仕もおあいそも、みんな自分でやってます、という店主は、イタリアに深い愛情を持つ腕利きのコックさんでした。




膨れたお腹をこすりながら歩いていると、どこかから懐かしいお琴の音色が聞こえてきました。
ああ懐かしいと声を上げると、従姉妹が「そりゃそうよ、まうみも通ってたお琴の先生の家の前やもの」と言うではありませんか!


いやいやいやいや、これは懐かし過ぎる!
この家には3歳から7歳までの5年間通いました。
絶対音感を持っていたわたしは、幼いながらもお琴の13弦の調律を任され、いつも重宝してもらっていたのでした。
弾くのが楽しくて、どんどんと進んでいったのですが、7歳の終わりにピアノに進むことになってお琴を辞めなければならなくなり、最後に『六段のしらべ』をどうしても弾きたくてお師匠さんにお願いしたら、「弦を弾けてもあなたの歳では理解できないから」と断られ、大泣きした覚えがあります。
なのに、家から聞こえてきたのは、まさにその『六段のしらべ』!
もう我慢ができなくなって、従姉妹を引っ張って家の中に入ってしまいました。
従姉妹もその家で長い期間お琴を学び、師範の資格を持っている人なので、全くの外部者ではありません。
中に入ると、そこにはわたしが習っていた頃の師匠とそっくりの娘さんが、3人の生徒さんと一緒に座っていて、突然の闖入者にびっくり。
事情を話すと、快く座敷に招いてくださり、みなさんで『六段のしらべ』を演奏してくださいました。


60年前と全く同じ空間で聴く『六段のしらべ』はただ懐かしいというだけでなく、この曲を恋してやまなかった7歳の胸の震えを感じて、涙が込み上げてきました。

秋祭りの屋台が並んだ境内に続く道も、こんなに狭かったんだ。


ちょうど七五三の日でした。

従姉妹がよく遊んだ場所。

ここで松明が焚かれ、甘酒を飲んだ思い出があります。

11月16日
大阪に移りました。
大阪といえばこれ!


江戸堀にお店がある眼鏡屋さん『G-KENEYES』。
大阪に来たのはこのお店が目当てです。
ここには、一度でも通ってしまうと、2度と他のところでは眼鏡を作ってもらう気にならないほどの、懇切丁寧で綿密な検眼と、どんなフレームでもお客の望みを叶えてくれる高い技術力を備えた職人さんがおられます。
今回は、2年前に購入したピアノの読譜用眼鏡の点検と、車の運転用の眼鏡を新たに作ってもらいに行きました。

実は、大阪に移った夜、わたしが予約した部屋がとんでもないことに。
そもそも、日が暮れる中、わたしの代わりに大型のキャリーケースをゴロゴロ引きずっていた夫の機嫌はどんどん悪化していたので、1分でも早く見つけたかったのに見つからない…。
やっと見つけたと思ったら、今度は建物そのものに入るドアの開け方がわからない。
夫の不機嫌度はピークに。
やっとのことでそのドアが開き、わたしが予約したの部屋の前に立つと、またまた不可解な暗号が。


二つの難関を突破して、やっとのことで部屋の中に入るや否や、夫が鼻をつまんで「臭い!」と叫ぶではありませんか。
元々鼻詰まりのわたしは何がそんなに臭いのかわからず、扉という扉を開いては中を点検する夫をただ見つめているだけ。
今さらここをキャンセルして新しいホテルを探す気力もありません。
とにかく今夜はここに泊まって、次の晩は違うホテルに移動しよう、ということになりました。
いっときでも部屋の中に居たくなかったので、夕飯を食べに出発。

ちっちゃいけれどド派手な電車駅を通り過ぎ、

夫が好きそうな食堂を見つけました。


その夜中にふと目が覚めたわたしは、鼻の奥に居座るとても不快な臭いに気づきました。
え?なにこの臭い?下水?
もしかして、夫が大騒ぎしていた臭いってこれだったのか?
それからはもう眠れません。布団の中にもぐって、ただただ朝が来るのを待ちました。

11月17日
翌日の朝、そのトンデモ宿からあまり離れていないホテルに移り、とにかく一安心。
朝ご飯を食べに外に出ましたが、どこもまだ閉まっていて見つかりません。

万博の宣伝してるけど、開催できるのでしょうか…。

もう諦めてコンビニで何か買おうかと思ってたところに、ホテルの入り口が見えました。
もしかしたら朝食バイキングなんかがあるかも…ありました!


この日のメインイベントは大津の友人たちに会いに行くことです。
懐かしい京都駅。


夫がいい塩梅に映り込んでいました😅。


これまた懐かしい、8年間暮らした琵琶湖畔。

久しぶりに会った二組の友人夫婦たちと一緒に、美味しいランチを食べました。

日本の電車は楽しい。

11月18日
ホテルの窓から、電車に乗った乗客の顔まではっきり見えます。

出た!コンビニ朝ご飯!

さて、この日以降は、夫とは別行動になります。
彼は関西在住の友人たちに会いに行き、わたしは母と義父の家に移り、母の90歳の誕生日祝いをする温泉一泊旅行でまた合流し、その後夫はアメリカに、わたしは母たちの家に残るという予定になっています。
二人で気ままに過ごせる最後の日ということで、観覧車に乗りたいと思い行ってみたのですが、残念ながら休止中。
では、何か美味しいものを食べようと、市場に探しに行きました。

甘いもん💜


ほんでもってお寿司❤️

今日はこんな活きのいいのが入ったよ〜と職人さんが見せてくれました。

またまた見つけた楽しい電車。

11月19日以降と「母の90歳のお祝い旅行」のお話はこの後に。
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