ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

今一度、原発がどんなものか知って欲しい!

2011年03月31日 | 世界とわたし
このブログで、3月の13日に載せた、原発がどんなものか知って欲しいを、もう一度今日、ここに載せます。

この記事の筆者平井憲夫さんは、1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人として奔走されていましたが、1997年の1月に亡くなられました。
そして、『原発被曝労働者救済センター』は後継者がなく、閉鎖されました。


今までわたし達は、なんとなくそういう気はしていたけれど、でもしょうがないじゃないか、どうしようもないじゃないかと、さっさとあきらめて、
でももし、本当に恐ろしいことが起こったその時はどうなるんだろうか、などと心の片隅では心配しながら、
それを忘れたいからか、それともただ、便利で楽で楽しいことを享受することにかまけていたいからか、
本当はもっともっと真剣に、エネルギーについて考え、必要ならば辛抱をして、人間として正しい向きに修正しなければならなかったのに、そのことを忘れて、あるいは忘れたふりをして、長い長い年月を過ごしてきました。

フランスは電力全体の80%を、アメリカは50%を、原子力発電に頼っているのだそうです。
そしてまだ、国の首長は、「自分達の原発は、福島のことを教訓に、安全に使いさえすれば大丈夫だ」、などと胸を張って言っています。

本当に、本当の本当に、安全に使い切ることができると、いったい誰が保証してくれるのでしょう。
保証なんてしてもらっても、今回のような未曾有の自然災害が起こったら、その時はもう保証などなにも意味が無くて、ただただ地獄のような混乱が始まるだけです。
地震が起こらなくても、津波が来なくても、台風が通過しなくても、竜巻が発生しなくても、2012年に起こると科学者や天文学者が予想している電磁場の異常というのが、どのくらいの規模で、どの程度の影響をどのように与えるのか、
今の人間の叡智でもってしても確実なデータが出ない出来事がすぐそこに来ているかもしれないというのに、どうしてもう少し謙虚に、出来る限りの万全の備えができないのでしょうか?

全所を廃炉、とまではいかなくても、とりあえず休止状態にする。

今さかんに言われている『太陽フレア』の異常は、地球の地軸や空気層に直接危害を及ぼし、それが人体のみならず、様々な所に影響を与えます。
電波通信が妨害されたり、人工衛星の誤作動や障害、または落下、航空機高度での被爆、発電所の停止などなど。
そしてもし、巨大な磁気嵐に襲われた場合、地球の地軸が激しくぶれる恐れがあるので、そうなるともう、ハリウッド映画『2012』も真っ青な世界が、目の前に繰り広げられることになります。
あの、東北を襲った世にも悲惨な、そして憎むべき津波の恐ろしい姿を見たわたしには、あれは映画だからと、鼻で笑うことができなくなりました。
もうなんだって起こり得るのではないか?
わたし達の地球は、そしてその地球を取り巻いている宇宙は、刻々とその状況を変えているのですから。

ああ、別にここまでしなくてもよかったねえと、原発を所有する各国の首長が、苦笑いしながら頭を掻くような結果になってもいいではないですか。
地球を、放射能まみれの悲しい惑星にしないために、未来の子供達に安心して受け継いでってもらうために、本気で取り組んでみませんか?








人のふり見て我がふり直せ

2011年03月31日 | 世界とわたし
隠された被爆労働~日本の原発労働者1


隠された被爆労働~日本の原発労働者2


隠された被爆労働~日本の原発労働者3



1995年に、イギリスのチャンネル4で放映されたドキュメントフィルムです。
今朝、旦那がこれを見つけて送ってくれました。

昨日、福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、アメリカでも原発に対する不安の声が強まるなか、オバマ大統領は、今回の事故を教訓に安全性を一段と強化しながらも、引き続き、原発を推進する考えに変わりがないことを強調しました。
これには本当にがっかりしました。
なんとか市民レベルから運動を起こし、彼の耳にも届くかどうかはわからないけれど、今朝から市民運動団体のACLUに訴えかけようと決心しました。
たとえ全体の50%の電力を原子力に頼っているとしても、本気で取り組めば、しばらくの間不便や辛抱を強いられても、抜本的な改革は可能だと信じていますが、
この国の成り立ちとサイズが複雑で大き過ぎること、国民性として個人主義が徹底しているだけに、それが実現するのはかなり難しそうです。

日本の今の現状を、そして原発の存在の恐ろしい現実を、他人事にしないで真剣に受け止め、ひとの振り見て我が振り直せる国が、一国でも多く出てくることを願わずにはいられません。

さよならさんかく またきてしかく

2011年03月30日 | 友達とわたし
さよなら三角 また来て四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いはウサギ ウサギは跳ねる
跳ねるはカエル カエルは青い(みどり)
青い(みどり)は柳(葉っぱ) 柳(葉っぱ)はゆれる
ゆれるは幽霊 幽霊は消える
消えるは電気 電気は光る
光るはおやじのハゲ頭


あさこが一年間の留学を終え、日本に帰って行きました。
旦那とわたしがふたりで日本を旅行した時、佐渡島でコンサートをするというあさこのおっかけをして島に渡ったことがあります。
コンサートがあった晩に、海辺の堤防沿いを三人で散歩していた時、「アメリカで勉強してみよっかな~」というあさこの背中を押しまくったのが、もう今から4年も前のことだなんて……時間の経つ早さに驚かされます。
あっという間の1年でした。
彼女らしく、彼女でないとできない、密度の濃い、とても精力的で楽しい留学になったようです。
彼女は超がみっつほどつくポジティブ思考の持ち主だけど、それでもひとりで考え込んだり、迷ったりした夜もあったろうし、凹んだこともあったと思います。
でも彼女は、そんなことを周りの我々には少しも見せず、いつも笑顔、笑顔、笑顔。
あさこスマイルは、彼女の周りの、学校やアパートメントやお店の、どんな人達をも、ハッピーな気持ちにしたと思います。
旦那とわたしも然り。
楽しい一年だったねえと、見送った後、しみじみと話し合ったのでした。


と、しんみりモードはここまで。

あさこの一年の荷物は、女性だからとはいえ、巨大スーツケース満杯、中型も満杯、そして手荷物のバッグも満杯。
旦那でさえもヒイヒイの重さで、これが重量オーバーするのは当然!
でもまあ、とりあえず送られる物はすべて送ったし、処分できる物やあげられる物も片付けてきたし、あとはどうしても日本に持ち帰りたい物ばかり。
もうすでに厳選された後なので、超過料金を払っても仕方がない、と覚悟を決めていたのですが……。

搭乗手続きをしていると、両方で110ポンドという数字が出ました。
超過料金は?
ひぇ~!!なんと200ドル?!
なんぼなんでもそれはかなんな~ということで、眉間にシワを寄せてブツブツ検討していると、
「本当は1バッグにつき50ポンドが規定なんだけど、それを52ポンドにしてあげるから、あと6ポンドなんとかしてみて」との提言が。
そこで、詰め替え、及び、とりあえずわたし達に預けられる物を検討することになりました。
まだカウンターがずいぶん空いていたので、カウンター横の、荷物の重量を計る計りの上で、荷物を取り出しては数字とにらめっこ作戦開始。
でも……
あさこ、早々にリタイア。200ドルを支払うことに相成りました。

そんなこんなのちっちゃなハプニングがありましたが、荷物を預けてしまってすっきりした後は、お別れのコーヒータイム。
といっても、ニューアーク空港には小洒落たカフェなんてもんがあるわけもなく、地下の、荷物受け取りのベルトコンベアーが並んでいる横の、ダンキンドーナッツで。旦那は最近ハマっているので、けっこう嬉しそうでしたが……。

さよならあさこ、またきてあさこ。

 

左に曲がりたいけど曲がれない!

2011年03月29日 | ひとりごと
みなさんもご存知のように、こちら米国では、車は右側通行、運転席は左側です。
なので、右折は簡単で、州によっては、信号が赤でも、青の車線に車が走ってなかったり、ずいぶん向こうにある場合は、右折できたりします。
ちなみに、ここニュージャージーはそれが許されている州です。

で、当然左折は右折より注意が必要です。
特に、自分の車線が青で、後ろの車が直進したい場合などは、うっかり見落されていてぶつけられやしないかとドキドキしながら停車していなければなりません。

昨日突然、わたしがいつも仕事に乗っている車の、左側のウィンカーランプの電球が、切れる寸前の末期症状を見せ始めました。
末期症状になると、ランプが異様な速さでチカチカと点滅します。
ところが、最近になって気がついたのだけど、困ったことに、チカチカとランプがついているのは車内だけで、外側はもうすっかり消えたまま。
なので、ウィンカーで知らせることもせずに、いきなりグイッと曲がる無法者と勘違いされても仕方が無い状況になってしまうのでした。

昨日慌てて、車の部品屋に行ったのですが定休日?!
それで今日こそは手にいれようと、アメリカ留学最後の日を迎え、大荷物と一緒にやって来たあさこと一緒にランチを食べ、楽譜や持ち運べない荷物を詰めた大箱3つを郵便局から送ってからまたまた部品屋に行って、やっと電球をふたつ、手に入れることができたのでした。

前に修理工場のエリックが取り替えてくれた時、じっと横で見ていて、これなら自分でもできるぞ、と自信満々だったのに、
いやいや、ネジひとつ外すのだって、家にあるドライバーやレンチでは役に立たず、結局また明日、電球を持ってって替えてもらうことになりました。とほほ。

というわけで、今日もまたまた指示器無しの左折をしなければならなかったのだけど、
いざできないとなると、気になるもんですねえ~左折っ!
しかも、普段は気がついてなかったけれど、何車線もある道だったりとか、たくさんの車がけっこうなスピードでガンガンやってくる大通りだったりとか、もうほんとにヒヤヒヤもんでした。
2週間ほど前に、全然悪いことしてないのに、ほんでもってぶつけられたのはこのわたしなのに、車になぜか傷がついてなくて、わたしも別に目に見える怪我とかもしてなくて、けれども後々何かあったら困るから相手のドライバーの連絡先と保険会社の名前が知りたいだけです!と言い張っていたら、寄ってきた警察官から『不注意運転』の違反キップをもらったわたし……。
4月のはじめにある交通裁判に出頭して、思いっきり抗議しようと思っている時だけに、今はどんなことがあってもきれいな体でいたいわけで……。

で、今日は2回も、左折ができずに通り越し、えらい遠回りをしながら生徒の家を回る羽目に陥ってしまいました。しくしく……。
だって、すぐ後ろがパトカーだったり、どえりゃ~勢いで走ってくる大型トラックだったりしたんですもん……。
ほんと、こんなちっぽけな電球なのに、思いっきり振り回された一日なのでした。




泣きなさい 笑いなさい

2011年03月28日 | 音楽とわたし
つい先程、ACMAのプレジデントであるアルベルトから連絡があり、4月の月例コンサートは、日本への支援コンサートにしたいと申し出てくれました。

それで、わたしの歌をプログラムの中に入れないで、わたしからのメッセージと一緒に、オープニングとして歌ってみたら?ということになりました。
そして、聞きに来てくださったお客さま、演奏するメンバーに、日本に思いを馳せていただき、今後長い時間がかかると思われる復興のための援助をお願いしようと思います。

英訳の歌詞をプリントアウトするだけでは済まなくなってしまいました。
メッセージの文面を考えなければなりません。
けれども、せっかくいただいた機会なので、ありがたく頂戴して、大切に使わせていただこうと思います。

そして、突然なのですけれども、父がとても好きでよく歌っていた『花歌』もいいなあ、と思い始めています。
父が下顎呼吸に入り、もう意識も遠のいてしまった時に、「まだ耳だけはよく聞こえていますよ」と看護師さんに言われて、泣きながら歌った歌です。

『花歌』

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花をさかそうよ


涙ながれて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんなながれを このうちに
花として 花として むかえてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花をさかそうよ


花は花として わらいもできる
人は人として 涙もながす
それが自然のうたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ


ああ、日本には本当にいい歌がいっぱい!

美しい島をより美しく

2011年03月28日 | 世界とわたし
被災地に医療スタッフとして行かれた方が、記録として残された現場の様子です。

かわちゃんが見つけて、教えてくれました。
今朝、それを一気に読んで、ひとりでも多くの人達に読んでもらいたいと思い、ここに紹介させていただきました。

テレビからの映像や、アナウンサー達の言葉や、新聞やインターネットからの情報からも、わたし達は溢れ出んばかりの情報を得、それをもとにして、被災地や被災された方々の痛みや哀しみを想像するのだけれど、
それはやっぱり想像だけでしかなくて、本当のところはどうしたってわかりゃしない。

理不尽に、家や家族を奪われた者の痛みと哀しみ。

全く違う方法でだけれども、わたしと弟は、幼い子供の頃から、それを何回も何回も経験してきました。
奪い取るのはいつも、自然ではなく人間で、それは実の家族であったり、やくざであったり、役所の人間であったりしました。
家族が目の前からだんだん減っていったり、家の箱だけ残って、あとの家財道具一式が持ち出されたり、家自体が取り壊されて駐車場になったり、
わたしにはだから、帰る故郷も実家もありません。
日本の国、というのがわたしにとっては故郷なので、今の東北のように、徹底的に痛めつけられている姿を見るのが辛くてなりません。

この美しい島を、より美しく。
何度叩きのめされても立ち上がっていく忍耐強さと我慢強さ。
そして、思いやりの深さ。
これがある限り、絶望なんてことはありえません。
無理に笑う必要はないけれど、どんな顔してたっていいから、前を向いて、一歩一歩、ぼちぼちと、足を踏み出していって欲しいです。

希望のわかば

2011年03月27日 | 世界とわたし
まだまだ真冬みたいな冷たい風がひゅうひゅう吹く中、旦那に誘われて散歩に出かけた。
お向かいのロイの家の隣の、ジェフの家の屋根を見て驚いた。
二年近く住んでいるのに知らなかった。
おもいっきりのソーラーシステムではないか!


八畳、あるいはそれ以上あるかもしれない。
これを設置するにあたっては、とりあえず大きな費用がかかるけれど、連邦政府と州からの補助と、固定資産税の減額などを含めると、実際の費用の三分の一ぐらいの価格で取り付けられるらしい。
めちゃくちゃ気持ちが揺れる。

せっかくカメラを持って外に出たので、寒いけれども『希望』の面々を撮りに、庭の周りをうろうろと歩いた。

毎年花と勘違いする真っ赤な芽。


垣根の枯れ枝からも。


あじさいからも。


きみどり色って、すっかり落ち着いたみどり色より、やんちゃで若々しくて、アハハと笑っているように見える。
ここ数日、ニュースを読んでは取り乱し、おいおい泣いてしまったりしているわたしには、必要な色なのかも。

ちょっとこちらは渋い芽。


なんやようわからんけど、おまけ。
あんなにもう、見るのもいやだった雪も、そろそろお別れとなると名残惜しい(←ウソ!)

米国ヨガするリス事情

2011年03月26日 | 米国○○事情
まだまだ寒い日が続いています。
なので、台所の窓という窓にはまだ、冷気よけのフィルムが貼られたまま。
かなりぼやけた画像ではありますが、クソ寒い外で、カメラを思いっきり意識しながらヨガってるこの方を連写してみました。

ちょっくらごめんなすって。


あらよっと。


ごますりのポーズでござ~い。


三角のポーズだってやれちゃうもんね~。


リス様のキャットストレッチ。またぬくとなったら、ここんちの猫イジメたろっと。イヒヒ。


ほな、さいなら~!




原発ジプシー

2011年03月26日 | 世界とわたし
原子力発電所における秘密『日本の原発奴隷』という記事を紹介します。
この記事は、エル・ムンド[EL MUNDOというスペインの新聞 ]に、2003年の6月8日に掲載されたもののようです。

もう今から9年ほども前の記事ですが、仁ちゃんのブログで紹介されていたのを読んで、あまりにも悲惨な話に圧倒され、これが事実なのか、正確なものなのか、そのことの真意はわたしのような者には知る術も無いのですが、
規模は違えど、世の中の底辺や地獄を垣間みたことのある自分には、この記事に書かれている闇の仕組みが、存在していると思えてなりません。

ここの書かれている『原発ジプシー』と呼ばれる人達が、もし今も存在しているとしたら……。
今の、過酷な、危険極まりない原発の事故現場で、交代制で、24時間体勢で仕事をされている方々の中に、作業員という名のもとに、充分な知識も警告も与えられないまま、懸命に作業をされている人達がいるとしたら……。


東電は、津波で流されてしまった家屋に電気代の請求をしたり、今のこの状況では検針できないという理由で、先月分と同じ金額を請求してきたり、
想定外(彼らが好んで使う、事実だけども本当は想定しておかなければならなかった)の事が続いた後の、究極の混乱の真っただ中にいるとはいえ、
経営を任されている人間の質というか、度量というか、こんなふうにしか物事を決断したり実行に移したりできない連中が、世の中を動かすような大きな組織の長として君臨していたのかと思うと、本当に腹が立つし情けないです。