金曜日の夕方になると、うちにはちょっとした緊張感が漂います。
いや、緊張ってのとはちょっと違うか、苛立ち感ですね。
これまでにも何回も書いたことがあるけれど、例の、週末の予定(なにか楽しめること)が入っていないことに、かなり深く失望するヒト(夫)がいるからで、
更に事態をややこしくするのは、週末に予定なんか入ってても入ってなくてもどっちでも全然かまわない、というより、どっちかっていうと全く決まり事がないまま、ダラダラとのんびりと家の中や周りで過ごしたいヒトがその夫の妻であるってこと。
なにも決まってない!……いらいら……。こんなに気持ちのいい天気の、夏の金曜日の夕方なのに!……いらいら……。
ああ鬱陶しい!……いらいら……そんなにどっかに行きたきゃどこへでも好きな所に行けばいいじゃん!……いらいら……。
ほんとに進歩の無い夫婦。同じことで何度苛ついているのやら……。
機嫌が悪いまま旦那はテレビの前にドカンと座り、わたしはパソコンの前にドカンと座り、互いに黙って違う画面を観ていました。
「あ!まうみ!ツェッペリンや!ツェッペリンの映画やってる!」
ふん、またこっちの気を引こうとしてそんなこと言うたかて……。
へ?あらら?あの音はまさに……。
たまたまつけたテレビ画面に、1973年の全米ツアー最終の3日間、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで録音されたレッド・ツェッペリンのライヴ音源を元に作られた映画が放映されていたのでした。
レッド・ツェッペリンは、わたしにとって新しいジャンルの音楽との出会いの象徴。
当時、かなり悲惨な状況に陥っていた家の娘を好いてくれた男の子がいて、その子はベースギターがうまくて、バンドのメンバーで、家は父親が一代で築いた工務店でかなり繁盛していて、そこの長男だったけれど家を継ぐつもりはなくて、いつかイギリスの田舎ウェールズに引っ越して暮らしたいと夢見ていて、
彼の部屋で夕方遅くまで話していたある日のこと、突然「ちょっとおまえにどうしても聞かせたいもんがある」と言って立ち上がり、とても大切そうに一枚のLPを取り出し、ターンテーブルの上にそっと乗せ、ろうそくを一本テーブルの上に立てて火を灯し、そして部屋の灯りを消し、針をレコードの上に置いたのでした。
ほのかなオレンジ色の灯りの中を静かに流れてきたのは、ギターの物悲しいフレーズでした。そしてそれに重なるバンブーフルート。
なんて美しい、なんて哀しい、けれどもあたたかな音楽なんだろう。わたしは一目惚れ、いや一耳惚れ。何度も何度も聞かせてもらいました。
それがこの曲、『天国への階段』なのでした。
Led Zeppelin-Stairway to Heaven
その後、その子のバンドにキーボード兼音源コピー係として入れてもらい、レッド・ツェッペリンの曲をたくさん演奏しました。
コピーするのに耳に大ダコができるほど聞いたので、各パートのリズムやフレーズをまだよく覚えています。
レッド・ツェッペリンの演奏は本当に自由で、限界が無くて、いろんな挑戦をしたので、音取りはとても難しかったのでした。
中でも当時のわたしには気がおかしくなるほど難しかった『ブラック・ドッグ』。
Black Dog Led Zeppelin Lyrics
その子とは、わたしの家が一番ハチャメチャだった頃にたまたま付き合っていて、日本刀騒ぎのあった夜、警察に相手にしてもらえなくて路頭に迷ったわたしがSOSの電話をかけてしまい、車で走っても40分もかかる車道をキコキコキコキコ、彼は全速力で、母親のママチャリを漕いで駆けつけてくれたのでした。
彼が着いた時には、家の周りや中を荒らした三人の男もいなくなっていて、わたしがただひとり、阿呆のようにうずくまっていただけでした。
あの時の彼の、疲弊しきった息づかいと、無事だったわたしを見た時の気の抜けた顔、そして二人で何も言わずに並んで腰掛けていた家の前の階段を、この『天国の階段』を聞くたびくっきりと思い出すのです。
あの夜、いったい何時間かかって来てくれたのか、ちゃんと聞いていません。
来てくれてありがとうと、あの後もう一度改めてちゃんとお礼を言ったかどうか、それも覚えていません。
まさか彼がこのブログを読んでくれているとは思わないけれど、もしも読んでくれているのなら……。
りゅうちゃん、あの時はほんまにありがとう。恐くて悲しくて辛くて、この世にはもうなにもええことなんかない!と絶望しかけたわたしに、そやけどオレがいるやんか、と伝えに来てくれたあなたのこと、一生忘れません。あの『天国への階段』を一緒に聞いたことも。ほんまにありがとう。
いや、緊張ってのとはちょっと違うか、苛立ち感ですね。
これまでにも何回も書いたことがあるけれど、例の、週末の予定(なにか楽しめること)が入っていないことに、かなり深く失望するヒト(夫)がいるからで、
更に事態をややこしくするのは、週末に予定なんか入ってても入ってなくてもどっちでも全然かまわない、というより、どっちかっていうと全く決まり事がないまま、ダラダラとのんびりと家の中や周りで過ごしたいヒトがその夫の妻であるってこと。
なにも決まってない!……いらいら……。こんなに気持ちのいい天気の、夏の金曜日の夕方なのに!……いらいら……。
ああ鬱陶しい!……いらいら……そんなにどっかに行きたきゃどこへでも好きな所に行けばいいじゃん!……いらいら……。
ほんとに進歩の無い夫婦。同じことで何度苛ついているのやら……。
機嫌が悪いまま旦那はテレビの前にドカンと座り、わたしはパソコンの前にドカンと座り、互いに黙って違う画面を観ていました。
「あ!まうみ!ツェッペリンや!ツェッペリンの映画やってる!」
ふん、またこっちの気を引こうとしてそんなこと言うたかて……。
へ?あらら?あの音はまさに……。
たまたまつけたテレビ画面に、1973年の全米ツアー最終の3日間、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで録音されたレッド・ツェッペリンのライヴ音源を元に作られた映画が放映されていたのでした。
レッド・ツェッペリンは、わたしにとって新しいジャンルの音楽との出会いの象徴。
当時、かなり悲惨な状況に陥っていた家の娘を好いてくれた男の子がいて、その子はベースギターがうまくて、バンドのメンバーで、家は父親が一代で築いた工務店でかなり繁盛していて、そこの長男だったけれど家を継ぐつもりはなくて、いつかイギリスの田舎ウェールズに引っ越して暮らしたいと夢見ていて、
彼の部屋で夕方遅くまで話していたある日のこと、突然「ちょっとおまえにどうしても聞かせたいもんがある」と言って立ち上がり、とても大切そうに一枚のLPを取り出し、ターンテーブルの上にそっと乗せ、ろうそくを一本テーブルの上に立てて火を灯し、そして部屋の灯りを消し、針をレコードの上に置いたのでした。
ほのかなオレンジ色の灯りの中を静かに流れてきたのは、ギターの物悲しいフレーズでした。そしてそれに重なるバンブーフルート。
なんて美しい、なんて哀しい、けれどもあたたかな音楽なんだろう。わたしは一目惚れ、いや一耳惚れ。何度も何度も聞かせてもらいました。
それがこの曲、『天国への階段』なのでした。
Led Zeppelin-Stairway to Heaven
その後、その子のバンドにキーボード兼音源コピー係として入れてもらい、レッド・ツェッペリンの曲をたくさん演奏しました。
コピーするのに耳に大ダコができるほど聞いたので、各パートのリズムやフレーズをまだよく覚えています。
レッド・ツェッペリンの演奏は本当に自由で、限界が無くて、いろんな挑戦をしたので、音取りはとても難しかったのでした。
中でも当時のわたしには気がおかしくなるほど難しかった『ブラック・ドッグ』。
Black Dog Led Zeppelin Lyrics
その子とは、わたしの家が一番ハチャメチャだった頃にたまたま付き合っていて、日本刀騒ぎのあった夜、警察に相手にしてもらえなくて路頭に迷ったわたしがSOSの電話をかけてしまい、車で走っても40分もかかる車道をキコキコキコキコ、彼は全速力で、母親のママチャリを漕いで駆けつけてくれたのでした。
彼が着いた時には、家の周りや中を荒らした三人の男もいなくなっていて、わたしがただひとり、阿呆のようにうずくまっていただけでした。
あの時の彼の、疲弊しきった息づかいと、無事だったわたしを見た時の気の抜けた顔、そして二人で何も言わずに並んで腰掛けていた家の前の階段を、この『天国の階段』を聞くたびくっきりと思い出すのです。
あの夜、いったい何時間かかって来てくれたのか、ちゃんと聞いていません。
来てくれてありがとうと、あの後もう一度改めてちゃんとお礼を言ったかどうか、それも覚えていません。
まさか彼がこのブログを読んでくれているとは思わないけれど、もしも読んでくれているのなら……。
りゅうちゃん、あの時はほんまにありがとう。恐くて悲しくて辛くて、この世にはもうなにもええことなんかない!と絶望しかけたわたしに、そやけどオレがいるやんか、と伝えに来てくれたあなたのこと、一生忘れません。あの『天国への階段』を一緒に聞いたことも。ほんまにありがとう。