ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

天国への階段

2010年07月31日 | 音楽とわたし
金曜日の夕方になると、うちにはちょっとした緊張感が漂います。
いや、緊張ってのとはちょっと違うか、苛立ち感ですね。
これまでにも何回も書いたことがあるけれど、例の、週末の予定(なにか楽しめること)が入っていないことに、かなり深く失望するヒト(夫)がいるからで、
更に事態をややこしくするのは、週末に予定なんか入ってても入ってなくてもどっちでも全然かまわない、というより、どっちかっていうと全く決まり事がないまま、ダラダラとのんびりと家の中や周りで過ごしたいヒトがその夫の妻であるってこと。
なにも決まってない!……いらいら……。こんなに気持ちのいい天気の、夏の金曜日の夕方なのに!……いらいら……。
ああ鬱陶しい!……いらいら……そんなにどっかに行きたきゃどこへでも好きな所に行けばいいじゃん!……いらいら……。

ほんとに進歩の無い夫婦。同じことで何度苛ついているのやら……。
機嫌が悪いまま旦那はテレビの前にドカンと座り、わたしはパソコンの前にドカンと座り、互いに黙って違う画面を観ていました。

「あ!まうみ!ツェッペリンや!ツェッペリンの映画やってる!」

ふん、またこっちの気を引こうとしてそんなこと言うたかて……。
へ?あらら?あの音はまさに……。

たまたまつけたテレビ画面に、1973年の全米ツアー最終の3日間、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで録音されたレッド・ツェッペリンのライヴ音源を元に作られた映画が放映されていたのでした。

レッド・ツェッペリンは、わたしにとって新しいジャンルの音楽との出会いの象徴。
当時、かなり悲惨な状況に陥っていた家の娘を好いてくれた男の子がいて、その子はベースギターがうまくて、バンドのメンバーで、家は父親が一代で築いた工務店でかなり繁盛していて、そこの長男だったけれど家を継ぐつもりはなくて、いつかイギリスの田舎ウェールズに引っ越して暮らしたいと夢見ていて、

彼の部屋で夕方遅くまで話していたある日のこと、突然「ちょっとおまえにどうしても聞かせたいもんがある」と言って立ち上がり、とても大切そうに一枚のLPを取り出し、ターンテーブルの上にそっと乗せ、ろうそくを一本テーブルの上に立てて火を灯し、そして部屋の灯りを消し、針をレコードの上に置いたのでした。

ほのかなオレンジ色の灯りの中を静かに流れてきたのは、ギターの物悲しいフレーズでした。そしてそれに重なるバンブーフルート。
なんて美しい、なんて哀しい、けれどもあたたかな音楽なんだろう。わたしは一目惚れ、いや一耳惚れ。何度も何度も聞かせてもらいました。
それがこの曲、『天国への階段』なのでした。

Led Zeppelin-Stairway to Heaven


その後、その子のバンドにキーボード兼音源コピー係として入れてもらい、レッド・ツェッペリンの曲をたくさん演奏しました。
コピーするのに耳に大ダコができるほど聞いたので、各パートのリズムやフレーズをまだよく覚えています。
レッド・ツェッペリンの演奏は本当に自由で、限界が無くて、いろんな挑戦をしたので、音取りはとても難しかったのでした。
中でも当時のわたしには気がおかしくなるほど難しかった『ブラック・ドッグ』。

Black Dog Led Zeppelin Lyrics


その子とは、わたしの家が一番ハチャメチャだった頃にたまたま付き合っていて、日本刀騒ぎのあった夜、警察に相手にしてもらえなくて路頭に迷ったわたしがSOSの電話をかけてしまい、車で走っても40分もかかる車道をキコキコキコキコ、彼は全速力で、母親のママチャリを漕いで駆けつけてくれたのでした。
彼が着いた時には、家の周りや中を荒らした三人の男もいなくなっていて、わたしがただひとり、阿呆のようにうずくまっていただけでした。
あの時の彼の、疲弊しきった息づかいと、無事だったわたしを見た時の気の抜けた顔、そして二人で何も言わずに並んで腰掛けていた家の前の階段を、この『天国の階段』を聞くたびくっきりと思い出すのです。
あの夜、いったい何時間かかって来てくれたのか、ちゃんと聞いていません。
来てくれてありがとうと、あの後もう一度改めてちゃんとお礼を言ったかどうか、それも覚えていません。
まさか彼がこのブログを読んでくれているとは思わないけれど、もしも読んでくれているのなら……。

りゅうちゃん、あの時はほんまにありがとう。恐くて悲しくて辛くて、この世にはもうなにもええことなんかない!と絶望しかけたわたしに、そやけどオレがいるやんか、と伝えに来てくれたあなたのこと、一生忘れません。あの『天国への階段』を一緒に聞いたことも。ほんまにありがとう。
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ぶんぶく茶釜がエエじゃないか!

2010年07月30日 | ひとりごと
半年に一回のヘアカットを、担当してくれている美容師エリさんの要望に応え、三ヶ月に一回にしてみました。
今日がその、三ヶ月バージョンの初めての日。
いやぁ~、美容師さんの方から予約の日を決められる者ってのもなかなか珍しいのではないかと……。要するにモノグサということなんですが……。

で、鏡の前に座り、いざ始めようという時になって、ふたりとも鏡の中のわたしを注視。
あんま、変わってへんやん……。

そりゃそうでしょう。何年も何年も、半年に一回、いわゆるボォ~ボォ~になってから行っていたので、今日なんかめっちゃまとも?で、なにしに来たんっていう感じがしないでもない……。

足元には、彼女の新しい家族の10ヶ月のスコティッシュ・テリアの『ジジ』ちゃんがウロウロ。長いシッポをぷるんぷるん振って愛嬌を振りまいています。
シェルターからもらったというエリさん。ショーティの猫っぷりとネクラ(根暗)話でおおいに盛り上がりました。

とりあえず二ヶ月先(これをわたしは三ヶ月先と勘違いしており、ヒジョ~にびっくりした次第)のカーネギーの舞台を見据えてカットしていただきました。
なんてね……そんなたいそうなもんではなく、ただ短くチョンチョンに切っただけなのでした。また旦那がちょびっと文句言いそう……。

せっかくわたしのお気に入り三大マーケットがある町に来たので、帰りはもちろんミツワ→トレーダー・ジョーズ→コリアンマーケットとハシゴしました。
各お店でいつものように決まった物を手に入れて……、



ど真ん中にある長方形のパッケージには、旦那とわたしの大好物、コリアン風おやつが入っています。
原材料がとてもシンプル。お砂糖とか全く使ってなくて、かぼちゃとあずきと野菜と米粉だけのお餅風ケーキです。
2~3週間に一回しか買い物しないので、行くといつもこんな量になります。嗚呼しゃ~わせ!


さて、ここでやっと今日のお話の本題です。

わたしが子供の頃、おじいちゃんおばあちゃんの家には火鉢があり、そこには春夏秋冬、でっかい鉄瓶が乗っかっていました。
お湯が沸き始めると、しゅうしゅうという微かな音をたて、ほのかな湿り気が襖や畳の目に静かにしみ込んでいきました。
あのお湯の柔らかな味わいは、子供のわたしにも美味しかった。
けれどもすっかり忘れたまま大人になり、日本の文化という存在もあまりに当たり前で、毎日をただ過ごすことに精一杯。
意識の蚊帳の外に置かれていた鉄瓶がわたしの心に戻ってきたのは、旦那との生活が始まってからのことでした。

鉄瓶で沸かしたお湯を飲みたい。お茶を作りたい。できたらお汁もそれを使いたい。
けれども、やっと見つけたらとんでもなく高かったり、サイズが小さ過ぎたり、最近では内部をすっかり錆止めのコーティングが施されていたり。
これはもう、日本に行った時になんとかして見つけて、それを背中に背負って帰るしかないのかも、などと思っていました。

今日、ミツワの敷地内にある『ウツワの館』という和食器屋さんが、夏物のセールをしていたので、ちょこっと覗きに行ってみました。
買う物などなにも無かったけれど店内を一回りしていると、鉄瓶が大流行りで、いろいろな色や形の鉄瓶がたくさん展示されていました。
念のためにお店の人に、「この中で、コーティングをしていない昔ながらの鉄瓶はありますか?」と聞くと、「ああ、あの鉄瓶ですね。ごめんなさいねえ、こちらの人は、錆びたりして世話のかかる物を嫌がりますので、もうああいうのは仕入れていないんですよ」と、とても済まなさそうに言ってくれました。
「そうですねえ。わたしも日本でも探してみたんですけど、やっぱり内側がコーティングされてましたから」
「ああ、日本でもそうなんですねえ……あ!でも、あれだったら大丈夫かも!」と、とてもいいことを思いついたみたいにニコリと指差してくれた所を見ると、

茶釜がありました。
お茶室に置かれる本格的な茶釜です。
走って行って、釜の上に乗っている鉄瓶を両手で持ち上げてみました。これなら充分のお湯を沸かすことができる……と、うっとりしていると、
「ここに炭を入れて火を起こしてもらってもいいし、なにか工夫して電熱で温めるようにしてもいいんじゃないでしょうか」
いつの間にか隣にいた、さっきのお店の人が、釜の上の部分を触りながら嬉しそうに教えてくれました。
彼女も鉄瓶ファンだったのかもしれません。だって、カウンターには勘定待ちのお客さんがふたり、こちらをじぃ~っと見てましたから……。

いいなあ~これ。一目惚れです。
バーベキュー用の炭がうちにはいっぱいあるし……。
残念なことに、値段が200ドルもして、とてもじゃないけれど手が出ません。
来年の誕生日に半分だけ協力してもらおうかなあ……あとの半分はへそくりで……あ~ワクワク!

ぶんぶく茶釜がうちに来てくれるのはいつのことになるでしょうか。

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一進一退

2010年07月29日 | 家族とわたし
「ちょっとまうみ、手伝って」

ソファに寝転んでいるとばかり思っていた旦那。上半身裸になって、自分に鍼を打っていたのでした。

薄暗がりの部屋のソファに横になっている中年男。それがなかなかに中世の絵画(彫刻)的?!なんせガリガリ君なので、いろんな部分に影が……渋い……。
内緒で写真を撮ろうと、そぉ~っと椅子から立ち上がると、「撮影禁止!さらに、ブログに使うのは絶対に禁止!」……バレたか……。

けれども、鍼の打っている場所だけ限定ならと、渋々オッケーしてもらいました。



見えにくいけど、三本刺さっています。

わたしは彼の手の届かない肩甲骨の下辺りに一本打ちました。またちょっと力み過ぎたみたいだけど……わたしならきっとギャアギャア文句言ってるね。

鍼を打ってからしばらくして、「いやしかしなんだね、こうやって鍼をつけたままじっとしてるのってなかなか大変だね」と旦那が独りごちています。
そりゃあんたの患者さん達があんたに言いたいことちゃうん?
でも、わたしはその時間(15~30分の間)、鍼が経絡(簡単に言えば「気」と言うエネルギーの流れる大小の脈(道筋)を総称したもの)を刺激して、身体の内側からモワァ~ッとやってくるなんともいえない力の抜け具合が大好き!あれはほんと、癖になります。

鍼を抜いて、「あ~リラックスした~」と立ち上がり、腕をグルグル回し始めました。お、かなりいい動きです。
自分で自分を治療できるってのも、またオツなもんですね。

鍼灸師の妻リポートでした。

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バッタ君の災難

2010年07月29日 | ひとりごと
うわぁ~!!バタバタ!!ドタドタ!!
遥か彼方?から妙な音が聞こえてきた。

どどどっと階段を降りてきたのはT。
無言で玄関のドアを開け、無言で中に入ってきた。

すぐ後に、同じくどどどっと降りてきたK。
「かあさん、見た?見た?バッタ見た?」

知らんがな。わたしゃのんびりパソコンで遊んどってんから……。

我が息子、幼児の頃を農村で暮らし、毎晩薪を焼べてお風呂を沸かしてくれていたおじいさんからもらう幼虫の蒸し焼きをしょう油につけて食べていた。
畑には青虫、家の庭には蚕さん、家の壁にはタランチュラか?と思われるほどの巨大蜘蛛、天井にはムカデがウジャウジャいた。
なのに、環境というのは恐ろしい……町中に住むようになってからというもの、ほんの小さな虫でさえギャアギャア騒ぎ、「かあさ~ん!」と呼んでは部屋の隅でかたまっている。

彼らはふたりして、部屋に入ってきた(しかし、3階のいったいどこから入ってきたのか?)バッタ君に仰天し、ティッシュの空箱に閉じ込めたらしい。

どんなバッタやったんやろ?興味が出て、Kに言うと、外に出ていた彼、「あ、まだ箱の中から出てへんみたい!」と叫んだ。



閉じ込められた箱から、やれやれというふうに出てきたバッタ君。
カメラを構えながらニヤニヤしているわたしを見て、再びやれやれ……という感じ。



さすがバッタ君、ジャンプがうまい!

ここまでは良かった。会えて、写真を撮らせてもらって大いに満足したわたしが、もう一度箱の中に入ってもらって、外に逃がそうとした瞬間ピョン!
あっ!ちゃうねんちゃうねん、外に出るねん、もう逃げんでええねん!
そんなこちらの考えなんかわかるわけもないバッタ君は、そのままどこかに隠れてしまった。
ごめん……。えらい迷惑をかけてしまった。いや、迷惑で済めばいいが、このままだときっと命に関わる。
うちにはもう一匹、恐がりやけど一応猫の本能を持ってるのがいるから、彼女にはくれぐれも気をつけてや。


そんなこんなで、バッタ君のことが心に引っかかったまま新聞を読んでいると、こんな妙~な写真が目に入った。



なんだと思われますか?このブツブツッと突き刺さってるブツ……。
いなごの甘露煮、なんだそうな……。
他に、蚕のさなぎの甘露煮バージョンもあるんだって……。
ほんでもってほんでもって、いなごはサクサク、蚕はグミの食感なんだって……。
長野県は諏訪湖畔の売店で売っているらしい。

今夜はこの写真を拡大して息子達に見せてやろっと。ウヒヒヒ。


追伸です。

ついさっき、わたしの机の上に置いてある河童の絵柄のうちわの上に、突然あのバッタ君が着地しました。
チャッといういい音がして見ると、バッタ君がいて、そのすぐ右隣には家猫の頭がありまして、こりゃ急げ!とばかりにティッシュでそぉっとバッタ君を包み、たった今外の生け垣の所に逃がしてきました。
生きてくれてたバッタ君、ありがとう~!



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ガスパッチョでドン・ガバチョ!

2010年07月28日 | ひとりごと
今日も猛暑は避けられた。
少しでも涼しくなってくれただけでありがたくて仕方がなかったのに、今日は昨日よりちょっと湿気が高いね、などと早速文句をタレる贅沢者のわたし達。
朝ご飯を食べながら、今日の予定を報告し合い、晩ご飯をなににするかと思案するのがいつもの食卓。
う~んう~ん、ポテトサラダにしようか……けど、この湿気だしな……よし、ガスパッチョだぁ~!

レッスンを終え、自分の練習をしてから買い物に出かけた。
S子さんが植えてくれたプチトマトが、ジャックと豆の木みたいな勢いでどんどん伸びてきて、つかまる所が無いものだから四方八方に倒れている。
その無惨な状態を改善すべく、お気に入りの園芸店に支柱を買いに行きがてら、その店のお向かえにあるスーパーで材料の野菜の調達をすることにした。

園芸店はこのエゲツナイ猛暑でとんでもないことになっていた。
日焼けで葉っぱがアフロパーマをかけられたみたいに先っちょからチリチリ?!の、なんとも哀れな日本紅葉の大群。他の樹木や草花もかなり弱っている。
半額にするから、なんでも好きなの持ってってぇ~!ただし、保障はできないよぉ~!の看板があちこちに立てられている。かなりやけくそっぽい……。
日本紅葉はいつか植えたいと思っている夢の木だけれど、どうかなあ……うちに持って帰っても大丈夫かなあ……いや、大丈夫ではないだろう、きっと……。
それでもあきらめきれずにうろうろと見回っていると、きれいな黄色が目に飛び込んできた。


なんだかとってもしっかりと黄色い。伝わってくる気があたたかい。ほんでもって楽しい。
世話の仕方を教えてもらおうとカウンターに行くと、ユリ科の花だそうで、毎年咲くかどうかは不明。
花の中はこんな感じ。


わたしはどうも、空を向いて咲く、真っ黄っきの花が好きみたい。向日葵みたいに。


さてさて、肝心の料理を始めよう。


完熟のトマトは良しとして、赤いパプリカのおっきいこと!まあ、これがアメリカンサイズなんだけど……。
レシピは日本のを使うので、これが災いにならないことを祈るばかりなり。

庭のバジルをこれでもか~とふりかける旦那。


パセリとトーストでいただきました。


本日のビタミン、これでドン・ガバチョっといただきました!やっぱ夏はガスパッチョでんな~!
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弟を想うと

2010年07月28日 | 家族とわたし
わたしはいつも切なくなる。
誰からも可愛がられた無邪気な小さな男の子。
味噌っ歯の笑顔がめちゃくちゃ可愛らしかった。あの子の笑顔を見た誰もが「かなわんな~」と言いながら笑った。

長い間の暗い予感があった。毎晩恐ろしい争いをこっそり聞いた。だんだんと笑わなくなった。
やがて、当然の結果のように母が家を出て、それからの生活は彼の心をたくさん傷つけた。
それでも曲がることなく頑張っていると思っていたある日、彼が小さな非行をしたことを聞いた。
父は泣いていた。弟は貝のように固い殻をまとっていた。

やがて家族がバラバラになり、それぞれがそれぞれのことを考えるので精一杯になり、わたしも頑張るからあんたもあんたで頑張りや、としか思えなくなった。
彼の眉毛がスッパリと剃り落されて、なんとも恐ろしい、けれどもどこか滑稽な面構えになった。
とうとう本格的にグレるのかな……口には出さなかったけど、本当に哀しかった。
けれども彼は、そういう外見のまま、弓道部に入ったり、他にもいろいろと学校の行事に参加したりして、結局普通に高校を卒業した。
一家離散になった状態だったので、親戚の伯母の家に居候させてもらっていた。
伯母は、甥(弟の息子)を親身になって世話をしてくれた。食べ物も栄養のある良い食事を作ってくれた。

なぜだかいつもタイミングのいいわたしとは違い、弟はいつだってタイミングが悪く、お金の要る時が来てもあても無く、やりたいこと、なりたいことを諦めなければならなかった。
もともとわたしのように、なにかを真剣に学びたいという気持ちも無く、その対象になるものも無かったけれど、そんなものを持っている者の方が珍しいのだ。

事業の失敗に伴って、いろんな悪い影響が泥水のようにドッと押し寄せてきて溺れそうになるたびに、父は藁代わりに息子の名前にしがみついた。
カードの不正使用。不渡り小切手の発行。弟は全く知らない間に、成人になったと同時にブラックリスト入りをした。

それでも父と縁を切ることもなく、引っ越しというと手伝いに行き、なにかの仕入れの力仕事というと手伝いに行き、淡々と関係をつなげていた。
父が末期癌に侵され、亡くなるまでの4ヶ月間は、誰もが感心するほどの看病を続けた。

手に職をつけることも、普通に会社に勤めることも、好きだった女の子の親に会いに行くこともできないまま、それでも雇ってくれる職場で真面目にコツコツ働き、どこの場でも上に立つようになる弟。
輸入品販売の会社では、社長が偽装ブランドの摘発を受けて終わり。
麻雀屋の店長では、震災でビルが壊れて終わり。
それからずっと今に至るまで、建設関係の仕事をしている。もちろんリーダーとして。
そして終の伴侶にも巡り会えた。彼女は気持ちの優しい、人の痛みがわかる人。ただ、弟のことを実家に言えないでいる。もう随分と長い間が経つのだけれど。
弟はこんなふうに一生、紹介されないまま生きていくのだろうか。なにひとつ、彼がやったことではないのに。
口には出さないけれど、きっと傷ついているだろうと思う。彼の、普段抑えられている怒りは、だから突然、小さなことに噴火したりする。
そして『家族(結婚)』というものを、ある意味あきらめているようなところもある。
それは両親から、そして姉のわたしから、見せつけられた現実が深く関係している。

その弟も今年は50才。45を過ぎたあたりから、やっぱりこの仕事はキツいとこぼしていたが、今やかなり全身に応えるのだそうだ。
どうしているだろうか、大丈夫だろうかと心配しいしい、なのに電話もメールもしないまま、この厳しい夏の半分が過ぎてしまった。
弟に比べたらのんきに生きている自分がやけに申し訳なく思えてならない。

昨日、こんなふうにゴチャゴチャ思っていないで、スカイプしよう!とメールで誘ってみた。
すると、
『今年の暑さは普通とちゃう!息するのもシンドイ。
仕事から帰ってきたらまず、水のシャワーをしばらくかぶる!?
それをしないと全身がツって固まってメチャクチャ痛い。熱中症ですなぁ… 今は耐えるだけやね』、というメールが返ってきた。

辛そうだけど、あともう少し。でも、ちょっと恐いこと書いてあるなあ……大丈夫かなあ……などと、また心配が始まってしまう。
「アホやなあ~オネエは!」ってまた叱られるね。
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バナナ・パブリック

2010年07月27日 | ひとりごと
じゃ~ん!


台所の一角で、日夜熟成を続け、ここ数日、発酵モードに突入していたグジュグジュのバナナさん達。
部屋中バナナの匂い、というか臭いがどよよ~んと漂い、かなりヤバい状態なのでした。

なんとかせにゃ~!と、この暑い最中、オーブンを使って焼くことにいたしました。

レシピを見ると、ほとんどが2本。うちの超完熟さんは6本。しゃあない、分量3倍でいっとこか!
……で、このデカさになってしまいました

旦那流『星条旗的バナナブレッド』!……だそうです


ほんとはクルミを入れたかったけど、無かったので、手当たり次第、周りにあるもんをパラパラと混ぜちゃいました。
スライスアーモンドにパンプキンの種、それからひまわりの種とレーズン……ええんだろうか……ま、ええでしょう。
この半端ではないナッツ好き、近頃ふと考えるようになりました。
もしかしたらわたし、前世はリスやったんちゃうやろか……。
それも、うちのあの連中みたいに、性格のよろしくない、すぐにイチビル米国東海岸リス……わたしがここに暮らすのも、もしかして神のお導きなのか?

バナナブレッドは、かくも深い考察をわたしに与えてくれるのでありました。



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世界一の平均寿命

2010年07月27日 | お家狂想曲
先日、ネット新聞でこのことを読み、常々自分が思っている百才更新のことを考えた。
すると昨日、ブログの友美代子姉ちゃんの記事にもこういう言葉が載っていた。

『朝刊によれば、日本人の平均寿命が過去最高を更新したことが分かったそうだ。女性が86.44歳、男性が79.59歳。女性は25年連続世界一で、男性は世界五位とのこと。改めて凄いなあと思う。 
95歳まで生きる割合は男性8.2%、女性23.7%だそうだ。女性はナンと、100人のうち23.7人が95歳を超えることが出来るということか。これにはびっくりだ。しかし、95歳まで生きることは良いことなのか……』

平均寿命という言葉にすごく興味がわいてきた。だから調べてみることにした。
すると……、

『平均寿命は平均余命のことで、0歳児が平均してあと何年生きられるかという指標。
若い人の死亡が多いと、平均寿命は引き下げられる。寿命には、喫煙や飲酒などの生活習慣、医療体制、ストレスなど様々な要素が影響するとされる』

と書かれていた。びっくりした。わたしの抱いていたイメージと全く逆じゃないか?
わたしは全国津々浦々の、おじいさんおばあさんの数と年令を足したり割ったりして出された数字だとばかり思っていた。
だから、わたしがこの先何年生きるかは、それこそわたし個人の問題であって、今日生まれている赤ちゃん達の余命に自分を委ねたところで仕方が無いのだ。


改めて数字をしっかり心に刻みながら読んでみると、これは本当に大変なことなのかもしれないと思い始めた。
一国の在り方として考えてみても、この確率にはとても大きな意味合いがある。
自分の、そして友人知人の親も、年をとり続けている。
病に倒れた人、心を病んでいる人、惚けている人、そこそこ健康ではあるけれど幸せだとは思えない人……、
そこにはその人の数だけ人生が存在するのだけれど、誰ひとり、無邪気に、あるいは穏やかに、余生を楽観できている人はいない。

ネットでいろいろと読み歩いていると、こんなことを書いている方がおられた。多分カトリック教関連の方だと思われる。

『新聞の報ずるところでは、介護保険は在宅介護に軸足を移すという。十分余裕のある住居と人手、潤沢な資金があれば不可能ではない。
しかし現実の社会はグロード神父がその著書の中で指摘したとおりほど遠い。政府の計画は現状無視の空論でしかない。
マザー・テレサがコルカタで最初に始めた事業は「死を待つ人の家」であった。
我が国の特養の先駆である。特養に身を委ねる人々は再び自分の家に戻ることはないであろう、そこが地上の生を終える場所なのである。
にもかかわらず特養の実態はグロード神父が指摘するとおり、その場としてはあまりにも貧弱である。
特に日本の施設では肉体だけが人間のすべてという思想に支配されて、人間の真を蔑ろにしている。
地上の生を終える場とは言えないのが実態である』


少し極端に断言しておられるかもしれないけれど、わたしはこの中の『死を待つ人の家』という言葉に心が吸い寄せられた。
地上の生を終える場所。もう二度と再び自分の家に戻ることはなくとも、それを惜しむことなく、心豊かに死を迎えられる場所。
そんな空間を作り出すことが、人にはできるのだろうか。
それは決して、空調の行き届いたピカピカの床や壁に囲まれ、最新の医療設備が整った建物ではなく、贅沢な食事を出してくれるシステムでもない。
あなたがそうやって生きていてくれること、それがとても嬉しい。そのことを伝えられる人がそこにいること。
それは家族であってもなくても、知人や友人であってもなくても、誰でもいいのかもしれない。
その人の、その人なりの存在の仕方を受け入れ、生を喜んでくれる人がひとりでもいてくれれば、きっとその人の心は満たされる。

常々、有言実行のごとく、百才まで生きる!と断言しているわたし。どんなふうに百才まで生きたいのか、それにはどんな心構えと準備が必要なのか、
おまえはそれを真剣に考えなければならないと、暗に諭してもらったような気がした。

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貯金ができないわけ

2010年07月26日 | ひとりごと
昨日の夕方まで確かに猛暑だったんです。ほんとです。
なのに夕方過ぎから風がびゅ~んびゅ~ん吹き荒れたかと思うと、しゅるしゅる~っと温度計の水銀が下がり、35℃から25℃、そして夜には15℃になりました。

なんかわけわからんけど、気色ええわ~!


ずっと蒸し蒸ししてたから、あっちゃこっちゃ痒いやん。


こっちもちょっと掻いといたろ。


なんや、しつこいなあ~おばはん。



窓を開けているとまるで冷蔵室にいるみたい。この変化、ついていけません……暑いよりゃマシやけど……。
そして今は25℃、非常に快適です。練習もはかどります。


昨夜、旦那の友人Aから電話がありました。
棚を作っている最中に誤って自分の指にホッチキスを打ち込んでしまい、病院に行って手当てを受けたA。
治療の痛み止めが効いているのか、妙にハイで、そうかと思うとすごく落ち込んだりしているのを心配した旦那が、彼のお見舞いに行くことにしました。
Aはついこのあいだ結婚しました。そしてこの秋におとうさんになります。
とても長い間同棲していた女性と結婚した途端に破局を迎え、それからずっと20年近く独身を通し、その間にたくさんの女性と付き合いましたが、どうしても結婚までに至らないまま今の奥さんと出会い、きっとこの人だと確信できるなにかを感じたのでしょう、彼女の妊娠がわかってすぐに入籍し、新居となる今のアパートに引っ越しました。
ところが、彼の仕事(ガラス工芸雑誌の編集)の収入が半減する中で、新しい環境(妻がいる、赤ん坊が生まれる、父親になる)に伴う責任の重さについて考え込み過ぎて、かなり鬱々としているようです。
彼女はとても優れたセラピストで、精神障害を持つ子供達の治療に取り組んでいます。
彼女はどっしりと物事を見据えていて、考えても仕方が無いことは考えず、なるようになるからと、いい意味の適当さを持ち合わせています。
なので余計に、Aにとってはとてもいいパートナーだと、旦那とわたしは考えています。
でもその彼女も今は、高齢出産を間近にして、いろいろと不安定になっているのだと思います。
新しい物事の直前というのは、誰もが神経質になるものです。いろんな心配をしたり恐かったり。
けど、『ま、しゃあないか』『ぼちぼちいこか』『ええかげんでええやんか』の森毅流に、赤ちゃんと一緒にゆるゆると生きていってほしいと思います。


さて、旦那とはそんなふうに、自分達のこと、友人夫婦達のことなどをよく話し合うのだけど、最後にはよく、どうして自分達には貯金が出来ないのだろう……と旦那は愚痴ります。今朝もそうでした。
そしていつも、「ボクらはふたりとも、そういうの下手やし、考えてないもんなあ」と言います。
そうかなあ……。
すごく貧乏で貯金どころの話では無かった頃は、生きて次の日を迎えられさえすりゃそれだけで自分達を褒めていました。
そこまで困らなくなって、だからといって、ちょっと可愛らしい小物などを町で見かけても、そんな物を買っている場合ではないとあきらめていた期間が続き、
そうこうしているうちに大きな引っ越しがあり、旦那の失業と起業という大きな変化があり、息子達が成長して学費がどんどん嵩んでいきました。
わたしと息子達の着るものは常に誰かさんのお下がり、家具も布団も調理器具も、ほとんどがガレージセールで数ドルで手に入れました。
いろんな物を我慢しいしいやってきたけれど、ここ3年ぐらいから少しゆとりも出てきて、嗜好品などにほんのちょっぴり贅沢ができるようになりました。
例えば旦那のワイン。前は6ドルが精一杯で、それも時々だったけれど、それが9ドルになり、今ではワインを切らすことなく、値段も12ドル前後。
コーヒーも然り。一番安い大袋の豆から小袋になり、今では煎りたてのオーガニック豆をホールフーズで買っています。
わたしはわたしで、食べ物を買う時には買いたい物を買いたいだけ買う(といっても、もちろん食べられる範囲ですが)ことができるようになりました。
それに、ユニクロで新発売される下着だって、安売りの時を見計らって数枚いっぺんに買ったりもするようになりました。
外食をしたくなったら外食するし、映画を観たくなったら観に行きます。旦那の仕事着のワイシャツが必要なら買い、スタバに行きたくなったら行く。
こういう生活感が貯蓄のできない原因なんでしょうか。
いえいえ、そうではなくて、うちには突如大きな額のお金が入り用になることが多い。これが元凶なのだと思います。

・中古でもらった車の修理。これは三台ともがそうなので、運が悪い時などは毎月のように十万近くのお金が動きます。
・わたしのピアノのメンテナンス。そしてピアノ自体を買ったこと。
・大学の支払い
・歯の治療費(保険が無いので実費)
・三年に一度くらいの日本旅行(本当は毎年行きたい!)

そしてもちろん、毎月支払う家の高額なローン、税金の月割り(十万程度)、それと健康保険(これまた十万程度)などなど……。
本当は、毎年払う我々の所得税のために、少なくとも月8万円程度はよけておかなければならないのに、それさえもできていません。
うちの財布を握っているのも、一番の稼ぎ頭なのも旦那です。なので、わたしとしては、協力者の立場をとりたいのだけど、そこがどうもうまくいきません。
もう20年も一緒に暮らしているのに……。

やっぱり甘ちゃんなのかなあ……。
人生明るく楽しく、ほんでもってチャッチャと貯蓄!
って……そんなのやっぱ無理だよなあ……。
 
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妖怪つるつるオババの秘密

2010年07月25日 | ひとりごと
わたしの母は、今年の11月で御年76歳。めでたく喜寿を迎える。
そして彼女は、なにを隠そう、『妖怪つるつるオババ』なのである。
さらに彼女は、永久歯32本すべて、虫歯無しの本物の歯を持っている。

わたしは密かに、彼女は頑強に自分を守るべく工夫をし、わたしと弟にカルシウムやタンパク質を与えなかったのではないかと疑っていた。

今年の晩春に日本に行き、久しぶりに母に逢い、そのツルツルっぷりにまた感動したりちょっぴり嫉妬したり。
けれども、連れていってもらった下呂温泉の、並んで眠ったベッドの上で、わたしはある事実を目撃した。

下呂の素晴らしい温泉を満喫し、美味しい料理を楽しくいただいて、大きな部屋でみんな一緒にゆったりと眠った日の翌朝、母とわたしだけはベッドに寝ていて、わたしがうとうとと眠りから覚めた時のことだった。
ふと横を見ると、母は目を閉じているものの、腕が一定の方向にゆっくりと、それも何度も何度も同じ動きをくり返していた。
いったいなにをやってるのだろうと、寝ぼけ眼で見ていると、どうやら首の辺りを軽く撫でているようだ。
けれどもその回数が半端ではない。およそ20分ぐらいの間、その動作はゆっくりゆっくり続いた。
首の周辺が終わると、今度は顔。頬の辺りに手のひらを置いて、またゆっくりと動かす。鼻の下にも指先を置いて撫でる。
いったいいつまでやってるんだろう……と思いながら、ぼんやりとその様子を見ていた。
その間には、足首をグルグルと回したりもして、なかなか手が込んでいるのだった。

つい最近、スカイプをしている時に、ふとその時のことを思い出して聞いてみた。
「あれ、いったいなにやってたん?」
「あ、見てたん。あれはな、リンパのマッサージ。寝起きにパッと起きるより、ああやってリンパをマッサージして、足首とかも動かしてから起きると、身体が楽やってことに気がついてやってるねん。もう十年以上続けてるよ」
「それってもしかして、妖怪つるつるオババのモトかもな。だって、その年でそんなつるつるの肌してる人おらへんもん」
「そうかなあ……(まんざらでもない、ちょっと嬉しそうな声)」
「絶対そうやわ!わたしもやってみよっかな~」
「続けな意味ないと思うよ。あ、それと、起きたら即、顔をちゃんと洗て、化粧水と乳液だけはつける。これはリンパのマッサージよりもっと前からずっと続けてるねんけど、これもええと思うわ。あんたには前から言うてるけど、ちゃんとやってへんやろ?」……図星です……。

そっか……彼女のツルツルは、彼女の日々のコツコツが生み出したもんやったんや。疑ったりしてかんにんやで!
よっし……妖怪つるつるオババの娘としては、ここはひとつ根気良くやってみようかと決心した。

「わたしはな、60過ぎから始めてんで。あんたはまだ50過ぎやろ?わたしより10年早よから始められるんやから、そらもうきれいになれるんちゃう?」

なんというポジティブな励ましのお言葉!
どうでしょ?わたしと一緒に、みなさんも『妖怪つるつるオババ』になりませんか?
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