ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

アメリカ原子力合衆国 [The Atomic States of America]

2012年01月31日 | 日本とわたし
浅井健治@週刊MDS編集部です。

米国ユタ州パークシティで開催中の、サンダンス映画祭(米国最大のインディペンデントシネマ映画祭)で、
ニューヨーク州ロングアイランドの、シャーリーという小さな町のガン異常発生をはじめとして、
米国の原子力施設周辺で起きている、深刻な健康被害を追ったドキュメンタリー映画『The Atomic States of America(アメリカ原子力合衆国)』が初公開されています。
 
シャーリーの町の北に、ブルックヘブン国立研究所という政府施設があり、
そこの3基の原子炉からの低線量の放射能漏れが原因で、22人の子どもが「横紋筋肉腫」ガンを発病したそうです。
このガンは、ふつう400万人に1人しかかからない珍しい病気。
ところが、シャーリーでは、1つの街区に2人の割合で発生したといいます。
住んでいる世帯のすべてに、ガンその他の病人がいるという通り(「死刑囚監房」とあだ名が付いているらしい)も登場。
鎌仲ひとみ監督の『ヒバクシャ』に出てくる、ワシントン州ハンフォードの「死の1マイル」と同じです。
 
映画はこれを導入部に、オバマ大統領が2010年一般教書演説でぶち上げた「原子力ルネッサンス」宣言や米国で32年ぶりの新規原発建設の動き、
ニューヨーク州やバーモント州の原発閉鎖をめぐる自治体・住民と原発推進勢力との対立などを織り込んでいきます。
制作のさなかに起きたフクシマ事故にも言及されているようです。

独立メディア「デモクラシー・ナウ!」が、制作者のシーナ・ジョイスと映画の原案となった『ようこそシャーリーへ:原子力の町の思い出』の著者ケリー・マクマスターズにインタビューしています。

日本での公開が待たれます』




先日、オバマ大統領からメールが届いた。
というても、ホワイト・ハウスのホームページに、大統領とメールで直接対話がしたい人はどうぞ、という設定を希望したからやねんけど。

「Good afternoon」から始まったそのメールには、こないだの演説のことなんかがちょっと書かれてあって、
その後、エネルギー政策について言いたい事があったら聞くから、と書いてあった。
あるであるで!ありまくりやで!

ということで、『原子力ルネッサンス』やら、ビル・ゲイツ氏の途方もなくアホな原発開発計画が、どれほど無意味で害を及ぼすことか、
それを、今の日本の状況も含めて説明しながら、簡潔かつ冷静に訴えたい(欲張り過ぎか?)と、ただ今悪戦苦闘中。

オバマ氏がノーベル平和賞を嬉しそうに掲げてる写真を見て、ああ、これでやっとアメリカも核からの脱却が実現するんやなあ……と胸を熱くした。
それがいかに能天気で甘い考えやったかを、この4年間で思い知らされた。
特に、去年の原発事故の後のアメリカの動向を見て、ここの原発村こそが、本物の悪でアホやったんやと、ほとんど絶望に近い思いになった。

けども、ここにも、そんなただモンではない悪党と、長年に渡り闘うてる人達がいることも知った。
何回も何回も、とことん踏みにじられて、それでも絶望せんと、必死にがんばり続けてる人達。
世間から変人扱いされても、分かってもらえんかっても、その世間の人達のためにもと、自分の時間をつぶして闘うてはる。
もしかしたら、自分らが生きてる間には叶わんことかもしれん。
叶わんまま亡くなっていった人も少なくない。
けれども、その意思と精神は、着実に受け継がれていってる。
そうでないと、とっくの昔に地球は終わってる。

ああしんど。
時々ほんまにそう思う。
狡賢さにかけては天下一品の人間が束になってかかってくるんやもん。
しかもその連中には金も地位も力もある。
どんだけかかるんやろ。
どないしたらまともな世界になるんやろ。

続けるしかないと思う。
あきらめんと、とにかく続ける。
しんどいなあ。でもがんばろな。

反対派であれ、賛成派であれ、もはや内輪で気勢を上げて済ませてる場合ちゃうで!東京都民さん!

2012年01月30日 | 日本とわたし
東京都にお住まいのみなさん、あと10日しかありません。
下の東京新聞の社説にも書かれてあるように、
命や暮らしを左右しかねない原発政策を、今こそ、今やからこそ、
わたしらの命や暮らしを守るために、日本の国自体を守るために、
今までの不条理に断固として抗議するために、
東電の大株主の町で住んでる市民として署名してください!お願いします!

みんなで決めよう!「原発」都民投票

ここ↑をクリックしてください。
詳しい情報が載っています。
現在157,530筆 前日比:+10,125
法定署名数:(現時点では)214,236筆
ということは、56,706筆足りないということです。
これは、大阪で1ヵ月かけて集められた署名数に近いっていうことですよね。
どうかお願いします。
誰かがやってくれるやろうっていうのはもうあかんと思います。
誰かにやらせてたから、こんなことになってしもたんです。
そやからお願いします。
一歩でええから踏み出してください。
みなさんの名前を用紙に書いてください。


原発住民投票 意思表示へ扉を開こう1月30日東京新聞の社説
 
原発の是非を問う住民投票を実現させようという、東京と大阪での運動に注目したい。
命や暮らしを左右しかねない原発政策が、住民不在のまま進められてきた。
そんな不条理への抗議行動でもある。

原発を動かすのか、止めるのか。
自分たちで決めようと呼び掛けているのは、市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」。
東京都と大阪市で、住民投票のルールとなる条例づくりを、それぞれの首長に求めようと活動している

福島第一原発の事故がもたらした放射能汚染は、原発が立ち並ぶ福島県をはるかに越えて広がった。
関東一円の住民は、生活環境の除染や、食品や水の安全確認に、生涯にわたり追われる羽目になった。

一方で、事故原因の究明も、健康への影響の見極めも、損害賠償もままならないのに、国は収束を宣言した。
定期検査で止まった原発の再稼働や、原発プラントの海外輸出に、血道を上げているようだ。

こんな矛盾に直面しても、原発政策の決定は、国と電力会社、立地先の自治体のみに委ねられている。
普通の住民にとって、意思表示の場は用意されていない。

東京都が東京電力の、大阪市が関西電力の大株主であることを踏まえ、まずこの電気の二大消費地で住民投票を試みる意義は大きい。
電気の消費者として、“間接的な株主”として、住民には一票を投じる資格がある
だろう。

条例づくりの直接請求には、有権者の2%の署名が要る。
大阪では、1ヵ月の署名期間に、それを大幅に上回る6万1千余りを集め、市選挙管理委員会が審査している。

脱原発依存を掲げて市長選に勝った橋下徹市長は、民意はとうに示されたとして、住民投票には後ろ向きだ。
しかし、住民投票の結果は、市長が交代しても消えない。
その重みを忘れてはいけない。

片や、東京での署名集めがはかどらないのは気掛かりだ。
首長選があり、ずれ込んだ4市村を除き、2ヵ月の署名期間は2月9日に締め切られる。
それなのに、必要な21万4千余りのようやく7割ほどに届いたばかり
だ。

意に沿わない結末を予想して、おじけづく心情も分かる。
だが、こんな機会に一歩前へ踏み出さないと、またぞろ原発政策の傍観者でしかいられなくなると思う。

史上最悪レベルの事故が起きたのだ。
反対派であれ、賛成派であれ、もはや内輪で気勢を上げて済ませている場合ではない。
未来の世代のためにも声を上げたい。

おもろそうやん!餃子の王将!

2012年01月29日 | 日本とわたし
「餃子の王将」で発電?そのメカニズムとは (2012年1月30日07時37分 読売新聞)



「餃子の王将」で知られる王将フードサービスは、換気扇から吹き出す強烈な風や熱など中華料理店の特徴を生かした「発電店舗」を今年から展開する。

節電効果は未知数だが、電力不足をアイデアで乗り切り、経費削減も狙う一石二鳥の取り組みにしたい考えだ。

油料理用の鍋やギョーザを焼く鉄板など、高熱を発する調理具が多いことから、排気用のフードに熱を電気に変えるパネルを張り付ける。
換気扇の吹き出し口や敷地内に、小型の風力発電機を置くことも検討する。
井戸水を使う約10店には、貯水タンク内に小型発電機を取り付け、タンク上部から落ちる大量の水で発電機に付いた羽根を回す。

いずれも蓄電池に電気をためておき、必要に応じて使うことを想定している。

王将はテコの原理を応用し、客がドアの前の踏み台に乗ると重みでドアが開閉する「節電ドア」を全国4店に設置している。
節電ドアの上部にも、小型の発電機を取り付けて開閉時に発電する。
この電力は、ドアを通った時にメロディーを流すなど話題作りに生かす』



やるなあ「餃子の王将」!
このお店にはほんまにお世話になりましてん。
大津の、競艇場の近くに住んどった時、外食いうても、ひとり400円以上は使たらあかんていう決まりがあって、
そんなん、マクドでさえも難しかったのに、この大津のお店では、みんな笑顔で食べられましてん。
なんでかって?
なんやしらん、その当時、お店の近所の家々の郵便受けに、時々クーポン券の冊子が配られてて、
そこに、餃子一人前無料券やら、焼き飯セットの割引券やら、もうほんま、神さんみたいなお店やったんです。
いつもみたいに「ひとり◯個までやでっ!」って厳しい言われんと、餃子をパクパク頬張る息子らの幸せそうな顔いうたら……。

自家発電アイディア、うまくいくこと祈ってます。
ほんで、こんなこともできるでっていう、ええ見本を見せてください。
なんやおかげで、節電やら脱原発が、おもろいやん!て思えてきました。

ありがとう「餃子の王将」! 

『福島の子どもたちからの手紙』

2012年01月29日 | 日本とわたし
朝日新聞記事より。

長年住み慣れた福島を放射能でズタズタにされた子供たちの気持ちを絵と文章で綴った単行本が2月7日、出版される。
タイトルは『福島の子どもたちからの手紙』(朝日新聞出版)。
やむなく福島を離れた児童、残らざるを得なかった児童57人の心の叫びだ。




おしえて下さい
僕たちはどうなりますか?
いくつまで生きられますか?
福島県に住めますか?


山の木 川の魚 海の魚 森の生き物 私の夢
かえして下さい


しんだひとをすくいたいです
ひなんしているひとをすくいたいです




そしてこれは、中村隆市さんのブログ『風の便り』に掲載されていた、福島県の中学・高校生からのメッセージです。

福島県の中学生、高校生からのメッセージ

【2011年10月頃に書かれたメッセージ】

中学生からのメッセージ

★「私は中学3年の女子です」
いまは、原発事故の影響で、鹿島中学校にバスで通っています。
今までは、登校に歩いて3分だったのに、今はバスで20分以上かかっています。
友だちも避難したので、離ればなれになってしまいました。

ほかの中学校は、もうすぐ自分たちの学校に戻れるそうですが、私の中学校は線量が高いため、戻れる日は未定のままです。
11月には、仮設校舎に入ることが、決まりました。
また、クラス替えをすることになってしまいました。

原発事故の影響で、私たちの生活は、とても変わってしまい、将来への、不安も、たくさんあります。

「 結婚できるのか?」「子どもは、健康に生まれてくるのか?」……ということが、とても、心配です。

このようなことが、また起きないように、全国の原発を無くしてほしいです。


★「僕は中学3年の男子です」
この原発事故で多くの友だちと、バラバラになってしまいました。
その中には、亡くなってしまった人もいます。

いまは、少し離れた学校に、バスで通っています。
前より1時間早く、登校することになってしまいました。
僕が勉強している所は体育館です。

パネル一枚で、教室をはさんでいるので、隣の教室の声が聞こえて、集中して授業を受けられません。
体育の授業は前より減りました。

部活動も(サッカー部)週に1回、決められた時間に、体育館でしか、やることができません。
休みの日も外で遊ぶことが、できなくなりました。

大変、迷惑をしているので、原発と、決別してください。

僕が、心配なのは、将来についてです。
県外で、就職できるのか?
県外の人と結婚はできるのか?
結婚して、子どもができたとしても、障がいがないのか?

その他、たくさんの悩みがありますが、僕が一番心配なのは、自分の命についてです。
いつ、ガンが発症するか、わからない恐怖です。

次の「地震」が来る前に、原発を無くしてください。


★「僕は、南相馬市に住んでいる中学生です」
僕の身の回りは、原発事故を境に大きく変わりました。
市内は線量が高いので、外出することに気が引けたり、普段通っていた中学校に通うことができないため、
隣町の小学校の体育館を借りて授業を受けることになったり……ほかにも、不便なことは、たくさんあります。

原発は、多大なエネルギーを生み出しますが、それ以上に大きな被害をもたらすので、
他の原発が被害に遭う前に、即刻全国の原発を停止させてください。
こんな目に遭うのは、福島県だけで充分です。


高校生からのメッセージから抜粋

★だいたい、関東地方で使う電気を、なんで、福島でつくらないと、いけないんでしょう?
都心につくって、事故が起きたら、大惨事になるからですか? 
そんなの、福島だって、同じなんですよ。

原発事故の対応だって、後手後手だし、どうせ、福島なんか、どうでもいいとか、国の、偉い人たちは思っているんでしょう?

福島を馬鹿にして、差別するような人は、みんな、死ねばいいと、思うくらい、憎いです。
原発を、廃止した方がいいと、分かっていますが、
日本が、持っている「原発」が、全部、事故を起こして、みんな、福島と「同じような状態」を味わえば、いいんですよ。

そうしたら、みんな「原発反対!」と、心から思えるようになるんじゃないですかね?
私は、他の人のように、「原発事故で、苦しむ思いをするのは、福島県だけでいい」なんて、思いません。
私は、「福島と、同じ思いをしろ!」と、言いたいですね。

今、福島原発が、ホットな話題とされているうちに、原発を叩きつぶしておかないと、あとで、面倒なことになると思います。
みんなで、まとまって、「 国 」に言えば、何とかなると……。
「みんな、苦しめばいい」と、書きましたが、なんだかんだ言って、原発が、なくなってほしいと、願っています。


★原発事故は、とても、怖いです。
安心・安全なものと、言っていたのに、半径20km圏内には、今も入ることができません。
それによって、県内外に、多くの人が避難し、不自由な生活を送らせられています。
私の、友だちも、バラバラになってしまいました。
すごく、寂しいです。
みんなに、会いたいです。
なんで、こんなことに、なってしまったのだろう……。

原発事故さえなければ、友だちと、離れることもなく、自分たちの学校に通い、こんなに、不自由な生活をすることは、なかったはずです。
そして、「 直ちに、人体への影響はないと」と言っても、将来、症状が、現れてくるかもしれません。

自分だけでなく、もし、「こども」を産んだ時、その「こども」にも、影響してしまったら、この事故を許せるはずが、ありません。
もう、こんな、原発事故を、2度と起こさないためにも、日本から、原発を、なくすべきです。
同じ思いをする人を、決してつくってはいけないのです。

だから、私は、この原発事故を、教訓にして、より良い日本に、変わっていくことを、望みます。


★原発のせいで、めっちゃ困ってるんです。
中学校の時、仲良しだった友だちは、遠くへ、行っちゃうし、本来、行くべき高校にも、行けずに、仮設校舎で 勉強している人だっているし……。
自分の家に、帰れない人だって……なのに、なんで、他県へ行くと、「のけ者扱い」されなきゃいけないの!!
こっちは、こっちなりに、いろいろ、がんばっているのに……。

あなた達の、「電力」を、つくるために、福島県に、原発つくったんだろ!って……。
同じ立場になってみないと、わかんないのかな……? 
それに、私たちの、将来は、どうなっちゃうんだろう?

なんで、原発なんかに、怯えなきゃいけないのか、わかんない!
だって、私たち、何も悪いことしてないのに!
なんで、こんなに、振り回されなきゃいけないんだよ!

これから、「生まれてくる子どもたち」のためにも、もちろん、
「今、生きている人たち」のためにも、原発は、いらないと、私は、思う。


不確かな事をいかにも確かに、しかも大切なことをすっぽかして伝える癖がついてしまったか?

2012年01月29日 | 日本とわたし
つい先日、首都圏の地震活動が3.11後に変化し、その結果、この4年のうちにM7程度の地震が起こる可能性が70%になった、という報道がありました。
M7という数字もさることながら、たった4年の間という短い時間の限定に、心配指数がグンと上がった人も多いと思います。
あれから頭の中にはずっとこの数字だけがこびりついていて、二日前の山梨方面で連発した地震には、本当に肝を冷やされた方も多かったのではないでしょうか。

わたしはその数字を旦那に、大騒ぎで言いました。
すると、「そういう数字はみんな同じようなもん。別にセンセーショナルに考えんでええねん」と嗜められてしまいました。
あんなおっきな地震が起こったのだから、しばらくはまだ頻繁に起こるだろうし、日本はもともと地震の国ではなかったのか。

それはそうやけど……ともやもやしていると……こんな記事が↓。

3月11日以降の首都圏の地震活動の変化について

2011年東北地方太平洋沖地震による首都圏の地震活動の変化について

以下の酒井准教授ほかによる試算は、2011年9月の地震研究所談話会で発表されたもので、その際にも報道には取り上げられました。
それ以降、新しい現象が起きたり、新しい計算を行ったわけではありません。

上記の発表以外に、専門家のレビューを受けていません。
また、示された数字は、非常に大きな誤差を含んでいることに留意してください。

試算が示した東北地方太平洋沖地震の誘発地震活動と、首都直下地震を含む定常的な地震活動との関連性は、よくわかっていません。
当初から明言している通り、このサイトは個々の研究者の研究成果・解析結果を掲載したものです。
このサイトに掲載されたからといって、地震研究所の見解となるわけではまったくありません。

※報道関係の方へ:
関連する内容を報道される場合は、個々人の取れる地震対策にも触れてください。
地震防災・減災対策についてはこちら

■研究内容と図の作成:酒井慎一准教授・構成:大木聖子

はじめに

2012年1月23日、読売新聞朝刊の報道には、次の四点の誤りや記述不足があります
ここではそれらを訂正・追記しながら、試算に用いられた解析手法とその結果について解説します。
なお、以下では、東北地方太平洋沖地震を東北地震と略記します。

平田直教授による「マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度が10分の1になる、という地震学の経験則を活用し、今後起こりうるM7の発生確率を計算した」という説明は誤り。
正しくは「地震調査委員会の『余震の確率評価手法』を、東北地震による首都圏の誘発地震活動に適用し、今後誘発されて起こりうるM7の発生確率を計算した」。

前記の誤りにより、結果的に、島崎邦彦・予知連会長による「試算の数値は、今の時点での『最大瞬間風速』」というコメントも、適切な表現になっていない。
試算の対象である東北地震の誘発地震活動と、いわゆる首都直下地震を含む定常的な地震活動との関連性は、よくわかっていないので、
後半の平田教授のコメントのように、両者を単純に比較することは適切でない。
試算結果の数値に、大きな誤差やばらつきが含まれている点について、記述がない。


用いられた解析手法

大きな地震はめったに起きませんが、小さい地震はたくさん経験されたことがあると思います。
地震の頻度というのは、マグニチュード(M)が小さいほどたくさん起こり、大きくなるほど少ない、という経験則があり、
それが『グーテンベルク・リヒターの式』と呼ばれる関係式で表現されています。
たとえば日本では、おおよそ、
M3の地震は年に10,000回(1時間に1回)、
M4の地震は年に1,000回(1日に3回)、
M5は年に100回(3日に1回)、
M6は年に10回(1ヶ月に1回)程度、
となることが知られています.

一方、大きな地震が起こると、余震がたくさんが発生しますが、余震の数は大きな地震(本震)から時間が経過するのに伴って減って行きます。
これを数式で表現したものが『改良大森公式』と呼ばれる公式です。
地震調査委員会は、これらグーテンベルグ・リヒターの式と、改良大森公式を組み合わせて、『余震の確率評価手法』を作りました。

この手法の適用範囲は、「狭義の余震」(本震の震源域およびその近傍で起こる余震)と明記されています、
酒井准教授らは、東北地震による首都圏の誘発地震活動も、広い意味では余震であるので、
この手法が適用可能であると考えて、M7の誘発地震が将来起こる確率を、2011年9月に計算しました。


3月11日前後での首都圏の地震活動

下の左図は、3月11日までの半年間(2010年9月11日~2011年3月10日)、右図は、3月11日以降の半年間(2011年3月11日~2011年9月10日)の、M3以上の地震の分布をあらわしています(気象庁一元化震源を使用)。
3月11日の地震の前後で、地震の数は、47個から343個に増加しています。

 
2010年9月11日~2011年3月10日のM3以上の地震の分布(左)と、2011年3月11日~2011年9月11日の地震の分布(右)。47個から343個に増えている。

この3月11日以降の地震活動には、3月10日以前からの定常的な地震活動と、東北地震による誘発地震活動の両方が含まれていますが、
後者の方が圧倒的に数が多いので、すべてが誘発地震活動である、として解析されました。
まず、グーテンベルグ・リヒターの式のパラメータb値や、改良大森公式のパラメータp値を推定します。
推定されたパラメータを、『余震の確率評価手法』の中の算出式に代入して、M7程度(具体的にはM6.7-M7.2)の誘発地震が、今後30年間に発生する確率を計算すると、98%となりました。
まったく同じ算出方法で、期間4年間として計算すると、確率が70%となりました。


試算結果に含まれる誤差

以上の試算結果には、次のような誤差が含まれます。

[1]「狭義の余震」のための『余震の確率評価手法』を、誘発地震活動に適用したことによる誤差
[2] パラメータb値やp値を推定する際に、発生する誤差


[1]の誤差については不明ですが、予測手法に明記されている適用範囲を越えて用いているので、かなり大きいことが予想されます。
また,[2]の誤差も、以下に示すように、かなり大きいものです。

上に示した、2011年9月での試算では、b値は0.67と推定されましたが、その後の2011年12月までのデータを含めると、b値は0.78と大きく変化しました。
同じように、p値の推定値も、大きくなってしまいました。
『余震の確率評価手法』には、改良大森公式が組み込まれているので、起算日を変えなければ発生確率は変化しないはずですが、
こうしたパラメータ推定値の変化により、30年確率の試算結果は、98%から83%に変わってしまいました。

つまり、[2]の誤差の試算結果への影響だけでもこれほど大きいのですから、両方の誤差を加え合わせた影響は、非常に大きいものと考えざるを得ず、
30年で98%や4年で70%、といった数字そのものには、あまり意味がないと考えてください。
ただし、首都直下地震が起こるということや、それが切迫しているということは、以前から政府をはじめ多くの研究者が指摘しているとおりです。
今がその時と思って、備えてください。



政府公表の『今後30年で70%』とは異なる数値になる理由

読売新聞記事にも書かれているように、文部科学省の地震調査研究推進本部は、
南関東のM7程度の地震(いわゆる首都直下地震)の発生確率を、「今後30年で70%程度」と発表してきました。
本研究の試算「今後30年間で98%(あるいは、今後4年で70%)」は、政府発表の値とは異なるものとなっています。
この相違の理由は、見ているもの(評価や試算の対象)の違いである、と言えます。

政府の試算では、過去150年間に起きたM6.7-7.2の地震を数えて、その頻度から確率を求めています(参考: 地震調査研究推進本部の該当ページ (PDF))。
つまり、東北地震による誘発地震活動が始まる前の、定常的な地震活動の中から、首都直下地震に相当する地震を選び出して、発生確率を計算しています。
一方、本研究では、首都圏で起こる、東北地震の誘発地震活動が試算の対象です。

ところが、東北地震の誘発地震活動と、定常的な地震活動との間の関連性は、まだよくわかっていません。
したがって、両者の数字を、単純に比較することは適切でない、と考えられます。


どういう対策をとればいいの?

日本であれば、首都圏に限らずどこであっても、M7程度の地震が起きることが考えられます。
日本の国土は、地震によって作られてきました。
日本で暮らす限り、M7程度の地震に備えることは最低条件ですし、逆に、それを繰り返し乗り越えてきたから、今の私たちがあるのです。

日本は、M7程度の地震への対策が技術的に可能な、世界でも数少ない国です。
地震が起きる前、そして起きた瞬間にどうすればいいか、以下をご参考にしてください。

地震が起きたら、まず身の安全。
「落ちてこない」「倒れてこない」「移動してこない」場所に身を寄せましょう。

揺れがおさまったら、落ち着いて火の元を確認してください。
揺れている最中に、無理に消そうとする必要はありません。

ガラスが割れているかもしれません。あわてて行動しないように注意してください。

寝室には、スリッパやスニーカーなどを置いておいてください。

窓や戸を開けて,出口を確保してください。

門やブロック塀には近寄らないこと。倒れてくる恐れがあります。

家具類の転倒や落下防止をしておきましょう。これは自己責任です。

家の強度を確認しましょう。
1981年6月1日以前に着工した建物は、古い耐震基準で建てられています。すみやかに耐震診断をうけてください。
多くの自治体が補助をしてくれます。
(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください)

診断の結果、補強の必要があれば、耐震補強をしてください。
多くの自治体が補助をしてくれます。(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください)

地震が起きれば通信機器は使えなくなります。家族とどう連絡を取るか、ではなく、連絡が取れなくなったときはどうするか、を話し合っておきましょう。

地震は昼間に起きると思っていませんか? 夜間に発生することだって当然あるのです。懐中電灯や履物の用意を再度ご確認ください。

首都直下地震のような直下型の地震の場合は、家屋の倒壊や家具の転倒による死者が8割を占める、と言われています。
実際、阪神・淡路大震災の時はそうでした。
逆に言うと、耐震補強をして家具を留めれば、8割も被害を軽減できるのです。(学校の耐震化は急務です)

家屋が倒壊しなければ、火災も発生しにくくなります。
ブロック塀が倒れなければ、消火活動もスムーズになります。
被害はさらに軽減できるでしょう。
M7程度の地震から被害を最小限にとどめることは、ひとりひとりの心がけで可能なのです。

今がその時と思って、対策をとってください。


参考サイト:

東京消防庁 「地震その時 10のポイント 保存版」
東京消防庁 「地震に対する10の備え」

なので今夜はひとり。うひひ♪

2012年01月28日 | ひとりごと
昨日の地震、大変でしたね。
実際に揺れに遭ったみなさん、恐かったですね。
あまりに重なったので、夜中になっても心配で、なかなか寝付けませんでした。
とにかく、日本が無事に一日を終えますようにと、毎晩祈らざるを得ません。

さて、昨日一日、北風がびゅんびゅん吹いて、おかげで今朝は晴れ

気温は5~6℃。

それでも晴れたらやっぱり登場するのがこのお方!


こうやってしばらくの間、同じポーズをとっていてくれる、辛抱強い仔です。
冬の間は、窓ガラスにビニールシートを貼っているので、写真がボケボケ。
ちょいと残念……。

ほんじゃ~ちょっと、オレッチの自慢の尻尾も披露しちゃるけん。


このカエデの老木は、もともと4本だった幹がくっついたもので、このリス君達のお気に入り舞台はその中の一本をブッツンと切り取った所です。
うちの家のケーブルがしっかりと取り付けられております。すまん!



今日は、旦那が泊まりがけでスキーに行きました。
友人宅で一泊させてもらい、そこの皆と一緒に、うちから三時間ほど車で北上した所の山で久々のスキーです。
旦那の実家はペンシルバニアで、冬場は近所にある凍った池で滑りまくってたそうです。
なので滑りモンは得意。
わたしはとにかく、足元がツルッとすることがどうしても許せない。
恐い、というより許せない……これではあかんに決まってます。
スケート場に行けば転倒し、しばらく白目をむいてたこともありました。
スキー場では当然のように放っとかれ、初心者用のかったるい山を、それでも恐々降りていたら、
小さな娘さんを連れた男性がにわかコーチになってくれて、親切に教えてもらって感激してると、リフトの上から見つけた旦那にブツブツ文句言われたことも。
文句言うんやったらあんたが教えてぇな!ったく……。

と、元々そんなんやのに、そこに加えて腰痛……。
昨日今日と、旦那に鍼を打ってもらい、かなり楽にはなりましたが、往復6時間のドライブとへっぴり腰のスキー……あかんやろそれは……。
息子達もいつものごとく、トーナメントに出るためにニューヨークへ。

なので今夜はひとり。うひひ。 

「繁栄と発展と進化のバケモノ『原子力』の恐怖からの脱却こそが新しい日本への第一歩」 by 渡辺謙

2012年01月28日 | 日本とわたし
東京新聞ウェブに掲載された、渡辺謙氏による、ダボス会議でのスピーチ全文です。

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える

東京新聞 2012年1月26日

『スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、
各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。
渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

スピーチ全文は次の通り』

渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。
皆さんからの力を私たちの勇気に変えて、前に進んで行こうと思っています。

私は、さまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。
さらには、近代の軍人や一般の町人たちも。
その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。
役を作るために、日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。
ただ、時には、インカ帝国の最後の皇帝アタワルパ、と言う役もありましたが…。

その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。
そう、映画「ラストサムライ」の時代です。
260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。
そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は、圧政や貧困に苦しみ生きていた。
私は教科書でそう教わりました。

しかし、当時日本を訪れた、外国の宣教師たちが書いた文章には、こう書いてあります。
人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。
しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。
世界中で、こんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

それから、日本にはさまざまなことが起こりました。
長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から、新しい日本を築く時代に移りました。

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。
まだ蒸気機関車が走り、学校の後は、山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。
しかし、私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。
携帯電話、インターネット、本当に、子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは、飽和状態になって来ました。
文明は、僕たちの想像をも超えてしまったのです。
そして映画は、飛び出すようにもなってしまったのです。

そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。
それまで美しく、多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。
電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。
そこに何が残っていたか。
何も持たない人間でした。
しかし、人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それは、どんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは、私たちが持っていた、「絆」という文化だったのです。

「絆」

漢字では、半分の糸と書きます。
半分の糸が、どこかの誰かとつながっている、という意味です。
困っている人がいれば助ける。
おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。
そこには、それまでの歴史や、国境すら存在しませんでした。
多くの外国から、支援者がやって来てくれました。
絆は、世界ともつながっていたのです。
人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

いま日本は、少しずつ、震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。
私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
しかし、度を超えた成長は、無理を呼びます。
日本には、「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っている、と言う意味です。
人間が一人生きて行く為の物質は、そんなに多くないはずです。
こんなに電気に頼らなくても、人間は生きて行けるはずです。
「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、
再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

私たちは、もっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。
がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたい、と切に願っているのです。
今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは、大きな痛みと勇気が必要です。
しかし、今やらなければ、未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そしてこの「絆」を、世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。




『国は栄えて行くべきだ!経済や文明は発展していくべきだ!人は進化して行くべきだ!』

この呪文に縛られている国の代表がここアメリカ。
そうでないと幸せにはなれんやろ?みたいな風潮すら存在してる。
けど、この呪文がいかに人間を狂わせるか、その現実を今、わたし達はいろんな姿で目の当たりにしてる。

法律が知らんうちに変えられてたり増えてたり、援助や言うて金儲けたり、改革や言うて詐欺やったり、
大丈夫や言うて全然大丈夫やなかったり、影響無い言うてめちゃくちゃ影響あったり、

繁栄と発展と進化。
そんなことばっかり考えて生きてるうちに、数えきれへんほどの、けったいで正しくないもんが世界には氾濫してしもた。
その中でも一、二を争うてるのが原子力。
人間が最後までコントロールできひんもん。謙さんはそう言わはった。
そんなもんでお湯沸かしてたやなんて、ほんま、なんぼほどアホやったんやろ?
もうやめよ、な、やめとこうな。

「足るを知る(自分に必要な物を知っている)」

わたしらの心の遺伝子には、こんなすてきな言葉が組み込まれてる。
自然に寄り添い、時にはそのことで傷つけられても、それでもまた立ち上がって、
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本人の姿。
痛みを堪え、辛さを堪え、支え合いながら立ち上がり、新しい幸福を目指す日本人の底力。

今がその時やねん。いきなりでびっくりしたけど、その時が来てしもてん。
そやからがんばろな。がんばってる日本を世界に見てもらおな。

『東京都は、東電の企業向け電気料金値上げに待ったをかけた』え?企業向けだけ?一般家庭のんは?

2012年01月27日 | 日本とわたし
美代子さんブログの今日の記事から少し、抜粋して転載させていただきました。
東電が胸を張って、「事業主としては当たり前のこと」などと言うて、電気料金の値上げ宣言をしたことに対して、
東京都から待ったがかかった、というニュースです。
ただし、待ったがかかったのは、企業向け電気料金で、一般家庭向きは入っていません。(ここにめちゃムッとしてしまうわたしですが……)

『東京都は、東電の企業向け電気料金値上げに待ったをかけた。
経営合理化によるコスト削減の内容が不透明という理由。 
それにしても東電の殿様商売ぶりには驚いてしまう。
子会社のうち17社は、千代田、中央、港、渋谷各区に本社を置いていて、支払っている年間賃料が、約34億円に上るそうだ。

都心を離れて、賃料の安いエリアに移転すれば、20億円が削減出来る。 
また、都心部にあるビル七棟を売却すれば、78億円の収入が見込めると指摘。 
合わせて百億円の削減効果が見込める。 
都が怒るのも無理はない。
東電は、料金を上げる前にまだやることが山ほどありそうだ』



もう言い過ぎて飽きてきたぐらいやけど、この東京電力株式会社、ついでに他の電力会社も一緒に、
もともとが会社の仮面かぶってただけの原発狂団やねんから、
いっぺん大鍋に全部ぶち込んで、大好きな核物質で高温にして、ドロドロに溶かして蒸気にでもなったらどうか?
送電線をひとまずトホホな政府に持たせて(どうせまた裏でコソコソ悪いこと企むやろうけど)、一般に解放させる。
だいたい、日本国内の産業界が保有する自家発電は6000万KWもあるんやで!
そやし、企業なんか、東電から買わんとなんぼでも他から買えるわけやんか。送電線さえ電力会社から分捕れたら。
もうな、政府も電力会社も同じ穴のムジナ、悪の巣窟でコソコソやってるこそ泥やってわかったんやから、
あいつらが死守したい送電線に焦点を当てて、解放に向けてコツコツ迫っていくしかないんとちゃう?

会社っていう漢字に誤摩化されたらあかんで。
あれはもう会社なんかとちゃうねん。
そやし、あいつらがやってることも別にとんでもないことでもないねん。
ああいうことが常識な世界の団体やねん。
料金上げるまえにせなあかんことなんかあらへんねん。
自分らが困ったら上げたらええ。
ほんのちょっと前までは、自分らが儲かるためには何しても良かってんから。

この、東京都の「待った」も怪しいもんや。
これでちょっとええかっこして、汚染がれきのことや、一般家庭の値上げのことをあやふやにさせよとしてるかもしれん。
なんせ、がれきのことでは、笑いが止まらんほど儲かるんやから、東京は。
そやし、とにかくニュースには気をつけなあかん。
斜に構えて、疑うて読まなあかん。
いったいこの事の裏には、どんなことが隠れてるのか。
待ったをかける理由が、一般家庭の料金を死守するためなら話は違てくると思う。

と、ここまで書いたのを読んだツィッター友の東京在住の二朗さんが、こんなとんでもないことを教えてくれた。 

『もう東電は、一昨年からじりじりと、10数ヵ月連続で値上げしてます。
しかも、基本料は、前年の使用ピーク時の30分を基本に算出してる、搾取会社なんですよ。
勝手に法律で決めてたんです』

『我々が知らない時に知らない内に、燃料調達費とか太陽光エネルギー推進費とか、訳の分らんもんで使用者からお金を巻き上げてましたよ。
今でも』


東電管轄の一般家庭のみなさん、知ってはりましたか?

『原子力 その隠蔽された真実 人の手に負えない核エネルギーの70年史』

2012年01月27日 | 日本とわたし
昨日、コメントをしてくれはった9ちゃんが、とてもいい本を紹介してくれました。



その本の名前は『原子力 その隠蔽された真実 人の手に負えない核エネルギーの70年史』
著者:ステファニー・クック その他: 池澤夏樹 翻訳: 藤井留美
飛鳥新社/単行本/368ページ  

onodekitaさんという方の読後感を読んで、なるほどなと思うことが多かったので、重ねて紹介させていただきます。
 
『福島原発の本当の意味を知り、今後どうすればいいかを考える礎とする本だと思う

*前書きから。
事故の理由を問うのは、なぜ地震と津波でこれほど広大にして長期にわたる被害を出すような施設があそこにあったか、その点を問うことと同じである。
そこには長い過去がある。
我々は、この惨憺たる結果を生むに至った原因を、一番最初までさかのぼってみなくてはならない。
 
話の始まりは、ヒロシマとナガサキで暮らしていた人びとの上に落とされた原爆である。
核エネルギーという、新しい技術の開発にかかわった科学者と技術者は、自分たちが作ってしまったものの威力におびえた。
戦争が終わった段階で、全てを無に帰してしまいたい、と思ったものもいた。
しかし、一度作ってしまったものを消滅させることはできない。


そう言う時期に、「核エネルギーの平和利用」が提案された。
関係者は、心の内なる罪悪感も手伝って、その実現に力を貸した。
一見したところ、悪魔と思えた子が、天使を連れてきたと知って喜んだ

しかし実際には、この双子は、二枚の仮面をかぶった一つの人格だった。
どうやっても切り離せないのだ。


天使は実は悪魔だった。
そこのところを隠蔽して育ったから、原子力に関するテクノロジーは秘密の多い、非民主主義的で、市場原理にも反する、ひどく不健全な育ち方をした。

 
自分たちの倫理能力を超える者に手をつけてしまった人間たちの、苦悩と敗北のあとを、著者とともに辿って欲しい』



原子爆弾。
これを落とした側も、落とされた側も、想像を超えた破壊力に打ちのめされました。
あまりの惨事に、落とした側は、自分達の行為を正当化することに躍起になり、それに科学者も加担して、
平和利用という言葉を隠れ蓑に、爆弾を電気製造機に変えました。

電気という物があって当たり前の時代に育った我々は、無臭で明るい、良いイメージだけのその物質に好感を持ち、
あればあるだけ、あるいは、自分で払えるだけ使い、毎日快適に、便利に、日に日に増えてくる電気器機に囲まれて生きてきました。

石炭は危ない事故が起こるし空気も汚れる。ガスも然り。風力は音がうるさいんやて。潮力はまだまだらしい。
などと知ったかぶって、安全で安くて清潔な原発が一番やと信じ込んでいました。

実は危険極まりなく、事故も頻繁に起きていて、途方もない額の費用がかかり、環境を始終汚染し続けているバケモノやったのに。
そして、そんな物を暮らしのすぐそばに建てられた地域の住民の心には、湯水のようにバラまかれた金による、偽りの豊かさが巣食っています。

どうやっても切り離せない、偽りの仮面を被った『核物質』という、人間が作り出した悪魔。

あの地震と津波が、ついにその仮面を剥ぎ取り、悪魔の本性をわたしらに見せてくれたんやと思います。
あれだけの規模のものでなかったら、今も何も知らずに、電気をのんきに使てたかもしれません。
あれだけの規模やったからこそ、何万人もの尊い命も奪われてしまいました。
震災と原発事故をいっしょくたにするな、と言う人も大勢いはるけど、
わたしにはやっぱり、犠牲になられた方々の命も共に、この悪魔との闘いに挑みたいと思います。
あの日、無惨にも生きる道を絶たれた方々の、残された家族を思う気持ちを、無事に命を全うして欲しいという願いを、無駄にするようなことにならんよう、
特に幼い子達や赤ん坊、そして小さな動物の未来が酷いものにならんよう、
自分はもう年やから影響あらへんし、などと恍けてんと、若い体にも悪影響が及ばんよう、体張って闘わなあかんのとちゃいますか?

てめえのところで出た汚物は、てめえのところで責任持って引き受ける!

2012年01月26日 | 日本とわたし
週刊朝日の2012年1月20日号に掲載された記事を紹介します。 

政府が福島県民に教えない本当の除染基準
野田政権の「二枚舌」を告発する

『「福島の再生なくして日本の再生なし」と言い続けてきた野田佳彦首相にとって、今年ほど「有言実行」が問われる年はないだろう。
だが、政権交代時に掲げたマニフェストをあっさりと翻してしまう政権のこと、
その「二枚舌」と受け取られかねない振る舞いは、地元の信頼をますます失うことになるかもしれない。

野田政権にとって、2012年は「除染元年」だそうである。

細野豪志・環境相は、「除染なくして福島の復興なし」と繰り返している。
1月1日付で、環境省は除染を本格化させるための「福島環境再生事務所」を福島市に置いた。

むろん、除染への期待は大きい。
一方で、原発周辺から避難を余儀なくされている地元住民から、政府の「除染ありき」の姿勢に対して、疑問や不信の声も高まっている。

「やるなとは言わないが、捨て場所も決まってないのに除染、除染って、
言葉が悪いが便所もないのに糞(くそ)をたれ流すのとおんなじ。順序が違うんじゃないか」


そう厳しい調子で語るのは、福島第一原発(フクイチ)がある大熊町から、妻と郡山市へ避難している鈴木二郎さん(78)だ。

鈴木さんは元東電マン。
42年間、東電一筋で勤め上げた鈴木さんから見て、フクイチは今もまったく予断を許さない。

「収束なんてとんでもない。再爆発の可能性だって五分五分でしょうよ。
そうやってまだ雨漏りしてんだから、除染よりもまず雨漏りを止める。
そして廃棄物の捨て場所を確保することが先決ですよ」


鈴木さんが言う「捨て場所」とは、除染で大量に発生する汚染土などを保管する、中間貯蔵施設のことだ。
これまで「福島県内に置く」と、あいまいな方針しか示してこなかった国は、
昨年12月末、ようやくこの施設を、フクイチがある双葉郡内に置きたいと、佐藤雄平・福島県知事らに伝えた。

線量を下げることが難しい、年間の放射線量が100ミリシーベルトを超す地域が、まとまって存在していることなどが、双葉郡内に置く決め手という。
現時点で100ミリシーベルトを超えている地域は、大熊町、双葉町、浪江町などにある。
このうち、井戸川克隆・双葉町長は4日、町への中間貯蔵施設の受け入れを認めない方針を明らかにした。

だがそもそも、政府主導の一連の動きに対して、地元住民たちの間では「何を今さら」の感が強い。

というのも、フクイチを抱え、100ミリ超の地域が広範囲にある大熊、双葉両町民の間では、本誌既報どおり、
十分な補償と引き換えなら中間貯蔵施設の受け入れもやむなし、といった意見がすでに多いからだ。

家を追われ、長期の避難生活を強いられながら覚悟を決めた町民からすれば、政府や自治体の対応は生ぬるく、現実離れしていると映る。

「いまだに国は、最終処分場は県外で、なんて言っているが、そんなもの、どこが引き受けますか。
てめえのところで出た汚物は、てめえのところで責任持って引き受ける。それが双葉魂ってもんです」
(先の鈴木さん)

双葉町から県内の仮設住宅へ避難している、ある男性もこう話す。

「我々が日ごろ世話になっている福島市や郡山市、二本松市、こうした地域で除染を進めるためにも、
わが町への中間貯蔵施設の受け入れを早く決めてほしい」

仮設暮らしが長引くに連れ、近隣住民との交流は深まっている。
あれこれ気遣いしてくれる優しさがうれしい。
だがこの男性らは、近所の農家が時折差し入れてくれる大根や白菜を、気づかれぬように捨てている。

「善意は本当にありがたい。でも放射能が気になって食べられない。こんなことしていいんだろうか、いや、神様も許してくれるだろう。
そう思いながら、目立たないように新聞紙に野菜をくるんで捨てています」


◆除染しない方針、敷かれた箝口令◆

放射能を気にしながらも、再出発したい。
それには、政府の決断が求められる。
だが、肝心の野田政権では「二枚舌」と受け取られかねない言動が横行している。

官邸周辺によると、中間貯蔵施設をめぐっては、「公式発表」とは別のプランが浮上している。

「細野大臣は、中間貯蔵施設の候補地として、100ミリシーベルト超の場所を挙げましたが、それだけ高線量だと人が作業する時間も限られ、計画が遅くなる。
速やかに計画を実現させるために、実際には100ミリ超の"周辺地区"も、候補地として検討されています」

また細野氏は、「中間貯蔵施設は1カ所が望ましい」と述べているが、
現実には、県内の他地域から廃棄物を運ぶ際のアクセスを重視し、複数置くプランも検討されているという。

公式発表とは異なる「二枚舌」は、除染現場でも行われている。

「毎時7マイクロシーベルト以上の地域は除染しない」

昨年12月、警戒区域内の富岡町で除染作業にかかわる地元業者らに、そんな通告があった。
除染作業は年末から1月にかけ、本格作業に先立つ国のモデル事業として、町内2カ所で始まっている。
このとき示された「除染基準」は、避難している町民たちには伏せられた。
地元の除染関係者はこう説明する。

「町民の間に動揺が走るからか、この線引きの話は口外しないようにって箝口令(かんこうれい)が敷かれました。
富岡町を南北に国道6号が走ってますが、7マイクロシーベルトの境というと、ちょうど広域消防の建物があるあたり。
あのへんから北は徐々に高台になるので、線量も高くなっていくんです。
逆に、それより少し南に大型スーパーがあるんですが、国は今後、そこを第二のJヴィレッジとして、除染作業の前線基地にするようです」

これより少し後、政府は現在の「警戒区域」と「計画的避難区域」の線引きを見直し、新たに放射線量に応じて三つの区域に再編すると決めた。
比較的、線量が低い年間20ミリシーベルト未満の区域から優先的に除染を進め、順次、住民を帰宅させていくという。

もっとも線量が高い、年間50ミリシーベルト以上の「帰還困難区域」では、不動産の買い上げなどが検討される。
実際の線引きは、3月末をめどに示される見通しだ。
一方、除染業者に言い渡された「1時間あたり7マイクロシーベルト」という値は、年間では61ミリシーベルトに相当する。

「どこから手をつけるかを含め、今回の除染方針は、地元自治体の要望も踏まえて決めました。
これから本格的に除染を進めるうえでの効果を探る目的で定めたもので、将来、住民が家に帰れる、帰れないの線引きとは関係ありません」

内閣府の除染担当者はそう説明するものの、7マイクロシーベルトを境に除染するか、しないか判断する。
これはつまり、政府が表向き住民に示した線引きの、基準と異なる「除染地図」が存在することを意味しないか。

それでなくとも避難区域の見直しなどは、「避難範囲を狭めて補償額を抑えようとする意図がミエミエ」(浪江町の自営業者)といった不満が多く聞かれる。

政権の本気度が問われている。(本誌・佐藤秀男)』



野田というおっさんに舌があるのかないのか……。
多分無い。
人間もどきの、心の無い、へいこらロボットの、せやけど声だけは聞き心地のええ、腹話術の人形みたいなおっさんに、舌なんか無い。
そのおっさんのぼてぼての腹にくっついてる小判ザメ大臣らも、やっぱり脳ミソも心も無い人形ばっか。

なにが『除染元年』やねん。
除染っていう言葉の意味知ってんの?
もういっぺん小学校行って習た方がええのとちゃうの?
放射能は除けへんねん。
染みでもゴミでもないねん。
見えんもんを除染除染って、あほらしいて膝が笑うわ。

人でなしのあんたらが、なんもわからんと適当に作った条例やら法律のせいで、いったい何人の子供や大人が苦しんでると思てんの?
何件の家族が、散り散りになって辛い思いしながら生きてると思てんの?
まったくそんなこと気にもしてへんのやろな。
ちゃんと食べられてるみたいやもんな。おまけにちゃんと寝られてたりもすんねやろな。
大したもんや。
人間ちゃうわ。

『てめえのところで出た汚物は、てめえのところで責任持って引き受ける』
これは、元東電マンやった、双葉町民の鈴木さんが言わはったこと。

ほんの一秒でもええから、こういう思いになったことある?
別にあんたらが始めたわけではないけど、あんたらの仲間と組織が、長年必死になって増やし続けた原発とシステムやんか。
それが事故って、国の半分近くが汚されてしもたんや。
まともに考えたら、上の鈴木さんが言わはったように、あんたらが責任持って引き受けなあかんのとちゃうの?
しょうもない、意味の無い数字を机の上で書いてんと。