ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

カナダの片隅に住む心あたたかな人達

2010年02月27日 | 世界とわたし
夕飯を作りながら、オリンピックの専門局の番組を見ていました。
カナダのいろんな町の紹介やら、おもしろ話など、今夜はなんやろ?と思っていたら、急に9/11の映像が流れてきました。
ああ、どうしよう!と少しの間、見続けようかどうしようか悩みました。
わたしは今だに、あの瞬間の映像が流れると、胸に鈍い痛みが走ったり、指先が震えてきたり、体全体が少し硬直してしまったりするからです。
でも、いったいなんで、カナダとあの日がつながるのだろう……という興味もあって、とりあえず料理をしいしい見ることにしました。

カナダの東の外れに位置する、Newfoundlandという島に、Ganderという人口3000人あまりの小さな町があります。小さくとも、一応国際空港がある町です。
あの日、テロが起こった後、アメリカの上空を飛んでいた飛行機という飛行機がすべて、どこか最寄りの空港に避難しました。
この小さな町の空港にも、とんでもない数の旅客機が避難したそうです。乗客数なんと7000人!
いつもはのんびりと、2人の警備員とアルバイトの青年が、ポツポツと着陸する航空機の面倒を見ているのですが、この日は前代未聞のカオス状態。
いえ、カオスは町全体をすっぽり包み込んでしまいました。
市長は無線の緊急連絡で、町中の人達にこう伝えました。
「今この町に、我々の町に住む人間の倍の数の人達が避難してきました。今日は火曜日ですが、町を避難所とするため、すべての機関、会社を休止します。みなさん、できる限りのお世話を手伝ってください。まずはサンドウィッチを作ってください。毛布を持ち寄ってください。家にある救急用品を集めてください」
あっという間に、学校も教会も会社も、少しでも広い部屋がある所が避難所になりました。
赤十字からも食べ物が届きましたが、ほとんどは住民の方達のボランティアで作られた、温かいスープと数々のおかずだったそうです。
空港から避難所になった町までは、学校のスクールバスの運転手さん達が運搬役を買って出て、一日中何往復もされたそうです。
避難してから30時間後に、テレビから流れる映像を見て、初めて何が起こったのか知った、様々な航空機に乗っていた客達の横に、ただ寄り添って背中をさすったり、手をそっと握ったりしていた町民の皆さんは、どんな優れたカウンセラーよりも素晴らしくわたしの目に写りました。

結局丸4日間、避難は続き、再び飛行を許された航空機に乗り込む人達を、またまたスクールバスが送っていきました。

別れ際に、せめて、いくらかのお礼を渡そうとした人達に、「これは当たり前のことです。またわたし達が困った時にはよろしく」と言って、絶対に受け取ってくれなかったガンダーの人達。
どうしてもお礼がしたいという気持ちが募り、7000人の寄付による、ガンダーの子供達の奨学金制度を作ったそうです。
今もその制度は続いています。その奨学金を受け取ったひとりの女の子が、インタビューにこう答えていました。
「わたしはこの奨学金を受け取ることができたことを、本当に誇りに思います。だってこれは、わたしの故郷の人達の温かな心があったからこそのものだから」

見終わってしばらく、台所の中がいつもよりあったかなような気がしました。

やっぱたこ焼きでナイト!

2010年02月26日 | 家族とわたし
じゃじゃじゃじゃぁ~ん!
さてみなさん、わたしはいったい、これからなにをしようとしているのでしょう~?



久しぶりのたこ焼き器くん登場です!成田空港でいじめられ、いたぶられても、くじけずにアメリカまで持ち運んだ愛しのたこ焼き器くん。



苦しゅうない苦しゅうない、ほれ、もっと近う、ほれ、もっと!



あ、興奮し過ぎてボケてもた!

一日中雪かきしてくれた旦那と、出勤二日目帰りのT、そしてわたしの三人で、オリンピックのダイジェスト見い見いいただきました。
Tがだんだん椅子からずり落ちていくので、「どないしたん?」と聞くと、「食い過ぎて座ってられへん」……どんだけ食べとんねん?!
食べた後、遅くに戻ってくるバイト初日のKと、Kの友人Dちゃんに、後から食べてもらえるよう、40個ほど追加で焼きました。

Dちゃんは、先日とても辛いことがあった子です。
まだ治療は続いているし、完全に体調が戻ったわけではないので、一日のうち半分ぐらいは眠っています。
でも、目にはだいぶしっかりした光が宿ってきているし、よく笑うようになったし、食欲もかなり戻ってきています。
今日は旦那の仕事がキャンセルになったので、空いた時間を使って、Dちゃんに鍼治療を受けてもらいました。
気持ちをリラックスできるよう、長い時間をかけて、旦那は丁寧に治療していたようです。わたしもその間はピアノを弾かないように気をつけました。
旦那は彼女に、「自分の家に居る時のように思ってくれていいからね。食べ物も洗濯も、自由にしてね」と何度も言っています。
でも、彼女にはそれがとても難しい。わたしにはそれがとてもよく分かります。

もともと、物心がついた頃から、自分の家族と同じ屋根の下で暮らしたことの無い彼女には、自分の家の中のようにリラックスするとはどういうことなのか、それ自体が実はよく分からないのですから。
わたしはもう少し大きくなった13才から、自分の家に居るように思えない所で暮らし、それが20年以上続きました。
その後の20年は、大人になって初めて、自分の家に居るというのはこういうことなんだ、と思える暮らしができるようになりました。
彼女もだから、これからの未来にきっと、自分の家という空間を作って、その時初めて、ああ、これが自分の家に居るということなんだと、しみじみと思える時が来ると思います。
その時に、今夜のたこ焼きのことを、うっすらとでも思い出してくれるといいな。
そんなことを思いながら、くるくるくるくる、竹串でたこ焼きひっくり返していました。

お湯みかん

2010年02月26日 | ひとりごと
正確にはみかんではなくタンジェリンさん。
気持ち良さげに(いや、多分我慢大会風に)、カップの中のお湯に浸かっていらっしゃいます。



冬の寒い時期に、体を冷やす柑橘類を食すとは何事か?!
と、大津に暮らしていた頃の友人、台湾人のジョイに、真剣に叱られたことがあります。
そしてわたしの伯母はよく、冬になると、みかんを直接ストーブの上に置いて焼きみかんを作り、湯気が勢い良く立つ皮を剥き、ふうふうしながら食していました。

そういう思い出が心によぎりながらも、冬になると現れるみかんの数々についつい手が伸びてしまうわたし……今年のお気に入りはタンジェリン。
いつもはこの、おっきな種がゴロゴロ入っている、そして皮もちょいと剥きにくいタンジェリンを敬遠していましたが、今年はなぜかこればっかり。
一日に何個となくパクパク食べているわたしを横目で見ながら、渋い顔の旦那。なんせ今や東洋医学の権化さん、ジョイの気持ちが痛いほどよく分かるそうな。
そこで、今日突然に登場したのが↑この、お湯浸け。

ふたりでお箸でつまみ取り、ふうふうしながらいただき、残りのお湯も半分こ。
おいしゅうございました

またかいな!

2010年02月26日 | ひとりごと
昨日、記念すべき足跡が撮れた現場もこれこの通り。



窓にまで積もってるがな……。昨日べちゃんこになった靴はレディエーターの上でほっこり。



落ちてきそうで落ちない、根性雪。



裏庭の写真を撮ろうとドアを開けると……ここはどこやねん?



いやあ、せっかく地面見えてきとったのにねえ……。



そして……こんな日でも外に出たがる犬的猫。



今年はほんまに雪、雪、雪の当たり年。

電車しか走ってないのに、Tはマンハッタンに出かけて行き、Kはバイト初日(ジャパニーズレストラン)だというので車に乗って出勤。
旦那とわたしは、患者さんと生徒さんからのキャンセルを受け、再び呑気なスノーデー(お休み)
金食い虫専門やった二人がせっせと出稼ぎに行き、我らはゆったり、お湯みかんなどを食す……う~む、感慨もひとしおな午後やね
けど……トイレットペーパーとティッシュペーパー、ほんでもって葱と生姜とお米が切れかけてるねん。どないしょ

銅メダルで狂気する馬鹿な国

2010年02月26日 | ひとりごと
それまで、その選手が銅メダルを取るまで、たまたまメダルを取れんままシーンとしてたから、待ち望んでた気持ちが爆発して「わぁ~っ!」と多くの人達が喜んだ。
それのどこが馬鹿なん?

わたしはスポーツが得意な方とちゃうから、極めていく過程の辛さも、勝ち進んでいくことがどんなけ心と体に過酷なことを強いるのかも、ちゃんとわからへん。
わからへんけど、その国の中で、片手の指に入るぐらいの技術なり強さなりを身につけた選手が、そしたらいったい自分は世界ではどうなんやろっていう好奇心と野望を胸に望むのがオリンピックちゃうのかな、とわたしは解釈してる。

オリンピックの各競技で、メダルを取れる人はたったの3人。
その他の人達は、頑張れるだけ頑張るけど、その瞬間に急に姿を現した不運とか、体調の変化とかにも左右されて、もちろん能力の歴然とした差もあって、両手の指の数にも入らへんかったりする。

けど、そういう人達がいてこそのメダルやん。
いろんなこと抱えて、それぞれに重たいもん背負って、それは必ずしも国とかじゃなくて、そんなんよりももっともっと重いもんがあるのが人生やん。
それでも本番の舞台に立ったらもう、そんなこともどうでもよくなって、もうそこには自分しかおらんようになって、自分と世界、天気、運との闘いになる。
そんな壮絶な闘いに挑んでる人達に、「メダル取れんのは心がけがなっとらんからや。国家というものを背負ってないからや」って……、
多分、その言葉の前後に、いろんなことも言うてはって、その中の続きなんかどうか分からんけど、流れで出た言葉なんやろけど、
わたしには「なに言うてんのこの人?」としか思えへん。公人のくせに。

わたしも、マスコミの書き方や取り上げ方は大嫌い。たまに読んでて気持ちのいい記事もあるけど、それはほんとに数が少ない。
日本の中で優秀な選手が、世界の中ではどこらへんに位置するのか、ただそのことの目安やん、メダルって。
もし仮に、一個もメダルが取れんかったら、それはただ、世界で3本の指に入るレベルに到達してなかったってことだけやん。
ほなら、次の、4年後のオリンピックに向けて、まずは銅を取れるぐらいのレベルにするにはどうしたらいいのかを、世の中に広く問うたらええやん。
ほんで、数多くの意見を参考にして、新しい機関を作るための寄付を募るなり、選手に負担がかからへんような強化ができる支援を募るなりして、実現につなげて、それがどういう結果につながるかを取材したらええやん。

あ、もしかして、野次馬だらけの、無責任なバカ騒ぎするマスコミに対して言うたんかしらん?
それやったらタイトル変えなあかん。
『銅メダルで狂気する馬鹿なマスコミが蔓延る国』


P.S.

昨日は初めて、家族4人でフィギアの観戦をした。
優勝したキムちゃんの演技は、確かに完璧で、他の者が立ち入る隙を与えないものやったけど、うちは満場一致で、心に残ったのは真央ちゃんの方。
あの、4分で演じるフィギアの構成としてはとても難しい、重厚なラフマニノフの前奏曲第一番を、曲想を変えずに舞った彼女。
手の指先のそのまた先まで、行き届いた美しい動き。あっという間に過ぎていく一瞬一瞬の表現に、彼女の思いが丁寧にこもっていた。
芸術やな……旦那がポツリとつぶやいた。



おかえり!

2010年02月25日 | 家族とわたし
「あ~疲れた!べちょべちょ~!」

戻ってきたTの開口一番。
今朝は特別に10時の開始だったので、7時まで会社に居て、電車が遅れたため、8時過ぎに戻ってきました。
牡丹雪が積もったので、道はもうどうにもこうにも逃げ場が無かったのでしょう、足首から下をぐっしょり濡らして帰ってきました。

台所にそろっていたわたし達。昨日からKの友達Dちゃんも来ているので、4人揃って好奇心満々の目で見つめられるT。

インターンだというのに時給がいただけるそうで、週40時間、月曜日から金曜日まで、コンピューターサイエンスの新しい分野を学びながらの仕事です。
今日早速、そのための本を何冊か買ったようです。

思えば10年前の、ほぼ同じ時期に、同じ会社の、同じビルディングで、旦那が大人になって初めての会社員をさせてもらったのでした。
親子で思いっきりお世話になってるし……。
旦那の時は、丁度バブルがはじけた時と重なり、たった1年半でクビになってしまいました。
まあ、コンピューターの専門知識も無く、会社の人事の仕事を手伝っていただけだったので、仕方がなかったんですけれど……。

さて、息子のTはどうでしょう?うまく先につながっていけばいいなと、こっそりと祈っている母です。

今夜は凄まじい吹雪で、今は粉雪が横なぐりに降っています。
日曜日までずっと雪が続く予報が出ています。
冬生まれのTへの、冬の神さんの荒っぽいお祝いでしょうか?

弾けたで記念日

2010年02月24日 | 音楽とわたし
今日もわたしは鍵盤を押したり引いたり?、たまにゃ苛立ち紛れに自分の手を叩いたり。
オリンピックが始まってからというもの、かなり寝不足が続いておりますが、それとこれとは別。寝不足であろうがなかろうが、とりあえずピアノの前には座る!(ピアノにおでこくっつけて居眠ってることもあるけど……)
こつこつこつこつ、毎日毎日、飽きもせず(うそうそ、たまには飽きますもちろん!)、今日はここを攻めてみよ~と目標設定をし、こつこつこつこつ。

んでもって、今日はここ↓



同業者の方々の中には多分、これのどこが難しいん?と首を傾げる方も多々いらっしゃるかと思われますが、どうしてだか弾き辛いわたし……。
まずは片手ずつでゆっくりじっくり。
弾き易い、というか、自分の指の癖に合った指使いを書き込んでこつこつ、あ、やっぱりこの方がいいかも!と、書き直してはまたこつこつ。
ゆっくりのテンポでも、とりあえず自信を持って弾けるぐらいになったら、今度は両手弾き。
すると、両手だといや~な感じがする部分が出てきて、なんでやろ?と考えて、それが納得できる理由だったらまたまた指使いの練り直し。
そんなのを延々とやってます。

今だゆっくりでないと弾けない……けれどもやつらは四分音符じゃなくて、八分音符でもなくて、にっくき十六分音符。しかも曲のテンポはアレグロ。速いです。
「ちょっとちょっと、わてら十六分音符だっせ~。そないゆっくり鳴らされた日にゃ~、温泉でも行って浸かってなしゃあ~ないがな~へらへらへら~
などと、音符さん達に思いっきりバカにされているような気になったりします

毎日が『弾けたで記念日』になるわけじゃないけれど、こつこつやってりゃいつかそれはやってきます。
オリンピックに出てる人もそうでない人も、コンサートで生計立ててる人もそうでない人も、こつこつこつこつ、『できたで記念日』を夢見て頑張ります。


嗚呼!また1時!

2010年02月24日 | ひとりごと
もう寝なあかんって、毎晩思いながら、やっぱり観てしまうオリンピック。
今夜の圧巻はやっぱりフィギアスケート。
予想通り、前々から騒がれていた選手達が、騒がれていただけの素晴らしい演技をして、きっちり魅せてくれた。

けど、今夜の選手達の中で、わたしの中の一等賞、それはカナダ選手のロシェットちゃん。
彼女の演技が終わって、彼女が感極まって泣いているのを観て、わたしはもうちょっとで号泣してしまいそうだった。
演技も立派だったけれど、なにより、直前におかあさんを亡くしている彼女が、その悲しみを胸に抱いたまま、あれだけの結果を出せたことに心が震えた。

観客席で見守るおとうさんが泣いていた。試合の解説担当の男性も泣いていた。

彼女のおかあさんの魂はきっと、あの会場にいて、カナダの国旗がはためく中、堂々と舞う娘の晴れ姿を観ていたに違いない。

もし、オリンピックに、メダル以外に特別な賞を設ける度量があるのなら、ぜひとも彼女のような人にあげてほしいと思う。
でもきっと、彼女のように報道には取り上げられないけれど、とんでもなく大変な、辛い思いをして、オリンピックに出ている選手はいっぱいいるんだろうな。

どの国が、どの選手が、何個メダルを取ったか。
それももちろん重要だろうけれど、およそ順調とは言えない道を歩みながら競技に参加した選手達の皆さんに、わたしは心を込めて、拍手と感謝を送りたい。

君の名は

2010年02月23日 | アホな小話
マンクーソ……。
美人スキーヤーさんです。
けど……何回聞いてもついつい……。
今日も、大人生徒のトムのレッスンをした後、彼はアイスホッケーの選手でもあるので、話がつぅ~っと自然にオリンピックのことになり……、
彼がなんべんも「マンクーソ、マンクーソ」って……。

それを家に戻ってから旦那に話したら、
「またまうみ、アホなこと口走らんかったやろな……家で居る時みたいに」と、けっこうマジな口調で聞かれました。

あったりマエダのクラッカーやわいっ!