ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

一難去らずにまた一難

2025年02月21日 | 日本とわたし
母の入院が続いています。
脳や首の詳しい検査をしようにも、5年前に受けた頸椎の手術で金属が埋められてあるために、MRIの精度を上げることができず、精密な画像を撮ることができません。
脳梗塞の血栓がどの場所に、どの程度の大きさで存在するのか、担当医の話ではある程度わかっているようですが、今度また新たに血栓ができるとまずいことになる、と言われました。
パーキンソン病の疑いもあるので、症状を軽減する薬も併せて飲んでいますが、それがよく効いているのかはまだ不明です。
毎日電話をかけていますが、母はいつも開口一番、「しんどい」と言います。
意識ははっきりしている時もあるし、突然妙なことを口走ったりする時もあります。
彼女はこれまで、どんなにしんどくても、高熱が出るような病気に罹っていても、ベッドで寝ずに起きて何かをしているような人だったので、これほど長く寝続けていると、頭も足もぼんやりとしてしまって、日に日に弱ってきているような気がします。
個室にはトイレが付いていますが、そこまで歩くこともままならず、ベッドのすぐ横に置いてもらったポータブルトイレで用を足しています。
そんなことは彼女の90年の人生で初めての経験で、それだけは絶対にしたくない、そんなことをするぐらいなら死んだほうがマシやと言っていた人だけに、かなりのストレスになっていると思います。
脳梗塞患者用の減塩メニューは全く口に合わないらしく、ほとんどを残してしまっているようです。
母の気分は上がったり下がったりで、わたしが電話をかけている時はいつもダダ下がり。
まあでも、いい格好をしなくてもよい相手はわたしぐらいでしょうから仕方がありません。
でも母は、とても頑張っていると思います。
リハビリは午前と午後に一回ずつ、歩行器を使って歩いたり、腕の上げ下げをしたり、お箸で小さなものをつまんだりという簡単な動作ですが、週日の5日間、毎日続けています。
インターネットは使用禁止なので、彼女の日課であり楽しみでもあったパズルゲームができず、退屈で仕方がないようです。
それならラジオでも聞いたら?と言うと、パッと明るい声になって、そうや、ラジオやったら目も疲れへんしいいなと言って喜んだのも束の間、聞こえてくるのはザーザーという不快な雑音ばかり役に立ちません。
別に怪我をしたわけでもなく、内臓は健康そのものなので、できたら1日でも早く家に帰りたいのでしょうけど、まだまだ寒いし、歩行器無しでは歩けないので、バリアフリーでもない狭い家では危険なことだらけ。
だから今は入院を続けることが最善なのだと言い聞かせています。
担当医は話は長いけれども誠実な人で、母のことをよく診てくださっています。
看護師さんやリハビリなどのスタッフさんたちも、本当に親切な人たちばかりで、母はいつもありがたいと言います。

そんな母を見舞いに行くのは義父一人だけ。
彼は毎日、それこそ大雪が降って車で走れない日も、1時間以上も歩いて通っていました。
ところがその義父が、なんとコロナウイルスに感染してしまい、一人ぼっちで熱と咳、そしてとてつもない倦怠感と闘っています。
重なる時は重なる、というか、重なる理由はあるわけで、義父にとっては青天の霹靂とも言える母の病の発症だったので、そのショックがどれほど大きかったか…そういうストレスや疲れも重なって、ウイルスにつけ込まれてしまったのだと思います。
けれどもしんどいからでしょうか、LINEチャットで嫌なことをいっぱい言ってくるようになりました。
もしかしたら、もともと、それもかなり前から、わたしのことをあまり良く思っていなかったのかもしれないな、などと考えたり、いやいや、わたしの言い方が良くなかった、思いやりが足りなかった、考えが浅かった、などと反省したり。
病室の母とは電話で、耳が遠い義父とはチャットで、これからはこんなふうに二人と会話していくことになりそうです。

二人から遠く離れたところで暮らしているわたしの身の上にも、母が倒れてから以降、大小合わせてうまくいかないことが連続して起こり、これは一体なんなんだろう…と、さすがに心が折れそうな気分になりますが、いやいや、どこまで落ちるかはわからないけど、とことん落ちたらあとは上がるだけだと、その折り返し点を楽しみに、こつこつ一日一日を過ごしていくしかありません。

なるようになる、なるようにしかならない。
大波小波に乗ったり打ちつけられたりしながら、ぼちぼちやっていこうと思います。
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黒色すみれと青ひげ公の城

2025年01月21日 | 日本とわたし
心友のあけみちゃんから「友だちの黒色すみれさんが出るショーがマンハッタンのジャパンソサエティであるんだけど、どう?」という連絡をもらいました。
黒色すみれ?え?だれ?
全く知らない名前だったので、インターネットで調べてみました。
黒色すみれは個人名ではなく、ゆかさんとさちさんという、クラシックをしっかり学ばれた音楽家たちによるユニットの名前でした。
一体どうしてあけみちゃんが彼女たちと知り合ったのか、その馴れ初めを彼女から聞かせてもらいました。

それは、あけみちゃんの友人で津在住のカフェのオーナー、マイケルさんと黒色すみれとの出会いから始まります。
宮崎県出身のマイケルさんは、東大大学院で地方都市の再生について研究していた学者です。
彼はマーケティングに詳しく、中性的で、規格にとらわれない人で、ブラスバンドの演奏経験もある音楽愛好家です。
その彼がある場所で、福井県にある年縞博物館でカフェを営むよんよんさんに出会い、その後、彼女のインスタグラムをフォローしていたら、黒色すみれが博物館でライブをやることを知り、福井に出向いて行ったのでした。そしてマイケルさんは彼女たちをぜひ自分のカフェにも呼びたいと思い、津に彼女たちを招いたんだそうです。

余談ですがこの年縞博物館、かなりすごい博物館なんです。
まず、みなさんは『年縞』ってなんのことかわかりますか?
それは湖や沼などの底に、長い年月をかけて堆積した層が描く縞模様の地層のことなんです。
この博物館では、水月湖の湖底から採取された7万年分もの年縞を、ステンドグラス風に加工して展示しています。
その長さ、なんと45メートル!
この年縞ギャラリーでは、年縞の目盛りに沿って過去から現在へ、7万年の間に人類が経験したできごとを振り返ることができるのです。


さて、話を戻します。

黒色すみれのウィキペディアより:
『2004年にデビューした黒色すみれは、日本の音楽ユニット。ボーカル・ピアノ・アコーディオン担当のゆか、ヴァイオリン担当のさちの2人による女性デュオである。クラシック音楽やシャンソン、歌謡曲をベースに、大正ロマンの雰囲気を漂わせたレトロでノスタルジックな曲調を持ち味とした「ネオクラシックユニット」と銘打ち、メンバーは2人とも「永遠の14歳」を自称している』

ゆかさんはフェリス女学院大学音楽学部出身で、歌とアコーディオンとピアノ担当。北原白秋などの日本文学にも詳しく、物事の捉え方が面白い人。
さちさんは国立音楽大学器楽学部出身で、歌って踊れるメルヘンヴァイオリニスト。
彼女たちにはクラシック音楽出身者特有の頑なさがなく、枠にとどまらない音楽性やファッションセンスの幅広さから、オルタナティヴ・ミュージックや「ネオクラシックユニット」として紹介されることもあります。
2007年よりフランスを始めとするEU諸国で海外ツアーを開始、2008年にはアメリカでもライブツアーを行っています。
演劇界でも彼女たちの出演を望まれていて、自作曲はもちろん数多くのレパートリーを持っています。
ちなみに監督のティム・バートンは彼女たちの大ファンだとか。

自身のカフェでの黒色すみれコンサートの本番が近づいてきた頃に、あけみちゃんの家に行ったマイケルさん。彼は彼女のアトリエ(彼女は実に素晴らしい陶芸家です)を見て、ここでもコンサートをしたらいいんじゃないかと思いつきました。
あけみちゃんは30名限定のお客さまをお招きし、そのコンサートのために特別に作ったお菓子をお抹茶と一緒に振舞ったのだとか。
そしてゆかさんとさちさんは、たっぷり1時間半のフルコンサートを行ったそうです。
実にエキサイティングな出会いだと思いませんか?

さて、ここからが本題です。
厳しい寒波の到来間近だった週末の土曜日に、マンハッタンのジャパンソサエティに向かいました。
その日は朝からずっとボケていて、時間の感覚も途切れ途切れで、出かける寸前にちょっとひと眠りしようとしたりして、夫をイライラさせてしまっていたわたし。
あまりの寒さに冬眠でもしたくなったのか、自分でもよくわからなかったのですが、体調はあまり良くありませんでした。
いつもなら渋滞で困り果てる時間帯に行ったにもかかわらず、マンハッタンへのトンネルも街中も道路はスカスカです。
数日前から執行された渋滞税の効果が出ているのかもしれません。

ユニセフの近くにあるジャパンソサエティの建物は、そこだけが急に京都の一画に入り込んだような錯覚を覚えさせます。


この日のショーは、寺山修司の戯曲『青ひげ公の城』。

バルトークの歌劇『青ひげ公の城』を題材に、楽屋裏の事件や不条理なやりとりを描いた、メタフィクショナルな作品です。『青ひげ公の城』のヒロイン「七番目の妻」役を演じるために劇場にやってきた少女は、劇の内容について詳細を知らされないまま楽屋で待機することを命じられるのですが、そこを脱け出して、他の俳優たちや、舞台監督、大道具といった裏方スタッフと関わっていきます。劇中の台詞や場面が挿入されながら、楽屋裏での様々な人間模様や事件が展開されていき、劇と現実が交錯してゆきます。その混乱にマジシャンやエアリアルフープのダンサーの本格的な演技が差し込まれ、劇は実に目まぐるしくエネルギッシュに展開していきます。

そこに黒色すみれのお二人が登場です。



いやもう、ゆかさんの第一声を聴いた瞬間、心地良さと歓喜が同時に押し寄せてきて瞳孔が開きっぱなし。
あの発声の独特さは聴いたことがありません。さちさんのヴァイオリンもノリノリです。
黒色すみれ(ネオクラシックユニット)の音楽と寺山修司による実験的なアングラ演劇のコラボの公演は大成功で、満席の観客も大興奮。


ちなみに出演者は全員女性です。


全員がまさに弾け飛んでいて、楽しくて可笑しくて、元気をいっぱいもらいました。
次回は女性だけの歌舞伎の公演を提げてニューヨークに来る、とおっしゃっていたのでとても楽しみです。
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日本写真日記

2024年12月10日 | 日本とわたし
今朝、goo事務局から、世にも恐ろしいメールが送られてきました。
「長期間ログインされていないので、90日以内にこのブログのアカウントを削除する」というお知らせメールです。
「削除にあたり、これまでに記載された文章はもちろん写真など、全てが抹消される」と言われて、大いに焦ってこれを書いています。

思えば、先月の10日に行われた生徒たちの発表会のすぐ後に日本に行き、先週の金曜日の夜にこちらに戻ってくるまで、ブログを書く時間を作ることができなくてログインしていなかったのでした。

時間が経つのが早くてもうほんとに困ります。
ちょっと前に2024年の幕開けだとか言ってたのに、気がついたら師走になってしまってて、あと2週間もするとクリスマスで、それが終わったらおせち料理の下準備に追われる…ってどゆこと??
この時期、毎回同じようなことを言ってるような気もしますが…😅。

美しかった紅葉もすっかり姿を消し、日が暮れると気温がスルスルと0℃近くにまで下がります。
すっかり冬になった今日この頃、昨日から1ヶ月ぶりにレッスンを再開しました。
今回はなぜか時差ボケの影響が少なくて助かっています。
体はこれまで以上にクタクタに疲れているのですが…。

では、今回の日本滞在の写真日記を始めます。
11月13日から17日までは夫と一緒に横浜→三重→大阪→滋賀と周り、18日から12月5日までの18日間はわたしだけが、母と義父の家に行って家事手伝いをしました。

11月13日
横浜在住の従姉妹と待ち合わせをして、ホテルまで送ってもらいました。
ホテル近くのレストランに入り、日本食第一食目😅




11月14日
横浜のホテルの部屋の窓から見える公園に、朝の散歩に出かけました。

近くまで行くと、ハアハア言いながら駆けてくる園児たちに、先生が盛んにハッパをかけていました。

彼らが駆け上って行った坂道を上っていくと、夫が急に「あ、僕のと同じノコギリ!」と叫び、スタスタとこのおじさんに近づいて行って、「このノコギリ、ほんっとによく切れますよねえ」と嬉しそうに声をかけましたが、おじさんはかなり戸惑っていたようです。

紅葉どころか緑ばっか😅。

丘のてっぺんまで行ったら、ここでもまた園児たちが😳…体力あるなあ。


降りていくと大きな池があり、



ホテルに戻る道が何やら美しく、


かなり時間が経ったのに、まだ走り続けている園児たち…いや、走っているだけじゃなくて坂道や階段を何度も何度も上り下りしてるんです。信じられない…。


散歩の後、ホテルをチェックアウトして、ホテルまで迎えに来てくれた従姉妹の家に行き、彼女の娘ちゃん、そして彼女の母親(わたしの叔母)に会いました。
叔母は新しい物事の記憶をとどめておくことが難しくなりましたが、遠い昔のことはとてもよく覚えています。
時々今と昔が交差したり、目の前にいる人が誰なのかわからなくなったりします。
その時その時の、彼女が見ている世界を、彼女の目を通して見ることができたらどんなにいいだろうか。
従姉妹はそんな母親を大変な思いをして自分の家の近くにある施設に移し、毎日のように世話をしています。
本当に頭が下がります。

11月15日
14日の夜に三重県に移動し、今年の2月に亡くなった伯母のお墓参りに行きました。
お墓までの道中、子どもの頃によく通った道を、伯母の娘である従姉妹と夫、そしてわたしの3人で歩きました。
どの通りも、神社や鳥居も、そして疏水も、子どもの目で見ていたからか、覚えているよりも小さくて、不思議な懐かしさを感じます。



借金の取り立てがいよいよ激しくなり、両親ともにどこかに姿を消してしまったとき、置いて行かれた弟とわたしの面倒を見てくれた伯母と従姉妹が住んでいた家の前を通り、

伯母のお骨が納められているお寺に到着しました。

先ほどの鳥居の前まで戻り、さて、この鳥居は一体いつ建てられたのかとよくよく見てみると、

安永という文字が刻まれていました。安永、安永、安永…と首を捻っていると、


こちらの店先にご夫婦が立っていて、わたしたちに手招きしてくださっているのでお言葉に甘えて入らせてもらいました。

お店の奥のお座敷に上がらせてもらい、中庭を見せていただきました。

このご夫婦は酒屋のオーナーで、この鳥居前に建つ幕末の町屋座敷で、地元のお酒やお茶、銘菓を販売しています。
その商売の傍ら、町の成り立ちや幕末から今日までの歴史を影絵にして上演したり、江戸時代から昭和初期の品々を展示したりして、たくさんの人たちを楽しませてくれるそのご夫婦のやり取りを聞いていると、まるで漫才のように楽しいのでした。




思いがけずに歴史を楽しく学ばせていただき、小腹が空いてきたので、従姉妹が前々から気になっていたというレストランに行ってみました。
そのお店は、大人が一人通れるかどうかというほどの細い路地の奥にありました。

壁には手裏剣が😅。

到着です。

料理も給仕もおあいそも、みんな自分でやってます、という店主は、イタリアに深い愛情を持つ腕利きのコックさんでした。




膨れたお腹をこすりながら歩いていると、どこかから懐かしいお琴の音色が聞こえてきました。
ああ懐かしいと声を上げると、従姉妹が「そりゃそうよ、まうみも通ってたお琴の先生の家の前やもの」と言うではありませんか!


いやいやいやいや、これは懐かし過ぎる!
この家には3歳から7歳までの5年間通いました。
絶対音感を持っていたわたしは、幼いながらもお琴の13弦の調律を任され、いつも重宝してもらっていたのでした。
弾くのが楽しくて、どんどんと進んでいったのですが、7歳の終わりにピアノに進むことになってお琴を辞めなければならなくなり、最後に『六段のしらべ』をどうしても弾きたくてお師匠さんにお願いしたら、「弦を弾けてもあなたの歳では理解できないから」と断られ、大泣きした覚えがあります。
なのに、家から聞こえてきたのは、まさにその『六段のしらべ』!
もう我慢ができなくなって、従姉妹を引っ張って家の中に入ってしまいました。
従姉妹もその家で長い期間お琴を学び、師範の資格を持っている人なので、全くの外部者ではありません。
中に入ると、そこにはわたしが習っていた頃の師匠とそっくりの娘さんが、3人の生徒さんと一緒に座っていて、突然の闖入者にびっくり。
事情を話すと、快く座敷に招いてくださり、みなさんで『六段のしらべ』を演奏してくださいました。


60年前と全く同じ空間で聴く『六段のしらべ』はただ懐かしいというだけでなく、この曲を恋してやまなかった7歳の胸の震えを感じて、涙が込み上げてきました。

秋祭りの屋台が並んだ境内に続く道も、こんなに狭かったんだ。


ちょうど七五三の日でした。

従姉妹がよく遊んだ場所。

ここで松明が焚かれ、甘酒を飲んだ思い出があります。

11月16日
大阪に移りました。
大阪といえばこれ!


江戸堀にお店がある眼鏡屋さん『G-KENEYES』。
大阪に来たのはこのお店が目当てです。
ここには、一度でも通ってしまうと、2度と他のところでは眼鏡を作ってもらう気にならないほどの、懇切丁寧で綿密な検眼と、どんなフレームでもお客の望みを叶えてくれる高い技術力を備えた職人さんがおられます。
今回は、2年前に購入したピアノの読譜用眼鏡の点検と、車の運転用の眼鏡を新たに作ってもらいに行きました。

実は、大阪に移った夜、わたしが予約した部屋がとんでもないことに。
そもそも、日が暮れる中、わたしの代わりに大型のキャリーケースをゴロゴロ引きずっていた夫の機嫌はどんどん悪化していたので、1分でも早く見つけたかったのに見つからない…。
やっと見つけたと思ったら、今度は建物そのものに入るドアの開け方がわからない。
夫の不機嫌度はピークに。
やっとのことでそのドアが開き、わたしが予約したの部屋の前に立つと、またまた不可解な暗号が。


二つの難関を突破して、やっとのことで部屋の中に入るや否や、夫が鼻をつまんで「臭い!」と叫ぶではありませんか。
元々鼻詰まりのわたしは何がそんなに臭いのかわからず、扉という扉を開いては中を点検する夫をただ見つめているだけ。
今さらここをキャンセルして新しいホテルを探す気力もありません。
とにかく今夜はここに泊まって、次の晩は違うホテルに移動しよう、ということになりました。
いっときでも部屋の中に居たくなかったので、夕飯を食べに出発。

ちっちゃいけれどド派手な電車駅を通り過ぎ、

夫が好きそうな食堂を見つけました。


その夜中にふと目が覚めたわたしは、鼻の奥に居座るとても不快な臭いに気づきました。
え?なにこの臭い?下水?
もしかして、夫が大騒ぎしていた臭いってこれだったのか?
それからはもう眠れません。布団の中にもぐって、ただただ朝が来るのを待ちました。

11月17日
翌日の朝、そのトンデモ宿からあまり離れていないホテルに移り、とにかく一安心。
朝ご飯を食べに外に出ましたが、どこもまだ閉まっていて見つかりません。

万博の宣伝してるけど、開催できるのでしょうか…。

もう諦めてコンビニで何か買おうかと思ってたところに、ホテルの入り口が見えました。
もしかしたら朝食バイキングなんかがあるかも…ありました!


この日のメインイベントは大津の友人たちに会いに行くことです。
懐かしい京都駅。


夫がいい塩梅に映り込んでいました😅。


これまた懐かしい、8年間暮らした琵琶湖畔。

久しぶりに会った二組の友人夫婦たちと一緒に、美味しいランチを食べました。

日本の電車は楽しい。

11月18日
ホテルの窓から、電車に乗った乗客の顔まではっきり見えます。

出た!コンビニ朝ご飯!

さて、この日以降は、夫とは別行動になります。
彼は関西在住の友人たちに会いに行き、わたしは母と義父の家に移り、母の90歳の誕生日祝いをする温泉一泊旅行でまた合流し、その後夫はアメリカに、わたしは母たちの家に残るという予定になっています。
二人で気ままに過ごせる最後の日ということで、観覧車に乗りたいと思い行ってみたのですが、残念ながら休止中。
では、何か美味しいものを食べようと、市場に探しに行きました。

甘いもん💜


ほんでもってお寿司❤️

今日はこんな活きのいいのが入ったよ〜と職人さんが見せてくれました。

またまた見つけた楽しい電車。

11月19日以降と「母の90歳のお祝い旅行」のお話はこの後に。
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サイレント・フォールアウト・伊東英朗監督「アメリカを変えること。僕はそれしか方法がないと思っています」

2024年07月23日 | 日本とわたし
放射線を浴びたX年後 Ⅲ
サイレント・フォールアウト 乳歯が語る大陸汚染

ネバダ州の核実験から広がった“見えない放射性下降物”
アメリカ大陸の放射能汚染の実態に迫る渾身のドキュメンタリー

1951年、アメリカ大陸ネバダ核実験場で大気圏内核実験が始まった。
計100回に及ぶ実験は、アメリカ大陸を放射能汚染。
それを実証しようとしたのは女性たちだった。
「子どもの命を守りたい」。
彼女たちの思いと行動が国を動かした歴史的事実とともに、放射能汚染に向き合う30人の証言と当時の文書から、いまなお潜む、“サイレント・フォールアウト、見えない放射性降下物”の実態をあぶり出す。
元ローカルテレビ局ディレクターで、ドキュメンタリー映画監督の伊東英朗によるシリーズ映画「放射線を浴びたX年後」第3弾。
過去2作品では、アメリカによる太平洋核実験で被曝した、マグロ漁師たちの被害を取り上げてきた。
今回は、1950年代から60年代にかけて、アメリカ・ネバダ州で実施された核実験による、アメリカ大陸の放射能汚染を追った。
本作は、子どもを被曝から守るために女性たちが始めた「乳歯検査」を中心に取材。
4000ページを超える文書と、2022年夏に米国内の被爆者、研究者30人に行ったインタビューをもとに、今も続く放射能汚染の現実を伝える。

以下は、この映画について書いた、昨年の11月の記事です。興味がある方は覗いてみてください。


そして先週の土曜日に、マンハッタンで行われた上映会に行って来ました。
軍事拡張のためと言って、空いてる場所ならどこでもできるとばかりに、周りに暮らす人々の健康や命のことなど無視して、核実験を繰り返す人たち。
核爆発を見せ物のように宣伝し、そこに集って見物する人たち。
狂っているとしか言いようが無いけれど、そうやって人類は破滅と皮一枚隔てたところで、仮想世界の平和につかまりながら生きてきた、そして今も生きているような気がします。

前に書いた記事から引用させていただきます。
映画監督でありTVディレクターである伊東が、2004年から追い続けているテーマがある。
それは、原爆、原発、核、水爆実験などと切っても切り離せない放射線だ。
1942年から始まったマンハッタン計画は45年の原爆投下に繋がり、続く核実験、54年のビキニ環礁水爆実験で被曝した第五福竜丸は氷山の一角で、62年にかけて米国や英国が太平洋で行った水爆実験の数々で被曝したであろう日本人たちは数知れない。
このテーマを追い続けているのには理由がある。
ビキニ事件における放射線の被害を調査し、報道を続けている人が他にいないからだ。
「僕が止めてしまうと、この調査はストップしてしまいます。放射能がいかに私たちの生活にとって脅威であるかということにみんなが気がついて、事実を突き止めようと動き出してくれる人が出てくるまで、僕がやるしかないと思っているのです」

伊東は元々、奏者になることを夢見てトランペットを演奏していた。
養護学校で音楽を教えたかったが、それが実らず、就いた仕事は幼稚園の先生。
映像について勉強をしたこともない伊東は、映画監督になるとは夢にも思っていなかった。
「もともと、僕は子供たちに教えることが好きで、幼稚園の先生を16年やっていました。いわゆる公務員です。40歳の時、教育委員会への異動が決まり、現場で教えることにこだわっていたので、退職届けを出しました」
自称「変な人」を名乗るように、幼稚園教師から映画監督になった人間は世の中に数えるほどしかいないだろう。


その伊東監督が、今回の上映会でお話しされた内容(質疑応答も含む)を文字起こししました。

いきなり冒頭から前略ー(なぜかというと、録画のボタンを押すのを忘れて、隣の人に教えてもらって慌てて録画を始めたので😅)

まず日本の話をする前にアメリカの話をします。
これは線量計です。いつも持ってます。
こうやって測ります。
2年前アメリカ全土を取材しました。
その多くのポイントで、安全基準値を上回っています。
今現在がその状態です。
皆さんは、そのアメリカに暮らしています。
じゃあ日本はどうなのか。
日本はとてつもない状態です。
それはなぜかというと、アメリカの水爆実験のフォールアウト、ロシアの水爆実験の影響、それはでも、1963年にケネディ大統領が中止宣言をして、ロシアとアメリカとイギリスが中止しました。
だから63年でその影響は終わっています。
ところが翌年、中国が核実験を始めます。
1980年代まで、中国は大気圏内核実験を行いました。
日本は、ひどく、長く、放射能汚染をし続けています。
その上に、1980年代にチェルノブイリの事故が起こって、相当強く放射能汚染をしました。
そして、今お話しされた、2011年、福島第一原発事故は、想像を絶する放射能汚染を日本に撒き散らしました。
科学的に言うと、東京の東側は人が住めません。
ところが日本政府は「安全です」と言います。
だから何も問題はありません。
今日、皆さんにお話をしている僕は日本人です。
なんで日本人に俺たちは言われなきゃいけないんだと、そう思う人もいるかもしれません。
でもちょっと待ってください。
僕は人類の中の一人です。
だから言う権利があります。
皆さんに事実を伝えたいと思っています。

また二つ、お話をしたいことがあります。
5分間辛抱してください。
アメリカの奇跡に気がつきましたか?
アメリカのネバダでは地下核実験が828回行われています。地下です。
もし、1950年代、60年代、自分たちの子どもの安全を確保したいお母さんたちが、女性たちが、もし動かなかったら、もしケネディ大統領が大気圏内核実験を中止することを決断しなかったら、もし828回の地下核実験が地上で行われていたら、アメリカ大陸は人の住めない大陸になっていました。
これはアメリカの歴史上最も重大な事実の一つです。
だけど、アメリカの多くの人たちはこの事実を知りません。
今日皆さん、映画を観て事実を知りました。
何をするか、分かってますよね。
知らせてください、皆さんに。
悲しい話ばかりじゃないんです。
アメリカには希望があります。
奇跡が起こる国なんです。
来年、原爆がアメリカで生まれて80年になります。
(この会場には)女性がたくさんいます。
奇跡を起こしましょう。

そしてもう一つだけ、大切なことは、自分たちが被爆者であるという自覚を持つということです。
これが全てのスタートです。
遠い話ではありません。
放射能の問題は遠い話ではないんです。
皆さんの国は核兵器を持っています。
世界で最も強い国と言われています。
ちょっと皆さん、聞きたいんです。
核兵器は、国を守るためのもの、ですよね?
でも、核兵器を持つために、皆さん自身、皆さんの子ども、お父さんお母さん、兄妹、友だち、親戚、皆さんの健康と命を差し出しています。
じゃあ一体、核兵器は誰を守っているんですか?
アメリカ国民ですか?
アメリカという国?
国と国民は違うんですか?
そして最も大切なことは、その事実を知らされていません。
いいんでしょうか?
僕は、そのことに怒りを感じます。
もし怒りを感じたら、ぜひ議論をしてほしいんです。
殴り合うんじゃないんです。
議論をしてください。
日本人としておこがましいですが、人類の一人として皆さんにこのことを提案したいんです。
だから、この映画を作って(感極まって言葉に詰まる伊東監督…彼のこれまでの奮闘を思うと、こちらまで胸が熱くなる)アメリカで上映をしています。

映画を作る過程で驚いたこと。
それは女性の名前を、そこにどう記録するかということです。
その当時、女性の名前は、夫の名前がフルネームで書かれます。
その後ろに、その妻、と書かれます。
あの当時、女性は夫たちの持ち物だったと、そういう人権だったということです。
その女性たちが、力を合わせて、行動を起こして、ケネディ大統領を動かしました。
今だったらもっともっと、行動を起こして成功できる可能性が高い時代です。
僕はアメリカに来て、アメリカで、先ほど言いましたが、議論をしてほしいんです。
これは友だちでもいい、家族でもいい、職場の人でもいい、その声を大きくしていくことが今必要です。
そして僕が最終的に目指しているのは、アメリカ議会でこのことを議論することです。
そして皆さんの中に、バイデンの友だちの人はいませんか?
ようバイデン、聞いてくれ。
(会場から、「でも、トランプの可能性もありますよ」と言われ)、トランプも(と苦笑)。
なんでもいいです、とにかく皆さんで声を上げて議論をして、この世論を大きくしてください。
僕はこれ、アメリカの人たちにお願いしたいことです。
今ここに、成功例は残念ながらありません。

僕が測って驚いたのはセントルイスです。
普通に歩いている時はそんなに高くないです。
でも、雨が落ちて、雨樋を通って、雨樋の下に水が落ちます。
そこで測ると基準値を超えています。
なぜかというと、放射性物質が風で運ばれて、雨で落ちて、落ちたものがその場所に溜まり続けるからです。
それを飲んでいるわけです。
それは、ミツバチがセシウム137を一生懸命集めて、濃縮してしまうのと同じ原理です。
アメリカでも日本でも同じですけども、オーガニックの野菜を気をつけて食べておられる方がいらっしゃると思いますが、オーガニック野菜には農薬は入っていません。
でも、放射能はもれなく入っています。

今の世代の子どもたちの乳歯テストが行われているかどうかは知りません。
でも調べることはすごく大切だと思いますが、核を推進する人たちにとってみると、それはやって欲しくないことです。
調査をしないということは『無い』ということとイコールなんです。
だから調査はしません。

視聴者からの質問
ネットで観られる、例えばNetflixとか、アメリカの多くの人たちに観てもらえる方法があれば、せひ教えてください。
伊東監督
今、YouTubeにもし流したとしても、誰も観てくれません。
視聴者
YouTubeからでも始めたら、それはいいきっかけになると思う。
伊東監督
ありがとうございます、やってみます。
視聴者
乳歯検査については、ジョー・メンガーノ氏に尋ねてみたらどうか。
www.radiation.org

社会に蔓延る問題に抗議し、それが相手に伝えられ、問題の解決に取り組ませる、あるいは止めさせる有効な方法というのは難しいと思います。
なぜかというと、日本だと私たちの政府がどう考えるか。
アメリカだと、皆さんの政府がどう考えるか。
そこに全て、あります。
日本政府は、汚染水を、安全だと言っています。
安全だから海洋に流す。
それを止めることはすごく難しいです。
日本でもたくさんの人たちが、福島の問題で頑張っています。
東京電力や日本政府を訴える裁判がたくさん行われています。
でも、ほぼ、全て負けています。
だから何をしないといけないのか。
だから僕はここにいます。
すごく遠回りなように見えるんですけども、アメリカの人たちが変わることで、その日本の問題も、世界の放射能も問題も、変わっていくと僕は考えています。
僕は、映画を、今回の映画は3作目です。
2作の映画は、日本国内で、300カ所で上映されています。
上映会場に行って、呼びかけています。「行動を起こしてください」
残念ですけど、一件も行動が起こりませんでした。
僕は絶望感を持っていました。
でも、そんな中、アメリカのルイーズ・ライスさんたちが起こした奇跡を知りました。
アメリカには希望がある、そして奇跡が起こると、僕は確信しました。
原子爆弾が生まれたこのアメリカで声が上がれば、世界の核の問題が大きく変わると、僕は考えています。
こんなことを皆さんに押し付けて申し訳ありません。

今回の、この北米上映ツアーの目標があります。
まず、アメリカ議会でこの問題を議論してもらう、ということです。
例えば、今、ロバート・ケネディさんにもアプローチをしています。
でも、彼は忙しい。
そして、もう一つはSDDs、国連が決めた環境問題のルールです。
その1番の目標は今、カーボンニュートラルになっています。
CO2の問題が、世界の環境の中で、最も重大な問題だというふうにSDDでは決められています。
でも皆さん、映画をご覧になって違うと分かりましたですよね。
CO2の問題、カーボンニュートラルも大切なんだけども、今、最も緊急性を要するのは、放射能による環境問題なんです。
今、SDDのメンバーにもアプローチをしています。
その1番の目標に、放射能による世界的な環境汚染という文言を入れてもらう。
そうすれば、世界の企業、いわゆる経済で動く企業が、放射能にエクスキューズをしていかないといけないようになるんです。
経済が変わることはすごく大切です。
軍事予算で儲けるんじゃなくて、放射能による環境汚染を改善することで儲けましょう。
大切なのは、反核、反原発、強い言葉を言うだけではなくて、経済を変えていくことがすごく大切です。
僕はそのことを実現したいと思っています。

日本では、hahaプロジェクト、ピースピースプロジェクト、それから歯歯(母・マザー)プロジェクトというものがありました。
活動しましたが、歯はほとんど集まりませんでした。
それから、1950年代、60年代、日本からも5000本以上の歯が、ルイーズ・ライスさんのところに贈られています。
集めたのは、国立衛生研究所、日本国の機関が集めました。
残念な結果ですけど、その歯にもストロンチウム90が入っていました。
ちょうど、僕たちの世代です。
僕は63歳です。
ちょうど僕らの歯です。
それで、歯の乳歯プロジェクトのこともまた映画化したいんですけども、僕はアメリカに来て、ほんとに驚くことばっかりなんです。
アメリカには放射能の問題がありすぎて、僕はもう頭が爆発しそうなんです。

例えば一つ、撮影の時のエピソードを話したいと思います。
(映画の中で)ラスベガスで車を運転してくれたジムさん、マスクしてましたですよね。
しかも、医療用のマスクです。
なぜ彼はマスクをしているか。
ラスベガスは、条例で、砂埃を上げてはいけないということになっています。
ジムさんは、軍を退役してから30年間、水を撒く仕事をしていました。
砂埃と水撒き、皆さん想像できますよね。
彼は、砂埃がたたないように水を撒く仕事をしていました。
なぜ水を撒かないといけないのか。
砂埃の中にプルトニウムが入っているからです。
プルトニウムは、地球上で最も危険な物質と言われています。
半減期が2万年以上です。
生まれると永久に人体に影響を及ぼします。
最も危険な状態は、気化した状態です。
0.0003グラムを吸い込むと肺がんになります。
だからジムさんは医療用のマスクをしています。
僕も彼の家に行くと、彼が急いで、マスクを僕たちに渡して、早くしろと。
観光客に言ってるのかと言うと、全く言っていないと。
みんな知らないで、カジノで遊んでいます。
それからもう一つ、ラスベガスの話で言うと、ラスベガスって今、人口4~5百万人ぐらい、相当大きな都市ですね。
ジムさんも言ってましたけども、元々は3~4万人の小さな町でした。
なぜ大きな街になったのか。
核実験ツーリズムです。
核爆発が起こる前に、ちゃんと告知をして、何月何日何時に爆発するというふうに宣伝をします。
そうするとアメリカ中から観光客が、キノコ雲を見るためにやって来ます。
ホテルのベランダで、ワインを飲みながら、核実験を見ます。
それが全米で大流行りしたんです。
それがきっかけで、ラスベガスは大きな街になりました。
そういうこともアメリカの人たちに知ってもらいたい。
そんなことがアメリカにはあり過ぎて、僕は何から手をつけていいのかわからない。

視聴者からの提言
・オペレーション・ベイビートゥース(乳歯作戦)というタイトルの映画を作ってみては?
・誰も聞きたくない話ではなく、お説教にならないような内容の映画を作ってほしい。
・放射能フリー経済を推進する企業を育てるというプロジェクトを立ててみては?

今までの間に、2000回以上の上映をしています。
人が生きていく中で合理性を追求すると、やっぱり今電気なんですよね。
やっぱり少し、アナログになってもいいんじゃないかな。

ドクター・ライスのことは、(今日も会場に来ていた)ジョセフ・マンガーノという方が書いた書籍で知りました。
彼女のことだけでも映画が一本できると思います。

わたしは、伊東監督は本当にすごい人だと思います。
人類の健康と命を脅かし続けている放射能汚染の現実と実態を世に知らしめ、知らず知らずのうちに被曝させられた人々にその自覚を促し、汚染を発生させた犯人に補償させる。
放射能汚染を、国際的な環境問題として捉え、実践的で現実的な改革を起こす。

その目標を達成するために人生を賭けておられます。
この映画を世に広めようと行動し続け、1000万円以上もの赤字を抱えてもなお、前に進もうと闘われています。
2度に渡り、クラウドファンディングが行われましたが、コロナ禍の発生や円安が続く中での海外取材や上映会には、予想をはるかに超える費用がかかります。
今現在は終了したクラウドファンディングのページを紹介させてください。
ここに全てが書かれています。
どうか目を通してください。
そして、再度ファンディングが行われる際には、お知らせをさせていただきますので、皆さんのご協力を心からお願い申し上げます。

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石丸構文は何故生まれたのか

2024年07月17日 | 日本とわたし
石丸構文は何故生まれたのか。『公平性を保つ』は言い訳?メディアも変わらねばならぬ時。

石丸構文っていうのがSNSで騒がれて1週間。
モヤモヤしてたけど、古館さんが作ってくれた動画がわたしの思いを的確に言葉にしてくれていたので紹介します。

文字起こしはじめ(省略部分が多々あります😅)
ー前略ー
NHKから「今回の敗因は何だと考えますか?」と聞かれた石丸さん、「マスコミの報道が全くなかったことが理由ではないか」と答えた。

マスコミの選挙報道に腹を据えかねていた男だ。
選挙が終わり、落選が決まったとなった途端に、それまでは無視していたくせに、急に寄ってたかって石丸さんの人となりを聞いてみたり、政策の問題点をあげつらい始めた。

(まうみ注・日テレは同インタビューの中で、今回の都知事選は踏み台だったのか、売名行為だったのかなどという、1ヶ月余りの壮絶な選挙運動をやり遂げた本人と支援者、そして応援した有権者に対してリスペクトが微塵も無い言葉を投げかけた)。

古市憲寿さんのインタビュー、なんであんなふうに言うのかなっていうのが、俺の正直なところ。

古市
「出口調査で2位で嬉しかったですか?」
(古館注・落選して2位で嬉しかったかと言う質問は過分にして聞いたことがない)
(わたしとしては、街宣を220回以上行い、心身ともに疲弊し、開票結果で落選を知った直後の候補者に聞くことかと憤慨した)

石丸
「勝ち負けなどという候補者目線の小さな話はしていないです。
そういう煽り方をするから、都民、国民の意識がダダ下がりなんです。いい加減にわかってください」

険悪なムードを収めようと日テレの女性キャスターが横から入ってきて、
「石丸さんのおっしゃる政治屋の定義は何なんでしょう」と聞く。

石丸
「政治のための政治を行う、党利党略、自分第一、それらを言っている者、やっている者を政治屋と私は定義しています」

ここで古市さんが横から入ってくる。

古市
「世の中を変えるって言うんだったら、石丸さん、企業家、NPO、官僚とか色々ある中で、石丸さんが政治家にこだわる理由ってのは一体何なんですか?」

石丸
「いえ、こだわってませんよ」

古市
「いや、いわゆる石丸さんが否定されている政治屋と石丸さんとのはどこが違うんですか?」

石丸
「何か堂々巡りになっているんですが、先ほど定義の話、しましたよね」

古市
「いや、改めて定義を聞いているんですけども、どうなんですか?」

石丸
「同じ質問を繰り返してます。さっきお答えしましたけど」

古市
「だからその定義を聞いている、どうなんですか?」

石丸
「もう一回言えってことですか?」

古市
「いや、まだ答えてないから」

中略

石丸
「言葉の定義じゃなく相違点を聞いてるんですか?」
(まうみ注・ここで時間切れになり、スタジオでは「いやあ、答えてくれませんでしたねえ」となった)

政治屋っていうのは、石丸さんにいちいち聞かなくても、政治という産業で金儲けをする裏金議員たちのことを言うんじゃないの?
古市さんはそれよく知ってるはずなんだよ。
で、古市さんはこう言いたかったのかなと俺は想像する。
「石丸さんは、政治を生業にする政治屋と一緒なんじゃないですか?」と。

とりあえずみんなの前で、選挙の時に、石丸という人間が『政治屋一掃』って大見得切ってガツンと言ったんだったら、有権者はそれを一旦預かって、裏切られたら投票でまたドンと示せばいいだけのこと。

アベマTVのパックンは同じ趣旨の質問をもっとシンプルに行なった。

パックン
「長い政治生活の中で、石丸さん、もしかしたら今後石丸さんが政治家になるんだったら、政治屋になることはないんですか?」

石丸
「ないです、そうなるんだったら辞めます。私もしたいことがあるんで」と答えていた。

そういうことじゃないかと思う。

ここのところ、サブウェイ含めて石丸構文ってのが、表層だけ捉えて遊びで流行ってる。
あの石丸構文っていうのは、質問者の整理がついていない状態の、何だかよくわかんない質問と、あるいは整理をしないで自分の求めている答に誘導尋問していく時に発せられた言葉を見抜いて、『その手に乗らないよ話法』を石丸構文と言う。
だから、石丸構文というのは、質問者が作ったもんだってことを言いたい。
なにも石丸さん本人が作ったんじゃないんだ。
質問者が意地悪に、ここ突っ込んでやろう、政治の具体性があんたは希薄だって言ってやろうっていうのを、遠回りに遠回りに言ってたりするから、なに遠回りに言ってんだっていう時にブラック石丸が登場して、ドンと言う。
で、言いすぎたなって思ったら、次また別なテレビ番組に出て、ホワイト石丸を演じる。
これを繰り返して、ホワイト石丸、ブラック石丸って、いいじゃない別にそれ。
政治をエンタメ化するっていう手段を言ってんだから。
政治をエンタメ化するのが最終目標なら困るよ。
だけど、徹底的に自分を売る時の手段としてエンタメ化するのはいいんじゃないかと思う。

古市さんを悪者にしてこんなことを言わせてもらったけど、言ってる俺も碌なもんじゃないの、実は。
先に言っとくけど、報道ステーション12年やって、ためにする質問も政治家にぶつけた、バーっとね。
選挙速報、選挙特番やっていて、隣のTBSからポンと入ってきて、今度はまたイヤホンを付け直して、そして政治家の先生がワンショットになってる、そこでこれを向き合うってなった時に、まだ頭の中が質問整理されてない。
共産党からその他自民党とか、ポンポン変わっていくわけだ、政治家の人が。
こっちも整理されていない時に、必ず、ああ定番嫌だなって思うけど、選挙速報の時のコメンテーターや司会系の質問のね、3つのセリフっていうのが必ずあるの。
これを使っちゃっててどんだけ虚しい思いを常にしてたか。
まず、はい、選挙結果出ますけども、今の受け止めは。
選挙戦、どうであれ、手応えはあったんじゃないですか?
受け止めから手応えという言葉に変える。
色々と愚にもつかないことを聞いているうちに、最後は、ま、今回負けたとはいいうものの、風を感じたんじゃないですか?
必ず受け止めから始まって最終的に風で終わるんだよね。
こうやって、質問者もね、なんかある種の意地悪さを持ちながら、それも複数対単数でパーっとやるというのもどうかと思う、選挙特番の作り方として。

政策や政治活動が希薄だとか、政策がまだ具体性が見えないとか突っ込むんだったら、もっと前の選挙期間中にやれよって話なんだ。
放送法第4条ばかり言ってないで、最終的にトータルで公平性を保てばいいんだから、蓮舫さんにも小池さんにも、選挙期間中に、もっともっとインタビューを深くするべきだったんだよ。
討論会だって、テレビは1回しかやらないで、インタビューもじっくり聞かないで、選挙期間中だから、公平性だから、56人も出てるからって、そればっかりだったでしょう?
都政っていうメガロポリス大東京の政治をどうやっていくのかと考えてたら、国政につながる。国政のことやってたらメガロポリス大東京にグーっと連関してくるに決まってる。
神宮外苑の再開発問題、プロジェクションマッピング(40億円以上費やして都庁舎壁面に投影)、それから政治と金、小池さんに対して自民党隠し、その戦略が持ち込まれたいろんなアングルで報道することはいっぱいあったはずなんだ。
ー後略ー


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好きという気持ち

2024年07月08日 | 日本とわたし
以下↓は、石丸さんの街頭演説の中で一番好きな言葉です。

「好きという気持ちに間違いはありません。全部正解なんです。なので、その好きという気持ちをぜひ大事にしてください。そして同じように、誰かの好きという気持ちを大切にしてあげてください。
その関係の上で生まれるやり取り、その中にこれから先の未来があるんです。これから先、成長していける可能性はそこにあるんです。
これまでと同じことを続けてて、同じ関係性を繰り返したって、新しいものはなかなか出てきません。
だからこそです。
自分が何を考えているのか、人が何を考えているのか、これを、その正義を、せっかくなんで共有してみてください」

彼はいつも「投票に行ってください。誰に入れてもいい、選挙を大いに楽しんで投票に行ってください」と訴えていました。
街宣は実に220回を超えました。
マスメディアにはとことん、意図的に無視されていましたね。
「いよいよ最終日になって、よくぞお越しくださいました」
これ、6日の街宣時に、マスメディアに向けられた石丸さんの皮肉です。

石丸さんを知ったのは、一昨年の夏に日本に行った時、大阪在住の弟から教えてもらったのがきっかけでした。
それから以降、全く自分の暮らしに関係のない安芸高田市の議会中継を視聴してきました。
よくYouTubeで流れてる切り取り動画ではなく、安芸高田市の公式ホームページに掲載されている議会の中継ビデオを、根気よく視聴してきました。

彼がYouTubeを使って得た投げ銭は、全て安芸高田市の財源になり、全国に名前が知れ渡ったことから、ふるさと納税が何倍にも増えて、学校設備などに使われています。
(まうみ注・安芸高田市の市長選挙が行われ、常々石丸さんと対立していた清志会のメンバーが市長に当選したことから、チャンネル登録をやめる、ふるさと納税の寄付をやめるという人がワラワラと出てきています。
石丸さんと4年間一緒に頑張ってきた市の職員の方々、石丸さんに刺激されて市政に興味を持ち始めた子どもたちは、そういう現象をどんな気持ちで見ているか…。
逆に反骨精神を発揮して、そして自分の意思をしっかりと構築して、安芸高田という小さな市の存続につながるアイディアを見つけていって欲しいと願っています。
不思議なご縁で繋がった安芸高田市の市議会ウォッチングは、これからも続けていきたいと思います。)

さて、選挙が終わって、石丸さん、色々言われてますね。
支援する人たちが自民党の関係者だったり、大企業の偉いさんだったりしたことから、自民党や統一教会の回し者だとか…。
実際、彼を応援する人たちの中には、わたしが大いに嫌ってる人もいて、なんでこんな人たちと…と思ったこともあります。
でも、世の中を変えるという時って、そういう好き嫌いの枠を取っ払って視野を広げる必要があるのかなと、冒頭の石丸さんの言葉のように、
「自分の好きという気持ちを大事に、そして同じように、誰かの好きという気持ちを大切にする。
その関係の上で生まれるやり取り、その中にこれから先の未来があり、成長していける可能性はそこにある。
これまでと同じことを続けてて、同じ関係性を繰り返しても、新しいものはなかなか出てこない。
だからこそ、自分が何を考えているのか、人が何を考えているのか、これを、その正義を共有する」
という行為が肝心なのだと思ったのでした。
この言葉は実は、わたしと夫の関係性の改良にも役立ったんです。
深いなあと思います。
けれども気がつくと、わたしのXには、石丸さんに対しての嫌悪感や不信感を抱く人たちのツイートが蔓延していました。
初めて、あれ、わたしはXの世界ではハズレ者になったんだなあと感じました。
そして、こんなふうに誤解や曲解をされてしまっていることが残念でたまりませんでした。
でもまあ、彼のあのものの言い方、少し改めた方がいいかも知れません。
不快感は得てして大きな反発を招くし、真意が伝わりにくくなるからです。


安芸高田市の議会、もちろん全員ではありませんが、話題になっている一部の議員さんたちの態度や資質には、本当に問題があります。
さらにはその議員を擁護する議長などもいて、四面楚歌状態の議会でした。
YouTubeでバズっている切り取り動画は、のらりくらりと、要点を得ない質疑を延々と続ける議員に、これでもかこれでもかと懇切丁寧に説明を続けていた市長が、とうとうのとうとう堪忍袋の尾が切れた、という場面です。
居眠り議員を叱責した時も、その人はそれまでにも何度も居眠りをしていた常習犯でした。
反省するどころか、議長と一緒になって、目を瞑りながら聞いていたと言い返すことから始まって、延々とあーだこーだとゴネ続ける年配議員たち。
議場での態度や物言いが怠慢過ぎるのは国会議員でも同じで、わたしたちが国会を視聴している際に、そういう輩に1発ぶちかましてやりたくなるじゃないですか。
それを目の前の小さな画面の中で見せてくれる石丸さんを見ていると、胸がすく思いがしたものです。
まあ、年配の議員さんたちにしたら、今までなあなあでやってこられたのに、いきなり出戻ってきた若造にズバズバと容赦無く指摘されて、きっとカッチーンときたんだろうとは思います。
確かに言い方はかなりきついですから、言葉や口調を選んで欲しいという気持ちがわからないこともありません。
が、質疑時間を大幅に超過して延々とゴネ続けたり、意味不明だったり、しつこく絡んだりされたら、あれぐらいのキレ方は当たり前だと思います。
その時点までは本当に辛抱強く言葉を聞き、そのいちいちに対して繰り返し返答し続けているわけですから。
ただ、それをYouTube上で編集して、お祭り騒ぎのように煽っては登録者数を増やす人たちがいて、その行為が当事者である議員やそのご家族を深く傷つけたことも事実です。

彼は「日の丸を背負ってアメリカ大陸を上から下まで回っていた、その時に愛国心を強く意識した」と言っていました。
わたしも国を出て24年経ちましたが、彼の言う愛国心という感覚がとてもよくわかります。
俗に言う保守とか右寄りという言葉で括られない、もっと純粋な、アイデンティティというか、他の何者でもない、わたしそのものというか、まあそういう感覚です。
彼の場合はそれが利他的な行動につながり、故郷の市政に携わり、困窮する地方自治体の現実を目の当たりにし、東京一極集中を地方との連携という形に変えることで、弱っている地域の底上げをするという目標を立てました。
そういう目標が立てられたのは、アメリカ大陸9カ国を第一線の経済アナリストとして回っていた人だからこそだと思いますし、安芸高田市の存続と発展を心から願っているからこその目標なのだと理解しています。
故郷の、そして故郷のように弱っている自治体、さらには日本の再建のためなら自分の人生なんぞくれてやる。
そういう姿を見て、支援したいと人が集まり、それが今回の選挙運動に繋がったのではないかと思います。

日本から出てこちらで働き、社会人として生きていると、日本の政治の幼稚さ、マスメディアの稚拙さが目につくという気持ちもわかります。
特にテレビの人たち。彼らの軽薄さ、他人へのリスペクトの無さにはゾッとします。もちろん誰もがということではありません。

長々と書きましたが、そろそろ終わります。
ということで、石丸さんの思想や見解の全てに賛成しているわけではないですが、これからも続けて応援していきたいと思います。

2024年7月7日
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JAZZ VESPERS at Bethany Baptist Church

2024年04月09日 | 日本とわたし
毎月第一土曜日に開かれる「JAZZ VESPERS」に再び行ってきた。
「VESPERS」ってなんぞや?とわたしはずっと思っていて、今更ながら夫に尋ねると、「教会で土曜日の晩に歌を歌ったり祈ったりする行事のこと」と答えた。
「ほんじゃ、なぜこの教会はその歌や祈りをJAZZにしたん?」と聞くと、「知らん」と一言。
それで今回は、教会で上の立場にいそうな人を見つけて、その成り立ちについて質問をしてみた。
彼女はその時プログラムの準備に忙しくしていて、「あなたの質問にはちゃんと答えたいので、名前とメールアドレスを教えて」と言ってくれたので、今は彼女からの連絡待ちである。
それでとりあえずネットで調べてみると、
VESPERS(晩課・ばんか)とは、正教会の晩の奉神礼、およびカトリック教会の晩の典礼をいう。
英語の"Vespers"に対応する、両教派に共通する訳語であるが、教派によって構成はかなり異なっている。
と書かれているのだが、これではあまり意味がわからない😅。

雲がなかなか面白い夕方だった。

このBethany Baptist Churchの建物は独特なのである。

音響の調整がなかなか上手くいかないらしく、開演が40分ほど遅れたので、礼拝堂の隣の部屋で待つ。

ようやく演奏会場となる礼拝堂に移動し、演奏が始まった。

サックスとトランペット、ベースとピアノとドラムの5人編成で、中心人物のCamilleさんはまだ大学を卒業したての若者さん。
大学の専攻は音楽じゃなくて科学。でも彼女はサックスはもちろんのこと、バスクラリネット、フルート、ピッコロを演奏し、そしてとんでもなく歌が上手い。
特にスキャットがすごくて、それはもう声というか楽器というか、思うがままに、感じるがままに、自由に浮遊するフレーズで、聴いていてとても心地よかった。


ピアニストさんだけは肉眼では見えない場所で演奏していたので、モニター画面から紹介。

献金タイム。差し出されたカゴに好きなだけ入れる。

天井はこんな感じ。

この日の牧師さんのお話は、すごくノリがあって面白かったのだけど、どんどん加速していって話が長くなっていき、わたしは少々飽きてしまった。
でもあのリズムの良さには惹きつけられる。
なんかブロードウェイの役者の演技を見ているような気分にもなった。
ほんと、いろいろだなあ。
次は5月の第一土曜日。
その時までにはこの教会のJAZZ VESPERSの成り立ちが判明している、かな?
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最近の楽しかったこと嬉しかったこと

2024年04月02日 | 日本とわたし
タイトルの写真は、雑誌のニューヨーカーに掲載されてた挿絵。
夫が見つけて教えてくれた。
その日は一日中、これを見てはクスクス笑ってた。


これは先日、シアトル在住の次男くんが送ってきてくれたインスタントラーメン。

一蘭ラーメンという、ラーメンマニアの間では有名なラーメンなのらしい。
グルテンフリーだけどいただくことにした。
豚骨スープと細麺、そしてピリ辛の赤い粉、作り方を忠実に守り、ゆで卵と大量のネギと薄切り椎茸を足して食べた。
激ウマ!


これは去年のクリスマスに義弟がプレゼントしてくれたポップコーンメーカー。


夫は次々と新しい味付けのアイディアを試している。
オリーブオイルとカレーパウダー、オリーブオイルと擦りニンニクと乾燥ディル、さてさて、お次は何が出てくるか。


まうみはカエルが好きなの?と新しく入ってきた生徒さんや親御さんによく聞かれる。
はい、大好きでございます!



幼少の頃、田んぼとかで捕まえて、お尻の穴からストローを突っ込んで、プープー吹いていじめてたことは内緒内緒😅
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春が来た!どこに来た?ここに来た!

2024年04月02日 | 日本とわたし
ようやく来てくれた春。
ぽんちゃんの花が開き始めた。

自生の花たちもいっぺんに咲き始める。


紫陽花の新芽も出てきた。

A美ちゃんから株分けしてもらったアヤメも元気に姿を現してくれたのだけど、3年目の今年こそは花を咲かせてくれるかなあ。

ヨシノ姉妹のつぼみもふくらんできた。



お昼寝石さんのキラキラが写せないのはすごく残念!

玄関ポーチからのぽんちゃん。

とうとう始まった垣根の剪定。葉っぱが茂ってくれないと、前庭が丸見えなのである😅


この家に引っ越してきてから早や15年、歩道横の芝生は枯れ放題、なので散歩の犬が好んでウンチをしていたのだけど、今回とうとう新たに芝生を植えた。
さて、どうなることやら。

週明けから雨続きという予報が出ていたので、重い腰を上げて裏庭に出た。
菜園はこの通り、豆科の雑草に覆い尽くされていた。

よくよく見ると可愛らしいのである。


でもまあ、とりあえず、ささっと土を耕しておくことにした。

すると夫も出てきて、最近手に入れた日本製の、夫曰く、危険なほどによく切れるノコギリ刃が付いた道具で、枯れ木をゴリゴリと切り始めた。


ヨシノ姉妹の開花開始!




なんちゃってモザイク遊びをするための材料集め。
全部掘り起こしてきたもの。

石っころも拾い集めてきた。

庭仕事?遊び?のあとは、二人で夕飯作り。
夫がシェフでわたしは助手😅

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国民の65%は、キックバック裏金議員は 「議員辞職すべき」と思っている!

2024年02月27日 | 日本とわたし
政治家の裏金問題、ひっどいですよね。
ずっと追いかけてますが、なんだかまた有耶無耶になりそうで…。
選挙区別の自民党裏金リストを作ってくださった方がいます。拡散します!

政治家の顔写真をタップすると、奴らがまんまと手に入れた裏金の総額が出てきます。

経営者も従業員も、それ以外のいろんな立場の人たちも、働いても働いても一向に楽にならないという感じをずっと持ち続けているのではありませんか?

税金だって延々とむしり取られてきて、

悪党らは開催する費用を1日に換算すると3億円になる、とてつもなく高額な国会の場で怠け放題やりたい放題。

そりゃ思いますよ、当たり前です。

ほとぼりが早く冷めてくれないかと待っている悪党の代表格。

献金と裏金まみれの政党に政治なんか任せられなと思います。
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