ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ジャズ・フェス・ジャンボリー2024

2024年10月07日 | 音楽とわたし
毎年行われるジャズフェスティバル、今年で15回目となりました。


モントクレアは、わたしたち家族が渡米して初めて住んだ小さな町です。
この町を選んだのは、学校教育と芸術に力を入れていて、外国から移住してきた子どもたちのための英語のクラスも充実していたからだったのですが、なにしろ税金がとても高くて、持ち家など夢のまた夢。
なので借家かアパートメントで暮らす以外の選択肢はなく、息子たちが学校教育を終了してすぐに、隣町に引っ越してしまいました。
けれども車で5分も走れば行ける距離なので、今も美味しいものを食べに行ったり、音楽や舞台を楽しみに行くことが多い町です。

わたしたちが引っ越した年から始まったこのジャズフェスティバルは、この町に住む天才ジャズベーシスト(グラミー賞を8回獲得している)、クリスチャン・マクブライドが中心になって行われるようになりました。
毎回、ジャズ界の重鎮がゲストとして出演するジャンボリー、メインステージに向かってゆるい下り坂になっている広い大通りに、思い存分に音楽を楽しもうと大勢の人たちが集まってきます。
この日はだから町が音楽と一体化するのです。
舞台で演奏するのは、有名なプロミュージシャンだけではありません。
マクブライド氏が設立した子どものためのジャズハウスで研鑽を積んだ子どもたちも出演します。
子どもたちはその日だけではなく、前夜祭的に行われる行事で、ジャズだけに限らず音楽界の重鎮と共演するという、素晴らしい経験もできます。
今年のゲストはスティング。羨ましい限りです。


今年のプログラムはこれ。


これはジャズ・フェスティバルのマップです。


お昼の12時から夜の10時まで、ダウンタウンで音楽を楽しみます。

夫とわたしはその日、朝からとても体がだるくて、フェスティバルに行こうかどうか迷っていましたが、日が暮れ始めると我慢ができなくなって出かけることにしました。
わたしたちがメイン会場に到着したのは18時前、聴きたかったマクブライド氏の演奏は終わっていましたが、最後の出演者リサ・フィッシャーの歌声が響きわたると、気分は瞬く間に上昇し、空にはお月さまと撮影用のドローンが浮かんでいました。

リサ・フィッシャーは、バックコーラス・ボーカリストとしてスティング、クリス・ボッティ、チャカ・カーン、ティナ・ターナー等の一流アーティストと共演し、リリースしたソロアルバムやシングルレコードでグラミー賞を受賞した人です。1987年、ミック・ジャガーのソロ・コンサートツアーに参加し、その後、ローリング・ストーンズのツアーに1989年から現在に至るまで参加し続けていると後で知って、ああ、だから彼らの曲を彼女風にアレンジした歌を何曲も歌っていたのだなと、夫と二人で納得したのですが、そのアレンジがまたとても個性的で、よくよく注意して聴いていないとわからないぐらいなのです。



フィッシャー氏の舞台が終わり、フェスティバルの最後はDJによるアップビートな音楽が始まると、人々は立ち上がり、思い思いのダンスを楽しみます。


この男の子は可愛いドラマー、肩車してくれるお父さんの頭をノリノリで叩いています。

音楽が体や心にしみこんで、深いところから揺さぶってくる。そんな経験は何度あってもいいと思います。
身の回りにいつも音楽が寄り添っている人生、なんていうと難しく考える人もいるかもしれません。
でもちっとも難しくはありません。
大人も子どもも、そしてもしかしたら動物たちも、音を楽しむ機会はどこにでもあるからです。
わたしはジャズを3年勉強して、自分には無理な分野だと断念した苦い経験がありますが、ジャズを聴くのはとても好きです。
また来年のジャンボリーを楽しみに、来月に控えている生徒たちの発表会の準備に勤しみたいと思います。
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メイソン・ジェニングスを聴きに行ってきた🎵

2024年06月30日 | 音楽とわたし
「誰かだけ特別なんて信じないな。僕らは大きな仲間の部分部分なんだ」
Mason Jennings(メイソン・ジェニングス)のバイオグラフィーより

彼のコンサートを聴きに、友人夫婦と一緒に、うちから車で1時間半ほどかかるフィラデルフィア近郊の町まで行ってきた。
彼のことはずっと前に夫が教えてくれた。
なんとも不思議な歌い方をする人で、最初はその微妙なズレが気にかかって仕方がなかったのだけど、一旦慣れてしまうと今度は中毒性のある不思議な魅力に変化して、彼がカルト的な人気を開拓しているという意味がうっすらとわかる。
メイソンはホノルル生まれ。2歳のときにピッツバーグに移住して、16歳で高校をドロップ・アウトした。
彼の歌を聴いているとボブ・ディランが思い浮かんでくる。

例えばこんな感じ。
Duluth

会場はとても古い劇場で、なぜか今回は最前列の、いわゆる”かぶりつき”のテーブル席を夫は予約していた。






かぶりつきなだけに、その一帯は猛烈なファンたちが陣取っていて、夫はともかくわたしは特に、部外者であることをひしひしと感じながらコンサートを聴いていた。
その列の人たち(特に女性)は、メイソンの曲の歌詞を全て、一言一句間違いなく覚えていて、コンサートの始めから終わりまでずっと、彼と一緒に歌っていた。

舞台の上には一本のギター、そしてハーモニカ。

彼はギターとピアノを演奏しながら、自作の曲を次々に歌っていく。




彼の歌の和声はとてもユニークで、おいおいそこに行くか!とつっこみたくなることがよくあるのだけど、なぜか納得してしまう不思議な力がある。
客席が3分の1ぐらいしか埋まらなくて、なんか申し訳がない気持ちになったのだけど、彼もファンたちも楽しそうに声を掛け合っていて、なんともいい気分のコンサートだった。
それにしても、あれだけの数の曲の歌詞をきちっと覚えて歌えるってすごいなあ。
って、感心するとこそこ?😅
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クラシックとジャズと

2024年04月02日 | 音楽とわたし
先々週の土曜日は、今年は参加しなかったACMAのSpring Concertが行われた。
よくよく考えた末の不参加だったのだけど、やはり会場に行って聞いていると心がうずうずしてきて未練たらしいったらない。
でも無理だったのだ、本当に。
曲を深く掘り下げて学び、練習に練習を重ねて伝える術を磨き、レッスンにも通い、演奏者からの要望や質問に答え、楽譜を書き直したり書き加えたり、そういうことに必要なエネルギーが無かった。
そもそも、毎週日曜日の夕方の、3時間のリハーサルに通うことからしてわたしには大変過ぎた。
生徒の数が26人だった頃と40人以上に増えた今では、毎日の疲れ具合が違う。
そしてわたしはもう若くない。
気持ちと行動が伴わなくなるのは致し方のないことなのだ。
今回のピアノは前回のとは違ったのだろうか、それとも調律がしっかり為されていたのだろうか、音がとても良かった。



またいつか、演奏に参加できる体力と気力が戻ってくるかなあ…。


そして先週の土曜日はこれ、上原ひろみさんのブルーノートライブ🎵

実は夫もわたしもここは初めて💙

マンハッタンはすっかり春になっていた。

グリニッジビレッジは絶対に迷う。

中に入るとブルー一色。
噂には聞いてたけど、マジでぎゅうぎゅう。


1時間前から並んでいたので、まずまずの席に座ることができた。
とっぱちからぶっ飛ばすひろみさん。





いやはや、めちゃくちゃ楽しそうでパワフルなのである。
そして、高速で弾くスケールやトリルの音色が、うっとりするほど軽やかで美しい。

やっと一息つく時間があって、それでまた演奏に戻ろうかという時に、どこかから「コケコッコ〜🐓!」の声が。
え?なに?どこ?

携帯の持ち主さんはご高齢の男性で、焦り過ぎたからか止めることができないようで、さすがにひろみさんもこの表情😅

この後、コケコッコ〜をモチーフにちょいと即興してくれた😃

バンドのメンバーは誰も彼もが強者揃いで、ひろみさんならではのパワフルでユニークな快速パッセージを難なく演奏していくのだけど、聴いている側の我々にもその勢いについていくエネルギーが必要になる。




なんか彼女の弾くバッハが聞いてみたい、なんて思った夜なのであった。
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ようやく肩の荷が下りました。

2023年11月22日 | 音楽とわたし
先日の生徒の発表会に出られなかった3人の生徒のためのサロンコンサートが昨日終わった。


3人とも週末は都合が悪かったので、3人のうちの2人がレッスンを受ける月曜日の午後に行うことにした。
3人とも今回が初めての発表会だった。
だからよけいに、広い舞台に立たせてあげられなかったことを申し訳なく思った。


先日同様、ソロとデュエットに分けて演奏してもらった。
3人と彼らの家族と輪になって、ピアノのことについて話をした。
練習のことをどう思う?と聞いてみたら、Aちゃんが「わたし練習大好き!」と言う。
うわぁ〜びっくりした。
このAちゃん、実はほんの3ヶ月前まで、うちに来るなり練習をしてこなかった(彼女曰くできなかった)言い訳話を始める子だった。
幼い弟が鍵盤を手のひらでバンバン叩く、おかあさんが仕事でいない、ピアノの部屋が寒すぎる(暑すぎる)、学校の宿題が多すぎる、友だちが遊びに来て時間がない…etc。
彼女は子守りさんがうちまで送り迎えをしてくれているのだけど、その子守りさんはうちに着くや否やスマホいじりに勤しむので、家での様子を聞くこともできない。
同じ曲を同じところで間違えて、前に進めなくなって止まる。音符の名前をどんな方法で教えても覚えようとしない。
う〜ん、本人にやる気が無いのなら、無理に通わせるのはいかがなものかと、親御さんに相談して本人と話し合ってもらったりしたが、本人がやめたくないと言うので仕方がない。
まあまた突然練習に目覚める時が来るかもしれないから待ちましょうと、家族や子守さんに伝えたのが3ヶ月前のこと。
それがどうしたことか、突然ニコニコしながら部屋に入って来て、言い訳話も無しに弾き始めようとするではないか。
わたしはびっくりして、思わず「ちょっとAちゃん、今日は話はないの?」などと聞いてしまうところだった。
彼女はスルスルと、それも楽しそうに弾き始めて、そのまま曲を丸々弾き終えてしまった。
そんなことはそれまで一度も無かったので、わたしは仰天して、「いやあ、いいねいいね〜」と喜んでハイファイブした。
その時の、彼女のちっちゃな手の平とわたしの手の平が作ったパチンという音が、まだ耳の奥に残っている。
それからというもの、彼女は毎週きちんと練習をして、やって来るようになった。
そうか、彼女は今や、練習大好きっ子になっていたのか。
おかあさんが、「この子はなんでも始まりが遅くて、だから誤解されて残念な思いをしたことが何回もあったんです。今回は根気強く待ってもらえたのでよかったです」と話してくれた。

Hさんは20歳で、エジプトからの移民で、大家族の4人兄弟の一番上で、9歳の弟の習い事の送り迎えをしたり、資格を取るために大学の授業を受けながら会社勤めもしているので、それこそ練習するのは本当に大変なのだけど、大学のピアノを借りたりして一所懸命に練習している。
彼女が頑張り屋さんだということは知っていたけど、ここまで忙しく、また大変な思いをして練習をしているとは知らなかった。

10歳のLちゃんは、ものすごく恥ずかしがり屋だけど体操クラブに通っていて、負けん気が強いらしい。
口数が少なく、褒めると照れてうつむいてしまうような子だけど、同じ失敗をしていることを指摘したりすると、涙をポトリと落とすこともある。
悔しかったんだな。
彼女もスロースターターで、頭や体が納得するまでに時間がかかる。
そんなこんなの、普段のレッスン時にはなかなか聞くことができない話をたくさん聞かせてもらった。

わたしからは、先日の発表会同様、ピアノの練習のことについて話をした。
ピアノはレッスンが始まると同時に宿題が出される。
当然、その宿題の練習がもれなく付いてくるので、このことをまず、習い始める前に、本人はもちろん家族も理解していないと続かない。
練習は面倒だし面白くないと思っている人が多いかもしれないが、練習することが当たり前になるとどんどん面白くなってくる。
ほんの少しだけど、何かが良くなってきている感じがするからだ。
あまりにわずかなので気が付かないこともある。
1日に1センチしか進めない、仲間内でも一際歩みが遅いカタツムリ。
1日の終わりに見る景色は朝とさほど変わらなくて、自分が進んだかどうかも怪しいけれど、それでもぼちぼち進み続けていって1ヶ月も経つと30センチも進んでいる。
カタツムリからしたら、30センチも進んだ周りの景色は別世界だ。
練習中には思い通りにいかなくてイライラしたり、進んだと思ったら間違った道だったりしたり、一歩進んで二歩下がるみたいなこともあって落ち込んだり、それはもうバラエティに富んだ毎日が続くわけだけども、それでもなぜか心の底ではワクワクしている。
このワクワクを毎日味わえるようになるとクセになる。
そうなったらもう練習は特別なものではなくて日常になる。
小さな子どもから大きな大人まで、他の誰でもない、自分がやったことで自分を幸せにできるってすごい。
そうやって練習することが当たり前になると、人生のいろんな場面で活きてくる。
なにしろ根気が良くなるし、今は見えなくてもゴールは必ずやってくると信じることができる。

まあ、ピアノに限らず楽器を演奏できるようになるっていいなと思う。
わたしはいろんな理由でピアノが弾けなくなった時期があるのだけど、代わりにクラリネットやマリンバやティンパニーやドラムを練習して、それなりに演奏できるようになった。
それぞれの楽器に独特の面白さがあり、難しさがあり、どれもが音楽に関わる幸せを感じさせてくれる。

枯葉にも音楽がつながっている。

この季節の風物詩、枯れ葉掃除屋さんがあちらこちらに出没する。

近所の大イチョウの木。



すっかり葉が落ちた木と、これからが紅葉本番の木と。



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45周年記念・仕切り直し発表会

2023年11月15日 | 音楽とわたし
ピアノ教師を生業にしてから45年目の、大ボケ大失敗で大勢の人たちに大迷惑をかけた日の翌日に、仕切り直し発表会を行った。

11月11日土曜日の午後1時10分、お寺の駐車場で始まった恐怖のドタキャン顛末を、今も思い出すたびに背筋が凍る。
1時10分、15分、20分、じりじりと時間は過ぎていくのに、目の前の建物は巨大な棺のように冷たく微動だにしない。
そうこうしている間に、がらんとしていた駐車場に次々と車が入ってくる。
当然だ。
予め送っておいたメールで、当日舞台のピアノを試し弾きしたい人は早めに来るようにと伝えてあったのだから。

どうしたの?
それが…なぜだかわからないけど、建物の中にまだ誰もいないんです。
なので寒いから車の中で待っていてください。

そんな応答を何度も繰り返しながら、夫とわたしはなんとかして責任者と連絡をつけようと必死になっていた。
思いつく限りの関係者に連絡をし、向こうからの返事を待った。
午後2時20分、結局、発表会は日曜日に延期しなければならないことになり、わたしの体は小刻みに震え始めた。

一体どんな顔をしてこの決定を伝えればいいのだろう。
混乱し、失望し、激怒し、恐怖に苛まれて、わたしの顔はかなり引き攣っていたのだろう。
生徒たちが乗っている車に近づくだけで、何を言い出すかを理解したようだった。
みんな、口を揃えたように、わたしたちのことは気にしないで、こういうことは起こるものだ、また明日会いましょうなどと言って、誰一人わたしを責める人がいない。
そのうちに、日曜日になると出られません、という生徒が現れ始めて、それが4人になった時、もうたまらなくなって泣いてしまった。
延期のせいで聴きに来られなくなった親御さんや友だちも、とてもがっかりしていた。
しかもその人たちは、車で2時間ほどもかけてやって来てくださった人たちだった。
申し訳が無さ過ぎて、愚か過ぎて、取り返しのつかないことをしてしまった自分が情けなく恥ずかしかった。

最後の生徒に伝え終わる頃には、頭の中はボワボワに膨れ上がり、耳の奥では針金のようなものできつく縛り上げられた心の悲鳴が響いていた。
お寺から家に戻り、みんなにお詫びのメールを書き、出られなくなった人たちのことを思ってさめざめと泣いた。
どうしようもなく辛くて、どうしようもなく腹立たしかった。
それでも明日は仕切り直しをしなくてはならない。
そのためだけに食べ物を口に入れ、なんとか頑張って眠った。

日曜日の朝、瞼は腫れ上がり、耳鳴りはしつこく続いていて、起きているだけで気分はボロボロだった。
前夜もたくさんの親御さんから、慰めや励ましのメールをいただいた。
そして翌日の朝もまた、メールが何通も送られてきた。
「気分はどう?昨日は本当に辛そうだったので心配してる」
「昨日、わたしが夫から中止の知らせを聞いた時、一番に先に言ったことは何かわかる?『まうみはどこ?彼女は大丈夫?生徒の親として、ちょっとしたプランの変更よりも、まうみの心の傷の方が心配』だったんだよ」
「今日はいい天気だし、生徒たちは音楽を完璧に仕上げるために、1日余分に時間が取れた」
「昨日は話をしにわざわざ来てくれて、子どもたちを励ましてくれて、素晴らしい先生でいてくれてありがとう」

また切なくなって少し泣いて、気持ちを切り替えた。
昨日話すはずだった挨拶文を変え、もう一度楽譜のチェックをし、昨日と同じ服に着替えて出発した。
空はよく晴れて、終末を迎えた紅葉が美しい。
今日弾くことができなくなった人たちは、今頃どうしているかな?どんな気持ちでいるかな?などとふと考えてまた涙ぐむ。
いけない、今は発表会の仕切り直しに集中しなければ。
再び午後1時10分、お寺の駐車場に到着。
建物の中の灯りにホッと一安心する。
警備員が二人、会場整備係が一人、去年と同じ顔ぶれだ。
会場のライトの調整、飲食物を置くテーブルのセッティング、ピアノの位置の確認、お花とトロフィーの設置などをやっているうちに、試し弾きをしに生徒たちがやって来た。
2時半、発表会開始。
「昨日、すっかりしょげていたわたしに、夫がこんなことを言ったんです。『人間は失敗をする。だから失敗してもいいんだ。だけど失敗しても立ち止まらず、気持ちを立て直して前に進む。それが大事』」
「うーん、それ、どこかで聞いたことあるなあ」
「そりゃそうだろうよ、発表会が近づくといつも生徒たちにそう言って励ましてるじゃん、前に進め、弾き続けろって」
即席自虐ギャグ、大ウケした。

みんな、堂々と、表情豊かに、普段よりもぐんと大きなフルコンサートグランドピアノを演奏した。
ソロもデュエットも、興奮と幸せに満ち溢れていた。
けれどもプログラムで読み飛ばされる4人の生徒たちを思うたび、胸がきゅっと痛んだ。

見ず知らずの、昔はプロのピアニストだったという年配の女性が、「あなたの生徒たちの演奏を聞いただけで、あなたがどんなに音楽を愛して丁寧に教えているかがよぉく分かる」と、両手でわたしの手を握り、何度も誉めてくださった。
「どんなに小さな子どもでも、どんなに初歩の曲でも、表情がとても豊かで美しい。それに、あなたがすべての生徒たちと一緒に連弾をしてあげるという企画も素晴らしい」
ううむ、ここまで誉めてくれなくても…もしかしてこの方は、45年頑張ったで賞を渡しに、音楽の神さまが連れてきてくださった方なのかな?

発表会は、今回でわたしの生徒ではなくなってしまう8歳のRくんとの連弾で終わった。
Rくんは3歳半からピアノを習い始めた。
やんちゃで体がうずうずして、最初のうちは15分もピアノの前に座っていられない子だったけど、とにかくピアノを弾くのが好きで好きで、あれよあれよという間に上達した。
この4年半の間にコロナ禍があり、彼が大っ嫌いなバーチャルレッスンが2年も続いた。
15分が20分に、そして30分が45分に、さらに1時間のレッスンになる頃には、初見の能力がとても高くなり、小さな手でかなり難しい曲を弾きこなせるようになった。
やんちゃで落ち着きがない性格はそのままで、教えている間に何度もキレそうになったけど、こんなに急激に上達する子は珍しいので、どこまで成長するのかがとても楽しみだった。
けれども彼らがプリンストンに引っ越すことを決め、わたしはRくんを手放さなければならなくなった。
彼は発表会のスターで、誰もが彼の上達に目を丸くして驚いた。
今回は彼のラストステージなので、彼をプログラムの最後に持ってきて、ショパンの軍隊ポロネーズを連弾で弾いた。
彼の、まだ小さな手を見ながら弾いていると、いろんなことが思い出されてきて胸が熱くなった。
彼はプリンストンでミュージカルの伴奏を担当したり、大学が設立した子どものための英才クラスで学ぶことになっている。
どちらもオーディションを受けて合格したらしい。
がんばれRくん、そしてありがとう、わたしの生徒になってくれて。

というわけで、大失敗は大成功で終わった。
みんなのおかげだと思う。
本当に感謝だ。
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ヨーヨー・マ & エマニュエル・アックス

2023年03月20日 | 音楽とわたし
YO-YO MAの演奏を生で、死ぬまでに一度でいいから聴いてみたいと、随分長い間願ってきた。
こちらに移り住んでから、その機会は何度もあったのだけど、その都度あれこれ事情があって諦めなければならなかった。
今回は気づくのが遅くて、値段が高い席しか残っていなかったのでちょいと躊躇したのだけど、ヨーヨー・マだけではなくてエマニュエル・アックスとレオニダス・カヴァコスのトリオだというので、これはもう行くしかないだろうと決心した。
アックスのピアノはなんとも軽やかで上品で心地良く、うっとりと聴いているといきなり音楽の深淵にグイッと引き込まれて呆然となったりする。
カヴァコスのバイオリンはユジャ・ワンとの共演で初めて聴いて、ただただぶったまげたままで気がついたらコンサートが終わっていた、というくらいの凄さで、あんな激しい感情の吐露ととんでもなく高度な技術の合体は可能なのか?と、今も思い出すたび唖然としてしまう。
そんな二人とヨーヨー・マのトリオなのだ、聴き逃している場合ではないではないか。
コンサートが刻々と近づいてきて、ワクワク感がハンパじゃなくなってきた頃、いきなりコンサート会場からメッセージが届いた。
「カヴァコスが病気のため、今回のコンサートに出演できなくなりました。
よって、ヨーヨー・マとエマニュエル・アックスの二人によるコンサートに変更します。
プログラムは当日、本人たちがお伝えします」
が〜〜〜ん😦

がっかりしたのも束の間😅、やはり当日は朝から落ち着かない。
今回の演奏会場はNJPAC(New Jersey Performing Arts Center)。


うちから車で15分弱で行けて、駐車も会場近くの通りのどこか空いている場所を見つけてできるから無料。
とても気楽に出かけられるのがありがたい。
いつもは一番安い席(5階)の前の方で聴くことが多いのだけど、チェロのヨーヨー・マの顔が斜め前方に見える位置の前から2列目の席を買った。


ほぼかぶりつきであるのだが、今回はトリオからデュオに変更になったので、ヨーヨー・マに目力でアピールする計画は頓挫してしまった。



さて、二人が和気あいあいと笑顔で語り合いながら舞台に登場し、まだ一音も出していないのに会場はもう大興奮。
プログラムは二人の写真と経歴だけのペラペラの一枚の紙で、もちろん曲目などどこにも無い。

二人がそれぞれにマイクを手に話し始めた。
二人は52年来の親友で、演奏はもちろん家族ぐるみで仲が良い。
会場にはアックスの家族が来ていて、それをヨーヨー・マが必死で見つけようとする。
ひとしきり二人で冗談を言い合って会場を沸かせ、なんだこのおもろさは、などと思って油断していると、いきなりベートーベンのソナタが始まる。
もうその一音一音が音楽の神さまのひとしずくのようで、いや、音というより声、いや、声でもない、なんだろうこの響きは。
ヨーヨー・マが目の前で、まるで温泉の湯船につかってはぁ〜っと弛緩してるような按配で、ふふふ〜んと鼻歌でも歌うような気軽さで、ベートーベンやブラームスのソナタを奏でる。
その音は、もうチェロという楽器を通り越して、なんとも言えない肉薄さでもって、わたしの耳から心に届き、時には眉間の辺りから天井に向かって昇華したり、時には腹の底に留まって身体中を震わせたりした。
たった一音が、決して涙もろくはない夫を涙ぐませたこともあったらしい。

ところでひとつ面白かったのは、ヨーヨー・マはエンドピンのストッパーを使わないみたいで、舞台の床をエンドピンの尖った先でゴツゴツ打ってへこましていた。
まあ、ぶっちゃけて言うと、舞台の床を傷つけていたわけだ。
でも、演奏中に気持ちが高揚してきたら体も大きく動くので、何回もエンドピンの先がへこみからずれて、楽器がツルッと滑りそうになっていた。
ずれても平気でそのまま演奏を続けることもあれば、曲の途中で新たな穴を作ったり、椅子をちょっとずらしたり、そんな余計なことをしていてももちろん素晴らしいパフォーマンスは絶賛続行中。
あとで、「いやあまいったよ、何度も楽器が吹っ飛んでいきそうになっちゃってさ。実はチェロってかなり危険なんだよね、だってかなりとんがってるからね、先っちょが」なんて言ってまた笑わせていた。

二人は異様に近い距離で演奏していたので(ヨーヨー・マの左肩とエマニュエル・アックスの右肩がほとんど触れるぐらい)、チェロの弓の先っちょがピアノを付きはしないかとハラハラしたが、もちろんそんなことは全く起こらなかった。
この写真は同日行われた別の演奏会場のもの。


ヨーヨー・マは3曲ともほぼ暗譜、ずっと目を閉じるか半眼で、自分が奏でている音をすぐそばで聴いて楽しんでいるような感じで、それがもうなんとも言えないほどに心地良いのだという感じがひしひしと伝わってきた。
エマニュエル・アックスの姿は、わたしの席からはほとんどヨーヨー・マの体で隠されていて見えなかったのだけど、その地味な動きからは想像できないような、多様でしっかりと掘り下げられた感情表現が次から次へと聞こえてきて、その音の響きに包まれているだけで幸福になった。

偉大な二人の音楽家に心から感謝する。
カヴァコスとのトリオがもし実現したら、なにがなんでも聴きに行く。
またしっかり働いてへそくらないと😅
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音楽とわたし

2023年03月03日 | 音楽とわたし
あれれ、気がついたらもう3月になっている。
今年の冬は雪が積もらなかったなあ、などと言っていたら、急に降ってきて6センチほど積もった。
雪を見るのは、お昼間より夜の方が好きだ。
音もなく空から降りてくる雪が、道路や家の屋根や木の枝を、少しずつ白くしていくその時間の静けさが好きだ。


先週の土曜日、マンハッタンのミッドタウンとダウンタウンの間にあるドイツの教会の聖堂で行われたコンサートが、無事に終わった。
ギリギリのギリギリまで、助っ人の演奏者が来るか来ないかとヤキモキしたり、読みやすい楽譜に換えてほしいと言われて慣れない楽譜アプリと奮闘したりして、まさに怒涛の忙しさが数ヶ月続いていた。
65年生きてきたことを思い知らされる疲れの抜けにくさに狼狽え、君の体はここに居るけど心は居ない(だから『忙』なのだと講釈を垂れたかったが我慢した)嘆く夫を横目に、自身の練習はもちろん、新たに始まったピアノレッスンの練習もし、仕事もフルにしていたから、本番前は言葉通りのフラフラだった。

でも、聖堂に一歩足を踏み入れた途端に、そんなこんなの負のエネルギーがぶっ飛んでしまった。


首席指揮者クリストファーのリハーサルが始まり、

わたしはその演奏を聴きながら握り飯を食らう。

そしてわたしの番。


助っ人の一人が来なかったり、楽譜を持ってこなかった人がいたり、ピアノの調律がちゃんとできてなかったり、大なり小なりのトラブルはあったけど、オーケストラのメンバーはまたまたここ1番の演奏をしてくれて、長い時間にもかかわらず、お客さんたちには最後まで楽しんで聴いてもらえたと思う。

演奏会の録音は、そういうことを生業にしているオケのメンバーが本格的にやってくれた。
デジタルで録音された演奏は、残酷なぐらいにカチカチと、それぞれの音を捕まえていたので、聞いた時はうわぁ〜となってしまった。
どこの誰が、どの部分で、どういうふうに他の人たちとズレていたか、そんなことまでが克明に聴こえてくる。
生々しい現実に唖然とし、練習中の録音を怠ったことを大いに反省したが、あの大聖堂の、内にいる者全てを抱擁してくれる温かさと重厚さに包まれて、いつもとは違う響きを発していた演奏も本物だと思う。

いつもなら、演奏会後の夜は終わった終わった〜と安堵して、ちょっとだけ羽目を外し、日曜日は寝坊して、顔も洗わずにだらだらゴロゴロと時間を過ごし、気がついたら夜だった、みたいなふうになるのだけど、如何せん、月曜日の朝にピアノのレッスンを控えていたわたしには、そんなだらだらゴロゴロは許されなかった。
ボーボーの頭をこんこん叩きながら、宿題に出されていた曲の練習を何回かに分けてやり(最近は長時間の集中ができない)、それでも間に合いそうになかったので、翌日のレッスン時間ギリギリまで焦りまくって練習した。
生徒たちの気持ちがしみじみとわかる。
次のレッスンまでに出された宿題の多さに仰天して、いやそれはいくらなんでも…と言おうとしたが、この際ちょっくらチャレンジしてみっかと思い直して、その1時間後には思い直したことを激しく後悔した。
ジュリー先生は、コンサート旅行や録音の合間を縫ってレッスンをしているような人だから、わたしが宿題曲の多さにビビっているのがよくわからないみたいだ。
でも、彼女の感性や構成力にとても共感するし、高度なテクニックや体全体の使い方をたくさん学びたいので、ここは一つ頑張ろうではないかと思っている。

ピアノは肩甲骨はもちろん、背骨や丹田、太ももや骨盤、そして足の裏に至るまで、全てが一つ一つの音につながっている。
そういう肉体的な運動と、耳で聴く、心で歌う、先を見通す、頭で構成するという精神的かつ機械的な働きが、どうやったらうまく共存できるのか。
ピアノはもちろん、多分どんな楽器でもどんな音楽でも、そして個人的に言えば指揮棒を振ることも、学ぼうとすると本当にキリがない。
わくわくするなあ。
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The Winter Concert in 2023 by ACMA

2023年02月09日 | 音楽とわたし
「忙しいという字は心が亡くなると書く」
今から43年前、国語の先生はそう言っていた。
習いながら恐ろしい漢字だと思った。
今では、このりっしんべんは「心」=落ち着いた心を表していて、それが「ない」=落ち着いた心がないという意味だと知っている。
でもわたしは多分、落ち着きがないというだけでなく、気遣いもなくなっているのだろう。
夫は最近、わたしの姿は見えるけど、心ここに在らずで居ないのも同然だとよくこぼしている。
申し訳がないのだけど、次から次へとやらなければならないことが出てきて、一体いつまでかかるのかもわからなくて、けれども仕事もしなければならないし、サボりながらも家事もやらなければならない。
本当はピアノの練習ももっとしなければならないのだけど、時間を削れるのはこれだけなので、新しい先生とのレッスン初日、来週の月曜日が1時間でも遅く来て欲しいと無理な願いを込めながらカレンダーをチラ見している。

こちらも一時気温がぐわんと下がり、

表示が℃ではなく℉なのでピンとこないかもしれないけれど、これ、全て二桁の零下、一番寒い時で零下17℃になった。
こういう寒さの中、マンハッタンの街中を歩くのは辛い。
ビル風というのがどの通りにも吹くので、体感温度が半端ではなく低くなる。
でも今月の終わりにコンサートがあるのだから、当然練習は毎週行われる。
楽譜を学ぶだけでなく、メンバーのための楽譜の準備もてんこ盛り。
ウクライナで愛されている歌の曲を演奏しようと決めたのはいいが、楽譜がなかなか手に入らない。
戦争の影響で楽譜会社が撤退を余儀なくされていたり、管理がままならなくなっていたりするからで、結局2曲のうちの1曲は、指揮用の総譜はあってもパート譜が手に入らないことがはっきりした。
じゃあ、それはピアノ伴奏で歌うことにしよう、と決めたのだけど、いやいやそれはダメでしょう、舞台の上でオーケストラのメンバーが何もしないで座っているっていう図はおかしいとなって、結局パート譜を作ることになった。
ハァ〜…。
担当者はわたしだ。わたしがなんとかしなければならないのだ。
くぅ〜…(別に家猫の名前を呼んだのではない😅)。

こんな切羽詰まった時に、なんとわたしは義理の娘Tちゃんと一緒に、BTSのライブ映画を観に行った。
その日は彼女の誕生日で、何かお祝いをしたいのだけどと言ったら、何もいらないからわたしと一緒に映画を観に行って欲しいと言われて、それがBTSの釜山コンサートのライブ映画だと知り、しかもその日が上映最終日だということも知って、もうこりゃどんなに無理してでも行くっきゃないだろうと腹を括った。

週末の電車の便の少なさはここで何度も愚痴っているが、最寄りではないものの、うちから車で10分ぐらいの所にある駅からは1時間に1本、ペンステへの直行電車があるので、そこから乗ることにした。

いやはや、座席は朝だからか空きに空いているが、Kちゃんとわたしは手足をバタバタ、椅子の上でビョンビョン跳ねながら、ついでに奇声も上げて、大いに盛り上がりながら楽しんだ。
やっぱBTS最強です。



映画で盛り上がった後は、近くまで出てきたTちゃんの夫である長男くんも加わり、近くの『大戸屋』でランチ。
マンハッタンの大戸屋は安くはないがめちゃくちゃ美味い。3人ともほっけ定食コースを平らげて大満足。
デザートの抹茶しるこがこれまた絶品だった。


なぜかここでは長男くんが奢ってくれて、わたしは結局Tちゃんの誕生日祝いをしたようなしてないような😅

わいわい気分を心の隅っこにおさめて、いざリハーサルに。
重たい総譜は全部ここに。みっきと琴ちゃん合作の、わたしの大のお気に入りバッグ。

地下鉄のシュールな雰囲気にヘラヘラ気分がシュルシュルと消えていく。

練習が終わったらもうすっかり夜。日曜日はいつもこんな感じ。

さて、パート譜作りなのだけど、手書きを始めてから2時間で挫折した。

曲はいたってシンプルで、楽器によっては休符も多いのでやれるかもと思ったのだけど、心身ともに余分なエネルギーが無い。
それで最終手段の切り取り大作戦に変更した。

でも、これもいざ始めてみると、思っていた以上に面倒くさい。
けれどももうこれ以外の方法はないのだと言い聞かせて決行した。

コピーすると妙な線が現れるので、それをホワイトアウトしてみたのだけど、あまり効果がなかったみたい😭

まあとにかく、2日がかりでやったのだから、これで納得してもらうしかない。
コンサートまではあと2週間とちょっと。
今が正念場。
もしお近くにお住まいの方がいらっしゃったら、ぜひぜひ聴きに来てください!
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墓穴を掘るということ

2023年02月01日 | 音楽とわたし
昨年の11月中旬から12月中旬まで、1ヶ月ほど日本に滞在していた。
母と義父が暮らす家で家事手伝いをしたり、気落ちして歩くことも食べることもままならなくなっていた母をあれこれと励ましたり、介護設備の設置を促したり、ずっと会いたかった鍼灸師さんに施術してもらったり、どうしても会いたかった人たちに会ったりしていたのだが、なぜか異様に疲れていって、それと共に自信がなくなっていって、アメリカに戻るのが怖くなってしまった。

自信?なんのための自信?
それすら考えること自体が面倒くさい。
ピアノを教えること?
それは多分大丈夫、日本語で22年、英語で22年、合わせて44年もやってるのだから。
じゃあなに?指揮か?
そう、帰国したらすぐに参加しなければならないから、日本滞在中に楽譜を見つけて読み込み練習をしておくはずだった。
でも時間も気力も無くて、だからほぼぶっつけ本番みたいなことになりそうで、それがもう本当に怖くてならなかった。
だからわたしの脳は、いろんな逃げ道を考え始める。
もうプログラムは首席指揮者のクリストファーが担当するモーツァルトやバルトークの舞曲などで充実してるから、何も今から曲を増やさなくてもいいのではないか。
わたしが指揮する曲(『フォーレのペレアスとメリザンド』より3楽章と4楽章)を却下すれば、その分他の曲の仕上がりの質をもっと高められるのではないか。
母の容態は不安定で、だからもしかしたら急に日本に飛ばなければならなくなる可能性もあるので、迷惑をかけたくない…エトセトラエトセトラ…。

こちらに戻り、断りの電話もメールもする気力がなく、時差ボケの中あらためて総譜を読み始める。
音符を読むと同時に頭の中に音が鳴ってくるはずが、まるで見たこともない記号を読んでいるみたいにカラカラ。
これはまずい、やっぱりまずい、どう言って断ればいいのだろうと悶々としていた。
年始早々に行われる予定のリハーサルがどんどん近づいてきて、いよいよはっきりしなければとビクビクしていたある日、クリストファーがzoomミーティングをしようと言ってきた。
よし、腹を決めて今回は辞退したい旨を伝えよう。
「久しぶり、ハッピーニューイヤーまうみ!」
彼はめちゃくちゃ忙しいスケジュールが年末からずっと続いていてクタクタのはずなのに元気だ。
「まうみの曲なんだけど、明後日のリハではなく、その次のリハから始めるっていうのでもいい?」
「あの、そのことでなんだけど、今回はわたしの曲は見送る方がいいと思うんだけど」
「え?なぜ?」
「今の曲でプログラムは充実してるし、これから2月末のコンサートまでに新たに曲を加えない方が、曲の仕上がりがもっと良くなると思って」
「うーん、それもありかもしれないけど」
「ありだよ、きっと」

よっしゃ!言えた!今回はサポーターに徹しよう!
これでいいんだ。今までずっと無理して突っ走ってきたけど、65歳、そろそろ速度を緩めて引いていくことも大事だ。
などと、ストンと時間が空いて気持ちに余裕みたいなものを感じた途端に、ピアノの師匠宅で彼女と一緒に観た音楽家たちのビデオが鮮明に思い出されてきた。
『天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて』だったり、有名な指揮者のものだったり。
やっぱり学びたい、いや、もっと学ばねば。
それで自分のためのピアノ教師を探した。
何日かかけてその人が見つかって、いろいろと話をして教えてもらうことが決まり、レッスンは来月から始まることになった。
来月はコンサート本番に向けてオーケストラのリハーサルが毎週末に行われるけど、わたしはスタッフだから全部に参加しなくてもよいので練習に集中できるだろう。

そんなある日、というか1月の最後のオケリハの前日に、クリストファーがまたzoomミーティングをしようと言ってきた。
「まうみ、あれから考えたんだけど、なんで今回まうみは辞退したいの?曲のせい?それともあなたがしたくないの?」
「いや、曲は好きだし、指揮をしたくないとは思っていないけど、ただ曲をきちんと仕上げる自信も時間も無いと思ってて」
「曲が好きで指揮をしたいならやるべきだ。時間が無いと思うなら1楽章だけ今回やって、あとの三つの楽章は次のコンサートでやればいいじゃないか」
(げげ!1楽章は全く学んでいない。もともと3楽章と4楽章だけやるつもりだったから、YouTubeでちらっと演奏を聴いたぐらいで…)
などと思いながら黙っていると、
「1楽章は今のプログラムの曲には無い雰囲気と曲想を持ってるから、きっといいと思うよ。それからいつものようにウクライナ支援の曲を何曲か加えるから、その指揮もやって」
「ちょ、ちょっと待って…」
「できないの?やりたくないの?」
「いや、そうではなくて」
「じゃあ明日、市立図書館からフォーレの総譜とパート譜は貸し出してもらってあるから、明日はそれを使って初見で演奏してもらえばいいよ。新しい曲はワクワクする。きっとみんなもハッピーだよ」
「ああ、はい…じゃあよろしく」

えらいこっちゃ、みんなは初見でもいいけど、わたしはそういうわけにはいかない。
慌てふためいて自分で買っておいた総譜の1楽章を読み始める。
YouTubeの多々あるビデオを片っ端から聴いて、楽譜の中に書き込みを入れていく。
各楽器の、わたしからの合図が必要な部分に、色鉛筆で印を打っていく。
なんなんだ、この展開は?
わたしは一体なにやってんだ?

リハーサル当日、最後の15分ほどをもらって初見読み練習をした。
ああ美しい。
哀しみのピアニシモの中にじわじわと膨らみ始める激情、突然の吐露に戸惑い不安を抱えるディミニエンド、安息の時間に忍び寄る不穏なハーモニー、
飛び抜けて上手い人ばかりではないオーケストラの初見演奏にもかかわらず、フォーレの曲の美しさに胸が震える。
ありがとうみんな、わたしと一緒に演奏してくれて。
そんな感謝の気持ちに包まれながら指揮をした。

今回の市立図書館からのオーケストラ譜はなんと新品!
だからなんの書き込みもなく美しい。
わたしが最初の人になるのかと思うと気が引けて、だから自分で総譜だけを購入した。
オケのメンバーには、スキャンしたパート譜を一人一人にメールで送り、各自でプリントアウトしてもらうことにした。
借りた楽譜を1枚でも無くしたら、多額の罰金を図書館に払わなければならないからだ。
そういう作業は時間がかかる。
先日の日曜日は、それで半日が潰れた。
そこに自分が受けるレッスンの練習もしなければならない。
時間があると思ってたから、けっこう難しい曲を見てもらうことになっている。
この歳になると、1日でも練習を休むと後にひびく。
そのかわり毎日少しずつでも続けていると、とりあえず微かではあるが良くなっていく。
でもやっぱりこれ、墓穴だよね、掘ってしまったんだよね、また。
もちろん身を滅ぼすのではなくて、身を潤すっていう意味での墓穴(?)だけど。
いや、そんな墓穴があったら入ってみたいかも。
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藤田真央カーネギーコンサート in 2023

2023年01月27日 | 音楽とわたし
先週の辻井伸行さんのコンサートのプログラムにこんなお知らせが挟まれていた(バッグの中に入れておいたのでくしゃくしゃになっていた…)。
夫が「なんかK(次男くん)によく似た女の子だなあ」と言うので見てみると、確かによく似ている。


真央ちゃんか…。
そこで辻井さんの演奏が始まったので、真央さんのことはプツンと終わってしまった。

演奏会が終わって家に辿り着き、辻井さんのピアノの音の余韻を楽しみながらプログラムをあらためて読み直そうとカバンから出した時、真央さんのチラシが床に落ちた。
真央さんの笑顔がわたしを見上げている。
ふむふむ、ちょっとどんな人なのか調べてみようと思ってパソコンに名前を入れてみた。
わたしはもともと、物事や人のことをよく知らない。
知ろうとしないからなのだけど、知っておかなければならないことも知らないことが多い。
居直っているのか?と言われても仕方がないほど知らない。
藤田真央さんは女性ではなく男性だった。
にこやかで、柔らかで、静謐で、ゆったりしてて、でも突然ヒャヒャヒャ!と声を張り上げて笑ったりする、24歳の小柄な若者だった。
そしてとんでもなく素晴らしいピアニストだった。
モーツァルトのソナタはこんなに面白くて楽しくて清らかでキラキラ輝いて切なくて深いものだよと知らせてくれる人だった。
ピアニシモ、いやピアニシッシモ、いやピアニシッシッシモっていう音があるんだよ、と教えてくれる人だった。
どんなに微かな音にも魂があって、存在しているその一瞬の間に、人の心を鷲づかみにする力があると聴かせてくれる人だった。
その夜わたしは、真央さんの記事や動画を、深夜までずっと読んだり聞いたりして、慌ててチケットを購入した。
それもチラシの15%引きコードを使って。

平日の冷たい雨が降り続く夜だったけど、心はワクワクと温かかった。
一人で行くには電車が便利。
しかもわたしはシニア料金で往復6ドル。
マンハッタンの街は歩いてどこかに行くのがいいのだけど、こんな日は地下鉄を使う。
32丁目のペンステーションから42丁目のタイムズスクエアまで行って、別の路線に乗り換えて57丁目まで行くと、出口を出てすぐのところにカーネギーホールがある。

心地良いジャズを聴かせてくれるミュージシャン。


3年ぶりに乗った地下鉄の構内がやけにきれいになっていた。

乗り換えもスムーズにできるようになった。


今回の席は、2階のボックス席。
一コマに8席で3列に分かれて座る。
わたしの席は一番後ろの3列目で、後ろになるほど椅子が高くなっていて、だからよじ登るようにして座らなければならなかった。
でも椅子は固定されていなくて自由に動かせるので、わたしの前には誰もおらず、舞台をスポーンと見下ろせる。



プログラムは、
モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 K.573
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 K.311
リスト:バラード第2番

休憩を挟んで、
ブラームス:主題と変奏 Op.18b
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21
ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番 Op.22
だった。

いやもう、ビデオとは桁違いのすごさだった。
聴いた音を言葉で言い表したいのだけど、コロコロ、キラキラ、ズンズン、サラサラ、シンシン、ドンドン、ジンジン、ガンガン、ゴリゴリ、どれも十分じゃないし当てはまらない。
そんな言葉では言い表せない音が次から次へとホールいっぱいに溢れ出てきて、それがもう幸せだの楽しいだの嬉しいだの切ないだのやるせないだの、これまたどう言ったらいいのかわからない感情を、会場いっぱいの聴衆の心に染み込ませていく。
それら全てが一瞬だ。
いやもう、完全にノックアウト。
変な言い方だけど、真央さんのピアニシモの音にガツンとやられた。

彼のリストはモーツァルトの時とは違ってドラマティックで、最後は柔らかな音で終わるのだけど、彼の指が鍵盤から離れ、倍音が消え、それでもまだ彼の指と鍵盤が深く繋がっているのを感じた聴衆は、誰も拍手をせずにひたすら待った。
やがて真央さんの手がふわりと膝の上に乗ったのを合図に拍手の大音響とブラボーの声と口笛。
まだ前半が終わったところなのに…。

今夜の調律師さんは大柄でユニークなやり方で調律している。


後半の最初は前半と同じく変奏曲で始まった。
どちらかというと変奏曲はあまり好きじゃなかったのだけど、こんなに面白くて新鮮で楽しくてびっくりさせてもらえる変奏曲なら何度だって聞きたい。
クララ・シューマンの切ないロマンチックな3曲が終わり、次はとうとう最後の曲だなあと思いながら拍手をしていたのだが、真央さんは一向に立とうとしない。
こちらに顔を向けることもなく、ずっとうつむいたままでびくとも動かない。
あまりに拍手が続くので、チラリと客席の方を見たのだけど、その時もうつむいたままだった。
ようやく、ああ彼はこのまま演奏したいのだなと気がついた聴衆が拍手を止めるとすぐに、最後のピアノ・ソナタが始まった。
至福の時の終わりを告げるに相応しい、真央さんのピアノの魅力を余すことなく見せてくれる曲だった。
客席からは大きな歓声が沸き、熱狂的なスタンディングオベーションで幕は閉じられた。

彼がどこかの音楽祭で弾いているのを、たまたま休暇で訪れていたカーネギーホールの館長が聴き、うちで演奏してくれと誘ったのがきっかけだったと聞いた。
ありがとう館長さん!

アンコールは3曲。
モーツァルトのピアノソナタK. 545の第一楽章、スクリャービンのエチュードOp.8-12、モシュコフスキーの15のエチュードOp.72-11。

Facebookのお友だちの話では、彼の大学の先生がこうおっしゃっているそうな。
「彼は『練習が大好きで大好きで仕方ない!』という感じが滲み出る練習をいつもいつもしてるし、それが全く苦になってないどころかすごく幸せそうなんだよねえ!」

そうなのだ、すごく幸せそうなのだ。
彼は本当に幸せそうにピアノを弾く。いや、きっと幸せなのだろうと思う。
そして彼はその幸せを、彼のピアノを聴く人たちと分かち合いたい、その人たちも幸せを感じてほしいと思っている。
彼がすごいのは、ピアノまで幸せにしちゃってることだ。
ピアノが舞台の上で、え?わたしってこんな音も出せるの?え?ほんと?マジ?って言って喜びに打ち震えているのを何度も見た。

そんな彼だけど、彼の登場シーンはかなりユニークだ。
ちょっと猫背で、左手の指でハンカチの端っこを掴んでぶらぶらさせながらやって来る。
ひょこひょこと、ひょうひょうと、たまに両手を軽く組んで寄席に姿を現す落語家みたいにも見える。
そして座ったと思ったらすぐに弾き始めるので、拍手を止めるタイミングには気をつけなければならない。
若き24歳の、けれどもすでに成熟し、その成熟さは今後もどんどんと進化していくだろう素晴らしいピアニスト。
うんと長生きして見守っていきたいなあ。
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