前回の記事を書きながら、見えてきた自分の、とても幼い、独りよがりの、大人になりきれていない心。
見えたついでに、じっくりと考えてみた。本当のところはそうなんかもしれんけど、それでええんかあんた?
最後かもしれへん。お正月は特別。家族という存在は特別。
けど、そやろか?そんなに特別やろか?他の人を受け付けへんほど頑にならなあかんほど特別やろか?
アードリィとエリックは、昨日うちに来てから、そんなこといちいち感謝せんでもええのにっていうことにまで「ありがとう」を言うてくれる。
彼らはわたしに気を遣い過ぎてるけど、彼らにそうさせてるのは他の誰でもない、このわたし。
そやのに、迎えた途端に、わたしはなんであんなに拗ねてたんか、自分でもわからんぐらいに嬉しくなって、お茶を飲み飲み話したり、いそいそと寝床の支度をしたり、エメラとおままごとをしたり、まったくの意味不明女?!
わたしは実に大人になりきれてない、過去のことを引きずりがちな、それもイヤな思い出を選り好んで残しといて、それを自分の都合のええ時に、自分の我がままを通す切り札としてサッと出してくる、なんとも情けない癖があるようだ。
なんていやらしい女なんやろう。年の終わりに、じっくりと見ることができて良かった。新しい年を迎える前に、気がつけて良かった。
こんなわたしに、ずうっと付き合ってくれている旦那にありがとう!
こんなわたしを、かあさんと呼んでくれるTとKにありがとう!
こんなわたしの、拙い話を読んでくれているみなさんにありがとう!
今日も一日、無事に健康に過ごせる幸せを守ってくれる神さんにありがとう!
明日も一日、今日と同じように、無事に健康に終えられますように!
今はどうしようもなく辛い状況に居る人達にも、これからはただただ良い事が起こるだけなんやという、嘘みたいやけど本当の希望がわいてきますように!
こんなわたしをも守ってくれた神さんは、どの人にもついてくれていて、それを信じようが信じまいが、そんなことおかまい無しで守ってくれてる。
ほんまによかったなあと思う。ほんまに嬉しいなあと思う。
2009年の一番最後の日に、朝からしんしんと雪が降り積もりました。
この雪みたいにふんわりと、いろんなことを包みこめたら……そんなことを思いながら、今年最後の日記を書いてます。
見えたついでに、じっくりと考えてみた。本当のところはそうなんかもしれんけど、それでええんかあんた?
最後かもしれへん。お正月は特別。家族という存在は特別。
けど、そやろか?そんなに特別やろか?他の人を受け付けへんほど頑にならなあかんほど特別やろか?
アードリィとエリックは、昨日うちに来てから、そんなこといちいち感謝せんでもええのにっていうことにまで「ありがとう」を言うてくれる。
彼らはわたしに気を遣い過ぎてるけど、彼らにそうさせてるのは他の誰でもない、このわたし。
そやのに、迎えた途端に、わたしはなんであんなに拗ねてたんか、自分でもわからんぐらいに嬉しくなって、お茶を飲み飲み話したり、いそいそと寝床の支度をしたり、エメラとおままごとをしたり、まったくの意味不明女?!
わたしは実に大人になりきれてない、過去のことを引きずりがちな、それもイヤな思い出を選り好んで残しといて、それを自分の都合のええ時に、自分の我がままを通す切り札としてサッと出してくる、なんとも情けない癖があるようだ。
なんていやらしい女なんやろう。年の終わりに、じっくりと見ることができて良かった。新しい年を迎える前に、気がつけて良かった。
こんなわたしに、ずうっと付き合ってくれている旦那にありがとう!
こんなわたしを、かあさんと呼んでくれるTとKにありがとう!
こんなわたしの、拙い話を読んでくれているみなさんにありがとう!
今日も一日、無事に健康に過ごせる幸せを守ってくれる神さんにありがとう!
明日も一日、今日と同じように、無事に健康に終えられますように!
今はどうしようもなく辛い状況に居る人達にも、これからはただただ良い事が起こるだけなんやという、嘘みたいやけど本当の希望がわいてきますように!
こんなわたしをも守ってくれた神さんは、どの人にもついてくれていて、それを信じようが信じまいが、そんなことおかまい無しで守ってくれてる。
ほんまによかったなあと思う。ほんまに嬉しいなあと思う。
2009年の一番最後の日に、朝からしんしんと雪が降り積もりました。
この雪みたいにふんわりと、いろんなことを包みこめたら……そんなことを思いながら、今年最後の日記を書いてます。
5日遅れの、息子Tからの、でっかいクリスマスプレゼントが届きました。
彼の手からわたし達の手にそれが渡される時、
「僕に、いろんなことをしてくれたふたりへの感謝です。大学の教育も含めて」とTは言うてくれました。
ほんの学生上がりの、まだ一回としてまともな職についたこともなかった旦那が、義父として、夫として、戸惑いながらも頑張ってくれたこの18年。
Tのこの一言が、わたし達の心にスウッとしみ込んで、今までの苦労が吹っ飛んだ瞬間でした。
旦那とわたしが、仲良くドライブできるようにと、カーナビをプレゼントしてくれました。
「車に乗った途端、ふたりとも決まって喧嘩売ってるからな。これでちょっとは平和にドライブできるんちゃう?」
ごもっともです!
これからは、このナビちゃんの言うことを聞いて、ふたりで仲良うドライブさせてもらいます。
こんな高価なもん買うてくれてありがとう!
こないだモールに行って、あんたからもろた室内履き返品する時、「大学生から親へのプレゼント、これだけ?」みたいなこと言うて、それ聞いた時のあんた、顔真っ赤にして憤慨してた。そらそやわな、こんなすごいの内緒で買うてくれとったんやから。
知らんといらんこと言うてかんにん!
「このナビ、日本語にも変換できるかな?」
「それぐらい英語で我慢しとけ」
「もしかして、関西弁もいけたりして?」
「……」
このおかん、放っといたらどこまでも妄想し続ける。そう思たのかT、部屋からスッと消えて行ってしまいました。
わたしにTを育てさせてくれた彼の父親でありわたしの元夫であったTさん、そしてお義父さんお義母さん、本当にありがとうございました。
彼は独り立ちをします。彼のこれからの人生は、彼の意思に基づいて切り拓かれていきます。
その舞台がどの地になるにせよ、彼はあなた方の息子であり孫であり、わたし達の息子であります。
彼の幸せと成長を祈り続けてくれたあなた方に、心からの感謝を込めてお礼を言いたいと思います。
彼はすてきな大人になりました。自慢の息子です。これからの彼の人生に幸あれ!
T、わたしの方こそありがとう!
彼の手からわたし達の手にそれが渡される時、
「僕に、いろんなことをしてくれたふたりへの感謝です。大学の教育も含めて」とTは言うてくれました。
ほんの学生上がりの、まだ一回としてまともな職についたこともなかった旦那が、義父として、夫として、戸惑いながらも頑張ってくれたこの18年。
Tのこの一言が、わたし達の心にスウッとしみ込んで、今までの苦労が吹っ飛んだ瞬間でした。
旦那とわたしが、仲良くドライブできるようにと、カーナビをプレゼントしてくれました。
「車に乗った途端、ふたりとも決まって喧嘩売ってるからな。これでちょっとは平和にドライブできるんちゃう?」
ごもっともです!
これからは、このナビちゃんの言うことを聞いて、ふたりで仲良うドライブさせてもらいます。
こんな高価なもん買うてくれてありがとう!
こないだモールに行って、あんたからもろた室内履き返品する時、「大学生から親へのプレゼント、これだけ?」みたいなこと言うて、それ聞いた時のあんた、顔真っ赤にして憤慨してた。そらそやわな、こんなすごいの内緒で買うてくれとったんやから。
知らんといらんこと言うてかんにん!
「このナビ、日本語にも変換できるかな?」
「それぐらい英語で我慢しとけ」
「もしかして、関西弁もいけたりして?」
「……」
このおかん、放っといたらどこまでも妄想し続ける。そう思たのかT、部屋からスッと消えて行ってしまいました。
わたしにTを育てさせてくれた彼の父親でありわたしの元夫であったTさん、そしてお義父さんお義母さん、本当にありがとうございました。
彼は独り立ちをします。彼のこれからの人生は、彼の意思に基づいて切り拓かれていきます。
その舞台がどの地になるにせよ、彼はあなた方の息子であり孫であり、わたし達の息子であります。
彼の幸せと成長を祈り続けてくれたあなた方に、心からの感謝を込めてお礼を言いたいと思います。
彼はすてきな大人になりました。自慢の息子です。これからの彼の人生に幸あれ!
T、わたしの方こそありがとう!
「なんでそんな意固地になるん?!」
旦那にそう言われてしもた。
その時は自分でもわからへんかったから、答えることができひんかった。
それからずうっと今まで、そのことについて考えてみた。
こんな言葉使うと演歌の歌詞みたいやけど、わたしは、物心ついた頃から家庭的に幸せ薄い子供やった。
親が調子良う儲けてた、ほんの数年の間でさえ、なんか温かみのない、うそで塗りかためられたような家の中で、家族ごっこをしてた。
いろんなごたごたを命からがら乗り越えて、やっとなんとか生きていけそうな状況になった時、わたしが心身ともに強烈に求めてたのは、「ただいま」って言うたら「おかえり」って言うてくれる人が居る家やった。
しかもその家の人は、わたしを憎んでたり、いじめようと手ぐすね引いて待ってたりするんやなくて、ただ普通に一緒に暮らしてくれる人であって欲しかった。
そんな家と人欲しさに、無理矢理押し掛けるようにして結婚してもろた。
若い自分が思てた以上に、環境の大きな変化は心にも身体にもキツかった。
ええ人には違いないねんけど、想像力に著しく欠ける人達の言葉に傷つけられた。
けど、これは自分の結婚の目的の不純さが招いたことやし、自分で決めたことやねんから、なんとか頑張って責任を果たさなあかんと思てた。
心の中がれんこんみたいに穴空いて、なんや知らん、すうすう冷たい風が吹いてるような毎日、それがわたしの、2番目の家族ごっこ……。
今の旦那と出会って2週間して、互いに会話もできひん状態やったのに、
しかもわたしは田舎で同居主婦してて、旦那はアメリカからひょっこりやって来て、ただ日本の田舎の家でちょっと住んでみたかっただけの若者やったのに、
今でもなんでか全然わからへんけど、がむしゃらに、必死に、「わたしと一緒に、それと息子達とも一緒に暮らそ」って頼んでた。
「絶対に楽しいから、約束するから」って、アホの一つ覚えみたいにくり返して、1年かかってお願いをした。
非常識で、人の道から外れてて、非難されて当たり前の事を、年増の、子持ちの、人妻やってる女から言われた旦那の驚きと苦しみは並大抵のものやなかった。
ましてや、その夫というのは、自分を日本の田舎の家に招いてくれたその当人やったんやから。
なんぼ断られても後ずさりされても諦めへんかったのは、わたしの、家族というものに対する憧れの強さやったんか、それともそこまで惚れたんか、
説明のつかんものすごい希望の塊が、お腹の中にどすんと居座って、あの時のわたしは、それまでのわたしの中で1番頑固やった。
本物の家族ごっこが始まった当初は、いったいどないしたらええのか簡単なことすらわからんと、そこに離婚のストレスと極度の貧乏が重なって辛かった。
けど、足の裏がとうとう地べたにしっかりついたような気持ちがして、やっと自分が自分のまま生きてると感じた。それは素晴らしい感覚やった。
もう嘘をつかんでいい。人の機嫌を伺わんでいい。自分を無くすほどいい人ぶらんでいい。
自分が泣き出したくなるほど愛してる人達だけと一つ屋根の下で暮らすことができる幸せは、お金には代えられへん、ほんまもんの幸せやった。
家族4人揃って、季節の行事を楽しみ、年を越して新年を迎える。
それがとうとう、多分来年からは、叶わんようになる。
Tが大学を卒業して独立する日が近づいてきた。
そやから、今年の年越しと新年の祝いは、わたしの中では区切りの、もしかしたら最後の、家族揃ってのことになると思ってた。
それはとても喜ばしくも寂しいことで、その相反する感情が心の中に入り交じったまま、整理することもできずに困っていた。
そんな今年の年末に、旦那姉一家が老犬も一緒に泊まりで遊びに行きたいと言うてきた。
彼女とわたしは決定的に合わないことがあって、それでも15年ほどはなんとか頑張ったけど、3年前にある事件があって、それでわたしも腹を決めて、嘘をつくのはやめて、苦手ではあるけど、親族として、大人として、気持ち良く付き合ってはいくと表明した。
そんなこんなもあって、旦那はわたしと姉の間に立って、いろいろと気を遣わなあかんようになった。
わたしはできるだけ彼女と接触する時間を減らそうとする。
旦那も実は姉は苦手ではあるけれど、姉の主人のエリックと姪のエメラとは逢いたいので、なにか機会があったら逢いに行ったり呼んだりしたい。
それにもちろん、自分の姉なんやから、わたしのように冷めた感情を持ってもいない。
そやから、ものすごく申し訳ないと思う。なんとか気持ちが変わらんもんかとも思う。
「もうあの嵐の日からずっと、家族4人だけで居るやん。もう充分家族の時間持てたやん。なんでそれほどこだわるん?」
わたしかて、ほんまは機嫌よう、いつでもニコニコして人を迎えたい。
いや、違う、違うわ。迎えとうない時もあったのに、それを隠して、いつでもウェルカムないいおばさんのふりしてただけや。
そやからやっぱりわたしは、旦那が言うように、意固地で意地悪なんかもしれへん。
わたしだけの、初めて叶った『夢の家族』。それにこだわり過ぎてるのかもしれへん。
北風がびゅんびゅん吹き荒れる、体感温度マイナス14℃の今日一日、鍋ごと外に出しておいたおでんがかきんこきんに凍ってしもてた。お箸も乗っかるほどに。
おでんも意固地になっちゃったんかな。
旦那にそう言われてしもた。
その時は自分でもわからへんかったから、答えることができひんかった。
それからずうっと今まで、そのことについて考えてみた。
こんな言葉使うと演歌の歌詞みたいやけど、わたしは、物心ついた頃から家庭的に幸せ薄い子供やった。
親が調子良う儲けてた、ほんの数年の間でさえ、なんか温かみのない、うそで塗りかためられたような家の中で、家族ごっこをしてた。
いろんなごたごたを命からがら乗り越えて、やっとなんとか生きていけそうな状況になった時、わたしが心身ともに強烈に求めてたのは、「ただいま」って言うたら「おかえり」って言うてくれる人が居る家やった。
しかもその家の人は、わたしを憎んでたり、いじめようと手ぐすね引いて待ってたりするんやなくて、ただ普通に一緒に暮らしてくれる人であって欲しかった。
そんな家と人欲しさに、無理矢理押し掛けるようにして結婚してもろた。
若い自分が思てた以上に、環境の大きな変化は心にも身体にもキツかった。
ええ人には違いないねんけど、想像力に著しく欠ける人達の言葉に傷つけられた。
けど、これは自分の結婚の目的の不純さが招いたことやし、自分で決めたことやねんから、なんとか頑張って責任を果たさなあかんと思てた。
心の中がれんこんみたいに穴空いて、なんや知らん、すうすう冷たい風が吹いてるような毎日、それがわたしの、2番目の家族ごっこ……。
今の旦那と出会って2週間して、互いに会話もできひん状態やったのに、
しかもわたしは田舎で同居主婦してて、旦那はアメリカからひょっこりやって来て、ただ日本の田舎の家でちょっと住んでみたかっただけの若者やったのに、
今でもなんでか全然わからへんけど、がむしゃらに、必死に、「わたしと一緒に、それと息子達とも一緒に暮らそ」って頼んでた。
「絶対に楽しいから、約束するから」って、アホの一つ覚えみたいにくり返して、1年かかってお願いをした。
非常識で、人の道から外れてて、非難されて当たり前の事を、年増の、子持ちの、人妻やってる女から言われた旦那の驚きと苦しみは並大抵のものやなかった。
ましてや、その夫というのは、自分を日本の田舎の家に招いてくれたその当人やったんやから。
なんぼ断られても後ずさりされても諦めへんかったのは、わたしの、家族というものに対する憧れの強さやったんか、それともそこまで惚れたんか、
説明のつかんものすごい希望の塊が、お腹の中にどすんと居座って、あの時のわたしは、それまでのわたしの中で1番頑固やった。
本物の家族ごっこが始まった当初は、いったいどないしたらええのか簡単なことすらわからんと、そこに離婚のストレスと極度の貧乏が重なって辛かった。
けど、足の裏がとうとう地べたにしっかりついたような気持ちがして、やっと自分が自分のまま生きてると感じた。それは素晴らしい感覚やった。
もう嘘をつかんでいい。人の機嫌を伺わんでいい。自分を無くすほどいい人ぶらんでいい。
自分が泣き出したくなるほど愛してる人達だけと一つ屋根の下で暮らすことができる幸せは、お金には代えられへん、ほんまもんの幸せやった。
家族4人揃って、季節の行事を楽しみ、年を越して新年を迎える。
それがとうとう、多分来年からは、叶わんようになる。
Tが大学を卒業して独立する日が近づいてきた。
そやから、今年の年越しと新年の祝いは、わたしの中では区切りの、もしかしたら最後の、家族揃ってのことになると思ってた。
それはとても喜ばしくも寂しいことで、その相反する感情が心の中に入り交じったまま、整理することもできずに困っていた。
そんな今年の年末に、旦那姉一家が老犬も一緒に泊まりで遊びに行きたいと言うてきた。
彼女とわたしは決定的に合わないことがあって、それでも15年ほどはなんとか頑張ったけど、3年前にある事件があって、それでわたしも腹を決めて、嘘をつくのはやめて、苦手ではあるけど、親族として、大人として、気持ち良く付き合ってはいくと表明した。
そんなこんなもあって、旦那はわたしと姉の間に立って、いろいろと気を遣わなあかんようになった。
わたしはできるだけ彼女と接触する時間を減らそうとする。
旦那も実は姉は苦手ではあるけれど、姉の主人のエリックと姪のエメラとは逢いたいので、なにか機会があったら逢いに行ったり呼んだりしたい。
それにもちろん、自分の姉なんやから、わたしのように冷めた感情を持ってもいない。
そやから、ものすごく申し訳ないと思う。なんとか気持ちが変わらんもんかとも思う。
「もうあの嵐の日からずっと、家族4人だけで居るやん。もう充分家族の時間持てたやん。なんでそれほどこだわるん?」
わたしかて、ほんまは機嫌よう、いつでもニコニコして人を迎えたい。
いや、違う、違うわ。迎えとうない時もあったのに、それを隠して、いつでもウェルカムないいおばさんのふりしてただけや。
そやからやっぱりわたしは、旦那が言うように、意固地で意地悪なんかもしれへん。
わたしだけの、初めて叶った『夢の家族』。それにこだわり過ぎてるのかもしれへん。
北風がびゅんびゅん吹き荒れる、体感温度マイナス14℃の今日一日、鍋ごと外に出しておいたおでんがかきんこきんに凍ってしもてた。お箸も乗っかるほどに。
おでんも意固地になっちゃったんかな。
HP(コンピューター大手米ヒューレット・パッカード社)のウェブカメラが黒人は認識できない?!という、ユーチューブに投稿された映像がネットで話題になっておりました。
昨日の昼間、Tとわたしがランチを食べていた時、旦那がある映像を見せてくれました。
最初、黒人男性が映っていて、HP社の開発したウェブカメラは人種差別カメラだと言い、これからそれを見せるからと言って、いろんなことを試す映像でした。
問題のカメラはHPが発売したPCの新モデルに搭載されているもので、ソフトウェアを使って人間の動作や顔面を認識し、自動的に動きを追ったりピントを合わせたりできるはず……でした。
ところが、投稿された映像には、白人女性の動きにはカメラが反応するのに、黒人男性の動きには反応しない様子が映っていました。
登場する2人は職場の同僚で、PCのカメラをテストしていてこの問題に気付き、面白いと思って友人に見せるつもりで映像を公表することにしたそうです。
ただし、そのことで人種差別論争を巻き起こす意図はなかったそうです。映像の中の男性も、ただただ可笑しく事実を語っているだけでした。
先にこのことがわかって良かったよ。知らないでクリスマスのプレゼントにしちゃったらさ、シャレになんないもんね~と笑ってました。
この映像を見て、旦那とわたしはただただ呆れたり笑ったりしていましたが、Tは途中から急にトーンダウン。
「今頃、HP社の、このソフトウェアを作ったエンジニアら、どないしてるんやろ……」と、かなり真剣に心配している様子。
明日は我が身……コンピューターエンジニアとして、Tはこの先、いろんなものをデザインしたりプログラムしたりする仕事に就くべく会社を探しています。
今の時代、特にユーチューブがこの世に出てからは、時としてこういう、思いもしていなかった問題が発生すると、数分後には公共に晒されるようになりました。
いい意味でも悪い意味でも、このスピードはもう変わらないのだから、そのことに関しても用心しなければなりません。
きっとTは、自分の近未来に照らし合わせて考えたのでしょう。
「会社、クビにならんかったらええけど……」そうポツリと言って黙ってしまいました。
「それにしても今頃、HP社では、これが新聞のニュースで流れてしまう前になんとか収拾つけられへんかと、てんやわんやの大騒ぎをしてるんやろな……」
などと言いながら、わたし達はそれで終わり、なんの責任も無くのんきなものです。
ところが、やっぱり隠せなかったようで、今日の新聞に記事が載ってしまいました。HP社さん、お気の毒です……。
でも、製品にしてしまう前に、人種のルツボであるアメリカの会社なんだから、どんな顔にも反応するようテストしとくべきだったんじゃないのかしらん……。
昨日の昼間、Tとわたしがランチを食べていた時、旦那がある映像を見せてくれました。
最初、黒人男性が映っていて、HP社の開発したウェブカメラは人種差別カメラだと言い、これからそれを見せるからと言って、いろんなことを試す映像でした。
問題のカメラはHPが発売したPCの新モデルに搭載されているもので、ソフトウェアを使って人間の動作や顔面を認識し、自動的に動きを追ったりピントを合わせたりできるはず……でした。
ところが、投稿された映像には、白人女性の動きにはカメラが反応するのに、黒人男性の動きには反応しない様子が映っていました。
登場する2人は職場の同僚で、PCのカメラをテストしていてこの問題に気付き、面白いと思って友人に見せるつもりで映像を公表することにしたそうです。
ただし、そのことで人種差別論争を巻き起こす意図はなかったそうです。映像の中の男性も、ただただ可笑しく事実を語っているだけでした。
先にこのことがわかって良かったよ。知らないでクリスマスのプレゼントにしちゃったらさ、シャレになんないもんね~と笑ってました。
この映像を見て、旦那とわたしはただただ呆れたり笑ったりしていましたが、Tは途中から急にトーンダウン。
「今頃、HP社の、このソフトウェアを作ったエンジニアら、どないしてるんやろ……」と、かなり真剣に心配している様子。
明日は我が身……コンピューターエンジニアとして、Tはこの先、いろんなものをデザインしたりプログラムしたりする仕事に就くべく会社を探しています。
今の時代、特にユーチューブがこの世に出てからは、時としてこういう、思いもしていなかった問題が発生すると、数分後には公共に晒されるようになりました。
いい意味でも悪い意味でも、このスピードはもう変わらないのだから、そのことに関しても用心しなければなりません。
きっとTは、自分の近未来に照らし合わせて考えたのでしょう。
「会社、クビにならんかったらええけど……」そうポツリと言って黙ってしまいました。
「それにしても今頃、HP社では、これが新聞のニュースで流れてしまう前になんとか収拾つけられへんかと、てんやわんやの大騒ぎをしてるんやろな……」
などと言いながら、わたし達はそれで終わり、なんの責任も無くのんきなものです。
ところが、やっぱり隠せなかったようで、今日の新聞に記事が載ってしまいました。HP社さん、お気の毒です……。
でも、製品にしてしまう前に、人種のルツボであるアメリカの会社なんだから、どんな顔にも反応するようテストしとくべきだったんじゃないのかしらん……。
今日は、めちゃくちゃ混んでる駐車場で、めちゃくちゃかっこわるい大人を数人目撃しました。
クリスマス後の、クリスマス休暇最後の日曜日の、しかも良く晴れた夕方は、どこのモールもお店もすごい人です。
プレゼントの返品をしに来る人、プレゼントにもらったお小遣いで自分の好きな物を買いに来る人、クリスマス前よりもパワーアップしたセールを狙う人、ただの暇つぶしの人達もそこに混じって、そりゃもう、めちゃくちゃに混むわけです。
そういうこともしっかりと覚悟の上で、息子Tとわたしは、近くのアウトレットモールに出かけて行きました。
Tがわたしにくれた室内履きのスリッパを返品しに行ったのです。
サイズが合わなかったことに加え、なんと、同じモールの、同じぐらいの時間に、まあまあ気に入るのを見つけ、自分で買ってしまっていたのでした。
実は、寒くなり始めた頃からずっと、温かな室内履きが欲しい欲しいと思っていました。
けれども、買い物に出かける時間も無く、ネットで調べるほどの意欲も無く、そのままになっていたのです。
でも、欲しい気持ちは気温が下がるにつれて更に強くなり、きっとわたしはTの前でもブツブツとつぶやいたりしていたのでしょう。
クリスマス前は、誰もが贈り物のことで頭を悩ませています。そんな時に、あ~○○が欲しいなあ~なんて言っているのを聞いたら……、
そっか、○○が欲しいのか、ほな、それを買うたげたらええんや!と、ホッとするやら嬉しいやら、贈り主の頭の中には、○○を手にして大喜びする誰かさんの姿がくっきりと浮かび……ということで、Tは今回、自信満々でプレゼントしてくれたのでした。
かんにん!
卒業とクリスマスですっかりわたし達よりお金持ちになったT。欲しい物があるからと、一緒に付き合ってくれることになりました。
そしてその現場を、わたしと一緒に目撃してしまったのでした。
『信じられないほどにかっこわるかった人達・その1』
混みまくっている駐車場にどうしても車を止めなければならない場合、グルグルあても無くゆっくり回り続けるか、買い物を終えた人達が乗り込みそうな車(これはもう運を天に任せるしかないのだけど)のすぐ近くに車を止めて待つかのどちらかしかありません。
適当に列を決めて、まず入ってみました。
すると……、
なんじゃこりゃ~!?の車が2台、目に飛び込んできました。
空いているのは1台分のスペース。そこにVの字状に2台の車が頭を突っ込んでいて、その角っこは今にもコンッと音をたててぶつかりそうなぐらい近いのです!
しかも、2台のうちの1台の車の運転手は、シートを寝かせて狸寝入り?!もう1台の方の運転手は、あらん限りの目力でもって睨みつけています。
いったいどれぐらいの時間、ああやって粘っているのやら……。
Tも思いっきり呆れていました。
『信じられないほどにかっこわるかった人達・その2』
その2台を通り過ごすと、わたし達と同じような考えで待っている車が1台停まっていました。右側のウィンカーランプを点滅させています。
ああ、もうすぐ出る車を見つけたんだなと思い、その車の後ろに自分達の車を停め、ハザードランプを点滅させ、その車の様子を見ることにしました。
他の、わたし達のように待ちたくない車は、対向車線に車が来ていないかどうかを確かめて、わたし達の車を追い抜いて行かなければなりません。
そういう意味では、わたし達は迷惑をかけてしまっているのですが、この待ち方は非常に混んだ駐車場では、暗黙の了解のもとに許されていることなのです。
わたし達の車の後に、でっかい黒いハマーがやって来ました。
わたしの車のハザードランプを見て、追い越そうとしたのですが、対向車線には3台の車がすでに入ってきていて、それらの車が通り過ぎるのを待って、追い越すしかないと、わたしはルームミラーと目の前の状況を見比べながら思っていました。
がっ?!
そのハマー、いきなりハンドルをぐいっと切り対向車線に出、わたしの車のすぐ横に停止。そしてジリジリと目の前の車ににじり寄っていくではありませんか!?
あまりのことにあんぐりと口を開けているのはわたしだけではありませんでした。
Tも、わたし達と対面している車のドライバーも、目をまん丸にして唖然とするばかり。
そこに、飛び上がるほどのクラクションの爆音が!パパァ~!パパァ~!
なんと、反対車線に飛び出したハマー、クラクションとエンジンを噴かす音でもって脅かし、正しく走っているはずの車3台をバックさせたのでした。
そして、すごい勢いでわたしとわたしの前の車2台を追い越し、あろうことか、わたしの前の車が待っていた、やっとの思いで見つけた空き場所に入ったのです!
なんという利己主義!なんという恥知らず!なんという傲慢さ!
たまらなくなって、そこから一刻も早く離れたくなって、場所を変えようと車を動かしたら、そこに帰り客が登場!
狭いスペースに難儀しいしい巨体をごり押しする阿呆ハマーよりも早く、車から降りることができました。
場所を横取りされた哀れな車は、依然として、右側のウィンカーランプを点滅させながら停まっておりました。
めっちゃくちゃにかっこ悪い大人を何人もいっぺんに見た、とても珍しい日になりました。
クリスマス後の、クリスマス休暇最後の日曜日の、しかも良く晴れた夕方は、どこのモールもお店もすごい人です。
プレゼントの返品をしに来る人、プレゼントにもらったお小遣いで自分の好きな物を買いに来る人、クリスマス前よりもパワーアップしたセールを狙う人、ただの暇つぶしの人達もそこに混じって、そりゃもう、めちゃくちゃに混むわけです。
そういうこともしっかりと覚悟の上で、息子Tとわたしは、近くのアウトレットモールに出かけて行きました。
Tがわたしにくれた室内履きのスリッパを返品しに行ったのです。
サイズが合わなかったことに加え、なんと、同じモールの、同じぐらいの時間に、まあまあ気に入るのを見つけ、自分で買ってしまっていたのでした。
実は、寒くなり始めた頃からずっと、温かな室内履きが欲しい欲しいと思っていました。
けれども、買い物に出かける時間も無く、ネットで調べるほどの意欲も無く、そのままになっていたのです。
でも、欲しい気持ちは気温が下がるにつれて更に強くなり、きっとわたしはTの前でもブツブツとつぶやいたりしていたのでしょう。
クリスマス前は、誰もが贈り物のことで頭を悩ませています。そんな時に、あ~○○が欲しいなあ~なんて言っているのを聞いたら……、
そっか、○○が欲しいのか、ほな、それを買うたげたらええんや!と、ホッとするやら嬉しいやら、贈り主の頭の中には、○○を手にして大喜びする誰かさんの姿がくっきりと浮かび……ということで、Tは今回、自信満々でプレゼントしてくれたのでした。
かんにん!
卒業とクリスマスですっかりわたし達よりお金持ちになったT。欲しい物があるからと、一緒に付き合ってくれることになりました。
そしてその現場を、わたしと一緒に目撃してしまったのでした。
『信じられないほどにかっこわるかった人達・その1』
混みまくっている駐車場にどうしても車を止めなければならない場合、グルグルあても無くゆっくり回り続けるか、買い物を終えた人達が乗り込みそうな車(これはもう運を天に任せるしかないのだけど)のすぐ近くに車を止めて待つかのどちらかしかありません。
適当に列を決めて、まず入ってみました。
すると……、
なんじゃこりゃ~!?の車が2台、目に飛び込んできました。
空いているのは1台分のスペース。そこにVの字状に2台の車が頭を突っ込んでいて、その角っこは今にもコンッと音をたててぶつかりそうなぐらい近いのです!
しかも、2台のうちの1台の車の運転手は、シートを寝かせて狸寝入り?!もう1台の方の運転手は、あらん限りの目力でもって睨みつけています。
いったいどれぐらいの時間、ああやって粘っているのやら……。
Tも思いっきり呆れていました。
『信じられないほどにかっこわるかった人達・その2』
その2台を通り過ごすと、わたし達と同じような考えで待っている車が1台停まっていました。右側のウィンカーランプを点滅させています。
ああ、もうすぐ出る車を見つけたんだなと思い、その車の後ろに自分達の車を停め、ハザードランプを点滅させ、その車の様子を見ることにしました。
他の、わたし達のように待ちたくない車は、対向車線に車が来ていないかどうかを確かめて、わたし達の車を追い抜いて行かなければなりません。
そういう意味では、わたし達は迷惑をかけてしまっているのですが、この待ち方は非常に混んだ駐車場では、暗黙の了解のもとに許されていることなのです。
わたし達の車の後に、でっかい黒いハマーがやって来ました。
わたしの車のハザードランプを見て、追い越そうとしたのですが、対向車線には3台の車がすでに入ってきていて、それらの車が通り過ぎるのを待って、追い越すしかないと、わたしはルームミラーと目の前の状況を見比べながら思っていました。
がっ?!
そのハマー、いきなりハンドルをぐいっと切り対向車線に出、わたしの車のすぐ横に停止。そしてジリジリと目の前の車ににじり寄っていくではありませんか!?
あまりのことにあんぐりと口を開けているのはわたしだけではありませんでした。
Tも、わたし達と対面している車のドライバーも、目をまん丸にして唖然とするばかり。
そこに、飛び上がるほどのクラクションの爆音が!パパァ~!パパァ~!
なんと、反対車線に飛び出したハマー、クラクションとエンジンを噴かす音でもって脅かし、正しく走っているはずの車3台をバックさせたのでした。
そして、すごい勢いでわたしとわたしの前の車2台を追い越し、あろうことか、わたしの前の車が待っていた、やっとの思いで見つけた空き場所に入ったのです!
なんという利己主義!なんという恥知らず!なんという傲慢さ!
たまらなくなって、そこから一刻も早く離れたくなって、場所を変えようと車を動かしたら、そこに帰り客が登場!
狭いスペースに難儀しいしい巨体をごり押しする阿呆ハマーよりも早く、車から降りることができました。
場所を横取りされた哀れな車は、依然として、右側のウィンカーランプを点滅させながら停まっておりました。
めっちゃくちゃにかっこ悪い大人を何人もいっぺんに見た、とても珍しい日になりました。
やっと晴れた!青い空が見えた!
すっかり元気になった旦那と、ピアノ部屋で朝のあいさつをした。
旦那とわたしの間に、前庭の窓から、ぶっといお日様の光が差し込んでいた。
その光の帯の中で、銀色の光の粒が、キラキラと瞬きながら、ふわふわと浮かんでいた。
わたしへのクリスマスの贈り物だった赤ワイン色のマフラーを、贈り主の旦那が手に取って首に巻いた。
急に、銀色一色だった光の粒に、赤や青の色が加わった。
何度撮り直しても、本物のようには撮れない。カメラも腕前も良く無いのだから仕方が無い。
でも、同じほこりでも、濃い色の家具やピアノの上につもったのと、光の帯の中で踊っているのとでは、見た時の気持ちがまるで違う。
結局は、どこかに漂着して積もるだけのほこりなのに。
お日様の光は、いろんなものを見せてくれる。見たいものも見たくないものも。時には見られるとは思ってもいなかったものも。
光っていいな。
お日様っていいな。
すっかり元気になった旦那と、ピアノ部屋で朝のあいさつをした。
旦那とわたしの間に、前庭の窓から、ぶっといお日様の光が差し込んでいた。
その光の帯の中で、銀色の光の粒が、キラキラと瞬きながら、ふわふわと浮かんでいた。
わたしへのクリスマスの贈り物だった赤ワイン色のマフラーを、贈り主の旦那が手に取って首に巻いた。
急に、銀色一色だった光の粒に、赤や青の色が加わった。
何度撮り直しても、本物のようには撮れない。カメラも腕前も良く無いのだから仕方が無い。
でも、同じほこりでも、濃い色の家具やピアノの上につもったのと、光の帯の中で踊っているのとでは、見た時の気持ちがまるで違う。
結局は、どこかに漂着して積もるだけのほこりなのに。
お日様の光は、いろんなものを見せてくれる。見たいものも見たくないものも。時には見られるとは思ってもいなかったものも。
光っていいな。
お日様っていいな。
マンデラ元大統領。南アフリカ初の黒人大統領。アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いた人。
『Invictus』にはいろんな感動的な場面がありましたが、最も胸を強く打たれたのは、彼が27年半もの間(約10,000日)暮らした刑務所の部屋を見た時でした。
(1962年8月に逮捕される。1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される。1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監)
映画に出てきたのは、ケープタウン郊外の刑務所の方で、ここには息子達二人ともが、旦那の両親に連れられて行った旅行中に実際に行って見ています。
大人が両手を広げたら両端の壁に届くような狭い部屋のコンクリートの床に、薄い毛布のようなものが敷かれているだけの寝床。それに一脚の椅子。
そこで、わたしの人生の約半分の年月を過ごし、労働し、犯罪者として扱われてきたこと、その過酷な運命をもたらした者や社会を許すことができた人。
その心の強さ、大きさ、深さは、I am the master of my fate. I am the captain of my soul.という彼の信念が作り上げていったのでしょうか。
わたしはほんとに、どこまでちっぽけな人間なのか。
自分が許せていない人や物事を、どうにかして許そうともがいているだけで、それが一向に前に進まないまま、忙しさを理由に放ったらかしにしています。
いい人ぶっているけれど、ほんとはつまらない、勇気の無い、グズグズうじうじしているだけの人間だと、この映画を観て思いました。
というより、人を許す、などという思いそのものが、奢っている証拠です。
I am the master of my fate. I am the captain of my soul.(私は自らの運命の師であり、私は自らの魂の指揮官なのだ)
あの最も辛い時期を生きていたわたしの中に、この言葉とよく似た思いがありました。
あの時に山ほどの人や物事を許し認め受け入れていたわたしが、今はすっかり甘やかされて情けない大人になっていました。
そんなわたしに、柔らかだけど、みぞおちに深く食い込むパンチを打ってくれた映画でした。
『Invictus』にはいろんな感動的な場面がありましたが、最も胸を強く打たれたのは、彼が27年半もの間(約10,000日)暮らした刑務所の部屋を見た時でした。
(1962年8月に逮捕される。1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される。1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監)
映画に出てきたのは、ケープタウン郊外の刑務所の方で、ここには息子達二人ともが、旦那の両親に連れられて行った旅行中に実際に行って見ています。
大人が両手を広げたら両端の壁に届くような狭い部屋のコンクリートの床に、薄い毛布のようなものが敷かれているだけの寝床。それに一脚の椅子。
そこで、わたしの人生の約半分の年月を過ごし、労働し、犯罪者として扱われてきたこと、その過酷な運命をもたらした者や社会を許すことができた人。
その心の強さ、大きさ、深さは、I am the master of my fate. I am the captain of my soul.という彼の信念が作り上げていったのでしょうか。
わたしはほんとに、どこまでちっぽけな人間なのか。
自分が許せていない人や物事を、どうにかして許そうともがいているだけで、それが一向に前に進まないまま、忙しさを理由に放ったらかしにしています。
いい人ぶっているけれど、ほんとはつまらない、勇気の無い、グズグズうじうじしているだけの人間だと、この映画を観て思いました。
というより、人を許す、などという思いそのものが、奢っている証拠です。
I am the master of my fate. I am the captain of my soul.(私は自らの運命の師であり、私は自らの魂の指揮官なのだ)
あの最も辛い時期を生きていたわたしの中に、この言葉とよく似た思いがありました。
あの時に山ほどの人や物事を許し認め受け入れていたわたしが、今はすっかり甘やかされて情けない大人になっていました。
そんなわたしに、柔らかだけど、みぞおちに深く食い込むパンチを打ってくれた映画でした。
昨日、クリスマスの日の夕方、台所に居たTが、「びっくりした!啄木鳥が窓ガラス叩いてた!」と言いながら居間に入ってきました。
残念ながら、啄木鳥はもうどこかに行ってしまって見られなかったけれど、
啄木鳥が窓枠につかまって、透明の窓ガラスなどを叩く、なんてことがあるんでしょうか?
わたしはもう、得意の夢想の世界に入り込み、神様からのメッセージを知らせにうちにやってきてくれたお使い啄木鳥の話を作り始めていました。
旦那はその頃からハナタレが治まり、微熱はあるものの、少しだけ楽になったような顔をしていました。
そして夜は激しく咳き込むこともなく、朝7時ぐらいまでよく眠り、今朝は昨日までのことが嘘のように、本調子ではないものの、だいぶ元気になりました。
部屋の隅のわたしが掃き残している埃や、ドアの枠などの汚れを、いきなり掃除機で吸い始めた時には、菌が脳に侵入したか?!とかなり心配しましたが……。
旦那はお世辞で、「昨日のまうみのマッサージが効いた」などと言ってくれるけど、わたしはもう啄木鳥さんに大感謝!
結局、旦那とわたし達が一緒に暮らし始めてからの歴史の中で初めての、家族4人だけで、だらだらとのんびり過ごせたクリスマスになりました。
今日もあと一日念のためにゆっくり……と思いきや、「みんなで映画を観に行こう!」と張り切る旦那。ええんかいな~と二の足を踏むわたし。
「菌はボクの身体の中で完全燃焼され、菌自身も大満足なので、もう他の人のところには行かないし、他の人の菌もボクにはもうかなうまい!」
ほんまかいな……
ということで、冷たい雨降りの中、近くの映画館に行って、クリント・イーストウッド監督の『Invictus』を観ることになりました。
『Invictus』はラテン語で『不屈』とか『決して負けない』とかの意味だそうです。
マンデラ大統領役をモーガン・フリーマンが、南アフリカのラグビーチームのキャプテン役をマット・デイモンが演じる、事実に基づいたお話です。
このお三方、我が家4人ともにとても好きな役者さん達なので、見逃すわけにはいきません。
また後日再演されることが決まってホッとした、マイケルの『This is it!』が始まるまでのつなぎに観に行く、なんてこと言うのは失礼?かもしれませんが。
この1週間、いろんなことが続いてすっかり心配をかけてしまいました。
みなさんのお気持ち、それはそれは嬉しかったです。
本当にありがとうございました。←雨降って地固まったと思い込んでる旦那の図。ほんとだったらいいのだけれど……
残念ながら、啄木鳥はもうどこかに行ってしまって見られなかったけれど、
啄木鳥が窓枠につかまって、透明の窓ガラスなどを叩く、なんてことがあるんでしょうか?
わたしはもう、得意の夢想の世界に入り込み、神様からのメッセージを知らせにうちにやってきてくれたお使い啄木鳥の話を作り始めていました。
旦那はその頃からハナタレが治まり、微熱はあるものの、少しだけ楽になったような顔をしていました。
そして夜は激しく咳き込むこともなく、朝7時ぐらいまでよく眠り、今朝は昨日までのことが嘘のように、本調子ではないものの、だいぶ元気になりました。
部屋の隅のわたしが掃き残している埃や、ドアの枠などの汚れを、いきなり掃除機で吸い始めた時には、菌が脳に侵入したか?!とかなり心配しましたが……。
旦那はお世辞で、「昨日のまうみのマッサージが効いた」などと言ってくれるけど、わたしはもう啄木鳥さんに大感謝!
結局、旦那とわたし達が一緒に暮らし始めてからの歴史の中で初めての、家族4人だけで、だらだらとのんびり過ごせたクリスマスになりました。
今日もあと一日念のためにゆっくり……と思いきや、「みんなで映画を観に行こう!」と張り切る旦那。ええんかいな~と二の足を踏むわたし。
「菌はボクの身体の中で完全燃焼され、菌自身も大満足なので、もう他の人のところには行かないし、他の人の菌もボクにはもうかなうまい!」
ほんまかいな……
ということで、冷たい雨降りの中、近くの映画館に行って、クリント・イーストウッド監督の『Invictus』を観ることになりました。
『Invictus』はラテン語で『不屈』とか『決して負けない』とかの意味だそうです。
マンデラ大統領役をモーガン・フリーマンが、南アフリカのラグビーチームのキャプテン役をマット・デイモンが演じる、事実に基づいたお話です。
このお三方、我が家4人ともにとても好きな役者さん達なので、見逃すわけにはいきません。
また後日再演されることが決まってホッとした、マイケルの『This is it!』が始まるまでのつなぎに観に行く、なんてこと言うのは失礼?かもしれませんが。
この1週間、いろんなことが続いてすっかり心配をかけてしまいました。
みなさんのお気持ち、それはそれは嬉しかったです。
本当にありがとうございました。←雨降って地固まったと思い込んでる旦那の図。ほんとだったらいいのだけれど……
仁さんからの依頼もあって(なんのこっちゃ?)、引き続き、自己治療の奮闘の甲斐も無く、依然として苦しんでる旦那の話のタイトル、ちょっと変えてみました。
タイトル通りの、少しの間だけちょっぴり楽になるだけの、まるで分娩室のベッドに横たわり両足を足掛けにかけてハァ~ハァ~やってる妊婦さんのごとく、
旦那は風邪道からまだ抜けられずに、少し楽になったからといっても食欲も無く、だからといって寝られず、かなり可哀想な状態のまま夕方になってしまいました。
けれども、それでもクリスマスをやりたぁ~い旦那は、パンプキンパイを焼き、「後は任す!!以上!!」と言ってひとまず退散。
引き継ぎ隊長のわたしは、豚のひれ肉の塊に2センチ幅の切り込みを入れ、そこにローズマリーとにんにく、そしてフェネルの種のみじん切りを塗り込み、
全体にオリーブ油をまんべんなく塗り付けたところに塩こしょう少々、それを強火で10分ローストした後、弱火でじっくり焼くという、レシピ通りの作業をし、
スウィートポテトとりんごの合わせ煮と、スウィートビーンズをさっと炒めたものとで、とりあえずクリスマス料理として間に合わせました。
クリスマスディナーはTとKとわたしとの3人でひっそりと。旦那は居間のソファで横になっていました。
それはあたかも、ジジジジと小さな音をたて、震えるように瞬いている切れかけの電球のもとで、早く食べないと真っ暗になっちゃうよ!と急いで食べているような、なんとも心細い、中途半端な気分の夕食でした。
今日はつくづく、わたしという人間は、こういう日の過ごし方が下手なんだなあ~と、自分ながらに呆れてしまいました。
いつも旦那任せ。実は旦那がいろいろと考えて引っ張ってくれるのにすっかり甘えて、子供のように頼り切っていたことに改めて気づきました。
ごめん!旦那!
旦那は台所に入ってきては、「あ~も~」と唸ってテーブルに突っ伏したり、飲んだ薬の効果のほどを報告したり、わたしに「ちょっとは休め」と言ったり。
今日一日、いつ見てもわたしが働いているからと、しんどい身体で気遣ってくれるのですが、旦那が病気だと他にやる事が無いので働いているだけ、
なんとも気持ちのバランスがうまくとれなくて、わたしもどうしたらいいのかわからない、長い長い一日でした。
西洋の薬にも、症状を抑えるのではなく、言葉はおかしいけれど、一旦悪化させて出すべきものを出させる錠剤が出たらしく、旦那はそれを昨日から試しています。
昨晩はそれを飲む時間が遅過ぎて、あの夜中の騒ぎになったので、今日は夕方に飲みました。
その後足首から先のマッサージを頼まれたので、いつもより念入りに、早く良くなれ!と願いを込めて揉みほぐしました。
1時間ほど前に、少しだけ咳が出ていたけれど、今はとても静かに眠っています。
このままの状態で朝まで続けて眠れたら、かなり力もつくと思います。
旦那のこと、大切にしなさいよ。
頼ってばかりじゃなくて、あんたももうちょっと、皆が楽しめるように考えたり動いたりしなさいよ。
クリスマスの日に、神様から宿題をもらったような気がします。
タイトル通りの、少しの間だけちょっぴり楽になるだけの、まるで分娩室のベッドに横たわり両足を足掛けにかけてハァ~ハァ~やってる妊婦さんのごとく、
旦那は風邪道からまだ抜けられずに、少し楽になったからといっても食欲も無く、だからといって寝られず、かなり可哀想な状態のまま夕方になってしまいました。
けれども、それでもクリスマスをやりたぁ~い旦那は、パンプキンパイを焼き、「後は任す!!以上!!」と言ってひとまず退散。
引き継ぎ隊長のわたしは、豚のひれ肉の塊に2センチ幅の切り込みを入れ、そこにローズマリーとにんにく、そしてフェネルの種のみじん切りを塗り込み、
全体にオリーブ油をまんべんなく塗り付けたところに塩こしょう少々、それを強火で10分ローストした後、弱火でじっくり焼くという、レシピ通りの作業をし、
スウィートポテトとりんごの合わせ煮と、スウィートビーンズをさっと炒めたものとで、とりあえずクリスマス料理として間に合わせました。
クリスマスディナーはTとKとわたしとの3人でひっそりと。旦那は居間のソファで横になっていました。
それはあたかも、ジジジジと小さな音をたて、震えるように瞬いている切れかけの電球のもとで、早く食べないと真っ暗になっちゃうよ!と急いで食べているような、なんとも心細い、中途半端な気分の夕食でした。
今日はつくづく、わたしという人間は、こういう日の過ごし方が下手なんだなあ~と、自分ながらに呆れてしまいました。
いつも旦那任せ。実は旦那がいろいろと考えて引っ張ってくれるのにすっかり甘えて、子供のように頼り切っていたことに改めて気づきました。
ごめん!旦那!
旦那は台所に入ってきては、「あ~も~」と唸ってテーブルに突っ伏したり、飲んだ薬の効果のほどを報告したり、わたしに「ちょっとは休め」と言ったり。
今日一日、いつ見てもわたしが働いているからと、しんどい身体で気遣ってくれるのですが、旦那が病気だと他にやる事が無いので働いているだけ、
なんとも気持ちのバランスがうまくとれなくて、わたしもどうしたらいいのかわからない、長い長い一日でした。
西洋の薬にも、症状を抑えるのではなく、言葉はおかしいけれど、一旦悪化させて出すべきものを出させる錠剤が出たらしく、旦那はそれを昨日から試しています。
昨晩はそれを飲む時間が遅過ぎて、あの夜中の騒ぎになったので、今日は夕方に飲みました。
その後足首から先のマッサージを頼まれたので、いつもより念入りに、早く良くなれ!と願いを込めて揉みほぐしました。
1時間ほど前に、少しだけ咳が出ていたけれど、今はとても静かに眠っています。
このままの状態で朝まで続けて眠れたら、かなり力もつくと思います。
旦那のこと、大切にしなさいよ。
頼ってばかりじゃなくて、あんたももうちょっと、皆が楽しめるように考えたり動いたりしなさいよ。
クリスマスの日に、神様から宿題をもらったような気がします。