ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

おせちを作りながら

2014年12月30日 | ひとりごと
日本は新しい年を迎えました。

こちらはまだ、おせちの黒豆を煮たり、昆布巻の準備をしたりと、大晦日の慌ただしさの真っただ中です。

そんな大晦日も、彼らにはいつもと同じ毎日の中の一日。

木の枝に止まり、意地悪な声を出して猫をからかうキャットバードに、まんまとからかわれております。


お、今度は下に何か見つけたか?


彼らの仲良しっぷりを見ていると、心がほこほこしてきます。


やっぱ『愛』だよな~『愛』!!


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『原発は自国に向かう核兵器』1月11日の佐賀県知事選・玄海原発再稼働反対の島谷候補を応援しよう!

2014年12月29日 | 日本とわたし
kumakaさんから、こんなお願いが届きました。

↓以下、ご紹介します。

以下の文章は、田中靖枝さんという方が書かれたものです。
佐賀県民ではありませんが、脱原発を願う立場から行動されています。
この文章は公示前仕様なので、応援したい候補者名はありませんが、今日はもう25日なので、投票をお願いが出来ますね。
島谷ゆきひろさんです。
http://shimatani-yukihiro.com/

街頭で配るビラとしてではなく、JAなどの組織を対象に作られ、昨日80ぐらいのJAと漁協にFAXされたそうです。

※その前に一つ、8時間にも及ぶ21日に行われたIWJの饗宴。
その中で発言された「標語」。

【原発は自国に向かう核兵器】

参加された方が教えて下さいました。
発言者は誰かはっきり分かりませんが、広めたいとおっしゃっています。
(多分あの経済学者さんというぐらいには分かっています)
この標語も、まうみさんのHPにアップしていただけると嬉しいです。


↑以上、ご紹介おわり


この、島谷ゆきひろさんが立候補されている佐賀県の知事選。
ツィッターでも、ちだいさんが、このようにツィートしておられました。



わたしたちは、手をつないでいかなければなりません。
声を重ねていかなければなりません。
島谷氏のように、その場限りのでまかせではない、選挙のためだけの口約束でもない、反原発への意思と地域への愛情を持つ人を支えること、
わたしたちの手で、わたしたちの声で、小さな町や村、そして市や都道府県を救わねば、いったいどこの誰が救ってくれるというのでしょう。

では、田中さんの文章を紹介させていただきます。

↓以下、紹介はじめ
________________

佐賀県の皆様へ            

原発事故避難計画を考える会・福岡 田中靖枝 

これからの原発をどうするか、佐賀県の未来を選択する県知事選が、1月11日に迫っています。
 
総選挙が終り、政府は、原発再稼働へ向かって加速しています。
福島原発事故の経験から、避難計画の作成が再稼働の要件に加えられました。
しかし、事故が起る可能性があることを前提とした「再稼働」に、本当に正当な理由があるのでしょうか。
原発の燃料であるウランも化石燃料と同じ、限りある資源です。
 
~~~~~~ 投票に行く前に考えてみて下さい~~~~~~~~~

*12番目に、原発をやめる方法も提案していますので、お時間のない方は最後だけでも読んでください**

1. 
政府は、再稼働しないと電気料金が上がって企業が海外に出ていく、と言います。
しかし、企業が海外に出始めたのは、ずっと前からです。
労働力が安く、土地も原料も安いからです。
また、少し前には「化石燃料の輸入による貿易赤字が4兆円」と言っていましたが、実際の輸入量は減っています。
赤字の金額が増えたのは、円安によるものです。

2. 
再生エネルギーを全て買い取れない、と電力会社が言い出し、経産省が追認しました。
全てを買い取る為には、送電網の増強が必要で、4兆~6兆円かかると経産省の研究会が試算しています。
一方で、原発を安全に運転する為の新規制基準に適合するための費用として、電力10社は2.2兆円を見込み、
今後、さらにその費用は膨らむと見られています。
福島の除染には、すでに2兆円の税金が使われ、こちらは果てしなく続きます。
再生エネルギーの買い取りを促進するために投資した方が、市民への負担は間違いなく減って行きます。

3. 
九電は、電気料金の値上げをほのめかして、再稼働を正当化しています。
原発の為にウラン燃料を買い込んでいたのに、原発がとまり、在庫のウラン燃料を消化できず、
新しく燃料を仕入れたので、燃料代が嵩んで、赤字になったというのです。
「事故を起さずに、放射能も出さないようにして」再稼働すると言っていますが、
福島原発事故を見てなお 、「原発は安全だ」ということができるでしょうか?
九電は、新規制基準に合わせるために、3,000万円をつぎ込んでいます。
これも、赤字を膨らませる一因です。
しかし、それは企業が持つべき責任であって、そのツケを、事故が起きるかもしれない危険性と一緒に市民に回すことは、
どんな企業にも、決して許されることではありません。

4.
「電力の安定的供給に責任がある」
これも再稼働の理由です。
しかし、 九州の原発はまもなく3年間、全て止まったままです。
全国でもここ1年、原発は一基も動いていません。
電気は安定して供給され続けています。

5. 
福島第一原発でも問題になっている使用済み核燃料は、保存する場所がありません。
再稼働すれば、玄海原発の使用済み核燃料プールは、4年で溢れます。
少なくとも、核のゴミをこれ以上増やさないようにすべきです。

6. 
原子力規制委員会は、新たに設置した基準を、”世界一厳しい”と言っていますが、本当はとても甘い基準です。
福島原発の時のような、過酷事故対策として必要不可欠であるフィルター付きベントを取り付けるまでに、5年の猶予が与えられています。
また、厳しくするのであれば必須である、「コア・キャッチャー」もついていません。
コア・キャッチャーとは、欧米で進められている、原子炉がメルトダウンした時に備える設備です。
古い原子炉に付けるのは値段が高いから、と原子力規制委員長・田中俊一氏は公言しています。
安全性より企業の利益を優先させている、と言わざるをえません。
また、田中委員長は、記者会見で、
「天災事変がいつ起こるかわからないから、社会的活動をすべてやめてくださいというわけにはいかない」と言って、火山学者を批判しています。
この発言を含め、田中委員長は、信頼に足ると言えるでしょうか?

7.
原発事故が起ったら、誰が責任を取るのでしょうか?
福島原発事故の後、政治家、電力事業社、原発メーカーで、家を追われるような罪滅ぼしをした責任者はいません。
一方で、今なお、福島の12万もの人々が故郷を失って、救われないまま放置されてます。
被害者を守り、加害者に責任を取らせるのが社会の規則である筈ですが、どうしてそうならないのでしょう?
黙認している私たち有権者にも、その責任があるのではないでしょうか?

8.
再稼働の条件として、避難計画の作成が、原発から30キロ圏内の自治体に義務づけられました。
佐賀県も福岡県も、計画が完成したと言っていますが、その実態は、住民と避難場所の「数合わせ」をしたことに留まり、
緊急時でパニックに陥るだろう住民の動きは、全く考えられていません。

9. 
漫画「美味しんぼ」がした問題提起について、議論がありました。
放射能汚染と鼻血の因果関係は、はっきり認めている学者が居る一方で、 否定する学者も居ます。
疫学的調査が必要です。
水俣病をはじめ、エイズ製剤事件、アスベスト、その他沢山のいわゆる公害病は、認定までに長い長い時間がかかりました。
風評被害でお米が売れなくなると嘆く農家と、放射能汚染された食品を摂取したことによって、実際に健康を損なった人達の、悩みは双方とも切実です。
このような不幸な対立の原因が、原発なのです。
「原発さえ無かったら」と壁に書いて、自殺した人も居ました。 

10. 
原発の輸出が、「国益のため」として進められています。
「国益」 と言うと聞こえがいいですが、実際に利益を得るのは、一部の非常に限られた人たちです。
相手国の住民が、必死に反対運動をしています。
そもそも、自国でも始末できない放射能を、未開発国に輸出することは、「道徳」に背いた行為ではないでしょうか。
それを正当だと認める理由を、こどもたちに説明できますか?

11.
原子炉は、コンピューターで動くと思っている人が多いですが、必ず生身の人間が中に入って、清掃や修理をしなければなりません。
敦賀原発で働いて病気になり、20代の若さで亡くなった嶋橋さんの、ご両親の言葉を紹介します。

「どんな病気でも…(我が子が)亡くなる時は…親は悲しいでしょう…。
だけども白血病で死ぬ時の、あの辛さを…ついて見てるのは……忍びないですねえ……」

原発はこのように、誰かの犠牲の上に成り立っています。
このように非人道的な方法で電気を作ることが、どういう理由で許されるのでしょう? 

12。
では、原発をやめる方法です。
今の政治家にまかせていても出来ないでしょう。
まず、市民が、税金を 「払う」だけでなく、「どのように使うか」ということに目覚めることが重要です。
オーストリアのギュッシング市では、1990年に、「打倒!化石燃料!」を合い言葉に、森林を活用するプロジェクトを始め、
今では地域のエネルギー自給にとどまらず、森林関連で外貨を稼いでいます。
「エネルギーの輸入はお金の無駄。利用されないまま、何千トンの木材が廃材として朽ちていくのに、なんで何千キロも離れたところから、化石燃料を輸入しなければならないのか?」
市長のパダシェさんの言葉です。
森林を、上手に持続可能なように伐採していけば、100年先のこどもたちに、豊かなまま残すことが出来ます。        
*参照「里山資本主義」(藻谷浩介、角川書店)

日本もオーストリアと同じように、森が沢山ありますが、森も林も林業も長い間、捨てられたままです。
豊かな森林と共に、平和に生きる道を選ぶのは、今です!
ここ日本にも、好例があります。
岡山県の真恵市には、30ほどの製材業者があり、経営不振を挽回すべく、元気な経営者たちが森林を活用して、エネルギーを賄っています。
新しい仕事が生まれ、雇用促進に役だっています。
広島県庄原市でも、同じことが実践されています。
 
これは小さい町のことだ、と思われるかもしれません。
しかし、玄海町は人口6,000人。
そして、町と市が集ったのが、県です!
20市町がある佐賀県を考えると、最初は民間だけでは無理。
「公的な支援」が必要です。
「公的支援」とは、もともと私達の税金です。
  
税金の使い道を決定するのは、政治のリーダーです。
リーダーには、高い見識と、100年先を考える先見性が求められます。
それを選ぶ市民も、100年先を考えなければなりません。

必要なのは、「市民の決断」と「政治のリーダーシップ」です!
 
________________
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敵戦車への肉弾戦という惨たらしい死に方をした『ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど』詩人・竹内浩三

2014年12月29日 | 日本とわたし
いつも記事を読ませていただいているHitoshi Kawashimaさんが、ご自身のFacebookに記載されたこの詩に、心を打たれました。

そしていろいろと読み進めていくうちに、戦争というものに巻き込まれるような国になることを、わたしたち大人が手をこまねいて見ていては絶対にいけないと思いました。

カネに困ってくると戦争を仕掛け、燃料を独占するために戦争を仕掛けする連中の手口が、なんとなくぼんやりながらも見えてきた今、
そんな連中らの、これまでのようなやりたい放題を、放置していいはずなど無いのです。

戦争などという、使用期限を守りたいがための、生産工場と流通機関の儲けを求めるがための、さらには、新しく開発した武器の殺傷効果を見てみたいがための人殺しを、
これ以上、世界は許してはいけません。
そして世界というのは、わたしたちなのです。
わたしたちひとりひとりの世界が、しっかりと立ち、戦争というものをこの世から無くしていくために、まずひとりで声を出していかねばならないのです。
その声は、自分の部屋の中でもいいし、駅の待合室でもいいし、バスの中でも、会社の休憩室でも、喫茶店でも教室でもいい。
小さくても、たどたどしくても、なんでもいい。

戦争に、あなたの子を行かせてはなりません。
誰の子も行かせてはなりません。
敵戦車への肉弾戦、などという、世にも愚かな行為を押し付けられて、殺されてはなりません。
そんなことをさせようとする政治家は、決して許してはなりません。

そういう声はこの、戦争ばかりやらせようとする悪党が、堂々と生きているアメリカの中でも、上がってきています。
日本を、こんな恐ろしい罠にハマってしまった国のようにしてはいけません。



では、Hitoshiさんの言葉とともに、今から12日前の、12月18日に書かれた記事を、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

『ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど』

街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてば ぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう 
てがらたてるかな

だれもかれもおとこなら みんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど
なんにもできず
蝶をとったり 
子供とあそんだり
うっかりして戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた




太平洋戦争が激しさをます時代に、個性あふれる豊かな言葉を、詩というかたちで遺し、映画作りを志し、勉学に励んでいた青年、竹内浩三の青春に迫り、
戦争が奪った若い命ひとつひとつのかけがえのなさ、尊さに気づかせてくれるドキュメンタリー番組『ぼくはいくさに征くのだけれど~竹内浩三 戦時下の詩と生」(シリーズ 青春が終わった日、2007年NHK制作)』
http://v.youku.com/v_show/id_XNDAwODg0NjY4.html

再放送が、今夜12月18日(木)深夜 (=19日未明)に、BSプレミアムである。

詩と映画と漫画とクラシック音楽を愛し、芸術のなかに自分の生きる道を探っていたごく普通の学生だった彼が、
ぼくたちのために遺してくれた言葉を、彼と同じ目線で感じとれるに違いない、今の若い人たちに知って欲しいと思う。

上に紹介した詩『ぼくもいくさに征くのだけれど』は、
勅令により学業を中断させられ、軍隊への入営を目前にした、21歳頃の作品。
昭和20年、才能にあふれたこの青年は、フィリピンの激戦地で、23歳の若さで戦死した。

先週、この番組をたまたま見た。
安倍首相が、いよいよ戦争を見据え、憲法改悪や武器売買の段取りをつぎつぎと本格化させながら、
選挙戦が始まった途端に、そのことにだんまりを決め込み、国民の目を欺こうとしていたその時期に、
こんなドキュメンタリーを放送するとは、NHKもなかなか味なことをする。
良心をもって内部で戦っている放送人たちが、まだいるということなのだろう。

詩人竹内浩三のことを、ぼくは迂闊にも、これまで知らずに来てしまった。
すぐに詩集を探し、手に入れた。
そこに収録されている彼の詩や、映画のシナリオや、日記を、いま夢中で読み出しているところだけれど、
とり急ぎ今夜の放送のことをお知らせしたく、この記事を書いてみた。

最後にもう1つ、やはり21歳の頃書かれた詩を紹介する。
入営前で、まだ戦地にも行っていなかった彼が、自分が戦死してお骨になって帰ったあとの、戦後日本の姿に思いをいたして書いている、まったく驚嘆すべき詩だ。
21歳の若者が、ここまで考えねばならなかったことに、ほんとうに胸が痛くなる。
そして今、若者たちが、また彼と同じようなことを考えねばならなくなる時代へと、確実に逆戻りを始めている日本の社会に、ぼくは戦慄する。
若者達の青春をむごたらしく奪い、靖国の英霊に祀りあげたのは誰だったか?
二度と、戦争の惨禍だけは繰り返さぬことを誓って、ぼくたちは平和憲法を作ったのではなかったろうか?


『骨のうたう』
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
苔いじらしや 
あわれ兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音をたてて粉になった
ああ 戦場やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった



↑以上、転載おわり



いろいろと読みながら、この方の書かれた『竹内浩三』が、一番胸に届いたので、少しだけ引用させていただきます。

↓以下、引用はじめ

竹内浩三
戦争でつぶされた優しい命

2001年7月23日記
引用元:
http://higusumi.world.coocan.jp/japanisch/koramu/takeuchi-kozo.htm

日大芸術学部の映画科に入った彼は、質屋通いをしながら、それでも気楽に他人の家に泊って飯を食べたりして、図太く生活している。
クラッシック音楽が好きで、音楽喫茶に足繁く通う。
恋愛もあり、自分を裏切った女性を呪う。
姉宛ての手紙に、日記並みのプライバシーを書いています。
姉を、幼時から信頼していたらしい。
マンガの才能もあって、上手な絵が残っています。

ー中略ー

*竹内浩三について

竹内浩三は、1921年(大正10年)5月12日、三重県宇治山田市(現伊勢市)吹上町に、呉服店の息子として生まれる。
11歳の時母を、18歳の時父を失い、姉を郷里に残して、上京。
一浪後、1940年に、東京・江古田の日本大学専門部(現芸術学部)映画科に入学する。
しかし、時代は荒れ狂っていた。

1938年4月、国家総動員法公布。
1939年7月、国民徴用令公布。
同年9月1日に、第二次世界大戦が勃発。
1940年7月、大本営政府連絡会議は、武力行使を含む南進政策を決定。
彼が20歳となった1941年の7月には、南部仏印進駐。
12月8日には、日本軍がハワイ真珠湾奇襲攻撃をし、太平洋戦争勃発。


20歳で、太平洋戦争が始まる巡り合わせで生まれた者。
巡り合わせた時代は、その人にとって、成長の舞台であるとは言っても、殺し殺される戦場が良い舞台であるはずがない。
多くの有為の若者の命を奪い、傷付けた戦争。
音楽と文学を愛した竹内浩三も、この舞台に立たされることになる。


『五月のように』

なんのために
ともかく 生きている
ともかく

どう生きるべきか
それはどえらい問題だ
それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる

こまる前に 次のことばを知ると得だ
歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ
理屈を云う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ
信ずることは めでたい
真を知りたければ信ぜよ
そこに真はいつでもある

弱い人よ
ボクも人一倍弱い
信を忘れ
そしてかなしくなる

信を忘れると
自分が空中にうき上がって
きわめてかなしい
信じよう
わけなしに信じよう
わるいことをすると
自分が一番かなしくなる
だから
誰でもいいことをしたがっている
でも 弱いので
ああ 弱いので
ついつい わるいことをしてしまう
すると たまらない
まったくたまらない

自分がかわいそうになって
えんえんと泣いてみるが
それもうそのような気がして
ああ 神さん
ひとを信じよう
ひとを愛しよう
そしていいことをうんとしよう

青空のように
五月のように
みんなが
みんなで
愉快に生きよう



↑以上、引用おわり



竹内さんは、少し吃る癖がある、生きるということ、愛するということを人一倍真剣に考えていた、
かと思うと、よく借金をし、それで好きなものをついつい買ってまたカネに困るというような、ごくごく普通の若い男の子だったようです。
一番甘えたい時期に母親を亡くし、一番頼りたい時期に父親を亡くし、だからきっと、たったひとりの家族であったお姉さんを、心から慕っていたのだと思います。

そのお姉さんへ宛てた手紙をいくつか、これも同じく、上記のエッセイから引用させていただきます。

↓引用はじめ

「前に女のことを書いたはずですが、アレにはふられた。
それで、せっかくふられたのだから、悲しまないとソンだと思い、大いに悲しんだわけです。
それでおしまい。
「せっかく楽しいことがあるのだから、大いに楽しまねばソンだ」と云う考えはフツウですが、
「せっかく悲しいことが出来たのだから、大いに悲しまなければソンだ」てのは、少々おかしいようですが、
この考え方もメデタイ考え方で、こうすると、人生大いに生きがいがあるワケなのです。
ともかく、人生ってそんなものらしい」(1941年5月16日)

「サミシサ二 ヤドヲタチイデ ナガムレバ イズコモオナジ アキノユウグレ。
そこで喫茶店に行く。
そしてアホみたいにコーヒーやらのんでいる。
女の子たちと冗談云うほど、いさましくないので、ただアホみたいにタバコをすっている。
きかなくてもいいレコードをきいている。
なにか話しかけようとして、ボクの見ている新聞をのぞきこみにくる女の子がいる。
するとボクはすましてその新聞をその人にわたし、又別の新聞を見る。こんなアンバイ」(1941年5月16日)

「僕は、孝行と云うことを否定するつもりはない。
(中略)
自分のしていることはいいことだと思いながらの孝行なら、 やらない方がいい。
やむにやまれぬ気持ちでやればいい。
(中略)
しかし、もしそのやむにやまれぬ気持ちが一向でてこなければ、それもしかたない。
恥じる必要もないし、自分をいつわってウソを行わなくともいい。
孝行にかぎったことではない」(1941年5月16日)

「学校は、芸術運動の団体結成で、ケンケンゴウゴウ。
ボクはクラスの委員になりそこねて、ケンケンゴウゴウ。
江古田の森が、新時代の文化の発生地になるのであると、ウソみたいなホントを云う。
そうだそうだとわめく。
いさましいことこのうえなし。
西洋の芸術はくずれつつある。
これはホントだ。
新しい日本芸術はエゴタから生まれる。
そうだそうだ!ケンケンゴウゴウ。
そして浩三君は昇天しそうなり、ケンケンゴウゴウ。
創作科にとてもきれいな女の子がいる。
そこでまたケンケンゴウゴウ」 (1941年5月16日)

「感情に負けまいとして、がむしゃらにいろんなことをした。
しているすきま、すきまに底知れぬ悲しみがときどきあらわれ、そのたびに歯をくいしばって、こらえた。
夕方になると、いちばんつらく、いたたまれなくなり、何度も友だちの家へ逃げこんだ。
初めの十日ほどは、友だちの家へ寝泊まりしたりした」(1942年7月3日)

今と変わらない学生気分が伝わってくる。
太平洋戦争に向けて緊迫していく現実も、学内には忍び込んでこないかのようだ。
文芸雑誌にも 参加して、活躍する。
しかし翌年の秋、彼は繰り上げ卒業をさせられて、軍隊に入営することになる。

彼は1942年秋、三重県の中部第38部隊に入営する。
彼の「骨のうた - 戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国でひょんと死ぬるや …」は、入隊する寸前に書かれたそうだ。

『わかれ』

みんなして酒をのんだ
新宿は、雨であった
雨にきづかないふりして
ぼくたちはのみあるいた
やがて、飲むのもお終いになった
街角にくるたびに
なかまがへっていった

ぼくたちはすぐいくさに行くので
いまわかれたら
今度あうのはいつのことか
雨の中へ、一人ずつ消えてゆくなかま
おい、もう一度、顔をみせてくれ
雨の中でわらっていた
そして、みえなくなった


ー中略ー

戦友が彼の手相を調べて、こう言った時、彼のこころは揺れ動く。期待と不安。

「そしてぼくのを見てくれたのだが、見る定石として、被看者の過去の行跡を、たとえば両親がいないと、
女のことではなかなか悩むタチで、それが1度ならず2度あり、2度目の方が激しかったとか、
心臓が弱いこととか、そんなことを云い当てて、相手に手相を信じさせて、おもむろに未来をかたる。
50歳までは生きる。
安心した。
一生物質にはめぐまれる。
金持の家へ養子にゆく。
女房がやり手で、本人は好きな仕事をやっている。
道楽は食道楽。
子供は6人。
末の男の子で、少し苦労する。
1年以内に、死にぞこないに会う。
と云うのは、どう云うイミか。
とにかく、死にぞこなう。
そこで、精神的に人間が変わる。
結婚は、マンキの後、2年。
それと前後して、君の華々しい時代がくる。
世間的にも名声をハクする、と云ったふうであった」
(1944年7月23日)


9ヶ月後の1945年、4月9日、浩三はルソン島、バギオで戦死。
享年23歳。
敵戦車への肉弾戦という、悲惨な最期だった。

占いから1年以内である。
精神的に人間が変わるというのも、ある意味では当たっている。
精神の存在形態が変わったと言える。
占いの後半部はついに、この世で実現することはなかった。

次の詩は、彼の心深くに根差した淋しさを語る、遺書のような詩である。


『冬に死す』

蛾が
静かに障子の桟からおちたよ
死んだんだね

なにもしなかったぼくは
こうして
なにもせずに
死んでゆくよ
ひとりで
生殖もしなかったの
寒くってね

なんにもしたくなかったの
死んでゆくよ
ひとりで

なんにもしなかったから
ひとは すぐぼくのことを
忘れてしまうだろう
いいの ぼくは
死んでゆくよ
ひとりで

こごえた蛾みたいに


↑以上、引用おわり
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発表会して日本に行って、伴奏バイトでクタクタになって迎えた、2014年のクリスマス

2014年12月28日 | ひとりごと
こちらでのおっきな行事がすべて終わったところで、疲れが思いの外ずっしりと居座っていることに気づきました。
部屋の中を歩くのでさえ鬱陶しい、なんて贅沢なことを思いながら、ぼちぼちと片付けをしています。

2階の浴室の工事は、まだ終わっていません。
クリスマス・イヴとクリスマスが終わり、何度も中断した作業をさっさと完成してしまいたい気が満々のケヴィンと、
もちろん早けりゃ早い方がいいけれども、それよりもきちんとした仕事をしてもらいたい我々との思いが、事ある毎に交錯します。
ケヴィンは腕のいい大工で、人柄も良く、作業の前にまず我々に問うてくれるのだけども、
とにかく今の彼は、2024年のオリンピック招致プロジェクトの責任者としての仕事に追われていて、
その合間に、我々のような、ちょっとした改装を頼まれては、平日の夜間や週末の2日間にチャッチャとやってしまうというパターンが続いていて、
だからきっと、体はめちゃくちゃに疲れているはずで、無意識に、とにかく早く終わらせたい!という気持ちが先に立っているんだと思います。

そういう事情はもちろん理解しつつも、さらには他の業者の2分の1、3分の1という破格値でやってもらっているといっても、支払う側の我々にとってはやっぱり安くは無いわけで、
そして、この浴室の改装というのは、長い長い間夢見てきたことでもあるので、できれば最高に近い、良い仕上がりであって欲しいと願ってしまうのです。

工事が始まってからは、家中に、見えないぐらいに細かい無数の埃が、黙って沈み続けています。
2階の踊り場での作業なのに、1階のピアノのフタ一面がその埃に覆われて、毎日拭いてもすぐにまた元の黙阿弥。
ピアノは真っ黒で平坦なのでわかりやすいけれども、この調子であらゆる物に埃が積もっていっているんだと思うと、かなり気が滅入ります。
特に2階の、作業場のすぐ隣にある旦那の寝室のドアの下部の隙間からは、その埃が大量に入ってしまっているはずで、
床に直接マットを置いて寝ている旦那の肺には、いったいどれほど汚されてしまったのか、などと考えると、けっこう恐ろしいです。
いつも、せめて、その隙間を布か何かで閉じるべきだと思いつつ忘れ、後になって思い出す始末。
家の改装というものを初めてやってもらっている、今だ新米の家主の戸惑いと悩みと疲れは、
すべての工事が終わって、浴槽にお湯を張り、顎までズブズブと体を沈めたその瞬間に、すぅっと消えていくのでしょうか。


今年のクリスマスは、旦那の両親の家でやりました。
今年の春に、長年連れ添ってきたパートナーと離れて暮らすことを選んだ旦那の弟ジムが、一昨年のクリスマス以来初めて、東海岸の実家に戻ってくるからでした。
彼の子どもたち(といっても両方とも大学生)も一緒にやって来ました。
今年、他州からの入学が一番難しいと言われている大学に入った娘のリンデンとは、ジムと同じく一昨年から逢っていなかったのですが、すっかり大人びていてドキドキしました。

両親の家でのクリスマスといえばコレ、ビリアード。




クリスマス・イヴの夕食を終え、ひとまず近場に住んでいる旦那姉一家は退散。


まなっちゃんがこっそり後ろに隠しているのは、渡す相手のポールにあげるためのプレゼントです。
毎年、クリスマス前になると、当日逢う人逢わない人すべてになにか贈り物を買わなければという、はっきりいって強迫観念にも似た焦り顔の大人たちが、クタクタになりながら、いくつもの袋を持って歩いています。
そういうことにすっかり疲れた母が、何年か前に、こう宣言したのです。
「今年からは、あげる人、もらう人をくじ引きで決めて、買う人はその人のためにだけ、上限60ドルの贈り物を買うことにします」
「ただし、子どもは、大人全員から贈り物をもらえます」

とはいっても、個々の家族や両親には買うのですが…このルールで、大人はずいぶん楽になりました。

残った若者たちは、チェスで遊びます。


普段は父と母のふたりだけが過ごしている部屋に、いろんな物が持ち込まれて、




天井までのクリスマスツリーと、明日のお楽しみタイムのために続々と増えてきたプレゼント。


クリスマスの夜明けです。
イヴは濃い霧が立ちこめて、前がほとんど見えないぐらいだったのに、良い日になりました。


旦那が子どもだった頃のクリスマスツリー。


14人分のスクランブルエッグのために。


大好きなパンプキンブレッドと果物。


お腹減った…。


プレゼントを渡し易いように椅子を配置して、


いただきま~す。




プレゼント係をさせられている最年少のエメラ。でもこのすぐ後に、彼女(実はわたしも)は大大興奮することに…。


まるで小春日和なクリスマス。
 



お隣の家には、乗馬のための柵と、牛さんたちのための柵があります。


お母さんらしいクリスマスオーナメント。




みんなで作ったクリスマスディナーの数々。


さあ乾杯!今年もみんな元気で揃うことができました。感謝!


テーブルの上座に座っている今夜のお客さまは、御年92才の母の友人。


彼女は、クリスマス曲を演奏していたわたしのところにやって来て、
「あなたのことは重々聞いてたの。やっと会えて嬉しいわ。今度のカーネギーには絶対に聞きに行くから!」と、
両手でわたしの手を包み、熱く語ってくれたのでした。

なぜか毎年リクエストされて作る胡麻和え。今年はちょっと味が薄かった…残念!



せっかくのクリスマスツリーですが、母ひとりで片付けるのは大変なので、人手がある時に片付けてしまいます。


一番のお気に入り写真、アレックとリリー。




クリスマスディナーの後すぐに、ニュージャージーに戻った息子たちとまなっちゃん。
空くんと海くんはどうやら、とりあえずお利口さんでいてくれたようです。


両方とも、生まれてまだ3ヵ月半と6ヵ月。どうなることかとかなり心配しましたが(もちろんトイレは悲惨なことになってたようですが)、ひとまずホッと一安心。

一昨日と昨日は、ケヴィンがひとりで、タイル張りの作業をしていました。
タイルのサイズを整えるための切断機の音がすごくて、さらに埃もすごくて、家に居ても落ち着きません。
掃除をしようにも、すぐに埃まみれになってしまうので、それもままなりません。

先週の火曜日に届いた新しい浴槽と、傷がついた元新品の浴槽が、ようやく取り替えられました。


ショーティのお墓の周りで、こんな花が咲いていました。


つぼみも。


なんだか暖かいねえ。


青空を見上げた時、こういう筋が何本も入っているのを見ることが、だんだんと多くなってきました。



先月末に大寒波が来て、それから後も何度か零下になったのに、まだまだこうやって生えてきてくれる小松菜さん。
ほんとにありがとう!


今年の4月前に仕込んだお味噌を、ずっと地下の棚で保管していました。
重石の下にお醤油が!


今年の夏はとてもマイルドだったので、多分熟成し切れなかったのか、塩味が強いお味噌になってしまいました。


お味噌汁を作るには、かなり少量にしておかないといけないみたいです…う~ん残念!
こういう場合の良い解決策、ご存知の方はいらっしゃいますか?


とまあ、ほぼ1週間にもなった空白の毎日に起こったことを、思いつくままに記してみました。
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焼き肉とクリスマスツリーとネコリスと

2014年12月21日 | 家族とわたし
今日は、先日のコンサートと同じ日だった、長男くんの誕生日を祝いに、マンハッタンに出かけていきました。
予想通り、街には人がいっぱい!
クリスマス休暇がもう始まっている人、贈り物を買いに来た人、観光客などでごった返している通りをできるだけ避けて、目的地『牛角』へ。

イーストサイドのそのお店は、多目的ビルの中にありました。







5才の時、生まれ育った田舎の家から大津へ、そして13才の時、友だちがいっぱいできてブラスバンドも頑張っていた中学からアメリカへ、
自分の意思や希望は度外視されて、どちらかというと無理矢理に、親の(特に母親)決めた道を一緒に歩かされてきた長男くん。
そりゃもう、辛いことや苦しいことはてんこ盛りだったろうし、そこに貧乏までくっついてきて、大変な思いをしながら大きくなりました。

18才の時から、大学進学と同時に家から離れ、寮生活が始まって1年も経たない、わたしの50才の誕生日の翌日に、
あの忌まわしい、30人以上もの学生や教師が銃で撃たれて殺された事件が、彼の学部の教室で起こったのでした。

中学生になってようやく学校で英語を習うようになったぐらいで、耳慣れはしていたけれども特別に勉強していなかった、
というより、義父が使う言語だからか、意図的に避けてたような、そしてわたしが英語を話すと必ず怒りまくっていた子が、
突然、アメリカの、東海岸特有の早口英語が飛び交う、地元の中学校に転校させられて、
まるで百科事典みたいな分厚い教科書の、各教科の宿題を抱えて途方に暮れてても、
聞いても答えてくれない母親と、疲れてるからイヤだと断る、家でたった一人の頼りになるはずだった米国人父親のせいで、
最初から丸々全部、自分で乗り越えていかなければならなかったのは、とんでもなく大変だったろうと、
事がすっかり終わってしまってから想像しては、啞然としてたりする大ボケ母…。

だから強いです。
そして優しいです。
ビールを一杯飲んだら、ピャ~ッと赤くなっちまいますが…すてきなガールフレンドができて幸せいっぱいな長男くんです。


ロッククライミングにハマっていて、今日も夕方から3時間ほど、人工岩にしがみついてくるわと言ってバイバイ。
誕生日、おめでとう~!!


さて我々は、酔いを完全に醒ますために、ちょいと通りを散歩して、


近くのスタバでコーヒーを飲み、


いつも、カーネギーでのコンサートのプログラム用に、写真を撮る公園を通り過ぎ、


車は混んでいそうな所を避けながら、一路リンカーントンネルへ。






さてさて、昨日、実家の近くのマーケットで買ってきたクリスマスツリー。
ベースに差し込み、お水をたっぷり入れ、空くんと海くんに、お願いだからイタズラしないでよと(無駄とは知りつつ)言って寝支度していたら、
サクッという、普段はあまり聞いたことがない音がしたので見に行くと、

寝転んでるし…思いっきり横たわってるし…クリスマスツリーが…。
もちろん、お水をたっぷり張ったベースも一緒に…。
んでもって、空くんと海くん、その水たまりの水をクンクン嗅いだりチャイチャイしたり…。

こらぁ~!!

またまた夜中に、おっきなタオルで床を拭き、また木を立て直し、倒されないように位置や角度を変え、もう一度(無駄とは思いつつ)、倒したらあかんで!と睨みを効かせ(効いてないやろな~…)、

でも無事でした。とりあえず倒れてませんでした。
で、今日の夕方に、飾り付けをしようと木の幹に手を伸ばした旦那が、「うわっ」と言って手を引っ込めたので、「どしたん」と聞くと、
なんと海くんが、木の中心の真ん中らへんの枝に座ってたのでした…あんたはリスかっ!!
その下では、空くんが、飾り付けしたばかりのライトを取ろうと、チャイチャイしまくっていて…。

飾り物が極端に少ない今年のツリー。


仔猫が、しかもやんちゃな男の仔が2匹もいる家で、クリスマスツリーを飾ろうというのはやはり、無謀なのかもしれません…。
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こんな人たちに政治を、行政を、科学を任せてきてしまった私たちは、今こそ闘い抜かなくてはならない」

2014年12月21日 | 日本とわたし
・「こんな人たちに政治を、行政を、科学を任せてきてしまったのか」という気づきと反省。

・既存の多くの政党や政治家が、実はさまざまな利害団体によって押し上げられたものでしかないのに、
何か自分たちを代弁してくれ、代わりになって何かを実現してくれるかのような幻想を振りまいてきた。

・まだまだ私たちの国が、国際的な原子力推進派、とくに国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)国連科学委員会(UNSCER)の、騙しの中にいることを意味します。
広島・長崎原爆投下以降、アメリカを中心に、これらの機関が流布してきた「放射線は思ったほど危なくない」という洗脳とこそ、私たちは闘い抜かなくてはならないのです。


守田さんの言葉を読んでいると、勇気と力がわいてきます。
そして、もっとしっかりしないと、という戒めの気持ちも。
もちろん、元々の暮らしや仕事、そして行事があるので、それをいつものようにこなしつつ、できる範囲で、無茶をしないように、ということを心がけて。

そうでないと、こんな長い長い闘いを、続けていくことはできませんから。

今回の最終回には、いろんなお誘いがあります。
押しつけではありません。
ご自分のリズムをまず大切にして、その上でできることがありそうかどうか、ワクワクしながら読んでいただけたらと思います。

↓以下、転載はじめ

いかに反安倍勢力を一体化させるのか。選挙に欠けていたものは?
【総選挙を捉え返す-その3】
2014.12.20
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/65645847abfb5bc48a95d370599e0931

守田です。

選挙の捉え返しの最終回です。

前回は、今回の選挙で、安倍政権が民意を得たわけではないことを、親安倍派、反安倍派のオピニオンから紹介しましたが、
今回は、もう少し細かい分析を試みたいと思います。

すでに繰り返し述べているように、今回の議席は民意を反映したものではありませんが、
しかし、その議席の上でも、安倍首相の主張の後退を見ることができます
この点を分析しているのは、東京新聞です。
以下、記事のアドレスを紹介し、少し引用してみます。

首相は「公約支持」というが 議席数「改憲」減 「脱原発」増
【東京新聞】朝刊・2014年12月16日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014121602000122.html

九条改憲に積極的な自民党と次世代の党を合わせた議席は、
公示前は、衆院での改憲発議に必要な定数の、3分の2に迫る314あったが、292に減った。
九条改憲を公約には入れなかったが、道州制導入など、統治機構改革の改憲を位置づけた維新の党も含め、
改憲に前向きな勢力は、総じて後退した。
 
原発再稼働をめぐっても、前回衆院選では超党派議員でつくる「原発ゼロの会」などに属した脱原発派の約120人の7割が落選・引退したが、
今回は、民主党などから、9人が返り咲いて議席を得た。
脱原発を明確にする共産党も、議席を8から21まで伸ばし、社民党も公示前を維持した。
再稼働で与党と歩調を合わせる次世代を除き、慎重・反対を唱える野党の勢力は、公示前の119議席から139議席に増えた。


この記事において東京新聞は、
原発再稼働については、
改選前が慎重・反対派119対推進派345が、
改選後は同139対327となったとしています。
慎重・反対派は「民主・維新・共産・生活・社民」、
推進派が「自民・公明・次世代」です。
ここでも極右政党「次世代」の没落が、大きく影響していることが分かります。


9条改憲については、
改選前が慎重・反対派150対賛成派314が、
改選後は同174対292となりました。
慎重・反対派は「公明・民主・維新・共産・生活・社民」、
賛成派が「自民・次世代」です。


議席数で見ても、安倍首相の野望が後退していることが、はっきりと表れています。
これだけ歪んだ選挙制度の中でも、こうした成果を確認できることは、喜ばしいことです。

安倍首相の極右政治を支える「次世代の党」が、激減したことに対し、
原発再稼働にも9条改憲にも、もっとも鮮明に反対を打ち出してきた共産党が、8から21議席へと大幅に伸長したことが、なんと言っても大きい。
東京新聞は、
共産党が、比例区約600万票、小選挙区約700万票と、大幅な増加を実現したこと、小選挙区にいたっては、230万票の増加だったことを記しています。
低得票率を狙った安倍政権の劣悪な作戦に、最も抗することができたのは、共産党でした
他党はぜひ、参考にすると良いと思います。

一方で、東京新聞は触れていませんが、公明党もまた大きく票を伸ばし、議員数を微増させました
これは、与党に投票している人々の内部で、安倍政権の暴走に不安を感じる人々の票が、公明党の比例票を押し上げたためと思われます
今回の選挙では、多くの方が「戦略的投票」を呼びかけ、自分が直接に支持しない政党でも、より悪い方向性を断ち切るための投票をしようと呼びかけましたが、
そんな説得が、ここにも影響を与えたのかもしれません

そうしたことの総体を含めて、私たちは、これら選挙の中でもみられる成果を、
今回の選挙で、安倍首相の暴走を止めようとして積極的に活動した、すべての人のものとして確認してよいのではないでしょうか。


もう一つ、特筆すべきこととしてあるのは、
安倍政権に、沖縄の人々が、最も強烈な反対の意志表明を突きつけたことです。
知事選につぐ、オール沖縄での勝利。
これだけゆがんだ小選挙区で、すべての反基地派候補が、保革を越えた団結のもとに勝利したのですから、本当に素晴らしいです。
もちろんこれは、本土から何度も沖縄に通って、身体をはって基地と対決し続けている、全国の方の努力の結晶でもあります
私たち本土の民衆勢力は、沖縄のこの成果に、大いに学ぶ必要があります。
なんと言っても、米日両政府による長年の分断支配を、打ち破ったのが凄い


さて、こうなってくると、今後の9条を守り、脱原発をめざす人々の、本土での団結がより問われてくるわけですが、
その際、政党と私たち民衆の関係性を、捉え返しておく必要があります。

福島原発事故まで、多くの人々が、政党や政治家が「政治のプロ」だと思っていたのではないでしょうか?
いや、官僚や科学者たちを含めて、その道のプロがたくさんいて、この国を公明正大に動かしてくれていると思っていた人が多かったと思います。
しかし、事故後に、政治家も官僚も科学者も、その多くが特定利害集団の代弁者でしかなくて、民衆の側には立っていないことが、大きく露見してしまいました
だからこそ事故以降、民衆が、一挙に、ものすごく行動的になったのでした。

デモや署名運動などの街頭行動だけではありません
何より民衆自身が、科学を始めた
原発の構造的欠陥や放射能の危険性、自然エネルギーの可能性など、全国津々浦々で、猛然たる学習が開始されました
僕もそこで学び、成長してきた一人です。

そうすると、たちまち、政治家たちのほとんどが、実際には原発のことも放射能のこともよく分かってないことが見えてきました
いや、学者ですら、少しきちんと学べば論破できるような、ひどい知識しか持っていない者が多いことが見えてきた
御用学者ほどそうです。

「こんな人たちに政治を、行政を、科学を任せてきてしまったのか」という大いなる反省で、人々が動き出しました。

実は、僕はこのことは、現代日本の「政党政治」の大きな限界を打ち破る、大きなモメントになっていると思います。

なぜか。
既存の多くの政党や政治家が、実は、さまざまな利害団体によって押し上げられたものでしかないのに、
何か自分たちを代弁してくれ、代わりになって何かを実現してくれるかのような幻想を、振りまいてきた
からです。
実は、そうすることで、政党の側が民衆の行動力を抑え込んできた面すらあります。
私たち日本の民衆は、この幻想・呪縛から目覚めて、飛躍しなければならない
私たちが議会に送りこむ議員は、私たちの代弁者に過ぎないのです。
主権者は私たちであり、実権をにぎるべき存在も私たちなのです。

この点からすると、「野党間の連携」なども、政治家たちの「ボス交渉」によって成り立っている限りは、
時流によっていつでもフラフラと変わってしまうに過ぎないものである
ことも、この間はっきりとしてきたと言えるのではないでしょうか。

では、本当の連携とはどうやって成り立つのか

それぞれの政党、政治家の支持者同士が、大きく連携しあったときにこそ成り立つのです。
というより、政治家が軸で支持者がいるのではなく、ある特定の政治主張をもった私たちが、その代弁者として政治家をたてているのですから、
その私たちが連携すれば、当然にも政治家たちは、フラフラとは動けなくなるのです。
だから、ここでも大事なのは、私たちの大衆的な行動なのです。
政治家たちに「連携」を期待し、お願いするのではなく、私たちが「連携」のために動き、説得し、ときに「強制」すらするのです。


実際に、沖縄は、そうして今の地平まで歩んできました
長く苦しい反基地の取り組みが、革新共闘を維持しながら連綿と貫かれてきた。
行動する大衆がいて、その力の上にたつ政党があった。
その取り組みを、いつもいつも横目で見ていた保守の方たちが、
知事や沖縄選出の国会議員たちが、自民党に押し切られて基地容認へと崩れていったことを見たときに、
反基地の民衆的流れへの合流を、開始したのでした。

こんなダイナミックなことは、政治家同士のかけひきでは絶対に実現しません
なぜって、そこにこもる熱量が違いすぎるからです。


これに対して、選挙直前になっての突然の「連携」では、有権者の側も戸惑い、必ずしも支持票を集めることに結果しないことも、今回の選挙で明らかになったのではないでしょうか。
反与党候補が一本化されても、それまでのプロセスが支持者に共有されていなければ、支持者間の合意が形成されず、
本当の意味での一本化にはなりにくく、結果的に票も集まりません

だからこそ、大事なのは日ごろの活動です
私たち政党の外にいる民衆こそが、さまざまに、戦略も違えば思惑も違う人々の合流を作り出すために、奮闘していきましょう

このことを踏まえて、
私たちはますます行動的になり、積極的に各党の議員とも対話し、説得も行いましょう。
もちろん議員だけでなく、知事やそれぞれの首長などにもアプローチをしましょう。
その場合、どうしたら、より説得的な内容を持ちうるかを考えましょう。


相手の立場を落とし込めることのない関わり方、批判はすることはあっても、人間的尊重をきちんと表わす度量が、私たちに求められています

考えてみれば、これらすべては、私たちが政党政治をみてうんざりしてきたことを、一つ一つ逆にして行くことです。

互いに「説得力」「包容力」について研究し、研鑽を重ねましょう。
意見の違いを乗り越える力を身につけましょう。


いつの時代も、支配の要は「分断」です。
反対に言えば、分断を乗り越える力を持つことが一番大事。
それこそが、民衆的権力の礎
です。


ただし、そのために僕は、今回の選挙で重大な課題が抜けていたことを、最後に強調しておきたいと思います。

何よりも今回は、
福島原発事故で飛び出した放射能の被害にどう取り組むのか。
被曝医療をどうするのか。
被災者支援をいかに進めるのか
など、
この国にとって最も重大な事項が、まったく争点化されませんでした

同時に、まだまだ、事故の真の収束の目途がつかない福島原発の大きな危険性を、もっと正面から見据えるべきこと、
関東、東北を中心とした、広域の避難訓練が実施されねばならないことも、まったく問題にされませんでした

この点が、選挙に出馬したほとんどの候補者の訴えの中に、入っていなかったのではないでしょうか。

しかしウクライナやベラルーシの今を見ても、これからの数年、数十年の私たちの国のあり方をもっとも規定するのは、
たった今、いかに放射線防護を推し進めるかなのです。
今ここで、公的に避難をひろげ、放射線防護基準を引き上げるかどうかで、将来の被害をより少なくできるのか、増やしてしまうのかが決まってくる
だからこれは、国家を左右する課題です。

にもかかわらず、この大切なことが何ら政治焦点化されなかったことには、
まだまだ私たちの国が、国際的な原子力推進派、とくに国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)、国連科学委員会(UNSCER)の、騙しの中にいることを意味します

広島・長崎原爆投下以降、アメリカを中心に、これらの機関が流布してきた「放射線は思ったほど危なくない」という洗脳とこそ、私たちは闘い抜かなくてはならないのです。
そう考えて、僕はこの選挙中も、「明日に向けて」で、ICRP批判の連載を、執念をもって続けました。
ここから解放されて、真の脱原発の道をみんなで開きたいと、思ってのことでした。

みなさんにもぜひ、この活動に力をお貸しいただきたいと思います。
そのために、長いですが、ぜひICRP批判の連載に目をお通し下さい。

↓(*まうみ注・守田さんの記事中には掲載されていませんが、連載記事の紹介を以下にさせていただきます)
歪められてきた放射線防護(国際放射線防護委員会=ICRPの考察ー1)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a64f5a5a7fb03ce44655bdfa631ab7c2

アメリカ軍が主導した被曝影響研究(ICRPの考察-2)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3493da228c75ca7c47ab4bd73bdbb8f9

原発推進と核実験頻発の中で緩められていった放射線防護(ICRPの考察―3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c0050d6490ef80c6085b425f30d03579

広島・長崎での被曝影響の過小評価(ICRPの考察―4)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/d30f84fdb74f6cd2d098d1c55a91bfd6

コスト・ベネフィット論-放射線防護学への金勘定の導入(ICRPの考察-5)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f1f71267c2ec9738dbe623fd8e6bcfa5

原爆線量見直しとチェルノブイリ原発事故(ICRPの考察-6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7361d25424234054a3c6d9ad3d4fad67

ICRPが総力で隠してきた内部被曝の危険性(ICRPの考察-7)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/d94cc070656d7b508fa1a23402eaa19d


私たちの国の、民衆のあり方が大きく変わりだしたのは、福島原発事故が原因です。
民衆の流れが変わったのは好ましいですが、放射能の影響そのものはますます深刻です
ここから目を離してはなりません
長きにわたる放射線防護のたたかいにおいて、将来世代が少しでも有利になるために、私たちは今、出来る限りのことをする必要があります。
そのためにも、ますます、民衆勢力の合流を目指していきましょう。

Power to the people!
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「我々の民意で、これほど民主主義に背いた選挙を行った報いを安倍政権に受けさせよう!」by守田氏

2014年12月20日 | 日本とわたし
まず心に響いたのは、鎌仲ひとみさんのこの言葉です。
「日本人はまじめで責任感が強いから、ひどいことをされたと思うよりも、避けられなかった自分が悪いとすぐに思っちゃうのよ。
そう教育されちゃってるのよ」

わたしが初めてこちらを訪れた時、何度も何度も言われたのは「Don't be sorry」でした。
いったいどうしてあなたが謝っているのか、わたしたちにはさっぱり分からないという顔をして。
わたしにとってはとても自然な流れの言葉だったのにと、今度はわたしが首を傾げる番でした。

でも、こちらで暮らすようになってから、この鎌仲さんのおっしゃる意味がしみじみと分かるような出来事が何度かあって、
昭和のど真ん中生まれの自分が、どのような教育を受け、どのような風潮の中で育ってきたかについて、思い返しながら考えることが多くなりました。


それとは別に、記事を読んで驚いたのは、あの読売新聞が、こんな記事を書いていたということでした。
でもそれもやはり、意図があってのこと。
では、詳しいお話は守田さんから。

↓以下、転載はじめ

読売新聞が、安倍政権は民意を得ていないと自民党議員を説得?
【総選挙を捉え返す-その2】

http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f33ebdb90d5c3fd07a124b7508bd79d6

守田です。(20141219 22:00)

前号の「明日に向けて」で、「史上最低の投票率こそ問題。安倍政権は信任を全く得ていない!」と書きました。
しかし。ネットなどを読んでいると、民主的な側にスタンスを置く人々の間に、「ヴィジョンを出せなかった野党の敗北」という見解がけっこう多くあります。
なぜ自民党の圧勝を許したのか・・・みたいな論調です。
そうした論調はさらに、野党のふがいなさとか、対与党統一候補を作れなかったからよく無かったとか、
なぜ人々は、こんなに大事な選挙なのに棄権したのか、という方向にむかいがちです。

これを聞いて、僕は先日、滋賀県で対談した映画監督、鎌仲ひとみさんの言葉を思い出しました。

「日本人はまじめで責任感が強いから、ひどいことをされたと思うよりも、避けられなかった自分が悪いとすぐに思っちゃうのよ。
そう教育されちゃってるのよ」
というものです。

これは、子どもを初期被曝から守れなかった女性たちが、被曝をさせた東電や政府に怒りを向けるよりも、
ともすれば、何も知らずに被曝を避けられなかった自分を、責めてしまうことをさして語ったこと
です。

鎌仲さんは、
「あなたたちが悪いんじゃないんだ。政府や東電が悪いんだ。そのことに目を向けよう。
その上で、子どもを守るためにできることを探そう」
と、女性たちを励ましていくのですが、同じことを僕は感じています。

みなさん、いい加減、「良い子」でいることを止めましょう!

何度も言いますが、
第一に、安倍政権の今回の選挙の仕方が卑劣だったのです。
第二に、そもそも、歪み切った小選挙区制が問題なのです。
第三に、無責任な報道をした、一部のマスコミが悪いのです。

怒りは、安倍政権に向けなくちゃいけない。
野党のふがいなさ批判はその次
いわんや、統一候補が作れなかったと、民衆勢力の間でもみ合うのは愚の骨頂
民衆そのものである棄権者に、怒りを向けるのもやめましょう


見据えるべきことは、これほど民主主義に背いた選挙を行った報いは、必ず安倍政権自身に跳ね返るのだということ。
そこを見逃さずに、民主主義の破壊者安倍政権と対決しなければならない、ということです。

仲間割れしていてはいけない。
選挙において、戦術がそれぞれで違うのは当たりまえ
それぞれが懸命に考えて行ったことを、尊重し合いましょう
棄権をした人の気持ちも忖度しましょう
そうして、次に備えて仲よくなりましょう
仲良くなくて、なんで真の連帯ができるでしょうか?
民衆勢力の中で問われているのは、まずは、自分が正しいと思う行動をとらなかった人の、立場を考えて見ることです。
そこに気づきがあれば最高。
そうでなくても、思いやりを持てば、互いの説得力が上がるはずです。
もちろんこれは、常に、僕が自分自身に言い聞かせていることです。



安倍政権の衰退の兆候を書きましょう。
極めて興味深い記事があります。
読売新聞に載った「『熱狂なき圧勝』浮き彫り・・・自民党支持率ダウン」という記事です。
なぜ興味深いのかと言うと、今回の不意打ち的な総選挙の仕掛け人ではないかともうわさされる、ナベツネ氏率いる読売新聞の記事だからです。
短いので、全文を掲載します。

「熱狂なき圧勝」浮き彫り…自民党支持率ダウン
【読売新聞】2014年12月17日
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20141217-OYT1T50000.html

「衆院選結果に関する読売新聞社の緊急全国世論調査では、安倍内閣の支持率は51%と、
解散直後の前回調査(11月21~22日)から横ばいで、自民党の支持率は5ポイント下がって36%だった。
 
与党の圧勝が、内閣や自民党への積極的な支持によらない、「熱狂なき圧勝」であることを裏付けている。
 
2005年以降、過去3回の衆院選では、圧勝した政党の支持率は、解散直後に比べ、8~16ポイントも上昇している。
内閣支持率も、「郵政選挙」で自民党が圧勝した05年の衆院選をみると、小泉内閣の支持率は、解散直後の48%から選挙後は、61%にまで跳ね上がっていた。
 
今回自民党が大勝した理由については、65%が「ほかの政党よりまし」を挙げており、消極的な理由だとみていることが分かる。
 
自民支持層に限っても、
「ほかの政党よりまし」は64%にのぼり、
「安倍首相への期待が高かった」14%、
「経済政策が評価された」11%、
「与党としての実績が評価された」9%など、
積極的な理由を挙げた人は少数にとどまった。
 
一方、民主党が伸び悩んだ理由は、
「信頼が回復していなかった」61%、
「選挙準備が整っていなかった」15%、
「政策が評価されなかった」10%などだった。
 
自民党に対抗できる野党が「必要だ」との声が、82%に達していることからも、有権者が現在の野党に期待を持てない状況が浮かび上がる」



読めば分かるように、読売新聞は、今回の安倍与党の「勝利」が、自民党への積極的な支持によらないものであること、
要するに、決して民意を得て無いことをするどく指摘
しています。
この他にも読売新聞は、以下のようなタイトルの記事を、次々と出しています。

「自民、実感なき勝利」
「自民圧勝『他党よりまし』65%…読売世論調査」
「内閣支持率、横ばい51%(12月15~16日調査)」

その上で、「『謙虚な政権運営を』世論調査結果で政府・与党」という記事が出てくる。

読売の提言を読んで、政府与党が「謙虚な政権運営をしよう」と言いだした、という記事ですが、要するにそう言わせたかったことが分かります。

なぜ読売新聞はこのように、一見すると安倍政権に不利な記事を連発しているのか。
非常に分かり易い。
安倍与党を最もバックアップしている読売新聞が、低得票率の下での選挙結果のもろさを、一番感じているからです。
そしてそのことを、小選挙区制で安易に当選した、劣化した与党議員たちに、教育してもいるのでしょう。

「議席は獲った!しかし民意を得たわけではない。慎重になれ」というわけです。

「勝って兜の緒を締めよ」のようなものでもありますが、それ以上に、読売新聞は、与党完全応援新聞としての深い危機感を、前面に出している。
大衆の動向をいつも見つめているがゆえに、この選挙への怒りがどこから涌くかもしれないという、危機感を持っているのでしょう。

一方、政府与党批判派として、民主主義を守り抜こうと懸命に論陣をはっている側からも、同じ点を問題にした記事が出てきてます。
その筆頭は東京新聞ですが、今回は、東洋経済オンラインを紹介したいと思います。
これもある種の戦術かと思われますが、東洋経済オンラインはあえて、アメリカの日本専門家に総選挙について尋ねる形をとり、つぎのような記事を載せています。

日本国民は安倍首相を信任したわけではない 国民は「不死身のベール」に穴をあけた
【東洋経済オンライン】2014年12月18日 ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク)
http://toyokeizai.net/articles/-/56208

彼の主な論点は、以下の通りです。

・安倍首相は、今回の結果を、国民から受けた信託だと言うでしょうが、他の人は誰一人、そうは思わないでしょう。
投票率はとても低いものでした。 
実際、自民党は、いくつか議席を失っています。
今回の選挙により、いくつかの側面で、安倍政権は失速したと私は考えています。

・選挙結果で最も皮肉なのは、衆議院における議席の3分の2を、連立与党が占めたにも関わらず、
政府に関しても政策に関しても、国民の信託を得たとはとても言えないことです。
今回の結果は、政府がこれまで行ってきたことを、今後も継続してよいというメッセージではありません。
これまで推し進めてきた政策が、徐々に支持を失っていたことは明らかだからです。



これは昨日、僕が指摘したのとほぼ同じ内容ですが、ピーター・エニス氏は、国民が安倍政権の「不死身のベールに穴をあけた」、とまで述べています。
要するに、このひどい選挙が「終わりの始まりだ」、とも述べているわけですが、
論点が、読売新聞が与党自民党に向けた指摘とピッタリと重なっていることに、注目して欲しいと思います。
もちろんピーター・エニス氏は、すぐに、「負けた」と自己反省を始めてしまう私たち日本民衆にむけて、こうした点を強調しているのです。
なお、同氏は、次のような記事も書いています。

「総選挙で日本人は愚かでない選択をした」 極右を排除、低投票率で無意味な選挙に抗議
【東洋経済オンライン】2014年12月16日 ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク)
http://toyokeizai.net/articles/-/55943

この記事も、全体として短いながら読みごたえがありますが、注目すべき点は、
選挙が低投票率に終わったことに対して、日本の民衆をけして責めずに、むしろ「懸命な選択だった」と持ち上げてくれていることです。

・これは、日本の人々が愚かではないことを示しています。
彼らは、今回の選挙が、「ジェリー・サインフェルド的選挙」(アメリカのコメディアンによる長寿テレビ番組にまつわる表現で、何の意味も持たない選挙の意) だということが分かっていたのです。
そのため、家から出ないことを選んだのです。



「棄権を美化するのか」・・・などと野暮な批判をするなかれ。
もちろん、棄権の内容もさまざまであり、それこそ意識の高い棄権もあれば、そうでない棄権もあるでしょう。
しかし僕は、今は、棄権した人々に怒りを向けるよりも、棄権した人々の中の善意に訴え、仲間として連帯していく道を探ることの方が、ずっと重要だと思うのです。
ピーター・エニス氏の論には、そうした温かみがある。
「なんで棄権したんだ!」ではなく、「無意味な選挙への抗議だったんだよね!」と呼びかけていて、ユーモアに溢れた情がこもっている
学びたい姿勢だと思います。


さて、もう少し選挙結果の分析を進めると、今回の特徴は、すべての政党の中で唯一、「次世代の党」だけが大負けしたことです。
19議席から2議席への激減です。
小選挙区制の問題があるので、得票としてはこれほどの減ではないのですが、それでも、このことは好ましいことです。
なぜかと言えば、今回の「次世代の党」の選挙戦略が、完全なるネット右翼=極右排外主義狙いだったからです。
実際、「在特会」は、「次世代の党」への全面支持を打ち出していました。
その極右政党が、完全に崩壊してしまった
このことは、現在行われている「ヘイトクライム」が、実はごく一部の者によってもたらされているものでしかないことを、大きく示しました

では、かつて維新の中にいた次世代の党への票は、どこへ行ったのでしょうか?
そこまで行きすぎていないとの判断で、安倍自民党に入ったのだと思われます。
議席数にして17
つまり、これがなければ、自民党は大きく議席を失っていたのでした。
その分、よりリベラルな側へ、ラディカルな側へと暫時、票が移っていったのだと思われます。
何にせよ、ネット右翼は文字通り、「ネット」上の仮想空間で数がいるように見せかけているものでしかないことが、はっきりしたのではないでしょうか。

ところが、安倍首相にとっては、実はこの「ネット右翼」の存在が、大きな心の支えなのです。
そのために、自身のFACEBOOKで、とんでもない排外主義団体のページを、コピーして載せてしまったりしています
その点で、次世代の党の没落は、安倍首相にとっても打撃であること、
このことで、自民党の中のリベラル派、さらに、連立与党の中での公明党の相対的位置が強まったことも、見ておくべきことです。

もちろん、公明党や自民党リベラル派を頼みにしたくて、こう言っているのではありません。
すべてを決定づけるのは民意であること。
その力の発揮いかんで、自らも民意を得ていないと実感しているこの政権は、まだまだどのようにも動きうることが示されていること、

私たちがつかむべきことはこの点です。

だからこそ、民衆勢力の間で、互いを大きく思いやって、できるだけ大きく手をつないでいくことが問われているのです。
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「『民意の無い政権など倒せる。民意とは強いものだ』と国民が覚醒する事を恐れる安倍政権」by守田氏

2014年12月20日 | 日本とわたし
今日から連続で、守田敏也さんから送っていただいた記事を、3件続けて転載させていただきます。
題して『選挙の捉え返し』。
今回の、どうして行わなければならなかったのかも不明の、大金をそんなところに使う意義も全く見出せない、いわばデタラメの極みだった選挙について、
選挙が行われることになってしまった時から今までずっと、自分なりに考えてきました。
その過程で、思ったこと考えたことが、守田さんのおかげですっきりとまとまってきました。

今夜は、まずその一つめ。
『史上最低の投票率こそ問題。安倍政権は信任を全く得ていない!』です。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2c5b76714664fdc220a6bb4eaeac1fbf
「この国の8割以上の人々は、自民党を支持していません。
残りの2割の中にも、消極的な支持者がいます。
要するに、積極的支持者などごくわずかなのです。
このことをしっかりと見据えましょう。
一番いけないのは、この脆弱な政権を強大に観てしまい、民衆の力を小さく見積もってしまうことです。
同時に、このひどい政権を今すぐ倒せない理由を、民衆の中に求めてしまうことです。
その時に私たちの力は減退し、圧政がまかり通ってしまいます。

民衆に力を!
そのために、もっと大らかな団結と連帯を。
いつでもいの一番に、為政者の圧政に怒りを向け、民衆の力を高めていきましょう。

未来を私たちの手に!」



↓以下、転載はじめ(転載にあたり、文字の強調と句読点の追加をさせていただきました)
『史上最低の投票率こそ問題。安倍政権は信任を全く得ていない!』
2014.12.18
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2c5b76714664fdc220a6bb4eaeac1fbf

守田です。

12月14日に総選挙がなされました。
この選挙をいかに捉えたら良いでしょうか?
僕なりに考えたことをまとめたいと思います。

第一に、僕が最も重要な事態だと思うのは、投票率が52.36%(共同通信調べ)と史上最低だったことです。
しかも、やはり史上最低だった前回59.32%から、7ポイント近くも落としています。
有権者の2人に1人が、棄権したのです。
棄権という行為をどう評価するかは別として、このことは、今回の選挙における議席数、特に与党のそれが、有権者の支持とはまったくかけ離れたものになっていることを物語っています。

この劇的と言えるほどの低得票率=選挙制度の崩壊的事態の責任は、あげて安倍政権にあります
安倍政権が、こうした低得票率のもとでの与党の議席維持を狙ったからです。
そのために、「消費税率引き上げの延期を国民に問う」という、何が争点なのか分からないことを言いだして、選挙を強行したのでした。
しかも、批判を浴びている原発再稼働問題や、集団的自衛権行使問題、特定秘密保護法制定などにはほとんど触れず、できるだけ争点を曖昧にして選挙を行いました

これに対する野党のふがいなさが指摘されていますが、それは別の話。
まずは、政府与党が大変悪いことを、しっかりと確認すべきです。
こんなひどい解散-選挙など、してはいけなかったのです。
法的にはどうあれ、民主主義の基本ルールや精神を全く欠いた暴挙が、この低投票率を狙った選挙の在り方です。
にもかかわらず、読売、日経などは、選挙の翌日に、「与党大勝」という見出しを載せました。
何を言うか。
あんなものは、民主主義における勝利でもなんでもありません。

まだ正確なデータが出揃っていませんが、自民党は、議席数をわずかに減らしました。
投票率が7%も減る中でですから、前回よりも支持を減らしたのではないかと思われます。
ちなみに、比例代表での各政党投票数は、個人集計された方のデータによれば、以下のようになります。

自民  17,658,916 
民主  9,775,991 
維新  8,382,699 
公明  7,314,236 
共産  6,062,962 
次世代 1,414,919 
社民  1,314,441 
生活  1,028,721 
改革  16,597 
幸福  260,111 
支持政党なし 104,854


自民党の得票数は1765万8916票で、有効投票数5333万4447票に占める得票率は、33.11%です。
正確なデータがありませんが、有権者数は1億人を越えていますから、いずれにせよ、自民党の得票数は、有権者の10%台にしかなっていません。
この国の有権者の8割以上の人々が、自民党を支持などしていないのです。
それが今回の選挙で示されたことです。

にもかかわらず、この一番大事な点が、ほとんどの新聞では書かれていません
ここが情けないし、歯がゆすぎる。
大新聞には、民主主義のオピニオンリーダーたらんとする覇気などもう無いのだと思います。
僕が知る限りでは、
東京新聞は一面で、低投票率を問題視し、棄権の多さ=自民党が支持などされていないことを、安倍政権が受け止めるべきだと主張していました。
こうした視点を軸にしているので、他にもいい記事がたくさんありました。
しかし、自民党にしろ民主党にしろ、政党の側からは、この点の指摘が出てこない。
こうした態度こそ、民主主義を愚弄するものなのだということを、繰り返し強調したいと思います。

そもそも、野党やマスコミは当初から、「大義なき解散」としか言えなかった。
もっと積極的に、「民主主義を破壊する低得票率を狙った、もっとも悪辣な解散・総選挙だ」というべきでした
さらに、選挙が始まるや否や、早い時期にマスコミが一斉に、「自民300議席獲得か」という報道をしてしまったのも決定的でした。
まるでもう勝敗がついたかのような報道で、あの段階で多くの人々が、選挙への関心を失ってしまったと思います。
その上に、負けた候補者への投票は「死に票だ」とする論議が、各方面から強調されてしまいました。
どうせ自民党の大勝は決まっているし、負ける候補に投票しても『死に票』で意味がないとの強調がなされたのですから、多くの方がうんざりしたのも当然だったのではないでしょうか。

僕自身はそのため、「すべての票は命のこもった声だ!『死に票』という言葉に惑わされず投じに行こう!」と呼びかけました。
共産党をのぞく野党各党も、しばしば『死に票』という言葉を使うので、それでは総体としての投票率を下げかねない、と思ってのことでした。
しかし結局、多くの方が、『死に票』なら投じにいっても意味がない、と思ってしまったのではないでしょうか。
それ自身はとても残念なことです。

しかしこれも、僕らの敗北を何ら意味しません
悪いのは与党です。
安倍政権が手酷く悪いのです。
民主主義や、国家の成り立ちそのものを壊しています
同時に、そのことで、安倍政権の権力基盤が何ら強化されているわけではなく、むしろ脆弱さが増していることこそを私たちは見るべきです。
なぜか。
民意と議席数があまりにもかけ離れていることが、誰にも感じられるようになってきたからです。

民意は常に、大きな力です。
独裁国家だって、民意の離反が高まるときには倒されるのです。
歴史は、そのたくさんの事例のオンパレードです。
だから、どのような政権も、民意を味方につけようと苦心するのです。

戦前とてそうです。
何も、暗黒の軍部が、物言わぬ民だった国民を、戦争に率いて行っただけなのではない。
他ならぬ国民自身が、戦争に燃えた面も大きくあったのです。
このことを絶対に忘れてはいけません。

今はどうなのか。
前回の選挙に続き、今回でもはっきりしたのは、有権者の8割が自民党を支持などしていないということです。
「自民300議席で圧勝」という報道がなされたにもかかわらず、実際には、自民党がわずかでも議席を減らしたことにも、それが表れています。

何度も言います。
民意のない政権は弱いのです。
にもかかわらず、今回の卑劣な選挙と、もともとも小選挙区制の歪みによって、あまりに過大な議席を得てしまっているのが実態なのです。

だからこそ、多くの方にしっかりと認識していただきたいと思います。

民意のない政権など倒せる!ということです。

それほどに、民意とは強いものです。
実は、今の政府与党は、人々にそう思わせないように必死なのです。
その証左の一つが、原発再稼働問題です。
今、川内原発、高浜原発の再稼働が浮上してきていて、どうしても、気持ち的に受身的になってしまいがちかと思いますが、
私たちが誇りを持っておさえるべきことは、これだけの議席をおさえてきた与党が、これまで一つの原発の再稼働もできてこなかったことです。
実は、このことで、ウランの国際価格が暴落するなど、世界の原子力推進派が、大きな打撃を受けています
だからこそ安倍政権は、原発輸出を急ぎ、ウランの需要先を作ろうとしているわけですが、
そのためにも、日本の原発を一つでも動かさないと、説得力を持てない

つまり相手の側、それも安倍政権だけでなく、世界の原子力推進派が、私たち日本民衆の脱原発行動に追い詰められているのです。
追い詰めている力は、どこから出ているのか。
全国で繰り広げられている無数のデモなどをはじめとした、直接行動です。

毎週金曜日の行動は、首相官邸前だけでなく、全国のいたるところで、すでに100回を越えています
デモだけではない。
低線量内部被曝の危険性を訴える講演会、学習会、さらに、被災者と結びついた保養や訴訟などを数えるならば、
本当に無数の脱原発、脱被曝の行動が、この国の至る所で繰り広げられています

実は安倍政権は、民意の厚い支持などないことを誰よりも知っているがゆえに、再稼働をごり押ししてこれなかったのです。
いや、今も、再稼働の責任を、原子力規制委員会に預けようとしている
責任をとる言質を吐くことが怖いのです。
再稼働に正義があるという確信などもってないのです。

だから私たちは今、もっと積極的に、「こんな選挙のやり方は非道だ。安倍政権の政策は何も信任されていない」という声をあげ、
原発再稼働や集団的自衛権行使、特定秘密保護法に反対していく活動を、強化すれば良い
のです。
そのためにも、こんな外道な選挙で、負けたなどと思うのはやめましょう
そんなことを思う必要はまったくありません。
このことは今後、より細かい分析で実証していきますが、ともあれ、こんなことで凹む必要などまったくないです。

ここで、棄権をどう捉えるのかということも、押さえておきたいと思います。
今回の不意打ち的な選挙に対して、与党を少しでも凹ましたいと思った多くの方が、
安倍政権の低得票率狙いに抵抗して、さまざまに知恵をしぼり、投票を呼びかけました

僕も奮闘しました。
ただそのせいか、投票しない人を悪く言う論調が強くあったし、今もあります。
極端な場合は、投票しないものに何らかのペナルティを与えよ、などという人々もいます。

僕は、これはまったく間違っていると思います。
投票をしない自由だって、やはりあります
それが効果があるかどうかは別として、選挙総体に対する批判として、棄権する場合だって当然あると思うのです。
選挙へのかかわり方は、その人の自由です。
棄権をした人にペナルティを与えるなどというのは、投票の強制であり、まったく間違っています
選挙を遂行する側から言えば、棄権もまた一つの立場表明であることを踏まえ、
できるだけ棄権の少ない選挙、選挙民が意義あると感じる選挙を行うことが、当然の義務としてあることをこそ考えるべき
なのです。

そうした点から考えるならば、「選挙に行く人の意識が高く、選挙に行かない人の意識は低い」という考えもやめませんかと僕は言いたいです。
少なくとも僕には、今の自民党を肯定して票を投じた方より、うんざりして棄権した方とで、後者の方が政治意識が低いなどとはまったく思えません
にもかかわらず、選挙に行かない人に、社会変革を志す人々が「上から目線」で関わることは、間違いなのではないでしょうか
少なくともそれでは、説得力を持てないのではないでしょうか
棄権も一度尊重してみる必要があるのではないでしょうか
むしろ政治が劣化し、与党も野党も嘘つきばかりで、何も信用できないという状態に置かれている人々の嘆きや憤懣、しらけ感を共有化するところから、歩むことが大事だと僕は思うのです。

少なくともこの方たちは、今の自民党を支持していない人々です。
その数は膨大なのですから、だとしたら、その方たちにこそ、私たちはともに行動することを呼びかけようではありませんか

いや、それだけではありません。
今回の選挙では、自民党への投票も、「消極的支持」だった方が多いという結果が出ています。
安倍自民党は、有権者の10%台の投票しか得ていないわけですが、それすらも、決して積極的ではないのです。
ようするに、個別政策では、たくさんの反対を抱えているのが実態なのです。
だから私たちは、自民党支持者に対しても、「再稼働に本当に賛成ですか?」「日本が戦争をする国になっていいのですか?」と呼びかけ続ける必要があります

再度言います。
この国の8割以上の人々は、自民党を支持していません。
残りの2割の中にも、消極的な支持者がいます。
要するに、積極的支持者などごくわずかなのです。


このことをしっかりと見据えましょう。
一番いけないのは、この脆弱な政権を強大に観てしまい、民衆の力を小さく見積もってしまうことです。
同時に、このひどい政権を今すぐ倒せない理由を、民衆の中に求めてしまうことです。
その時に私たちの力は減退し、圧政がまかり通ってしまいます

民衆に力を!

そのために、もっと大らかな団結と連帯を。

いつでもいの一番に、為政者の圧政に怒りを向け、民衆の力を高めていきましょう。

未来を私たちの手に!


↑以上、転載おわり
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夕焼けがきれいだった日に

2014年12月20日 | 家族とわたし
長男くんの誕生日の翌日は、義母の誕生日。
彼女は今年、75才を迎えるというので、義父が特別イベントを企てていました。もちろん内緒で。
そのうちのひとつは、彼女の家族、友人知人、そして親族から彼女へのメッセージを集め、それを彼の秘書さんが編集をして、一冊の寄せ書きアルバムを作ること。
そしてあとのひとつは、家族が集まってお祝いの夕食を食べること。

旦那は、彼女が作ってくれたカップを写真に撮って、彼女への想いを綴りました。
わたしは、韓国に一緒に旅行に行った時の、干支の石像と一緒に撮った彼女の写真とともに、
初めて会った日に、わたしのことを全身(心)で受け止めてくれたばかりか、わたしがわたしのままで良いこと、さらには褒めてまでしてくれた人で、
その時の言葉がどんなに支えになったか、どんなに感謝しているかを伝えたくて書きました。

その彼女への贈り物を買う時間が全く無くて、当日の午後近くに慌てて出発!
モールに行くまでの道の信号待ちで、あまりにきれいな景色だったので、車のフロントガラス越しにちょいとひと撮影。


そして仕事を終えた旦那と一緒に、いざいざ出発!
でも、ふたり揃って、猛烈に疲れてしまっていて、車の中の空気は重く暗く…なのに、西に向かっているからか、夕焼けがめちゃんこ美しくて、




かと思うと、渡り鳥の大群が通り過ぎたり、


どんどん日暮れてくるのですが、どこかまだ朱色な所が残っています。








目的の場所は、ハーシー市の、前はチョコレート工場だったビルの中にあるレストラン。
ペンシルバニア州のハーシー市は、ハーシーズ・チョコレートの本社と工場がある町で、だから通りの名前もココア通りだったりして、こんな塔も建っています。


てっぺんは、ちょっと細めのキッスチョコ。


おめでとうお母さん!


魚が美味しいことで評判のレストランで、東海岸から獲れた魚や貝柱を、お腹いっぱいいただきました。


そして実家に辿り着くと…、あらら?なんか前と雰囲気が違う…。


なんとまあ、エレベーターが付けられていたのでした。ホールにはまたまた洒落たランプが。




もちろん、イチビリのわたしは乗りましたよ、全然必要がなくても。


よく映画とかに出てくる格子の内ドア。


地下から2階まで。


義母は今、野良ちゃんだったピーターと、シェルターから引き取ってきたリリーの、2匹の猫を飼っています。
ちょっと見ないうちに、二匹ともデッカくなっておりました。
一瞬、タヌキかと思いきや…、


さすが御年10才、クリスマスツリーにおいたをしたりはいたしません。


カリカリ餌しか食べないリリー。


義父はここでいつも新聞を読んでいます。


朝の光(曇っておりますが)の中でもう一度、玄関ホールをパチリ。


また来週、クリスマスの時に来ますからね~ということで、朝食をいただいてすぐに出発。

途中のファーマーズマーケットで、ここでしか売っていない手作りのアップルバターと、今年は飾るかどうか迷っていたクリスマスツリーを買いました。


例年の半分ぐらいのチビツリー。てっぺんをグニャリと曲げて無理矢理押し込みました。ニュージャージーまで我慢しておくれ~!



帰りは、どんより曇った空の下に広がる田園風景を少し。








以前は、こういう景色を眺めながら、なんとものどかだな~などと思っていましたが、この中のどれぐらいの範囲にモンサントが侵蝕してしまっているのか…、
ペンシルバニア州の全農家に、モンサントのラウンドアップの種が供給されたと聞いたことがあります。
この美しい景色の中にも、1%の毒がしっかり蒔かれているのだということ、
そしてそんな世界を少しでもきれいにして、次の世代の人たちに渡したいという思いを、
これからもしっかりと持っていきたいと思っています。
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「大本営報道局の皆さん、デタラメ総選挙の誤摩化し、ご苦労であった!よってご馳走してつかわす」

2014年12月18日 | 日本とわたし
いつもわたしに、その日その日の新聞各社の社説をまとめてメールで送ってくださる、『無分別の会』の剱智さん。
大変な量の文章を、彼はいったいどのようにしてまとめておられるのか、まさかそれぞれを打ち直してくださっているのなら申し訳なさ過ぎる…などと思いつつ、
夜の、寝る前のひと時を、社説を読むことに使わせていただいています。

その智さんのブログ『とべないポスト』には、彼の洞察力に満ちあふれた、けれども簡潔にまとめられていてとても読みやすい記事が、ガンガン掲載されています。
ブックマークでも紹介させていただいていますので、ぜひぜひ読みに行ってください。

今日はその中から、選挙前からずっと気になっていたこの有り様について、智さんの記事を転載させていただきながら、書きたいと思います。

↓以下、転載はじめ

大本営報道局 総選挙慰労夕食会
http://gravitational-wave.air-nifty.com/tobenaiposuto/2014/week51/index.html#entry-81382087


何が話し合われたのか、そんなことは問題ではない。

メディア関係者が権力者にすり寄ること自体が問題だ。

当夜の模様は、この社会が翼賛体制にあることを如実に物語っている。




以下 新聞記事引用

「読売」「朝日」「毎日」「日経」・NHK・日テレ・時事 / 開票2日後 編集委員ら首相と会食
【しんぶん赤旗】2014年12月18日

総選挙の開票からわずか2日後の16日夜、黒塀と2本の柳が印象的な東京都港区西新橋のすし店に、
安倍晋三首相と「読売」「朝日」「毎日」「日経」、NHK、日本テレビ、時事通信の編集委員・解説委員らが集まって、会食しました。

雨上がりの夜、寒風吹きすさぶなか、SP(要人警護の警察官)が店の周りで、午後6時59分から午後9時21分まで、目を光らせました。
店は、報道関係者が事務所を構えるプレスセンター(千代田区内幸町)から、ほど近い場所にあります。

午後9時20分に店を出てきた安倍首相は、“満腹”だったのか、上体をやや後ろにそらせながら、大手を振って公用車に乗り込みました。
首相との会食を終えて、おみやげを持って出てきたマスメディア関係者の多くは、足早にタクシーへ。

テレビ番組のゲストでおなじみの、田崎史郎時事通信解説委員が最後に出てきて、店外で待っていた記者8人に、簡単なブリーフィング。

「あらかじめ、座る席が決まっていた」などと説明。

「完オフ」(完全なオフレコ)が条件の会食とされ、何が話し合われたかは語りませんでした。


引用終了
http://blogos.com/article/101625/



↑以上、転載おわり


なぁ~るほど、先日、これも智さんから送ってもらった各社朝刊の写真ですが、さもありなん…。



読売や朝日、それから日経なんかはもう、大本営さながらの堂々たる癒着っぷりで、これはもう、なんとしても、ほんとのことを伝言していかなければならないと、
またまた決意も新たに、丹田に力を入れ直しているわたしです。
コメント (8)
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