ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

無責任で意味不明な東電の『無主物』論を、あっさり通した、無責任で意味不明な裁判官

2011年11月30日 | 日本とわたし
朝日新聞に、2011/11/24に掲載された『プロメテウスの罠』の記事写真を書き写したものをここに残しておきます。

無主物の責任

放射能はだれのものか。
この夏、それが裁判所で争われた。
8月、福島第一原発から約45キロ離れた二本松市の『サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部』が東京電力に、汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。
-事故のあと、ゴルフコースからは毎時2~3マイクロシーベルトの高い放射線量が検出されるようになり、営業に障害がでている。
責任者の東電が除染をすべきである。

対する東電は、こう主張した。
-原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。
したがって東電は除染に責任をもたない。

答弁書で東電は放射性物質を「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」としている。

無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。
つまり、東電としては、飛び散った放射能物質を所有しているとは考えていない。
したがって検出された放射能物質は責任者がいない、と主張する


さらに答弁書は続ける。
「所有権を観念し得るとしても、既にその放射能物質はゴルフ場の土地に附合しているはずである。
つまり、債務者(東電)が放射能物質を所有しているわけではない」


飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。
そんな主張だ。
決定は10月31日に下された。
裁判所は東電に除染を求めたゴルフ場の訴えを退けた。

ゴルフ場の代表取締役、山根勉(61)は、東電の『無主物』という言葉に腹がおさまらない。
「そんな理屈が世間で通りますか。無責任きわまりない。従業員は全員、耳を疑いました」
7月に開催予定だった『福島オープンゴルフ』の予選会もなくなってしまった。
通常は年間3万人のお客でにぎわっているはずだった。
地元の従業員17人全員も9月いっぱいで退職してもらった。
「東北地方でも3本の指に入るコースといわれているんです。本当に悔しい。除染さえしてもらえれば、いつでも営業できるのに」

東電は「個別の事案には回答できない」(広報部)と取材に応じていない。

(前田基行記者)敬称略



この記事の中の、東電の理屈を、もっともやと思える人がいるやろか?
原発をあちこちに、無理矢理、あるいは金をバラまいた挙げ句に騙して建て続けた原発狂団と電力会社は、
事故が起こるたんびに、こんな、悪い冗談みたいな屁理屈を堂々と申し立てて、それをまた裁判所の連中やら政府やらマスコミやらが擁護していくんやで。

これは、サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部だけの話とちゃうんやで。
なんとかして責任から逃れようとしてる国と企業と原発狂団は、あの手この手で、いつものように根回しして、金にものを言わせていくはずや。
そんな連中相手に、もう個別で闘うてる場合とちゃうと思うねん。
全国規模で、思てたけど、あの摩訶不思議な普通がまかり通ってる地域の人相手に、エネルギー使てる場合でもないし、
せめて、実害を受けてる人達をひとまとめにして、何千人、何万人、何十万人規模の集団訴訟を起こすことはできひんの?
そういう準備はもう始まってるの?
こんなどうしようもないこと言うもんを相手に闘わなあかん人らの手伝いを、どうしたらできるんか、教えてくれへんやろか。



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美しい村や町を、山や海を、大人や子供を、動物や植物を、じわじわと殺していく原子力発電所

2011年11月30日 | 日本とわたし
前田せいめい氏の写真集『飯舘村-IITATEMURA』に出会った。

三重県と大阪、そしてちょっとだけ名古屋。
これが今回のわたしの旅。

電車や車の窓のむこうに、田んぼや山々、そして川が流れていた。

飯館村には、というか、東北には、一度も行ったことがないけど、前田氏の写真を眺めてるだけで、どれだけ豊かな自然に恵まれている土地かよくわかる。
村民が一体となって、豊かで美しい自然の中で、慎ましく、人間らしく、幸せに生きていける村造りに励んでいた。
ひとりひとりの大変な努力が実を結び、形となって現れてきて、村全体が喜びに溢れていた矢先だった。

あの日あの時、1年を通して滅多に吹くことのない虎捕山から吹いた風は、そんな人々の想いや喜びをすべて、吹き飛ばしてしまった。
永遠の彼方に。

風に紛れ込んでいた悪魔は、我々が気づかぬうちに作られていた建物が生み出した。
その悪魔は、我々が使っていた電気を作っていた。
そんな恐ろしい物で作られていた電気を、呑気に使い放題していたことを恥じ、なんとかして地球上から、悪魔がウジャウジャいる建物を無くしていこうと立ち上がったわたし達。
そんな建物を、自分達の住居のすぐ近くに建てられまいと、もう何十年も前から立ち上がっている人達がいたことも知らずに、
知ろうともせずに、
今頃になって立ち上がったわたし達を見て、今更何を言うてるか!と思う人もいるだろう。
やっと気がついてくれたかと、少しの安堵の感を抱いてくれた人もいるだろう。

原子力発電所は、放射性物質の館。
電気を作ってるふりして、核兵器のもとを日々製造し、それをあちこちに輸出してる。
戦争狂の連中の憂さ晴らしと、破壊好きの欲求を満たし、己の懐を潤すために。

小さな事故は数えきれないほど起きていて、放射能汚染はあちこちで、すでに起こっている。
計測してないから知らなかっただけ。
見えない、聞こえない、匂わない、透明な悪魔は、核施設を持つ国を薄く濃く、まんべんなく汚してる。

日本一の村だと、暮らす人達が誇っていた村がひとつ、殺されていく。
同じような天災が起こり得る時期がきてしまったというのに、まだ50以上もの美しい村や町や海や山の近くに、このバケモノは存在する。
そのことの意味を、どうして日本の人達は知らないふりをしているのだろう。
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父の遺骨

2011年11月30日 | 家族とわたし
会う毎に老いていく母が、去っていくわたしに手を振ってくれる。
いつもそれを見るたび、胸がきゅっと締めつけられるねんけど、今回はなぜか、寂しゅうて哀しゅうて、電車の中で泣けてきた。
ああ、わたしはまたこんなふうに、遠くに離れていってしまうんやなあと。
43才の誕生日に、桜の花びらが散るのを電車の窓から眺めながら、日本と、日本に暮らす皆にさよならを言うた時と同じぐらいの寂しさで。

旅の最後に、弟に会いに行って、彼のおごりで居酒屋で飲んでた時、末期癌で入院した父を、毎日欠かさず見舞いに行ってた弟の話になった。
弟の彼女と一緒に「えらいなぁあんた」と褒めた。
弟は父から、幼い時は虐待に近い扱いを受け、青年時代には、父の借金の肩代わりをさせられたり、名義を勝手に使われたりして、成人した頃には、社会でまともに働けないような状態にされてしもた。
そんな父親を、毎晩欠かさず見舞いに行き、そのことを父も、ほんまに喜んでた。
「いろいろえらい目に遭わせてしもたのに、こんなにようしてくれて……」と、何度も何度も、申し訳無さそうに言いながら。

そんなことをしみじみと思い出しながら話していると弟が、
「僕、親父に謝ってもらいたかってん。一言でええから、すまんかったって言うて欲しかってん。それ聞きとうて毎日通てん。言うてくれるまで待っとったから、毎晩遅なってん。こいつはそんな時、晩ご飯食べるの待っとってくれてん」
「けど、とうとう親父は、ひとっことも謝らんかった。謝らんと死んでしもたんや」と言った。

親戚の誰もが感心した弟の優しさの裏に、こんな哀しい願いが隠れてたことを知った晩、えらいもんが見つかった。
それは父の遺骨。
弟のマンションの玄関口に積まれてた荷物の中から出てきた。
父の6番目の、最後の伴侶となった女性が、父の位牌だけを抜き取って送ってきた仏壇の中に、それは入ってた。
わたしが持ち帰ると決め、機内持ち込みの荷物の中に入れた。
空港で一回だけ聞かれた。
父の遺骨です、と答えた。

父は11年もの間、他の荷物と一緒に、狭い箱の中に閉じ込められていた。
遺骨と一緒に、父の高校時代の成績表や、古い古い写真なども出てきた。
お供えに必要な道具も見つかった。
父の成績表を見て、「親父、アホやったんや」とか、「数学はめちゃイケてるやん」とか言いながら笑う弟。
息子にとうとう謝らなかった父が、照れ臭そうに、きまり悪そうに、そんな弟とわたしを見下ろしているような気がした。
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不思議の国になってしもた日本

2011年11月30日 | 日本とわたし


昨日の夜、日本から帰ってきた。
行きしなに、みんなにえらい心配かけた。
今回ばかりは自分でも自信無かったけど、とりあえず一番の問題は飛行機の中で解決したし、最初の一週間を母の家でゆっくりしたので、なんとか無事に、旅を終えられた。



忙しい中、会いに来てくれたみなさん、ほんまにありがとう。
今回の旅では、会えると思てなかった人にも会えた。
ツィッターで知り合うた廃炉運動仲間は、飛行機待ちのわずかな時間を承知で、不便なとこにある空港に、しかも平日に、都合をつけて来てくれた。



母の喜寿の祝いにと、戻った日本。
なにひとつ変わってなかった日本。
食べ物は美味しくて、景色は秋の風情を漂わせてる。
公共の乗り物は相変わらずきちっとしてて、丁寧で、律儀で、にぎやかで……。
町ではクリスマスが始まってて、あちこちの駅デパートの地下の食品売り場は、買い物客でごった返してる。
テレビの民放は、クイズ番組かバラエティショー。
キャンキャン声の若い女の子がアホ言うと、バカ受けして笑うおっさん連中と観客。
今まで写真でしか見んかった政治家がしゃべってるのを聞いたけど、言うてることが解らんし、心や意志がこもってないから聞き辛い。



日本のホカ弁、やっぱ最高!めちゃ美味しい!
けど、口に運ぶたび、歯で噛むたび、これはどこの野菜やろ?どこから来た肉やろ?どこの米が混じってんのやろ?なんて考えた。
なんちゅうクソな国やねん!

このアジも美味しかった。
母が、わたしが来るからと、買うてくれてたアジ。これってどこの海で獲れたん?なんて聞けんかった。


倹約しながら細々と暮らしてる親戚が、わたしが来るからと頼んでくれた懐石の出前。
好物やからと連れてってもろた鰻屋、カレー屋、手作りのお料理。
二十年ぶりの懐かしい町の、豆腐料理にお茶に饅頭。
久しぶりに再会した友達と入った焼き鳥屋。



美味しいもんだらけやん!あかんやん!悔しいやん!
けど、関西やからまだ食べた。食べられた。地産のもんやと確認したら、それなりに口に運べた。
けど、関東より以北に暮らす人にとってはそれが難しい。
難しいどころか、よりにもよって、国の行政がいろいろ企んで、選択する意志を弱らせ、選択できる場を次々と壊しにかかってる。



空も海もこんねんきれいのに、わざわざ事故現場からバラまかれた汚染物で汚されかかってる。
この電線を独り占めしてる、核兵器製造会社を守りたいがために。
 


今回、あの事故があってからずっと、毎日欠かさず日本をじっと見つめてきた。
ツィッターで情報を得ては読み、他と読み比べたり調べたりする毎日が続いた。
その上で、思たことをここに書いたり、ツィッターでつぶやいたり(呟きにしては声がデカいけど)しながら日本を見守ってきた。
苦しんでる人、迷てる人、困ってる人、弱ってる人の助けになりたかった。
政治家も報道機関も、市民の命なんか屁とも思てへんことを知り、愕然としたり憤ったりした。
絶望したけど、同じ思いを持つ人達と出会て、国をあてにせんと立ち上がれるよう、ほんまのことを知ってもらえるよう、毎日毎日訴えてきた。

その思いが、なんでこうも伝わりにくいのか。
そらそうやわ。
あそこまで普通やったら。

今までとなんも変わってないとこで、自分だけ変わることの大変さ、難しさ。
無知な人、あるいは無知を装うてる人の嫉妬とあやふやな恐怖感は、知って変わろうとしてる人を、すごい力で押しつぶそうとする。
それにも負けずに変わるのには、それ以上のすごい力が要る。
勇気と根気と、自分を信じる力。

知ろうとせん人にも知ってもらいたい思てたけど、もうそれよりもまず、知ったことで今までと違う考え方を基に行動しようとしてる人を守らなあかん。
そう思た。
人数は少ないけど、エネルギーの無駄遣いしてる場合とちゃう。
これは長い長い闘いになるんやから。
知ろうとせん人、知りたくない人、知っててもやっぱりどうしても行動したくない人、できひんと思い込んでる人も、わたしら同様、大人としての責任を持ってそうしてるはずやから。



電車の窓から見えた農村。
ここにもきっといつか、微量であっても、存在するはずのなかった放射能が入り交じってくる。
政治家が勝手に、ほんまはちゃんと調べてもせんくせに、現場できちんと確認してもせんくせに、どれだけの影響が出るかも解らんくせに、
「助け合いの気持ちで、瓦礫や食品を受け入れる。それが日本人としての支援だ」、なんて言うてバラまいた放射能汚染物質。
ほんで、影響が出る頃には引退して、自分が犯した恐ろしい殺人幇助の罪も償わんまま、充分な役人年金と荒稼ぎした金で、のほほんと隠居生活してるはず。
もしも誰かに、そのことで突っ込まれても、「あの時はああ言うしか無かった」と、しれっとした顔で言えるはず。

不思議の国日本で過ごした2週間。
政治家や企業の悪巧みで建てられた原発は、放射能物質をまき散らすとんでもない核兵器製造工場やとわかった今も、それを廃止せなあかんと思う人が少ない国。
なんでやろ?
そのわけを実感できた2週間。
あいつらの悪巧みは、原発を増やすだけやなく、人の気持ちを操る術も知ってる。
それに協力する奴や機関も、規模がハンパやない。
まあ、それぐらいの勢力や権力持ってな、ここまであからさまにウソをつき続けることはできんかったやろ。

毎日毎日、心配しながら、あれこれと調べながら、子育てしてるおかあさん達の大変さ。
まるで危機感の無い人達に囲まれて、変人扱いされたり、実際に邪魔されたりしてる、行動をし始めた人達のしんどさ。
それがほんまにどれほどすごいもんか、しみじみと実感できた2週間。
成田空港の建物の中にも、喉をチリチリと焼くもんが存在してた。
小型機に乗り換えるために外に出た時、そのチリチリ感が強くなり、そこで初めて「あ、ここは成田やった!」と気がついて、慌ててマスクした。
マスクをしたんはわたし独りやった。
そのチリチリ感が偶然やったんかどうか確かめとうて、帰りもマスクをつけんかった。
やっぱりチリチリは存在してた。
もう慣れてしもて気がつかんようになってる人達に言いたい。
どうか、マスクだけでもええからしてください。
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日本からこんにちは!

2011年11月16日 | 日本とわたし
時差が無いってすばらしい!
頭はちょっとボケてますけど、生きてます、血尿もすっかり止まりました!
あんな記事書いてご心配かけてすんませんでした。
自分でもかなりヤバいと思てたので、つい……。

母の家のパソコン事情が進化しており、ただいまひとりの時間もとれたので、ちょいと昨日の飛行機の中で書き留めていたことをここに載せときます。



昨日の夕方に突然やってきた膀胱炎。
ずっと無茶をしてきた自分の自信過剰が原因。
なので腹が立った。
モールから急いで家に戻った時にはもう、立派で重症な膀胱炎で、おしっこがしたくてたまらないのに少ししか出なくて、
最初っから最後まで、焼けるような痛みがつきまとい、出てくるのは真っ赤な液体と血の塊……めげた……。

まるで、60度の坂道を転げ落ちるように体調が悪くなり、疲労困憊を絵に描いたような哀れな自分の姿に、ぶったまげるやらムカつくやら。

我が家の赤ひげ鍼師から、飲めと言われた漢方薬を飲み、白湯をがぶ飲みし、焼けるような痛みを堪えながらトイレに通った。
けれども、残念なことに、血尿は一向に改善せず、楽観をモットーにしている我々の脳みそにも、さすがにキャンセルという言葉が浮かび始めた。

下腹に力が入らないし、頭も朦朧としている。
前々から、今度もし日本に行く時には持って行こうと思っていたお土産を、とりあえずあちこちから寄せ集めた。もちろん包装なんてされていない。
機内持ち込みで手軽く行こうなどと思っていたが、100ミリ以上の液体は許可されていないことを思い出し、結局はデカいカバンに変え、そこに、そこらへんにあた洋服や下着を放り込んだ。
なぜかいつもよりもメチャクチャ早くパッキングが終わり、旦那がびっくりしていた。

その日は最後の最後まで立派な血尿だったので、もし翌朝起きて、それでもまだ続いていたら、その時はキャンセルしようと決心して寝た。
夜中に一度だけ起きてトイレに行った。
まだ血がしっかり出ていた。
手のひらを膀胱のところに当てて祈った
そして自分の体に謝った。
途中、少し熱が出てき寒気がした後、今度は暑くて仕方がなかった。
闘っているんだなあ……などと思いながら軽く眠った。

早朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めてトイレに行った。
痛みがまだ残っていたので恐々下を覗いてみたら、なんと、血尿は止まっていた!
体はまだまだ疲れていたけれど、とりあえず空港まで行ってみることにした。
うちから数分歩いた所から、空港行きのバスが、毎時15分おきに出ていて、しかも2ドル!
けれども、今回は旦那に送ってもらった。

というわけで、とりあえず無事に、コンチネンタル航空の飛行機に乗った。
1時間以上も遅れて出発したけれど、なかなかに良い乗り心地の飛行機。
今回、わたしは自分が被ばくしていることを考えながら乗っている。


あと1時間で着くらしい。
今回ほどトイレに通った旅は無い。
トイレ近くの席の人たちはきっと、えらい頻尿な女だなと思ったに違いない。
甘いものは食べてはだめ!と旦那から言われていたのに、おやつに配られたハーゲンダッツのアイスクリームを我慢できなくて食べてしまった……。
けれども後はひたすら、緑茶オンリーで頑張っている。
さあ、到着まであと1時間を切った。
飛行経路と日本地図の画面を見ている。
前はあんなふうに成田に向かっただろうか……沿岸から離れた所を南下し、成田が近づいたところで急に直角に右折して向かっている。
つい先日、夏に日本に帰省した友人と話している時に、彼女が「わたしは放射能なんて全く気にしない」と、何度もきっぱりと言い切っていたことを思い出している。
彼女は、関東より北に実家がある人だ。

出発前に1時間半遅れた飛行機は、さらに成田空港がとても混んでいるからと、空港上空をグルグルと旋回し、やっと上陸できた時には、次の名古屋までの便が出る時間だった。
もう間に合うはずがないと思いつつ、係員に尋ねると、「カウンターに行って、満員でない飛行機を探してください」と笑顔で言われた……。

予定便は4:45分、代替便は6:15分。
残っている席は、三人掛けの真ん中にひとつ、それと通路側にひとつだけ。
今日はトイレの事情があるので、迷わず「通路側にしてください」と言うと、
「実はこの席は、非常口のすぐそばにあるので、もしもの時は乗員の手助けをしてもらわなくてはならないので、年齢を聞かせて欲しい」と言われた。
年齢は立派だが、非常時に手助けができるような者ではない」ときっぱり言ったが、また笑顔でかわされてしまった……。
なにも起こりませんように。
わたしが絡むと、普通で済むことでもややっこしくなりがちなんだから……。

空港の外に出て、バスで小型飛行機まで行く。
マスクをしているのはわたしと、あと、若い女性のみ。

席に着くや否や、搭乗員からにこやかな歓迎を受け、注意事項を手渡された。
1.非常用扉が搭乗員によって完全に開かれるまで、他のお客様を制止する。
2.機外が安全であることを確認し、他のお客様を非常口から出られるよう誘導する。
3.後ろの方におられるお客様を、速やかに避難できるよう促す。

って……わたしもお客様なんやけど……ほんで、なんも訓練受けてへんねんけど……。

15日の母の誕生日に合わせて帰り、美味しいものを一緒に食べながらお祝いしようと思っていたのに、やっぱりなんかけったいなことになってしまった。
ふう~これが一日目……先が思いやられる。

セントレアに着いたのが7時半。
なかなか出てこない荷物を手にしたのが7時45分。
津行きの高速船が出ている波止場までの長い通路を全力で走り、切符を買って、公衆電話から間に合ったことを母に連絡し、高速船に乗ったのがギリギリの7時55分。
この行き方はすごく便利!
わたしの日本行を知ったH師匠が、旅行前日の夜に教えてくださった。
津在住の師匠は、「セントレアから亀山に行くなら、僕が津新港まで迎えに行ってあげる」と申し出てくださったのだった。
今回は母の誕生日当日に戻るので、ありがたくお気持ちだけをいただくことにしたのだけど、このアイディアはわたしにとってすごく助けになった。

さて、これが第一日目。
写真も撮ったが、パソコンにつなげるコードを忘れた。
また後で少しずつ。

日本に降り立ち、成田空港の「おかえりなさい」の文字を読んだ時、胸がぐっと詰まった。
この、以前となにも変わらない日本に実際に身を置いてみると、みんなが言っている難しさがわかるような気がした。
マスクをしている人などひとりもいない。
見た目が平常の中、見えない異常を気にして生きることの難しさは、わたしが考えている以上のものだ。
自分では人の立場に立って、一所懸命考えてものを言っているつもりだったけれど、まだまだわかっていないのだと痛感した。

これから2週間、といっても関西だけど、みんなのことを思いながら過ごそうと思う。

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ばちがあたった!

2011年11月13日 | ひとりごと
なんぼなんでも、ちっちゃなお土産でもええから買いに行こうと思て、旦那と一緒に空港近くのアウトレットモールに行った。

だいぶ疲れがたまってきてるのは感じてたけど、

最初のお店に入ってぐるぐる回ってるうちに、異常におしっこがしたくなり、まあ、車の中でお茶をたくさん飲んだからなあ……などと思いながらトイレに行ったら、

膀胱炎っぽい、いや~な排尿感!

えぇ~!やっぱ大丈夫って思い過ぎてたんかなぁ~……とほほ。

そしてそのあと、様子はどんどんシリアスになり、血尿が出続けてる……マジでとほほ。

旦那が、漢方の膀胱炎用の抗生物質を出してくれた。
それを飲み飲み、白湯も大量に飲み、トイレに通い続けてる。
パッキングは終わった。
お土産は、あれっきり買われへんかった……。

明日の朝まで様子を見て、血尿があんまりひどかったら飛行機を見合わせるつもり。
ええ年してかっこ悪っ!!

もしだいぶマシになってたら、予定通り、朝の便で日本に向かう。
滞在は2週間。
パソコンができる環境ではないので、多分ブログの記事は書けないと思う。
2週間、シーンとするけど、忘れんといてや~!
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発表会を終えてつくづく思ったこと

2011年11月12日 | 音楽とわたし



近所の教会の、"ブルーの間"という部屋を借りての、生徒達の発表会が無事終わった。
みんな、それぞれに、ホホゥという演奏をしてくれた。
こちらで教え始めて十年、
ほとんどの子達が、ドの音からひとつずつ覚え、リズムを覚え、歌い方を覚え、
誰も専門家などになろうとは思ってないけれど、毎週レッスンを受け、少しずつ上手になって、毎年の発表会では、その成果をしっかり披露してくれる。
長い子で十年、短い子で二ヶ月、出会ってからの年月には差があるけれど、成長の証が見られる発表会はやっぱり楽しい。

楽しいけれど、実はすごく大変なのだということを、毎回わたしは忘れてしまい、ギリギリになって大変な目に遭う。
これはひとえに、懲りない性格というか、癖のような、いや、もしかしたら病気なのかもしれないけれど、
発表会前日の夜に、プログラムの順番について、眉間に3重のシワを寄せて思案していたり、挨拶文をあれこれ考えていたり、
このブログの日記で調べてみても、全く同じようなことをしてあたふたしている自分が必ずそこにいる。

そして今日は特に、自分が演奏する、ということについても、しみじみと思うことがあった。
というのも、二週間前にカーネギーで演奏した曲をまた今日も演奏する、という状況があったからだと思う。

同じ曲を、そりゃまあ、場所もお客さまも、それからピアノも全く違うのだけど、それでも、その曲を演奏する、ということには違いない。
それで、その演奏について考えたり準備したりしたいのだけど、発表会の場合は、このわたしがすべて、会のお膳立てをしなければならないので、
自分のことを考えたりかまったりする時間も余力も無く、あっという間に演奏の時間が来てしまう。

それで、ああ、自分はなんて幸運な人間なんだろうか……と、今日改めて思い、感謝した。
ただ弾く事だけに、自分のコンディションだけに集中していれば良い、ということのありがたさ。
周りで、どれだけの人達が支えてくれていて、いろんな細かい仕事や作業をしてくれていて、
特に家族などは、近しいだけに、練習の騒音に耐えながら、普段以上に手伝ってくれたり、気を遣ってくれたりする。

今日、頑張って弾いてくれた生徒達にありがとう!
今日、わざわざマンハッタンからやってきて、演奏してくれたサラにありがとう!
今日、すてきな演奏をしてくれた生徒達のいつもの暮らしの中で、ずっと支えてくれている家族の方々にありがとう!
ほんでもって、旦那よ、ちょこっとだけ運搬を手伝ってくれた息子KとMちゃんよ、ほんとにいつもありがとう!


発表会の後、カーネギーの代わりに招待した人達(その中にはMちゃんの両親、マイクとE子ちゃんもいる)とサラと一緒に家に戻り、なんやかんやと話しながら、ワインとチーズで乾杯。
早退組が帰った後、サラ、マイクとE子ちゃん、Mちゃん、それから旦那とわたしとで、昨日から作ったおかずと、熱々のトンカツで食事会をした。
息子Kはジャパニーズレストランのバイトで欠席。
いただいたたくさんのお花をサラにお裾分け。
わたしがいなくなったら、この家には花の世話をするような人間はいないので、残しておいても仕方がない。


などと、今日の発表会を思い出しながら書いていたら、近所からなにやら叫び声が聞こえてきた。
ドアを開けて聞いてみる。
ちょっと尋常ではないような気がして旦那に報告。
玄関に出てしばらく様子をみていた旦那、推測するに、ティーンか若い女性に怒鳴りつけている男性がいる。
なので警察に通報した。
あっという間に、三台のパトカーがやってきて、しばらく大騒ぎになったけど、とりあえず治まった様子。

さて、とうとうくったくたになった、という実感が、重石のようにわたしの頭のてっぺんに乗っかっている。
おやすみなさい。
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ねこのひとりごと

2011年11月11日 | ひとりごと
かあちゃん、ちょっと今夜は怒りすぎやで。ひとやすみひとやすみ……。




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原発がないと運用できないリニア中央新幹線?!そんなもん、誰がいつ、作ってって頼んだん?

2011年11月10日 | 日本とわたし
原発がないと運用できないリニア中央新幹線 JR東海へ意見を!!
2011-11-10 22:45:51NEW !

神奈川県川崎市麻生区、多摩区、宮前区、高津区、横浜市青葉区、東京都町田市、稲城市で、
リニア中央新幹線の工事が、3年後から始まるのを、知っていますか。


充分な周知なく、準備が進められています。
説明会の告知は、自治体等の便りや新聞等には全くなく、新聞広告の折り込みチラシに紛れて、細かい字で埋められたザラ版紙刷りのような、地味なものが入っていただけ。
地域住民のほとんどが気がつかず、説明会は、大ホールに50人程度の出席。
質問も時間切れとなり、一方的に打ち切られました。
それで、3年後の工事に向けて、着々と準備が進められます。

* 地下約40mに設置されますが、地上にも5~10kmおきに、巨大な立杭と通気施設がつくられます。
住宅街のなかに、それだけの敷地があるでしょうか。
通気施設からは、騒音・強い電磁波等の影響が考えられます。
予定地は決まりつつありますが、調査次第で、どこに迂回してくるかわかりません。

原発がなければ運用は厳しい、とJR東海も語っています。
リニアの消費電力は、東京―名古屋27万KW、東京―大阪74万KWが見込まれます(国土交通省による)が、
10月現在、東電中電あわせて、7500万KWしか電力が作られていない、というのです。
説明会で「原発がなくてもリニア運用できるのか」という質問に対して、
「今の電力ではまかなえない。電力会社にはもっと頑張ってもらわないと厳しい」と、建設部担当部長がはっきり答えています。

また、ドイツのリニアを例に、具体的に試算した場合は、544万kW、つまり原発五基分の電力です。
また、JR東海会長は、5月に産経新聞で「リスクを承知のうえで、それ(原発)を克服・制御する国民的な覚悟が必要である。(中略)原発継続しか、日本の活路はない」と語っています。

* 非常に強い電磁波が、地上にも及ぶおそれがあります。
高圧線などの電磁場では、4ミリガウスの居住環境で、小児白血病が二倍という報告に対して、
リニア実験線では、車内の床で6000~40000ミリガウス。

しかも、電磁波を遮断できるのは鉄だけであり、地下地盤を通過し、地上に及ぶおそれが充分考えられます。
が、JR東海は、数字を明らかにしません。

* ドイツや中国では、計画が途中で中止されました。
ドイツでは、コストが高すぎる等の理由で、議会で否決され中止に。
中国では、騒音や電磁波による健康被害を懸念する、沿線住民の反対などで、都市部開通は中止されました。
都市間でのリニア鉄道の実施例は、世界に一つもありません。

* 南アルプス地下に、トンネルを作るなどの自然破壊、地盤のゆるみ、JR東海の財源不安、長距離トンネル内の無人運転等に対する技術的不安……いろいろな問題があるのです。


※正確な数値などについては、以下のサイトを参考にしてください。
「リニア・市民ネット」
「STOP! リニア中央新幹線計画」
当会では、年内に麻生区でこの問題について講演会を行う予定です。
詳細は決まり次第、ブログにアップします。
また、一緒に活動をしてくださる方も大募集中です。
できることを、できる時間だけで結構です。
ご一報願います。
よろしくお願い致します。

2011/11/4
                           
「脱原発を進める会かながわ」事務局発行
http://blog.kanagawa-no-nuclear.com/
nonukes_kanagawa@yahoo.co.jp



脱原発の日のブログ




↓↓↓↓↓↓以下、お手紙より本文そのまま転載↓↓↓↓↓↓↓↓

「原発がなくては運用できないリニア中央新幹線」の工事が、3年後から始まるのを、ご存知ですか。
(品川―川崎市中北部―横浜市北部―町田市―相模原市―山梨県―長野県―岐阜県―名古屋市)  


私はひとりの母親です。
今回の原発事故は衝撃でした。
子どもたちを脅かす原発を、ゆるすことはできないと思いました。
子どもたちの安全を守るために、放射能についてもずいぶん学びました。
朝日新聞の記事に励まされて、ドキドキしながら初めてデモに参加し、明治公園の1000万人アクションにも行ってきました。  
浜岡原発停止が実現し、各地で大規模なデモが開かれるようになってきて、
脱原発の気運が高まったという、「一種の安心感」が漂い始めているような気がします。
ところが、国民の知らないところで、「原発がなくては運用できないリニア中央新幹線の準備」が、震災後の5月から進み始めたのです。
5~8兆円にも及ぶ大事業です。
全沿線住民への一方的な説明会も次々行われ、3年後には工事が始まる予定です。  

9月末、新聞の折り込み広告の束の中に、ひっそりと入っていた地味な紙を見つけて驚きました。
それは、県や市の便りにも、新聞にも、載っていなかった、リニア中央新幹線の説明会のお知らせでした。
スーパーのチラシに紛れて、ザラ版紙のような細かな字で埋められた告知書だったので、まわりの誰に聞いても気がついた人はいなく、
当日は大きなホールの会場に、ほんの50人程度出席しただけで、質問も中途半端に一方的に打ち切られて終わり
ました(次の説明会は工事直前にあるだけです)。  

リニア中央新幹線は、多くの問題や危険性を抱えているにもかかわらず、工事内容やしくみの充分な説明もされず、
具体的な数値も出さずに「安全基準をクリアしている」と、うやむやに進められようとしています。
これらのやり方は,まるで原発建設と同じ
です。
しかも、知らないところで既成事実がつくられ「やっぱり原発が不可欠だ」という状態がつくられようとしているのです。
しかも、国が建設指示を出したのが、震災後の5月なのです。
JR東海会長は、その5月に産経新聞で「原発継続しか、日本に活路はない」と語っています。
建設費は、JR東海が全額負担するため、国はあくまで公共事業ではなく「一企業の事業」として横から見ているだけです。
せめて、この事実とリニア中央新幹線の危険性を多くの人に知ってもらいたいと思います。

「リニア・市民ネット」という団体もできていました。
署名活動もしています。
「リニア・市民ネット」というホームページ(「ガウスネット」のホームページから入れます)

「STOP!リニア中央新幹線計画」というブログ 


上記のサイトを見てください。
多くの人に伝えてください。
脱原発関係の方は、どうぞ「リニア・市民ネット」とリンクを結んでください。
つながってください。
人がつながれば、大きな力になっていくと思うのです。
どうぞよろしくお願いします。

※11月10日まで、意見書が提出できます。ひとりでも多くお願いします。
・環境影響評価法に基づく「環境影響評価方法書」について
JR東海ホームページでの専用入力フォーム 
http://company.jr-central.co.jp/company/others/chuoshinkansen03.html
または 郵送(住所・氏名を書いて様式は自由)
〒108-8799 港区三田3-8-6 日本郵便高輪支店留め
JR東海 中央新幹線環境影響評価方法書 ご意見受付係(11月10日必着)

・川崎市環境影響評価に関する条例に基づく「法対象条例環境影響評価方法書」について
〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地 川崎市環境局環境評価室(11月10日消印有効)
(提出年月日、郵便番号、住所、氏名、電話番号、法対象事業の名称をかいて、様式自由)



残念ながら、この記事を見つけたのが遅かったので、意見書の提出期限が切れてしもてる。
申し訳ない!
けどほんま、次から次へと阿呆どもは、ようこんだけ悪巧みをコソコソとやれるもんやな?!
これも原発と一緒に、墓穴に入れてまえ!
こんなもん作らなあかん理由がどこにあんねん?
被災して困ってる人を助けることもできんくせに。
アホもほどほどにしとけJR!

つながろ!この人達とも。
部屋に灯りがついて、最低限の家電が使えて、家族一緒に楽しく暮らせたらそれで万々歳やねん。
もう別に、特にあれが欲しいこれが欲しいなんて思てへん。
家族が一緒に、贅沢でのうても、食べたいもん食べて、出たい時に外に出て、そうやって普通に暮らせたらそれでええねん。
リニア新幹線なんかクソなもん、日本にいるかボケナス!
コメント (4)
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『除染ボランティア』国民の被災者を想う感情を利用するこの取組は、強制するよりタチが悪いです!

2011年11月10日 | 日本とわたし


こないだからずっと気になってる『除染ボランティア』について、わたしなんかより一歩も二歩も三歩も踏み込んで、冷静に、わかりやすく書いてくれはった方がいる。

研究者のひとりとして、その現状を非常に憂いてはる桜井氏に、その記事の転載の許可をいただいたので、ここに載せさせてもらいます。


除染ボランティアについて

『8日から環境省が除染ボランティアの情報を流し始めています。
(環境省「除染ボランティアの募集状況等について」

私は、除染活動に素人である住民やボランティアが携わることに、大変な危惧を頂いています。
チェルノブイリでは、除染作業員に、大変な後遺症が発生しています。(「とても危険!除染作業での内部被曝を避けよう/カレイドスコープ」

チェルノブイリと比べても…とおっしゃるかも知れませんが、現在の福島市の土壌汚染の状況は、チェルノブイリの時の「補償つき任意移住エリア」あるいは「放射線管理区域」です。(こちらのブログ記事を参照しました)

また、空間線量で言えば、日本の「放射線管理区域」は、外部放射線による実効線量が、3月間につき1.3mSVを超えるおそれのある区域ですから、
単純に言って、毎時0.60マイクロSv以上の地域はそうなります。
例えば、福島市のモニタリングポストの測定線量は、11/8現在、0.99マイクロSvです。
とても高い。

さらにいえば、電離放射線障害防止規則第6条によれば、妊婦の、放射線業務従事者の受ける線量の限度は、
妊娠中、内部被ばくによる実効線量については、1mSvに。
腹部表面に受ける等価線量については、2mSvに押さえなければならないとしています。
これは単純に、妊娠中を10ヶ月と計算すると、毎時0.28マイクロSv以上となります。
(例えば11/8現在、南相馬市の空間線量は毎時0.41マイクロSvとなっています。
しかし、東京新聞の11/9記事によれば、南相馬市には70名の妊婦がいるそうです) 

この様な状況を考えると、そもそも住民を移住させることが先で、そこに留め置いている政策自体が、信じがたいところがあります。
さらには、除染という危険な作業に、住民やボランティアを携わらせていることは、もはや言語道断、としか言いようがありません。

また実際に、今回の除染活動でも、高線量地域において、作業員は無防備な格好で、線量も管理せず、作業に従事している姿が、報道等を通じて伝えられています。
(参考ー冨田きよむ氏のブログより。「10月28日。福島市南向台小学校前にて。除染作業員は線量を知らされていなくて、線量管理もまったくしていなかった。不安に思った作業員は、ココどのくらいありますかと聞いた。」)

しかしながら、実に気軽に参加できる活動であるかのように、除染ボランティアの情報は流されています。
例えば、
「重装備は必要ありませんが、長袖のシャツ、マスク、長靴の着用をお願いします。
なお、作業終了後はうがいを行いシャワーを浴びるなど、 気をつけていただければ大丈夫です。」というように(福島市社会福祉協議会のサイトより)。

実際、私の大学の学生も「参加してみようかな」、ということを言っていたことがありました。
その時は、上記のようなことを説明し、止めた方がいいと思う、と話しました。

このように、リスクが非常に高いボランティア活動に関しては、慎重な議論が必要と考えています。
ですから、こうした活動を、国が改めて率先して行い始めた、という今回のニュースは、看過できません。
ボランティアの研究者として、また、かつてコーディネート業務に携わっていたものとして、この問題に口を閉ざしてはいけない、と思いました。

実態を把握するため、関係各所に電話をさせて頂きました。
ご対応頂いた担当の方々は、お忙しいところを皆そろって懇切丁寧に、除染ボランティアの趣旨、地域の現状、取組の詳細について教えてくださいました。

電話取材結果については、このブログ記事の最下部の通りです。
ご覧頂いておわかりの通り、皆、放射線の管理については、できる限り被ばく量を減らし、健康に害がないようにと、配慮をされていることが伺われました。

少し、安心したのも確かです。
電話する前は、もしも安全対策が充分でないのなら、抗議しなくてはならない、と少し肩に力が入っていました。

しかし同時に、どうしてもぬぐいきれない違和感も残りました。
現場の方々が真剣であればあるほど、電話した「こちら側」との温度差を、強く感じたからです。

住民の健康や生活を本当に考えたとき、何兆も費やして除染をするぐらいならば、その費用を移住のために使った方が「まとも」だ、という信念が私にはあります。

しかし、国の方針として、そのまま高濃度汚染地に留め置かれて、除染が唯一の希望となっている現地の方にとっては、
最適解は「できる限り被ばく量を抑えて作業する」、となってしまっているようです。
そこにはある種の合理性があって、選ばれている選択肢です。
しかし、それ以上の大きな問題については、考えられる状態ではない。
考えても仕方がない、と思われているのかも知れません。

私は電話を切って、「待てよ」と考えることができました。
しかし、電話の向こう側は、立ち止まって考えることができないのでしょう。
繰り返しますが、除染活動をボランティアがする、などという状況はあってはならない。
しかし、非常時だからしなければならない。
この論理自体がおかしいのですが、住民の方にはどうすることもできず、それがそのまままかり通ってしまっているひとつの「現実」がある……。


被災地の方には、必死になっておられるところを、冷や水をかけるような文章だとは思いつつ、
非・被災地の人間の感覚を伝えることも必要ではないかと思い、この記事を掲載しました。

日本全体の絆がずたずたに切れている。
狂気の沙汰に陥っている。

私は、除染ボランティアを被災者に、そして国民全体に勧めているこの国の政府に、強く抗議します。
国民の、被災者のことを想う感情を利用するこの取組は、強制するよりも、たちが悪いです。

またボランティアの関係者には、ぜひともこの問題に口を閉ざさずにいてほしいと思います。


(追記)

私は除染の効果自体、疑問があります。
福島市の広報誌によれば、除染活動の成果としては、例えば渡利地区の南向台小の通学路(路上1cm)で、空間線量は2.4→2.1マイクロSvに落ちた程度だったそうです。


(参考:電話取材の記録)

<コープふくしま>
・現在募集中は、専門家ボランティアと一般(作業員)ボランティア。
・作業場所は、伊達市。
・服装は、長袖の普段着。そんなに被ばくしないので、気にせず家に帰ってもらってよい。
・作業による被ばく量は、総計で7~10マイクロSvとのこと。
・各作業グループには、専門家が配置され、安全指導等にあたっているそうです。
・HP上では、NPO法人放射線安全フォーラムが、安全管理にあたることになっていますが、
実際にはNPOが忙しくなっており、上記の専門家ボランティアを募集して、対応しているようです。
・高圧洗浄は、放射性物質を右から左に動かすだけなので意味ない。表土を削る作業が主。

<福島市社協>
・中身は福島市が行っているので、詳しいことは分からない(募集だけしているっぽいです)。
・もしも妊婦が来たらお断りする。未成年も同様(ただし保護者の同意があれば考える)。

→そこで、福島市政策推進部危機管理室にも電話して聞いてみました。以下その内容。
・基本的に、市が作成した除染マニュアルに則る。
・ボランティアがする作業としては、落ち葉を拾ったり、業者が持ってきた汚染されていない土を、庭等にならしたりする作業で、被曝量は少ない。(福島市の広報誌によれば、作業による積算線量は2~4マイクロSvとのこと)。
高圧線上などの作業は、業者が行っている。
・もしも、年間被曝量1mSvを超える人が出たら、その場で作業を中止させる。
・マスクは支給されたものなので、まちまち。防塵マスクもあればコンビニマスクもある。
・服装は長袖の普段着で。気にされる方のために、替えのマスク・軍手は用意し、また衣服を捨てて帰れるようにゴミ袋も用意。
・妊婦が来たら…分かればその場で断るが、どうしてもと言われると…(後は自己責任?)


以上、ここまでが転載させていただいた文章です。




先日から、除染ボランティアがどれほど無謀で危険で、専門家から見ると言語道断なことか、
それを、軽々しく、まるで自治体の草むしりにでも行くような気分で、
または、重々しく、福島に留まり大変な思いをしながら暮らしてはる方々の、少しでもお役に立ちたいという気持ちで、
見えん、匂わん、そやからまるで恐ろしさがわからん放射能の汚染を受けに、デタラメで無法な連中の誘いに乗らんといて欲しい。

福島の現実がどんなに過酷なもんか、ほんでそれは、これから先何十年も、誰もその長さを予測することができんほど長く続いていく。
今、無責任にボランティアを誘導してる連中は皆、あんたらになんらかの問題が出てきた頃にはポックリ逝ってるか、無責任な隠居暮らしをしてるはず。

『私は、除染ボランティアを被災者に、そして国民全体に勧めているこの国の政府に、強く抗議します。
国民の、被災者のことを想う感情を利用するこの取組は、強制するよりも、たちが悪いです』


桜井氏のこの言葉に心から賛同する。
痛み分けの汚染拡散。
これが今の政府の連中の考え方。
痛み分けに、汚染を受け入れよってか?
じゃかぁしわい!
前々から思てたけど、ほんま、とことん気ぃ狂てんな。
痛み分けに受け入れるべきは人や人!被災者の人達や!
放射能は、完全には無理やけど、もうすでに汚染されてしもたとこにできるだけ留める。
ちっちゃい国のどこもかしこもが汚染されてしもてみぃ。
いったい誰が遊びに来たい?
そんな国のもん、誰が輸入したい?
世界から放射能汚染ブツ扱いされた挙げ句に見放されてまう。
もうやめような、こんなこと。
全国の自治体が分担して、今だに『高濃度汚染地域』に暮らしてる人全員を受け入れる体制を整えような。
人が戻ったらあかん。暮らしたらあかん。
見た目は8ヶ月前のあの日と全く一緒の美しい村も町も山も川も、恐ろしい放射能に汚染されてしもてん。
国は、県は、絶対そんなこと認めへんで。
なんでやと思う?
被災した人達のこと思てるからとちゃうで。
人がおらんようになって財政が成り立たんようになるからやで。
原発が用無しになってまうからやで。
もう目ぇ覚まし!
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