去年の2月末に1週間だけ日本に行ったのは、パンデミック直前のことだった。
それから1年半の間、親族と友人の家以外はどこにも行かず、去年に引き続き今年の夏もまた、日本行きを諦めた。
新型コロナウイルスのワクチン接種が進むにつれて、日ごとの新規感染者数がみるみる減ってきたので、マスク着用の義務も無くなり、コロナ以前の生活に戻れるかもと思ったのも束の間、新種株ウイルスの出現で再び怪しい雲行きになってきた。
そんな中、マイルストーンバースデイを迎える友人のパーティに参加しついでに、その前後に2日ずつ日をとって、東海岸北上の旅に出ることにした。
新しく造り替えられたマリオ・クオモ橋(前はダッパンジー橋という名前だった)でハドソン河を渡る。
初日の宿泊先を決めないままに出発したので、わたしが運転している間に夫がせっせと探して選んだハートフォードという町の信号。
カナダと同じ縦型で、それが珍しかったのでFacebookに載せると、友人が豪雪地域とかでは縦型になると教えてくれた。
レストランの近くに電車の駅があった。
飛び込みで入ったけど味は上々。マスクはワクチンを打っていない人だけ、という決まりになっていた。
アボガドの冷たいスープ。
わたしは牛肉のスペアリブ。
夫は貝柱と焼きブロッコリー。
多分市役所。
泊まったモーテルはピックアップトラックや家族連れが多かったけど、「うちは静かですよ」とフロントが言っていたように外からの物音がほとんど聞こえない快適な部屋だった。
2日目、バースデイパーティが行われる湖畔近くのホテルまで行きがてらに寄った、アメリカで一番古い港町グロスター。
この町ではマスクをしている人はかなり少なくなった。
サージェント・ハウス・ミュージアム
『The Sargent house Museum』
アメリカで最も早く女性の権利を主張した一人であるジュディス・サージェント・マレーは、アメリカ独立戦争中にこの地に住んでいました。
現在は博物館として、建物と歴史的なコレクションから彼女の人生を垣間見ることができます。
また、ジョン・シンガー・サージェントやフィッツ・ヘンリー・レーンなどの作品も展示されています。
ふらっと入ったアンティークのお店の奥で見つけた珍しいレコードプレーヤー。
自動でレコード盤を変えていくパナソニック製。
グルテンフリーを中断して白身魚のフライを食べた。美味い!
見たことがない虫。
岩が大好きなので、その名も『ロックポート』という町を目指して海沿いを走っているうちに、超高級住宅街に迷い込んだ。
家の敷地から見下ろす風景。
どの家も、巨大な岩がドカンと居座っていて、それを上手に生かした庭作りをしている。
写真には撮れなかったのだけど、家屋と同じくらいの特大サイズの岩がある家もあった。いいなあ…。
双子灯台。
『ロブロリーコーブ・タチャーアイランド(Loblolly Cove Thacher Island)』
ロブロリー入り江の向こう側には、ケープアンという名の双子の灯台があります。
1861年に花崗岩で建てられたこのツインライトは、海抜166フィートの所に建っています。
かつては22マイル先まで光が届いていたそうです。
北はポーツマス港、南はボストン港の単灯と区別するために、2つの灯台が建てられました。
1800年代後半には、5つの灯台守の家族が住んでいました。
灯台守たちは、子どもたち(ある年は13人もいた)を学校に通わせるために、この入り江に向かって舟を漕いだのだそうです。
舟から降りた子どもたちは、ロックポートのダウンタウンにある学校までの2マイルを歩いて通いました。
この灯台は2001年に、国立公園局によって国定歴史建造物に指定されました。
浜辺も岩だらけ。
車から降りて一休み。
ゴツゴツした岩に座り、海の上で足をブラブラさせながら風に身を任せる。なんていい気分!
そして…。
隣に座っていた夫に電話がかかってきた。
難しい患者さんからの電話で話が長くなりそうだったので、わたしだけ先に下に降りることにした。
座っていた岸壁はけっこう高さがあったので、2回に分けて降りなければならなかった。
説明が難しいのだけど、真っ直ぐに飛び降りることはできないので、1メートルほどの高さを体を捻って飛び、片足で着地しなければならなかった。
一瞬躊躇したのに、気がついたら体は宙に浮いていて、着地に失敗した体がぐらっと傾き、ゴツゴツした岩肌の上に倒れてしまった。
最初はとにかく右の脇腹が何かに刺されたように痛くて息もできず、もちろん声も出ないまま数分くの字になって呻いていた。
夫は上の方でまだ電話中だったし、近くに人もいなかった。
電話を終えて降りてきた夫が、とりあえず上半身だけ起こして震えているわたしを見て、どうしたのかと聞くので、怪我をした膝を見せた。
あれほど強かった脇腹の痛みは消えていて、ぽっかり穴が空いた膝頭からは血が流れ、体を庇おうとして突いたのか、右手の中指と薬指、それから左手の親指の付け根が、少しでも動かすと針で突かれたように痛んだ。
傷口が深く血の奥に白いものが見えたので、縫った方が良いと思ったけれど、縫うと必ず膿んでしまうので、夫の鍼治療と漢方で治してもらうことにした。
まずは応急手当て。
痛くても写真は撮る😅
マサチューセッツ州からニューハンプシャー州への道すがら、突如現れたでっかい風力発電。
ニューハンプシャーの湖畔でのパーティ。
天気は上々、水温も上々、怪我さえなかったら…😭
キャンプファイヤー🔥
参加者はめいめいにテントを張り、
好きなように過ごす。
やっぱりここでも岩がゴロゴロ。
カクテル作りの天才さんがいて、めっちゃ美味しいのを作ってもらった。
ハイライトは対岸から上げられたお祝い花火。
旅行最後の日はめちゃくちゃ気持ちいい天気に恵まれた。
びっこを引きながらのヨチヨチ歩きのわたしに、神さまからのプレゼント。
ポーツマスに向かう途中で、変わった橋に出会う。
やっぱり大好きだよ〜海!
港近くのレストランで味噌風味のサーモンをいただく。
ここで事件発生。
夫はロブスターサンドを注文したのだが、メニューを見ると「時価」と書かれている。
普段なら絶対に選ばないので、多分値段を確認したのだなと思っていた。
食べ始めてすぐに、そのロブスターの一欠片を食べこぼしてしまい足元に落ちた。
素知らぬふりして無視する夫に、「今それで3ドル損したんちゃう」と皮肉を言うと、ふふんと鼻であしらわれた。
食べ終わってレシートを見た夫の顔がみるみる青ざめていったので、びっくりしていろいろ尋ねてもピクリとも動かない。
しばらくしてレシートを取り上げて見てみると、夫が食べたロブスターサンドが42ドルになっている。
えっ😰
今度はわたしがかたまる番だ。
けれども可笑しくなって大笑いした。
「いやあ、さっき落ちたアレ、3ドルどころか6ドルはしたな。拾て食べとくべきやったな」と、トドメを刺すのも怠らない😅
人生は学ぶことだらけだ。
気持ちを取り直して食後の散歩。
面白い楽器を演奏しているおじさん。
面白いギターを売ってるお店。
ヨチヨチ歩きでポーツマスの町を散策する。
地図を見るとメイン州にも断崖が見られる海岸があるらしく、またまた岩見たさに車を走らせる。
地元の人たちだけが楽しめる浜辺。
どうやらわたしが思い描いている断崖よりもかなりちっちゃな規模のようだ。
だけどゴツゴツした岩があちこちにあってうっとり…。
海から少し離れると可愛い教会に出会った。
お庭を拝見。
そしてまた海に戻る。
旅の最後の夕飯を食べに町に戻ると、どこからかブラスバンドの演奏が聞こえてきた。
地元のブラスバンドが、コロナ禍に見舞われてからの1年間ずっと中止されていた演奏会を、今日やっと開くことができたと言っていた。
町から小さな橋を渡って離れ小島に到着。
タグボート付きのでっかい船がゆっくりと目の前を横切っていく。
昨日はあんなにいい天気だったのに、最終日は朝から大雨。
ニュージャージーに近づくにつれて晴れてきた。
この橋を渡るとニュージャージー。
色々あったけど、無事に家に戻れた。
夫はもう2度と「時価」のロブスターは注文しないだろうし、わたしはもう2度と「一瞬でも躊躇」したことはやらないだろう。
っていうか、斜め片足飛び降りなんてすんなよな、と今も自分を責めている。
そのせいで旅の計画の半分は変になってしまったから、それが本当に申し訳なくてぐずぐずと落ち込んだのだけど、こういう時の夫はなぜかサバサバしていて、事故で傷ついた上に謝らなくていいと言って一つの文句も口にしなかった。
普段は人の何倍も文句言う人なんだけどな😅
あ、これはナイショナイショ😜
今回の旅で、コロナ禍がほとんど終わったような感じになっている町が多かったことが印象的だった。
家に戻ると、夫の患者さんの間で、PCR検査で陽性反応が出た人や、新型コロナウイルスに感染したかもしれないような症状を訴える人がちらほらと出てきた。
わたしの生徒の家族も濃厚接触をしたので検査を受けた。
かなり少なくなって100人台にまで下がっていたニュージャージー州の1日の新規感染者の数が、今日は500人台にまで上がっていた。
デルタ株が原因かもしれないけれど、ワクチン接種完了者が60%近くにまで上がっているのに、この増え方はやはり感染防止対策を解除し過ぎたのかもしれない。
それでもまだマスク着用率は、今回旅した州に比べるとかなり高い。
まだまだ終わりは見えないんだな、と思う。残念だけど。