ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

Crown Victoria

2009年01月31日 | お家狂想曲
突然ですが、今日、車を買いました。
クラウンヴィクトリアという、こちらでは警察車の定番、そして今ではかなりの偏屈者しか買わないと噂も高き、フォード社の車です。
1999年型、ものすごいマイル数(走行距離)を誇る、けれども濃紺の車体は艶かしく美しい車です。
8万馬力?と言うんでしょうか、8つのシリンダーを持っていて、高速で下手に飛ばすととんでもないことになるので、近場の町中の運転に限定するつもりです。

うちには今、旦那とわたしとKの3人が暮らしていて、それぞれがそれぞれの時間に、仕事や学校や用事や習い事に行かなければならないのですが、
それにはどうしても各自に車が必要になり、それでも随分長い間(かれこれ1年半)頑張って時間の工面をし、3人で2台の車を使い回していました。
ところがこの1月から、Kの大学のスケジュールが変わり、わたしもちょこちょこ小さな用事で使うことが増え、そこにこの連日の零下8~10℃の気温……、
40分頑張って歩く、なんてのがとてもじゃないけれど体に悪いというので、前々から話に聞いていた700ドルの中古クラウンを買おうと決心したのです。

700ドルというからには、それなりのブツを想像していましたが、なんのなんの、とても手入れの行き届いたなかなかチャーミングなアメ車でした。
まあ、走行距離を考えると、ちょっと運転するのが躊躇われるものの、近場だけに限定したらなんとかいけるのではないかと思います。

今、わたし達は、家を買おうとしているので、家以外のことで大きな借金をすることはできません。
そんなことをすると、クレジット社会におけるわたし達の評価が一気に下がり、住宅ローンを組ませてもらえなくなります。
クレジットカードを使えば使うほど良くて、月々の返済が滞り無く快調にできて初めて、この連中はなかなかよろしい、という評価が下されるのですが、
借りてすぐの月は、まだ返済の経過が分からんということで、借りっ放しのような状態になり(そのつもりなんか無くても)、それがダメなんだそうです。
前にも何回か話しましたが、高額ローンを組みたいと願い出るとまず、貸す側の銀行や金融公庫から依頼を受けた調査会社数社が、借りる側の我々の経済状況を調べ始め、1週間毎に調査の結果を依頼者に報告するので、ほんの少しの油断も、タイミングによっては命取りになることもあるのです。

なので、今回の$700というお値段は、とてもとても助かりました。これならばなんとか工面できそうです。
今ヴァージニアでTが乗っているフェアレディが、あと丸1年でニュージャージーに戻って来る予定(Tよ、頼むから延長しないでおくれ~)なので、
うちの誰のタイプでもなく、柄でもなく、どちらかというとジョークのようなCVさんではありますが、大切に乗らせてもらおうと思います。

また、うちにお婿に来てくれた時に、写真をアップしようと思っています。お楽しみに。
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売り家見学ツアーPart?

2009年01月30日 | お家狂想曲
もうこれが何回目の見学なのか、数えるのもめんどっちくなった今日この頃。
ある時は半袖、ある時は長袖、ある時は分厚いコートに身を包み、頭をこんがらがせながらも、いろんな家の中を見て回るのは楽しいもんです。

今日は5軒のツアー予定。
まずはじめの家は、ロケーションをちゃんとチェックしていなかったわたしのミスでした。家の中に入るまでもなく却下!

2番目の家は、モントクレア州立大学のすぐ近くにある、いきなり山の中の別荘地のような佇まい。小川の流れる音も爽やかな、なかなかのロケーションです。
薪ストーブのある部屋にはビリヤード台があり、その奥にはバーカウンター、ガレージにはサンドバッグ、TとKがピョンピョン飛び跳ねて喜びそう。

3番目の家は、ロケーション的にはまずまず、今の家からあまり遠くも無く、ピアノを弾いても家中に音が響かないのが気に入りました。が………、
家中の床という床に、そりゃもうフカフカのカーペットが敷いてあり、部屋ごとの壁紙のエグイことったら……あ~写真に撮りたかったなあ~。
本当に、説明の仕様も無い、ケバケバごてごての色とデザインで、各部屋がこれでもか~これでもか~というように迫ってくるのです。
ああ恐かった……。
あそこに住むにはまず、すべてのカーペットと壁紙を剥ぎ取り、カーペットの下にどんな床板が存在するのか、壁紙をまた張り替えることができるのか、
ものすご~く基本的な、大事なことからひっくり返していかなければなりません。

4番目の家は、中が前の2軒に比べると最もまともで、あずき色と苔色の配色もきれいな、気持ち的には1番ホッとする家でした。
けれども面白くなぁ~い!
いやいや、ほんまに困った性格です。お金も無いくせに、ついついオモロい家を求めている矛盾しまくりのわたし……。

5番目の家は、今日の中で1番大きく広く、しょうもない家でした。
玄関が二つあり、仕事用と家用に分けるにはもってこいだし、2階には5つのベッドルームがあるので、旦那の仕事にも使い良さそうです。
1階でピアノを教えるにも、どの部屋もドア付きなので、まあなんとかなるでしょう。
地下室は、今日の家々の中で唯一の、昔ながらの地下らしい地下。まあ、家の平面積と同じだけの広さがあるので、いろんな物を置いて遊べそうです。
ただ、ロケーションがちょっと難といえば難。

とまあ、こんな他人の家探しの内容を読まされちゃって、時間の無駄じゃ!とお怒りの皆さん、ごめんなさい。
この『モントクレア通信』は、実はこの家探しの件がもとで始まったブログなので、やっぱりどうしても欠かせない話なのでした。

家の値段はここ2ヶ月の間に、じわりじわりと下がってきています。住宅ローンの金利もかなり底の位置にあると言われています。
なのでチャンスといえばチャンスなのでしょう。先週の、1番人気の家に、ものすごい勢いで集まってきた家族達の気迫も、今までにないものでした。
けれども我々には売る家が無く、従って頭金にするお金も無く、その頭金を貸してあげると言う旦那父には、銀行と同じ金利で毎月返済しなければなりません。
いくら安くても年90万を下らない固定資産税、頭金を引いた家の価格のローン、旦那父へのローン、そして家自体にかける保険料……、
持ち家を買うのは、わたし達にとって本当にいいことなのか……どうなんでしょう。

今の時代、これまでのように、スターターハウスといって、まずそこそこの条件を満たす、支払いの楽な家を買い、
その家の評価価格が上がった時点で売りに出し、その資金を元に、ステップアップハウスに買い替えるという従来のパターンが利かなくなりました。
借金してなんぼが常識だったこの国の、経済のシステムが破綻して、借金が本来の意味としてしか存在しなくなったのです。

ほんとに……、どこの大根が新鮮で美味しくて安いかっていうのとはかなり違って大変です。
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冬仕事

2009年01月29日 | ひとりごと
氷点下という、まさに文字通りの気温が昨日まで続いていました。
今日は昨日とうってかわって、とてもいいお天気です。
気温もやっと氷点上?になりました。
木々の上に積もった雪は早々と溶け、冬色の濃い緑を陽の光に当てて暖かそうです。

ところが、家の勝手口の方は早朝しかお日様の恩恵に授かれないので、この通り、カキンコキンに凍ったままです。





今朝は大家さんちのジムも忙しいのか、出かけたまま家に戻ってきません。
いつもなら、通路上の氷や雪は、大家さんであるジムが必ず除去しておいてくれるのだけど、今日はどうもそれどころじゃなかったようです。
なので、道はともかく、勝手口の踊り場までの階段が危ないったらありません。
わたしは足元が滑るという状況に、かなり弱いというか、どちらかというと、どうしてそんなふうに滑るのかと呆れられるぐらいヨタヨタします。
なので、今日はジムのかわりに、わたしが一丁頑張ってみることにしました。
何か道具はないものかと辺りを見回すと、横10センチ、縦6センチぐらいの木の棒がありました。
それを掴んで、氷にぶつけてみると、白い亀裂が入り、少しずつ奥まで広がっていきました。
コンコン、コンコン、簡単に割れる所と、いくら叩いてもびくともしない所があります。氷って意外に頑丈です。手のひらがジンジンと痛んできました。
なので、しまいには棒を両手で持って上に振り上げ、鍬のような感じで思いっきり振り下ろしてみたり、いやあ、なかなかの重労働です。
普段、いつも頼りっきりだったジムの、彼しか知らない苦労が身にしみました。
とりあえず粉々になったので、上り下りする真ん中の部分だけ空けて、油断しないように、氷を両端に掃き固めておきました。
凍ってたんだよ!気をつけてね!というお知らせです。



寒い所で、自分の持ち家で暮らすとなると、こういう事細かいことにも全部責任を持たなくてはならないのだなあ。
腰をゆっくり伸ばしながら、そんなことを思いました。
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露天風呂

2009年01月28日 | ひとりごと
「人生明るく楽しく!」
これをわたしの耳元で、それはそれはしつっこく繰り返し言い続けた友人M。
その頃、全然明るくも楽しくも無かったので、最初はそれが気に障って仕方がなかったのだけど、そのうち呪文のように耳慣れしたのか、気にならなくなったばかりか、自分もそう信じ込んでしまったようです。

Mは、着かず離れずの、もちろん気は合うけれど、そうかといってベッタリでもない、友人であり、その頃は仕事仲間でもありました。
不思議なことにMは、わたしがなにか大きな決心をしようとするとススッとやって来て、全く違うことをしたり話したりするのだけど、
そうこうしているうちに、わたしの中ですっかり決心が固まってたりすることが何回かありました。

「まうみ、露天風呂に行こ!」
いつものごとく、底抜けに明るくそう言った彼女の手には、露天風呂特集が掲載された雑誌が数冊。
その頃、離婚をするかしないか、家族を悲しませることと失う物の大きさに恐怖を感じていたわたしは多分、彼女の目には暗~く見えたのだと思います。
「露天風呂なんてぜぇ~ったいにイヤ!」
「なんでぇ~?」
「人前ではだかになんかなれへん!」
今ではやっと、それなりに病的ではなくなりましたが、その頃のわたしはまだ、偏狭的病的はだか恐怖症だったのです。
もともとはだか恐怖症(というより過度のコンプレックスの持ち主)だった上に、息子達の出産でおへそから恥骨までの長く太い手術後のケロイドも加わり、
家風呂の着替えを家族の前でさえもできないのに、公共の、しかも露天でなんて、年末ジャンボ宝くじで1等賞が当たっても無理!(1等賞やったらちょっと考えるか、な?)

ところがMはしつこかった。きっと彼女の勘だったんでしょう。なにがなんでもまうみを露天風呂に連れていく!すごい気迫でした。

根負けして決めた所は、秘境も秘境、ほんまにそんなとこにあるんかいな~と、着いて実際にこの目で見るまで心配し続けたほどの、山の上の温泉でした。
建物にはなんの愛想もなく、焦げ茶色の木造の、所々建て増しをした形跡がはっきりと分かる古ぼけた宿でした。
案内された部屋はとても狭く、真ん中にポツンと小さな真四角の炬燵が置かれていて、部屋の隅っこに積まれた座布団もボロボロ、
思わず、南こうせつの『神田川』の世界にすっぽり入り込んでしまうような風情が漂っていました。
「とりあえず来るには来たけど、わたしゃ絶対に風呂にゃ入らんからね」
「またぁ~、そんな頭の固いこと言うてたら老けるで~」
などと、炬燵に足を突っ込みながら言っている所に、夕食が運ばれてきました。
山菜料理にお吸い物に……うん?なんでしょこれ?
「あ、これですか、イナゴの唐揚げですよ、珍味、美味しいですよ」
イ、イナゴ?!あの、バッタみたいにビヨ~ンと跳ぶやつ?!
「お客さん、初めて?」
「あ、はい、まあ、初めて、です」
「そりゃもう、食べてもらわにゃいかんわ。残さんとってね~」
向かい合って、ジィ~ッとイナゴを見つめるMとわたし。残さんとってね~って、そんなこと言われても……ともじもじしていると、ガシガシ!え?!
Mの口からイナゴが半分露出していて、しかも揺れてます!
ぎゃ~!!あんまりびっくりして、わたしも思わずガシガシ!うまくねぇ~!
お茶をゴクンと飲み干してから、お互いの顔を見、「食ったな」「うん、食った」……どっちの目もかなり据わっていました。
その時突然、わたしの考えが変わりました。入るわ、露天風呂に。イナゴパワーだったんでしょうか?

まず手始めに、せめて脱着の囲いのある所からってんで、スティーム風呂と名がついている所に行きました。
Mは、初めてのわたしのためにまずは見張り役をやると言って、掘建て小屋のような粗末な扉の前で、わたしの浴衣を持って待っていてくれました。
真っ裸になって中に入ると、もう何も見えません。ものすごい湯気と熱気で瞬間に参ってしまい、すぐに出ようと外に居るMに声をかけました。
ところが向こうには聞こえないのか、まるで応答がありません。
わたしはすっかりパニックになってしまい、扉の方に向かって手探りで小屋の中を歩きながら、「熱いよ~出してよ~」と叫んでいました。
ようやく扉が開き、少し灯りが差し込んだ方に向かって突進したわたしは、びっくりしているMの顔に自分の顔を寄せ、「次行こ、次!」と命令したのでした。

次は、長四角に仕切られてあるだけの、扉無しのトイレのような小部屋に、四角く穴が掘られているお風呂でした。
わたしはさっさと、Mを待つこともせず、浴衣をはらりと脱ぎ(下着はいちいち面倒だというのでつけていませんでした)ドボン!
ギャア~!熱つつつぅ~!
とんでもない熱さです。お尻が日本猿です。足の裏だって、体の中で1番分厚い皮なのに我慢できない熱さです。
たまらず立ち上がって風呂から飛び出すと、浴衣姿の男性客がちらほら。見たけりゃ見なはれ!こっちは火傷しそうなほど熱かってんから。
いったい以前のまうみはどこに行ってしもたのか……さすがのMも、あまりのわたしの急変にオロオロし始めました。
「ちょっとお尻を冷まさなあかん」
雪がうっすらと残る岩風呂に入り、川のほとりの穴風呂に入り、月見風呂に入り、すっかり露天風呂の楽しみに目覚めたわたし。

最後に行き着いたのは、なぜか15メートル以上はありそうな露天プール。更になぜだか、そこの着替え場の上には裸電球がついていました。
もうその頃には、浴衣を着るのも面倒になって、しっかり前を合わせないまま次の風呂へ移動するほどに大胆になっていたわたし達、
なんの躊躇もなく、パアッと景気良く脱いで、バシャバシャと楽しく泳いでいると、そこにうら若き女性2人がやって来ました。
「いいですかぁ~」
「もちろん、どうぞどうぞ、一緒に入りましょ」
彼女達が電球の下で浴衣を脱ぎ始めたのを見て、すごいことに気がつきました。
そのプールの周りをぐるりと囲むように宿は建っていて、その2階の部屋の窓という窓に、男性客がイモリのように張り付いているのです。
彼らの口元の窓ガラスがどうしても曇ってしまうので、時々手のひらでゴシゴシしながら、目はプールに集中しています。
若手2人が加わったのを目ざとく見つけた連中が、後ろを振り向いて、部屋の向こうにいる仲間に手招きしているのも見えました。
ふん、エロ河童どもが!
背泳ぎ、クロール、平泳ぎ、これって正しいのか正しくないのか、そんなことより今の自分がどうしたいのか、それでいいやん。
うす青い湯に、鯉のぼりみたいに大きなウロコ模様の白い線が揺れていました。

翌日、山の景色を逆に辿りながら麓の町に降りました。
「またいつか、ここにMと来れたらいいな」
Mは、そんなことを言うわたしを嬉しそうな顔で見ていました。
わたしは胸の中で、そっと、けれどもきっぱりと、何かが決まったのを感じていました。


今日も雪が降り積もりました。
窓から外の景色を見ていて、ふと思い出した露天風呂のお話でした。


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米国正露丸事情

2009年01月27日 | 米国○○事情
昨夜、寝る直前に、爪楊枝で歯をチクチク突いていた旦那。
突然「うっ!」と言ったかと思うと、バスルームに入っていきました。

しばらくして台所に戻ってきた旦那と一緒に、強烈なあの匂いが!
それと同時に、わたしの頭の中には「パッパパパッパ、パッパパパッパ、パァ~パパッパッパッパッパァ~」のラッパの音が!

シンクの前に立って、指先で慎重につまんだ正露丸に、同じく慎重に爪楊枝の尖った先を突っ込んで削り取る旦那。
その後ろ姿、まるで切腹前の武士のごとく、悲壮な真剣さに満ち満ちています。

前に1度失敗して、正露丸のかけらをあちこちに飛ばしてしまったことがあります。
キッチンに敷いてあるラグは、ごっつい植物で編んだ物なので凸凹していて、小さな物が凹の部分に入り込んじゃうとなかなか取り除けません。
それで、しばらくの間、その、胡麻粒の半分もない正露丸から、強烈な匂い攻撃を受けながら過ごした思い出があるのです。

爪楊枝の先っちょに、ちんまりとくっついた正露丸を、旦那はおもむろに、ゆっくりと、痛んだ歯の穴に詰め込みます。
これが我が家の虫歯対策。えっへん!

ちゃうでしょ、そりゃ。
まずは虫歯にならないよう、歯をちゃんと磨いてフロスして、それでもなにか問題が出たら、さっさと歯医者に行くのが正しい虫歯対策でしょ?

分かってますよ。
でもね、毎月10万近いお金を支払っている健康保険、歯と目は効かないんです。実費なんです。なかなか行きたい時に行ける場所じゃないんです。

オバマ~ン、早よ健康保険、日本みたいに国民健康保険作ってぇ~!!

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米国ドア事情

2009年01月26日 | 米国○○事情
昨夜またまた眠れず、小説を読んでは眠ろうとし失敗、またライトをつけ小説を読んでは眠ろうとしまたまた失敗、
湯たんぽで足元はぬくぬくと気持ちいいのに、なぜか頭が冴えて眠れません。あ~も~……。
ドツボの状態で朝起きて、ぼんやりとトーストをかじっていると、お二階の大家さんジムが勢い良く階段を降りてきて(8年居ると音で分かる)、
こともあろうに、わたしの部屋のドアをノックするではありませんか?!

「おはよ~まうみ!どう、元気かい?」と言うジムが元気そのもの。
「あれ?どうした?どこか調子悪いの?」
「いえいえ、だいじょぶっすよ(どこがじゃ!)」
「あのねえ、あと10分もしたら大工さんが来て、このドアとまうみの寝室のドア、両方直してくれっからね」
「ええぇ~!今日?」
「そう」

ピアノの部屋のドア↓は、


厚み5センチの1枚板で作られていて、それはそれは重くて、大人の男性1人では持ち運べません。今年190才になられます。
高さは多分2メートル30センチ以上、もうこんな規格のドアはこの世には存在しないということで、替えがききません。

このドアは、わたしの生徒達の間でとても有名です。
どうしてかというと、空気が乾燥している日はまだマシなのですが、少しでも湿気ると、全身の体重をかけて押さないと閉まらないからです。
明後日の水曜日は自宅レッスンの日なのですが、部屋の外側に、押しちゃダメだよという注意書きを貼っておかなければなりません。
でないと、いつもの調子で思いっきり体重をかけて押してしまって、部屋の中に転がり込んで来る子ばかりになりそうです。

さすが大工さんです。ドアを外して回りをきれいに削り、蝶番を補強して、とてもスムースに開閉ができるようになりました。
でも……。
ドアの下からすきま風がスウスウ~、ひぇ~!さびぃよぉ~!
この部屋は、窓から、元暖炉があった所から、すでにすきま風だらけなんです。これ以上のすきま風はお断りです。



写真がひっくり返っていますが、とりあえずの応急処置に、ドアの足元に布を置いてみました。
明日もし時間があったら、隙間を埋めるテープかなにかを探して来ようと思っています。

寝室のドアは、上の蝶番が既に外れてしまっていて、ドアを開け閉めするたびに、ドアのノブをしっかり持って力一杯持ち上げないといけませんでした。
けっこう腕の筋トレになるなあ、なんて思いながら、もう何年もの間、毎日毎回そうやって開け閉めしていました。
今夜、部屋に入る時、癖で持ち上げようとしてしまい、思わず苦笑いしました。
こんなにスッと開いたり閉まったりするドアって、なんだか物足りないなあ。


おまけです。
ヒーターの囲いの上で、猫ベッドからベロ~ンとはみ出てとろけているショーティ。
気持ちは分かるけど、頭寒足熱に反してるぞぉ~、体に良くないぞぉ~。



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日曜日のオムレツ

2009年01月25日 | ひとりごと
再び、日曜日の朝の、旦那が作ってくれたオムレツ登場です。



焼き上がったオムレツの上に、ディルとパセリをたっぷり乗せていただきました。

近所の手作りパン屋さんのウィリアム氏が焼いた美味しいパンに、二階の大家さんからもらったバター(昨日うちのが完全に無くなりました)をたっぷり塗り、
旦那の入れてくれた美味しいコーヒーでカフェオレを作っていただきました。


昨日の夜、フンフンといつものごとくインターネットで家探しをしていたら、なんと!この1週間のうちに、わたしのリストに載せていた50軒近くの家の3分の2が売れていました?!
へ???

なので、マイナス4℃ではありますが、オープンハウス見学しに出かけようと思っています。

「ここから引っ越してしもたら、今朝みたいに急にバターが切れてるのに気がついても、お二階さんからお裾分けしてもろたり、焼きたての美味しいパンを買いに行ったりできんようになるなあ……」
「まあ、新しいご近所さん次第。もしかしたらラッキーかもしれんで」

なんてことを言いながら、美味しい朝食をいただきました。




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Resist-A-Ball

2009年01月24日 | ひとりごと
なんのこっちゃ分からん方々、なんのこっちゃありません、ただのゴム製のでっかいボールです。ストレッチや筋力トレーニングなどに使います。

今日はこのボールを使った運動の講習を受けに、またまたYMCAに行ってきました。そうです、『The Biggest Looser』のポイント稼ぎです。
体重ではあまり貢献できそうにないわたしは、こういう特別講習(5ポイントもらえる!)に参加して、なんとかグループのお役に立とうと思っています。

小さな部屋に現れたのは、ムキムキの、下まつ毛が濃い(このタイプの人って、目の周りをアイライナーでぐるりと書いたように見えます。それがどうした?ってことなんですけど……)、思いっきりイタリアンの男性でした。
自分の身長に合ったボールを選ぶことが1番大事だと聞き、周りをぐるりと見回すと、無いやん……。
すでに心地良さそうに10名ぐらいの参加者がボヨンボヨンしながら座っているボール以外の物は、わたしにはデカい。
仕方が無いので、少し大きめのボールに座りました。

講習が始まり、いろんな定位置を教えてもらい、ボールは部屋の中をグルグル、わたし達はそのボールから落っこちてなるものかとヨタヨタ、なかなか楽しくもトホホなクラスでした。

ピラテスと同じような姿勢をしていても、体が接触している所が床ではなくて丸いボールなので、すぐにフラフラしてバランスが崩れてしまいます。
なので、同じ運動でも、使う筋肉が違ったり、他の部分も同時に使わなければならなかったりして、
それをトレイナーのマイケル氏はとても嬉しそうに「だろ?な、違うだろ?ほれほれ、そこんとこ分かってもらいたいわけよ、こちとらはさ」とご満悦。
ボールと格闘しているこちとらとしては、お腹ピクピク、太ももワナワナ、早よ休みたい一心で彼の号令を待っているのに……。

彼とボールの蜜月のような仲の良さには感動しました。
ボールは彼から片時も離れず、彼もボールの上でありとあらゆるポーズを取り、部屋の中を自由自在に動き回ります。
サーカスみたい……。
アイライナーをくっきり引いた彼が、スポットライトの中でクルクル回っているのを想像しながらぼんやりしていると、
「はい君、やってみて!」と、いきなりブリッジのポーズを要求されてしまいました。
慌てて座り姿勢からズルズルと下り、頭だけがボールの上に乗っかる所までずらしていったつもりがドスンッ、いててぇ~!
見ていた皆さん、どうもお騒がせいたしました。別にどうってことございませんです、これがまうみ的人生の一こまです、ご心配なきよう。

我が身を呈して、クラスの皆さんに和んでいただいたのでした
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事件の詳細

2009年01月23日 | ひとりごと
21日の夜に、息子Tから聞いたまんまの話を載せたままになっていたので、その後CNNの報道から分かったことを追加します。


『中国の女性留学生を刺殺、同胞の大学院生逮捕 バージニア州』

バージニア州にあるバージニア工科大当局者は22日、中国から留学中の女性大学院生(22)が21日夜、大学内のレストランで中国の男子大学院生(25)にナイフで襲われ、死亡したと述べた。

地元署は容疑者を逮捕した。犯行の動機は不明。目撃者によると、知り合いともされる2人が言い争っていたなどの事実はなかったという。いきなりナイフで襲い掛かった可能性がある。

同大では2007年4月16日、韓国出身の男子学生が銃を乱射、計32人を殺害し、自らも自殺する惨事があった。今回の刺殺事件はそれ以降、キャンパス上で起きた初の殺人となった。


あの惨劇の前日、わたしは50才になった誕生日を祝ってもらっていました。
友人や旦那の両親、それから姉一家もお祝いにやって来てくれた中、息子Tだけが居ないのが少し寂しかったわたしでした。
その日は大雨警報が発令されていて、あちこちで洪水が発生し始めていたにもかかわらず、大勢に祝ってもらった幸せをしみじみと感謝しました。
町で1番美味しい(とわたし達は思っている)日本レストランから、おまけ付きのお寿司を取り寄せ、友人の歌手に歌をリクエストし、いろいろとパーティのアレンジをしてくれた旦那にも感謝しました。
歌手のスポウドはイギリス人。とても大変そうだけど、ずっとミュージシャンで通しているシンガーソングライターです。
その日は、丁度できたてホヤホヤの、雨の日にぴったりの、そしてとても温かな詩を歌ってくれました。今もそれはわたしのテーマソングです。

そんな、とても印象に残る幸せな1日を終え、翌日キッチンで朝ご飯の片付けをしていると、
「まうみ、ちょっと、TVつけて!」という、旦那姉のとても緊張した声が受話器の向こうから聞こえてきました。
何事かと思ってTVを急いでつけると……とんでもない事件の報道が目に耳に飛び込んできました。
画面には、見慣れた校舎や寮が映っていました。それになぜだか、4月中旬だというのに雪が降っていました。
それを見て、あれ?これは何ヶ月か前の映像じゃないの?なんて思ったりしました。
でも、それは昔の映像なんかじゃなくて、2007年4月16日その日の、とても信じられない事件を報道する映像でした。
慌ててTに電話しました。
「もしもし、あんた、今どこ?」
「え、寮の部屋」
「大丈夫?」
「うん。けど、警備か警察か分からんけど、えらい勢いで寮に戻されて、それからいきなり部屋から出るなって言われてるから、トイレにも行けへん」
「何が起こったか知ってんの?」
「知ってる。東洋人の学生が銃で何人か殺したらしい。エンジニア科の教室で」
「あんた、そこにはおらんかったんやろ?」
「今朝のクラスはそこと違た」
そこまで聞いて、ようやく胸の動悸が少しおさまりました。
「あれ?なんか窓の近くでライフル構えてる人居るわ」
「なに言うてんの!あんた、部屋のどこで居るん?窓から離れなさい!どこでもええから死角になるとこで居なさい!」
Tの部屋は寮の1階で、初めの事件があった寮の隣りなのでした。
その時はまだ、犯人の学生がどこで何をしているのかさっぱり分からず、画面からは乾いた銃声がパンパンと聞こえたりしていました。
完全にパニック状態になったわたしに代わり、旦那が冷静な声でTにいろいろと話しかけていました。

犯人が韓国人学生だということが分かり、名前がTのルームメイトと同じだったこともあり、一瞬声も出ないほど驚きましたが、
Tは、同じ東洋人学生として、こんな事件を引き起こした後の、周りの目が気になると心配し始めていました。
わたしは、「そんなことを心配する必要なんか無いよ。あんたが居るのはどこやと思てんの、アメリカやで」と断言しながら、心細くなっているTの気持ちを思うと胸が苦しくなりました。
事件の詳細が報道されるのとほぼ同時に、『この件がもとで、民族的差別や非難が発生しないよう、大学、学生は全力を尽くして対処する』という声明が出されました。
その声明を受けて、大学がある町の住人総出の支援が始まりました。
この国は若いけれども、大人が大人である、という気がしてなりません。間違いも犯すけれど、そういう時も大人が大人であると、物事がおかしな方向に進んでいかないような気がします。まあ、一部の政治や軍に属している大人には当てはまりませんが……。

日本の新聞社はこぞって日本人学生を探し出し、Tにも取材の申し込みが殺到し、何社かの記事には載りました。
わたし達には「ほぅ」とか「まあ別に」とか、およそ大学生とは思えないようなことしか返してこないのに、しっかりと意見を述べているのを読んで、こんなに外面がええのやったら心配ないか、などと思ったりもしました。

事件後の、まだ傷跡がくっきりと残り、被害者の家族や友人達が抱き合い、慰霊の石が丸く置かれたキャンパスの重く悲しい空気を思い出しました。

どんな事があっても、どんな思いでいても、人が人の命を絶ってはいけない。
実際に、何回か、絶ちかけてしまったわたしからの、心の底の底からのお願いです。

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録音でも生でも

2009年01月23日 | 音楽とわたし


【ワシントン=鵜飼啓】オバマ米大統領の就任式に集まった約200万人が耳にしたチェロ奏者ヨーヨー・マさんらによる演奏が実は録音だった、と米紙ニューヨーク・タイムズが23日、報じた。
マさんらは現場で演奏したが、会場のスピーカーには録音分が流された。

就任式典の上下両院共同委員会の報道官が同紙に対し認めた。当日の気温は零下で楽器の調律がうまくいかず、ひびが入ったり、弦が壊れたりする可能性があったという。
録音は式典2日前に収録したもので、バイオリン奏者のパールマンさんは「最後の手段だった。かんぺきが求められる式典で、間違いがあってはならなかった」と語った。


あの日、ヨーヨー・マ氏の奏でる最初の音色が流れた時、どうしてこんな零下の外気温のもとであんな豊かな響きが奏でられるんだろうと、とても驚きながら聞いていました。
よほど性能のいいスピーカーを完璧な場所に取り付けているのだとしても、それなら風などの雑音もきっと紛れ込み易いのにと、不思議にも思いました。
そしてなによりも音程の問題を、彼らはいったいどのようにして解決しているのか、クラリネット吹きのわたしとしては更に興味深いものがありました。

弦楽器も管楽器も、演奏場所の空気の質、温度、流れにとても敏感です。
そしてその楽器ごとに性格や適応性も違うので、オーケストラやブラスバンドのように人数が多いのならともかく、
彼らのように、たった4人の、しかもそれぞれが全く違う音色を持った楽器を演奏するとなると、かなり条件の整った空間でないと、とてもじゃないけど良い演奏にはなりません。たとえ彼らが世界的に優れた演奏者であってもです。

だから、パールマン氏のおっしゃった『最後の手段』という言葉には、心から賛成します。
あの時流れた音色と演奏は、たとえそれが数日前に行われた録音によるものであったとしても、
あの、世界にとっても特別な日を祝うものとして、多くの人々の胸に深くしみ通った素晴らしいものであったと思います。
そして、一部の者ではあるけれど、楽器を演奏する人間なら誰しも、彼らの選択は全く間違っていなかったと断言すると思います。

お願いだから、北京オリンピックの、少女の心を踏みにじるような結果になった口パクや、タレントなどの口パクなどと同じように考えないで欲しいです。
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