外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ヌスラ戦線指導者アブ・ムハンマド・ジューラーニの素性と、寿司屋の三毛猫

2015-06-18 00:37:38 | 中東ニュース


ラマダ-ン・ムバーラク!
イスラームの断食月ラマダーンが開始しました。
ムスリムの皆様、おめでとうございます。
18日から断食開始。日没後にタムル(デーツ)の出番がくるね、うふふ・・・


さて、今回はシリア反体制派のアルカーイダ系「ヌスラ戦線」のアミール(指導者)アブ・ムハンマド・ジューラーニの素性がテーマ。
(アルジャジーラが5月27日に放映した彼のインタビュー番組については、こちらを参照)
なお、末尾に猫写真を載せるので、中東情勢に興味がない猫好きの方は、そちらだけでもご覧くださいませ。
中東情勢にも猫にも興味のない方は・・・せめてどっちかを好きになって!(妙な二者択一)


「どうにでもして」のポーズのミケ



ロンドン発のアラブニュースサイト「ハリージュ・オンライン」の6月11日付けの記事を見ると、
「アルジャジーラがヌスラ戦線指導者アブ・ムハンマド・ジューラーニの素性を明らかにした」とある。
2012年のヌスラ戦線結成以来、ずっと謎に包まれていた彼の正体が明らかに?!これは聞き捨てならないにゃ~。
というわけで、この記事の内容を要約して、以下にご紹介しよう。
(なお、情報元のアルジャジーラのサイトの方もチェックしようとしたが、なぜか関連記事が見られない状態だった。私への嫌がらせなのか、アルジャジーラよ)

(記事要約)
ヌスラ戦線指導者アブ・ムハンマド・ジューラーニの本名は、オサーマ・アブシー・ワーヒディー。
1981年にシリア北東部デリゾールのシャヒールで生まれた。ただし、家族は元々イドリブ県出身。
父親は軍用住宅局の運転手として働いていた。

ダマスカス大学の医学部に2年通ったが、2003年のアメリカのイラク侵攻開始後、学業を放棄してイラクに入国。
ヨルダン人のザルカーウィ率いるアルカーイダ・イラク支部に参加した。

2006年にアメリカの空爆でザルカーウィが死亡した後、イラクを出てレバノンへ移動。
そこでアルカーイダ系の「ジュンド・シャーム」の軍事訓練を指導したとみられている。

その後レバノンからイラクに戻ったが、アメリカに逮捕されて南部のブッカ刑務所に収監された。
2008年釈放後、「イラクのイスラム国」(2010年5月にアブ・バクル・バグダーディが指導者に就任)に参加。

2011年3月にシリアで反体制運動が勃発したことを受け、同年8月シリアに帰国。
2012年1月にアルカーイダ傘下の「ヌスラ戦線」を結成して、今に至る。
ヌスラ戦線はシリア反体制派の中で最強の集団のひとつである。

2013年4月、アブ・バクル・バグダーディがヌスラ戦線との合併を宣言し、
新組織名を「イラクとシャームのイスラム国」としたとき、アブ・ムハンマド・ジューラーニはこれを拒否し、
アルカーイダのザワーヒリ指導者に再度忠誠を誓った。
それ以来ヌスラ戦線は、「イスラム国」(2014年6月に「イラクとシャームのイスラム国」から改称)の戦闘相手となっている。

http://alkhaleejonline.net/#!/articles/1434030656918632800/


(以上)

ジューラーニ、やっぱりずっと年下だったか。声と喋り方の感じから、そんな気がしてたんだよな。(だったらどうなんだ)
ちなみに、写真は公開されなかった。今後のお楽しみってことかしら?


では、猫写真を~。


ボケててすいません。近所の商店街の脇道、寿司屋の向かいでミケさん発見



その付近にもう1匹ミケが。姉妹か?



私が最初の1匹をなでている間に



もう1匹は道路を渡り



古めかしい寿司屋の前でスタンバイした。
後で出てきたこの店のおかみさんに聞くと、三毛猫の母子計5匹に毎日エサをあげているとのこと。私も混ざりたい(もちろん餌をもらうほうで)



撫でまくられて、すっかり気を許している様子



両足がこんな状態に



うちの近所は猫スポットが多くて散歩が楽しいな~










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タムル(デーツ・なつめやし... | トップ | 雑種のホンムス・アラブ風ピ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中東ニュース」カテゴリの最新記事