庭でヤギを屠る人たちと、生き延びたヤギ、そして肉のおこぼれを待つ猫。
「完ぺき」という言葉を体現するもの、それはうちの大家さんの奥さん、イマーンさんの料理である。正確を期すなら、それは「完ぺきな家庭料理」だが。
大家さん一家は私のアパートの階上に住んでいて、しょっちゅう彼女の手料理のおこぼれにあずかるのだが、一度として味つけが濃すぎたり(または薄すぎたり)、煮込み具合が足りなかったりしておいしくなかったためしがない。アラブ世界に暮らして2年余りになるが、いままで食べた中で彼女の料理が一番おいしい、このアパートを借りることにしたのはホントに正解だった、と自分の「借家運」の良さを実感する日々である。
イマーンさんは40代半ば、娘1人(結婚してサウジアラビアに在住)と息子2人の母親で、週2回アル・アクサー寺院に、コーランの読み方のレッスンを受けに通っている敬虔なムスリマ(イスラームの信徒の女性)である。
彼女は「私は食べるのが好きでやめられない、中毒患者なのよ」とこぼす。実際彼女は太っているというほどではないにしても、ぽっちゃりとして頼りがいのありそうな、アラブのお母さん体型である。自分は食べ物にあまり執着がなく、料理はいつもテキトーにやる、と私が言うと、「あなたは自由でいいわねえ、うらやましい!私は夫と息子2人を食べさせなきゃいけないから、毎日料理しないわけにはいかないし、作ったらいっぱい食べちゃうし・・・」、とため息をつくのだった。あんな美味しい料理を毎日作ってたら、そりゃ食べすぎて太るだろうよ、と私も思うが、それにしては彼女のだんなさんと息子たちは全然太っていない。一体なぜなんだろう。
本当のところは、私だって食い意地が張っているし、料理もけっこう好きなのだが、最終的に、「おいしいものを食べるためにエネルギーや時間やお金を費やす」ことにあまり興味が持てないのだ。私にとって、料理がおいしいかおいしくないかは結果の問題であって目的ではない。もちろんおいしいに越したことはないが、まずくても別段差し支えないのである。ともあれ、美味しい手料理がタナボタ式に転がり込んでくるのは大歓迎なので、「今日ナニナニを作ったんだけど、食べる?あなたもう食事した?もしまだだったらどうぞ。」と声をかけられたら、食事が済んでいようがいまいが条件反射で、「もちろんいただきます!あなたの料理はいつもおいしいもの。ありがとう!」と即答することにしている。
イマーンさんは私の顔を見ると「あ、食べ物をあげなきゃ」と思うらしい。私がなにかの用事で彼らのアパートを訪れたら、必ずなにかしら食べ物を分けてくれるのだ。鍋に料理が残っていたら温めて皿に盛ってくれるし、そうでなくても台所をごそごそ探して、果物やお菓子を持たせてくれる。私がしばらく彼らを訪れないでいると、下の息子をお使いによこして、うちまで料理を届けてくれるのだ。そのせいか、パレスチナに来てからなんだか太ってしまった。冬が来て食欲が倍増したせいもあるが、それにしてもお腹が苦しくて仕方がない。子供もいないのにお母さん体型になっても困るんですけど・・。イマーンさんは庭にやって来る野良猫にもいつも餌をやっているが、私を餌付けするのもその延長上なのかもしれない。
今まで食べた彼女の料理の中で、私が気に入ったベスト3を選ぶとするなら、1位はなんといってもヤギ肉の煮込み、2位はザアタルとチーズのパイ、3位はマンサフというところだろうか。
1.ヤギ肉の煮込み
この料理は、イスラムの犠牲祭(イード・ル・アドハー)のときにご馳走になった。このお祭りの間、羊や牛などを殺して神に捧げ、肉や皮の一部を貧しい人に施すのは、ムスリムの義務のひとつである。羊を屠るのは以前見たことがあるが、ヤギはこれがはじめてだった。
今年の犠牲祭は、パレスチナでは11月16日から19日までであった(太陰暦であるイスラム歴によって定められるが、国によって開始日が1日ずれたりする)。うちの大家さんはイードの1週間ほど前にヤギを3匹購入し、そのうち1匹を犠牲としてアッラーに捧げ、残り2匹は庭の囲いの中で飼うことに決めた。彼はニワトリも数羽飼っていて、よく庭で放し飼いにしているし、野良猫もしょっちゅう入りびたっているしで、うちはミニ動物園みたいな様相を呈している。日本人もひとりいるしね。
前置きが長くなったが、イード2日目に大家さんは親戚や息子を駆りだして、一番年上のヤギを庭で屠った。私もそばにいて写真を撮らせてもらったが、首にナイフを入れた瞬間ぴゅうぴゅうと鮮血が噴き出して、獣くさい匂いがあたりに立ち込め、なかなか迫力があった。死体の皮をはぐのを見届けた後、私は1泊2日の旅行に出かけたが、その後イマーンさんは親戚の女性たちと協力してその肉をせっせと細切れにしたそうだ。ご苦労様である。その大部分は冷凍してしまったが、残りは調理してイードのご馳走にしたらしい。翌日の夕方帰ってきたら、これはあなたの分よと言って、ご馳走の載ったお盆を渡してくれた。お皿に盛った黄色い味付きごはんに、煮込んだヤギのかたまり肉が添えてある。別のお皿に入った肉のスープも並んでいる。肉もスプーンで食べれるからね、との説明つきであった。
3時間煮たというだけあって、その肉はスプーンで簡単に千切れるくらい柔らかく、よく脂ものっていて、まろやかに口の中で溶けるのだった。ヨーグルトやタマネギで臭みを消してあるせいか、とても食べやすい。ご飯にのせ、スープをかけて混ぜながら食べる。ヤギを食べるのはこれが初めてだが、こんなに美味しいものだったとは、いや恐れ入った。
日本の居酒屋で私が必ず頼むものといえば、豚の角煮・ナス田楽・揚げ出し豆腐の3点セットであったが(つまり味の濃い、脂っこいものが好き)、豚の代りにヤギの角煮というのはどうだろう。ヤギ肉も脂っこいから砂糖醤油で煮込むと案外いけるかもしれない。調味料にみりんや酒を使わなければ、ムスリムの人たちも食べられるね!おや別に食べたくないですか、それは失礼しました。じゃあヤギの田楽とか揚げ出しヤギっていうのは?…だめですね、はいすいません。
2.ザアタルとチーズのパイ
ザアタルとは香草のタイムのことである。シリアやパレスチナではザアタルを食べる機会が多かった。ちぎったアラブパンをオリーブオイルに浸し、ザアテル・ミックス(乾燥したザアテルの粉末にゴマや他のスパイスを混ぜたもの)をまぶして食べるのだ。シンプルだがくせになる味で、広く皆に愛されている。家になにもないとき、パンとオリーブオイルとザアテル、それにオリーブの漬物などがあればこと足りるし、卵を焼けば立派な食事となる。卵を焼くのは、おかずの足りないときに急場を凌ぐための、パレスチナのお母さんの知恵なのかしら?ビリンでお邪魔した家でも、ナビー・サーレフでお世話になったお母さんもそうしていたけれど。
イマーンさんのパイに入っていたのは、乾燥モノではなくて生のザアタルの葉っぱである。私も葉っぱの掃除を手伝ったが、ザアタルの小枝を指でしごいて葉っぱをはぎとるという、地道な単純作業であった。イマーンさんはこういう作業をするときも、いちいち「ビスミッラー・・・」と小声でお祈りの文句を唱えながらやる。信心深いのである。枝は沢山あったので、けっこう時間がかかった。
その後イマーンさんはパイ生地をこねて、このザアタルの葉っぱを練りこみ、四角く形作ってから塩辛い白チーズのかけらを包み込んで、オーブンで焼いた。
ザアタルの葉の香りがさわやかで、チーズの塩味が効いた香ばしいパイであった。焼きたてが、甘い紅茶にとてもよく合う。でもこんなものをおやつに食べていたら、太るのも当然だよな。
3.マンサフ
マンサフはヨルダンの名物料理だそうだが、ここパレスチナでもよく作られ、スークでも、ジャミードの白い固まり(乾燥したヨーグルトスープの素、マンサフに欠かせない)を売っているのをよく見かける。
マンサフはベドウィン的な料理である。羊肉を煮込んで、そのスープで炊いたごはんにのせ、その上にこってりしたヨーグルトスープ(ジャミードで作る)をかけて食べる。マクルーベと同様、お客さんが来たときにつくるご馳走で、イマーンさんも金曜日に親戚を招待した機会に作っていた。彼女のマンサフは、例によってよく煮込んであるので、肉が柔らかく、スープの塩加減も絶妙。ごはんに散らしたカシューナッツがアクセントになっていて、食が進んでしょうがないのだった。
一般にアラブ人は、ちょっと親しくなると食事に招いてくれるのだが、あまり親しくない他人の家庭に上がりこんで食事をするのが、私はどうも苦手である。その点イマーンさんは多忙なせいか、あっさりとした付き合いを好み、自宅に食事に誘うのではなく「おすそ分け」という形で分けてくれるので、私としては気楽である。自分のアパートで食べると、お酒も飲めるしね!ムスリムの家はふつう禁酒なので、「ああこの美味しい料理を、お酒を飲みながら食べられたらどんなに素晴らしいことか・・・!」と身もだえして苦悩する(おおげさ)ことが多いのである。
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