ビリン村の散らし寿司タイプのマクルーベ
パレスチナでは家庭料理を食べる機会が多かった。一番の理由は、大家さんの奥さんが料理上手で、よくおすそ分けしてくれることだが、それ以外にもビリン村やナビー・サーレフで、地元の人の家に上がりこんで食事のご相伴にあずかることが多かったからである。
アラブの美食界の横綱といえばレバノン、そしてシリアであり、その洗練された前菜の数々や、種類が豊富で繊細なアラブ菓子は有名であるが、家庭料理に関して言うならパレスチナ料理だって負けてはいない、と私は思う。レストランで食べたことはない(だってお金ないもん)ので分からないが、家庭料理はうっとりするほど深い味わいで、「パレスチナ料理ってアラブで一番おいしい!」と家から飛び出してオリーブ山のてっぺんから大声で叫びたくてうずうずする!というのは誇張ですが、ともかくおいしいんですのよ。
パレスチナは歴史的に「大シリア(BILAD AS-SHAM)」の一部とされていて、シリア・レバノン・ヨルダンと共通の文化圏に属しており、方言や文化風習が似通っている。地理的に近いため、エジプトの影響もみられるようだ。だから料理もシリアやヨルダンやエジプトですでに口にしたものばかりだったけれど、ここパレスチナで食べたものが一番私の口に合った。
パレスチナ料理の代表選手は何と言ってもモロヘイヤスープとマクルーベだと思う。モロヘイヤスープは、モロヘイヤの葉っぱのみじん切りを鶏のスープで煮込んだもの。スプーンですくってご飯にかけて食べたり、パンを浸して食べたりする。モロヘイヤ特有の苦味とレモンの酸味を、コクのある鶏のだしとニンニクの風味が背後からがっしり支えた、奥行きのある大人の味で、食べだすとどうにもやめられない、かっぱエビせん的料理である。一見不気味な暗緑色の、ぬるっとした得体の知れないスープだが、これがどうして、あなどれないのである。モロヘイヤスープではエジプトが有名だが、エジプトのレストランで食べたものより、ビリン村の貧しい農家で食べたもののほうが数段おいしかった。
モロヘイヤスープがパレスチナの家庭で普段食べられる、典型的な「ケの日」の料理だとすると、マクルーベのほうはお客さんが来たときに出す、「ハレの日」のおもてなし料理だと言える。「マクルーベ」とは「ひっくり返したもの」という意味であり、大きな型に茹でた鶏肉か羊肉のぶつ切り、揚げたナス(カリフラワーの場合もある)などを敷き、その上からごはん(肉のスープで炊いてある)を詰めて大皿の上でひっくり返し、上に炒めた松の実を散らした、見た目にもインパクトのある祝祭的な料理だが、国や地域によって色んなバージョンがあるらしい。私がビリン村で食べたのは、型に詰めるのを省略して、ごはんを大皿に盛って上に具を散らした、ちらし寿司タイプのマクルーベであった。すると型に詰めたものは箱寿司?いずれにせよ手間ひまがかかるので、そうしょっちゅうは作れないようだ。そう、パレスチナ料理に限らず、アラブ料理は手間と時間がかかる!2,3時間煮込むなんて当たり前。そんな重労働を毎日毎日やるなんて、私には一生できん。アラブの女性に生まれなくて本当に良かった・・・。そんな訳で、私はアラブ料理を覚えることを最初からあきらめ、食べるほうに徹することにしたのである。
今これを書いている最中(午後2時すぎ)に、大家さんの下の息子(14歳)がやって来て、お昼ご飯がまだだったらどうぞと言って、魚の切り身のフライとトマトソースが入ったお皿を、かわいい笑顔で差し出してくれた。この子は私のお気に入りで、「こんな子供なら私も産んでもいい!」とこっそり思うほどだ。階上に住んでいる大家さんの奥さんは、よくこうやって中学生の息子経由で料理をおすそ分けしてくれるのである。パンでトマトソースをすくって食べるといいと言われたので、冷凍してあったパンを温め、紅茶を淹れる。魚を食べるのはものすごく久しぶりである。カラッと揚がった白身魚と手作りのフレッシュなトマトソースが、薄いアラブパンによく合う。昼間っから魚を揚げて、トマトソースを作るのかあ・・・やはり私はアラブ人の主婦にはなれそうにない。
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