毎日、悲惨な事件や事故のニュースが後を絶たない。
ここ最近は、そのような報道はあまり見ないようにしている。
といっても現実から逃避しているつもりはない。
現実にはそのようなことが起こっているということは十分に承知した上だが、日常生活の中にまで「負の気持ち」を持ち込まないために、なるべく悲惨なニュースは見ていない。
私の場合、悲惨なニュースや可哀想なニュースを見たり聞いたりすると、そのことがずっと頭から離れなくなってしまう。
もしかしたら、そういう人は多いのかもしれない。
3・11の大震災が起こってまもなく、胃腸の丈夫な夫が珍しく胃の不調を訴えて病院に行ったことがあった。
すると夫を診察した医師が「震災後、胃腸の不調を訴えてくる患者さんが多いんですよ」とおっしゃったとか。
連日、報道される震災のニュースを見続けて、被災をしていない人も精神的に大きなダメージを受けて身体に不調が現れたのだろう。
私は身体の不調までは行かないものの、いつもその悲しい出来事が頭の片隅に残り続け「悲しみ」や「怒り」といった負の感情が現れてくる。
虐待された子どもや動物のニュースなどは特にそうだ。
可哀想な子どもや動物のことを考えるだけで胸が塞がるような悲しみが湧き上がり、そのようなことをした者たちへ怒りの感情が湧きあがってくる。
また世界に目を向けると、不条理に殺される人々がたくさんいて、家も食べるものもない人々がたくさんいる。
そのような状況に置かれた人々は、どのような気持ちで日々を過ごしているのだろうか。
そんな考えが頭の中を巡り始めると、もうだめだ・・・徐々に気持ちが暗く沈んでくる。
しかし私が知っているのは、たった数分のテレビの報道だったり、短い新聞記事からだけなのだ。
それ以外にも、私が知らないことが、その中には当然たくさんあるはずなのだ。
悲惨な結末だったことは事実かもしれないが、もしかしたら私が想像する可哀想で悲しすぎることばかりではなかったのかもしれない。
今年の初めに「思い込みを手放そう」という目標を立てたが、まさにこれも私の手放すべき「思い込み」なのかもしれないと思う。
前にも書いたが、一個人の小さな力で世界を変えるのは難しい。
でも自分の周囲にならば、それはできる。
小さな善意や思いやりが、いずれは大きく世界を変えるのだろうと思う。
そう思いながら、暗く沈みそうになる気持ちを振り払う今日この頃。。。
ここ最近は、そのような報道はあまり見ないようにしている。
といっても現実から逃避しているつもりはない。
現実にはそのようなことが起こっているということは十分に承知した上だが、日常生活の中にまで「負の気持ち」を持ち込まないために、なるべく悲惨なニュースは見ていない。
私の場合、悲惨なニュースや可哀想なニュースを見たり聞いたりすると、そのことがずっと頭から離れなくなってしまう。
もしかしたら、そういう人は多いのかもしれない。
3・11の大震災が起こってまもなく、胃腸の丈夫な夫が珍しく胃の不調を訴えて病院に行ったことがあった。
すると夫を診察した医師が「震災後、胃腸の不調を訴えてくる患者さんが多いんですよ」とおっしゃったとか。
連日、報道される震災のニュースを見続けて、被災をしていない人も精神的に大きなダメージを受けて身体に不調が現れたのだろう。
私は身体の不調までは行かないものの、いつもその悲しい出来事が頭の片隅に残り続け「悲しみ」や「怒り」といった負の感情が現れてくる。
虐待された子どもや動物のニュースなどは特にそうだ。
可哀想な子どもや動物のことを考えるだけで胸が塞がるような悲しみが湧き上がり、そのようなことをした者たちへ怒りの感情が湧きあがってくる。
また世界に目を向けると、不条理に殺される人々がたくさんいて、家も食べるものもない人々がたくさんいる。
そのような状況に置かれた人々は、どのような気持ちで日々を過ごしているのだろうか。
そんな考えが頭の中を巡り始めると、もうだめだ・・・徐々に気持ちが暗く沈んでくる。
しかし私が知っているのは、たった数分のテレビの報道だったり、短い新聞記事からだけなのだ。
それ以外にも、私が知らないことが、その中には当然たくさんあるはずなのだ。
悲惨な結末だったことは事実かもしれないが、もしかしたら私が想像する可哀想で悲しすぎることばかりではなかったのかもしれない。
今年の初めに「思い込みを手放そう」という目標を立てたが、まさにこれも私の手放すべき「思い込み」なのかもしれないと思う。
前にも書いたが、一個人の小さな力で世界を変えるのは難しい。
でも自分の周囲にならば、それはできる。
小さな善意や思いやりが、いずれは大きく世界を変えるのだろうと思う。
そう思いながら、暗く沈みそうになる気持ちを振り払う今日この頃。。。