来た!ついにエゾリスが庭に来た!
バードテーブルに置いた鳥の餌を食べている!
下に落ちた餌を拾おうとしているエゾリス。
この後、器用に両手で餌を持って食べていたが、その姿のなんと愛らしいこと~
エゾリスの動きはとても速い!
シャッターを押したらすでに別の場所に移動していて写真に写っていなかったり、ピンボケになったりと、安いデジカメで撮るにはこれが限界だった。
(腕が悪いというのが一番の原因かもしれないが・・・)
実際はもっともっと愛らしい姿だったのに、写真で十分に伝えられないのが残念。。。
でも庭のバードテーブルに来て欲しいという願いが叶って、私は朝からウキウキしている。
一緒に見ていた次女やお姑さんもエゾリスの可愛らしい仕草に癒されていた。
最近よく感じるのは、願ったことが現実になることが多いということ。
いや、願いと言うのとはすこし違う。
ただの思考というのかなぁ、それほど強く想っていないことが現実になる。
それが、最近特に多くなってきたような気がする。
以前、引き寄せの法則という本が流行り、私もそれを読んだような気がするのだが、正直あまり内容は覚えていない。
ただ、強く、まるでそれが現実になったかのように思い描かなければいけないとかなんとかで(間違っているかもしれませんが)こんなことできないわ・・・と思った記憶がある。
昔は、色々な願望があった。
学生の頃は、背が低くなりたいとか、テストで良い点を取りたいだとか、ステキなボーイフレンドが欲しいとか、希望の学校や企業に合格したいとか・・・
社会人になっても願望はとどまる事を知らず、そしてそれは結婚して母親になってもそうだった。
長女チェリーが普通の学級でやっていけますように・・・な~んて真剣に願っていた。
それらは叶ったこともあったが、叶わないことも多かった。
そして叶わないことを思うと、とても辛く悲しい気持ちになった。
でも今は、そういうことはほとんどないかな。
というか考えてみても、それほどの強い願望、願い事がない。
こうなってくれたらいいなぁというのはあるが、どうしてもそうじゃなければ嫌だということはない。
そうじゃない方へ行ったとしても、そうなることが良かったのだろうと思うことができる気がする。
これはうまく表現できないが、自分自身の胸にいる「神さま」がそのように導いてくれていると思うからなのだが、読む人によっては宗教じみていると思われるかもしれない。
でも私は本当にそうだと思っているので、そのままの気持ちを書いている。
なぜそういう風に変わったのかというと、このままで、今の状態でも、十分に幸せだと分かったから。
とにかく思考が現実になるという事、これは誰にでも起こることであり、偶然に起こったというのではなくて、これからは多くの人が自分の思考を現実化できるようになるかもしれない。
ただし我欲のみだったり、またそれが叶うことによって他人に苦痛を与えるようなことは現実化しないのだろうと思う。
いや、もしかしたら、他人にダメージを与えるような思考も現実になるのかもしれない。
でもそれをしたら、自らもそれ以上のダメージを受けることを覚悟しなければいけない。
だからあまりにも恐ろしすぎて、私はそのようなことは考えられない。
人間の思考は現実化する。
以前は、特別な人しかそれはできないだろうと思われたことが、今は誰もができるようになってきたのかもしれない。
それを感じ始めてから、できるだけ悪いことは考えないように気をつけるようになった。
なんだかエゾリスの話から大きくずれてしまったような気がするが、まぁいいか。
それにしても、エゾリスちゃんかわいかったです。(笑)
バードテーブルに置いた鳥の餌を食べている!
下に落ちた餌を拾おうとしているエゾリス。
この後、器用に両手で餌を持って食べていたが、その姿のなんと愛らしいこと~
エゾリスの動きはとても速い!
シャッターを押したらすでに別の場所に移動していて写真に写っていなかったり、ピンボケになったりと、安いデジカメで撮るにはこれが限界だった。
(腕が悪いというのが一番の原因かもしれないが・・・)
実際はもっともっと愛らしい姿だったのに、写真で十分に伝えられないのが残念。。。
でも庭のバードテーブルに来て欲しいという願いが叶って、私は朝からウキウキしている。
一緒に見ていた次女やお姑さんもエゾリスの可愛らしい仕草に癒されていた。
最近よく感じるのは、願ったことが現実になることが多いということ。
いや、願いと言うのとはすこし違う。
ただの思考というのかなぁ、それほど強く想っていないことが現実になる。
それが、最近特に多くなってきたような気がする。
以前、引き寄せの法則という本が流行り、私もそれを読んだような気がするのだが、正直あまり内容は覚えていない。
ただ、強く、まるでそれが現実になったかのように思い描かなければいけないとかなんとかで(間違っているかもしれませんが)こんなことできないわ・・・と思った記憶がある。
昔は、色々な願望があった。
学生の頃は、背が低くなりたいとか、テストで良い点を取りたいだとか、ステキなボーイフレンドが欲しいとか、希望の学校や企業に合格したいとか・・・
社会人になっても願望はとどまる事を知らず、そしてそれは結婚して母親になってもそうだった。
長女チェリーが普通の学級でやっていけますように・・・な~んて真剣に願っていた。
それらは叶ったこともあったが、叶わないことも多かった。
そして叶わないことを思うと、とても辛く悲しい気持ちになった。
でも今は、そういうことはほとんどないかな。
というか考えてみても、それほどの強い願望、願い事がない。
こうなってくれたらいいなぁというのはあるが、どうしてもそうじゃなければ嫌だということはない。
そうじゃない方へ行ったとしても、そうなることが良かったのだろうと思うことができる気がする。
これはうまく表現できないが、自分自身の胸にいる「神さま」がそのように導いてくれていると思うからなのだが、読む人によっては宗教じみていると思われるかもしれない。
でも私は本当にそうだと思っているので、そのままの気持ちを書いている。
なぜそういう風に変わったのかというと、このままで、今の状態でも、十分に幸せだと分かったから。
とにかく思考が現実になるという事、これは誰にでも起こることであり、偶然に起こったというのではなくて、これからは多くの人が自分の思考を現実化できるようになるかもしれない。
ただし我欲のみだったり、またそれが叶うことによって他人に苦痛を与えるようなことは現実化しないのだろうと思う。
いや、もしかしたら、他人にダメージを与えるような思考も現実になるのかもしれない。
でもそれをしたら、自らもそれ以上のダメージを受けることを覚悟しなければいけない。
だからあまりにも恐ろしすぎて、私はそのようなことは考えられない。
人間の思考は現実化する。
以前は、特別な人しかそれはできないだろうと思われたことが、今は誰もができるようになってきたのかもしれない。
それを感じ始めてから、できるだけ悪いことは考えないように気をつけるようになった。
なんだかエゾリスの話から大きくずれてしまったような気がするが、まぁいいか。
それにしても、エゾリスちゃんかわいかったです。(笑)