明け方近く、久しぶりに父の夢を見た。
父が86歳で亡くなった時には痩せて身体が小さくなり、どこからみても立派な老人だったが、夢に出てきた父は60代前半くらいまで若返っていて、昔から見慣れているがっしりと大きな身体をした父だった。
夢の中で父は、元気だった頃に好んで着ていた水色のポロシャツとベージュのスラックス姿で、にこにこしながら何か話をしていた。
私は長い時間、父と話をしていたような気がするのだが、話の内容はまったく思い出せない。
しかしあまりにリアルな夢で、目を覚ました瞬間も部屋の中にまだ父が居るような気がして、父の姿を探してしまった。
父の夢の余韻はとても心地よかった。父の笑顔だけが鮮明に脳裏に残っている。
今年の春に実家を片付けた時に見た夢では、父がとても怒っていて、同じ日に妹も父が家を片付けたことを怒っている夢を見たと言うのでなんとなく気になっていた。
家の中の物を全部捨ててしまって申し訳ないという後ろめたさが妹にも私にもあって、あのような夢を見たのかもしれないが、父の後年の性格や言動などからして、家の物を全部捨ててしまったことは、父にとっては耐えられないことだったように思う。
なぜなら父が一生をかけて築き上げてきたものを捨ててしまったのだから。
父は、子供の頃から、そして成人してからもいつも空腹だったという極貧生活を送ってきた人だが、なんとか自力で大学を卒業すると、絶対に高い地位についてやるという野心を胸に仕事を頑張ってきた。
50代半ばで妻を亡くす不幸にも見舞われたが、努力が実り60代でなんとか満足できる地位につくことができた。
そして今朝の夢に出てきた父は、その頃の父の姿だった。
仕事一筋で生きてきて、やっと目指して来たものをつかみ取った頃の、たぶん仕事に関してだけで言えば、一番あぶらがのった時期だったと思う。
父には、父の娘としてたくさんお世話になり、今は感謝しかないが、その頃から私は父と話をするのが苦痛で仕方がなかった。
父の話はいつも自分がいかに力を持っているかという自慢が大半と、表面上は出世には関心を示さない男(私の夫ですが)に対する腹立たしさからくる悪口が少しで、たまに夫が昇進したりすると、大喜びをするような父だった。
まさに「男は(地位が)偉くなってこそ価値がある」というのが父の持論だった。
これが私にとっては理解できないことであり、やはり聞くに堪えなかったのは延々と続く自慢話だった。
苦労してつかみ取った地位がよほど嬉しかったのだろう。
母によれば、30代の頃の父は「仕事を辞めたい、辞めたい」と言っていたそうで、私たち子どもにはそのような姿は決して見せなかったが、厳しい仕事の世界では計り知れない苦労があったのだろうと思う。
それを理解したうえで、亡き母の代わりになって「そうなんだ、お父さんすごいねー!」と話を聞いてあげればよかったと今なら思うが、その頃はただただ嫌だった。
父の自慢話は亡くなる前、まだ話ができる頃まで続いた。
実は亡くなる時に心配だったのが、父の執着心が強すぎてすんなりと良い世界に行けないのではないかという事だった。
だから…と言うわけではないが、父が亡くなる直前に枕元で「おじいちゃん、ありがとう。今までありがとう」と声をかけ、家族がみんなで父に感謝することで、少しでも父が執着を断ち切って良い世界に昇ってくれるのではないかと思った。
父の死後、一時期は「大丈夫かなぁ」と心配したが、でも今朝の父を見て安心した。
もう大丈夫だと思う。
私自身も父の自慢話が懐かしいと思えるようになった。
お父さん、ありがとう。私たちも頑張るから見守っていてね。
父が86歳で亡くなった時には痩せて身体が小さくなり、どこからみても立派な老人だったが、夢に出てきた父は60代前半くらいまで若返っていて、昔から見慣れているがっしりと大きな身体をした父だった。
夢の中で父は、元気だった頃に好んで着ていた水色のポロシャツとベージュのスラックス姿で、にこにこしながら何か話をしていた。
私は長い時間、父と話をしていたような気がするのだが、話の内容はまったく思い出せない。
しかしあまりにリアルな夢で、目を覚ました瞬間も部屋の中にまだ父が居るような気がして、父の姿を探してしまった。
父の夢の余韻はとても心地よかった。父の笑顔だけが鮮明に脳裏に残っている。
今年の春に実家を片付けた時に見た夢では、父がとても怒っていて、同じ日に妹も父が家を片付けたことを怒っている夢を見たと言うのでなんとなく気になっていた。
家の中の物を全部捨ててしまって申し訳ないという後ろめたさが妹にも私にもあって、あのような夢を見たのかもしれないが、父の後年の性格や言動などからして、家の物を全部捨ててしまったことは、父にとっては耐えられないことだったように思う。
なぜなら父が一生をかけて築き上げてきたものを捨ててしまったのだから。
父は、子供の頃から、そして成人してからもいつも空腹だったという極貧生活を送ってきた人だが、なんとか自力で大学を卒業すると、絶対に高い地位についてやるという野心を胸に仕事を頑張ってきた。
50代半ばで妻を亡くす不幸にも見舞われたが、努力が実り60代でなんとか満足できる地位につくことができた。
そして今朝の夢に出てきた父は、その頃の父の姿だった。
仕事一筋で生きてきて、やっと目指して来たものをつかみ取った頃の、たぶん仕事に関してだけで言えば、一番あぶらがのった時期だったと思う。
父には、父の娘としてたくさんお世話になり、今は感謝しかないが、その頃から私は父と話をするのが苦痛で仕方がなかった。
父の話はいつも自分がいかに力を持っているかという自慢が大半と、表面上は出世には関心を示さない男(私の夫ですが)に対する腹立たしさからくる悪口が少しで、たまに夫が昇進したりすると、大喜びをするような父だった。
まさに「男は(地位が)偉くなってこそ価値がある」というのが父の持論だった。
これが私にとっては理解できないことであり、やはり聞くに堪えなかったのは延々と続く自慢話だった。
苦労してつかみ取った地位がよほど嬉しかったのだろう。
母によれば、30代の頃の父は「仕事を辞めたい、辞めたい」と言っていたそうで、私たち子どもにはそのような姿は決して見せなかったが、厳しい仕事の世界では計り知れない苦労があったのだろうと思う。
それを理解したうえで、亡き母の代わりになって「そうなんだ、お父さんすごいねー!」と話を聞いてあげればよかったと今なら思うが、その頃はただただ嫌だった。
父の自慢話は亡くなる前、まだ話ができる頃まで続いた。
実は亡くなる時に心配だったのが、父の執着心が強すぎてすんなりと良い世界に行けないのではないかという事だった。
だから…と言うわけではないが、父が亡くなる直前に枕元で「おじいちゃん、ありがとう。今までありがとう」と声をかけ、家族がみんなで父に感謝することで、少しでも父が執着を断ち切って良い世界に昇ってくれるのではないかと思った。
父の死後、一時期は「大丈夫かなぁ」と心配したが、でも今朝の父を見て安心した。
もう大丈夫だと思う。
私自身も父の自慢話が懐かしいと思えるようになった。
お父さん、ありがとう。私たちも頑張るから見守っていてね。