車でラジオを聴いていたらリスナーさんからの投稿で、この様な内容の手紙があった。
「私の母が学生だった頃、家が貧しくて修学旅行へ行くことができなかったそうです。その時に母は、自分に子どもができたら、必ず修学旅行に行かせてあげようと思ったそうです。だから私は修学旅行に行けて、とても楽しい思い出を作ることができました」
自分が行きたくても行けなかった修学旅行。
娘さんから修学旅行の楽しかった話を聞いて、お母さんはどんなに嬉しかっただろうと思う。
家庭の事情で自分が出来なかったことを、子どもにはさせてあげたいと思う親の気持ちはよくわかる。
私が育った家も父が仕事を変わるまでずっと貧しかった。
母も毎日パートに出て働いていたが、暮らしは大変だったと思う。
そんな中で両親は教育にはお金をかけてくれたが、やはりそれ以上は難しく私たち兄妹は親からお小遣いなどをもらったことがない。
そのような家庭は昔も今も多いだろうし、特別珍しいことでもない。また私自身もそれは当たり前のことだと思っていた。
ところが、高校生になってお小遣いを貰っている友だちがいるという事を知ってしまった。
友だちはお小遣いで自分の好きな物を買うのだが、それが羨ましいと思うようになった。
高校生くらいになると、友だちと私服で出かけることが増える。
友だちはお小遣いで買った流行りの服を着てくるのに、私はいつも同じ古い服で行くしかない。でも親に買ってとは言えない。
いつも同じ服で恥ずかしい、おしゃれがしたい。そんな想いがずっと心の中にあった。
就職してからは、自分で働いたお金で何枚でも服を買うことができたが、心の奥底には高校生の時のこの想いがずっと残っていたのだと思う。
子どもが生まれて、娘達には着たい服を買ってあげたい、自分のように恥ずかしいと思うことがないように、、、と思って、できるかぎり欲しいという服などは買い与えていた。
幸い洋服の値段は昔に比べると、ずっと手に入りやすい価格になったが、今となっては果たしてこれが良かったのかと思う。
次女なんぞは、クローゼットに入りきらないくらい洋服を持っている。多分、着ていない物もたくさんあるのではないかと思う。
幸か不幸か、娘は生まれてからあまり我慢するという経験がないので、新しい服を買っても嬉しくて仕方がないという感覚が薄い。
このようなことを見ると、果たして我慢せずになんでも手に入ることは幸せなのだろうかと思う。
ひと昔前なら、幸せとは欲しい物が手に入ることだと迷わず答えたかもしれないが、今はそうとは言えない。
というか、お金を含めて物質的なものが幸せにしてくれるということを信じている人は、ずいぶん少なくなってきたと思う。
また私も年齢のせいか、もはや欲しい物が無くなってきたので余計にそう思うのかもしれない。
自分が欲しい物を手に入れるより、子どもや夫や周りの人たちが喜んでくれることの方が幸せを感じられる。
だからラジオのお母さんも、娘さんが楽しかったと帰ってきてくれて嬉しくて仕方がなかったのではないだろうかと思う。
人は本来、他人が喜んでくれることをすることに幸せを感じる生き物であるとは、どこかで読んだような気がするし、これは正しいと思う。
だから近い将来、仕事は生活の為に仕方なくするのではなくて、他人が喜んでくれるのが嬉しいから嬉々として働くというように、意識が変わっていくような気がする。また、そうなって欲しいものだと思う。
というわけで、最初に書こうと思っていたことから、ずいぶん変わってしまったのだが、思ったことをつらつらと書き連ねてしまいました。
どうかよい週末をお過ごしください。