家の前を箒で掃いていたら、「こんにちは」という声がした。
辺りを見まわすと、ご近所の方が私と同じく箒を手に持って立っていた。
ご近所さんも外の掃除をしていて、ちょうど私が見えたので声をかけてくれたらしい。
この方とは同じ年齢であり、自然や草木が好きな所が共通していて、会うとつい立ち話をしてしまう。(たまになので、私は嬉しい)
で、今日も箒を持ったままで立ち話。
最近、彼女がハマっているという太極拳のことを聞いた。
どうしても習いたい先生が隣町にいて、一時間近くも車を運転してわざわざ習いに行っているそうだ。
「太極拳をやりだしてから、なんだかとても調子が良いの」と彼女は言った。
確かに最近のご近所さんは、とても顔色が良くてお元気そうだ。
癌が再発して二度目の手術をして、副作用に苦しんでいた頃とは、まるっきり別人のようになった。
と言うか、これが本来の彼女の姿で、病気だった頃が別人のようだったのだが、、、
「太極拳のゆっくりとした動きは、私に合っていたようで楽しいよ」という彼女は本当に楽しそうだ。
さらに彼女が始めたのは、これだけではないそうだ。
「太極拳で元気になったから、また働こうと思っていたの。それで新聞広告を見て、すぐに面接に行ったら採用になったの」と教えてくれた。
なんという行動力!
職場は介護関係で、彼女は介護の仕事の経験は無いが、ゆくゆくは資格を取って長く勤めたいという熱意を出して採用されたそうだ。
ところで彼女は、前にも書いたが私と同い年。
同い年ということは、還暦ってことだが、今から新しい職種で仕事をして、さらに資格取得を目指すとは、なんという前向きでバイタリティに溢れた思考かと、ただただ感心してしまった。
とても生き生きとして、楽しそうで、話を聴いている私まで元気をもらえる。
「だって、あとどれくらい生きられるか、わからないでしょ?癌で死ななくても、事故や災害で明日死んじゃうかもしれない。だから、やりたい事はすぐにやろうと思ったの」
癌になって、一時は死を覚悟したという彼女の言葉は心を打つ。そして、説得力がある。
生きとし生けるものは全て平等に、この世に生まれてきたら必ず死ぬ訳だが、普段は死というものをほとんど意識していない。
この世に生きて行動できる時間は、なんとなく永遠にあるように思ってしまっているが、実はそうではないことを、彼女のように大病をした方はよくわかっているんだなと思った。
明日死ぬかのように、今日を生きるという言葉を何処かで聞いたことがあるが、彼女と話しながら、今日はまた、その言葉を思い出していた。