お正月が終わり、やっといつもの日常が戻ってきた。
ここ数年はいつもの事なのだが、相変わらず忙しいお正月だった。
お正月中は長男パインが久しぶりに帰っていたので、大食いパインの為に、ある時は「食堂のおばちゃん」と化し、またある時は年末に手を傷めた87歳のお姑さんの「ヘルパー」となった。
さらに、ある時は来客をもてなす「長男の嫁」になって、そしてある時は実家の父を見舞う「娘」にもなった。
そんなわけで、お正月中はいろいろな役回りを演じなければならなかったので忙しかった。
本当はお正月はソファに寝転んで「読書三昧」をしていたいと思っていたのだけど、女優業が忙しく、なかなか読書の時間をとっている時間がなかった。
それでも深夜、眠い目をこすりながら何冊か本を読む事ができた。
読みたい本はどっさり貯めてあった。
その中から適当に取り出して読み始めたのだが、読書中に偶然なのだが同じ意味のフレーズがまったく別々の本から何度も繰り返し出てきたことは、今回とても面白い現象だった。
そのフレーズとは「私たちはみんな生まれたときから完璧で素晴らしい存在なのだ」ということ。
本によって少しずつ言い方は違っていたが、意味はみな同じだった。
以前はこの言葉を読んだとしても、あまり心に残らなかったかもしれない。
「それは理想であって、そんなことあるわけないでしょ。だって私は完璧でもなく素晴らしくもないもの」
きっとそのように思ったはずだと思う。
でも今はその言葉がとても心に沁み渡る。
本当の私は・・・そして誰もがみんな本当は完璧で素晴らしい存在なのだと思える。
このように同じ言葉でも時間が経つと、自分の感じ方が違ってくることも読書の面白さだと思う。
それにしても本当は誰もが素晴らしい存在のはずなのに、自分で自分をそう思えないことのは「思い込み」のせいだった。
小さい頃からの間違った教育、競争と比較の教育は本当の自分を奥へ奥へ押し込んでしまった。
私なんてだめな人間。
何度わたしもそう思ってきたことだろう。
その度ごとに本当の自分がどんどん隠れてしまったことに気がつかなかった。
まず自分で自分を好きになること。
そして自分自身を大切にすること。
他人を傷つけるような犯罪を犯す人は、自分自身のことも同じように傷つけている可哀想な人なのだろう。
自分自身を大切にして、さらに先祖も、他人も、他の生き物たちも大切にしていると、自分自身を信じることができるようになるのではないだろうか。
太古の人たちが本能に従って行動していたように、自分自身を信じることによって、より良い選択ができるようになっていくのではないだろうか。
以前このブログにも書いたが、パインのことを心配していた時、本当の自分は「パインは大丈夫だ」と言っているのに、私は自分が信じられずオロオロしていた。
さらに警備会社の方にまで、ご足労をおかけしてしまった。
あぁ、なんて私はダメな人間・・・
って、これが間違いなのよ~
間違ってもいいのだ。
それが今の自分。
今年は「思い込みを手放す」
これを目標にしたいと思います。ハイ。
ここ数年はいつもの事なのだが、相変わらず忙しいお正月だった。
お正月中は長男パインが久しぶりに帰っていたので、大食いパインの為に、ある時は「食堂のおばちゃん」と化し、またある時は年末に手を傷めた87歳のお姑さんの「ヘルパー」となった。
さらに、ある時は来客をもてなす「長男の嫁」になって、そしてある時は実家の父を見舞う「娘」にもなった。
そんなわけで、お正月中はいろいろな役回りを演じなければならなかったので忙しかった。
本当はお正月はソファに寝転んで「読書三昧」をしていたいと思っていたのだけど、女優業が忙しく、なかなか読書の時間をとっている時間がなかった。
それでも深夜、眠い目をこすりながら何冊か本を読む事ができた。
読みたい本はどっさり貯めてあった。
その中から適当に取り出して読み始めたのだが、読書中に偶然なのだが同じ意味のフレーズがまったく別々の本から何度も繰り返し出てきたことは、今回とても面白い現象だった。
そのフレーズとは「私たちはみんな生まれたときから完璧で素晴らしい存在なのだ」ということ。
本によって少しずつ言い方は違っていたが、意味はみな同じだった。
以前はこの言葉を読んだとしても、あまり心に残らなかったかもしれない。
「それは理想であって、そんなことあるわけないでしょ。だって私は完璧でもなく素晴らしくもないもの」
きっとそのように思ったはずだと思う。
でも今はその言葉がとても心に沁み渡る。
本当の私は・・・そして誰もがみんな本当は完璧で素晴らしい存在なのだと思える。
このように同じ言葉でも時間が経つと、自分の感じ方が違ってくることも読書の面白さだと思う。
それにしても本当は誰もが素晴らしい存在のはずなのに、自分で自分をそう思えないことのは「思い込み」のせいだった。
小さい頃からの間違った教育、競争と比較の教育は本当の自分を奥へ奥へ押し込んでしまった。
私なんてだめな人間。
何度わたしもそう思ってきたことだろう。
その度ごとに本当の自分がどんどん隠れてしまったことに気がつかなかった。
まず自分で自分を好きになること。
そして自分自身を大切にすること。
他人を傷つけるような犯罪を犯す人は、自分自身のことも同じように傷つけている可哀想な人なのだろう。
自分自身を大切にして、さらに先祖も、他人も、他の生き物たちも大切にしていると、自分自身を信じることができるようになるのではないだろうか。
太古の人たちが本能に従って行動していたように、自分自身を信じることによって、より良い選択ができるようになっていくのではないだろうか。
以前このブログにも書いたが、パインのことを心配していた時、本当の自分は「パインは大丈夫だ」と言っているのに、私は自分が信じられずオロオロしていた。
さらに警備会社の方にまで、ご足労をおかけしてしまった。
あぁ、なんて私はダメな人間・・・
って、これが間違いなのよ~
間違ってもいいのだ。
それが今の自分。
今年は「思い込みを手放す」
これを目標にしたいと思います。ハイ。