旅行の続きです。
熊本の次に行ったのは長崎で、長崎はオランダや中国の文化が混ざり合う異国情緒ある街と知っていたので、一度は行ってみたいと思っていたが、一方で行きたくない、見たくないと思う気持ちがずっとあった。
これは長崎だけではなく広島も同じで、昨年広島の尾道には行ったが、原爆の落とされた広島市には行きたくなかった。
理由は多くの方が亡くなったから。
それを言えば、広島や長崎以上に多くの方が亡くなった東京大空襲の東京や民間人を巻き込んだ沖縄も同じなのだけど、東京に行く時は、華やかな大都会に心が躍り大空襲があったことを忘れている(申し訳ないです、、)
また沖縄については、行くたびにここで多くの方が亡くなったことを思い出すが、あまりに深く悲しい心を持つのはよくないことだと、美しい海を見て切り替えることができる。
でもテレビなどで何度も見た原爆を落とされた長崎と広島だけは、悲惨な映像を何度も見てきたせいか行きたいという気持ちになれなかった。
今回、長崎に行くに当たって原爆資料館は行くのはやめようと思ったが、長崎に着いたら気持ちが変わり行くことにした。
資料館も平和祈念公園も、平日にも関わらず多くの方が訪れていて、今もたくさんのお花が手向けられていた。
歩いてみて驚いたのは、どこも明るいことだった。
それは悲惨な資料が展示されている原爆資料館の中も同じで、亡くなった方はみなさん成仏されたのだなと思った。
次に向かったのは、やはりあまり行きたくなかった(ごめんなさい)大浦天主堂。
長崎から始まったキリシタン弾圧もまた気持ちが暗くなるもので、その当時の弾圧しなければいけない事情はあったにしろ、10代前半の子どもまで処刑されたことは、とても悲しい出来事だったと思う。
島原の乱が起こった島原で玄関先にしめ縄を飾っているお宅があった。
地元の方にお話を聞くと「うちはキリシタンではないですよ」という意味で、昔から一年中しめ縄を玄関に飾る習慣があったそうだ。
人が人の命を奪うことは、もう二度としてはいけないのだと強く思った。
ところで長崎はまだ暖かくて花が咲いていた。雪の降る札幌から行くとまるで時間が逆もどりしたようで、何だか得した気分で嬉しくなる。
ちゃんぽんに皿うどんもカステラもしっかり食べて、地元の方々ともおしゃべりして大満足の旅になった。
歳をとって良かったことは、知らない人とでも喋れることで、これはおばちゃんの特権かもしれない。
そして旅行最後の夜は、どうしても行きたかったお店に行ってきた。
前に福岡に来た時に初めて入ったお店で、そこの料理がとても美味しくて、必ずまた来ようと思っていた。
どれを食べてもみんな美味しいのだけど、やはりモツ煮が一番のおすすめで、残った汁にご飯とチーズを入れたリゾットの様な雑炊が最高に美味しい。
「前に来て美味しかったから是非もう一度来たかった」とお店の方に話したら、とても喜びながらも驚いた表情で「間に合って良かったです」と仰った。
間に合ってとはどういう意味かと思ったら、なんと今月いっぱいで閉店するそうだ。
閉店前に来ることができて嬉しい一方で、もう福岡に来てもお店が無いんだという残念な気持ちもする。
ただもしかしたら店主は変わっても別の人が続けてくれるかもしれないそうで、そうなったらまた来ようと思う。
というわけで、盛り沢山で楽しかった九州の旅でした。