新しいお札を頂きに崇敬神社と氏神神社へ行ってきた。
まず崇敬する神社、相馬神社。
年々登るのがキツくなってきた急な坂道(参道)を登って行くと、本殿が見えてくる。
さっそく今年も参拝に来ることができたことに感謝の祈りを捧げた。
そして相馬神社の御神木は、今年も元気に枝を広げていた。
とても大きくて、今にも動き出しそうな御神木。
御神木にも、今年も変わりなく過ごせたことに感謝。
でも私自身については、今年はこれまでと変わったなと思うことがあった。
それは内面の変化であり、他の人にはまったく関係のないことなのだけど、自分にとって大きな変化だった。
その変化とは、神さまは遠くにいるのではなくて、いつも一緒にいるのだと心から思えるようになったこと。
昨年までは、相馬神社へ参拝に来る度に、やっと(神さまに)逢いに来ることができたという喜びでいっぱいになっていたが、今年は違う。
参拝することができた喜びは変わらないが、(神さまに)逢いに来ることができたという気持ちは起こらなかった。
なぜ起こらなかったのかと言うと、神はいつも一緒にいるとわかったからだった。
このように変わった理由は幾つかあって、ここですべてを書くことはできないが、そのうち一つだけを書くとすれば、それは毎朝の神棚への参拝にあると思う。
もう何年も行っている神棚の参拝で、大祓詞を奏上するようになってからも随分たつのだが、大祓詞を奏上している時に自分の意識が他へ行ってしまうことが、ずっと気になっていた。
大祓詞を長く行っていると、すっかり覚えて無意識でも口から自然に出て来るようになったのだが、一方で奏上しながら頭の中では他のことを考えていることが多くなった。
大祓詞は長いので、よほど意識していないと、すぐに他のことを考えてしまう。
それに気がつく度に、意識を引き戻すということを繰り返していたが、意識を常に胸に持って来るように、意識したらどうだろうと思った。
ふらふらと胸から出ていこうとする意識を、引き戻しながら続けているうちに、徐々に胸の中に留まっていられるようになり、そして誰しもが神さまと一緒にいるのだと言うことが徐々にわかってきた。
胸の奥から立ち昇ってくる黄金色に輝く暖かな光。
誰もがこの光を胸の奥に持っているのだろう。
まだまだ知らないことばかりだが、知らないことを知るという喜びは、何事にも代え難い。本当にありがたいことだと思う。