7月に帰省した弟と会った時、弟から子どもの頃に経験した不思議な話を聞いた。
弟がまだ幼稚園か小学校低学年だった頃、夜中に聞こえてくる「お経」の声で目を覚ますことがよくあったそうだ。
お経が聞こえてくる場所はいつも同じ所からで、そこは家の中の二階へ行く階段をあがった屋根裏だった。
当時住んでいたのは、木造二階建ての古い家で、私たち家族の寝室は二階にあった。
そして問題の屋根裏は寝室から近く、そこは荷物置き場になっていた。
弟が言うには「あの屋根裏は暗くて、実際は突き当りに壁があるのだけど、まるで先が見えない、どこまでも続く洞窟のような気がしていた」という。
弟に言われて思い出したのだが、それはまったく弟の言う通りで、その屋根裏は日が差さない為にいつも薄暗く、本当にどこまでも先が続く洞窟のようだった。
そしてお経の声も、たしかに私も聞いたことがあったことを思い出した。
「男性の声でお経を読む声が、あの屋根裏の奥から聞こえてくるんだ。気持ち悪かったけど、すごく良い声だった」と弟が言う。
そうだった。それは男の低い声で、今思い出すとなかなかの良い声だったかもしれない。
そんなことがあったことを思い出していたが、その古い家から私が二十歳の頃に隣の空き地に建てた新しい家に引っ越しをして、新しい家で私や母に起こったいろいろな怖い現象も思い出した。
弟は18歳で進学のために家を出たので、新しい家で暮らすことはほとんどなかった。
だから新しい家でのことは経験していない。
新しい家でいろいろと起きた奇妙な現象は、特に母と私が経験した。
あの頃は女性の霊が家にいるせいだと思っていたが違った。
男だった。
男だと思われる証拠があったのに、なぜ私は女だと思っていたのだろう。
そうだ、古い家を他人に貸した時に、母がその住人から「この家にはおばあさん(霊)がいる」と言われたことを聞いたせいだ。
母はてっきり先祖だと勘違いして「おばあさん、こちらへ来てください」と毎日祈っていた。
まったく余計なことをしたものだが、それも我が家の縁だったのかもしれない。
当時の私は怖さが極限になると、窮鼠猫を嚙む(きゅうそねこをかむ)状態で、霊に対して怒りをぶつけることしかできなかったが、今思い出してみると、かわいそうなことをしたなぁという想いが湧いてくる。
もっと早く適切な供養をしてあげればよかったが、その頃は供養の方法も知らなかったので仕方がない・・・
その後、先祖供養や床供養を知って、実家に長いこと棲んでいたものをやっと供養することができた。
今、実家ではまったく奇妙な事は起きなくなったし、何よりそのものが成仏してくれたとしたら、こんなに嬉しいことはない。
世の中には肉体が無くなっても、成仏できずにまだうろうろしているものがいる。
これは最近ほんとうにそう思う。
だから私はできる限り、自分が生きている限り、供養をしようと思っている。
弟がまだ幼稚園か小学校低学年だった頃、夜中に聞こえてくる「お経」の声で目を覚ますことがよくあったそうだ。
お経が聞こえてくる場所はいつも同じ所からで、そこは家の中の二階へ行く階段をあがった屋根裏だった。
当時住んでいたのは、木造二階建ての古い家で、私たち家族の寝室は二階にあった。
そして問題の屋根裏は寝室から近く、そこは荷物置き場になっていた。
弟が言うには「あの屋根裏は暗くて、実際は突き当りに壁があるのだけど、まるで先が見えない、どこまでも続く洞窟のような気がしていた」という。
弟に言われて思い出したのだが、それはまったく弟の言う通りで、その屋根裏は日が差さない為にいつも薄暗く、本当にどこまでも先が続く洞窟のようだった。
そしてお経の声も、たしかに私も聞いたことがあったことを思い出した。
「男性の声でお経を読む声が、あの屋根裏の奥から聞こえてくるんだ。気持ち悪かったけど、すごく良い声だった」と弟が言う。
そうだった。それは男の低い声で、今思い出すとなかなかの良い声だったかもしれない。
そんなことがあったことを思い出していたが、その古い家から私が二十歳の頃に隣の空き地に建てた新しい家に引っ越しをして、新しい家で私や母に起こったいろいろな怖い現象も思い出した。
弟は18歳で進学のために家を出たので、新しい家で暮らすことはほとんどなかった。
だから新しい家でのことは経験していない。
新しい家でいろいろと起きた奇妙な現象は、特に母と私が経験した。
あの頃は女性の霊が家にいるせいだと思っていたが違った。
男だった。
男だと思われる証拠があったのに、なぜ私は女だと思っていたのだろう。
そうだ、古い家を他人に貸した時に、母がその住人から「この家にはおばあさん(霊)がいる」と言われたことを聞いたせいだ。
母はてっきり先祖だと勘違いして「おばあさん、こちらへ来てください」と毎日祈っていた。
まったく余計なことをしたものだが、それも我が家の縁だったのかもしれない。
当時の私は怖さが極限になると、窮鼠猫を嚙む(きゅうそねこをかむ)状態で、霊に対して怒りをぶつけることしかできなかったが、今思い出してみると、かわいそうなことをしたなぁという想いが湧いてくる。
もっと早く適切な供養をしてあげればよかったが、その頃は供養の方法も知らなかったので仕方がない・・・
その後、先祖供養や床供養を知って、実家に長いこと棲んでいたものをやっと供養することができた。
今、実家ではまったく奇妙な事は起きなくなったし、何よりそのものが成仏してくれたとしたら、こんなに嬉しいことはない。
世の中には肉体が無くなっても、成仏できずにまだうろうろしているものがいる。
これは最近ほんとうにそう思う。
だから私はできる限り、自分が生きている限り、供養をしようと思っている。