くもりがちで、肌寒いような一日。
昨日の続き。
シェイクスピアとベケット・・・。
それは、演劇を志し、また演劇に携わるなら、たぶん、一度は、意識する・・・。
また、敢えてこの二人を見ないようにして、或いは、全く、気にも留めず・・・ということもあるかもしれない。
麻薬のような存在かもしれないし、ある種の通過儀礼かもしれない。
とりつかれると厄介な反面、追いかければ逃げる・・・。
無冠の帝王だった新感線といのうえひでのり氏だったが、21世紀に入るともう、彼らに追いつくことが難しくなった。
映像・ヴィジュアル・本家本元の歌舞伎俳優の起用。
新橋演舞場、日生、帝劇、新国立劇場と格調高い劇場と東宝・松竹とのコラボレーション。
新しい演出の試みもこの10年で、かなりいろいろと実験できたのではないかと思う。
そのたび、観客は、興奮し、感動し、その鬼才ぶりに目を見張った。
もちろん、その裏には、テクノロジーの進歩も見逃せない。
音声・画像・・・10年前とは、比較にもならないだろう。
そんな中で、10年一日の如く、古いシェイクスピアを上演し続ける演劇人もいる。
震災直後だけれど、
『蝋燭1本あれば、演劇はできる』
と言った演出家の方もいらした。
・・・どんな状況でも、演劇は、できる・・・。
感動を生むことは、演劇人のさだめだし、ただ、演じるだけなら、シロウトにだって可能だ。
しかし・・・。
『メタル・マクベス』の、『SHIROH』の・・・あの演劇と音楽のコラボレーションを知ってしまった観客にとって、『朧の森に棲む鬼』の、『吉原御免状』のあの凄まじいくらいの舞台を見てしまった観客にとって、もう後戻りは、できない・・・。
どうも、ここ数年・・・新感線は、低迷しているように思える。
はっきり言おうか・・・。
要するに、『つまらない』のである。
でも、他の演劇は、もっと『つまらない』。
このマンネリを新感線といのうえひでのり氏は、いつ打ち破ってくれるのだろうか?
昨日の続き。
シェイクスピアとベケット・・・。
それは、演劇を志し、また演劇に携わるなら、たぶん、一度は、意識する・・・。
また、敢えてこの二人を見ないようにして、或いは、全く、気にも留めず・・・ということもあるかもしれない。
麻薬のような存在かもしれないし、ある種の通過儀礼かもしれない。
とりつかれると厄介な反面、追いかければ逃げる・・・。
無冠の帝王だった新感線といのうえひでのり氏だったが、21世紀に入るともう、彼らに追いつくことが難しくなった。
映像・ヴィジュアル・本家本元の歌舞伎俳優の起用。
新橋演舞場、日生、帝劇、新国立劇場と格調高い劇場と東宝・松竹とのコラボレーション。
新しい演出の試みもこの10年で、かなりいろいろと実験できたのではないかと思う。
そのたび、観客は、興奮し、感動し、その鬼才ぶりに目を見張った。
もちろん、その裏には、テクノロジーの進歩も見逃せない。
音声・画像・・・10年前とは、比較にもならないだろう。
そんな中で、10年一日の如く、古いシェイクスピアを上演し続ける演劇人もいる。
震災直後だけれど、
『蝋燭1本あれば、演劇はできる』
と言った演出家の方もいらした。
・・・どんな状況でも、演劇は、できる・・・。
感動を生むことは、演劇人のさだめだし、ただ、演じるだけなら、シロウトにだって可能だ。
しかし・・・。
『メタル・マクベス』の、『SHIROH』の・・・あの演劇と音楽のコラボレーションを知ってしまった観客にとって、『朧の森に棲む鬼』の、『吉原御免状』のあの凄まじいくらいの舞台を見てしまった観客にとって、もう後戻りは、できない・・・。
どうも、ここ数年・・・新感線は、低迷しているように思える。
はっきり言おうか・・・。
要するに、『つまらない』のである。
でも、他の演劇は、もっと『つまらない』。
このマンネリを新感線といのうえひでのり氏は、いつ打ち破ってくれるのだろうか?