鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『快適』に過ごすには・・・。

2011-05-24 23:30:20 | Weblog
朝方の雨もお昼前には上り、午後の日差しは、もう夏・・・。

『快適』に過ごすには、気温は、23℃くらいで、湿度40%以下くらいだろうか・・・???
爽やかさには、一種の清涼感が必要なようで、森林の中のひんやり感は、また格別だし、高原の涼やかさは、おだやかな安堵感があるような気がする。

自宅裏は、雑木林で、自室も窓を開ければ、樹々が間近いし、住むには、割りとよいところだし、ここ数十年の開発で、宅地化も進んで、一時、『O市の軽井沢』などというちょいとステータスのあるご町内となっていることを、人づてに聞いた。

『O市の軽井沢』ったってなぁ・・・。
夏は、暑いし、冬は寒いし、おまけに、快適にすごす条件としての電気は、今年の夏は、需要に供給が追いつかないらしく、多分、よく停電なんか起こすのだろうし、そうなってくると、涼んやりだった部屋も灼熱の地獄と化し、あの手、この手で、涼を求めなくてはならないようだ。

以前、寝起きをしていた部屋は、東南角部屋で、夏の日中などは、35℃越えは、しょっちゅうだったけれど、それでも、根性の我慢大会の夏を過ごして、食は細るわ、眠れないわ・・・で、どうにか凌いで、秋になるのが、それはもう待ち遠しくて、待ち遠しくて、夏は、大嫌いな季節であった。

それでも、根性の我慢大会を辞めて、エアコンを設置したのが、3年前だったから、あまり電気の恩恵は、受けていなかった訳で、こんなことなら、さっさとエアコンを設置すれば、身体も弱らず、済んだのではないかと思っている。

貧乏性は、美徳でもなんでもなかった訳で。

今度の震災で、たぶん、二極化していくのだろうと思う。
格差社会の差は、広がるばかりで、災害にあわず、富めるひとは、更に富み、災害にあわずに貧困なひとは、そのまま貧困で、災害にあっても、富めるひとは、やはり富めるのだろうし、災害にあって、貧困なひとは、更に貧困になっていくのだろう。

そんな中、貧困ななりに、快適にすごす方法というのは、存在するのだろうか?

まず、温度湿度といった自然環境・・・コレは、かなり絶望的なような気がする。温暖化や異常気象だし、外へ出れば原発からモレ続けている?放射能を浴びて、身体は、弱って行くばかりである。

・・・となれば、そういう心配のないところへの避難だけれど、コレは、かなり資産がないと難しそうである。東南アジアとか、物価の安いところへでも避難できれば、ソレに越したことはないだろうけれど、今の日本には、こういう放射能避難民で、海外の安全で、快適な場所へ避難できる人は、どのくらいいるのだろうか?政治家、実業家、文化人、資産家・・・そんなところだろうか?

こんなクダラナイことばかり考えているが、これは、もう放射能に耐えうる強い身体を突然変異で、変わるのを、何世代か後に進化させるしか、もう生き残る道は、なさそうである。

快適にすごすより、まずは、生き残れ!