鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『王と私』③~自傷と純愛

2013-01-20 22:54:15 | Weblog
穏やかに晴れた休日は、続く・・・。


かのお隣の大陸からの内侍(宦官)の風習は、我が国には、定着しなかった。
内侍は、小児の頃から、貧しい家庭の子供を金銭で、売買する・・・或いは、貧しいまま飲まず、喰わずの生活よりは、内侍になって、宮廷に出仕する方が、将来のため・・・と親が、子を思い泣く泣く手離す例・・・そして、子供の頃から、もともとの男性機能が備わっていない子供が、教育を受けて内侍になる・・・といったパターンがあるとドラマで、演じられていた。

主人公のチョンドン(後のチョソン)は、宮廷に出仕する高官の子供だけれど、紆余曲折あって、生まれたばかりで、山中に置き去りにされる。
成人して、宮中に上がった貧乏な両班(貴族)のお嬢様に、子供の頃から、慕い、憧れ続けた、彼女を守るために、自分の手によって、去勢するのだけれど、傷口が、悪化して、二度生死の境を彷徨う・・・というところまで、見たのだった。

・・・本当に痛いドラマである。

ドラマ・・・だからなぁ・・・。
(月半ば、仕事も暇なので、相変らず、どうでもいいようなことをツラツラと考えた挙句・・・)
我が国で、似たような・・・自分の身体を傷つけて、機能不全にしてまで、恋い慕う・・・なんて、話があるのかどうか・・・益体もない・・・と思いながらも・・・。

・・・ありました。
私の狭隘な読書範囲の粗雑な記憶の中にある、かの大谷崎(谷崎潤一郎)の耽美・・・『春琴抄』であります。

傷つけ、機能不全に陥る部位は、違えど・・・盲目の美しい師匠・春琴を恋い慕う奉公人の佐助は、自らの目を針で突き差し、師匠と同じ闇に堕ちる・・・って話でしたが・・・。
(おお・・・痛そう!)

見ることを断念した佐助の脳裡には、顔に傷を負い、更に歳をとって老醜になった春琴は、存在しない・・・ハズである。いつまでも、彼の脳裡にある美しいままの彼女に、身も心も奉仕する訳で。機能不全にしたメリットは、あるにはある・・・。一種のマゾヒスティックな痛みの官能。
・・・そういったメリット(痛みの官能)の見当たらないのが、チョンドンの場合だけれど、それでも、慕い続けるお嬢様を見守るだけでいい・・・という純粋さ。
欲望も快楽も、全て、失くしてまで・・・。
いくら三能三無の星の下に生まれたからって・・・。なんだか・・・。

生身の男の証を、自分で切断してまで、御側に居たいほど、廃妃尹氏は、魅力的な女だったのだろうか・・・と、他者に傷を負わせても、なんら負担を感じないのだろうか・・・などと、相変らず、どうでもいいようなことを、つらつらと・・・考える・・・だから、コレ、ドラマですから!