午前中曇りがち、午後から晴れ。寒い一日。
どなたが、書かれたものか、全く失念していて、どの出典なのかも、さっぱり思い出せないのですが、
『当時、毎日の会社勤めと病人の介護という生活を送っており、未来には、希望とよべるものがなにもなく、就寝する前のわずかな時間に『紅楼夢』を読むのだけが楽しみだった。
あの夢とも幻ともつかぬ甘美な物語を読んでいるときだけ、現実を忘れた・・・』
というような(もしかすると、記憶が違っているかもしれませんが・・・)文章でした。
回復する見込みのないご病人の面倒を見ながら、普通に会社勤めをすること自体、大変なことだと思うし、この先、一体どうなってしまうのだろうかという思いは、常にあって、世の中の楽しみなどは、自分とは無縁に思える・・・そんなとき、救いは、一篇の長い長い物語だった・・・。
生きているのが、無意味に思えることを経験することもあるだろうし、虚しさばかりで、焦燥することも・・・、周囲は、あんなに楽しそうで、喜びに満ち溢れているのに、自分だけは、適用除外だったりする・・・そんな思いばかりに支配されてしまうとき、或いは、自分が病気だったり、身体が動かなかったりするときは、生きていて何の意味があるのだろうか・・・と思うことも・・・。
繰り返しの虚しい仕事、破壊だけの人間関係・・・そんなことに背を向けて(背は向けても、逃れることができないので)、長い長い一遍の物語の中で、現実の自分を忘れる・・・ただ、それだけが、わずかな慰め・・・。
物語には、そんな効用があったりします。
そして、この『紅楼夢』も、そんな甘美な物語のひとつなのかもしれません。
更に、本(物語)ではないけれども、眠りながら見る夢・・・それも、慰めとなるときがあります。
かくいう私も、いまそんな感じで、絶不調なのですが、そういうときには、いつも不思議な夢をみたりします。夢の中だけは、甘く、楽しい・・・。
水の上で、眠る夢・・・でした。
沈みもせず、水に抱かれるような(低反発のマットレスの上で、浮いているような)・・・ゆらゆらと揺られながら、眠り、流される夢です。夢の中で、眠りからさめると、やはり水の上でした・・・。
夢占では、眠る夢は、心身疲労、トラブル暗示・・・よくないらしいですが・・・。
物語にも、夢にも、現実から目を背けることが、難しく、どうにも立ち行かなくなったとき、わずかだけれどその緊張から逃れられる小さな出口を与えくれるものなのかもしれません。
・・・それは、精神の一時的避難所にすぎないし、一時凌ぎの鎮痛剤みたいなものでしかないのかもしれませんが・・・。
どなたが、書かれたものか、全く失念していて、どの出典なのかも、さっぱり思い出せないのですが、
『当時、毎日の会社勤めと病人の介護という生活を送っており、未来には、希望とよべるものがなにもなく、就寝する前のわずかな時間に『紅楼夢』を読むのだけが楽しみだった。
あの夢とも幻ともつかぬ甘美な物語を読んでいるときだけ、現実を忘れた・・・』
というような(もしかすると、記憶が違っているかもしれませんが・・・)文章でした。
回復する見込みのないご病人の面倒を見ながら、普通に会社勤めをすること自体、大変なことだと思うし、この先、一体どうなってしまうのだろうかという思いは、常にあって、世の中の楽しみなどは、自分とは無縁に思える・・・そんなとき、救いは、一篇の長い長い物語だった・・・。
生きているのが、無意味に思えることを経験することもあるだろうし、虚しさばかりで、焦燥することも・・・、周囲は、あんなに楽しそうで、喜びに満ち溢れているのに、自分だけは、適用除外だったりする・・・そんな思いばかりに支配されてしまうとき、或いは、自分が病気だったり、身体が動かなかったりするときは、生きていて何の意味があるのだろうか・・・と思うことも・・・。
繰り返しの虚しい仕事、破壊だけの人間関係・・・そんなことに背を向けて(背は向けても、逃れることができないので)、長い長い一遍の物語の中で、現実の自分を忘れる・・・ただ、それだけが、わずかな慰め・・・。
物語には、そんな効用があったりします。
そして、この『紅楼夢』も、そんな甘美な物語のひとつなのかもしれません。
更に、本(物語)ではないけれども、眠りながら見る夢・・・それも、慰めとなるときがあります。
かくいう私も、いまそんな感じで、絶不調なのですが、そういうときには、いつも不思議な夢をみたりします。夢の中だけは、甘く、楽しい・・・。
水の上で、眠る夢・・・でした。
沈みもせず、水に抱かれるような(低反発のマットレスの上で、浮いているような)・・・ゆらゆらと揺られながら、眠り、流される夢です。夢の中で、眠りからさめると、やはり水の上でした・・・。
夢占では、眠る夢は、心身疲労、トラブル暗示・・・よくないらしいですが・・・。
物語にも、夢にも、現実から目を背けることが、難しく、どうにも立ち行かなくなったとき、わずかだけれどその緊張から逃れられる小さな出口を与えくれるものなのかもしれません。
・・・それは、精神の一時的避難所にすぎないし、一時凌ぎの鎮痛剤みたいなものでしかないのかもしれませんが・・・。