鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

9年ぶりに、メガネを新調する。

2020-02-05 23:51:52 | Weblog

暖かい日が続く2月の初旬。どうやら明日から、寒さが、戻ってくるという予報。

 

日曜日に作ったメガネは、かけ心地がよくて、メガネ店でも、調整なしで、OKだった。

前回、メガネを作ったのが、東日本大震災のとき?だったように記憶しているから、カレコレ9年間は、同じメガネにお世話になっていた訳で、今回のメガネの度数も、右目の度数が、ひとつ悪くなっただけにとどまったのは、仕事を離れてしまったからだろうし、かといって、パソコン作業をしなくなったかと言えば、そうでもなくて、やはり、精神的な解放?というか、開放というか・・・そんなことも視力減退に歯止めをかけている?のかもしれない。

旧いメガネでも不自由はないのだけれど、やはり長年使用していると、フレームが緩くなって、ズリ落ちたりすることもあったりして、やはり、不具合と言えば、不具合なのかもしれない。

車に乗るときと、テレビを見るとき、鳥見をするとき以外は、殆ど、使わないから、外出するのに、いちいち、メガネを持ち歩くのも面倒だし、カバンにひとつ携帯しておけば、忘れて取りに行ったりという不自由さもなくなる訳で。

近視のひとは、老眼になりにくいと巷の噂であるけれど、どうなんだろう・・・と思う。

手許がよく見えないのが老眼で、書類など記入するときは、見えにくかったりするから、機械図面なんかは、もう手書きできないだろうなと思ったりする・・・もっとも、設計図なんて、いまは、みんなCADで、製図するから、線がまっすぐ引けなくても、なんの支障もないけれど、昔は、3mmごとに、直線を引く練習をやらされた・・・とことん、向いてないと思ったし、そんなことを(少し本気で)やっていた時期もあった・・・。

設計もパソコンもちゃんと目が見えてこそなんだろうけれど、老眼になってくると、読書も厳しい。

本を読まなく(或いは読めなく)なって、数年経つけれど、同じ本でも、電子本は、嫌いで、一向に好きになれない。そのうち、紙の本も淘汰されるのだろうから、本ではなくて、単なるデータになっていくのかもしれない。

紙の本に描かれる世界とスマートフォンやタブレットの中に展開する世界は、同じ活字、同じ物語でも、違うように思えてならないのは、私が、旧時代の人間だから・・・。

紙の本の上には、空間があるけれど、電子本は、なにやら平べったい起伏のない面しかないような・・・そんな気がしてならない。

目から入る文字情報には違いはないのに・・・この空間というか、一種の雰囲気を電子端末に再現することは、何故か、私には、不可能なような気がするのだった。

現在は、本を読むのに、メガネは、必要ないのは、ありがたいことなのだけど。

昔は、むやみやたらに、視力がよくて、メガネをかけているひとが、うらやましかった・・・とても理知的に見えたので。

 

そう言えば、相方は、昔から、メガネくんであった。

現在は、5本くらい所有してる(らしい)。メガネくんは、メガネがないと、ニッチもサッチも行かないらしい。

そして、メガネが良く似合っているし、雰囲気の一部になっていて、メガネも顔の一部になってしまったヒトでもある。