今日は、母の母の妹・・・つまり、母にとっては叔母(私にとっては、祖母の妹・叔祖母〔しゅくそぼ・おお叔母〕)にあたるひとの十三回忌(母のメモがあった)。
十三回忌の前日に届くよう御供物と手紙を手配。
昨日、母の従妹から、
『娘の私が、十三回忌を忘れていました・・・。』
と、お電話いただいた。
(やはり、十三回忌は、家族だけの法事なのかなぁ・・・とか思ったり。お供物を配送するのもどうしようかと、散々迷ったのだけれども、母の縁の深いい人だし・・・、母のメモ書きがでてきたのも、ちゃんと供養して、と母からの無言?の伝言だったのかもと考えて、更に母の遺した日記のような…日記というよりは、あまりも乱雑で、その日の事が、適当に書いてあるノート類なのだけれど、そのノートを調べると、やはり今年が、十三回忌のようだったので、御供物をお送りした・・・という次第)。
私の母は、7歳で、実母を亡くし、その実母の妹・・・つまり叔母を、母のように慕っていた・・・というより、既に、血縁は、母の弟とこの叔母の一族くらいだった。
母の母(つまり私の祖母)は、四人姉妹の二番目で、三十四歳で、身罷ったので、その娘の母でさえ、その記憶はないと思うし、写真もない(母の弟である私の叔父は、写真くらいは持っているかもしれないのだけれど)。
祖母の姉妹達。
長女は、都下の調布市で、その生を終えた(このひとは、老人ホームで、独り亡くなったということで、調布市は、競馬?とかで、財政が豊かなので、そういう老人の施設もよいところが多い・・・と当時は、そんな話で、私は、この伯祖母に、顔が似ている・・・と子供頃に言われた記憶があって、そのときの印象では、伯祖母は、ガリガリに痩せていて、ちょっと怖い感じだった)。
次女である私の祖母は、県央の病院で短い生涯を終えた。
三女である叔祖母(おおおば)が、今日、十三回忌なのであった。母は、生家のある県北に行くと、この叔祖母の家を訪ねていて、亡母の面影を見ていたのかもしれない。母にとっては、一番身近で、精神的な支えでもあったひとだ。
末娘も、既に亡くなっているけれど、このひとが稼業の呉服屋を継いだ・・・。この叔祖母は、私の知る限りでは、一番、母に似ているように思う。
女学校の教員で、母が女学校に通っていた頃、同じ学校に居たひとで、母とは、かなり年齢も近かったので、姉妹みたいな???感じだったのかなと思うけれど。
この程度の知識しかないけれど、母が存命中に、もっといろいろと聞いておけばヨカッタかな・・・とか思う。
最も、晩年の母は、聴力を殆ど失い、最後の2年間くらいは、筆談だったから、ソレも、たぶん、物凄いストレスだったんだよね・・・私が・・・。