くもりがちで、蒸し暑い土曜日。
梅雨らしい・・・と言えば、梅雨らしい・・・。
この1週間、あまりよく眠ることができなくて、昨日も、アップダウンの多い里山のような日動美術館とその周辺を歩いたりして、夕刻には、眠気が差してきた。
早く帰って眠りたかったのだけれど、地元に戻って、映画を見る予定だったので、帰宅が、21時を過ぎてしまった。
それで、翌日の深夜になって、ようやっと眠ることができて、昼前に起きた。
ずっとノン・ストップで眠っていた訳ではなくて、やはり朝になれば、自然と目も覚めたけれど、うとうとを繰り返し。
そして、午前中に母の夢を見た。
母が移転先に来てくれて、テレビを見ていた。
来てくれたんだね・・・と言って、私は、喜んだ。
ここは、駅からはちょっと離れているんだけれど、すぐ前の通りのバス停から、JR駅まで直通の乗り換えなしのバスが出ているから、楽だよ。
といった他愛もない夢だった。
それでも、母に会えたので嬉しかったし、何より、母がにこやかにしているので、よかったと思う夢感だった。
でもなぁ・・・。
やはり母が生きていて嬉しいのだけれど(夢の中で)、母の生存を疑っていて、やはりコレは夢であろうなと思い、ドラマとか映画なんかで、よくやるように、頬や手を抓って、痛ければ現実・・・なんてことを試していた。
実際に、痛くはなかったんだけれど、本当は痛かったから夢じゃない!って脳が、勝手に矛盾した変換していて、目が覚めて、なんだか、可笑しくなった。
『母が現実には、死んでおらず、死んだという事実は、夢である。』
・・・と私の脳は、頑なに母の死を受け容れられずに居るようなのだ。
そして、私にとって、母の生存は、『安心』とか、『安堵』・・・究極には、やはり母は、死んでいなくてヨカッタ・・・ということなんだろう。
それにつけても、久々に眠った・・・という感じで、やはり日中は、身体をある程度動かさないと、安眠は得られないのかもしれない。