東海以南、梅雨入りの発表。
今週か来週には、関東にも・・・的予報。
南の海には、台風接近中。
終日の雨の月曜日。
ここ数日間、深夜に眠ることができないでいて、昼間、うとうと・・・のパターンになってしまった。
雨で、暗いということもあって、今日も、そんな感じで。
雨は、行動をキャンセルする理由になるので、会社勤めから解放された???現在、唯一の免罪符となっている。
雨降っているから、起きなくていいや。
昔から、
『晴耕雨読』がいい・・・と思っていたので(最も、晴れて居ても、ウダウダ、グダグダ、ダラダラ・・・しているのだけれど)。
母が存命中は、雨が降れば、母は外出を諦めて、終日、家で過ごしてくれるので、その点は、有難かった。
(でも、居たら居た・・・で、結構、面倒で、じゃあ、晴れの日と雨の日は、どっちかいいんじゃい?ってコトもよく考えたりしていた。無駄なシンキング・タイムであったと今更ながら思ったりする)
脚を悪くして(というより、脊柱管狭窄で、歩くのがしんどくなってきて)、母は、寝室とそれに続く茶の間、更にその先のサンルームの三部屋を使い、散らかし放題に散らかしていて、私も、まめに掃除をするタイプでもないので、ものすごい状態になっていた(所謂ゴミ屋敷ですね)。
母は、衣類など、使わなくなったものでも取っておくので、物凄い量の衣類を、処分することになった。
身体が動かなくなる前に・・・と言いながら、80歳代になる前から、ポツポツ断捨離はしていたようだけれど、それでも、捨てきれず・・・ってトコがあったので、着ない服など、溜まりに溜まっていた。
そのうち、面倒になって、諦めたらしい。
母の言い分は、
『息子が、何も考えず、全部処分してくれるから、大丈夫。』
・・・であった。
あの息子は、薄情だし、私(母)に対しても、何の情もないだろうからね・・・。
私に対して、母は常にそう言っていた。
だから、本心を綴った日記にも、自分の息子とは、どうしても思えない時もあるなどと書いてあったり、私にも、常日頃から、そう言っていた。
そんな息子だったから、母は、自分の息子を信頼していなかったし、それだから、自分の私物もゴミとして、扱ってくれるだろう(それだけは、有難いかも・・・)と・・・。
何も考えず、全て、ゴミとして処分してくれるだろう・・・。
・・・私には、それが出来なかったので、母の亡くなった当初は、ムシ喰いで、使えない衣類以外は、処分することができなかったし、数年たって、ようやく処分できるようになって、この母の家から転居も決まり、少しづつ、手放している。