よく晴れて、風爽やか。
昨日の雨より一転。
関東の梅雨入りは、すこし延期されたかのよう・・・。
朝起きて、御天気もよいので、引越し荷物のパッキング。
母の遺品なども、処分できるものは、処分しようかと思うのだけれど、なかなか決心がつかずにいる。
転居先は、狭いので、母の遺品を持込むには、ちょっと手に余るかも・・・。
母が使っていたトートバックの中から、100円玉を発見。
お駄賃くれたのかな???母からの最期のお駄賃(大事にとっておこう)。
母の居室や、衣類のポケット、抽斗など、亡くなってから整理したけれど、いろいろなところから小銭が出てきて、母から、お小遣いを貰っているような気がして、ちょっと嬉しい気分になるときもあった。
でも、あの綺麗な文字などを見ていると、本当に、母が亡くなったとは、どうしても思えない。
生まれてから、ずっと母と居たんだもの(コレって、異常なのかも?)。
母は、青年期になる前に、中耳炎で鼓膜を損傷したので、耳の異常に悩まされていて、50歳を超えたあたりから、補聴器を使い始めた。
最初は、よく聞こえるけれど、補聴器の劣化というよりは、自身の耳が、悪くなっていて、亡くなる数年間は、電話が鳴っていても聞こえない有様だった。
補聴器も数年おきに買替え、オーダーメイドで、片耳数十万円のものを買っていたので、もしかすると一千万円くらいは、補聴器代になったのかもしれない。
そんな補聴器も、二組残っているけれど。
業者にとっては、いいカモだったな。母は。
そんなことを思いながら、ネット・ニュースなんかを見ていたら、健康雑誌の『マキノ出版』倒産の記事。
『壮快』、『ゆほびか』だの・・・ありとあらゆる健康情報を発信していて、雑誌の記事の後には、同じ系列?の薬局で、健康食品や健康器具が売られていて、至れり?尽くせり???というか・・・(どうしても不快な症状から解放されたいと願う半病人は飛びついたと思う)。
体調不良、長く続く慢性病など、身体の調子がよい時の方が、少なかった母は、『マキノ出版』の雑誌を買っていて、30年分くらい、居室の押入れに保管して、何処か異常がでると、押入れから、健康雑誌を引っ張り出して、漢方薬だの健康食品だの買いあさっていた。
30年分か・・・それ以上、しかも一種類だけではなくて、月に、2、3冊は、買っていたから、処分した雑誌は、500冊は軽く超えていたと思う。
南米の密林(ア〇ゾン)の古書販売サイトで、高値で売っているものもあるけれど、この冊数だったので、リサイクルコーナーに、何十回かに分けて、運び込んで、処分した。
古くは、『紅茶キノコ(コンブチャ)』、『飲尿療法』、『キダチアロエ』、『11円療法』、『官足法』などなど・・・さまざまな民間療法を手を変え、品を変え、まあ、読んでいて、面白かったけれど。
現在は、雑誌を購入しなくても、インターネットで、いくらでも情報が入手できる時代になった。
そんなことが、出版社への逆風になったのだろうか。
母が、生きていたら、さぞかし、ガッカリ・・・するコトだろう。
『ワタシは、機械に弱いから・・・。』
常日頃から、母の口癖。
なんでも、太平洋戦争中、学校へ行っても、授業がなく、イモを掘りをしていた・・・というのが、その理由らしい???
パソコンやスマホを使えなくても、手先は、器用で、お針をはじめ、手芸全般は、得意だった。
ヒトには、得手不得があるけれど、この先、インターネットに接続できないと不自由する。
自然淘汰される前に、母は、逝った・・・いや、やはり自然淘汰か・・・。
やはり、母の生粋の昭和のひとであった(私も・・・だけれど・・・)。