鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『寝ながら学べる構造主義:内田樹・著』~再読『寝な構』洗練されたおとなとは・・・?

2010-08-29 21:02:05 | Weblog
くもりがちだけれど、暑さは続く。

努力したひとは、報われるなんて、つまらない説話をなんで、誰が好んで後世まで伝えるだろうか。
内田樹先生は、こんなことを書かれました。

今まで、努力をすれば、何か必ず報われる・・・と信じていましたが、どうもそいうもんでもなさそうです。

努力は、報われて初めて努力という・・・。

努力・・・なんか、辛そうですがね・・・???
ひとには、言えませんが、私、結構、努力家でした・・・。
それなのに、まぁ・・・報われたカナ・・・???と思うことは、ありませんでした。
だから、多分、これかも、努力しても、報われることは、ないのでしょう。

・・・特に、タナボタ式の幸運とかには、お目にかかれず、過ごすことになりそうですが・・・。

それでも、まぁ・・・いいか・・・仕方がないよね・・・。

そう思えるのが、オトナの感覚なのかもしれません。

昨日も書きましたが、世界の分節は、<私>が到来する前に全て終わっており、<私>は、どういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることが出来ない・・・のだから、たぶん、分節したのは、神だとか、運命だとか、ヒトの手では、どうすることもできない事。

実は、私、ヒトが関与することの出来ない<世界の分節>が、誰(という代名詞は、不適当だとは、思いますが、敢えて、使わせていただきます。それしか、表現する術をしらないので)によって、どういう基準で、何の為に、そして、どうして、不平等なのか・・・それを知りたかったんです。

ずっと、ずっと、以前から・・・。

誰か明確な答えを出してくれるのか、何処かにその答えがあるのかそれが、知りたかった。
知ってどうなるものでもないのだけれど。
分節したのが、誰かなら、もっと平等にやれよ・・・と怒鳴り込みたかったのだろうし、いま、充分な満足感や幸福感が得られないのは、アンタのせいだよ・・・と悪態をつきたかったのでしょう。

その<分節>をある人は、神と呼び、運命とよび、幸運とよび、不運とよぶ・・・・。

ヒトがそこに行く前からあるのだから、どうしようもない・・・<分節>された世界にひとり取り残されて、嘆き悲しみ、恨み、怒り、妬み・・・そんな不条理を、別に、自分が悪いわけではなくて、モトからそうだったのだから仕方がない・・・と思うのが、もしかしたら、洗練されたオトナなのかも・・・。

でもさ・・。カゲで努力はしますよ・・・多少なりとも。
こんなふうにしか生きられないし、或る意味、努力は、心の保険です。

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