鼎子堂(Teishi-Do)

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『寝ながら学べる構造主義:内田樹・著』~再読『寝な構』答えは、ここに・・・!

2010-08-28 21:04:58 | Weblog
朝から既に30℃を越えている自室。気がヘンになりそうな暑さ。

先週、一週間、夏季休業でグ~タラ、グ~タラ過ごした訳ですが、その間、内田樹先生の 『寝ながら学べる構造主義』を再読。

迂闊であった・・・なんて、通り一遍の読書しか出来なかったのだろか・・・。

ここ数年来、どうしてなのか、納得できず、そのために、随分と、苦しい思いをしてきたことの答えが書いてあるではないですか・・・。

それは、或る人との比較によって起こる葛藤なのですが、評価されるのが、仕事の量・質・成果・勤務状態といった通常の会社組織で行われるハズの差別化が、まるで見当違いな査定で行われている現実に対する憤りでした。

内田先生は、民話の『こぶとりじいさん』を題材に、説明しておられます。
隣り合わせにすむ爺さんふたりが、両方ともいづれ劣らぬ下手くそな踊りを鬼の前で、披露したのに、一方は、(コブをとってもらうという)報償を受け、もう一方は、(報償を受けた方のコブをつけられるという)罰をうけるという不条理なお話。

(以下、『寝ながら学べる構造主義』より、適当に抜粋)
この物語の教訓は、『この不条理なる事実をそのまままるごと承認せよ。』
この物語の要点は、『差別化=差異化=分節がいかなる基準に基づいてなされたのかは、理解を絶しているが、それをまるごと受け入れる他ない。』

『世界の分節は、<私>が到来する前に全て終わっており、<私>は、どういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることが出来ない。』という人間の根源的な無能。

このあたりを読んで、ああ・・・そう言う事だったのか・・・。

・・・その不条理は、或いは、宿命というものだったり、運命というものだったり、運がいいとか、不運とか呼ばれたりもするのだけれど(そのせいで、易なんて、はじめてみたのだった)。

ジャック・ラカンは、『大人になれよ。』と言っていると内田先生は、結論づけました。

要するに、不条理は、洗練された大人になるために必要な通過儀礼で、ここを通過しないと、シチュエーションは、代わり続けながらも、何度も何度も、同じ、不条理(対人関係)は、展開され続け、悩ませられることになるのか・・・とそんなふうにも、考えられますが・・・・。

私の場合、隣のひとが何処か行ってくれれば、と思っていたのだけれど、例え、何処かへ行ってくれて、離れ離れになったとしても、この『不条理』を通過しないかぎり、またまた、同じように、不快な人物が現れてくるってことでしょうかね・・・。早くおとなになれよ・・・。

・・・早く、通過したい・・・この『不条理』。

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