10月28日(月)晴
踊りのお稽古から戻り、いつものように留守番電話の確認をしたら、中に「福田みどりの代理の者ですが…」とメッセージが残されていた。
「えっ、あの、みどり先生?」
司馬遼太郎夫人の福田みどりさん、さくらがこよなく敬愛して已まないみどり先生から、機関紙を受け取った旨と「ますますご活躍を」と言う激励の伝言である。
福田みどりさんは、平成2年にさくらが『風のように 炎のように~時代を創ったMr.たち』(船場経済倶楽部出版部刊)を上梓したおりに、「産経新聞先輩の司馬先生に、前文を頂戴できませんか」と、身の程もわきまえずお願いの手紙をお届けしたおりに、「司馬さんは、どなたのご本にも、そのような類の文章を書いたことがございませんので…」と、優しさの溢れる返信を頂戴したのがご縁であった。
その後、私はがんを病み退職し、司馬さんは逝かれた。
退職後すぐに産経新聞に、『金つなぎの茶碗』を連載し、大阪新聞に『広野光子の癒し最前線』の連載も始まった。
書くことは私にとってカタルシス(浄化作用)であり、このことで生き延びて来られたのだった。
大阪新聞のこの医療コラムは、当初からテレビ大阪報道部とのコラボ企画で、
踊りのお稽古から戻り、いつものように留守番電話の確認をしたら、中に「福田みどりの代理の者ですが…」とメッセージが残されていた。
「えっ、あの、みどり先生?」
司馬遼太郎夫人の福田みどりさん、さくらがこよなく敬愛して已まないみどり先生から、機関紙を受け取った旨と「ますますご活躍を」と言う激励の伝言である。
福田みどりさんは、平成2年にさくらが『風のように 炎のように~時代を創ったMr.たち』(船場経済倶楽部出版部刊)を上梓したおりに、「産経新聞先輩の司馬先生に、前文を頂戴できませんか」と、身の程もわきまえずお願いの手紙をお届けしたおりに、「司馬さんは、どなたのご本にも、そのような類の文章を書いたことがございませんので…」と、優しさの溢れる返信を頂戴したのがご縁であった。
その後、私はがんを病み退職し、司馬さんは逝かれた。
退職後すぐに産経新聞に、『金つなぎの茶碗』を連載し、大阪新聞に『広野光子の癒し最前線』の連載も始まった。
書くことは私にとってカタルシス(浄化作用)であり、このことで生き延びて来られたのだった。
大阪新聞のこの医療コラムは、当初からテレビ大阪報道部とのコラボ企画で、
新住所の名刺まで皆に配ってくださった高橋さんが
逝かれたとは・・・・見事な素晴らしい生き方を教えて
いただきました。 この場をお借りして
心よりご冥福をお祈りいたします 合掌
2年後の「熊野花火」今から予約しますのでお願いします。
お元気な皆さまに励まされます。
私のところも季刊誌「金つなぎ」が届きました。
記事の掲載もしていただき、ありがとうございます!!