4月29日(日・祝)
今日を「昭和の日」というらしい。 私的には、昭和天皇の誕生日なのだが。
…なので、朝から、先日靖国神社で買ってきた日章旗を掲げた。
夫の実家も、父が健在な頃の私の実家も、紋日には必ず日章旗を掲げた。 その日、家族で特に何を話し合う訳でもなかったが、当たり前のように旗を掲げ、日本国民であることを血肉に染み込ませてきたのだった。
のちにがんを病み、死ぬ前に一度…と、必死の思い入れでアメリカ・ポトマックの桜を激励に行き、その折、アメリカに(特にワシントンDCに)、翩翻とひるがえる多数の星条旗を見るにつけ、日本人の日章旗に対する屈折した感情を洗い直し、改めて国の旗を掲げようと、決めた。
いまさら言上げするまでもなく、日章旗は好戦の旗ではなく、反戦の旗である。 その上の大戦に、日章旗を掲げてこの国が参戦したからといって、いったい旗に何の罪があろうや?
日の丸は、未来永劫この国の反戦・平和の象徴のひとつであり、単純明快、紅白喜びの象徴であるに他ならない。
そしてたとえば、ワールドカップやオリンピックの応援会場で日章旗を見ることは日常であるが、一般家庭でのそれは、文字通りの非日常だ。 何故だろう?
考えてみれば、日本人である私たちがその象徴である国の旗を掲げることは至極当たり前のことなのに、ね。
日本人であることに誇りを持ち、かつ皇紀2670年近くの長きにわたるご先祖さまの歴史と伝統を持つ「ニッポン」が大好きな私、国旗掲揚は至極当然のなりゆきではある。
話を矮小化しよう。
…で、わが家の話であるが、結婚以来、ずっと掲げていた旗がある時強風に煽られて舞い上がり、地面に叩きつけられて金の玉が割れ、白地が汚れてもきたので処分をし、その後、国旗を買いそびれたまま、今に至った。
過日、靖国神社に詣でた機会に、彼の宮で購入した国旗、亡夫もご先祖さまも喜んでおられることでしょう。
それかあらぬか、国旗の前で子どもたちと写真をとっていた折のこと、「ご先祖さまに風を起こしてもらいましょう! だって、風がないと旗がしお垂れてしまって…」 と言った途端、なんと、一陣の風吹き渡り、子どもたちも 「え~っ、風が吹いてきたぁ!」 って、びっくりしたところを、パシャッ。
いつも、思えば叶う。
…恐いくらいです。
午後、遊びに出かけた子どもたちと入れ替わりに、パパとママが来て、「庭の草引きをしてあげよう!」 と言い、さっそく、3人で名無し菜を引き、牛糞を鋤き込んで小さな畠が出来上がった。
ありがとう、ありがとう
今日を「昭和の日」というらしい。 私的には、昭和天皇の誕生日なのだが。
…なので、朝から、先日靖国神社で買ってきた日章旗を掲げた。
夫の実家も、父が健在な頃の私の実家も、紋日には必ず日章旗を掲げた。 その日、家族で特に何を話し合う訳でもなかったが、当たり前のように旗を掲げ、日本国民であることを血肉に染み込ませてきたのだった。
のちにがんを病み、死ぬ前に一度…と、必死の思い入れでアメリカ・ポトマックの桜を激励に行き、その折、アメリカに(特にワシントンDCに)、翩翻とひるがえる多数の星条旗を見るにつけ、日本人の日章旗に対する屈折した感情を洗い直し、改めて国の旗を掲げようと、決めた。
いまさら言上げするまでもなく、日章旗は好戦の旗ではなく、反戦の旗である。 その上の大戦に、日章旗を掲げてこの国が参戦したからといって、いったい旗に何の罪があろうや?
日の丸は、未来永劫この国の反戦・平和の象徴のひとつであり、単純明快、紅白喜びの象徴であるに他ならない。
そしてたとえば、ワールドカップやオリンピックの応援会場で日章旗を見ることは日常であるが、一般家庭でのそれは、文字通りの非日常だ。 何故だろう?
考えてみれば、日本人である私たちがその象徴である国の旗を掲げることは至極当たり前のことなのに、ね。
日本人であることに誇りを持ち、かつ皇紀2670年近くの長きにわたるご先祖さまの歴史と伝統を持つ「ニッポン」が大好きな私、国旗掲揚は至極当然のなりゆきではある。
話を矮小化しよう。
…で、わが家の話であるが、結婚以来、ずっと掲げていた旗がある時強風に煽られて舞い上がり、地面に叩きつけられて金の玉が割れ、白地が汚れてもきたので処分をし、その後、国旗を買いそびれたまま、今に至った。
過日、靖国神社に詣でた機会に、彼の宮で購入した国旗、亡夫もご先祖さまも喜んでおられることでしょう。
それかあらぬか、国旗の前で子どもたちと写真をとっていた折のこと、「ご先祖さまに風を起こしてもらいましょう! だって、風がないと旗がしお垂れてしまって…」 と言った途端、なんと、一陣の風吹き渡り、子どもたちも 「え~っ、風が吹いてきたぁ!」 って、びっくりしたところを、パシャッ。
いつも、思えば叶う。
…恐いくらいです。
午後、遊びに出かけた子どもたちと入れ替わりに、パパとママが来て、「庭の草引きをしてあげよう!」 と言い、さっそく、3人で名無し菜を引き、牛糞を鋤き込んで小さな畠が出来上がった。
ありがとう、ありがとう
さっそく、仕舞いこんでいた国旗をさがしますよ。
「話を矮小化」することなく、みんなで一度しっかり考えるべきでしょうな。
小生もがんを病んで、そのことばかりかんがえているときじゃないね、ほんと。
いつも、ありがとうございます。
がんを病むということは、「予後を如何に生きるか?」という大命題を解ききるということなのですね?
そして国旗は、いうまでもなく国の旗、この国のアイデンティティの象徴なのですよね?
良い時代に生まれ合わせ、おかげで、国旗に思いをいたす暮らし方が出来ます。
ありがとうございます。