午後7時から、ホテル阪急インターナショナル6Fの会場には、12卓のテーブルに各10人ずつ、限定120人が着席して、主賓の黒川博行さんと夫人の日本画家・黒川雅子さんが正面の扉からお揃いで現れるのを、いまや遅しと待っている。
万来の拍手に迎えられ現れた黒川さんは、なんと、アロハシャツ姿だ。
「あの方、冬になってもアロハシャツかしらね?」
隣り合わせになったMs,KITAMURAが、いたずらっぽい眼をされた。
舞台は、古くからの友人で歌人の道浦母都子さんとのトーク・セッションに移り、道浦さんの過不足のない質問と突っ込みに、作家のプロフィールが次々に明かされる。
飾らないお人柄が魅力の黒川さんと、優しくしなやかな大人の女性の雅子さんは、送礼に立って、最後のお一人までを和気藹々の中、見送られた。
「このあと、会場を変えて二次会開きます。良かったらどうぞ!」
ぶっきらぼうな物言いだけれど、相手を気遣う優しさがあふれている。
黒川博行さん。
不思議な魅力のひとだ。♪
ロビーでなぜか二人になり、道浦さんにご挨拶をさせていただいた。
さくらが二人の男児の子育てにあたふたと生きていたころ、名張市の移動図書館で貸し出された道浦さんの初の歌集『無援の抒情』(80年刊、現代歌人協会賞受賞)で出会った短歌をいまも忘れない。
♪調べより 疲れ重たく戻る真夜(まよ) 怒りのごとく生理はじまる
♪君のこと 想いて過ぎし独房の ひと日をわれの青春とする
これはこれは。
なんと鮮烈な言揚げである乎。
正直な心象風景を、31文字で過不足なく歌い上げられる、歌人の懐の深さに瞠目した。
その日、私は普通の主婦であった。
後に、ワイシャツにネクタイをルーズに垂らし、紺のタイトスカートにピンヒールのハイヒールで闊歩する新聞記者になれようとは、夢にも思わない。
道浦さんの秀歌のうち、まるでさくらの部屋を詠んでくださったような一首…、
♪家中の あちらこちらに時計置き まさらの部屋に 時間を流す
6畳の居間に4つもの時計を置くさくら。
道浦さんの、「時間を流す」という、清新の感性に圧倒されている。
今日の集いに誘ってくださったのは、友人の大ぞの千恵子さん(左)。
ミキプルーン販社のうち、全国第3位を誇るサンエリアの社長にして、フード・アドバイザー、「食の学校」の校長先生だ。
私のお友達は、あなたのお友達よ♪」と言いながら、たくさんの素敵なかたがたとの
ご縁をつないでくださった大ぞのさんは、今日も、「ねぇ、ねぇ、ご紹介するわ」と、
羽曳野市の島田病院院長・島田永和夫人の雅子さん(右)に引き合わせてくださった。
「黒川さんは、島田先生の奥さまに紹介していただいたのよ」
楽しそうに言って、また新たな人つなぎのため、別の輪に入っていかれた。
主賓のテーブルには、黒川夫妻、道浦さんのほか、関西テレビ社長の福井澄郎さん、専務の堤田泰夫さん、読売テレビ報道局解説副委員長の春川正明さん、写真家の太田順一さん、ブレーンセンター社長の稲田紀男さん、潮出版社長の南晋三さんら、錚々たる皆さまが席を占められ、次のテーブルには、産経新聞大阪本社編集局長の鳥居洋介さん、編集委員の荻原靖史さん、市坪和博さん、山上直子さんら…
読売新聞編集委員の滝北岳さん、朝日新聞の佐伯善照さんも。
ほかにも、たぶん名だたる皆々さまがご着席の気配で、次々にご挨拶に立たれ、あっという間に午後9時のお開きとなった。
中で秀逸のご挨拶は、読売テレビの春川さん。「この中で私のことを春川!と呼び捨てに出来るのは、今夜の主賓・黒川さんだけです。…というのも、私の中学時代の美術の先生だったからです」。
「あるとき、地検の取材席で後ろから椅子を蹴る人が居るんです。いぶかしく思って見るともなく見たら、屈強そうなアロハシャツ姿の男性が眼に入った。…そのスジの人かも?とかかわらないようにしていたけれど、何度も蹴ってくる。意を決して向き合って見たら、なんと、作家になっておられた黒川先生だったんです」
愉快なエピソードに、会場が湧いた。
程よいスノッブな雰囲気が会場を包み、得がたい【非日常】で免疫力を上げた。
会場を後にするとき、黒川さんのお祝いに届いていた立華を、花束に小分けして渡していただいた。
明日のお昼は、山本化学・山本富造社長のご招待を受け、金つなぎの病友がた20人で、舞踊の会を鑑賞させていただくので、今夜は大阪泊まり、と決めていたのだけれど、お花がうれしくて泊まりを諦め、名張に持ち帰った。
7輪もの見事なカサブランカは黒川さん、赤紫の凛とした胡蝶蘭は雅子夫人、そして緑色のアジサイは、もちろん緑衣の女人・道浦さん♪
淡いピンクの薔薇は、大ぞのさんとお友達…
万来の拍手に迎えられ現れた黒川さんは、なんと、アロハシャツ姿だ。
「あの方、冬になってもアロハシャツかしらね?」
隣り合わせになったMs,KITAMURAが、いたずらっぽい眼をされた。
舞台は、古くからの友人で歌人の道浦母都子さんとのトーク・セッションに移り、道浦さんの過不足のない質問と突っ込みに、作家のプロフィールが次々に明かされる。
飾らないお人柄が魅力の黒川さんと、優しくしなやかな大人の女性の雅子さんは、送礼に立って、最後のお一人までを和気藹々の中、見送られた。
「このあと、会場を変えて二次会開きます。良かったらどうぞ!」
ぶっきらぼうな物言いだけれど、相手を気遣う優しさがあふれている。
黒川博行さん。
不思議な魅力のひとだ。♪
ロビーでなぜか二人になり、道浦さんにご挨拶をさせていただいた。
さくらが二人の男児の子育てにあたふたと生きていたころ、名張市の移動図書館で貸し出された道浦さんの初の歌集『無援の抒情』(80年刊、現代歌人協会賞受賞)で出会った短歌をいまも忘れない。
♪調べより 疲れ重たく戻る真夜(まよ) 怒りのごとく生理はじまる
♪君のこと 想いて過ぎし独房の ひと日をわれの青春とする
これはこれは。
なんと鮮烈な言揚げである乎。
正直な心象風景を、31文字で過不足なく歌い上げられる、歌人の懐の深さに瞠目した。
その日、私は普通の主婦であった。
後に、ワイシャツにネクタイをルーズに垂らし、紺のタイトスカートにピンヒールのハイヒールで闊歩する新聞記者になれようとは、夢にも思わない。
道浦さんの秀歌のうち、まるでさくらの部屋を詠んでくださったような一首…、
♪家中の あちらこちらに時計置き まさらの部屋に 時間を流す
6畳の居間に4つもの時計を置くさくら。
道浦さんの、「時間を流す」という、清新の感性に圧倒されている。
今日の集いに誘ってくださったのは、友人の大ぞの千恵子さん(左)。
ミキプルーン販社のうち、全国第3位を誇るサンエリアの社長にして、フード・アドバイザー、「食の学校」の校長先生だ。
私のお友達は、あなたのお友達よ♪」と言いながら、たくさんの素敵なかたがたとの
ご縁をつないでくださった大ぞのさんは、今日も、「ねぇ、ねぇ、ご紹介するわ」と、
羽曳野市の島田病院院長・島田永和夫人の雅子さん(右)に引き合わせてくださった。
「黒川さんは、島田先生の奥さまに紹介していただいたのよ」
楽しそうに言って、また新たな人つなぎのため、別の輪に入っていかれた。
主賓のテーブルには、黒川夫妻、道浦さんのほか、関西テレビ社長の福井澄郎さん、専務の堤田泰夫さん、読売テレビ報道局解説副委員長の春川正明さん、写真家の太田順一さん、ブレーンセンター社長の稲田紀男さん、潮出版社長の南晋三さんら、錚々たる皆さまが席を占められ、次のテーブルには、産経新聞大阪本社編集局長の鳥居洋介さん、編集委員の荻原靖史さん、市坪和博さん、山上直子さんら…
読売新聞編集委員の滝北岳さん、朝日新聞の佐伯善照さんも。
ほかにも、たぶん名だたる皆々さまがご着席の気配で、次々にご挨拶に立たれ、あっという間に午後9時のお開きとなった。
中で秀逸のご挨拶は、読売テレビの春川さん。「この中で私のことを春川!と呼び捨てに出来るのは、今夜の主賓・黒川さんだけです。…というのも、私の中学時代の美術の先生だったからです」。
「あるとき、地検の取材席で後ろから椅子を蹴る人が居るんです。いぶかしく思って見るともなく見たら、屈強そうなアロハシャツ姿の男性が眼に入った。…そのスジの人かも?とかかわらないようにしていたけれど、何度も蹴ってくる。意を決して向き合って見たら、なんと、作家になっておられた黒川先生だったんです」
愉快なエピソードに、会場が湧いた。
程よいスノッブな雰囲気が会場を包み、得がたい【非日常】で免疫力を上げた。
会場を後にするとき、黒川さんのお祝いに届いていた立華を、花束に小分けして渡していただいた。
明日のお昼は、山本化学・山本富造社長のご招待を受け、金つなぎの病友がた20人で、舞踊の会を鑑賞させていただくので、今夜は大阪泊まり、と決めていたのだけれど、お花がうれしくて泊まりを諦め、名張に持ち帰った。
7輪もの見事なカサブランカは黒川さん、赤紫の凛とした胡蝶蘭は雅子夫人、そして緑色のアジサイは、もちろん緑衣の女人・道浦さん♪
淡いピンクの薔薇は、大ぞのさんとお友達…
金つなぎニュースを送っていただき、ありがとうございます。制作への情熱にもいつも熱く心を打たれます。懐かしい方々のお名前やお顔を拝見し、命への向き合い方がひしひしと伝わってきます。